事業仕分けの第三弾と銘打ち、現在特別会計の使い道を仕分け中である。議員たちが真剣に問い詰める様は確かにテレビ向けのポーズとしては悪くない。しかし、なんともはや茶番であり、またもや国民は欺かれている。
私の知る限りにおいて特別会計は300兆とも400兆とも言われていた、なのに、知らないうちに170兆円とされているではないか。こんなことすらはっきり出来ない日本の国家予算とは一体なんなのだろう。もっと政府は誠意を持って国民に開示すべきではないのか?
まずもって政治主導と言ったのではないか、各省庁が自由に使える金が特別会計であり、その徴収から使いきりまでほとんど政治家の介入する余地はなかったのである。その特殊な会計が一般の政治家が論議できる一般会計予算の数倍の規模なのである。その不透明で、不鮮明な特別会計をゼロベースで、政治主導で組み替えるのが今回の民主党の政治改革だったはずである。つまり今回の事業仕分けは使われてきた特会個別の是非を云々するもので、逆に言えば、特別会計の存在を認めているではないか。ゼロベースではないのだ。
ゼロベースとは文字通り全部廃止することである。当たり前ではないか。時間がないなどと言う問題ではない。とりあえず全部を一般会計とし、その中から必要と認められるものを予算に計上し、必要でないと考えられるものは減税の原資とすべきである。順序が違うではないか。
事業仕分けをして不要と思われるものは一般会計に繰り入れるのであれば官僚の思う壺であろう。ましてや民間に委託すべきと言うのも言葉のあやであり、国が関与すべきでないと言うことであり、言葉が手ぬるい。
菅政権を非難する気はないが、このようなくだらない作業は即刻中止すべきである。国民から集めた税金やそれに順ずる収入は国民が選んだ国民の代表が把握し、使い道を決めるのが筋である。そして官僚達は与えられた予算ですべてをまかない、それで賄えないのなら、それはその人たちが無能なのであって、自ら辞職し、与えられた収入で実現できると主張する人に席を譲るべきではないのか。民主党の主張はそうだったはずであろう。
日本の官僚は一流大学を卒業したエリートなのだからそのぐらいは簡単に出来るはずだ。そうではないのか?
まずは予算はたっぷりある。減税できなきゃ意味がない。河村たかしを日本の首相にしましょう。
私の知る限りにおいて特別会計は300兆とも400兆とも言われていた、なのに、知らないうちに170兆円とされているではないか。こんなことすらはっきり出来ない日本の国家予算とは一体なんなのだろう。もっと政府は誠意を持って国民に開示すべきではないのか?
まずもって政治主導と言ったのではないか、各省庁が自由に使える金が特別会計であり、その徴収から使いきりまでほとんど政治家の介入する余地はなかったのである。その特殊な会計が一般の政治家が論議できる一般会計予算の数倍の規模なのである。その不透明で、不鮮明な特別会計をゼロベースで、政治主導で組み替えるのが今回の民主党の政治改革だったはずである。つまり今回の事業仕分けは使われてきた特会個別の是非を云々するもので、逆に言えば、特別会計の存在を認めているではないか。ゼロベースではないのだ。
ゼロベースとは文字通り全部廃止することである。当たり前ではないか。時間がないなどと言う問題ではない。とりあえず全部を一般会計とし、その中から必要と認められるものを予算に計上し、必要でないと考えられるものは減税の原資とすべきである。順序が違うではないか。
事業仕分けをして不要と思われるものは一般会計に繰り入れるのであれば官僚の思う壺であろう。ましてや民間に委託すべきと言うのも言葉のあやであり、国が関与すべきでないと言うことであり、言葉が手ぬるい。
菅政権を非難する気はないが、このようなくだらない作業は即刻中止すべきである。国民から集めた税金やそれに順ずる収入は国民が選んだ国民の代表が把握し、使い道を決めるのが筋である。そして官僚達は与えられた予算ですべてをまかない、それで賄えないのなら、それはその人たちが無能なのであって、自ら辞職し、与えられた収入で実現できると主張する人に席を譲るべきではないのか。民主党の主張はそうだったはずであろう。
日本の官僚は一流大学を卒業したエリートなのだからそのぐらいは簡単に出来るはずだ。そうではないのか?
まずは予算はたっぷりある。減税できなきゃ意味がない。河村たかしを日本の首相にしましょう。