ようやくコメント欄が落ち着いてきてやれやれ…という気分です。コメントが入るのはうれしいものですが、一日に50件も入るともう返事を書けなくなります。本当に返事を書けなかったことを残念に思っています。
まゆみさんのコメントでウクライナ情勢に関する件ですが、私はずいぶん前からウクライナ問題は兵器産業同士の内輪もめだと言っています。その意味がいまいちわからなかったのですが、ようやく武器が現地に着く前に消えてしまい兵器市場で売買されていると聞き、なるほどと思ったまでです。
わかる人にはわかると思いますが、私は守秘義務に署名しています。言えないことは言えません。今回ミスター氏が使っていけない言葉を使ってきて大いに当惑しました。ただし、その言葉を知っていることで「これは本物だ」とも感じました。ただ、いくつか私の認識との違いがあり、そのことで彼の位置もある程度見えてくるものです。
彼の発言の中で〇〇宮は愛知県にあるといわれましたが、確かにあるのですがそれ以上の意味はありません。また位山ですが、S氏にも聞きましたが派閥によって重要な場所は異なるものだということです。熱海はあまり思い当たるものはないが、救世教の教会や美術館、真光教会など、重要な施設がある程度じゃないかという話でした。
光秀が天海だというのは本にもなっていますがこれは歴史的にはそれほど重要なことではなく筑紫の君というほうが問題です。また調べてみます。お待ちください。
それよりも黒曜石に関するコメントがありましたが、これは重要なポイントになります。また勉強して記事にしなければと思っています。
河内王朝のコメントも面白いですね。本願寺を少しググってみましたが、これも大変!調べれるかは自信がありませんが、今後の課題になります。
さて、本日の記事の主題ですが、そうフランク王国の話です。少々長くなるかも・・・・で、妹の何とかさんが突発的と言われていたものですが、実はS氏との対話が約10年ほど途切れていたわけですが、その間自給さんやヤッヅさんが一生懸命勉強していたものがフランク王国とかブルゴーニュだったのです。
そのあたりの認識が決定的に不足しているということがはっきりしてきたということです。
フランク王国はカール大帝の死後細かく言うとややややこしいのですが、簡単に言うと正妻の息子たちに分割され西・中・東に分かれたと。しかしWIKIには載っていないが妾腹の息子たちにはカスティーニャ、アラゴンを与えたということです。
当時、貿易というのは地中海が一番盛んでカルタゴ、ベネチア、ジェノバ辺りが中心でした。しかし、時代は徐々に大航海時代へと転換してゆきます。
1492年8月2日、この日スペインからユダヤ人が追放されることになります。
1492年8月3日、コロンブスが西に向かって出航します。
1492年8月11日、ローマ法王にスペイン人として初めてボルジア家のアレクサンデル6世が誕生します。
この三つが偶然起きたものと考える人は世の中に陰謀などあるわけがないと主張するでしょうね。
コロンブスの功績とは「ヨーロッパで迫害を受けていたユダヤ人たちに、彼らの新天地が南米にあることを示し、これをきっかけに続々とユダヤ人たちが南米に渡った。そして、原住民インディオによる原始生活の続いていた南米において、彼らは第一次産品である銅・スズ・鉄などの開発に大きな成果を上げ、巨万の富を築いたのである。(ヘブライの館から引用)」
ところがこの南米でユダヤ人が大儲けしているのを知ったポルトガルとスペインのキリスト教徒は十字軍と称し彼らを攻撃し再び追放してしまう。
この追放されたユダヤ人が向かった先が現在のニューヨークになりこれがオランダの東インド会社になってゆくとか。
先日S氏から「ブラジルはスペイン人が侵略した土地なのにポルトガルが持って行ってしまった。なぜ?」と問われた。
これは難問なのです。
さて、テンプル騎士団というのがありましたね。フランス国王フィリップ4世はテンプル騎士団から借りた金が払えなくなりついに彼らを廃止に追い込む。しかしレコンキスタで恩を感じていたポルトガル王はキリスト騎士団として存続を許した。
このテンプル騎士団だけでも本を何冊も書けるほど大きな組織で、それらがイエズス会やフリーメーソン、あるいはガーター騎士団などの大元ともいえる大組織なのです。そしてその裏側にはシオン修道会がいるわけです。このシオン修道会がこの時期、つまり大航海時代に二つに割れてゆく。
それが〇〇宮とシオニストになるのです。
今回はわざと大雑把に書きました。もう少し細かく書いてゆきたいですね。