マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

鉄道会社はすごかった

2012年10月14日 05時42分42秒 | ひとりごと
先週の日曜日に明治村へ行った。ここは犬山市の中の広大な地域を名鉄という一企業が歴史博物館として開発したもので、はっきり言ってとても採算がとれるような代物ではない。道楽にしてもここまでやるか?ってレベルである。まあ、我々見学者にとってはこんな素晴らしい遊び場所はないのである。(調べると財団法人なんだね)

名鉄はともかくとして、国鉄、西鉄、近鉄、西武、阪急、阪神、南海・・・これらはプロ野球の球団を持った電鉄会社である。彼ら電鉄会社はまず莫大な資金を投入し、路線となる土地とその周辺の地所を買い占め、鉄道を敷き、駅を作り、駅のまわりに住宅や工業団地を誘致する。その鉄道の輸送力を利用し、企業は原料の輸送、製品の出荷、さらには労働者の足となり、いわば日本株式会社のインフラとして大きな役割を果たしたのであり、まさに国策産業だった。
なぜこんな当たり前のことを今述べるのかというと、アメリカの歴史を研究している段階で、アメリカの発展の原点がペンシルベニアにあり、その鉄道産業から世界帝国が生まれて行くことがわかったからである。
ペンシルベニアはアメリカの州として一番最初に成立したところである。そして何よりクエーカー教の聖地でもある。
ペンシルベニアが出来た理由は英国の宗教政策によるもので、ウイリアム・ペンというクエーカー教徒が国教会側からの新教弾圧を受け、彼の親がチャールズ2世に貸した大金の証書をかたに領地として手に入れ、集団で移民したである。彼らクエーカー教徒は自由・平等・博愛を謳いペンシルベニアを自由発祥の地とした。
クエーカー教徒は異教徒であるため、英国内では政府の要職に就くことはできず、したがっていわゆる中産階級の手工業者や商人が多く、さらに他教徒との婚姻は認められないため一種独特の団結感を有していたようだ。
ペンシルベニアでの産業の発展と、いわゆるE派閥の成立と大きな関連があるので詳しくはまたの機会にするが、園田氏の記事から引用するなら「米国では、クエーカーが切り開いたペンシルべニア州を中心に巨大な鉄道網が登場し、その莫大な投資額ゆえに金融機関と密接に結びつき、金融資本の形成に決定的影響を及ぼした。」(最新日本政財界地図16 鉄道業と欧米日エスタブリッシュメントから)とある。

セシル・ローズ、後にローズ資金として有名になるが、実はボーア戦争という最悪の侵略戦争を仕掛けた貴族がいた。この南アフリカで行われた植民地戦争は英国の威信をかけた戦いとなり、この為にロシアとの戦いに日本を巻き込むことになった。
この戦争に勝利したローズは表向きはロスチャイルド家の融資を受けたように言われるが、そんなレベルの話ではなくRIIAやCFRの設立に至る世界通貨調整カルテルの立役者になったのである。

ローズはペンシルベニアで鉄鋼、鉄道、造船などへ莫大な投資を行い、結果、カーネギー、ロイズ、バークリーなどのクエーカー財閥を生み出した。そしてその後、例のロックフェラーやモルガンが登場し、デュポンなどもこのころかな・・・?これらがEの実態なのである。前に取り上げたボストンのキャボットもEだが、いわゆるアメリカの所有者の一人なのである。

まあ、そんなアメリカの話ではなく、今日は日本の話だった。要は、鉄道は莫大な投資を必要とし、インフラさえ整えば投資額をはるかに上回る回収が可能な重要な産業だったわけだ。現在は自動車や航空機に押され、花形産業の地位を譲ってしまったが、蓄積した富の一部が明治村などにその一端を見ることができる。
つまり、明治維新をしかけたのは薩長を裏から操ったマセソン商会、つまりDだったわけだが、日本の扉を開けたのはペルー提督を代表とするEである。E側はペンシルベニアの成功をお手本に、鉄道と製鉄を中心とした富国強兵策を日本に導入したのだろう。当然それらはクエーカー人脈が活躍したはずである。
プロ野球が鉄道企業を中心に始まったのは偶然ではなく、鉄道産業育英の一環としてアメリカに教わったと見るべきだろう。

そんなことを考えながら一日かけて明治村を一周した。帝国ホテル本館や、川崎銀行の本店、聖イグナチオ教会、その他多くの明治の建築物をこの目で見て、今の弁当箱のような味気ない建造物と違い、日本が一流国家を目指していた迫力というか、意気を感じざるを得ない。明治が良い時代だったかは私にはわからないが、突然世界の脅威に直面し、国民がひとつになって頑張った時代だった事は間違いないだろう。
一億の民がひとつになると怖いと思うと同時に、ここまでやれるのだと感動もするのである。
・・・やれやれ、明治村へ行くだけで色々と考えてしまうのだが・・・で、今日もよい天気なので日泰寺にでも散歩に行くことにするか・・・WKI「覚王山日泰寺 (かくおうざん にったいじ) は、愛知県名古屋市千種区にある超宗派の寺院である。 タイ王国から寄贈された仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するために、創建された。「覚王」とは、釈迦の別名。また「日泰」とは、日本とタイ王国を表している。」

どの宗派にも属していない日本で唯一の超宗派の寺院で、八切氏によれば、名古屋の人はけちだから、お寺に金を取られるのは「もったいない」から自分たちで墓地を作ろうと考えた・・・みたいな話だったが、実は我が家のお墓もここにある。それが、結構高額な管理料を取るのだよ。まったく「もったいない」のだ。

あなたはアーリア人?

2012年10月07日 07時07分39秒 | 世界の支配者
毎度のことで申し訳ない。少し訂正させてください。

実は、アーリア人とエフライムの関係ですが、どう考えても時代背景が一致しない。つまり、年代的な裏付けが取れませんね。縄文時代、アーリア人のオロチョンが日本にやってきたのはBC8000年から6000年ぐらい。アブラハムが出エジプトをし、エジプトから出たのがBC14から13世紀前後。イスラエル王国が出来るのは当然それ以降である。ましてやエフライム族が出来るのはさらに後ということになる。
つまり、アーリア人が日本の縄文王朝を作ったのは間違いないが、イスラエル支族、ましてやエフライム族ということはないということです。


さて、先日私はこう書いた。
「初めて日本を征服した王朝が出雲王朝であり、問題はそれがエフライム族であり、アーリア人との混血だったというのである。紋章の一角獣がそれだ。」・・・・と。
これで日本の歴史が見えてくるかと言えば、見えませんよね。では、言い方を変えましょう。
我々が学校で学んだ日本の歴史は縄文時代と弥生時代で区別する。
縄文時代は・・・・wikiから「縄文時代(じょうもんじだい)は、年代でいうと今から約1万6,500年前(紀元前145世紀)から約3,000年前(紀元前10世紀)、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないし新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。」

弥生時代は・・・・「弥生時代(やよいじだい)は、北海道・沖縄を除く日本列島における時代区分の一つであり、縄文時代に続き、古墳時代に先行する。およそ紀元前3世紀中頃(この年代には異論もある)から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称である。具体的には、稲作技術導入によって日本での水稲耕作が開始された時代である」
以上が我々日本原住民に押し付けられた歴史認識である。が、しかし、これは間違っているとは言えないまでも、本質を外しているとしか言えない。
正しく直さねば・・・・
縄文時代というのは、バイカル湖付近に居住していたアーリア人とツングース民族が混血しオロチョン部族が生まれる。その部族がアムール川をくだり、青森にやってきた。その後日本のほぼ全土を支配し、新しい侵略者に敗退するまでの時代のことである。
彼らはロシアの沿海州に産する黒曜石を十三湊を拠点として日本中(大陸にも?)に交易するネットワークを持っていた。つまり・・・、縄文時代は想像以上に文明が発達していたということだ。
では、弥生時代とは何だったかというと、これは私の憶測を含めて考えてみると、世界的な異常気象がもたらしたフン族の侵入で、ヨーロッパ中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのである。ローマにいたイスラエル部族たちがローマを見限り?東方へ大挙して移動を開始したのである。中国人はローマを大秦と呼んだので、日本も彼らを秦人と呼んだようである。
彼らが侵入した中国北部は大混乱となる。五胡十六カ国時代である。日本では仁徳・応神時代とされるが、実はスキタイ王が日本へやってきたのだ。しかし実態はイスラエル部族のうちの八つが九州へ上陸したのではないか。八幡の由来はまさに八部族ということになるかな。
この部族の明細は十分にはわからないが、ただ、波状的に色々な部族がやってきたわけで、土木や製鉄、酒、絹、等、色々な役割を持つイスラエル部族で、彼らがヤマタノオロチ(オロチョンのことだよね)を成敗したスサノウであったわけだ。このあたりの分析は今後も継続してゆくが、今日は縄文王朝が肝心・・・。

出雲が恐らく一番大きな戦いがあった場所ではないか。だからそこで国譲りが行われ、天神王朝が作られる。
彼らイスラエル部族は秦氏と名付けられた。そして彼ら部族の中に別格のレビ族、即ちバラモンがいた。それが賀茂氏である。
さて、縄文王朝の人々は服従し、新王朝に従ったものと、まつろわない民として東北地方へ逃げ込むものとがいた。
つまり、天神王朝は西日本は掌握したものの、東北地方は平安時代まで縄文王朝が続いたのである。

さて、日本の原発はどのような地域にあるのか考えたことがあるだろうか。

ついでに大きな地震がどこで起きたかを関連付けた人はいるだろうか。
311で津波に襲われたのは・・・。日本で原爆が使用された地域は・・・・・・。
つまり、今でも出雲族は底知れない力を持っており、その力に脅威を覚える勢力があるということだ。

ついでにもう少し、十三湊は津軽だが・・・・津軽氏の家紋は卍。卍と言えば、世界紅卍。紅卍と言えば・・・道院。道院と言えば…?連想はご自由に。ただ、エフライム族の祖、ヨセフのシンボルが牛だったとか・・・金色の牛?

さて、問題は草原の道を通り、バイカルへやってきた部族がインドにヒンズー教を伝えたアーリア人というのだが、この考え方は昔のマヨちゃんのツランと同じであり、やはりクラスノヤルスクを総本部とする鉄鉱石探索部隊である。これらをツランと呼ぶか、アーリアと呼ぶのか?恐らく、同じことを言っているのだろう。

私も一時はこのツラン思想に夢中になったものだが、ここで注意しなければならないことがある。この考え方がアーリア人復興のナチズムにつながるもので、日本に河豚計画をもたらしたことを・・・。そしてそれがシオニストの思うつぼであることを・・・・。

日本への第一陣、アーリア人が日本を侵略したとして、その規模はせいぜい数千人程度。これが数千年で婚姻や混血を繰り返したとしてどうだろう。
基本的に彼らの考え方はカーストであり、自分たちはバラモンであり、最上位である。したがって誰とでも婚姻するわけではなく、慎重に相手を選んだであろう。つまり、バラモンは別格として、クシャトリアはそれほど多くはなかったと思われる。

何が言いたいかだが、要は、大部分の日本原住民はアーリア人の末裔ではなく、大部分の日本原住民は侵略者、アーリア人に征服された哀れな奴隷階級だということである。実はここが今日言いたかったことのすべてである。

あなたの家系が地元の名士で、地銀のオーナーだったり、酒造、鉄鋼メーカー、特定郵便局のオーナー・・・だったりしたら、あなたがアーリア人の末裔である可能性はかなり強いが、ほとんどの日本人は残念ながらそうではないはずだ。
まあ、そのあといよいよ現代につながる第三陣の神武さんがやってきて日本が統一されるのだが、それらの三派が全国のあらゆる利権を仲良く?分け合ったのだよ。

で、アーリア人がなぜエフライムなのか?ですね・・・。正直、納得できてないのだが、遺伝子の調査から、その突然変異的な遺伝子が世界で日本とチベットにしか見つからないのだとか・・・。そしてもう一つは、前回お見せした日本皇室の紋章からかな。第一陣の代表である一角獣と、第三陣に中心部隊、ユダ族の獅子が真ん中のレビ族を支えている図である。動かぬ証拠というか・・・、まあ、私にとってはどうでもいいことなのだが、我々原住民のものである日本列島を収奪した人たちなのだよ、少なくとも彼らのために血を流したくはないね。
つまり、超古代において国境などなく、自由自在に大陸と行き来し、交易してきたのである。国境は侵略してきた部族達の利権の境目であり、すべてなのである。だから彼らは国境が大事なのであり、我々には実は関係ない話なのである。尖閣でも竹島でも古代ではみんな勝手に上陸し、誰のものでもなかった。歴史的に誰のものかというのであるなら、「誰のものでもない」というほうが正しいのではないか?
そんなことで国民の生命を危険にさらすことは愚の骨頂で、いい迷惑である。



早とちり・・・おわび。

2012年10月01日 04時47分57秒 | ひとりごと
飯山大先生、申し訳ない。相変らずおっちょこちょいなマヨちゃんでした。

「昨年のあるときに無言電話などの嫌がらせを受けた」と言う話を、現在進行形の話と早とちりしました。E爺様、すいませんです。
また、親中に関してですが、私は自分では親中だし、親韓だし、親朝だし・・・えーっと、どことでも仲良くしましょう派なので、私は親中といわれても構いませんが・・。
ただ、ネットの場合、レッテルを貼り行為にみなされますから、親中という書き方は間違っていますね。取り消しますです。
まあ、寛大な飯山先生のことです。怒るような人ではないでしょう。お詫びに名古屋名物ひつまぶしをご馳走しますので、名古屋に寄ってくださいませ。