昨日は変な記事を載せてしまった。
削除しようかと思ったが、これも自分の人生史、精神史の一部だ考え直した。
そのCX5。晴れて正妻の地位についたが、世間的には「愛車」と言うことになる。
「愛」は何にでもつくものではない。
愛妻、愛息、愛娘。これくらいは思いつく。ちなみに「愛娘」は「まなむすめ」と呼ぶ。何故か音読みの愛妻と愛息と異なる。どういう経緯があったのだろう。
愛孫とか愛母というのはあまりきかない。
「愛社」は愛社精神というような使い方はするが、自分の会社のことを「愛社」などと呼ぶことはまずない。「愛国」も同じだ。
「愛弟子」は「まな」読みか。
「愛人」はちょっと意味が他と違う。と思う。中国語ではちゃんとした正妻のことらしい。
さて、愛車だが、他に愛輪(自転車)とか愛バイクとは言わないな。
「愛機」。これは言うか。飛行機のことだ。カメラにも使う。ということはパソコンなどにも使っている人がいそうだ。しかしiPhoneのことを愛機とは言わない気がする。
「愛艇」はどうか。ボート乗りは普通に使っている様だ。
動物だと何と言っても「愛馬」か。そもそも愛車はこの連想で使い始めたのではと思う。
「愛犬」。しかし「愛猫」とかは言わない。「愛牛」、「愛豚」もない。犬はやはり特別なのだろう。
「愛漫画」、「愛アニメ」、「愛絵画」もない。
浄瑠璃や文楽の太夫が使う小さな机。あれは何というのか。あれなど「愛○」にぴったり収まる気がする。(浄瑠璃と文楽はどうやら違うらしい)しかし「愛台」?あまり聞かない。
どうも、その人と対象物(または対象者)との間に心と心の交流があるかないか。それが「愛」がつくかどうかの分かれ目のような気がする。対象が物の場合は、まさにその擬人化が起きているのではないだろうか。いや、正確に言うと、擬人化ではなく、物を生き物として見立てているということか。別に人に拘ることはない。「人」とて生き物の一部にすぎないから。
魂を吹き込む、というのなら、まさに英語の animate だ。日本人はあらゆる「モノ」に魂が宿る、という考え方をするので、それもあってやたらとモノに「愛」をつけるのだろう。
日本人がアニメが得意なのも、そのあたりに答えがありそうだ。
今、アメリカで KonMari メソッドが大流行している。
アメリカ人の中には、捨てる物に「感謝」する近藤さんのやり方に違和感を覚える人が多いそうだ。これなども、物に何らかの「魂」を感じる日本人と、それこそただの「物」と感じるアメリカ人の違いだろう。
既にアメリカ人の中には KonMari をカルトとして認定する人がいるらしい。なかなか微妙な問題だ。
勿論、日本人の私としては、外人というか、アメリカ人というか、白人というか、それともキリスト教徒というか。どう色づけをすれば分からないが、この手の人達は、魂的には進化してないな、と思う。
近藤さんも、適当な時期に切り上げて日本に帰ってきた方がいいかもね。
さて愛車 CX5 の話に戻る。
昨日は、本格的に高速道路にも乗ったので、いろいろな機能を試すことができた。
結婚式の後は、神社の近くのすき家で牛丼なんとかセットを食べた後、すき家の駐車場でユーザーマニュアルを結構丹念に読んだ。
今まで車のマニュアルをまともに読んだことはない。
しかし、流石に正妻として認定した以上、その全てを知る義務がある、と思うわけだ。
今回のドライブでいたく感心したのは、進化したクルーズコントロールだ。
昔のクルーズコントロールは、単にアクセルを踏まなくても、一定の速度を維持してくれるものに過ぎなかった。少なくとも私が乗っていた車では。
今のは、これに様々な付加価値がついている。
ます、追尾機能。これは前を走っている車に勝手に追尾する機能だ。前の車が速度を落とせば、たとえ自分が80キロに設定していても、速度を落として車間距離を保つ。しかし前の車が90キロを出して飛び出しても、自分の車は80キロまでは加速するが、80キロで低速走行に入る。
もし隣の車線から他人の車が自分の車線の前に割り込んできたら、これも自動で速度を落として追突を避ける。
ざっとこんな機能だ。これがとても快適で、100キロ以上走っていても、ほとんんどアクセルを踏まなくてもよかった。
更に、自分がうとうとして車線からはみ出しても、勝手にハンドルが修正して元の車線に戻してくれる。面白がってハドルを話したままにしたら、「ちゃんとハンドルを握れ!」という警告が表示された。切れることもあるのだな。
ところで警告表示を含む様々な情報だが、これはフロントガラスに投影されるので、前の道路を見たまま自然に視界に入ってくる。これがとてもいい。しかし盲点もあった。それはマニュアルの場合、常に最適なギアシフトをしなければならないが、この表示パネルにはギアシフトの状況だけは表示されないので、ついついシフトチェンジを忘れてしまうのだ。
今回も、4速まで加速した後、ずっと投影パネルばかり見ていたので、速度の合わせて5速、6速と上げることをうっかりして忘れてしまった。そのまま数十キロを走っただろうか。結構燃費が悪化したと思う。
ギアシフトの状況(最適ギアの推奨を含む)も是非、次回のモデルチェンジでこの投影パネルに入れて欲しい。
今調べたら、この投影パネルは「アクティブ・ドライビング・ディスプレイ」と言うらしい。
これに限らず、マニュアルにはやたらと長いカタカナ名称が躍動している。他にも「インテリジェント・ドライブ・マスター」、「アドバンストキーレスエントリー&プッシュボタンスタートシステム」とか。もう漢字化するのを諦めたようだ。
これって、中国で売るときどうするのだろう。と素朴な疑問が湧いてきた。
もし中国向けのマニュアルでちゃんと漢字化(とはいえ簡体字だが)するのなら、それを日本語に逆生成してもいいのでは。面白そうだ。
「アクティブ・ドライビング・ディスプレイ」は「積極的運転表示」か。
「アドバンストキーレスエントリー&プッシュボタンスタートシステム」は「進化型無鍵乗車・推按键発動系統」とか。
他人事ながら心配。
後、昨日分かったのがトリップメータの使い方。簡単だった。
この愛車のマニュアルだが、とにかく分厚い。何となく太った奥さん、という感じ。
ま、愛妻認定したので、マニュアルと車は舐めるように読み、乗りこなしたいものだ。
この車の売りに「マツダコネクト」というものがあるらしい。今日はこれをちょっと調べてみよう。
*****
ところで昨日の結婚式だが、費用は以下の通り:
お賽銭 1,000円(流石に100円、200円という訳には行かない)
キーホルダーのお守り: 300円
夜の披露宴・パーティ:といっても一人で居酒屋で飲んだだけだが、5,300円。
ということで10,000円しなかった。
この神社だが、自動車祓いというのがあった。7,000円だ。ちょっと興味があったが、結婚式でお祓いというのも変な気がして止めた。
昨日は連休の真ん中なので、道路は混んでいるかと思いきや、そうでもなかった。皆さん、雪を恐れて家の中で休日を過ごされたのかな。
途中雪はなかったが、遠い山の冠雪は美しかった。
*****
今日も愛妻、もとい愛車CX5を駆って隣町で行ってきた。ここは隣の県だ。
いまから半世紀も前、両親によく連れて行ったもらった団地のスーパーに行った。
別に買物がある訳でない。CX5を運転して、またいろいろ機能確認をするのが目的だ。
今日学んだこと。
1. 昨日も書いたが、アクティブ・ドライビング・ディスプレイに意識が集中するので、ギアシフトの把握がおろそかになる。頻繁にギアの状態を確認するのがマニュアルの場合必須と改めて思った。ところでこのアクティブ・ドライビング・ディスプレイはあまりに長いので、これからは「アッちゃん」と言うことにする。幼稚園のころデートらしきことをした篤子ちゃんのことを思い出したので。
2. シート位置の設定を再確認した。これはなかなか便利だ。背もたれを倒して休んでいても、設定したボタンを押せば一発で正しいポジションに戻る。エンジンがかかってなくても大丈夫だ。サイドブレーキかブレーキのいずれかをかえていないと動かないようだが。この点は、明日にでも再度確認しよう。
3. アッちゃんにはギアシフトの状況は表示されない。しかしクルーズコントロールを設定したまま長い坂を下っていると、シフトダウンしろ、という表示がアッちゃん上に出る。しかし本来のギアシフトの表示画面では特にその様な推奨はない。これはちゃんと連動して欲しい。そして連動させるくらいなら、アッちゃんにギアシフトの状況をリアルタイムで表示してもらいたい。これが今のところ、愛妻に対する一番の不満かな。
4. キーからドアやリアドラの開閉を行えるのが、意外と便利だと気づいた。買物をした後、車に近づきながらリアドアの開放を指示して、車の位置に着いた時にドア全開というタイミングにすると、スムーズに買物の荷物を収納できる。
一応、今日なこんなところで。
削除しようかと思ったが、これも自分の人生史、精神史の一部だ考え直した。
そのCX5。晴れて正妻の地位についたが、世間的には「愛車」と言うことになる。
「愛」は何にでもつくものではない。
愛妻、愛息、愛娘。これくらいは思いつく。ちなみに「愛娘」は「まなむすめ」と呼ぶ。何故か音読みの愛妻と愛息と異なる。どういう経緯があったのだろう。
愛孫とか愛母というのはあまりきかない。
「愛社」は愛社精神というような使い方はするが、自分の会社のことを「愛社」などと呼ぶことはまずない。「愛国」も同じだ。
「愛弟子」は「まな」読みか。
「愛人」はちょっと意味が他と違う。と思う。中国語ではちゃんとした正妻のことらしい。
さて、愛車だが、他に愛輪(自転車)とか愛バイクとは言わないな。
「愛機」。これは言うか。飛行機のことだ。カメラにも使う。ということはパソコンなどにも使っている人がいそうだ。しかしiPhoneのことを愛機とは言わない気がする。
「愛艇」はどうか。ボート乗りは普通に使っている様だ。
動物だと何と言っても「愛馬」か。そもそも愛車はこの連想で使い始めたのではと思う。
「愛犬」。しかし「愛猫」とかは言わない。「愛牛」、「愛豚」もない。犬はやはり特別なのだろう。
「愛漫画」、「愛アニメ」、「愛絵画」もない。
浄瑠璃や文楽の太夫が使う小さな机。あれは何というのか。あれなど「愛○」にぴったり収まる気がする。(浄瑠璃と文楽はどうやら違うらしい)しかし「愛台」?あまり聞かない。
どうも、その人と対象物(または対象者)との間に心と心の交流があるかないか。それが「愛」がつくかどうかの分かれ目のような気がする。対象が物の場合は、まさにその擬人化が起きているのではないだろうか。いや、正確に言うと、擬人化ではなく、物を生き物として見立てているということか。別に人に拘ることはない。「人」とて生き物の一部にすぎないから。
魂を吹き込む、というのなら、まさに英語の animate だ。日本人はあらゆる「モノ」に魂が宿る、という考え方をするので、それもあってやたらとモノに「愛」をつけるのだろう。
日本人がアニメが得意なのも、そのあたりに答えがありそうだ。
今、アメリカで KonMari メソッドが大流行している。
アメリカ人の中には、捨てる物に「感謝」する近藤さんのやり方に違和感を覚える人が多いそうだ。これなども、物に何らかの「魂」を感じる日本人と、それこそただの「物」と感じるアメリカ人の違いだろう。
既にアメリカ人の中には KonMari をカルトとして認定する人がいるらしい。なかなか微妙な問題だ。
勿論、日本人の私としては、外人というか、アメリカ人というか、白人というか、それともキリスト教徒というか。どう色づけをすれば分からないが、この手の人達は、魂的には進化してないな、と思う。
近藤さんも、適当な時期に切り上げて日本に帰ってきた方がいいかもね。
さて愛車 CX5 の話に戻る。
昨日は、本格的に高速道路にも乗ったので、いろいろな機能を試すことができた。
結婚式の後は、神社の近くのすき家で牛丼なんとかセットを食べた後、すき家の駐車場でユーザーマニュアルを結構丹念に読んだ。
今まで車のマニュアルをまともに読んだことはない。
しかし、流石に正妻として認定した以上、その全てを知る義務がある、と思うわけだ。
今回のドライブでいたく感心したのは、進化したクルーズコントロールだ。
昔のクルーズコントロールは、単にアクセルを踏まなくても、一定の速度を維持してくれるものに過ぎなかった。少なくとも私が乗っていた車では。
今のは、これに様々な付加価値がついている。
ます、追尾機能。これは前を走っている車に勝手に追尾する機能だ。前の車が速度を落とせば、たとえ自分が80キロに設定していても、速度を落として車間距離を保つ。しかし前の車が90キロを出して飛び出しても、自分の車は80キロまでは加速するが、80キロで低速走行に入る。
もし隣の車線から他人の車が自分の車線の前に割り込んできたら、これも自動で速度を落として追突を避ける。
ざっとこんな機能だ。これがとても快適で、100キロ以上走っていても、ほとんんどアクセルを踏まなくてもよかった。
更に、自分がうとうとして車線からはみ出しても、勝手にハンドルが修正して元の車線に戻してくれる。面白がってハドルを話したままにしたら、「ちゃんとハンドルを握れ!」という警告が表示された。切れることもあるのだな。
ところで警告表示を含む様々な情報だが、これはフロントガラスに投影されるので、前の道路を見たまま自然に視界に入ってくる。これがとてもいい。しかし盲点もあった。それはマニュアルの場合、常に最適なギアシフトをしなければならないが、この表示パネルにはギアシフトの状況だけは表示されないので、ついついシフトチェンジを忘れてしまうのだ。
今回も、4速まで加速した後、ずっと投影パネルばかり見ていたので、速度の合わせて5速、6速と上げることをうっかりして忘れてしまった。そのまま数十キロを走っただろうか。結構燃費が悪化したと思う。
ギアシフトの状況(最適ギアの推奨を含む)も是非、次回のモデルチェンジでこの投影パネルに入れて欲しい。
今調べたら、この投影パネルは「アクティブ・ドライビング・ディスプレイ」と言うらしい。
これに限らず、マニュアルにはやたらと長いカタカナ名称が躍動している。他にも「インテリジェント・ドライブ・マスター」、「アドバンストキーレスエントリー&プッシュボタンスタートシステム」とか。もう漢字化するのを諦めたようだ。
これって、中国で売るときどうするのだろう。と素朴な疑問が湧いてきた。
もし中国向けのマニュアルでちゃんと漢字化(とはいえ簡体字だが)するのなら、それを日本語に逆生成してもいいのでは。面白そうだ。
「アクティブ・ドライビング・ディスプレイ」は「積極的運転表示」か。
「アドバンストキーレスエントリー&プッシュボタンスタートシステム」は「進化型無鍵乗車・推按键発動系統」とか。
他人事ながら心配。
後、昨日分かったのがトリップメータの使い方。簡単だった。
この愛車のマニュアルだが、とにかく分厚い。何となく太った奥さん、という感じ。
ま、愛妻認定したので、マニュアルと車は舐めるように読み、乗りこなしたいものだ。
この車の売りに「マツダコネクト」というものがあるらしい。今日はこれをちょっと調べてみよう。
*****
ところで昨日の結婚式だが、費用は以下の通り:
お賽銭 1,000円(流石に100円、200円という訳には行かない)
キーホルダーのお守り: 300円
夜の披露宴・パーティ:といっても一人で居酒屋で飲んだだけだが、5,300円。
ということで10,000円しなかった。
この神社だが、自動車祓いというのがあった。7,000円だ。ちょっと興味があったが、結婚式でお祓いというのも変な気がして止めた。
昨日は連休の真ん中なので、道路は混んでいるかと思いきや、そうでもなかった。皆さん、雪を恐れて家の中で休日を過ごされたのかな。
途中雪はなかったが、遠い山の冠雪は美しかった。
*****
今日も愛妻、もとい愛車CX5を駆って隣町で行ってきた。ここは隣の県だ。
いまから半世紀も前、両親によく連れて行ったもらった団地のスーパーに行った。
別に買物がある訳でない。CX5を運転して、またいろいろ機能確認をするのが目的だ。
今日学んだこと。
1. 昨日も書いたが、アクティブ・ドライビング・ディスプレイに意識が集中するので、ギアシフトの把握がおろそかになる。頻繁にギアの状態を確認するのがマニュアルの場合必須と改めて思った。ところでこのアクティブ・ドライビング・ディスプレイはあまりに長いので、これからは「アッちゃん」と言うことにする。幼稚園のころデートらしきことをした篤子ちゃんのことを思い出したので。
2. シート位置の設定を再確認した。これはなかなか便利だ。背もたれを倒して休んでいても、設定したボタンを押せば一発で正しいポジションに戻る。エンジンがかかってなくても大丈夫だ。サイドブレーキかブレーキのいずれかをかえていないと動かないようだが。この点は、明日にでも再度確認しよう。
3. アッちゃんにはギアシフトの状況は表示されない。しかしクルーズコントロールを設定したまま長い坂を下っていると、シフトダウンしろ、という表示がアッちゃん上に出る。しかし本来のギアシフトの表示画面では特にその様な推奨はない。これはちゃんと連動して欲しい。そして連動させるくらいなら、アッちゃんにギアシフトの状況をリアルタイムで表示してもらいたい。これが今のところ、愛妻に対する一番の不満かな。
4. キーからドアやリアドラの開閉を行えるのが、意外と便利だと気づいた。買物をした後、車に近づきながらリアドアの開放を指示して、車の位置に着いた時にドア全開というタイミングにすると、スムーズに買物の荷物を収納できる。
一応、今日なこんなところで。