こんばんは~、マリーで~す。
今日はすごい風ね。うちのおばはん、転びやすいからなるべく二本杖で出歩くようにしているのに雨や風が強いと、出かけるのはやっぱりちょっと考えちゃうのよね。明日はローマの新しいパパ様(教皇様のことね)の就任式(着座式)の日だし日本でも夕方6時からカテドラルで岡田大司教様の司式で新教皇様のためのミサがあるから、うちのおばはんも明日こそはなんとかぜひ行きたいと思ってるみたいで天気がよくなるようにって祈ってたわ。
ほんでもってって、実は今日のはなしは全然違うはなしなの。3月24日の日曜日って教会では枝の主日で聖週間に入る大事な日なんだけど、それもここでは関係なくて、夜のテレビ番組の話をしようってわけなのよね。八重の桜の後、NHKスペシャルで有名なアイスマンのミイラを解凍して科学的に調べた結果をドキュメンタリー番組にしたものが放送されるんだわさ。
うちのおばはんはほんというと子供のころからずっと尼さんのような生き方にあこがれてたのよ。それはどうしてかっていうと、終わりのないもの、永遠のものにあこがれてたからなの、子供のくせに生意気よね。ほんとに生意気な子供で、自分はどこからきたのか、お父さん、お母さんのそのまたお父さん、お母さん、おじいさんやおばあさんよりもっともっと昔の先祖はどこからきたのか、いったい自分は死んだらどこへ行くのかなんて小学生の高学年あたりから考えてたような人なのよねえ。
それが始まりでもって神様を信じるようになってカトリック信者になったんだけど、宗教とは別に歴史とか、考古学とか、人類のルーツにも関心があるのよ。神様がおつくりになった人間の生きてきた歴史とか、人類以前のまだ樹上の枝にしがみついて、木の実や葉っぱや虫なんかを食べていたサル以前の小動物だったものが人類にまで進化してきた不思議や、人類以前の大宇宙の歴史、星々のはじめと終わりとか、太陽系の動きと地球の関係とか、そんなこと全部が神様の大きさを教えてくれているんだって思ってるらしいわよ。
だからアイスマンの話も見る目、聴く耳によっちゃあ、信仰とまるで無関係じゃないんですって。今の教会って世の中の動きに合わせて、貧しい人や小さい人、弱い人のためにって改めていいだしているけど、ほんとを言うと、そんなことを口先でいってたって何の役にも立たないんじゃないの。言わないよりはましだけどさ。
それよりも一人々々の人が、もっと本気で神様を求めるようになったら世の中自然に正しく変わっていくんじゃないの。今の時代は神様じゃなくて金様に人間の身も心も支配されちゃっていて、弱い人、小さい人のためって言いながら中心が神様に向いていないからだめなんだってローマの偉い方だって思ってるみたいじゃないの。
心の中心、考えてること、思ってることの中心が父なる神様に向かっていないとなんにもはじまらないのよねえ。もっともそうなると周りからは全然理解されないひどい生活になっちゃうのかもね。まあそれはとにかく、うちのおばはんは、自分と神様の関係を教えてくれるものならテレビ番組でも何でも役に立つんだって思ってるんだわ。なんていうか、人間も大宇宙の大きさから見たらほんとにちっぽけな、創造主の御手の上のチリ、ホコリでしかないって思い出させてくれそうな番組ならテレビも悪くないなんていっちゃってね。
生意気な子供が年を取ってきて、いまや変なおばあさんになってきちゃったのかな。あんまり変わり者のおばばになっちゃったらあたしだって困るから、適当にしてほしいもんだわさ。
とにかく、今日はこんなとこでおしまいね。あ、そういえばあの人の肋骨のほうも少しずつ痛みが軽くなってるみたいよ。時間が一番よく効く薬よね。
ほんじゃまたね。