このところ、インターネットでもテレビでも地震や津波、火山噴火に関する特集が増えている。現実に有感地震は増えているし、自然界にも普段と違う変わった現象が増えていて、おまけに専門家の方々のツイッターを見ると、どうも気になる話が多い。
となると、さすがに心配や不安を感じないわけが無い。ただただ無力さを感じるばかり。でも神様を信じていたら怖いことはないのではないかって? それはそうだけれど、怖いものは怖い。何が怖いって死ぬのが怖い。痛いのや苦しいのは嫌だ、倒れた建物で虫けらのように潰れて死んだり、たださえ泳げないのに水にのまれたり、火事で生きたまま焼かれたり、考えただけで恐ろしい。怖い。
個人としても出来るだけ避けたいことばかりだし、東海、南海、東南海、と連続したら、日本の国の破滅だ。絶対起こらないと言い切れないのが怖い。
そんなことを考えているうちにふと気がついた。facebookのほうに先に書いたから読んだ方もおいでと思うがこんなことだ。
※ 日本古来の思想の一つに荒神さまというのがある。荒ぶる神、神というのは日本人の思想では人知を越えた働きという意味がある。荒神は大災害や疫病、戦争、とにかく人間たちに襲い掛かるあらゆる災いの象徴だ。しかし、それがなぜ神と考えられるのかというと、巨視的に見たなら結果としてはそれまでの人間社会の諸問題を一掃して、一からやり直すきっかけでもあるからだ。恐ろしい災いは同時に新生にもつながっているという思想といえそうだ。日本人はこの小さな島国で縄文弥生の昔から様々な自然災害、伝染病、戦争にあってきたわけだが、そのたびに新しく立ち上がってきた。この先も同じだと思う。
個人としては怖いものは怖いが、それなりに『意味』がわかれば恐れすぎることはないのだと思う。そして伝統的に多神教的な心情をどこかに持って生きている日本人として、唯一全能の絶対者、真の神への信仰と日本人としての心情をどう結びつけることができるか、何処に接点を見出せるのか、さらに考えたいと思う。