桂米朝 「七度狐」

2014-08-24 07:05:13 | Weblog
関東人としては、同じ落語でも子供のころから聴きなれているのはやっぱり、関東の落語。ところが大人になって、お付き合いの範囲が広がると自然、西の落語にも目が向き、聞いてみるとやっぱり面白い。御大米朝さんを始め、京都の落語家さんもおいでだしご縁のある方を忘れていては申し訳ないというものです。


桂米朝 「七度狐」


物語の楽しみ

2014-08-24 01:29:28 | Weblog
昨日はつい自分の好きな落語に夢中になって配分を誤り、伝えたいものが四散してしまうというお粗末な失敗をしてしまった。落語は本当に面白い。子供時代に親がなかなかテレビを入れなかったおかげでラジオという素晴らしいものに慣れ親しむことになった。

テレビや映画とは違いラジオは音だけの世界だから、想像力、そして創造力を育ててくれる道具だった。本とラジオはこどもだった当方の心を育ててくれた友だった。何分我が家はその昔の先祖代々の畑の一部を父が譲り受けて家をたてたものだったから、小学校に入るまで回りには同年代の子はほとんどいなかった。それどころか畑の中の二、三軒の家しかないところだったから、ラジオからの情報はこどもにとっても重要だったのだ。

だからNHKの子供番組はもちろん、父が聴いていた落語や漫才も一緒になって聴いた。むかしの番組は子供が聞いてもよいようなものが多かったのだ。エログロナンセンスなどというものはまだ一部にしか登場していない時代だ。

だからNHKの歌のおばさん、松田としさんや安西愛子さんの名前もいまだに覚えている。黒柳徹子さんや小沢昭一さんも子供番組のおなじみだった。落語はもう最大の娯楽だった。子供時代に親と一緒になって聴いたはなしは今でも覚えている。今の若手の落語家さんもいいけど、昔聴いた落語家さんの声も話しも今も胸に残っているのだ。

そういう土台があるからラジオドラマも遥か昔から好きだった。音だけだから自分の想像力でいくらでも内容がふくらむのだ。インターネットの発達でもう二度と聴けないと思っていた昔のラジオドラマや落語が再び聴けるとは想像もしなかったものだ。なんともありがたい時代だと思う。でも、これは他の方にはあまり関心のない喜び楽しみなのかもしれない。

他の方に無理に紹介しようとするより、自分が面白ければそれでよしとするべきなのだろう。中にはわずかな同好の士もいようし、押し付けがましくなく細く長く落語やラジオドラマを楽しみたいものだ。以上、昨日の反省だ。