非常にショックな記事を読んだ

2014-08-29 19:24:14 | Weblog
http://www.cathoshin.com/2014/08/29/9-sa-sisters/

パソコンの具合が悪いからリンク出来ているかどうかはわからないが、カトリック新聞オンラインに載っていた、援助修道会のシスターたちの、主に広島にいる高齢の会員の方々の新しい修道生活の形の模索のはなしだ。見られなかったら、直接カトリック新聞オンラインを検索してみていただきたい。

40年近くあの会のシスター方を見てきて、大宮修道院の黙想の家のあったころも覚えている信者としては、まったくこんな事態は想像もしなかったはなしだ。でもまあそうは言いながら、聖書の集いの会場が四ツ谷の雙葉に変わって、今の雙葉のシスター方をみても修道院の高齢化はわかってはいたとはいえ、なんと言うべきか言葉がない。

曽野綾子先生の「不在の部屋」あたりからだろうか、第二ヴァチカン公会議以後のカトリック教会の変化に伴う、修道会のあり方の変化、その中に生きている方々のあり方の変化、意識の変化、信者のほうはその現実が見えていなかったりしているかもしれない。でもこうして次第に現実が差し迫ってきているわけだ。

当方、実際に見聞きしている会は祈りの生活の会が多かったし、活動の会の内情はあまりよく知らないけれど、わかるのは今の時代は仏教にしてもカトリック教会にしても、求道、修道の生活を求める方々を生み出す環境には、かなり遠い現実がありそうだ。援助修道会の「会員78人中、50人近くを75歳以上が占める」というのも、ほかの会と同じく、ある時期の会員数だけがぐっと減ってしまっているためかもしれない、詳しくは知らないが。

もうだいぶ昔のことになってしまったが、鎌倉のレデンプトリスチンの当時の院長様と面会したとき、昔は観想会とか活動会の区別などなくて、どの会も根本は観想会だったのだとおっしゃっていたのを思い出す。今の修道生活、特に活動会の生活があまり若い人たちの心を惹きつけないのもたぶん、そこが大きな要因のような気がする。だって、今でもカルメルやトラピスチンなどのような有名観想会なら若い志望者も多いではないか。すぐ出てくる人も多いけど。

外部の人間の当方などがとやかく言っても仕方のない問題ではあるのだが、しかし、教会自体ももうちょっと本気で「祈り」を大切にしたら少しは変わっていくような気がしてならない。四ツ谷の講座ばかりではなく、ほかの多くの教会でももっと霊的な面の信者教育があったらと思わずにはいられない。





荒城の月 伊藤久男  土井晩翠作詩・滝廉太郎作曲

2014-08-29 15:20:08 | Weblog
立川澄人さんの荒城の月、もしかして曲は途中までで終わっているものがダウンロードして自分のハードディスクのどこかに残ってはいないかと、時間をかけて細かく探したところ、やっぱりありました。ただこれはリアルプレイヤーでダウンロードしたものなのでどうしたら、gooブログに出せるかと思案中です。方法が見つかったら何とかしたいと思っていますが、いつになるかはっきり言えません。代用品ですみませんがこんどは伊藤久男さんの荒城の月。


荒城の月 伊藤久男  土井晩翠作詩・滝廉太郎作曲