神がかった一体感のタップダンス集団
生意気盛りのおはぎ、先輩のアミ太郎にもかかっていきます。
カ?ンを飛ばし合う猫 - Ohagi and Ami looking at each other -
カ?ンを飛ばし合う猫 - Ohagi and Ami looking at each other -
半世紀以上も前になるが、初めて自分用のラジオを買ってもらい、喜んで夕方の子供番組はもちろん、父が好んで聴いていたので一緒に聞いているうちに好きになった落語、漫才、浪曲、ほかにはラジオドラマ(当時はNHK以外の局でもラジオドラマはよく放送されていたから、聞く機会もおおかったものだ)、そういうものに夢中になっていた。我が家は父の考えでなかなかテレビを入れない家庭だったのだ。その代わり、本はいくらでも買ってくれたし、ラジオもオーケーだった。
だから今でもテレビは相棒とか、特に気に入った面白いものは見るがなければないでもかまわない。その代わり、今でもラジオドラマの名作や、落語、昔の古いしみじみとした美しい歌は何度も聴いている。
で、このところ子供の頃から聞きなれた関東の落語と関西の落語を聞き比べているところだ。どちらも面白いし、優劣などつけられるものではないが、しいていえば関西の落語の関西弁のやわらかさが織り出す笑いと、関東のぶっきらぼうな八つぁん熊さんの繰り広げる、時にはしゃっちょこばったような笑いの違いは感じないわけにいかない。
それはとにかく、人情話や怪談、この辺はやっぱり、落語の起源がお寺さんで人を集めるためのものだったというのが関係あるのかなにか、関東の演目はどこか真剣味が強くて怖い気がする。笑いで包み込んでしまうどころか、真景累ヶ淵なんて相当に怖い。四谷怪談のお岩さんだって、歯の治療ミスで顔が半分はれ上がったりすると、お岩さんになっちゃったなどと言ったりするけれど、お岩さんの話しも本当は怖い。
落語が本来お寺さん育ちの話芸だったというのが元にあるからか、あんなに笑わせてくれる面白い話と怪談では同じ源から流れているとは思えないくらい、内容が違う。怪談、人情話のほうは人間の心の深淵を覗き込ませるような話しではないか。時代が変わって人の心も相当変わってきてはいるが、人間の心の奥深くにあるものは本来はそれほど変わっていないはずだ。
現代人だって本来は死者たちの残した思いを考えないわけではない。それなのになぜわが子に食事も与えずに置き去りにして飢え死にさせてしまう親が出てきたり、平然と人を殺したりする事件が絶えないようなことになってしまっているのか、犬や猫をいじめたり、殺したりに始まって、人を殺めてみるなど、どこかがおかしいと感じるような事件の増えている今の時代というのは、幽霊の存在も信じなくなった、考えたこともない人が増えたことと、無関係なのだろうか。
人間がこの世の生だけで終わりという風潮と無関係なのだろうか。子供をむやみに怖がらせるのは誉められたことではないけれど、人間の世界には隣り合わせで、怖い世界、恐ろしい世界もあることをもうちょっと教えていってもよいのではないのか。それはただ怖いだけではなくて、人間の命がこの世だけで終わってしまうものではないことを語っているのだから。あの世、天国、地獄そんな概念を忘れて生きている時代では子殺しも虐待もいじめも絶える訳がなかろう。
だから今でもテレビは相棒とか、特に気に入った面白いものは見るがなければないでもかまわない。その代わり、今でもラジオドラマの名作や、落語、昔の古いしみじみとした美しい歌は何度も聴いている。
で、このところ子供の頃から聞きなれた関東の落語と関西の落語を聞き比べているところだ。どちらも面白いし、優劣などつけられるものではないが、しいていえば関西の落語の関西弁のやわらかさが織り出す笑いと、関東のぶっきらぼうな八つぁん熊さんの繰り広げる、時にはしゃっちょこばったような笑いの違いは感じないわけにいかない。
それはとにかく、人情話や怪談、この辺はやっぱり、落語の起源がお寺さんで人を集めるためのものだったというのが関係あるのかなにか、関東の演目はどこか真剣味が強くて怖い気がする。笑いで包み込んでしまうどころか、真景累ヶ淵なんて相当に怖い。四谷怪談のお岩さんだって、歯の治療ミスで顔が半分はれ上がったりすると、お岩さんになっちゃったなどと言ったりするけれど、お岩さんの話しも本当は怖い。
落語が本来お寺さん育ちの話芸だったというのが元にあるからか、あんなに笑わせてくれる面白い話と怪談では同じ源から流れているとは思えないくらい、内容が違う。怪談、人情話のほうは人間の心の深淵を覗き込ませるような話しではないか。時代が変わって人の心も相当変わってきてはいるが、人間の心の奥深くにあるものは本来はそれほど変わっていないはずだ。
現代人だって本来は死者たちの残した思いを考えないわけではない。それなのになぜわが子に食事も与えずに置き去りにして飢え死にさせてしまう親が出てきたり、平然と人を殺したりする事件が絶えないようなことになってしまっているのか、犬や猫をいじめたり、殺したりに始まって、人を殺めてみるなど、どこかがおかしいと感じるような事件の増えている今の時代というのは、幽霊の存在も信じなくなった、考えたこともない人が増えたことと、無関係なのだろうか。
人間がこの世の生だけで終わりという風潮と無関係なのだろうか。子供をむやみに怖がらせるのは誉められたことではないけれど、人間の世界には隣り合わせで、怖い世界、恐ろしい世界もあることをもうちょっと教えていってもよいのではないのか。それはただ怖いだけではなくて、人間の命がこの世だけで終わってしまうものではないことを語っているのだから。あの世、天国、地獄そんな概念を忘れて生きている時代では子殺しも虐待もいじめも絶える訳がなかろう。