☆ 今 日 の 幸 せ ☆

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原始仏教の根本思想

2004-11-01 | ・・・シリーズ、
アートマンについては、この記事を参照ください。

ブッダが生きていた頃は、教えは、弟子達が、耳で聞いたものを、説いてまわったので、正確に何をいったか、という文言はわからないのが真実のようだ。

ブッダが亡くなったあと、その教えを残しておこうと、弟子達は、経典をつくり、それが、各地に広まっていくとともに、そこそこの人々に受け入れられやすいように、現地の思想がミックスされていき、多様な「仏教のようなもの」ができていった。 

それはともかく、原始仏教の根本思想は、こうであっただろうというものに、「苦、無常、無我」の三法印なるものがある。 これに涅槃寂静が加わると四法印になる。

涅槃にはいるには、死んで肉体から解放されなければ、煩悩が離れないのが普通なので、成仏というのは、亡くなった人にたいして、使っているが、1人、お釈迦さまだけが、亡くなるまえに、悟って、煩悩に煩わされることがなくなり、仏陀(成仏したもの)になった。

ずらずらずら、と限りなく、話しがあちこちに飛ぶが、別に論文書いてるわけじゃないので、思い付くままに進むことにする。

ブッダは輪廻を認めたかどうか ということだが、根本原理の中に、無常(諸行無常)というのがある。すべてのものが、無常といっているのだから、ヒンドゥー教における、輪廻のなかで、変わらないものとしての、ブラフマン、そして、本来同じものだが、人間の業がはりついた、アートマン、さらに、絶対神としての、ユダヤ、キリストの神も認めないということになる。

アートマン(ブラフマンが個人にはいって、業を得たもの)は、日本語に訳すと「我」となっている。 ブッダの無我(諸法無我)説からいっても、輪廻を認めていることには、ならない。

ちょっとずるいようだが、原始仏教では、無記という言葉があり、

現象世界を超越した、形而上学的問題には、解答を拒否する

死後の世界があるか、輪廻があるか、その質問に対する解答は、ないのである。

ただ、悟った状態、つまり涅槃(ニルヴァーナ)に入れば、そのようなことには、煩わされないといってるのみ。  これまでに、生存中に、悟りを開いたのは、釈迦のみということだから、凡人は、いつまでも、「死後の世界や、輪廻を信じるか」という命題に、「死ぬまで」悩まされるという結論に達するのかしら?

それでは、あまりにも、一般庶民には、受け入れ難い教えになる。 かくて、現世と来世の二元論をとく浄土宗が、広まっていくことになる。

考えれば考えるほど、原始仏教は宗教ではなく、哲学ではないかとの思いを強くする「今日の幸せ」