家を継ぐ子孫を残せないと、まるで自分自身の存在理由がないかのように思う人は多い
そう思わされるほどの空気感は社会にちりばめられている
生まれてより冠婚葬祭確認され続けているのだから
もちろんゲイカップルでは、二人の間で子ができる術はありません
自分も長男で、妹がいるだけで男一人 一家からの大きな期待を背負ってきましたが
ゲイであることを両親にカミングアウトし、親の夢も希望も打ち崩しながら
世間的にも実態的にも親不孝と思われながら、それでもそれでも自分の人生を進めていかねばなりません。
皇太子一家は、男子ができないことから不要論が出ている。
男子を生んだ弟宮家が 未来を継いでいく家であり、皇太子家は意味の無いもの
過渡期をただつなぐ、いや つなぐ役割もないかのように論じている人がいるようです。
あれでは日本の象徴たる家族を示せない、未来へ続く家、国という姿を
皇太子家では描けないとでも言うようです。
そう、どうせ絶えていく家、なくても良い家、無くてもいい人・・・
凄い状況だ。
ただただ厳しい。
こんな暴言を平気で皇太子に言えるようになった現代の日本人
意見を言えない立場であることをいいことに 国民も好き放題で、それこそ不敬という奴だろうに
なんだかよく分からなくなります。
同じ長男として、長男というものの大変さを比べるべくもないけれど
少し気持ちが分かるところがあります
継宮として徹底した教育を受け、大きな期待とがんじがらめの生活
その挙句、子が出来ないからと
生きる目的として目指すしかなかった天皇にまでならなくて良い、資格がないなどと言われる
飄々と自由に生きてきただろう弟宮に出し抜かれたことへの憤り
そういうものもあるだろう
一族の子孫を残してもらえた弟宮に感謝して生きていかねばならない・・
言いえぬ屈辱があるだろう。
親もまた、一族を優先し飛び越えた解決方法を良しとした
その見捨てられたのだと思ってしまうだろう感覚。
自分も先ほど妹に男子が出来た。
祝福を強要してくる空気に 複雑な思いがでてくるが、
表に出すと 大人げないひがみ扱いとされ、一蹴されるのだ。
家族にとっては家の未来を継いでいかない人間 消されていく人間
仕方のないもの
普遍的とされるような「喜び事」というものは、子孫繁栄につながるものがほとんどだ。
そのような機会のおり、気持ちをどうにか押さえ、整理して生きていかなければ
ゲイとしては生きてられないのだ。
それでも自分を奮い立たせておらねばならないのだ。
こんなことが嫌なのだったら・・
どんなことしても女性と結婚して子を授かるなどして
自分を偽ってでも得られることの方を喜びとする生き方を、優先すべきだったのだから。
しかし、普遍的だとされている祝福事というやつは、なんと押しつけがましく
平然として人をを追い込んでいくものだろうか
その圧倒的な罪の無さと言ったらないのだ・・・・
そう思わされるほどの空気感は社会にちりばめられている
生まれてより冠婚葬祭確認され続けているのだから
もちろんゲイカップルでは、二人の間で子ができる術はありません
自分も長男で、妹がいるだけで男一人 一家からの大きな期待を背負ってきましたが
ゲイであることを両親にカミングアウトし、親の夢も希望も打ち崩しながら
世間的にも実態的にも親不孝と思われながら、それでもそれでも自分の人生を進めていかねばなりません。
皇太子一家は、男子ができないことから不要論が出ている。
男子を生んだ弟宮家が 未来を継いでいく家であり、皇太子家は意味の無いもの
過渡期をただつなぐ、いや つなぐ役割もないかのように論じている人がいるようです。
あれでは日本の象徴たる家族を示せない、未来へ続く家、国という姿を
皇太子家では描けないとでも言うようです。
そう、どうせ絶えていく家、なくても良い家、無くてもいい人・・・
凄い状況だ。
ただただ厳しい。
こんな暴言を平気で皇太子に言えるようになった現代の日本人
意見を言えない立場であることをいいことに 国民も好き放題で、それこそ不敬という奴だろうに
なんだかよく分からなくなります。
同じ長男として、長男というものの大変さを比べるべくもないけれど
少し気持ちが分かるところがあります
継宮として徹底した教育を受け、大きな期待とがんじがらめの生活
その挙句、子が出来ないからと
生きる目的として目指すしかなかった天皇にまでならなくて良い、資格がないなどと言われる
飄々と自由に生きてきただろう弟宮に出し抜かれたことへの憤り
そういうものもあるだろう
一族の子孫を残してもらえた弟宮に感謝して生きていかねばならない・・
言いえぬ屈辱があるだろう。
親もまた、一族を優先し飛び越えた解決方法を良しとした
その見捨てられたのだと思ってしまうだろう感覚。
自分も先ほど妹に男子が出来た。
祝福を強要してくる空気に 複雑な思いがでてくるが、
表に出すと 大人げないひがみ扱いとされ、一蹴されるのだ。
家族にとっては家の未来を継いでいかない人間 消されていく人間
仕方のないもの
普遍的とされるような「喜び事」というものは、子孫繁栄につながるものがほとんどだ。
そのような機会のおり、気持ちをどうにか押さえ、整理して生きていかなければ
ゲイとしては生きてられないのだ。
それでも自分を奮い立たせておらねばならないのだ。
こんなことが嫌なのだったら・・
どんなことしても女性と結婚して子を授かるなどして
自分を偽ってでも得られることの方を喜びとする生き方を、優先すべきだったのだから。
しかし、普遍的だとされている祝福事というやつは、なんと押しつけがましく
平然として人をを追い込んでいくものだろうか
その圧倒的な罪の無さと言ったらないのだ・・・・