ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

今年もありがとう

2005-12-31 23:02:26 | Weblog
彼氏と鍋をつつき、酔っ払ってウトウトしながら見る紅白。

穏やかで良い大晦日です。

彼は完全に爆睡(笑)

そろそろ起して、昨日一緒に作ったケーキを食べよう。

今年も皆さんありがとうございました!

では良いお年を!!

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俺の彼氏が書いた人権作文

2005-12-30 01:49:45 | Weblog
今年の夏の話だけど俺の彼氏(二十歳)が学校(高校程度)に提出したと書いたことがありました。
いずれ公開すると書きましたがそれっきりで。

今年が終わっちゃう前にその人権作文を公開しますね。
つたない文章ですが、良く書けていると思います。優しく読んでやってくださいね。

  ########################


2005年8月13日東京レズビアン&ゲイパレードに初めて参加しました。

これは、私たち同性愛者の人権を認めてもらい世間一般の偏見や差別をなくしていこうという運動のひとつです。
世界でも約30カ国で同じようなパレードを行っています。

私は、昔から「キモイ」「変人」「オトコ女」「男らしく」などと言われ続けてきました。
でも反発するように「何がいけないの?僕は僕だもん」って心の中で思って強く生きてきました。

そして15歳の時、母親に「僕は男の人が好きなんだ」と言いました。
その時、母親は何も答えてはくれませんでした。

次の日、顔をあわせるのが不安でしたが、何事も無かったかように接してくれ、今では普通に彼氏の話をしたりもします。凄く嬉しくて感謝しています。
でも最初聞いたときは母親は泣き崩れたと聞きました。

さて、東京レズビアン&ゲイパレードについて話します。
まず代々木公園を起点に渋谷・表参道を通ってデモ行進をします。
今回は3500人の人達が思い思いの格好をし、自分が主張したいことをプラカードに書き、虹色の旗を持って歩きました。

虹色の旗は、色とりどりにいろいろな色があるように人も多様である、ということを示した私たち同性愛者のシンボルです。
私も旗を持って歩くことで今まで以上に自信がつき強く生きていこうという誇らしい気持ちになりました。

沿道にはたくさんの人たちが、さまざまな視点や角度から見ていました。
その中で、高校生くらいの2人組の男の子たちにびっくりしました。

一人の子がパレードの楽しいノリに興味を持って「ついていってみようよ!」と言ったのですが、
もう一人の子が「お前なに考えてんだ、俺たちまでそう思われるやろ!」と言っていたのです。

そのとき、その子の心の中にある差別意識が出てきたことがとても悲しかったです。
このあふれた情報社会の時代でも、何かのチップを埋め込まれたかのように固定観念を持って表現する人がいることに、それもあんな若い人でも、と差別の根深さを感じました。

パレードの前に、大阪府議会議員の女性が、この日レズビアンだとカミングアウトしました。
その女性が「私がレズビアンだと気がついたとき、この世で一人だけ変ななんじゃないか」と思ったそうです。

でもたくさんの仲間がいることを知ったとき、すごく自信や生きる勇気をもらったそうです。
今も孤独に一人悩んでいる人もたくさんいると思います。
それは、この国にはしっかりとした法律も無いし、世間の縛られた意識の中に埋もれているからではないかと思います。

性的指向(異性愛・同性愛)には人格がそれぞれ多種多様であるように、多様な性があってもまったく不思議ではありません。

今世界の国々では同性愛者の人権を認め同性同士の結婚制度もあるのです。
しかし日本では、まだ法律も無く差別意識が高いのが現状です。

あなたの周りにも、同じ授業を受け、給食を食べいている、すぐ身近に存在しているのです。

この現状を変えていくためには、当事者である私自身が声を上げ目に見える存在になって主張をしていかなければ何も変わりません。

これは、どんな人権や差別の問題でも同じであると思います。

一人の個人の小さな力であっても、変えてやる!と強い意志を持っていれば必ずいつかは幸せな未来が待っていると、私はこの夏強く感じました。

  ########################

拡大読書機という字を大きくする機械を使って、彼が一生懸命原稿用紙に書いたこの作文を見せてくれたとき、俺は嬉しくてね。今年一番の宝物だと思う。

俺が日頃話していたことも、この夏パレードで二人感じたことも彼なりに表現されててね。

この作文を学校の宿題で提出した。
彼にとっては初めて正式に行った社会に対するカミングアウトだ。

人権担当の先生が預かっているそうだが、この先生、この作文をどう扱うものか悩んで自分で納めてしまっているらしい。

直接聞いてもまだ悩んでいるのだとか。

彼としては何のために書いたか分からないですよ。ちゃんと考えてくださいとお願いしてるそうだ。

先生に強烈な宿題を突きつけているというわけだ。
この人権担当の先生とは運動会のときに俺とも会って挨拶させてもらった、後で彼が彼氏ですと紹介したようだ。

埒があかないので、彼は別の仲の良い先生に、こういった作文を書いたことを話し、先生に借りて読んでみてくださいとお願いしたとか。

その先生、ちゃんと聞いたらしいけど、うーんとごまかされて読ませてくれなかったらしい。

仕方ないからと、その先生にはコピーを見せて読んでもらったんだと。

俺の彼氏もなかなかやってくれます。

さー先生どうする!?
とりあえず棚上げはいけませんよ!
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性的指向と性的嗜好の違い

2005-12-29 01:59:30 | Weblog
性的指向、これは恋愛感情や性的欲望の向かう対象がどのような「性別」であるかをさすものです。

異性愛・同性愛・両性愛などがある。
(最近の学説には性欲自体が薄いAセクシャルも入れる考えもあるそうです)

これに対し、性的嗜好とは性行動における好みのことで、分かりやすく言えば性癖・エッチの趣味のことです。

以前は性的指向も好みの問題とされ、嗜好の一種と考えられていた時もあります。また現在も多くの人が混同しているため、趣味嗜好に人権などない!と言われているのです。

多くのゲイは性的指向を異性に変更することはとても難しいことと考えています。(変更できるかもと思う人はバイセクシャル、性的指向の同性・異性の方向やその割合は個々に様々なんだと思います)

異性と、とりあえずのエッチは出来たとしても、根本の思いは変わりません。
これは素質の問題であり、好みといったような意思を変えられるようなものではないのです。

自由意志で同性愛を選択したという考えだと、社会的に異端である趣味を自ら選択した責任を負っても当然という論理にされるのです。

「性的指向による差別をなくそう!」と法務省が人権問題として強調していることも、性癖、性的嗜好を指して言っているのではありません。

性的嗜好にあたると思うものを書き出してみると、

・キスの仕方・愛撫の仕方され方・オナニーの仕方
・ナルシシズム・デブ専・ガリ専・熟年・毛深い
・筋肉・体位・フェラ・ロリコン・露出癖・スカトロ
・覗き・タトゥー・複数性交・SM・フェチ・・・・

それはもう人それぞれにイマジネーション豊かにあるんじゃないでしょうか?

ゲイはリベラルな考えを基本としていることが多いこともあって、性的嗜好といった性癖についても、それをあげつらって差別につなげることは由としない感覚が多いと思う。

性的指向と性的嗜好に線を引くことで、それが性癖は差別をしてよいということにはならない。

そういう性的なことにも寛容である社会が望ましいと思う。
エッチなことは何でも駄目!思考停止!という現状が性感染症の感染爆発の現況となっていることはご存知のとおりです。

性的嗜好にも寛容にといっても、それはファンタジーとして許されるわけで、
当然法的に許されない犯罪行為まで許容できる訳ではありません。

どうでもいい人には同じことに思えるこの性的指向と性的嗜好の違いを理解しておくことはゲイを主張(カミングアウト)する上で重要なことだと思う。

でも、これって難しいし分かりにくいよね。
これが同性愛を説明する上でなんとも苦しいところと思う。

なにせ、ヘテロは思い込んでいる訳だもんね、自分は「まとも」だと。

性的なことを自ら暴露することは無い・・この攻めを押さえるには
上記の説明になると思うのだけど、もっと分かりやすい説明は無いかなあ?

なんか、他にいいアプローチの仕方とか無いですかね?
皆さんはどう思いますか?


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同性愛をカミングアウトされるのは迷惑

2005-12-28 00:15:31 | Weblog
ネットで見かけた発言です。

  #######################

一時期に比べるとそうでもなくなったが、いまだに
同性愛をカミングアウトするのはすごい事、偉い事で
「よくやったね」とか「がんばったね」というような賛辞が与えられるような風潮があるようである。

同性愛は性癖の一つである。
ロリコンや露出癖と一緒である。
それをカミングアウトしたといって、すごくも何ともないし
カミングアウトされる方も迷惑である。
性癖を公表して何がすごい事、偉い事なのであろうか。

同性愛をカミングアウトする、という事は
「今までは友達として接してきたが、これからは性の対象として見るよ」
と言ってるのと同然である。
はた迷惑極まりない。一緒に温泉など入りたくないのである。

大体、同性愛だけ特別扱いされるのがおかしいと思っている。
性癖なのだから、大人しく自分の中だけで秘めているべきである。
とにかく性癖のカミングアウトなどやめてほしいのである。

同性愛が性癖でないとすれば何なのか?新しい認識でもあるのか?
性癖が差別されるのは当然だ。他の人に理解されないからです。
ロリコンはロリコン以外には理解されないので差別を受けるのです。

それは当然だし、差別されたくないのでカミングアウトしないのです。
それを、同性愛のみカミングアウトし「差別するな」と言い、それがすごいことかのようにされるのがおかしいと思っているのです。

果たしてロリコンや露出癖をカミングアウトした場合同性愛と同じような賛辞を与えられるだろうか?
同性愛のみ聖域化し特別扱いするのがおかしいと思っているのです。

私はよく新宿2丁目のゲイバー、レズバーに行きますが、私の意見は驚くほど賛同されています。
彼らの大勢の意見は「カミングアウトなんて迷惑、性癖の一つとして扱ってほしい」というものでした。

    #######################

よくもまあ好き放題書いてくれたものだと思う。
改めて文章化されたものを見るとすごいもんだね。

ゲイがなぜ差別されるか?というところは、よく現状を表現されていると思います。
読んでいくと俺たちの隙をついて来ていることも見て取れる。

それは覚悟の無いカミングアウトへの批判や
ゲイの中でもカミングアウトを推し進められない人たちの「日陰でいいから大人しくしておきたい」という
思いを逆利用されていること。

ゲイ自身が性癖という捕らえ方をしていると、このように追い込まれることがよく分かる。

このように単純に好き嫌いをぶつけられると、誰だって萎縮してしまう。
やるせなくなる、防衛反応が働く。

この発言をしている人はただ、自分の好き嫌いをモノの道理として言っているつもりかもしれないが、
多数派の威を借っての発言。

そもそも、このように人権無視発言を堂々とする人は、社会的に排除されるべき人です。

でも多くの人がこのような気持ちや考えを心に秘めているのも事実、それも承知をしているところ。

それが自由に表に出ないように抑えることは、人権を認め合う最低限の社会規範だと改めて思う。

同性愛は性癖ではない、性的指向が異性に向いている多数派の異性愛者と異なり、
同性に向いているだけだ。
我々は自然に同性愛として存在している。

性癖とはSMとか、フェチとか、オナニーの仕方とか、ロリコン、露出癖もそうだろう、
そういったことをさすことだと思う。

性は秘めるべきこと、この教えが同性愛者を苦しめてきた。

異性愛者も性は秘めるが、何も語らずとも異性愛と認知される。
俺たちは自らカミングアウトしない限り、自身とまったく違う異性愛者にされてしまうのだ。

その難しい状況の打開は、自らの存在を明らかにしていくことでしか周りの意識を変えていくことは出来ないと考えます。

自分が自分らしくいられるように努力していくことは賛辞されるべきことです。
他人が押さえ込むべきことではありません。

自分が男であるか女であるか、といったアイデンティティの基本中の基本のようなところと同列に異性愛・同性愛という性的指向もあるのです。

カミングアウトとは我々同性愛者の尊厳をかけた戦いなのです。

同性愛差別は人権問題です。
好き嫌いが根底にあることは承知しますが、そのままを表現していたのでは社会が成り立たないと思うのです。

また、このように思う人も子供さんや家族の中で同性愛者がいる可能性も大いに有り得るわけですが、身近な方がそうであっても、尊厳を傷つけられるのでしょうか。

多様性を認め合う社会こそが皆にとって幸せな社会です。
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黒ひゲイ危機一発?発売抗議のこと

2005-12-27 01:40:20 | Weblog
「黒ひげ危機一発ゲーム」トミーが発売しているあの樽を串刺すあのゲーム
それのハードゲイ版が話題になっいる。

樽から飛び出すキャラクターが黒ヒゲ姿の海賊をレイザーラモンHGに変えて今月30日に発売するんだとか。
名前も「黒ひゲイ危機一発」

これに対し、先週「セクシャルマイノリティ教職員ネットワーク」が発売中止を求めて抗議した。
ネットニュースや新聞記事にもなったのでご存知の方も多いと思う。

「同性愛者やそれを連想させる人物を樽に入れ、剣で突き刺して楽しむ玩具の発売は、同性愛者に対する差別で、子供に偏見を植え込む恐れがある」と文書で抗議。

これに対してトミーは「剣で縄を切って、樽の中のキャラクターを救出するというのが当初からの商品コンセプト。ご意見はしっかり受け止めて私どもの見解をお伝えしていく方向です」といっているとか。

俺も以前にレイザーラモンHGはゲイネタで茶化し笑いをとることで同性愛差別を助長させる芸風ではないのか?どう捉えようか?という文を書いた。

家庭に性的なことを明るく笑って持ち込む効果もあったし五分五分だなあと大目に見て、なーんとなくおさめたところだった。

この商品、はじめてみた時は単純に「面白いもん作るなあ」と思った。
抗議なんては思いつかなかったけれど、あのレイザーラモンを苛めるゲームならそれもいいな?くらいに捉えてた。

けれど今回の抗議行動を記事で見て、以前から自分自身の内部でモンモンと思っていた、ハードゲイキャラを手放しで笑えない思いを少々払拭できる気がして若干溜飲下がったところもあるんだよね。

こういう抗議もいいじゃないかなあ。
「こういう視点もお忘れなく!」とは社会に一応言っておきたいじゃないか。

ネットで検索すると、この騒動へテロでも波紋を広げているようだ。

たとえば、
・レイザーラモンは同性愛者ではない、何でもかんでも抗議するな、筋違いな抗議だとか。
・感情論で非難するなら、プエルトリコ人(元の海賊キャラ)が刺されるのはえーんかあ!とか、
・たかが玩具に目くじら立てるなとか。
・誰も差別意識を持ってないのに問題とすることで新たな差別を生み出すのでは?とか
多数の過剰反応を批判する文書があった。

なんとなくこれらの論調にはゲイなんて自己主張するな!大人しくしてろ!みたいな感じも受ける。

こうやってネットで話題になったり新聞などで取り上げられたことは、同性愛差別は人権問題ですぞ!と伝えておくに効果あったと思いたいな。

同性愛者の教職員がつくる団体の存在を知らしめたことは衝撃だったようだ。

様々な意見があっていいのじゃない?
まずは、問題提起からでしょう!

中にはレイザーラモンHGは同性愛者に対する世論の理解に多大に貢献を果たしていると思っていたが抗議文を読んで認識を変えたと書いている人も多少みかけた。

でも、あのゲーム、剣で縄を切って「救出」するゲームだったんだねえ。
知ってました?

ほとんどの人はちょっとイジメ的ゲームだと思ってませんでした?
(ゲームに参加する自分自身にもいじめだけど、でも救出した人が勝ちじゃないよね、このゲーム・・)

ゲーム自体の問題も発覚してきましたね。
このゲーム「青木さやか 危機一髪」というのもあるらしいです。
これは・・救出するゲームでは無いでしょう~トミーさんも確信犯だよね。

付け足して思うなら、この抗議文はトミー社と玩具を企画した番組プロヂューサーに送っていて、レイザーラモンHGには送っていない。
抗議文によると彼の芸風は認めているようなのだ、ここは迫力がかけちゃったかな~。

そうそう、俺の勤める会社の忘年会にやっぱりハードゲイが登場したんだよ。
衣装もメイクもよく出来ていてね~、感心した。写メ撮っておいたくらい。

それと嬉しかったのは着替えた後で俺の席に来てくれて「あれ、どーでした?」とちゃんと挨拶してくれたこと。
踏まえた上でやってくれたんなら怒れないよね。

セクシャルマイノリティ教職員ネットワークのサイトにトミー社とのやり取りが載っています。http://homepage3.nifty.com/stn/


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アメリカはなぜ戦うのか?

2005-12-26 00:19:23 | Weblog
先日NHKでアメリカのテレビ局が作ったドキュメント「アメリカはなぜ戦うのか」(Why We Fight)という番組があっが見た人はいますか?
大変見ごたえがあった。(2005/12/18)

2005年のサンダンス映画祭でドキュメンタリー部門最優秀賞をとったそうだ。
(サンダンス映画祭はアメリカ・ユタ州で行われるロバートレッドフォードが創設した世界最大のインディーズ系映画祭、)

軍産複合体の成長のためにアメリカという国が存在していることを描いています。

元将軍であり大統領のアイゼンハワーが辞任演説の時に国民へ訴えます。
「軍産複合体に気をつけろ!それを制御できるのは国民の厳しい監視だけだ」

そう言い残して去りますが民主主義で自由にものが言える国でありながら、国民はだまされ続けていくことになるのです。

国家予算の多くを軍事費に使い、もはや軍産複合体は国の基幹産業となり、それで生活している労働者も相当数に上るようになりました。

カメラはアメリカ人に聞きます「なぜ戦うのですか?」
その答えのほとんどは「自由のため」「正義のため」とあまりにも途方も無く地に足が着いてない回答を自信を持って答えてくる。

そんなことを言いながら世界で戦火を撒き散らす国。

9・11で息子を失った元警察官の父親の行動はアメリカ人の多数を表しているのでしょう。
彼は意識無いままに戦争に加担します。

息子を奪われたことの恨みに父親は狂います。
やりかえせ!やった相手の屍の山を見ないと気がすまない!

何か息子の為にしたいと思った彼は、イラク戦争で使われるミサイルに息子の名前を書いてもらえないか?と軍にメールを出します。

直ちに軍は末端まで指示し父親の期待にこたえます(こういうの好きね↓)
“息子の追悼のために”と書かれたミサイルの写真が届きます。

何月何日どこどこに命中させたと連絡が入ります。
嬉々と喜ぶ父親・・なんだそれ!

その後、彼の元にはいろいろな情報が入り始めます。
そのミサイルの8割方は誤射され民間人が殺されていったこと、
そもそもイラクには大量破壊兵器はなかったこと。

大統領の発言に椅子から転げ落ちそうになります。
悔やまれるが当時の俺には分からなかったんだから仕方ない、
後悔はしない、でも大統領は俺を騙した信じられない!と言うのです・・・はぁ。

軍が徹底的にメディアコントロールをし戦場を国民に見せないようにしていく様子も描きます。

徴兵制からボランティア制に変えることで反戦ムードが国民から巻き起こりにくくしてきたとも。
ベトナム戦争の頃、中産階級に徴兵が及び出した途端に戦争を中止する世論展開になった失敗があるからだとか。

今は自分の意思で入隊して来ているから文句は言わせない、経済的に困っている若者が、それを打開するために入隊してくる。

多数の発言力がある中産階級以上は実際には戦争に向かわないし、情報も無いから、世界に自由を広げるのだと信じて疑わず、また我の欲望を満たす為に戦争し続ける。

本当に恐ろしい国になったものだ。
番組はここでは書けないほどにものすごい情報量でびっくりです。

このドキュメントがアメリカで作成されたこと、そしてアメリカ国内で開催の映画祭で大勝を受賞したことに、アメリカの良心がまだあると思いたい。

どういう国と日本は付き合っているのか?よく見極めるためておく為にもにぜひ見てほしい内容だった。

とても分かりやすく表現していた。「華氏 911」より見せます。
DVDに焼いて配りたいくらいだよ。

見てない人のために、参考に番組の一部を書き出してくれている奇特なサイトを発見したので読んでみては?http://www.melma.com/backnumber_98608/

俺たちも知らず知らずのうちに戦争に加担していた、そんなことの無いようにしたいが・・・相当に高度な方法で国民を操る時代に突入しているようだ。
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ローマ教皇がゲイを祝福する日は

2005-12-23 01:19:24 | Weblog
今年の前半、新教皇の即位もあってカトリックの話題が多かった。

そう、ゲイを祝福しないあの問題。

去年の合衆国大統領選で争点ともなった同性結婚。
それを意地でも反対している根源がここだ。

これまたゲイの献血拒否の日赤じゃないが、博愛を謳い虫も殺さぬふりをして
平気で異端者を排除する。

キリスト教徒だらけの社会で生まれたゲイのことを思うとつらい。
生活のすべてに根ざす宗教で、生まれたときから自己否定されるわけだから。

まだ日本は良かったと思う。

宗教の否定は自己否定と思っているノンケのキリスト教徒は強烈に異端を排除するだろう。

実際平気でやってる。
人権だ何だと言ってる時代に平気で。

信者の中に相当数のゲイがいるだろう、その人たちが救いを求めているだろうに手を差し伸べるどころか張り飛ばしゲイをやめろと説教する。

最近はアメリカでゲイであることをオープンにした司教が登場したりとゲイの権利拡張を目指し努力している例も見られている。

ちゃんと考えてくれている人はいる。

前の教皇の路線を受け継いでいるベネディクト16世は同じ考えで邁進しているようだが、高齢であることから中継ぎ的な役割で反対派も落ちついたと聞く。

ぜひとも次期には段階的でいいから考えを変えていってほしい。

影響力のある教皇が俺たちゲイを祝福する日を遠くない将来で確認したい。

でもどうしても聞きたい、
なぜ宗教が一個の人格を否定できるのか

どんな愛がそうさせるのか。
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性嗜好?

2005-12-22 00:46:05 | Weblog
愛媛新聞投書欄に以下のような投稿が載っていた。2005/12/21

「罪を憎んで性嗜好?を憎まず」
幼児や小学生を狙った猥褻事件がおきるたびに、容疑者の「小児性愛」が問題になる。
世の中には多様な性的嗜好が存在する。同性愛・両性愛・体の特定の部位に興味を持つ場合など実にさまざまである。小児性愛もその範疇に入る。
先天的なものかどうかなど、その原因の多くはいまだ解明されていない。
しかし、それが少数派であるために、その嗜好そのものをもって差別されつらい思いをしてきた人も多い。
人は誰しも、公共の福祉に反しない限り、個人として最大限の尊重を必要とする。
言うまでも無く、殺人は究極の人権侵害だ。
何の落ち度も無い幼女が無残に殺された一連の事件に私は怒りで震えた。
だが、悪いのは犯罪そのものである。
個人の性的価値観は、その形態によって何ら卑しめられるものではない。
(29歳家庭教師)

最後のくだり、「悪いのは犯罪そのものである」とはそのとおりに思う。
過去、同性愛は悪魔の精神疾患と思われてきたことがあって、理解を超える犯罪者は同性愛者にされてきたりと、俺も嫌な思いをしてきた。

文面の主旨は分かる。

だが、小児性愛を同性愛と同列におくことはどうなのだろう?

18歳以下の少年と性的行為をしてはいけないのは判断能力が無いとされているからだ。
まして小学生低学年以下でなど判断できることではない。

もし相手の子が望んだSEXだとしても、性的興奮の興味を増徴させることは、その年齢の子供に対して行ってはいけないことなのだと思う。

同性愛・両性愛を嗜好と表現することが納得できない。
この文面の中で嗜好と思われるのは小児性愛と体の部位に興味を持つ(フェチ)のことだろう。

幼い子供やアイドルの卵には、実際かわいいな~と思うし、小児性愛の気持ちも分かる。ではあるけれど、それはあくまで鑑賞品?であると思う。

国によっては同性愛も、未成年者への性的行為と同じように犯罪とされているところもあるが時代遅れの国の話だ。

でも、小児性愛の実行動を合法とする考えは認められないだろう。

今回の考えを思っても、妙にアンダーグラウンドに封印させてしまうことは、社会性を失ってしまい犯罪を引き起こすことになるのではないかとは思える。

隠れた性的嗜好という考え方は、生き方を陰湿にしていく。

同性愛は性的指向であって、恥ずべきことでも怪しい趣味嗜好ではないという意識を高めなければなければならないと思う。
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「男たちの大和」を観た

2005-12-20 01:01:04 | Weblog
3000人の乗組員の多くは少年兵であったらしい。

まるでタイタニック事故前の描き方のように感じるほど穏やかに、そして凛とした訓練風景が描き出されながら、乗組員たちの様々なエピソードが盛り込まれていく。

特に母が子を思う気持ちの描写には泣かされた。
泣かすエピソードには事欠かない。ボロボロ泣ける。

なぜに大和もろとも3000人が片道の燃料しか持たず玉砕へ突き進んだか?
全般に流れるのは戦争の虚しさ、浅はかさ。

いくら離れた家族を守るためとはいえ、なぜにそんな自殺行為を3000人の集団で行うに至れるのか?
当然の流れのように突き進んでいくのだ。

玉砕を覚悟した沖縄へ向かう夜、甲板の黒板に書かれた「死二方用意」という文字に堪らないものを感じて震えた。
一緒に乗り込んだ仲間を思うと自分だけ助かろうなどとは思えるはずも無く・・

今の日本の平和と反映の礎には彼らの死があったというが、本当にそう考えていいのだろうか?

今の日本は彼らが望んでいた国の姿ではないだろうし。
逆に俺たちも彼らの望んでいた国はお断りだろう。

それも1億全国民が全員玉砕するまで戦う!竹槍ででも戦う!ということを鼓舞させるために、
1億総玉砕の範となるために大和は突き進んで死んでいったというのだ。

なんてことを・・
大和はとんでもない口火を切って国民をさらに地獄へ巻き込むことに加担した人たちとも言える。

到底個々の個人が当時それを批判できる状況ではなかっただろう、
無駄死にではないか?という声もあったが掻き消された。

その状況下の中では仲間を想い、精一杯国を、故郷を想いやった行動なのだろうけど、それはやっぱり美化できる内容では無いなと思った。

やはり井戸の中の判断だと思うのだ。
その判断し行き着いた先が「死に方用意」だったとは、集団自殺・・
まったくおかしい、おかしいのだ。

沖縄が狙われ、本土攻撃が本格化するにあたり、大和の特攻が決まった経緯において、昭和天皇が「もう戦艦は残ってないのか?」との言葉があったからとか。

そんなことを言ってたのか?非常にびっくりした、
昭和天皇がどのつもりで発言したか分からないが、その天皇の言葉で追い込まれたようなのだ。
その言葉を「最後まで戦え!」ととったということらしい。

昭和天皇はいつも平和を望んでいた、軍部の暴走で操られていただけ・・
それは作られたイメージなのだろうなあ。

天皇の意思は反映される立場にあったはずとは思ってきたが、この映画で出てきた発言には驚いた。こんなことを映画のせりふで出てくるなんて今まで考えられなかったと思う。スゴイコトじゃないか!?

残された母親、恋人、女性たちは分かっていた。
男たちが死ににいくという。
何も分かっていない、男たちは私たちを守るために国を守るために戦場に行くと言うが、死んでしまっては意味が無いじゃないか!

でもただただ、国中で突き進んでいく。

時代は戦闘機の時代になっていたのに、図体ばかりデカイ大和はそれは痛々しく散々に突かれて沈没していった。

この国は一度滅びなければ仕方ない?
だから行くところまでいく?そんなあ・・


自衛隊を自衛軍にし、防衛省に格上げにする。
自衛官を国民から尊敬される仕事であるという立場にしてプライドを持ってもらう為らしい。

過去、日本では教育的にもマスコミとしても自衛隊からプライドさえ剥奪して軍隊を押さえ込んできた。
過去の失敗を踏まえてのことだろう、この反動のぶり返しか、なぜ潔癖なまでに押さえ込んできたのか、時が経って意味が分からなくなってきてしまった。

今でも自衛隊は武器を持っている集団だ。
いくら文民統制だといっても、この先どうなるかは分からない。
国を守るが国民を守ることにはならないことは歴史で明白だ。

そう思うと、この国の方向が変わりつつある今、この今を止めなければいけない、今を本気で考えなければならないのだと強く感じるに至った。

どうして、あの状態にまで突き進んでしまったのか?
気がついたらそうなっていた。
戦争せずに入られない状態に国民自ら追い込んでいった。
はじめた戦争を終わらせる術を知らないまま、行き着くとこまで突き進むしかなくなった。
そして子供たちは喜んで国のために命をささげるようになっていた。

皆が気づくときにはもう遅い。

人間の営みは戦争の繰り返し・・いいえ、歴史を学ぶことでそれは止められる。
世界がまったく考えたことの無い方法で、日本は戦争を封印し60年の平和を謳歌してきたはずだ。
戦争するのが普通の国だという世界の方が遅れているはずだと思う。

新しい世界平和の構築を日本こそが切り開ける立場にありながら積極的にしてこなかった。
60年の今なお、戦争の総括をこの国は国民はしていないことも痛感させられた。

主人公のおじいさんは60年たっても総括できていなかった。
ただ、昭和20年から思考停止してしまったのだ。
今まで信じてきたことが180度変わって収集つかないままに60年。

この映画を見て、みんなで議論するときだと思う。
テンポよく描いていて引き込まれる内容で飽きないので若い人にもぜひ見て考えてみてほしい。
60年前、年の変わらない(どころか年下の)10代の若者たちがどういう風でいたのか?
年齢近い若い人には衝撃的だろう。

もしかすると、目的が明確にあって生きている実感を感じやすい戦時下は現代より自分探しをする間もないから、憧れてしまう時代に映る人もいるのかな?

映画館8割がた埋まった観客はエンドロール最後まで席を立つことが無かった。
心揺さぶる物語であったと思う。

映画を見た感想もそろそろ出てくるだろうから、しばらくその様子を見てみたい。

気になること・・・
監督は完全に戦争を批判して演出していると思えた。
でも製作の角川春樹はどうなのか?

最後に
出てくる役者が皆カッコいいです。渋いです!
新人の松山ケンイチくんが良いです!メロメロ
1リットルの涙で先輩役で出てたときはどこがカッコいいんだろうと思ってたのに(笑)
音楽、久石譲ウマいです。
http://www.yamato-movie.jp/top/index.html

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「ゲイかもしれず悲しい」18歳の相談記事

2005-12-19 01:16:22 | Weblog
朝日新聞、読者と生活「相談室」のコーナーで18歳の男子高校生が
「ゲイかもしれず悲しい」と相談を寄せていました。2005/12/17

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僕はゲイなのかもしれません。男の人しか好きになれません。
男子校に通っていて同級生や後輩に恋愛感情を持ちます。
告白したいと思うこともあるけど、
気持ち悪いとか変態と思われるのが怖くてとても出来ません。
他の人と違っている自分がとても孤独に感じられ悲しい気持ちになります。


今回の回答者はピーコさんでした。このように答えていました。

あなたはゲイだと思います。人を好きになることは仕方が無いこと。
後は自分が受け入れるしかない。男を好きなのは一生変わらないんだから。
変態だと思われたくない、なんて考えない方がいいわよ。
そういった陰湿なゲイになるのが一番いけないことなの。
みんなに受け入れてもらうためには素敵な人間になるしかない。
努力しないとだめよ、みんなが嫌がることでも率先してやるとか、相手に不快感を与えないとか、周りの信頼感を得られればその延長線上でならカミングアウトしても平気だと思うの。
男女の間だって相手が見つからない人はいっぱいいる。
見つけるためには自分を磨くしかないの。
まだ18なんだから今は誰にも好かれるように磨くこと。
みんなに認めてもらう前に親に納得してもらうことも大切よ。
でも母親は一番嫌がるの、自分に責任があると思っちゃうから。家事を手伝って、
何げなくにおわせた方がいいわね。
みんなに知られるのがイヤなら一生隠して暮らすしかない。
でもそれで女性と結婚しても、あなたも相手も不幸よね。
もちろん、どちらを選ぶかはあなた次第だけど。
暗いゲイは嫌われる。どうぞ明るいゲイになってね。

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ゲイ雑誌の相談コーナーでもあんまり見なくなってきたと思うこういった相談。
でも、実際は全国でたくさんのゲイが今なお悩み続けている。

情報化の進んだ時代でも、この問題は続く。
大手新聞のこういった記事は小さなものでも大変な影響を与えられると思う。

俺はなんとなく清清しい気持ちを持って読んだ。
18歳、いとおしい年頃だなあ、と自分を振り返る。
俺も何か役に立ちたいといつも思っている。

ピーコさんの返答は自分を鍛えよという激励で、しんどいなと感じる人もいると思う。
この短い返答の文章を何度か読み返した。
でも俺もやっぱりそういうことなのだろうと思う。
それはゲイに限らずということと思う。

彼を応援するゲイの仲間はたくさんいるぞ!!
そう俺はつけたしておくよ!!p(^^)q
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