同性愛について、どこか置いてけぼりなままで、社会理解はなかなか進まない状況があります。
若い世代であれば「同性愛?それもいいんじゃない?」とされる風潮がありながらも、
当事者が社会的にカミングアウトしていく気運はなかなか進まないままです。
比べるものではないのだけど、性同一性障害への理解の仕方に比べて遅れています。
というのも、行政や企業、マスコミ対応などをしている上で、
性同一性障害については取り組めても、同性愛のことは躊躇されることが多いのです。
自民党が先の総選挙で「性同一性障害への人権施策は必要だが同性愛には必要ない」と回答し
騒ぎとなりましたが、そういう社会風潮は大いにあるわけです。
同性愛が性同一性障害とすり返られて発信されることも多い。
それぞれの取り組みが必要であるので、比べるとか、差し置いてでも同性愛を!とか
そんなことを言うものでは全くないのですが、同性愛についてはこのままでは進みにくいままです。
互いの理解推進のためにも同性愛は同性愛の社会意識を変えて行く方策や努力が必要でしょう。
さあ、どうすれば社会の同性愛への意識を変えていけるでしょう?
地域に根ざした活動を愛媛で試して効果も出始めていますけれど、
大きな広がりをとなると全国的な注目やムード作りが必要です。たぶんこれは両輪です。
理解を進める為には「共感」が必要です。
異性愛者に同性愛の共感をさせるには・・・???
それは、愛なんでしょう。
人を恋する、好きな人と一緒にいたい、ともに生活をしたい
その気持ちは多くの人に共感できることでしょう
引き裂くに忍びない愛の姿を見せればいいのか
パートナーを家族が認めないことの辛さを示せばいいのか
長年の連れ添いを社会が認めないことの不利益を出せばいいのか?
それぞれに、文章だけでない生活者としての実態を
いかがわしさとか、異端的に見せない方法で堂々と取り上げなければなりません。
長年の関係をみせ「勝手にやってることだから」で済ませさせない迫力がいるのです。
一人者はどうしたらいい?
ここはまずはの共感の広げ方だけに徹して考えてみてますのでご容赦を。
残念ながら、この日本では
少し「可哀相」と思うものにしか共感が広がらなかったりします。
若い同性愛カップルが結婚セレモニーをしてみるというのも注目されることですが
共感は広がりにくいかもしれません。(そういうのも出来て当然なんですけどね)
男女でも結婚できない人が多い中では、「勝手に幸せにすれば」というムードになりそうです。
年配の方には理解を超えたままで終わるかもしれません。
リネハン総領事が来て下さったときの松山の市民の共感の広がり方をみてみると
”二人の仲むつまじいところを見たこと”
”60歳にもなる方が、また総領事という立場ながら堂々とカミングアウトしていることへの敬意”
であったように思います。
こういったことを外国の同性愛者ではなく日本人の同性愛者が見せていかねばなりません。
60歳以上の大先輩の同性愛カップル・・・
一肌脱いでくれる方々はいないもんでしょうか??
自分もあと20年立てばその役割を果たさなければと思います。
でも、20年も待ってられません。今の時代を生きる、世代それぞれの役割があるはずです。
本当に勝手な願いで恐縮なんですけど
高齢期のロールモデルを出してもらえたなら、どれほど心強いものになるかと思うところです。
どうにか表に出て看板となってもらえる人を出していかねばならないのでしょう。
そのときにはしっかりとしたサポート体制が必要ですよね。
若い世代であれば「同性愛?それもいいんじゃない?」とされる風潮がありながらも、
当事者が社会的にカミングアウトしていく気運はなかなか進まないままです。
比べるものではないのだけど、性同一性障害への理解の仕方に比べて遅れています。
というのも、行政や企業、マスコミ対応などをしている上で、
性同一性障害については取り組めても、同性愛のことは躊躇されることが多いのです。
自民党が先の総選挙で「性同一性障害への人権施策は必要だが同性愛には必要ない」と回答し
騒ぎとなりましたが、そういう社会風潮は大いにあるわけです。
同性愛が性同一性障害とすり返られて発信されることも多い。
それぞれの取り組みが必要であるので、比べるとか、差し置いてでも同性愛を!とか
そんなことを言うものでは全くないのですが、同性愛についてはこのままでは進みにくいままです。
互いの理解推進のためにも同性愛は同性愛の社会意識を変えて行く方策や努力が必要でしょう。
さあ、どうすれば社会の同性愛への意識を変えていけるでしょう?
地域に根ざした活動を愛媛で試して効果も出始めていますけれど、
大きな広がりをとなると全国的な注目やムード作りが必要です。たぶんこれは両輪です。
理解を進める為には「共感」が必要です。
異性愛者に同性愛の共感をさせるには・・・???
それは、愛なんでしょう。
人を恋する、好きな人と一緒にいたい、ともに生活をしたい
その気持ちは多くの人に共感できることでしょう
引き裂くに忍びない愛の姿を見せればいいのか
パートナーを家族が認めないことの辛さを示せばいいのか
長年の連れ添いを社会が認めないことの不利益を出せばいいのか?
それぞれに、文章だけでない生活者としての実態を
いかがわしさとか、異端的に見せない方法で堂々と取り上げなければなりません。
長年の関係をみせ「勝手にやってることだから」で済ませさせない迫力がいるのです。
一人者はどうしたらいい?
ここはまずはの共感の広げ方だけに徹して考えてみてますのでご容赦を。
残念ながら、この日本では
少し「可哀相」と思うものにしか共感が広がらなかったりします。
若い同性愛カップルが結婚セレモニーをしてみるというのも注目されることですが
共感は広がりにくいかもしれません。(そういうのも出来て当然なんですけどね)
男女でも結婚できない人が多い中では、「勝手に幸せにすれば」というムードになりそうです。
年配の方には理解を超えたままで終わるかもしれません。
リネハン総領事が来て下さったときの松山の市民の共感の広がり方をみてみると
”二人の仲むつまじいところを見たこと”
”60歳にもなる方が、また総領事という立場ながら堂々とカミングアウトしていることへの敬意”
であったように思います。
こういったことを外国の同性愛者ではなく日本人の同性愛者が見せていかねばなりません。
60歳以上の大先輩の同性愛カップル・・・
一肌脱いでくれる方々はいないもんでしょうか??
自分もあと20年立てばその役割を果たさなければと思います。
でも、20年も待ってられません。今の時代を生きる、世代それぞれの役割があるはずです。
本当に勝手な願いで恐縮なんですけど
高齢期のロールモデルを出してもらえたなら、どれほど心強いものになるかと思うところです。
どうにか表に出て看板となってもらえる人を出していかねばならないのでしょう。
そのときにはしっかりとしたサポート体制が必要ですよね。