◆先日HIV誤通知で書いた記事では、ネットに見る偏見の声をそのまま書いて
みました。日常ではひたひたと偏見を感じながらも、なかなかはっきりとは
確認できないでいるものが、こういう事件のときに噴出してきますね。
世の中には偏見を持った人々はたくさん存在していて、差別が無くなる事も無い
だろう。偏見を持った人もこの社会で一緒に生活している??
でも諦めたくない。
人権という人類が思いついた叡智を大切にしたいと思う。
私たちは少しでも思いやりを持った社会を目指すべきだろう。
すべては自分に返ってくるのだから。
今回の事件に関連した書き込みを読んでいると、無関心や無知でいることが
一番の問題であると改めて思います。
多くの人は悪気はなく、心に思ったままを表現しただけで、気がつかなかった
だけなのでしょう。他人事と思って想像力が働かなかったのでしょう。
このように、「知らなかったもん!」「誰も教えてくれなかったし!」という
言い方を許してしまっているのが今の社会の問題なのでしょうね。
◆人権というと「窮屈で生きにくくなる!」と拒否反応を示す人もいます。
多様性を認め合おうというなら、逆に偏見や差別持つ人の権利も認め合うべき
だろう?とか、日本には思想の自由があり表現の自由がある!なんてことをいう
人もいます。
でも、「偏見や差別を表現したり行動したりしても良い自由」なんてことは
ありえないですよ。
そんな状況を許していると、社会は殺伐となり、成り立たたなくなります。
ここは勘違いしてはならないところです。
同じような差別問題で、ゲイ差別をして何が悪い!と来ることもある。
気持ち悪いものは気持ち悪い!生理的な問題なのだから仕方がない!なんて
言って来るのです。良くそんなことが言えるなと呆れるばかりですが・・。
今回も、自分や家族に感染してはいけないから早く確保し隔離してほしい!
そんな気持ちが現れていました。
このように自分の不安感を解消するためなら、あのような発言をしても
良いのでしょうか?
自分の差別心を正当化してまで心を安らかにしなくちゃならないことって
何なのでしょう?
恥ずかしいことだと気がついていきたいところです。
しかし、すべての人のことを完璧に思いやって生きていくことなど
できるもんじゃないですよね。自分のことで精一杯だったりするでしょう。
でもその努力はしていこうじゃない?
また、勘違いをしている人がいたら話してあげようよ。
ほおっておくと、そんな考えが優勢の社会になってしまうもん。
◆ネットの時代になって、個人が主張できるメディアを持つことも
出来るようになった。
ドラマや映画で偏見が描かれるとき、多くの人は自分の心を照らして再確認する
と思う。今回の記事も、その再確認するための役に立たないか?とあえて羅列してみたのです。
多くの人がネットの中からでも発言をしていけば変わるに違いないと思ってます。
面と向かって人前では言えない人でも
ネットの書き込みくらいは出来るんじゃないかな~?
多くの人に気がつかせてあげよう!!
そして、気がつかせてもらおう!!
◆国は、公共心を高める為にこれから道徳教育に力を入れるらしい。
愛国心教育や公共心の名の元に、個人がないがしろにされないか気にかかる。
でも、これをうまく利用して「自分の中の差別心」に向き合う教育が出来るなら
ば、「気がつかないことは恥ずかしい」ことだなと思えるような社会になっていく
かもしれません。
今回の教育基本法改正も、出来たからにはそういった方向に使わさねば!
まだまだ、使い方でいいようにも変えられないものかな?
いや、出来るはず!!
みました。日常ではひたひたと偏見を感じながらも、なかなかはっきりとは
確認できないでいるものが、こういう事件のときに噴出してきますね。
世の中には偏見を持った人々はたくさん存在していて、差別が無くなる事も無い
だろう。偏見を持った人もこの社会で一緒に生活している??
でも諦めたくない。
人権という人類が思いついた叡智を大切にしたいと思う。
私たちは少しでも思いやりを持った社会を目指すべきだろう。
すべては自分に返ってくるのだから。
今回の事件に関連した書き込みを読んでいると、無関心や無知でいることが
一番の問題であると改めて思います。
多くの人は悪気はなく、心に思ったままを表現しただけで、気がつかなかった
だけなのでしょう。他人事と思って想像力が働かなかったのでしょう。
このように、「知らなかったもん!」「誰も教えてくれなかったし!」という
言い方を許してしまっているのが今の社会の問題なのでしょうね。
◆人権というと「窮屈で生きにくくなる!」と拒否反応を示す人もいます。
多様性を認め合おうというなら、逆に偏見や差別持つ人の権利も認め合うべき
だろう?とか、日本には思想の自由があり表現の自由がある!なんてことをいう
人もいます。
でも、「偏見や差別を表現したり行動したりしても良い自由」なんてことは
ありえないですよ。
そんな状況を許していると、社会は殺伐となり、成り立たたなくなります。
ここは勘違いしてはならないところです。
同じような差別問題で、ゲイ差別をして何が悪い!と来ることもある。
気持ち悪いものは気持ち悪い!生理的な問題なのだから仕方がない!なんて
言って来るのです。良くそんなことが言えるなと呆れるばかりですが・・。
今回も、自分や家族に感染してはいけないから早く確保し隔離してほしい!
そんな気持ちが現れていました。
このように自分の不安感を解消するためなら、あのような発言をしても
良いのでしょうか?
自分の差別心を正当化してまで心を安らかにしなくちゃならないことって
何なのでしょう?
恥ずかしいことだと気がついていきたいところです。
しかし、すべての人のことを完璧に思いやって生きていくことなど
できるもんじゃないですよね。自分のことで精一杯だったりするでしょう。
でもその努力はしていこうじゃない?
また、勘違いをしている人がいたら話してあげようよ。
ほおっておくと、そんな考えが優勢の社会になってしまうもん。
◆ネットの時代になって、個人が主張できるメディアを持つことも
出来るようになった。
ドラマや映画で偏見が描かれるとき、多くの人は自分の心を照らして再確認する
と思う。今回の記事も、その再確認するための役に立たないか?とあえて羅列してみたのです。
多くの人がネットの中からでも発言をしていけば変わるに違いないと思ってます。
面と向かって人前では言えない人でも
ネットの書き込みくらいは出来るんじゃないかな~?
多くの人に気がつかせてあげよう!!
そして、気がつかせてもらおう!!
◆国は、公共心を高める為にこれから道徳教育に力を入れるらしい。
愛国心教育や公共心の名の元に、個人がないがしろにされないか気にかかる。
でも、これをうまく利用して「自分の中の差別心」に向き合う教育が出来るなら
ば、「気がつかないことは恥ずかしい」ことだなと思えるような社会になっていく
かもしれません。
今回の教育基本法改正も、出来たからにはそういった方向に使わさねば!
まだまだ、使い方でいいようにも変えられないものかな?
いや、出来るはず!!