ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

松山でも地デジ開始だ!

2006-08-31 00:30:21 | Weblog
松山でも地上デジタル放送の試験放送が始まっている。

番組がほとんどハイビジョンで放送されているので素晴らしい!

この数週間見てきたが、もうアナログ画質には戻れないって感じです。

同じ番組でも今まで見てたものは何!?
こんな画質をワイド画面で都市部の人は数年前から見ていたのか!!(笑)

地元のケーブルテレビでも試験放送電波を送信しているけど
ノイズの無い画面で綺麗だ!

ハイビジョンじゃない放送でも格段にきれいになったと感じる。

当初、地デジが始まっても多くの番組はまだ4:3の標準画質だろうと
いわれていたが、なんのなんの、ほとんどの番組がハイビジョン。

ドラマも映画もワイドショーも、バラエティもほとんどみーんな!
こんなに綺麗に細かく映るんだね~
出演者もメイクが大変だなーと感心したりして。

今まで見てた番組が高彩度になって見れることがなんだか新鮮な毎日。
ワイド画面って情報が多くていいねえ。

俺のテレビはパナソニックがブラウン管タイプ最終系として作った36型。
プラズマや液晶の残像が残る感じが納得できないので、これにした。

まあ、薄型買うより断然安かったから(笑)コストパフォーマンスでね。

もうブラウン管タイプの大画面は新製品が出ないからね。
さすがにブラウン管の最終系、歴史あるだけにすごくきれいと思う。

薄型じゃないから場所はとるけど・・本当に牛!って感じです。
絶対に一人ではもてません、てか最近の薄型もでかいのは無理だろうけど。

いづれは俺も薄型の50型とかを買っちゃう時代が来るんだろうなあ。
すごい時代になってきたよ。
俺のテレビも家に来たときはデケー!と思ったが、
今じゃあもう少しデカくてもいい?なんて思ってるし。
液晶も数年後にはもっといい画質になってるでしょう。

今回、配線を確認してて思ったのだけど、アンテナ線をつなぐ入力が
アナログとデジタル2つあって別れてるんだよね。

今後アナログを見ないならつなぎかえればいいけど、両方見るには
手前で分配しなきゃいけない。
何でわざわざ入力を2つに分けているのか分かんないんだなー。

テレビの中で分配しててほしいよね、ったくー(笑)

最初、いくら地デジのチャンネル調整をしても引っかからないと思ってたら
そもそも電波をデジタル入力してなかったのだ!紛らわしい!

絶対全国で同じことしてる人多いと思う!! 

地デジ開始で、この高機能のテレビの性能を発揮できるようになったし、
テレビ大好きな俺としては大満足。

地上波が面白いから、BS放送は今まではハイビジョンのクオリティの高い
番組って格付けがあったかもしれないけど、その差もなくなるわけだし、
大した番組をやってない現状ではつらいものがあるよね。

そうそう、データ放送も簡単に天気とか分かって便利だよ。

さーて、今度はビデオだな。
結局ビデオに撮って、自分の都合の時間で番組を見ることが多い俺。

今のはアナログ録画のHDなので満足できなくなってきた。
早々にビデオを地デジ対応のHDの容量のでかいやつに買い換えなくちゃいけないなあ!

ダブル録画は必須だし・・
年末に買おうかと思ってたけど、少し前倒ししようかな~。
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彼氏くんの禁煙(あれから・・)

2006-08-30 00:11:28 | Weblog
二コレットガムで禁煙に挑戦していた彼氏くんですが、
ガムの不味さと喉が痛くなるのがきつくて挫折!

7月末からは病院に行ってニコチンパッチに変えて挑戦中です。

ニコチンパッチでも禁煙外来で保険適用できるようになったので、
安く利用できるようになりました。

健常者3割負担でも、2ヶ月フルコースで数千円で済むので
非常に挑戦しやすい。二コレットガムより安いのです。

ただ、保険適用してくれる医療機関がまだ少ないのが難点。

保険適用の指定医療機関になったところは大人気みたいですねー。

最初の1ヶ月は直径8cmくらいのニコチンパッチを張り続けます。
痒みがあるのが嫌だったみたいですが、ガムに比べてラクチン!
シールのおかげでニコチン切れの禁断症状はモノノミゴトになかった。

強烈なニコチンが供給されたようです。

この1ヶ月ね、俺から見た印象は物腰も柔らかく穏やかになったようなんだよね。

なんとなく変化を感じる!

それでも口寂しい感じがタバコへの誘うらしいですが、
禁断症状を抑えられた分、耐えられたようです。

俺は彼が忘れず貼っているか毎晩シールのチェックをしてね。
張り忘れている時は、ちょっと様子が違うんだよ(笑) 

この数日前から第2ステップ、シールが直径5cmくらいに小さくなりました。

ちょうど学校が始まった頃で、時期的にはちょっと危険な時だったな~。
ストレスを感じたのとニコチンの供給が少なくなったことの影響で、
少し欲求が出てきたようでした。

小さくするのは数日後にした方がよかったかな~。

この5cmで2週間、そして3cmに小さくなって2週間、それで終了。
後はシールなしで耐えられたら完了!

あと1ヶ月程度でニコチン中毒が洗浄?されるならいいけどなー。

ニコチン切れの禁断症状は本人の意思で押さえ込めるものではないことは
よく分かったから。こういうのに頼ったほうがいいよ。

今回の挑戦に失敗したら、もう手が無い。
再度診察受けようにも1年は空けないと保険適用にならないらしい。

がんばれー!
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ゲイの息子と親の関係・・④お祖母さんとの話

2006-08-28 00:40:50 | Weblog
老い先短い親(家族)には、
「もういいや、自分のことで思い悩ますことはない・・」
という考えも賢明だとは思う。

去年亡くなったお祖母さんに対して、俺もしばらくその方向でいました。
父親もそう望んでいたし。

でもね、何も言わなくても、それはそれで心配をかけているよね。

いつまでもお祖母さんとの時があるわけじゃない、
これは今話しておかねばならない、最後にお祖母さんと俺の向き合った話しを
ちゃんとしておくべきだ!と思うに至ってね、

自分のことをある程度だけど柔らかく話しておいたんだ。

自分のことを分かってもらいたいこと、この年で結婚してないことは覚悟が
あってやってること、自分を持ってしっかり生きていくから心配しなくてよいこと。
そして、ひ孫を見せられなかったこと。
そして俺の血を継いで行くものがいなくなること
(大した家ではないけれど、この家を継ぐものが男系では絶えてしまうんですよ)
を申し訳ないと詫びた。

うすうす感じてきたことだろう、
お前の幸せが一番だ・・と優しく穏やかに受け止めてくれていた。

いろいろ期待もして来たことだろう、気を揉ませて来たことだろう。

いくらお祖母さんでも、世の中のことを知らないはずがない。
どうも孫は世間の言うゲイというやつではないか?くらいは考えてたと思う。
(後からお祖母さんの友達から聞いて良く分かった)

それでこのヘテロ社会でどうやって生きていくの?と心配したことだろう。

心配をかけてきたことを詫びた。

お祖母さんとは生前いろいろな話をしてきた。
だからうまく話せられるだろうと思えたし、この関係を互いに大切なものである
と思っていたから、ちゃんと向き合って話しておくべきだろうと思ったんだ。

お祖母さんも90年も生きてきて、問題を達観できる境地に至ってたから
受け入れられたのかもしれないね、俺の親を見てるとそんな気がしてきますが・・。

若いころのお祖母さんは、散々俺に家を継ぐことの大切さを教えてきた人でも
ありました。亡くなる数ヶ月前のことです。

この数日の記事を書いて、少し整理できてきたような気はする。

疎遠にしている親に、そろそろ俺の方から声をかけてみようかなあ、と
少しは思い始めもしたけれど、まだ俺の心がほぐれない。

乾いた気持ちがまだまだくすぶっているので、もう少し時間がかかりそう。

親子近くにいると言うことで、喧嘩の種も多いけど、
関係を改善できるチャンスも多いはずと思いたい。


ゲイとしての生き方を謳歌し始めた俺たちにとって、
カミングアウトしなければ大丈夫、ということはないだろう。

親へのカミングアウト・・・する、しないにせよゲイにとって
親子の関係を考える上で触れざるを得ない問題だと思う。

俺たち自身、人生において棚上げに済ますことは出来ないことだろう。
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ゲイの息子と親の関係・・③

2006-08-27 02:07:04 | Weblog
俺も近くに住んでいる以上、親のことが気にかかる。

親からしても俺が近くに住んでいるからより目に入って、気にかかり
気苦労となることも多いだろう。

県外に出て就職したほうが、目に見えない分良かったのかなあ?と思うことはある。

近くにいるからどうしたって親は息子が気になるでしょ?

結婚のことなどあれこれ思い、口うるさく言ってくるのが親というもの。

でもね、様子が見えない距離にまで離れちゃうと、それはそれで心配かけて・・

電話があれば結婚結婚、たまに帰れば見合い話とうるさい、
親元を離れ自由を謳歌した者にとってそんな親ははっきりウザったい。
そう思い出すと、離れていることもあってどんどん疎遠になっていくに違いない。

俺の場合、もし出てったら絶対にそうなっただろうな
長い目で見て、離れるのは良いことではないに違いない、そう思って
俺は地元にいることを決めたのだった。

「親を苦しめないために自分だけが背負い、自分の心を割らない、親も踏み込まない」
といった親子関係を望むつもりの無い俺。

俺の親には難しい注文を突きつけているのだろう。

県外に離れ、互いが突っ込まないような関係とし、
遠くから互いが思い合うくらいが良かったのかね?
でも、今さら出て行っちゃあ逃げ出すことになるからね。

俺の親はまだ若いし、死に別れるのはまだ先だろうから、まだまだ関係は長いでしょ?
だから何とかならないかな~と探っているんだね。

諦めたくない。

息子がどういうことで幸せを感じ、どのように生きているか、
知るべきだろうし知ってほしいと思う。

それ以外、親子の会話で何を話す?それに行き着くように思う。

この10数年振り返っても、良好な関係の時と、そうでない時を繰り返しているんだ。
そういうものだろう。

どちらかの要求が行き過ぎると喧嘩となって調整して・・みたいな。

親に自分の悩みを背負わさないようにとの思いやりでカミングアウトしない
方法もあることはよく知っている。

精神的な負担に耐えられそうに無い人には無理をさせられない。

その意味では、互いに喧嘩が出来る俺の親は、耐えられるはず!と
思っているからだけど、(俺の勝手な判断でもあるが、俺の期待がね・・)

でも、自分だけに背負って済む問題なのかなあ。

それとね、思うんだけどカミングアウトと自ら口に出して言わなくてね、
まったくゲイ活動をしない人ならならともかく、
今時のゲイだったらそれなりに行動してるよね?

ゲイ友達との付き合い、恋人との付き合い、雑誌を買い、エロビを買い、
ゲイバーの出入り、発展場の出入り・・など
これらのような様々な行動は、多かれ少なかれカミングアウトしていることと
同じことだと思うよね(本人の意識にかかわらず)

それがいつ、他人の目、親の耳に伝わるかは分からないでしょう。

ましてや、俺のように職場でもカミングアウトし、権利活動なんかも積極的に
やっていくとなれば尚更当然。

どうせ時間の問題となるならば、疑惑めいた状態を放置するのではなく、
予め自分自身が思う方法とタイミングで自らの考えを伝えておいた方が
良いだろう、というのが俺の攻めの考えなんですが。

それと、親はまず子供がゲイかどうかくらいは知っていると思う。
ずっと子供を見てきてるんだもん。

分かって何も言ってこないような出来た親もいるでしょう、でも
どう声かけたらいいか分からないし、息子自身がどう出てくるか、
様子を見ているのかもしれない。

どちらにせよ、そのことが原因で親子の間によそよそしさがあるなら
もったいない気がするんだ。

受け入れるものは受け入れて、次なるステップへと関係を深めるべく
互いに模索できないものか?と思っちゃうんですね。

親とのカミングアウトは親子が真剣に向き合う過程だろうと思う。

俺も何らか方法を取って関係改善を図る責任があるのは分かっている。
今のままの状態を何時までも続けるわけにはいかないからね。

うーん④へも続く!?
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「素顔の私を見つめて」関西クイア映画祭より

2006-08-26 00:17:35 | Weblog
関西クイア映画祭より「素顔の私を見つめて」の感想です。

ニューヨークの中国系アメリカ人のコミニティ、厳しいアメリカ社会で
中国系の移民一族たちが結束して何事も乗り越えて今までやってきたのだろう。

密接な分、息苦しいコミニティとも言える。
そんな中で、結婚してない人は肩身が狭く、レズビアンなんてとんでもない。

主役の彼女は女医として成功していて、同じ移民仲間のパーティで出会った
女性ダンサーと恋仲になる。

父親を早くに亡くし、口うるさい母親に育てられたが、
その母親がなんと妊娠!それも誰の子!?

レズビアンの娘と母親の年の差を越えた秘めた恋とを軸に、
家庭の絆を描いていきます。

俺としては親との関係を考える上で、なかなか見に詰まるシーンが多く
考えさせられた。

「点と点をつないで線となる」と、しきりに家族の絆を示す台詞が多く出る
のだが、ゲイ(レズビアン)である俺たちには家族の絆というものは求めら
れないのではないか?と思ってくるのだ。

俺たちが望むような絆は、ヘテロ社会に立脚した家族構造には相反するもの・・。

俺たちゲイは点でしかない・・

家族の「線」は俺たちにはなく孤独なのだ。

友達や恋人やゲイコミニティなどで線をつないでいくしかないのかもしれない・・・

俺自身の今、順調でない家族の問題とダブらせてみたからであるが、
俺たちには家族に求めるような安らぎは求めるべくも無いのかな?

この映画見てると「無~!理~!よ~」とよぎってきたんよね!

俺たちは別な家族を模索するしかないのかも。

互いを尊重し合い、助け合ったり、そんなことが出来ない格好だけの家族なら、
それは家族と言えるの?

俺の存在を尊重できない、俺自身と向き合わない親とどう関われば良いというの?!
俺はそう憤って親ともケンケンガクガクやってきたんだけど、
最近限界を感じてきてるもんだから。うーん 

こんな調子で親子の問題を考えさせる映画でね、面白いしとても良く出来てんの。

ただ、俺の今の弱気な現状では、やっぱ無理かもねーみたいな
限界の絵を見ちゃった気にはなったんだけどね。

いやはや、面白いのにいろいろ考えさせられる映画です。

窮屈な一族との関わりなんて、日本の場合でも似たものだし、
多くの人がダブらせて見れると思うな。

映画の中で母親もね、一線を越えていかなければ、
自分も含めて誰も幸せになれない!ってことを悟ってから、
娘にも寛容になっていくんだけど。
(自分が似たような少数派にならないとだめなのか・・)

そんな母親、映画ラストにね、
娘たちが仲良くビアンカップルとなるを見た後の台詞で
「で、いつ孫を見せてくれるんだい?」とのたまうのです!!!

これには爆笑・・親の理解ってもこんなものだろね~!(トホホ・・)
と大いにうなずき吹きだしたシーンでもありました。

「素顔の私を見つめて」はDVDでも発売中です。TSUTAYAにあるかも。

さて、もし松山で映画祭が出来るなら。
俺だったら、この映画と先に紹介した「ラターデイズ」「サマーストーム」
の3本+「プリカちゃん」を選んでやってみたいなあ。

今回の映画感想にも関連したここ数日の俺の記事「ゲイの息子と親の関係」
だけど、まだ続きそうです(書きまくり!)
コメント (2)
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ゲイの息子と親の関係・・②

2006-08-25 00:40:03 | Weblog
俺の思う理想と違って、そんな家族関係はしょせん無理なのだ!!

もし、そうなんだったら・・

はじめからカミングアウトも考えず、
近くに住まず、
年に一度帰るか帰らないかの疎遠な関係とし
互いに本質に踏み込まない上っ面な関係で、
割り切っていたほうがいいのかもしれない。

でもそれって寂しいじゃない?

家族ってそんなもんですか?どうなの?

そういうのが互いに幸せだとは俺には思えないし、
親にとっても突き詰めればそうじゃないはずと思うのだけど・・。

俺の場合はそう思って今後の関係を変えるべく一線を越え
カミングアウトしてきたつもりだ。

でもね、今は良い状況じゃない。
とりあえず今は時間を置くしかないな、と過ごしてはいるが・・・
途方にくれているのが現状。

割り切れればいいのだけど、そうはいっても切り捨てることは出来ないでしょ?
俺もね、親だと思うから。

どっちが正解やらとも思うけれど、俺も始めた以上、親が生きているうちに
良い方向に持っていかなくちゃね~と模索してるけど、なかなか。

でも関係って互いの歩み寄りが無ければ成り立たないんだよね~。

先日東京で参加した親の会で思ったことは、「親の情報の少なさ」

何か、親に見せても良い、読みやすくてね、
凝り固まっている意識を解きほぐすような本は無いかなあと思う。

そういう冊子を何気なく家においておくとか、定期的に投函しておくとか・・

自分の親にそこのところを聞いたことがあるけどね、
自らそういう情報を探して積極的に触れ考えていきたいとは
なかなか思わないらしいのです。

できれば棚上げしたい、考えたくない。

そういう10数年だったようなのです。

でも、子供のことを想像すれば理解してやりたい気持ちも全く無い訳じゃないだろう、

そんな思いがふとよぎってくれた時に、

入りやすい冊子が手元に転がっていたなら・・

同じゲイの子をもつ親の手記などが書いてあるものがあれば・・

随分心の整理が出来るのではないかと思うのです。

どうもね、当の息子から口で説明を受けたのではダメなんだようですよ。

何か、俺も風向きを変える道具が要るなあ。
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ゲイの息子と親の関係・・①

2006-08-24 01:30:32 | Weblog
現在俺たち親子の会話は停止中。
近くに住みながらここ数ヶ月まともに口をきいてないのです。

10数年前にカミングアウトして、それはいろいろあったけれども
一時期は互いに尊重しあって良好な関係が出来たときもあった。

でも、数ヶ月前にやった抜き差しならぬ親子の会話をしてから、疎遠になっている。
あの時点からやり直さない限り無理だろうなと思っている。

他の記事でもちらちらそういったことを触れてきたが、ちゃんと書いておこう

############
去年に亡くなったお祖母さんの初盆でこの夏も忙しそうだ、
こういった行事ごとは皆さんウザったいでしょう?

近日には盂蘭盆ってのがあって、人を呼ぶらしいのですが、
俺は出席しても大人しく「役」を演じ切れそうにありません。

さて、どのように振舞おうか?
何か親類に言われたら何と答えようか?
そんなことをいろいろシュミレーションしてるけど。

ゲイである自分には「家」というシステムにまったく興味が持てない、
俺を追い込むばかりであるこの「家」という制度、俺にとって本当に我慢なら無いものだ。

その「家」の制度を補強する為にあるだろう葬式後にも続く儀式の数々
今後も何年と渡ってだらだら続いていくだろう行事ごとを思うとうんざりする。

そういったことを家族で乗り切るほどに良い関係を築いてこれなかった俺たち
一家には無理な話なのだが、親は体裁を取りたいようだ。

そんな一族のしきたり、ヘテロ家制度を補強して行く儀式の中では、
結婚してない俺の存在は浮いてくる。
ゲイである自分は、存在して無いことのように抹殺されてしまう。

そんななか、抜き差しならぬ親子の会話があった。

親から俺のことを
「やっぱりみっともない」
「実際のところ息子ながら気持ちが悪い」
などと、根幹に関わる尊厳否定発言をされちゃったんですね。

それじゃあ!聞くぞ!
本当の、本当のところで、俺の存在はみっともないのか?
親の目で気持ち悪いのか?
こんなの生まれたけど大失敗!ゲロゲロ!みたいなことなのか?
って突きつけたら「そうだ!」ということになってしまったんですね~。
あー

俺はゲイという立場を受け入れ、社会の厳しさにまみれながらも一生懸命
生きてきているつもりだ、でも家族に、それも親にまで、そのように
言われなくてはならないものか?とやるせなく憤った訳よ・・

カミングアウトしてから10数年経ったが、何も理解しようと努力して
こなかったじゃないか?
俺のこと向き合わずフタしてきただろう!
今までも一度も心を割った親子の会話なんか出来たことがあるか?
こういうことを言うのは子供で甘えているからじゃない
大切な人に自分のことを分かってほしいと望むのは当然のことだ、
それがかなわぬなら、関係は成り立たないな!!
今どれほどのことを言ったのか、良く後で考えてみてほしい・・

これが本心だったか、と気が遠くなりながらも、
こんなことをなんとか話して(なんとかっと言っても相当俺も言ってるけど)
親の家を後にしたのが半年前。それから関係停止。

その後しばらくした最近、
親から関わりを持ってくれようとしてくれるようだけど
どうもまた「棚上げした関係」を続けたい様子なので、
今の俺には到底口を聞く気分になれないでいる。
なにか他人行儀になってしまう。

で、どのように関係していくつもり?と黙って問いかけ続けてみてる。

というか、実際のところね、今までに無い感情の変化が俺に現れてしまったんですね
親に対する感情が、言うなら「乾いてしまった!」んです。

俺もどう関わっていけばいいのか分からなくなってしまったんです・・・

まあ、なんともみっともない話ですが、親との関係(カミングアウト)は簡単じゃない。

一生のテーマになるのでしょう。  ②へつづく
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鈴を付ける彼氏と俺!?の巻

2006-08-23 01:07:35 | Weblog
弱視の彼氏くんと一緒に過ごしていると、健常者どうしの関係では
簡単にこなすだろうコミニケーションが当たり前ではないことが分かる。

二人でしゃべっていても、50cmも離れれば俺の表情は分からなくなる。
彼氏くんは、俺の声のトーンで機嫌が悪いかとかいろいろ判断しているらしい。

俺も疲れたときは疲れた声でしゃべると思うけど、そんなときでも
笑顔は作ってたりすることは多い。

でも彼にはそんな弱い笑顔は伝わらない・・。

そんな小さな情報を駆使して人間はコミニケーションしてるんだね。
声のトーンはキツいけど顔の表情ではジョークだったり、そういうのあるでしょ?

気持ちはなるたけ言葉にしていこう!
二人で話し合って、俺もまだまだ慣れないけれど、
言葉の表現とスキンシップを大切に心がけていきたいと思っている。

街に出てお互いがはぐれた時。
お互いが互いを目で探し会えば二人が出会うチャンスは広がるよね。

でも俺たちの場合は俺しか彼を見つけられない。

通常どっちかが声を出して、呼び合って位置を確かめる、
そして俺が目で発見し、彼に声をかける。こんな感じだ。

この間、俺が映画祭で大阪に行くのにバスに乗ったとき、
実は彼氏くんがサプライズで駅に見送りに来てくれていたんだ。

でも俺はバスの時間に焦ってて、彼に気づかず乗ってしまった・・・!

俺が急いで乗ってバスの椅子に腰掛けたときに、ちょうど窓の外を見ると、
彼が一人たたずんでいるのを発見!!あっ!!

運転手さんから「もう出発です、あと10秒ですよ!」とギリギリの許可を得て
俺は急いで降ろしてもらって彼に挨拶できた。ふ~よかったー!

あのまま彼を一人にして挨拶も無く出発してたら・・堪らなかったろうなあ

彼は俺を見つけられない・・すぐ目の前でも歩かないと、ちょっと難しい・・。

座った席が逆だったら俺は気がつかなかったろう。
気がついて本当によかった。

「今、駅にいるよ!」ってメールを一つくれればいいのだけど、
彼は時々サプライズなことをしたがるのです。

ショッピングの最中、お互いうろついて別々に見てまわる事もある。
そこで俺たちは互いの位置を気がつきやすいようにそれぞれのバックに
鈴を付けることにしたんだ。

二人が歩くと、チリチリちょっと騒がしい(笑)
店の中ではぐれたら、どちらかが鈴を鳴らすと鳴らし返してくる。
なんか、面白い~

白い杖を持っているときは、はた目にもこの人は目が悪いんだなと分かるから、
俺は心優しい青年ってことで!?堂々と腕が組められる!
・・・って利点もある(ホントか?)

でもねー、最近は杖を持ってないときでも何かと腕をつなぎ気味だけどね(笑)
まあ危ないもんね~!
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劇団フライングステージ公演を観る

2006-08-22 00:15:17 | Weblog
パレード東京の続きです。
パレードと同じ日程で公演があったおかげで観に行くことが出来ました。
劇団フライングステージ「ムーンリバー」の感想です。

3日目はゆっくり起きて出発。
でもそろそろ体力の限界が見え始めた頃だなあ・・。

昼食バイキングで食いすぎた後、会場の中野ザポケットに移動。
住宅街と言っても俺から見れば十分街中にこじんまりながらも立派な劇場を発見。
団長の関根さんが出迎えてくれています。

チケット販売開始一番に購入予約したときに、弱視の彼のことを伝えて
前の方の席をできれば・・と希望してたんだけど、

なんと一番前!

これなら彼もずいぶん楽しめそうです。
俺もこんな一番前はめったにない。

役者さんの気迫が目の前で伝わってね、すごかった。
本当に目の前にいるので、
じっと見つめているとこちらも気恥ずかしくなっちゃいます(笑) 

俺の目の前にかっこいい役者さんが演技で場所をとった時は、
1mの至近距離で顔をまじまじ見ちゃったけど、
あんまり凝視するのも悪いかなと思ったり・・(笑) 

物語は自分の10代のころよりは若干昔の時代設定で、とても懐かしく思い出してた。
まだ、「引きこもり」ではなく「登校拒否」が現れ始めたような時代です。

今回はフライングステージの俳優さんの他に、女性や客演の人が半数を占めていて、
今までのゲイだらけ!みたいな世界観ではなくて印象が違います。

でも皆芸達者な方ばかりで、すっごいなーと関心。
女性たちはみんなすごいテンションだし、お龍さん!?の強烈キャラには
俺たち松山に帰ってからも二人で思い出してはマネをして楽しんでます。

あれは、あれだけで十分全国回れる芸だと思う!スゴスギ(笑)

「なぜ悲しい唄を歌うの?」
「幸せだからに決まってるじゃない・・」

素敵な余韻のラスト。
彼氏くんは自分の過去を振り返りながら強く生きていく為の指針を感じてたようでした。

家族も近所の人も幼なじみも、みんなが周りを気にかけあう時代だった。
今は、そういうのをウザったく思うようになって、社会全体が他人に興味を失った。

俺も、そういう社会を望んだ一員であると思う・・・
これからはどうであるべきかと考えるけど、まだ分からない

社会からこもりたい時というのは誰にでもあると思うけど、
誰とも関わらないとそれっきりになってしまうだろう。
いまは、そう状況に簡単に陥る時代

社会のヘテロ一辺倒の世界観に、自分を肯定出来ないでいる10代のゲイは
今だって多くいて・・。

その点と点を結びつける革命的な道具としてインターネットが登場。

ネットを覗き見の道具とするだけに使うか、
点と点をつなぐコミニティへと広げる道具に使うか・・

そして俺たち先輩は、後輩たちを受け入れられる場を用意できているのか・・

描く劇に時代の変化を改めて思いながら、そんなことを考えていました。

劇団フライングステージ
http://www.flyingstage.com/top.html
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靖国のこと②

2006-08-20 00:27:48 | Weblog
靖国神社に集まる人の考え方はこんな感じです・・

先の戦争はABCD包囲網によって追い込まれた日本が仕方なく行ったもので、
日本の意地をかけた聖なる戦いであった。

戦わずして負けるは恥であり、あってはならない。
その意地のために死んだ人たちのおかげで今の日本の繁栄がある。

国の交戦権は、国として真っ当な権利であり、
それを責める不当な東京裁判は認められない・・。
自存自衛の戦いであった・・。

日本魂、その崇高なる精神を守るがために戦った英霊たちに続け!!

・・・靖国神社と言う宗教団体はそう主張している。


########

日本は自由な国だ、このように偏った考えを持つ宗教法人の存在も、
信条も、小泉の言うように自由であり、認められる
(しかし国の責任者である首相が何をしてもいい自由なんて無いのだが)

一宗教法人なのだったら、自由にしていればいい、
分祀だってする必要ない。

全部かぶって偏狭な宗教団体として存在していけば良いと思う。

しかし、靖国神社は一宗教法人では納まらず、国を挙げての追悼施設になりたいのだ。

元々の立場がそうだったから、当然だと思っている。
そんなことは認められない。靖国神社になぞ任せられない。

国は民間・軍人を問わず、先の戦争でなくなった人々を偲び、平和を祈念する
別の施設を作るべきだ。

靖国は靖国で存在すればいい、していけばいい。
でもそれは一宗教法人としてのみの存在だ。

どうしたって影響力のある宗教団体に、国家の長が参拝することは、
一宗教法人を超えた存在へとズに乗らせてしまう。

それどころか、また国が過ちを繰り返す「遡上」となっていくに違いない。

既に見え始めているではないか、急ぎ断ち切るべきだ。


過去の政治家や日本人たちが曖昧にしてきた果てが今回の靖国参拝で、
小泉首相の信じられない「ねじ伏せ論理」を許したのであろう。

靖国に集まる人々は、先の時代を懐かしく思う人々。
自分たちの生き方を間違っているとは言われたくないだろう。

戦争に負けなければ正しかったはず・・
「遊就館」とはその想い(怨念)を展示している場で、
靖国神社とはその怨念が集まっている場所であると思う。

死んだ彼ら英霊のおかげで今の日本があるのではないよね。

死んだ彼らはまさか、こんな現在の日本を思い描いて死んだわけじゃないでしょう?

当時のあの窮屈な体制が続くことを望んで死んで行ったのです。

国のために命を捨てよう!
大切な人を守るためといって命を散らす!

そんなことが立派だと言われる時代には決して戻ってほしくない。

大切な人を守るためには遠く離れちゃダメだ、近くにいなくては!!


靖国に集う人々は、戦後60年も経った今もなお、
戦争の恩給や遺族年金をもらっている人たちでもある。

経済的な恩恵を受けている点というのも見逃せない。

この恩給を今までも、また今後も継続させることを餌に
自民党の有力な集票組織となって来ていて、その上に小泉の5年も、
これからの安倍の基礎へとつながっている。

同時に自民党への強力な圧力組織として機能している。
そういうシステムが思想と金で結びつき組織を堅固にしている。

そして、今はナショナリズムを煽ることによって若者の信徒を増やしているようだ。
遺族は高齢化、若者の取込は必須だ。

何も知らない若者に偏った歴史観を刷り込んで行く。

小林よしのりのゴーマニズム宣言と安倍晋三の本が遊就館の売店で山積みに
売られていて、多くの若者が立ち読んでいた。 恐ろしい光景だった。

現代史を勉強させず、戦争が悪いとだけ教えられ、
何が日本をあの戦争へと邁進させたのか? そのことを教育せずしてきた。

そんな歴史を知らないでいる若者の隙を付け込んでいく。

初めて聞く歴史にすんなり理解しちゃうそうだ。
スポンジのようにどんどん吸収して簡単になびくのだと言う。
妙な愛国心を植えつけていく。


めちゃくちゃな主張を押し通した小泉だが、今回福田が出馬を見送った理由が見えてきた。

今回の総裁選挙において福田ら反対勢力を一掃しようという動きがあったらしい。

郵政解散を思い起こす・・

議論さえ出来ない抗争へと持っていく毎度の小泉のやり口に恐れをなした福田らは
出馬を止めたらしい。

自宅まで燃やされた加藤議員、
これも小泉の威を借る右翼が行ったそうだが、こんなことが許されていいのか?
226と同じではないか?

国民全体に対する暴挙だ。
そのことを私たちは真剣に考えなければ・・。

福田が立てなかった今、
加藤さん、今、奮い立つならば・・!そんなことを思うのだが・・酷だろうか。


最後に「遊就館」出口には感想を書くノートが数多く置いてあり手にとって見ると
8割がたは展示を肯定的にとらえ、英霊にたいする感謝が書かれていた。

2割ほどだろうか、それに反対する意見もしっかり書かれてあった。
コメント (2)
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