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ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

「インターネットと人権」で気が付くところは多い

2014-01-23 04:25:48 | Weblog
先日の松山市人権教育研究会でインターネットと人権をやった分科会
とてもいい分科会になったと参加者に好評でした。

準備をしたものにとっても頑張った甲斐がありました。
自分も委員長としてこの分科会を取り組んだので、どうにかやり遂げられた思いです。

当日は分かれたグループの司会進行をしたり、分科会の最後の感想を全体発言したりと大変でした。

研究会としても初めての挑戦となったテーマでしたが、参加の皆さんが非常に熱心に考えた時間になったのではないでしょうか。

それぞれに持ち帰って、向き合っていかねばならない課題だと思えたはずです。

インターネットが悪い、携帯・スマホが悪い・・
昔だと、映画が悪い、小説が悪い、テレビが悪い、雑誌が悪い・・でしょうか

すぐに答えや原因をみつけたいと思いがちです。

でもそれらは道具にしか過ぎません

根本は人権感覚をいかに身につけ、差別につながる行動を抑制できるかということでしょうが、今を生きる日本人のどの世代もがその術を身につけてないままに社会を構築してしまっています。

今回、参加150名もの皆さんが集まって、17名づつくらいのグループに分かれて話しました。

皆さんの話を聞いても、本当に放置してきている課題であったと再確認しました。

学校でも家庭でも社会でも、インターネットへの対処は何もできていません。
進化に追いつけないのです。

年配の方には今の子どもに何が起きているのかも分かっていません。
ネットを使える大人でさえも、使い方が分からず様々なトラブルを起こしています。

誰かが指導してほしいと願ってはいますが、誰もできていません。

進化に追いついて指導する、ということは大変難しいことだと思えます。
たぶん、そこは対処療法的なことでしかなく、根本的には無理なことかもしれません。

やはり、根本の人権をしっかり学び合って
これら新しい道具で人を貶めたりすることをしないよう
そういう行動をすることは恥ずかしいことだ!と互いが止めあえる社会の確立が必要です。

人権というと、どうも、女性、子ども、障害者、性的マイノリティなど
それぞれ特別な人だけが守られるためのものだという感覚があるようです。

「人権とはすべての人にあって、互いに尊重しあわないといけないこと」ということを
インターネットにまつわる人権から、多くの人が気が付けるのではないかと思えました。

日本では、噂話や人を虐げる発言をすることを暗に認めている社会があります。
日常的にありそうな、そのようなやりとりが罪との認識はありません。
実際に日本では差別禁止法はありません。

まるで、そのことさえ人生を生き抜くための、人間関係を出し抜くための「処世術」として認めている節があります。

仕事ができる、勉強ができるといったことだけでなく
いじめるとか、噂話をしかけるということでも他者より抜きんでる方法が認められている?

そういうところ、ありますよね。

それらをするのに格好の道具がインターネットです。

その道具をうまく使うかどうかは人それぞれにかかっているわけです。



2014年1月21日松山市人権教育研究会
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisei/jinken/kehatsukyoiku/jinkenkennkyuu.html

写真は当日出したレインボープライド愛媛のブースです
当日資料にもチラシを入れてもらえるなど良い発信もできました!




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