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ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

アニメ「銀河英雄伝説」に靖国を思う

2006-01-15 03:24:20 | Weblog
心の問題と小泉首相は言う。

それを言ったら侵略された国々の人だって心の問題だよ、めちゃくちゃなことを堂々と言うのも恥ずかしいことだと思うけれど、強く言い張りつづけることで状況を変えようとしているのだろう。
それに同調する日本人が増えることは危険だと思う。

戦後60年、日本は先の戦争の総括をしないままここに来てしまったと書いてきた。
靖国神社の問題もその大きなシンボルであると思う。

死んだお祖父さんも、お祖母さんも靖国には並々ならぬ崇敬を感じていたようだったが、
不思議に思うことがある、
確かに当時の日本は神国日本、お国のために死ぬことは英雄で、死んで神様になれること、
そのことが日本人として生まれたことの誇りであったのだろう。

でもその理由で戦争に容赦なく借り出され、ずいぶんな犠牲も出した。
言うならば、靖国によって殺されたようなものともいえるのに、今なお平気でお参りなんて出来るものだなと思ってしまうのだ。

戦前の時代の象徴をなぜに今も敬うのか?親族が戦死して英霊として靖国に祭られている家族は神様になって本心うれしいわけじゃないのでは?生きてこそだと恨みには思わないのかな?

靖国がお墓的な意味合いがあるとしても、まつっているのはそこだけじゃないだろう。
個々ではお寺などで戒名を作り自分のお墓もあるはずだろうし。
皆が神道になったわけでもないし。

お祖父さんが生きていたら聞いてみたいのだが・・。
死んだ人を敬う気持ちは当然だと思う。
国のために戦った先祖を思う気持ちも大切なことだと思う。
でも、なぜそれが今なお靖国神社でなくてはならないのか?単純に分からない。

俺にはどう見ても靖国は戦争で無くなった英雄を歴史に刻むところで、平和を祈る場では無いように思う。

信じてきたものが崩壊して、アイデンティティを失った人たちが拠り所にしてきたところが靖国神社なのかなあ?そんな印象を持っている。

俺も一度訪問してみたことがあるが、昔よき時代を懐かしむ怨念めいた場所だなあと感じた。
周辺には同じような団体のイカメシイ門構えの事務所も多くて。

昔あったアニメで「銀河英雄伝説」というのがあったのを思い出した。
結構好きであの長丁場の作品をハマッテ見た。「人間の営みは・・・」に始まる定期的にある歴史講釈シーンに学生だった俺は唸ってみせられたものだった。

「銀河英雄伝説」もう古い作品だから見たこと無い人が多いのかな?
また久しぶりにCATVですべてを再放送してくれないかと思うけど、レンタル屋にあるから見ると結構勉強になるよ。

で、そのなかである危ない宗教団体が銀河の時代では偏狭の地となった地球で地下世界を作り、
いずれまた地球が宇宙を仕切る時代を復活させたいと企んで暗躍しているシーンを思い出した。

その宗教団体の元は、大昔の地球が繁栄していたころに栄華を極めていた階層の人たちが昔を懐かしんで、よりどころを探すかのように集まった団体で、宗教団体として身を潜めていたのだった。
ああ、靖国のことかあ、なんて思い出したんだ。

60年も経って遅いことではあるが、今からでも俺は無宗教の国立慰霊施設を作るべきだと思う。
中国に言われたなどと捕らえずに、60年一昔の総括とこれからの時代のためにそうするべきだ。

靖国神社は一宗教法人として今後も彼らの中でやっていけばいいと思う。
A級戦犯を分詞する必要も無い。
靖国を信じる人はそれはそれでやってもらえばいい。
信教の自由だからいろいろな考えの宗教もあるからね、と切り離してしまいたい。

小泉はこの切り離しを認めたくないようで施設の検討予算を06年度に認めなかった。
日本全体の戦争慰霊施設は靖国で十分と言うことにしてしまわなければ、心の問題、先祖を敬う日本の風習の問題とできないからだろう。

勝手を許してはならないのだが、国民の興味の無さを見透かすように小泉は言い張り続け、
現実化させていく。
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18 コメント

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なんか… (欠陥人間)
2006-01-22 04:38:25
つまらないですね

自分の意見と違う人は、決めつけて否定して…

ま、聞き流して下さいな。

論点のズレた僕の言葉なんて…
返信する
Unknown (りょう)
2006-01-22 02:31:17
>靖国神社とは何なのか?国立の戦争追悼施設建設是非関連に戻って、なぜ意見や認識の食い違いが出るのか



俺は上の円山 潤さんの



『靖国で会おう…は、むりやり死に赴かされる人々を慰めるための合言葉みたいなもの。ああでも言わなければ、あきらめが付かなかったからでしょうに。』



このコメントに全てが集約されていると思います。

で、ここが出発点だと思います。



あきらめが付かなかった人達が無理やりにでも『靖国で会おう』と言わしめた様々な想い、悔しさや諦め、残された周囲の人たちへの心配や、愛するものを守りきれるかどうかの不安、なぜ自分が行かなければならないのかという憤り等、言葉に言い表せない想いが詰まったものだと思います。

それを残された人の『軍国主義の象徴だから』なんていう軽い言葉(俺にとっては)で『国が行う追悼』の対象から外されてしまうことが耐えられません。

亡くなった方達は最後まで国のために戦った自分を、国が忘れてしまったり、状況や政情が変わったからといって勝手に想いが詰まった靖国を省みなくなったりすることに対し、どのような想いを抱くでしょうか。



時代や価値観は変わるものです。

が、亡くなった方々の価値観は亡くなった時から変わることがありません。

現状の価値観とは合わないといって(俺はそうは思わないが)、亡くなった方々の価値観を無理に現状に合わせるような事は行うべきでないと思います。

これは『亡くなった方々の人格を否定すること』だからです。

俺は自分の人格を否定されることは、何よりつらいものだと思っています。

だからこそ『物言わぬ人間』の人格も同様に尊重しなければいけないと思っています。



随分乱暴なのは承知の上であえていうと、

靖国神社に否定的な人は

①『整合性がない』

②『他者(死者も含む)の人格を尊重できない』

③『拝金主義』

のどれかまたは複数に当てはまるものだと思っています。(実際には当てはまらない人がいるのだろうが、お目にかかったことがない)

①の理由で靖国に反対する人(俺から見て)は、『過去』と『現在』と『未来』が乖離している様に見える。

本来どれも切り離せないものだ。

『過去』は事実に基づいた検証が必要だし、

『現在』は特定一部ではなく全ての事象を近視眼的だけでなく俯瞰して分析する必要である。

『未来』は過去と現在の先にあるので、未知のものであるからといって空理空論を振りかざすのでなく、『何を』『なぜ』『根拠は?』など、過去・現実との整合性を考えなければならない。

まとめると、俺の目からはこの①にカテゴライズされる人達はこの整合性に無理があり、論理が破綻しているように思う。

なので説得力がない。

②についてはこのコメントの上のほうで述べているので省略。

③については、『反対することがビジネスになる』という世界に生きている人なのでこれ以上は述べない。



①②③に関し、どれも問題がないのであれば、そこが議論の出発点になるものだと思う。

また、靖国に対する認識(事実に基づいた)はひとそれぞれだと思う。

絶対的な正義や悪がないことと同様だと思われます。

(意見のある程度は集約はできるかもしれないが、明らかに違う意見を持った人は絶対に存在するでしょう)

逆にひとつの認識や結論に対し全ての人が同じように思うのなら、そこからは『軍靴の足音』が聞こえてくるでしょう。





街宣右翼について、最初に聞いたときは

「はぁ?なんのために?」なんて俺も思いましたが、状況証拠が揃いすぎていて、状況証拠だけしかないにも拘らず『クロ』でしょう。

誰が得をして、誰が損をするのか。

損得勘定で考えればそうなっちゃいます。

実際は在日だけでなく、非常に似た形で得をする『』なんてのも一枚噛んでいるらしいです。





俺は現状を『右傾化』しているとは思いません。

戦前:テーゼ

戦後:アンチテーゼ

現在:ディテーゼに向かっているところだと思います。

戦前の右傾化に対し、同じくらい左傾化(純粋な意味では“左”とは違うのかもしれないが)のスカラーが1980~90年代にあったと思います。

右傾化に対して『敗戦』が振り子の方向を変えアンチテーゼの時代へ、それから小泉首相の登場でディテーゼへ向かっている。

そう考えているので『右傾化』という言葉は方向性は合っているのだけど目的地が違うので的確な言葉と思えません。

むしろ現在は『中道化』に向かっている時期だと思います。
返信する
Unknown (ゲイリーマン)
2006-01-21 15:31:30
靖国問題とは別にして右翼街宣車のこと、もうちょっと調べたい。



>街宣右翼のバスの中にどんな人が乗っているか分かった上での発言でしょうか。

在日がハンドル握っているんですよ。

目的は世間に『右翼』が嫌われるように仕向ける為。。。



最近そんな話をたまに聞くのですが、どうも信じ難いのですが私たちが右翼だと思っている人達は随分前から違ってるんですか?なんか途方もない馬鹿げた話のような気で笑い飛ばしていたのですが。もしかしてと思って。先日俺の記事でも取りあげたばかりでね。

もう、仕事先の周辺も毎日やって来るんですけど



もう、本当の右翼って力なくなって久しいのでしょうか?



返信する
Unknown (ゲイリーマン)
2006-01-21 09:42:49
武力を外交カードに切らない。そのように決めた国ではなかったか?そこに立ち帰らねばという強い思いがあります。一般的な国の交渉では当り前のことでしょうが、それをあえてやめるところから今の日本はスタートしていることの意味を考えたい。



さて、ちょっとこのところ本題の話から外れて来ています。どの考え方を元にして靖国を話しているのかは分ったと思います。



靖国神社とは何なのか?国立の戦争追悼施設建設是非関連に戻って、なぜ意見や認識の食い違いが出るのか

そんなことが他の読む人に見えて来る会話にしたい。



もう少し靖国を崇敬している人の想い、その想いのいわれ、などをまだまだ聞いてみたいところです。得体のしれないものと思っている人は多いと思うのです。聞かせて下さい。
返信する
Unknown (りょう)
2006-01-21 02:13:14
共感できる部分が多くあるように思います。

が、差し迫った問題、たとえば中国との領土問題などに対してどのように対応したらよいと思っているのでしょうか。

ここ10年~20年の中国の動きを見ていますか?

フィリピンから米軍が撤退するや否や、いきなり攻め込んでいます。

ベトナムに対しても同様に攻め込んでいます。

南沙諸島、西沙諸島、どのように考えているのでしょうか。



『わかりあう努力』無理とは言いませんが、現状では難しいのでは。

確かに必要な事で、怠ってはいけないと思います。

でも日本は国として十分にしていると思いますよ。

しかし相手が『南京虐殺』とか『強制連行』などでっち上げ、反日政策を採っているのでは『相手の事をわかる』ことはできても『わかり合う』のは無理でしょう。



また、永世中立国に関して色々と書かれていますが、認識が間違っているのではないでしょうか。

永世中立国といえば誰でも思いつく国はスイスです。

このスイスの軍事力、どんなものなのかご存知ですか?

最新鋭の兵器を独自に開発するし、徴兵制だし。

国民総生産の10%以上が防衛費に当てられています。

国民の5%は国・民間の軍人なのですよ。

フランス・ドイツが束になってもかなう相手じゃありません。

『永世中立国』というのはどこの国とも同盟を組まないということ。

裏返せばどこの国が攻めてきても自国のみで反撃できる国ですよって事なんですよ。

スイスの現状、地理的に見てもドイツやフランス、オーストリア、イタリアなどに囲まれ、『戦争なんか100年くらい起こんないんじゃないの?』と思えるくらい安定した地域でですよ。

まして、日本を通り越して太平洋にミサイル撃つ国(北朝鮮)とか、勝手に国境線引いて4000人以上の日本人を拉致し、帰国させる代わりに日本にいる犯罪者を釈放させた国(韓国)とか、日本の領空を飛んでいる偵察機に向かって大砲の照準を合わせる国(中国)とか、普通じゃない国ばかりがまわりにある日本で『永世中立国』なんて宣言したら、どんな事になるのやら。



理想を掲げるのは良いと思いますが、もうちょっと現状や事実をみて、現実の対応を考えなければいけないのではないでしょうか。

あなたが『平和』を唱えているその瞬間に、『大躍進時代』とか『文化大革命』などで自国民の数千万人を政策として殺した中国はガス田の採掘をやっていますよ。

ガス田の次は沖縄です。

中国の概念では『国境』なんてものは国力に応じて変化するものです。

自国民の命が『紙より軽い』中国、まして『華外』の日本人なんて…



アメリカと比べてどちらが脅威なんて誰の目にも明らかです。



強制力のない交渉ごとなんて、子供のたわごとと同じです。

正しい外交をする為には軍隊は必要です。
返信する
Unknown (円山 潤)
2006-01-20 20:11:44
 十六菊…、とても気高く洗練されたデザインです。輝く太陽を表現しているとも言われます。皇室のエンブレムとして、南北朝のころから、すでに菊と桐の二つが採用されていたようです。

 ところが、戦艦大和の艦首…突っ先にくっ付いた…あの十六菊の紋章を見るときの奇妙な違和感は、いったいどこから来るのでしょう?

 まさに、あれは絶対的崇拝、そして盲目的追従の美学、そのシンボルへと担ぎ上げられてしまっていました…日本が無条件降伏するまでは。

 本来、あんなところに付けるべき紋章なのでしょうか?



 いわゆる戦前の日本は、ヨーロッパ的視点で眺めれば、今日の北朝鮮とイスラム原理主義を足して割ったような位置付けにあったと思われます。

 米英は日本が目障りだったから叩く口実が欲しかった。誇り高き日本は、まんまと術中に嵌まり、暴発して破れた。そして今につながる。単純な事実です。



 靖国で会おう…は、むりやり死に赴かされる人々を慰めるための合言葉みたいなもの。ああでも言わなければ、あきらめが付かなかったからでしょうに。本心から喜び勇んで突撃した兵士が、果たしてどれだけいたものやら。遺族にしても、お国のために身を捧げたのだと思い込まなければ、泣き寝入りすらできなかったのでしょう。太平洋戦争を実体験した、俺の両親がそう嘆くのですから、当時の人々が抱いていた正直な気持ちがそのようなものだった…と、理解するべきです。

 明治政府ができて、天皇親政の国家体制を確立するため、国策として構築したのが天皇を神の化身(代理人?神の子?)と崇め奉ろうという…いわゆる国家神道です。

 あれは、村の鎮守の神様的神社を取り仕切る神道とは別種の神道だと考えなくてはなりません。

 例えば、靖国神社参道入り口に聳え立つ、気持ち悪いほど巨大な鳥居を目の前にすれば、国家神道の意味が解ります。

 こんなことを言うと、きっと民族主義者さんたちは、頭から湯気を立てて激怒するでしょうが、靖国の大鳥居と、ピョンヤンの金日成巨像とは、同じオーラを放っている…ということです。



 戦死された多くの兵士たち。あのかたたちの犠牲があって、わたしたちは戦争の残酷さ、悲惨さ、虚しさ、醜悪さ、そして平和を守ることが如何に大切で、平和であることが如何にかけがえのないものかを、いまこうして、知ることができます。

 戦死された多くの兵士たち。死にたくなかったはずです。悔しかっただろうと想います。だから、俺は、彼らに向かって祈ります。

 戦地に赴かず、内地の空襲で亡くなられた人たちにだって、俺は同じ想いを持ちます。だから、俺は、彼らに向かって祈ります。

 彼らに向かって祈ります。たったいま、ここで。そう…俺のPCを前にして…でも。

 靖国神社に詣でなくては、祈れないのでしょうか?…まさか、そんなことはありません。

 靖国神社など、生きている人間のためにあるのです。戦争で大勢の兵士を死なせてしまったことを、言い訳けするためにあるような存在です。あれは、決して、亡くなった人々のためにある存在ではありません。

 亡くなった人々を慰霊することは、たったいま、皆さんも俺も、ここでこの場で、すぐにでもできることです。なにも、靖国に行かなきゃ…できないことじゃありません。



 靖国神社に、連合国から“戦争犯罪人と名指しされた人たち”が祀られていることが問題なのではありません。



 もとより勝ち目のなかった戦争を起こし、戦略を誤って停戦の潮時を逃し、連戦連敗をひた隠しにして人々を欺き、嘘を吐いて多くの尊い命を戦場に散らしめ、国内においても、日常生活を破壊と混乱の渦中に陥らせ、甚大なる犠牲をもたらした……『戦争指導者』たちが、神として拝まれていることこそが大問題なのです。そこを、取り違えてはなりません。

 あんな『戦争指導者』たちを、日本人自らが断罪しないのは、どう考えてもおかしなことです。

 負け戦を指導した人間は、指導された側の国民に対して、責任を取らなくてはならない。

 東条英機の顔を見るだけで虫唾が走るという戦中派だって、たくさんいる。

 本来、日本人自らが裁かなくてはならないことだった。

 民族主義者は、そこのところが分かっていません。連合国の東京裁判とは、全く別の問題です。



 すでに自衛隊があるから認めるという思考停止的論理は、実は間違っています。

 警察予備隊→保安隊→自衛隊。

 日本国憲法を授けたのもアメリカ。警察予備隊を作らせたのもアメリカ。どっちもアメリカ。日本は言いなり。(俺は共産党員ではないが。同感だ。)今でも言いなり。そこがおかしいことを思い出して欲しいですね。

 日本は、まだアメリカの実質的占領下にあるのです。だからこそ、アメリカは靖国神社を大目に見ているだけ。

 そもそもアメリカは、現人神だと拝まれていた昭和天皇を、日本人の反米化を防止し、むしろ日本人を従順化させる材料として、処刑しないと選択しただけのことです。靖国神社や皇室を存続させたのは、アメリカが日本の占領政策を遂行するにあたって、プラスに作用すると判断したから…に過ぎません。



 蛇足ですが、京都には文化財が多いから、アメリカが配慮して空襲をしなかった…というのは間違い(うそ伝説)です。実際、1945年1月16日(東山空襲)以降、だいたい月に一度のペースで空襲がありました。文化財を直接攻撃しなかったことは確かですが、驚いたことに、8月の原爆攻撃…、投下目標都市の筆頭が何と京都だったのです!しかも、京都は、都市の規模・形状・重要性・心理的影響などから、原爆攻撃(&実験)の効果を上げるために、理想的なターゲットだと考えられていたようです。最後の大イベントのために、京都をとってあった…のかも知れません。あなあなアメリカ恐ろしや。



 日本は一日も早くアメリカから独立して、永世中立国となるべきでしょう。

 その上で、改正憲法によって自衛隊を追認するのも結構ですが、そもそも独自の防衛組織など、維持するとしても、とことん弱いもので充分なのです。戦争をしないと心に決めたのですから、強い戦力を持つ理由がありません。もちろん、核武装の必要もありません。形だけの防衛組織があれば、もうそれで良いのですから、現在の自衛隊の規模でも大き過ぎるぐらいです。

 当然、アメリカの軍隊には、これまでのご尽力に対して感謝の念を持ちつつ撤退していただき、さしあたり中国・韓国・朝鮮と、隣国&兄弟国同士として、心底から和解することが、一番の安全保障だと思います。



 繰り返しますが、日本は中立共存を貫くべきです。

 中国が軍事的脅威?…へえ…。だったら、アメリカは軍事的何でしょうね?…あまりにも脅威が過ぎて、言葉も見つかりませんよね。



 こう言うと、俺は左翼の売国奴にされてしまうのでしょうか?…ああ馬鹿馬鹿しい。

 俺は左翼でも右翼でもありません。いまごろ、まだ左だ右だと言っている人たちの感覚は、単なるセンチメンタリズムにほかなりません。



 中国の一党独裁は、社会主義ではなく、共産党幕府の封建体制です。アメリカは、自由主義ではなく、軍国主義そのもの。

 どちらも、ろくなものではありません。しかも、この両者は、遠からず決定的対立の場面を迎える危険性があります。



 中国の民主化、アメリカの脱軍産支配、これらが望まれますが、いずれにせよ、日本は独立&中立の姿勢を貫き、真の国益を守るべきでしょう。
返信する
Unknown (りょう)
2006-01-20 03:27:28
俺は別に積極的に戦争をするとか、戦争賛美する気なんてありません。

また戦前の日本が『正しい』なんて思っていません。

他に手立てがない場合、『武力による解決もやむなし』とは思っています。

ですが、それまでに色々な解決策を探るのは当然と思いますし、そうすべきと思っています。



>北朝鮮などは、憎むべき日本帝国と矛先にしながら、自分自身が同じような体制になってしまっていて、なんともなところですね



全然違うと思いますし、非常に憤りを覚える発言です。

なぜ北朝鮮と日本が同じだと思われるのでしょうか。

どこを見てそのように思われたのでしょうか。

『歴史の事実』を少しでも紐解いてみれば違う事は明白です。

『戦後教育の一番悪いイメージをそのまま鵜呑みにした』発言だと思います。



>また、靖国が世界にどのように平和を訴えていけるか?という質問を前回しましたが、今後の未来において靖国が受けいられていくためには必要なテーマではないでしょうか。



事実に対する認識が俺とは違います。

『靖国が受け入れられていくため』というところがそもそも…なんて思います。

受け入れられていない前提はどこから出たのでしょうか。

靖国は戦前・戦中・戦後を通じて『受け入れられていた』もしくは『興味がない・どうでもいい』(戦後に多い)という流れがあり、その流れに掉さしたのが『受け入れられない』という人たちじゃないのでしょうか。

具体的には『問題』など存在しなかったものを朝日新聞が『問題』を作ったのです。

とても言葉が悪いのですが、

火をつけた人間が「みんな火事だぞ!あぶないぞ!」と注意喚起しているような印象を受けます。



>靖国とは別議題で話したい憲法9条の問題ですが、結果結論を早く導こうとすると武力解決になってしまうと思います。それは短絡的です。

最後の最後であっても武力を解決に使わない、そんな恐ろしい命題を解くのだと言う覚悟がいるでしょう。



軍隊は外交力を構成するひとつの要素です。

そのことに気付いたから軍隊が必要と皆が気付いたのではないのでしょうか。

『軍隊』があることと『戦争をする』というのはイコールではありません。

軍隊じゃなくても『戦争状態』になることは多くあります。

軍隊があっても戦争にならないこともまた同じくです。



>「ならず者」の話もアメリカは大国ながらどーんと構えず先制攻撃をしました。世界平和の上で今世紀初頭の最大の罪だと思います。それはブッシュの罪であり、それを認めるアメリカ国民すべての罪です。



俺もそう思いますが、全ての原因がアメリカにあるような考えには納得しません。

『アメリカに罪がある』ことと『アメリカが100%悪い』ということの間には天地がひっくり返るほどの違いがあります。

俺は前者にはイエス、後者にはノーと思っています。

この違い、世論調査でよく利用されるところですよね。



>拉致被害者の話をもって武力化を肯定する意見は右翼の街宣車でもよく聞く言い回しです。



街宣右翼のバスの中にどんな人が乗っているか分かった上での発言でしょうか。

在日がハンドル握っているんですよ。

目的は世間に『右翼』が嫌われるように仕向ける為。

100%とは言いませんが、世間から嫌われる行動で支持を集める事は難しいことは誰の目にも明らかです。

『世界で唯一成功した社会主義』といわれる日本でのとんでもない特権を失わない為のものです。



>でも被害者家族から経済制裁を望む声は聞きますが、武力解決しろなどと聞いたことはありません。



当然です。

戦争が目的ではないのだから。

戦争によっての日本の不利益はあっても利益はありません。

『北朝鮮に攻め込め』なんて言い出したら他人の共感は得られません。

そもそも俺は『北朝鮮と戦争すべき』なんて思っていません。

スウェーデンやレバノンの例でも実際に武力行使したなんて書いてないでしょ。

あくまでも『圧力』としての話です。

もちろん解決できなければ武力行使やむなしですが。



>しかし、その利用には相当な歯止めを作っておく必要があります



びっくりしました。

ゲイリーマンさんって、極論ですが、『自衛の為の戦争』には消極的ながらも賛成できるのですか?

何が何でも『武力行使反対』『自衛隊反対』な方だと思っていました。

自衛隊の存在現実に『ある』のだから認めざるを得ないし、また暴走を防ぐ為に憲法に明記する点は俺も同じ考えです。

が、“利用”まで同じとは思えませんでした。

それともこれは単なる揚げ足取りでしょうか。



>平和ボケにあるように責任感にかける世界における日本の立場というのは、本当に日本人はもっと考えなくてはいけませんね。でもその答えが即座結論の武力行使であっては決してあってはならないのです



俺も全く以って同様に思います。

でも、結論のない問いというものも存在します。

結論がないものをあるものと同様に扱う事は避けねばならないことだと思います。







ゲイリーマンさんに対する認識、誤ってました。

いわゆる悪い意味で言われる『左翼』(売国)の人のように思っていました。

すみません。
返信する
Unknown (ゲイリーマン)
2006-01-20 00:37:44
カトリックやイスラムのように他の価値観を認めないと言う考え方が戦争を永遠に続けさせていると俺も思ってきました。



ゲイが生きるうえで多様性は重要なことである。このことはこのブログでも再三にわたって書いてきたことです。

キリスト文化の流入によるゲイ差別のくだりも、日本に生まれての部分などは同じ思いです。



ゲイでありながら靖国を擁護するというのがイマイチ理解できずにいたのですが、共通点を感じる部分を見つけられてホッとしました。

神道と多様性の話、俺も同じように考えていましたよ。八百万の神を信じた日本だからこそ日本は過去いろいろなことを海外から吸収して来ました。俺の中では靖国ともともとの神道とは別物だろうと思いたい感覚があります。明治以降で靖国とか軍神という考えかたを神道側が受け入れた?ところから滅茶苦茶になってしまったと思うのです。あれは古来からある国民に根ざした神道を利用して勝手に軍部などが推し進めたのではないですか?

靖国神社が国民を支配した訳ではないでしょうが、為政者の感覚にあったことを神道もあわせて相乗りしたわけで、同じこととだと思います。

俺も日本人であるからか、氏神様や伊勢神宮などには思いよせがあるのですよ。文化と歴史、自然、古里を大切にしたい気持ちでしょうね。神社本庁って靖国とはどのような距離にあるのでしょうか?一緒にするとおかしくなるように思うのですが。当時の為政者の宗教利用に甘んじた?そのことは罪深いことです。

さて、今回の話の靖国に戻りましょう。



>ゲイリーマンさんの理想とする社会は、同じ価値観、同じ考えを持つ、「全員が軍隊」のような社会に思えてなりません。



ちょっとこの発言にはあっけにとられますよ。どうしてそのように読解できるのかな。



それどころか、靖国の時代こそ、まさに同じ価値観、同じ考えを持つ、「全員が軍隊」のような社会であった訳でしょう?それに対する強い拒否感が俺の思う靖国そのものです。



靖国に注意を!と喚起する俺の意識の根源は、靖国の時代のように、また戦争は多様性を失わせてしまう、そうなっては俺たちゲイはひとたまりも無いのだという強い危機感からです。靖国の時代がそうではないというなら過去の歴史をどのように認識しているのか。なんか答えを聞くのが末恐ろしいものを感じますが。



北朝鮮などは、憎むべき日本帝国と矛先にしながら、自分自身が同じような体制になってしまっていて、なんともなところですね。



また、靖国が世界にどのように平和を訴えていけるか?という質問を前回しましたが、今後の未来において靖国が受けいられていくためには必要なテーマではないでしょうか。



靖国とは別議題で話したい憲法9条の問題ですが、結果結論を早く導こうとすると武力解決になってしまうと思います。それは短絡的です。

最後の最後であっても武力を解決に使わない、そんな恐ろしい命題を解くのだと言う覚悟がいるでしょう。理想云々という意見もよく聞く話ですが、「武力解決の答えありき」には決してしてはならないと思います。



先の戦争で1000万の国民が犠牲になり国中を焼け野原にされながら、60年前の日本人はすべて戦争が悪いのだとアメリカを恨むこともやめ、憎しみの連鎖を断ち切るという世界でも考えられないような崇高な考えにいたったすごい国なんですよ。そのことに誇りを持とうじゃないですか?

現在の憲法も事情が変わったからと簡単に変えてはいけないのです。



「ならず者」の話もアメリカは大国ながらどーんと構えず先制攻撃をしました。世界平和の上で今世紀初頭の最大の罪だと思います。それはブッシュの罪であり、それを認めるアメリカ国民すべての罪です。



拉致被害者の話をもって武力化を肯定する意見は右翼の街宣車でもよく聞く言い回しです。でも被害者家族から経済制裁を望む声は聞きますが、武力解決しろなどと聞いたことはありません。



自然権として防衛の為の武力はもって当然だろうという考えは分かります。自衛隊も憲法に明文化すべきかと思っています。しかし、その利用には相当な歯止めを作っておく必要があります。「ならず者」に対しても毅然と接するようにしたいものです。



平和ボケにあるように責任感にかける世界における日本の立場というのは、本当に日本人はもっと考えなくてはいけませんね。でもその答えが即座結論の武力行使であっては決してあってはならないのです。最近の右傾化した傾向、判断の流れに相当な危機感を感じています。60年も経つと戦争の過ちも薄れてしまうものなのでしょうか?結局、そうやって人間は戦争に打ち勝つことが出来ないのでしょうか?難しい命題を考えるときは今です。



靖国に戻ります。靖国神社を敬う人がいる以上、存在否定はしません。多様性は認めなければなりません。靖国は一宗教団体として御霊をちゃんと守っていていいのです。わだかまりの無い追悼施設が出来、そして靖国は靖国で存在していいのです。



そのときに及んで中国などが「靖国という宗教団体の存在を認めている国は許せない」などと言おうものなら!俺も許しません。



さて、このブログにはYahooにミラーブログがあります。今回のやり取りを多くの人に読んでもらって考えてもらえたらと思いますのでリンクを張ろうと思います。少しでも興味を持って読んでくれる人がいるといいですね。



こちらのブログです。

http://blogs.yahoo.co.jp/deep8822

こっちの方がいろいろ読みやすいかもしれませんけど。

返信する
理想と現実 (りょう)
2006-01-19 01:34:16
ゲイリーマンさんの主張、俺もよくわかりました。

理想としてはとてもいいもので、非の打ち所がないように思います(というより俺もそうだったらいいなと思う)。

でもいささか現実離れしているように思いました。

『戦争反対』と声を上げるのは結構ですが、それで解決するのならいいのです。

皆がゲイリーマンさんのような方だったら問題ないのですが、現実はそうじゃない。

色々な人がいるのです。

色々な民族ががいるのです。

勿論色々な国も。

人の数だけ利害の対立があります。

それを話し合いで解決できればいいのですが、話し合いができない世界に『ならず者』が住んでます。

話し合いができないならず者には、最終的に拳を振り上げるしかないのです。

自分を守るために、また自分が守りたいものを守るために。



人間の多様性を認める社会とはそんなものだと思っています。

ゲイリーマンさんの理想とする社会は、同じ価値観、同じ考えをもつ、『全員が軍隊』のような社会に思えてなりません。

とても厳しい条件の下でしか現実にできないような気がします。



理想はとても大事なもので、『人間たるゆえん』であるものと思います。

しかし、現実に生きている我々は、日々過ぎていく生活の中で『落としどころ』を探りながら、言葉をかえるなら、『結果』『結論』を出さなければいけません。

考えがまとまっていようがいまいが、納得できようができまいが、です。

現実は待ってくれません。



上のコメントで出した拉致被害者の問題でもそうです。

曽我さんのお父さんは曽我さんに会えたからいいようなものの、その他の被害者の家族も高齢化しています。

そんな中で、「今話し合いのテーブルについてもらうために交渉中」とか「北朝鮮が内部崩壊するまで待って」とか言えるのでしょうか。

代わりにどのような納得できる解決案を提示できるのでしょうか。

理想を家族に語ったところで、問題の解決につながるのでしょうか。



皆を大切にするとか人の命は地球より重いなんていう意見がありますが、それは結局自分が悪者になりたくない・悪者になるかもしれない状況に陥りたくないという逃げ口上だと思います。

また、目の前の困っている人ではなく、理想の世界の誰かの話をしているように思えます。

目の前の困った人に手を差し伸べられない、そんな理想ならいらない。

『議論して』なんて言葉もそれに近いように思います。

理想をぶつけて現実問題が解決されるならそれでいい。

しかし、持論をぶつけ合いスッキリするだけの議論は何の意味もありません。

結論が出ても出なくても、やらなくてはいけないものはやらなくてはいけない。

それが責任です。

そういった意味で、落としどころの出ない『議論』を語る人たちは無責任です。



限られた寿命の中で、人は生きています。

未来の幸せな生活よりも、目の前の一切れのパンの方が大事な人もいます。

人の数だけ幸せの形は違い、それぞれに優劣はありません。

そこを履き違えたのがソ連であり中国であり、共産主義であり社会主義ではないのでしょうか。

『皆で共通の幸せを求める』

為政者は国民に対して平等の幸せを求め、自分は贅沢を求める。

人の命は等しく軽く、自国民を何千万人虐殺しても反省の色一つ見せない。

国が傾く・消滅するのも道理です。



人の命と人権(多様性)が何より大切なものであると思う俺は、日本国民全員に必要なのは

『戦後の総括』『反戦平和』などではなく

『多様性を認める』ことと『責任感』をもつ事、

この二つだと思っています。



ゲイリーマンさんは神道にいいイメージがないようですが、俺は逆のイメージを持っています。

神道(多神教)ということは、八百万の神がいるということ。

さまざまな価値観を認めることです。

一神教の宗教は他の価値観を認めない。

『ゲイ』の存在にしても、カトリックやイスラムをみるとひどい扱いです。

日本がゲイに対しての認識が厳しくなったのは、明治時代から。

すなわちキリスト教の文化が流入してきてからではないでしょうか。

すごく乱暴で大雑把な話の展開ですが、俺はそう思っています。

その点だけでも、神道(多神教)の影響がまだいくらか残っている日本で生まれて、生活できて、俺は幸せだと思っています。
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Unknown (ゲイリーマン)
2006-01-18 23:06:58
だいたい意見の違いが見えてきたかな。



俺は「戦争やむなし」という考え方には組しません。靖国を擁護する人の結局のところはこのことにいきつくのだと分かりました。「あっという間に解決です・・」にあるように武力をもって解決する考え方なんですよ。そしてそれを肯定する。靖国の意味を考えればそりゃそうだよな、と妙に合点がいきますが、俺は認められない。



>>「靖国で会おう」と言って死んだ人たちは当時の軍国日本の体制を認めていた人たちです。



>逆で、認めていなかった人たちは、共産党員ぐらいなのではないでしょうか。



そのとおり、あの戦争は国民全員が起し邁進していったものです。そのことを恥じて反省して、過ちは繰り返さないぞと60年たった今こそ、そこを再確認する必要があります。繰り返してはならないのです。



人間の営みは戦争の歴史、でもその憎しみの連鎖をたつことを荒廃の中、日本人は気がついたはずではなかったか?戦争があるのが前提の世界ではあまりに最先端の考え方なんでしょう。でもそこに私たちは気がついたはず。



戦わなくてはならないときもあるのだ!という言い訳は決してしない中で考え抜くべきなのです。事なかれ主義、そういった言葉で戦争に巻き込まないでください。そうやって先の戦争も突き進んでいったのですよ。



武力をもって解決しようとすれば武力によって仕返しをされます。

俺はこのブログを通じてそのことを訴え続けます。



戦争の総括とは、国民全員があの戦争に加担していたことを反省するということです。そのことを曖昧にした象徴が靖国ということです。



後は細かい揚げ足取りだけになるところまで主題の意見相違は出たと思いますが、世界平和のために靖国神社という宗教団体はどんなことが出来るか?しているか?そんなことも知りたいです。







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見解の相違 (りょう)
2006-01-18 16:31:43
>靖国を議論しているのは右翼と創価学会だけとかいった雰囲気に辟易し国民は考えてこなかったのかもしれませんね。



俺はこの意見、部分的に賛成できますが、ちょっと違うと考えています。

創価学会には賛成ですが、もともと議論を始めた(というより煽った)のは左翼と考えています。

理由としては、今言われている『A級戦犯』が合祀されている云々…というのは朝日新聞が言い出したからです。

この経緯については



ttp://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri/index.php?eid=277



こちらに詳しく書いてあります。





>戦前の国家神道による国民支配をした靖国の存在を認める気には到底なれません



朝まで生テレビなどでよく同じようなことを聞きますが、いまいちピンと来ません。

神道というのはあくまで宗教(?)のひとつであって、権力を持った為政者ではありません。

『神道を使って』とか、いわゆる『道具』として使っていたのならなんとなく分かるのですが。



>。「靖国で会おう」と言って死んだ人たちは当時の軍国日本の体制を認めていた人たちです



逆で、認めていなかった人たちは、共産党員ぐらいなのではないでしょうか。



その共産党員でさえ(他の政党も全て)、A級戦犯の釈放についての嘆願書(?)をサンフランシスコ平和条約の締結の前後の出しています。

絞首刑になった人たちはもとより、釈放された人についての罪(俺はないと思っているのですが)は償われたのです。

また、A級戦犯合祀後も数年間誰も異議を唱えていません。

もちろんその事実を知らなかった人もいるでしょうが。



靖国参拝に関して、もともと何の問題もないと思っています。

それが証拠に、中曽根までの歴代首相が参拝しても問題にならなかった。

それが、『A級戦犯に参拝はけしからん!』→『靖国参拝けしからん!』と話が大きくなったことの裏には、何かがあり、誰かがいて、どこかの国の思惑があると俺は思います。



>戦争を行わない強い意思とはスピーチで言うことだけでなく、汗をかくような平和や貧困の解決に対する貢献が出来ていけないものか?



戦争はないほうがいいと思いますが、『戦争をしないこと』を目的にするのは、事なかれ主義の究極の形と思います。

たとえば拉致問題。

いろいろな国の人間を拉致している北朝鮮に対して、

スウェーデンは『戦争してでも取り返す』

レバノンは『無差別テロを仕掛ける』

あっという間に解決です。

国というものは第一に国民の生命を守る義務があり、またこれは権利です。

現状をみると『一国平和主義』で解決しないのは明確です。

中国にしろ、朝鮮半島にしろ、民族が違えば何もかもが違います。

日本の中では『話し合えば分かり合える』のかもしれませんが、『話し合いで問題を解決する習慣』がない国や民族に対しては『戦争やむなし』だと思います。

曽我さんのお父さんは運がいいほうで、その他の被害者の家族に「(ゴールが見えないけど)話し合いで解決しようと思っているから待ってて下さい」なんてヒドイ話でしょ?



>しかし靖国が擦り寄ってくるからまいったなーという感じでしょうか?



靖国神社(の宮司の偉い人なのか、支えている信徒なのか分かりませんが)がどのように擦り寄っているのか、俺には見えません。

逆に俺には物言わぬ靖国神社がサンドバッグに見えてしまいます。



>靖国の存在否定はしません、一宗教団体として存在し続けるわけにはいかないですか?



『ただの宗教法人じゃないですか!』

というのは簡単ですが、ゲイリーマンさんの答えになっていませんよね。

俺は現状(総理の参拝・戦没者の慰霊する施設としての位置づけ)が一番と思うのですが…

でも賛成・反対の人の理由を列挙してみないことには始まりません。

その結果、全員が納得というわけにはいかないでしょうが、多数の支持を得られる形をとるのがベストだと思います。

で、決まったあとにはごちゃごちゃさせない(訴訟や何やで)。

もちろん意見は自由ですが。





俺は自分の意見をまとめるのがすごく苦手なので、『揚げ足取り』のような形になってすみません。
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Unknown (ゲイリーマン)
2006-01-18 00:20:10
靖国の問題は一般の興味の無い人にはまったく分かりにくいことだと思う。こうやって情報を出し合っていると良く読む人には論点が見えてくるだろうし、新しい発見もあるし参考になるんじゃないかな?

でもややこしいから嫌になるでしょうね。



俺の言う総括にはめんどくさがらずに皆がこの問題に向き合うべきだという意味もあります。靖国を議論しているのは右翼と創価学会だけとかいった雰囲気に辟易し国民は考えてこなかったのかもしれませんね。



靖国が生き残りをかけてさまざまな国々の指導者や宗教者に参拝を働きかけているとは聞いてました。国民が曖昧にしてきたことがつけこまれているのです。この靖国の問題を曖昧にしてきたことが戦後の汚点だと思っています。俺は特にどこの宗教にも属してないので見えることもあります。



戦前の国家神道による国民支配をした靖国の存在を認める気には到底なれません。「靖国で会おう」と言って死んだ人たちは当時の軍国日本の体制を認めていた人たちです。言うならば戦争に巻き込んでいった人たちです。その想いは国を守ることだったにせよです。



潔癖な政教分離については同意です。先に出た首相が七五三や初詣のことを触れただけでもだめか?ということまでの言い合いはやめたい。でも国家神道の象徴である靖国と伊勢神宮を同列にするか?というと違うと考えます。日本の歴史も大切にしたい気持ちもありますから。



でも明治以後、神道の宗教者が国教として祭り上げさせたところから訳が分からなくなりました。言うなら靖国と土着の氏神様、ここは多分日本人の多くが分裂した気持ちにさせられています。



戦争を行わない強い意思とはスピーチで言うことだけでなく、汗をかくような平和や貧困の解決に対する貢献が出来ていけないものか?そしてそれがもっとアピールできないものか?と思っています。そのことで誇らしい日本を示したい。



大東亜を解放させる戦いと言うことについても、今となっては武力をもって行ったことで恥じるべきことかなと思います(当時では欧米もやってる至極当然のことをしただけなのですが)。恥じるといっても武力で解決いようとしたことについて今後は行わないと言う反省であり、戦争の賠償を行い続けると言うことでは全く無い。



ここは、小泉も気がついているアニメやドラマの日本文化の輸出でソフト的に外国に日本を知ってもらうとかで現状の軋轢は若い世代の成長に合わせて無くなっていけばと期待しています。



でまた、現在の天皇は靖国には行かないと思う。去年の東南アジア慰霊の旅を見てすごく距離を置こうとしていることが見てとれます。しかし靖国が擦り寄ってくるからまいったなーという感じでしょうか?



新たな国教、そんなものは認められないですよね。でも靖国自身が、国立の慰霊施設に自らがなれないかと虎視眈々伺っているのではないですか?時計を元に戻すわけにはいきません。



靖国の存在否定はしません、一宗教団体として存在し続けるわけにはいかないですか?



私はこのやり取りを楽しんでやれるほど飄々とはしておりません。でも、靖国を擁護する人たちの意見を聞いて見れるいい機会ととらえています。このやり取りなどをまとめる形でいずれ記事を書いてみられたらと思っています。色々教えてくださいね。
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ウザかったらごめんなさい (りょう)
2006-01-17 01:51:03
>靖国で他の宗教を信じる人が追悼しに行こうとは思わないでしょう?



それはちょっと違うのではないのかと思います。

一番最初のコメントで挙げたアーリントン、違う宗教の人も訪れていますよ。

おそらく靖国で『宗教』を本気で叫ぶ人って、創価学会をはじめとした『カルト宗教』と言われる宗教の信者であると俺は思っています(ゲイリーマンさんがどうかは置いといて)。



>他国の指導者も行きにくい



他国とはどこの国をさしているのでしょうか。

靖国には行かないと言っているのは、中国、韓国、北朝鮮の三国のみ、外には聞いた事はありません。

逆に参詣した国家元首は数知れず。

東南アジアの国家元首は普通に参詣していますし、戦時下、朝鮮系日本人(併合中なので)とは違い、明らかに差別されていた台湾の総統でさえも参詣していたんじゃなかったかなぁと思います。

最近ではブッシュが参詣しようとしたのを外務省が『中・朝・韓が騒ぐから』といって止めさせているほどです。



>潔癖な政教分離は靖国に対してだけで十分



俺は逆と思っています。

戦死した方々は『靖国で会おう』と言っていたようです。

だったら、靖国神社で慰霊を行うのが筋。

亡くなった方の意向を無視して、勝手に別の施設を作って、『戦死した方々は今日からこっちで祭ります』なんて、死者を冒涜しているに等しいと思っています。

靖国が嫌な人たちは、募金でもカンパでもして、自分達で施設を作ったらいいのではないでしょうか(税金を使うのは大反対)。

何より『遺族会』の意向を踏まえないなんて、それはいただけないのではないかなぁと思います。

『神道』は生活と密着して、もはや宗教とは呼べない代物なのではないでしょうか。

首相が11月に「もうすぐ七五三だね」なんて言ったとしても、そこに宗教の臭いを感じないのではないでしょうか。

もちろん逆に生活慣習に溶け込みすぎているのを見て、『宗教じゃん』なんて思う人もいるかもしれませんが。

俺は逆に、新たな追悼施設なんかで『国教』が生まれてしまうことのほうが怖いと感じます。



>総括とは、戦争を決して行わない起させないという強い意志を再確認することかなと思う



これは毎年のように行っています。

最近では、マレーシアだかどこだかの会合のテーブルで首相が演説しています。

それに対して、中・韓以外の国は、

『まだそんな事言っているの?いつの時代の話?』

という反応が。

東南アジアをはじめ、中国や韓国の首脳がいる席で行ったスピーチ以上に何か良い手立てがあるのか、俺には想像がつきません。

国内に関しては、何度も昭和天皇・今上天皇が表明されているのでいまさらだと思います。





俺はゲイリーマンさんとのやり取り楽しんでいますが、ゲイリーマンさんはどうか、他の読者の方達はどうかと、ふと思いました。

このやり取り、こちらのブログの雰囲気を壊すようであれば、削除してください。
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Unknown (ゲイリーマン)
2006-01-17 00:14:39
靖国で他の宗教を信じる人が追悼しに行こうとは思わないでしょう?他国の指導者も行きにくい。潔癖な政教分離は靖国に対してだけで十分。総括とは、戦争を決して行わない起させないという強い意志を再確認することかなと思う。世界にそれを示し続けることが日本人の誇りとなりはしないかと考えています。靖国神社は一宗教法人として今後も彼らの中でやっていけばいいと思う。

A級戦犯を分詞する必要も無い。

靖国を信じる人はそれはそれでやってもらえばいい。ここにつきるかなー 日本人の中にも色々意見はあるし、それはそれぞれ尊重されていけば良いと思うんだ。そういうものを信じている人もいるということにしてもらわないとね。
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なるほど! (りょう)
2006-01-16 17:31:12
国立の追悼施設を建設するのなら、憲法改正が必要になります。

『慰霊』という目的があるのなら必ずそこに『宗教』が絡んでくるからです。

献花するとか、頭を下げるとか、どのような形であれ現在の政教分離の原則に違反します。

現行の靖国神社に参拝する事に関しては、『違憲判決』が出たことはありません。

もちろんこのような制度の話ではなく、日本人としての『心の持ちよう』が最優先されるべきであり、それを実現する為に法律があり、政府があります。

俺は、ゲイリーマンさんの主張は理解はできますが、納得はできません。

違う人間だから当たり前なのですが。



>戦後60年、日本は先の戦争の総括をしないままここに来てしまったと



戦争の総括とは、何をさしているのでしょうか。

戦後60年たって、そろそろ太平洋戦争当時の資料なんかも開示されるでしょう。

それに伴い、イロイロな議論が起こるでしょうが、国が国民に向けて何か『結論めいたもの』を出す事ならば大反対です。

もともと日本の文化にはそのような事を行う習慣はありません。

日清戦争にしろ日露戦争にしろ、総括を行うのなら全ての歴史を検証すべきです。

また、その結果がどのように歴史的に波及していったのかも含めて。

しかし、引き合いに出されるのは必ず太平洋戦争のみ。

で、その結果が引き起こされたこと(アジア・アフリカの独立)についてはなんら語られることはない。

俺はこのことについて、非常に意図的なものを感じます。

全ての歴史は相互に関連性があり、決して断面ではかることはできません。

また、現代の尺度で過去を断罪するのも想像力に欠けた行為だと思います。

それを踏まえたうえで、『過去の総括』というのであれば、基本的に反対ですが、個人的にはちょっと興味がわきます。
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Unknown (ゲイリーマン)
2006-01-16 01:04:07
コメントありがとうございます。俺も中国の態度にはぞっとしたものを感じます。今のアメリカの態度も相当ですが、中国はもう・・。今回の主旨は中国との関係でもなく、自分たち日本として慰霊施設を靖国だけに任せる訳にはいかないと言うことです。
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訂正 (りょう)
2006-01-15 22:49:41
『ウェリントン墓地』じゃなく、アーリントン墓地ですね。



…出直します。
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はじめまして (りょう)
2006-01-15 19:48:33
俺はゲイリーマンさんと違った意見を持っています。



靖国参拝に関しては、まず国際と国内との問題に分ける必要があります。

参拝反対派の人はこれをごっちゃにして、歴史背景や国際慣習・条約を見ずに、感情だけで話を進めてしまいがちです。



国際関係に関しては、中国辺りが何を言ってもこれは全て『カネ』の問題です。

『心に深く傷ついて~』なんて建前です。

それは、どの外国の要人がアメリカのウェリントン墓地に参拝しても中国が不満を表明した痕跡がないことから分かります。

ウェリントン墓地は、朝鮮戦争で亡くなった米兵も祭られています。

中国では朝鮮戦争は、『アメリカの侵略戦争』と位置づけています。

という事は、そこに祭られている米兵は戦犯なのではないでしょうか。

ならばなぜ靖国だけが問題になるのでしょうか。



A級戦犯というのなら尚のこと。

東京裁判・サンフランシスコ平和条約と中華人民共和国はまったくつながりはありません。



第二次大戦後中国はモンゴル、チベットを占領し、ベトナム、フィリピン、朝鮮などへ攻め込んで戦争になっています。

現在は日本に対して攻め込んでいます。

日本には『9条』があるので戦争にはならず、ただ一方的に領土・領海が奪われています。

このことに対して中国は戦争の総括をしているのでしょうか。

また中国の教科書にこのことは一行たりとも書いていないようです。



つい先日中国は『日本のメディアは不当に中国の事を批判している。政府が的確に指導すべき』と伝えてきました。

インターネットの普及で朝日新聞などの既存メディアが『嘘』をつき続けてきた事が明らかになりました。

『南京虐殺で30万人の人間が殺された。』

『日本軍が強制連行し、従軍慰安婦似させられた』

これらの嘘が明るみになり、中国に対する正当な評価が下されるようになったとたんに、このザマです。



中国は『日本の首相が靖国参拝するので首脳会談はできない』と言うが、民主党の前原代表のように靖国参拝に批判的な人間でも、中国の首脳とは会えなかった。



このような中国の言い分を正面から受け止められるでしょうか。



中国が欲しいのは『カネ』

そのために靖国参拝廃止(中国の言うことを聞け!)と言っているのです。

決して『心の~』なんてものではありません。



国内問題としては、賛否両論あるでしょう。

俺は参拝賛成派ですが、反対の意見があってもいいと思います。

日本は民主主義国家で、中国・北朝鮮・韓国と違うのですから。



いきなり長文ですみません。
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