「劇場」 又吉直樹 208頁
面倒くさい男である
まだるっこしい男である
主人公の劇団の脚本書きの永田:又吉は奇跡の様に付き合えることになった恋人の沙希がディズニーランドに行きたいという要望にこんなセリフを吐くのだ
「おれは自分で創作する側の人間やからディズニーランドで
好きな人が楽しんでるのを見るのは耐えられへんねん」
「どういうこと?」
「他の劇団の公演を女と一緒に行った劇作家が、自分の好きな女が自分じゃない外のやつの書いた劇に感動してるのを見て、幸せだな・と思ってたらアホやろ?」
この視点は凄い、と思ったさすがに又吉だ、
嫉妬する相手がウオルトディズニーでディズニーランドとは
彼に書かれて男とかクリエイターはこんな気持ちやこんな目で確かに世界を見ていることがあるのだ、と気づかされた
男達はみな こんな風な道を通ってきている
この永田:又吉が好きか、嫌いかという仕訳は自分という存在の中の又吉成分が好きか、嫌いかを問うことでもありあまり意味を成さないのだと思う
むしろ許せるか、許せないかという問いの方がこの本を読む際は有効かもしれない
クリエイターの道だけではない、あるものは世界最強を目指し、あるものは大金持ちを目指し、あるものは文部科学省次官を目指すのである
男子だけではなく女子もそうなのかもしれないが男子の方がより、この業は深いように思える
又吉の書く小説は純文学と言われているが文芸という方が僕にはしっくりきた
物語の盛り上がりや、読後の思索の深さよりも彼が創作に求めているのは、前に引用したように文章で切り取った彼の目線で見た世界の捉え方のような気がする。
「おれはこんな風にしか世界を見ることがでけへんねん。
じぶんでもメンドクサイことわかってるけど、こんな生き方しかでけん この物の見方こそがおれの製作物の根源なんや、表現なんや 」と
本当にめんどくさい、愛すべき男である