ディンボチェの村 Dingboche village
エベレスト街道トレッッキング(10) ディンボチェへ Everest Trail Trek (10) To Dingboche
第5日目: 4月1日(水)
行程: タンボチェTengboche(3860m) → デボチェDeboche(3710m) → パンボチェPanboche(3930m) → ショマレShomare(4010m) → ディンボチェDinboche(4410m)
行程距離: 約10km
タンボチェを出発する朝は、エベレストを始め、ヌプツェ、ローツェ、アマダブラムの山々をはっきりと望むことができました。
エベレスト山系の景色
この村を7時半ころに出発しましたが、しばらくは下り道のトレッキングでした。デボチェの集落を過ぎてまもなく、街道の右手に荷物を背負った多数のゾッキョが佇んでいました。ここはゾッキョの宿営地で、出発の準備をしているようでした。
ゾッキョの宿営地
ここから更に下ると、イムジャ川(Imja Khola)が現れました。イムジャ川は、下流のプンキテンガ付近で、ドゥドコシ川に合流します。多数の岩石が連なる河原の奥の方には、アマダブラムの雄姿が見えました。
イムジャ川の河原
ここで吊り橋を渡ると上り道となりましたが、午前中は青空に映えるアマダブラムの景観を常に眺めることができ、ヒマラヤ・トレッキングの素晴らしさを味わいました。
パンボチェへの山道の景色
11時過ぎ、パンボチェPangbocheに着いたとき、ロッジがありましたので小休止をしました。
パンボチェ・ロッジのテラス
ここで、47歳のオランダ人男性との出会いがありました。彼によると、ベース・キャンプ手前の5000mの地点で風邪を引いたために、そこから引き返して来たということでした。エベレスト街道にはいろいろな危険が潜んでいることを実感しました。
トレッキングを続行して2時間ほどで、ショマレに到着。丁度昼時になったので、カレーライスとミント・ティーのランチを取りました。どんぶりに盛られたカレーにはポテト、ニンジン、キャベツなどが入っていて、程よいコクがあったので、ネパールのパサパサのライスでも、美味しく食べられました。
ランチのカレーライス
ショマレで遂に、高度4000mを突破しました。4000mの標高では、気圧が平地に比べ約6割、つまり酸素量も6割に減少します。ここからディンボチェに向かう道は厳しい登りが続きますので、どんどんと酸素が少なりますので、一歩一歩ゆっくりと歩くように心がけました。この道筋の周辺には、ハイ松が茂っていました。
高度4000m付近の山道
道中で、二人連れの若い女性に出会いました。その一人がしゃがみこんで、歪んだ顔でおう吐していました。相棒の女性が、背中をさすって介抱していました。食べ物が悪かったのか、高山病か知りませんが、可哀そうでした。
16時半頃、やっと高度4410mのディンボチェの入り口に到着。ここには、村を見下ろすようにチョルテン(仏塔)が建っていました。
ディンボチェのチョルテン
ここから村の中心部を見渡したとき(記事冒頭に示した写真参照)、ここまで無事に辿り着いた喜びと感動で、目が潤みました。
この日の宿舎は、Hotel Good Luckと言う名称でした。宿舎周辺のところどころには、雪が積もっており、寒々とした様子でした。
ディンボチェの宿舎
天空の高地にある宿なので、いろいろと不便なことがありました。
タンボチェではランドリー・サービスがありましたが、ここにはありませんでした。そこで、手洗いで洗濯をしようとして宿のスタッフにお願いすると、今日は水がないので明日にしてほしいと言われました。水は、ドラム缶やバケツに保管されていますが、業務用しか残っていなかったようです。
寝室には暖房がありませんが、電灯を点灯できるのも8時以降でした。食堂にはストーブがありますが、点火するのは6時とのこと。自室に戻っても寒いので、他のトレッカー達と同様に、ダウンジャケットに身を包み、食堂のテーブルに座っておしゃべりをしながら、夕食の時間を待ちました。電気や薪などのエネルギー資源は、限られた貴重な資源であることを、身をもって理解しました。
夜は、冷えた足を温めるためにレンタルのユタンポ(hot bag)を借りて、それをシュラーフの足許に置き、その上から毛布を掛けて、眠りました。
尚、この日からは高山病予防を考えて、ダイアモクッスの服用を開始しました。
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