昨日は 久しぶりの体験をしたの
話そうとしても 話の初めの「父親が・・」って言うと 笑いが押し寄せる
何度も 「父親が・・」 を繰り返し 笑い転げた感じ
汗までかいちゃったからね
それに 呼吸も荒くなって苦しいぐらいだった
話を聞いてくれている仲良しさんも 一緒に笑ってくれていたけど
それに救われたわ
もし 真顔で私の笑いの嵐を見られていたとしたら・・・
その話は途中で打ち切っちゃったかもね
一緒に笑える仲で よかった
久しぶりの 「笑いのツボ」にどっぷりを体験しちゃった
その理由が 落語の落ち!
前の夜に聞いた 落ちが 思い出せない話をしていたの
そのことを 言葉にすると 書いた以上のおかしさがあった
今も 何気に笑える
落ちを忘れた落語は 聞いたことにならないわと思い
昨夜は 顔パックじゃなくって ネイルコートをしながら 聞いてみた!(^^)!
そして 新しい発見をしたの
2度同じ話を聞いている私は 余裕があったのかもね
そして 初めて聞いた日に 落ちがその時はわかった理由もわかった
はじめに聞いたとき
落ちは 最後のところで さりげなく語られて
それに気づいた私は 「気づいてよかったわ」ってちょっと思ったの
さらに 今の若者には わからない人もいるよな~って そちらの方が頭の中に広がった
そういえば 「おさるのかごや」って歌あるけど 今の時代 歌っているのかな?
などと さらによけいなことまで考えた
そして2度目に聞いた昨夜の発見は
落語に入る前に 布石としての話があったから
だから私も なんとなく 「とりかご」と「かごや」の落ちなんだってわかったと思う
かごやが かごかきをする この言葉が大切
普段 「かごかき」なんて言葉 思い浮かばない
でもね 落語に入る前に、昔のかごかきのはなしを さらりとしていたから
だから 落ちのところにきて
「大事な親を かごかきにした」の 鳥かごを描(かく)
と おさるのかごやの かごかきが
頭の中で 交わったのよね
2度同じ落語を聞くまでは どうしても この落ちが思い出せなかった
昔の エッサホイサの『かごかき」って言葉
普段は頭の中にないからいきなりは出てこなかった
仲良しさんに説明したときも どうしても この落ちが浮かんでこなかった
昨日 聞き直して
「あ~~ そうなんだ 笑えるための 伏線がはってあったんだ」
って ちょっと感動しちゃった
やっぱり 大人の遊びだわ~
今度 仲良しさんに この落ちを話してあげようかな
でも はじめの布石の部分も話さないと わからないかな?
そもそも おさるのかごやの かごやって知っているかな?
まっ いいか~
相手の反応を見ながら ことを進めよっと
たぶん このことは 忘れちゃうと思うけどね
聞いた落語は 抜け雀でした
今日は 臼曇りです