古北にある日本料理屋「葵」で、20人ほどの飲み会があった。
9割くらいは初対面の方で、全員とは話せなかったけど旨い酒と楽しい会話ができた。その中の一人と名刺を交換したら、あらこの会社は…。私が半年の留学後、とりあえずお世話になろうと思って就職活動をしていたときに話を聞きにいった会社だった。
当時、給料が少しくらい安くてもいいから、小さな会社で色々勉強できそうな仕事ができる職を探していた。そうしたら、その会社が見つかったので、面接ではないけれど、とりあえず話しを聞こうと思ってお伺いした。ま、私のために時間をとってくれて話をしてくれるだけでもありがたいわけなんだけども、結果としては給料があまりにも安く、仕事自体には興味があるものの、当時いくら中国語がまともにできないとはいえ、少しの貯金すらできないような待遇では困るなぁと思い、正式面接というか入社したいという意向はお伝えしなかった。
と、それから2年経ち、飲み会でその会社の社員の方とお会いするとは、やっぱり狭い日本人社会だ。彼らは当時はまだ入社していなかったらしいが、どうやら内部的に色々と変わったそう。もし私もそこに入社していたら、今頃は彼らと仕事に精を出していたのかなぁなんて考えると面白いもんだ。パラレルワールドではそういう状況もできているのかもしれない。
今は知らないが、その会社の当時の給与体系は日本人と中国人は平等という考え方で、ということはスタート給与が3,000元くらい。私の場合は4,000元とか5,000元くらいでと言われた記憶があるが、それでは家賃と最低限の交遊費だけでオーバーしてしまう可能性もあるし、オーバーしなくてもロクに貯金なんかできないだろう。それに加え、残業も多いし帰宅後も毎日こういう本を読まなければいけないなどと、帰宅後の勉強を強制する気風が見えた。
それはそれで確かにとても勉強させてもらえるというか、勉強になる仕事かもしれないのだが、自主的な方向という表面的な言葉は使いつつも、そこまで求めるのなら、そんな給与体系はおかしいなぁと、私はその経営者の言葉には納得できなかった。つまりバランスがとれていなく、給料は安いけど共にがんばろう!という気概ではなく、どうもこれは単に人件費を抑えたいという方面が強いんじゃないかなと感じた。
日本人と中国人が平等という考えは、公平のようにも見えなくも無いわけだが、もともと環境や考え方が違うのに、そこは平等にする必要があるのかと疑問がある。それが嫌ならそういうところで働かなければいいわけで、だから私も当然そこを選択しなかったのだが、私の知り合いでも3,000元とか5,000元ほどで働いている日本人が存在する。外地でなく上海でだ。
もし私が日本人を雇う場合でも、そこまで安い給料では雇うつもりはない。事実、若い人でそんな給料ではまず長続きしないだろうし、続いたとしても、次へのステップの手段となるお金を貯めることができない。これは痛いところじゃないだろうか。仕事をして得るものはお金だけじゃないけれども、人は何のために働くかといえば、第一目的はお金であることに異論はないところだと思う。お金を稼いで、それをもとにして何かを生み出す手段に使ったりするわけだから、その手段を作ることができない状態でずっと働いていても、いまいち生産性に乏しい。
いくら仕事でスキルを上げることができても、家のPCが壊れて新しいPCを買う金とか、日本への一時帰国費の捻出にも困るようでは目が当てられない。この前会った友達が言っていたのは、PCを買いたいが買う金がないので、家にはPCがないというものだった。別に家にPCが無くても死ぬわけじゃないから本人が欲しいわけではないなら問題ないだろうが、彼女の場合は欲しいのに買えないとのこと。
上海でも安いノートPCなら2,000元くらいで買えるが、それが買えないということは、他のあらゆる場面でも金に困っていることが容易に想像できるが、ただ単に日々を生活するだけでも不満を抱かない人間であれば、この上海は快適かもしれない。そんな人もあまりいないとは思うが。
そんな懐かしい思い出話を書いてみたが、結局私は起業するつもりだったから、どう転んでも今頃は起業していたことには変わりないんじゃないかと思う。
9割くらいは初対面の方で、全員とは話せなかったけど旨い酒と楽しい会話ができた。その中の一人と名刺を交換したら、あらこの会社は…。私が半年の留学後、とりあえずお世話になろうと思って就職活動をしていたときに話を聞きにいった会社だった。
当時、給料が少しくらい安くてもいいから、小さな会社で色々勉強できそうな仕事ができる職を探していた。そうしたら、その会社が見つかったので、面接ではないけれど、とりあえず話しを聞こうと思ってお伺いした。ま、私のために時間をとってくれて話をしてくれるだけでもありがたいわけなんだけども、結果としては給料があまりにも安く、仕事自体には興味があるものの、当時いくら中国語がまともにできないとはいえ、少しの貯金すらできないような待遇では困るなぁと思い、正式面接というか入社したいという意向はお伝えしなかった。
と、それから2年経ち、飲み会でその会社の社員の方とお会いするとは、やっぱり狭い日本人社会だ。彼らは当時はまだ入社していなかったらしいが、どうやら内部的に色々と変わったそう。もし私もそこに入社していたら、今頃は彼らと仕事に精を出していたのかなぁなんて考えると面白いもんだ。パラレルワールドではそういう状況もできているのかもしれない。
今は知らないが、その会社の当時の給与体系は日本人と中国人は平等という考え方で、ということはスタート給与が3,000元くらい。私の場合は4,000元とか5,000元くらいでと言われた記憶があるが、それでは家賃と最低限の交遊費だけでオーバーしてしまう可能性もあるし、オーバーしなくてもロクに貯金なんかできないだろう。それに加え、残業も多いし帰宅後も毎日こういう本を読まなければいけないなどと、帰宅後の勉強を強制する気風が見えた。
それはそれで確かにとても勉強させてもらえるというか、勉強になる仕事かもしれないのだが、自主的な方向という表面的な言葉は使いつつも、そこまで求めるのなら、そんな給与体系はおかしいなぁと、私はその経営者の言葉には納得できなかった。つまりバランスがとれていなく、給料は安いけど共にがんばろう!という気概ではなく、どうもこれは単に人件費を抑えたいという方面が強いんじゃないかなと感じた。
日本人と中国人が平等という考えは、公平のようにも見えなくも無いわけだが、もともと環境や考え方が違うのに、そこは平等にする必要があるのかと疑問がある。それが嫌ならそういうところで働かなければいいわけで、だから私も当然そこを選択しなかったのだが、私の知り合いでも3,000元とか5,000元ほどで働いている日本人が存在する。外地でなく上海でだ。
もし私が日本人を雇う場合でも、そこまで安い給料では雇うつもりはない。事実、若い人でそんな給料ではまず長続きしないだろうし、続いたとしても、次へのステップの手段となるお金を貯めることができない。これは痛いところじゃないだろうか。仕事をして得るものはお金だけじゃないけれども、人は何のために働くかといえば、第一目的はお金であることに異論はないところだと思う。お金を稼いで、それをもとにして何かを生み出す手段に使ったりするわけだから、その手段を作ることができない状態でずっと働いていても、いまいち生産性に乏しい。
いくら仕事でスキルを上げることができても、家のPCが壊れて新しいPCを買う金とか、日本への一時帰国費の捻出にも困るようでは目が当てられない。この前会った友達が言っていたのは、PCを買いたいが買う金がないので、家にはPCがないというものだった。別に家にPCが無くても死ぬわけじゃないから本人が欲しいわけではないなら問題ないだろうが、彼女の場合は欲しいのに買えないとのこと。
上海でも安いノートPCなら2,000元くらいで買えるが、それが買えないということは、他のあらゆる場面でも金に困っていることが容易に想像できるが、ただ単に日々を生活するだけでも不満を抱かない人間であれば、この上海は快適かもしれない。そんな人もあまりいないとは思うが。
そんな懐かしい思い出話を書いてみたが、結局私は起業するつもりだったから、どう転んでも今頃は起業していたことには変わりないんじゃないかと思う。