人間ってなんなんだろう・・って、時々思う訳ですよ。
考えることが出来る、文明を持っている・・だから、他の動物とは違う。
万物の霊長とか言われてるし・・なんか特別的な考えがあるんだけど。
地球でいちばん偉い的な?? 霊性が高い的な??
でも、1年半ほど前に札幌の山(藻岩山)に怒られたんですよね・・
お前たちは何がしたいんだ・・って。
この山に住んでいるものたち(動物たち)は、満足している、どうしてお前たちには
それが出来ないんだ・・って!(かなり略しました^^;)
ご興味のある方は、こちらにありますのでお読みくださいね。
すごく不思議なんです・・同じ絶対無限の存在の分身なのに、なんでこんなに違うんだろう?
って、思ってたらさくやさんからメッセージが来ましたので、お伝えしますねぇ~~
「まぁ、あなた達がいう陰謀論?(論じゃなくて真実なんだけどね・・)的な話から
言えば、あなた達は常に欲求不満状態にされているから、だからどんどん欲しくなるの。
あなた達のネガティブなエネルギーを補給するために、ピラミッドの形の社会システムを
今のあなた達の支配者である(一部の)宇宙人が創った。
だから、その中にいるあなた達は、常にエネルギーを吸い取られ続けている。
だから、いまこの時を楽しむことが出来なくて、エネルギー不足になって、いつも満足できない。
自分じゃない外側の世界から、どうやってエネルギーを補給しようか・・そればかりを
考えるようになる。
いま、この時を満足出来ないから、常にどこかを探す・・それが、文明と言われるものなの。
文明があるから、進化した種族・・特別な種族・・だと思い込まされているだけ。
いま、この瞬間を満足して生きることができれば、あなた達が持っているような文明など
本当はいらないの。
そして、あなた達をもっと働かせるために、他の動物種族たちとは違うんだよ・・
あなた達は特別な存在なんだかよ・・と教え込む。
だって、他の動物たちと同じように、生きることを楽しみ、生きることに喜びを感じ、
ただそこに自分がいる・・それだけで満足されてしまったら、搾取できないでしょ?
だから、他の動物たちは、ただ生きている(食べて、寝て、子供を作って)だけの本能だけの
つまらない存在だと・・人間はそうではなく、もっと霊性豊かな素晴らしい存在なんだと・・
特別意識を持たせ、もっと進化しなければいけないと教え込む。
そしたら、自ら進んで働いてくれるでしょ?
成長?しなければいけないと思って、本当はありもしない素晴らしい(と思わされている)
未来に向かって、自分をガリガリ削り、そのストレスから他人に干渉したりして、
どんどん粗く重いエネルギーを放出してくれるからね。
人間以外の動物は、何も考えていない・・なんて全くナンセンス。
それは、あなた達がその子たちのことを全く理解できないから。
動物たちは(植物も鉱物もそうだけど)意識は持っているのよ。
しっかり考えてるし、感情もあるわ。
ただあなた達とみている方向が違うだけ。
価値観がまるで違うだけ。
建物を建ててそこに住もうなんて全く考えないだけ・・知性がないんじゃなくて、建物に
住むという所に価値を見いだせない・・それだけのことなの。
だって、自然の中にたくさん暖かいところはあるし、快適なところがある。
そこにいればいいじゃない・・それだけで充分満足なの。
だいたいねぇ~~、文明と言うと聞こえはいいかもしれないけど、結局所有の概念からの
ものでしょ?
ある意味、どっちが多く所有するか? 力を持つか?・・それが文明を発達?進化?させる
燃料?動機?になってるでしょ?
テラをさもさも自分たちの物のように考えること自体が、ものすごくナンセンスなことよね。
テラをただの物質としか見れず、テラを自然を自分たちの都合の良いようにしている人類が、
誰よりも霊性の高い存在なんて言ってる時点で、もうありえない・・そう思わない?
霊性が高い・・その言葉自体もすでに誰かとの比較でしょ?
どちらが偉いか?・・っていうつまらないやり取りでしょ?
テラと共に生きている子たち(動物たち)は、そんなことなんてまるで考えないわ。
誰が霊性が高いか?・・そんなことまるで関係ないもの。
霊性が高いの、文明を持っているの、本当につまらない発想だと思うんだけど・・
とにかく、人類と呼ばれている人たちと、動物と呼ばれている人たちは、何も変わらない。
しっかりと自分の意識(考え)も持ってるし、感情もあるし、言葉も話す(テレパシーも
使って、種族が違ってもコミュニケーションしてるの、交流を持っているの。)
あなた達が、それを理解できないだけ・・知性がないんじゃなくて、それを感じる感性を
あなた達が持っていないだけ。
そして、何が違うかと聞かれたら、価値観が違う・・それだけね。
彼らは、あなた達が一番原始的?野蛮?ダメなこと?と思っている、食べて、寝て、
愛し合う・・それに一番の価値を置いている・・それだけ。
生きることを楽しむ、いまこの時を感じきる、そして、自分がここに存在していることを
喜び、すべてに感謝している。
いまこの時に満足している・・そういう生き方を彼らは選んでいる・・それだけのこと。
ほんと、まるで反対の価値観ね。
どちらがいいか? どちらを選ぶか?・・それはそれぞれの個性の自由・・
私は、あなた達を心から愛してるわ~~」
ありがとう さくやさん。
私たちもさくやさんを心から愛してるよ~~~^0^
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先日 札幌にある 藻岩山(もいわ山)という山に登ってきました・・
とはいっても 登山ではなくロープウェイに乗せていただいてですが(笑)
頂上にある見晴台からは 札幌の街が広く広がっているのが見えました。
その後ろ側には まだ手つかずの自然が残っている山々がありました。
その自然に囲まれた山のふもとに 少しずつ街が迫ってきていて・・
緑の山に 色とりどりの建物が建ち なんだか 山が何かの細菌に浸食されて
来ているような感じがしました(言い方が悪くてすみません)
その時に 山の意識(だと思うのですが・・)から メッセージが聞こえてきましたので
お伝えします。
「あなた達は どこに行きたいのか?
何になりたいのか? 何が欲しいのか? 何を目指しているのか?
ここには(山には?自然には?)すべてがあるではないか?
すべては 満たされているではないか?
ここに住む者たちは それぞれに満たされている。
どうして それが分からない?
なぜ あるものを喜ばず ないものを欲しがる?
ここには すべてがある・・・・・」
だそうです。
そして 木々の中で暮らす 動物たちや 目に見えない存在(精霊さん達?)が
ゆったりと 調和しながら暮らすイメージを送ってくれました。
そのイメージの中には 不安も 心配も 何もなく ただ 淡々とした暮らしがありました。
私たちが感じる 跳ねるような一瞬の花火のような楽しみ(享楽的な)は 無いですが、
常に 安心とともにいる、生きているだけで喜びを感じられる、そんな感覚を送って
くれました。
次元が違う幸せ?・・絶対幸福?・・言葉では うまく表現できませんが 私たちが
思っている幸せ、喜びとは 違うところの幸せ、喜び のような気がしました。
北海道の景色は 雄大です・・そして エネルギーも とても雄大で すべてを大きく
包み込んでくれるような 感じがします。
たくさんの 歴史があった場なのに そんなこともすべて包み込み ただ大きな
山のように静かに佇むエネルギーを感じます。
そして とても尊厳に満ちたエネルギーです。
親しみとともに 畏怖も感じます。
縄文のころって きっとこんな感じだったんだろうな・・って思いました。
自然に守られ すべて満ち足りていて 安心の中であらゆる存在と調和している暮らし・・
山の言葉じゃないけど、本当に私たちはどこに行きたいのでしょうかねぇ~~、
何になりたいんでしょうか?
・・・って とても考えさせられる藻岩山でした^0^
とはいっても 登山ではなくロープウェイに乗せていただいてですが(笑)
頂上にある見晴台からは 札幌の街が広く広がっているのが見えました。
その後ろ側には まだ手つかずの自然が残っている山々がありました。
その自然に囲まれた山のふもとに 少しずつ街が迫ってきていて・・
緑の山に 色とりどりの建物が建ち なんだか 山が何かの細菌に浸食されて
来ているような感じがしました(言い方が悪くてすみません)
その時に 山の意識(だと思うのですが・・)から メッセージが聞こえてきましたので
お伝えします。
「あなた達は どこに行きたいのか?
何になりたいのか? 何が欲しいのか? 何を目指しているのか?
ここには(山には?自然には?)すべてがあるではないか?
すべては 満たされているではないか?
ここに住む者たちは それぞれに満たされている。
どうして それが分からない?
なぜ あるものを喜ばず ないものを欲しがる?
ここには すべてがある・・・・・」
だそうです。
そして 木々の中で暮らす 動物たちや 目に見えない存在(精霊さん達?)が
ゆったりと 調和しながら暮らすイメージを送ってくれました。
そのイメージの中には 不安も 心配も 何もなく ただ 淡々とした暮らしがありました。
私たちが感じる 跳ねるような一瞬の花火のような楽しみ(享楽的な)は 無いですが、
常に 安心とともにいる、生きているだけで喜びを感じられる、そんな感覚を送って
くれました。
次元が違う幸せ?・・絶対幸福?・・言葉では うまく表現できませんが 私たちが
思っている幸せ、喜びとは 違うところの幸せ、喜び のような気がしました。
北海道の景色は 雄大です・・そして エネルギーも とても雄大で すべてを大きく
包み込んでくれるような 感じがします。
たくさんの 歴史があった場なのに そんなこともすべて包み込み ただ大きな
山のように静かに佇むエネルギーを感じます。
そして とても尊厳に満ちたエネルギーです。
親しみとともに 畏怖も感じます。
縄文のころって きっとこんな感じだったんだろうな・・って思いました。
自然に守られ すべて満ち足りていて 安心の中であらゆる存在と調和している暮らし・・
山の言葉じゃないけど、本当に私たちはどこに行きたいのでしょうかねぇ~~、
何になりたいんでしょうか?
・・・って とても考えさせられる藻岩山でした^0^