もともとそれでよかった♡

すべては自分の中にある

「リラと縁」勉強会(170211)

2017-02-15 | 個人的な覚書です

個人的な覚書です。よかったらどうぞ。 (文責:mmii)

リラバレンタインツアー 2017.02.11-12

02.11

 飯田橋東京大神宮参拝

 「リラと縁」勉強会

02.12

今戸神社参拝

待乳山聖天参拝

浅草富士浅間神社参拝

 

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「リラと縁」勉強会

 

東京大神宮

何で縁結びなのか?

日本で初めて神前結婚式をしたところ。皇室が。

それまでは家で式を挙げていた。

 

日本は今年、起源2677年

 

今戸神社

イザナミ、イザナギの夫婦神が祭られている

 

待乳山聖天

インドの神、象の神様が抱き合っている、接合、Sexの神様、リラの場合はこっち

中に観音様が祭られている

 

浅草富士浅間神社

参拝と勉強会の報告

 

東京大神宮は、お伊勢さんの分社

伊勢神宮より新しい

神社という場所はパワースポットだったところ

時の権力者が場所を決める、風水師がパワースポットを探す

建ったときは神様という箱

パワースポットに建ったエネルギーにまつわるところに存在する箱

商売の神..とかは決めてない、名前がついただけ

有名な所は人が集まる、願をかける

どんな願いをするかで形作られる

 ex.お稲荷さん:芸能人がよく行く、金銭的、名誉欲

東京大神宮、最初は縁結びの神ではなく、誰かが後付けした

(伊勢は日本の神社の総本山のはず)

縁結びを信じる人が出てくる

 ex.インタビューに出ている人はプロ、電通が作っている

 誘導はメディアがやる

 よく見ると同じ人が出ている

 アクタースクールの生徒とか、老人も、子供も 

 メディアが牛耳っている

もしかしたら神社も誘導しているかも

参拝者を増やしたいから働きかけているかもしれない

でも神社に来る人たちの想念は純粋、作為がない、一直線の思い

周波数は高くはないが低くもない。作為は周波数が低い

ストレートに「いい結婚をしたい」、そこに悪意はない

そのエネルギーが集積されていく

「縁結びの神様とみんなが言ってくれるから、そうなるわ」…と神様がなってくれた

 ex.金毘羅さん四国、香川県

 海難の神様と言われるが発祥はわからない

 漁師とか海の人が行くことによってこうなった

 

本当にあがめる神は一つ

八百万の神はいない、人間が願ってエネルギーが集積した

 

東京大神宮は、確かに縁を結ぶ力があると思う

異性とかパートナーに限らない

魂があるもの同士のつながり

夫、恋人もだが、異性とは限らない

 ex.オーラの泉で女優さんが出たとき「あなたは結婚しない、舞台が恋人だから」と言う

 求めるものが舞台にあると、伴侶と同じものを舞台に求めたということ

伴侶は、まずは人、生き物、ペット、動物たち、宇宙人…

だけじゃない、全てに魂がある

愛用するペン、文房具屋にあるペンにも魂がある

作家は生涯一つのペンだったりする…ペンがパートナーに

縁はセクシャルなものとは限らない

 

自分がもっている魂のベクトルが重要

物にも、女性的なもの、男性的なものがある

 

地球は女性

海は男性

リラ、シリウスの関係性にも合致

リラは地質的なもの、マントル、土地、土

シリウスは水、海、川、湖、地下水

地球はシリウスとリラが合致して出来上がっている

 

フランス語、女性名詞、男性名詞がある。それに近いかも

京都、「お豆さん」「お」をつけるものとつけないものがある

 

ペンでも、自分が手を伸ばすものが、あるベクトルを持ったもの

 

仕事、男性は食うため、お金を稼ぐため

楽しむものとなると仕事の形が変わる

仕事を楽しみたいなら、縁結びの神に行く、仕事と縁を結びたい

金を稼ぐのなら、ビジネス、お稲荷さんに行く

 

会社、組織も生命体になる

ある人々が集まって作っている

そこに女性性、男性性のどちらかのベクトル

企業に入るのも縁結び

 

就職も神社を選ぶのが効率

神は人を選ばない、ばちも当てない、ほめもしない

全てが必要として存在

長い目で見るとネガティブもポジティブになる、次の人生で役立つことも

神は判断しない

 

ご利益、神からとして、ありがたがるのは問題ない

本殿には鏡がある、自分に向かって手を合わせている

「あなたはこう願っているんだからこうなる」ウィルパワー

神と同じ自分に願っている

鏡は神が宿っている、自分のこと

自分に対して祈願する

「いい人をあてがってください」×

「いい人に出会う力をください」〇

 

出会う人と契約してきている

タイミングが合ったときに出会える

 

人が出会うとき周波数が影響する

出会うパートナーとしての周波数になると合致する

ex.普通に会社にいて出会っていたときはただの同僚

 出会いの周波数がピピピと合うと、そう見えてくる

偶然の出会いはない、ただタイミング

 

話をするだけでも過去生で縁があった

濃さはいろいろ

手をつないで映画を見に行ったら、かなり濃い

1つのプロジェクトでも5年もやったらメンバーは家族同然の関係になる、前世は家族だったのかも

ただの同僚が関係が濃くなる

 

この中にいる人、転生が1,000を超える人も、だいたい数百位

チームで転生してくる。

1チーム100人位、狭くすると30人、10人位かも

ひょっこりひょうたん島のような小さい社会

 

ひょうたん島が別の人生に生まれ変わると配役が変わる

歌舞伎役者のよう

魂の転生グループ

 

3重の円として考える

①コア:第一の転生グループ、かなりの確率で何度も同じ転生を繰り返している

    どさまわりの家族と同じ

②中間の円:友人、知人

     どさまわりの家族が2つ3つ集まる

③外側の円:どさまわりの大会、たくさん集まる

 

①:家族、近しいものとして経験を積む

②:恋人レベル

①⇔②出たり入ったりしている

 

①天城越え「殺していいですか」レベル

②ユーミンのレベル

今回の祈願は①と②の中間あたり

 

社会形態、結婚は生物としてはぶっ壊れていく

出来たのはルールと同時に人間の総意でできた

約束、「結婚してるんだから…」

ルールに入ることを願った、不自由さを願った

制約を勉強したいがために入った

宇宙の中で珍しい状況

 

動物たちに結婚はない

人は社会があって選ぶ、選択肢がたくさんある、インスピレーション、損得、有利か

 

相手に気が向くとき、愛に、気になる相手に変わってくる

前は嫌だった彼の癖も気にならなくなってくる

自分がどういう選択肢(基準)を持っていたか、わからなくなる、きわめて曖昧

アバタもエクボ、その逆も

いかに限定的な判断基準で見ているか

 

犬はどこに居ても幸せ、ゴージャスな家であってもホームレスであっても

その人について行く、没落してもついて行く

 

①は相手がどんな状態にあってもくされ縁

親子はやめられない

 

自分を知る

全てそぎ落として仕事が残る、パートナーはその時々の寂しさを埋める人でよい

新しい人が入ってきて、ドーンと相手に心が奪われる

仕事にウエイトがあるときは相手が見えない

シーソーが平行になると見えてくる、縁が欲しい時は釣り合ってきたとき

興味がなかったのに、興味を持ってくると、今まで見えてなかったものが見えるようになる

自分が変化すると、会うべき人、居たのに見えなかった人が見えてくる

 

Q&A:引いたおみくじに「波乱」とあったが…

新しい出会いは変化を受け入れるから波乱

学びを終えていて出会う相手とは問題は起こらない

①で親子を除外したパートナー、ミッションに関すること、劇的な出会いではない、すっと出会いが始まる

②の出会いは、転生を楽しむため

 

何で人類として生まれたか

1)地球を経験するため

ex.シリウスにはこんなに生命体はいなかった

地球は微生物からものすごい生命体がいる

山があって川があって動物たちがいてとても美しい風景

3次元の目で見る火星、金星は荒涼としたもの

ex.蝶々は人と同じ目ではない、雄雌の区別がわかる

地球も人の目・フィルターでみると美しい山河

1)は観察者(③かもっと外側)

ex.10次元の目、ダイヤルで変えられる、総意で風景を作り出せる、美しい山河、海、…

地球は固定されている

3次元の美しき生物の多い地球、それらの複雑なリンクを楽しみたい

 

2)人との関係性、心(②)

 

3)濃さの問題、真理みたいなもの(①コアの部分)

 

他の星は人に関心がない、傷つけあったりはない、執着がない

人を傷つけあったりはできない

地球に来ればややこしい人間関係ができる

 

①は次元移行を目撃したい

 

結婚は、家柄、相手の現実社会での相手を見る、3次元で生きる

コアは、相手の過去はどうでもいい、目の前のあなたが対象

 

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武家の解放

 

アンドロメダはミカエルの剣を携えている

強い正義感、激しさを持つ

今まではアンドロメダを起こしてしまうと大変なことになる

ネガティブ勢力が収まった今、アンドロメダを解放するのも安全に

 

解放するのにはアンドロメダ(故郷に持つ人)に来てもらう必要がある

 

葉隠れ、いかに死ぬか

剣の強いものに殺されるのは本望

畳の上では死なない

その精神は、四十七士が最後

 

侍の意識の解放

応仁の乱にまで戻る

京都での解放

アセンションが日本を中心に次元上昇しようとした

上昇(平家)と阻止(源氏)の対立が、応仁の乱

 

源氏は外来の皇族

平家は本来の日本の意識

 

源氏の四天王、京都の町を跋扈していた妖怪にこんな人👽が見えた

周波数が高くなると生きていけない人たち

 

2012.12.21のポータルをくぐっているので

どんなに落としても、3次元には落ちない

 

ひとりだと自分の一つの次元

家・組織の周波数がある

ひとりだと10→家・組織に戻ると15とか、10→4とか

 

ただしここから下には落ちないというレベルがある、2012.12.21以降

 

1999年ノストラダムスの予言、恐怖の大王

ノストラダムスが阻止側だった、だから恐怖

実は2000年に大きなポータルをくぐった

 

今は3・4次元を突破しかかっている

怒り、疑念…5次元の下にとどまる

何があってもどうでもいい…上がっていく

上下している

 

周波数が一致したところで人同士が出会う

 

Q&A

自分が5.1…5.1のドラえもんに出会う

自分が5.4…5.4のドラえもんに出会う

Qすべての次元にドラえもんがいる?Y

 

翻弄されずに、自分はしっかり前を向いて生きていることでいい

不安はなくなる

確かに何かが起こっているが、不安ではなくなる

 

どれだけ自分を信じるか

ある意味試されている「それは平気なんだ。じゃこれはどう?」みたいな

 

曼荼羅:視覚的な宇宙の解説図

宇宙を説明するぎりぎりが曼荼羅、3次元での理解力

 

テレポーテーションは実際にやっている

米軍、火星へ送っている

ただし一方通行

死んだとされる兵士

 

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生きる上で大きな選択をしているとき、アカシックレコードにアクセスしている

ex.就職、自分がどれだけそれに興味を持っているか

縁結び(の祈願)のようにまっすぐにストレートになっている時につながる

どっちが有利かなー、人にほめられるかなー…は低い

低い周波数では、アカシックの低い面にしかつながらない

自分が高いと、あらゆる周波数につながる

 

絵を描くとき、アカシックのアーティストの部分にアクセスする

縁結びについて話そうとすると、縁結びにつながる、バンバン話が出てくる

 

アカシックレコードにすべて存在

意識の集積

アカシックレコード=GOD

 

SNSはこれを模しているが、作為がある、情報収集

 

テレパシーはすべてアカシックにアクセスしている

「100匹めのサル」現象もそう

 

宇宙のエネルギー、電気と同じと考えてほとんど間違いはない

ホログラム


私たちはもしかしたら見ることを通してエネルギーを得ている?(170210MI)

2017-02-15 | 覚書

マドモアゼル・愛公式ブログさんより http://www.love-ai.com/diary/

汚れの理由

2017年02月10日(金)

  大体の物は、使ったり時間が立つうちに、段々と汚れたり精彩が亡くなってきます。

尾山台の私の店にいらしてくださったお客様によく行うサービスは、身につけていらしたネックレスや時計、腕輪などを陶器のお皿に乗せて、お客様と私が一緒にそれぞれがチューナーで皿の上にチューナー音を聴かせるのです。

最初の1分程度は変化はありませんが、2分、3分と立つうちに、ネックレスや腕輪、時計が、キラキラと輝いてきます。

10年以上も前に購入した精彩を失った時計が、長い月日を経て、再び輝きを取り戻してくる様子は美しく、皆さん非常に驚かれます。

磨くこともしないのに輝いてくる様は、まるで手品のように感じられますが、その理由はエネルギー不足が解消されるからなのです。

物が汚れるのは、手垢がついたり、油がついたからとか、埃のせいではなく、エネルギーが不足したからなのです。

私は以前、野生の犬を山奥で飼っていたことがあります。ノラだったので、お風呂には絶対に入りませんでしたが、かといって汚れることもありませんでした。

いつもピカピカの毛艶で、それは見事でした。しかし、齢が行って急速に衰え、死ぬ数か月前になると、徐々に毛艶が悪くなり、最後は汚れた印象がありました。

私の犬はお風呂に入らないから汚れたのではなく、エネルギーが不足して汚れたのです。

宝石も時計も貴金属も同様です。エネルギーが不足すると汚れ、エネルギーが満ちてくれば、光出します。

チューナーがあれば、それは簡単に実験することができます。皆さんがお持ちのパワーストーンや時計やチェーンなどを、皿の上に乗せ、そこに向かってチューナーを鳴らして音を聴かせてください。

最初の1分ほどは変化が分からないかもしれませんが、3分以上行えば、輝いてきます。再び手にとってみれば、おそらく感動されることでしょう。

エネルギーが満ちたものは、輝きを増して美しくなります。

この実験を私はお店にいらっしゃるお客様にもう何百回も行ったでしょうか。例外はありませんでした。そんなに変化しないな、、、と思うと、それは石ではなくてプラスティックだった、、、ということもよくありますが、それでさえ、やはりキラキラと美しく光ってきます。

光らせるために行うのではなく、お持ちの物にパワーを与え、エネルギーに満ちた状態にして差し上げる、、、そうしたものを持った方が、運気もきっとよくなるだろうと思えるからです。

誰が行っても結果が出せますので、どうかチューナーをお持ちの方は実験してみてください。あなたの宝飾品を永遠に輝かせることができるはずです。

なぜそのようなことが起こるのか、、、の原理はこれまでに何度も言っていますが、チューナーが振動し、音が出れば、それが作用となります。

何等かの作用が起きれば、それを止めて元に戻そうとする宇宙の反作用をもたらすことが可能になります。

そして、反作用にこそ、本当のエネルギーが存在するのです。

この世にある物には、何ひとつエネルギーを与えるものはありません。この世にある物を通して作用を起こす、、、それにより、宇宙は反作用を起こしてエネルギーを届けるのです。

例外はありません。チューナーを鳴らすのは、作用であり、必ず、反作用が生じて、音を元に戻そうといたします。

なので、結果的に、チューナーを鳴らせば、そこにエネルギーが訪れますので、あたかも、チューナー音に力があるかのように感じられてしまうのです。

しかし、人が行うあらゆる作用自体には、何の力もないのです。ただ、反作用を招くことによって宇宙は私たちにエネルギーを送るのです。

人が生きる意味もそこにあります。顔が全員違う、、、体つきも声も違う、、、考えが違う、、、個々の違いはすべてその人にしかできない作用を起こすために必須となります。

個の特異性がその人にしか作れない作用を起こせば、そのギャップを埋めようとして、反作用を起こし、その際にエネルギーが入りこむのです。

お皿に乗せた貴金属やパワーストーン、時計などに向けて、チューナーの音を照射すれば、反作用と共にエネルギーがその場に訪れます。エネルギーを得た石や時計は、ピカピカと光出すわけです。

先日、私は朝起きてから、左目から涙が出て、なかなか止まらずに困っていました。最近よくあることだったのですが、冬場の冷気と何と言っても年齢的なもので、涙目になっていたわけだと思います。

その時、ふっと、「そうか、目も水晶体だよね」と思い立ちました。そして、皿に置いた時計や石に向けてチューナー音を照射するのと同じように、涙目の自分の左目に向けてチューナーを聞かせたのです。

その結果に私自身、本当に驚きました。涙目は一発で止まり、さらに視力のぼやけが消え、まるで20代の頃の目の感触に戻ったのです。

眼球に向けて照射したチューナー音が宝石をピカピカにしたのと同じように、私の涙目を止めてくれた上に、視力のぼやけを修理してくれました。

そして感じたのですが、私は自分が肉体をもって生きていると思っているが、本当はそうではなく、エネルギーを反映しているだけではないかと感じたのです。

飼い犬だったノラは、お風呂に入らなくてもピカピカだった。私の目は、年齢が行って老人になったから悪くなったのではなく、エネルギーが不足して目がおかしくなった、、、とそう考えた方が合理的に思えたのです。

自分は肉体ではない、、エネルギー体と思った方がよく、意識体と思えればなおよい、、、と感じられたのです。

実際に、私の目はエネルギーを得ることで、間違いなく問題を解消しました。視力も変わり、運転免許の視力検査を眼鏡なしで一発合格。毎回そうですが、今年は多少自身がありませんでしたが、すらすらとよく見えて、おそらく1・5はあったと思います。

齢が行ったから目が悪くなったのではなく、エネルギーが不足していたから悪かった、、、という解釈が実は正しいのです。

さらに言えば、目から、実はエネルギーを得ている、、ということもおそらくあると思います。

見る、、、ということはエネルギーワークとしてもとらえることができるはずです。

見るという作用です。作用があれば、必ず、反作用が起こります。見るものと見られるものとの間には、微細なエネルギーワークが存在するはずです。

微細な刺激であればあるほどエネルギーは大きくなりますので、私たちは、もしかしたら、見ることを通してかなりたくさんのエネルギーを得ていると思うのです

しかし、見ることが、段々と形式化し、体験から遠のいて、記号化していく、、、あれは電車、あれはテレビ、あれは道、、という知っているつもりになって、形式的な解釈を行うことで、体験でなくなっていく。

その結果、齢を経るごとに体験値は低くなり、形式的な枠にはめ込む合理的ではあるが、エネルギーワークとは異なる死の世界を広めて行ってしまう。

赤ちゃんや子供は物事をよく見ているから、エネルギーワークとして見ることが存在する。

大人になるに従い、慣れて、形式化し、記号化して、エネルギーワークが少なくなっていく。

それは見ることから得るエネルギーの消失を意味し、段々と見えなくなっていく。視力は衰え、ハッキリしなくなる。

老人になったから目が悪くなるのではなく、本当は反対で、目が悪くなったから老人になっていくのかもしれない。

眼から入るエネルギーについて考えたが、同じことは足にも手にも内臓にも言えるのだ。

肉体が衰えるのではなく、エネルギーを得る道を形骸化し、記号化した結果として、私たちは年を取っていくのではないか。

その中で、目は特に重要な気がします。目から、見ることから、私たちは、きっとエネルギーを得ているのです。

しかし、よく見ることが、、、真剣に見ることが、、、無心に見ることが段々と減っていき、、、、目が段々と悪くなる。

眼が悪くなれば、エネルギーが入りにくくなる、、、そして老いてゆく私たち、、、

目をかける、、、目をそむける、、、そんなことからも、生きる姿勢を反省する必要があるような気がします。