2022年
1月5日
新しい年も始まったことだし、しばらく書いていなかった日記でも書こうかなと、意を決して書き続けていたのですが、間違えて文章を消してしまい、泣く泣く書き直しです。何を書いてのか覚えていないので、同じ内容で書くことはできないのですが、まあそれは仕方ないとしてですね・・・
年末は実家に帰りました。
クリスマスが終わったあたりから、「もう誰とも話したくない病」にかかってしまったみたいでして、シェアハウスで行われた忘年会にも顔を出さずに、そして友達とも誰も会わないで年末年始を終えました。
なんだかつまらないような年明けにも思えますが、でも自分にとってこれがベストだったのだと信じて疑わないようにしています。というのも、仕事が終わったのは12月の28日でして、29、30はハウスにいたのですが、ほとんど個室に引きこもり状態で、まるで冬眠のようでした。話したいことの一言も浮かばず、頭はぼーっとして、起きて寝てを繰り返す始末。
去年の20日から始まった仕事を1から覚え直さなくてはいけない状況に加え、独学で数学とか英語とか文学を頭に敷き詰めた結果、こうなってしまったのだと考えられます。今では少し落ち着いて、なんとかこうして日記を書くことができるわけでして・・・
実家に帰って、久々に実家の居心地の悪さを体感して、自分のダメなところのルーツを知ることができたような気がしました。今の完璧主義な自分は、あらゆる物事にdisを入れる母親の目を気にしすぎた少年時代から始まったものですし、自分の趣味を人に見せることができなくなったのもその辺からでしょう。凝り固まった頭はいくら柔軟性を手にしてなお変わることはなく、苦しいままでこんな年齢にまで成長してしまいました。自分の中に不都合な時なんていくらでもあるはずなのに、それを認める頭なんてなかった人たちが憎い時もあります。こんな時、私は、直接他人を憎めばいいのか、それを取り巻く環境を憎めばいいのか、それとも世の中を憎めばいいのかわからなくなります。馬鹿なやつには人権なんていらなさそうですし、それでも求めてくるやつにはテキトーに与えておけばいいのだろうし、それを求めているのは自分だったりするのです。与えもらえる対象にひれ伏したところで、それが相手にどれくらいの覚悟として伝わるものなのだろう。少数派の感情を、常に誰もが持ち続けているはずで、それに気づいた人が椅子から立ち上がってそれを主張する。それに気づけないままで生きている人はそのまま何も知らないままで生きていくしかない。でもそれが幸せなんでしょう。ハッピーなやつ。
何も楽しくない年明けももうすぐに終わって、そしたら仕事が始まります。
憂鬱さに拍車をかけているのは、去年から変わりません。年が明けようが世の中が滅びようが、自分は自分のままです。それを変えてくれる人なんているわけがないし、むしろ私を地獄に突き落とす奴らばかり。全く、世の中ってほんとうに碌でもない。