星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

みんなといる時の一つの形

2022-01-08 22:48:36 | 日記

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シェアハウスで暮らしていると、つい他の住人たちの流れに逆らうこともできずに、そのままやりたいこともできないで時を過ごしてしまうことがあります。今この日記を書いているのも夜の22時過ぎという、なかなかにギリギリで日付を超えるのがヒヤヒヤのものとなってしまいました。あと1時間半ほどで果たしてUPすることができるのか、なんとかして終わらせてしまいたいものですが。

一人で、こうして文章に立ち向かうこと、それで内面の世界に浸ることは、他の人と話していると難しいものになってしまうのが多かったりします。そうしてみんなといる時間にたくさん身をさいてしまうと、内面の世界を忘れがちになっていって、大切なものがわからなくなりそうです。そして見えてくるものもまた変わってくる、そして感じる事柄にも変化が生じる、小さなことですが自分が変わっていくのでしょう。みんなとただ楽しく過ごしていくことに疑問が浮かんでしまうのは、その面に無意識にも気づいているからなのでしょうか。

昨日は新しい住人が入居したことで、みんなでパーティーをすることになったのですが、仕事帰りの自分にはあまり楽しいノリを出すことができず、ご飯を食べてすぐに寝てしまいました。みんなと過ごしている時に一番思うことですが、疲れている時に疲れている自分を出さずに、あくまでも元気な自分でいる、そのためには忘れることしかない。しかしその忘れることというのは、賢い自分では定まらないことだったりするわけでして。一体どうしたら、自分は嫌なことや疲れている自分を忘れることができるのでしょうか。そもそも自分にとって本当にそれが忘れたいことなのでしょうか。別に不幸になろうが自分に負担がかかろうが、そのまま病んで仕舞えばいいわけです。

周りに示すことが難しいようなテンションであれば、そのまま離席して寝てしまえば楽なことでしょう。元気ではない自分で、わざわざ他人に苛立ちや憤りを感じる必要だってないわけですし、そのまあボーっとしてとりあえずみんなといなければならない時間だけは共に過ごして、あとは一人で寝てしまう。そのやり方が今の自分にとってのベストなのではないかと思います。

以上、一人のモードに入らないままで考えたこれからのことでした。