街の風景

散歩の時に出会った何気ない風景、手押しポンプ、使われなくなったコンクリート製のゴミ箱、懐かしい洋館付き住宅などなど。

早島町のマンホール…岡山県都窪郡早島町

2009-03-28 10:44:47 | マンホール
早島町のマンホールを紹介します。

早島町マンホール№1。早島町の風景だろが、何処だかわからない。
             金毘羅往還の道を書いてあるのかも知れない。
             周りの縁は、人が手を繋ぎ輪になり、反対は船がつながっているのは
             金毘羅さんへ船で行ったことと関係があるのかな。
             「早島」の字入り。2009/3/20



№1が有った、町役場に行く途中に見た風景。



早島町マンホール№2。 №1.の小型版。これは各家の敷地内に設置されていた。


早島町マンホール№3。風景マンホール以前の古いタイプだと思います。ウォーキング中に見たマンホールでは、
           この一台だけでした。
           №1のマンホールがほとんどです。



早島町止水栓。町名入のは見当たらなかった。これ一種類のようでした。



早島町の消火栓。町名入りでは無いが、通しナンバーが打たれている。



早島町の水路の上の歩道の排水蓋。


小さな規模の町ですので、町の通りで見かけるマンホールも雨水用、汚水用などと区別されていなくて、
汚水用のみのマンホールのようでした。
しかし、周りの市町村との合併を拒み、町独自の文化を示すマンホールを造っていました。

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その後の牛田公園の櫻…広島市東区牛田中二丁目

2009-03-25 07:00:47 | 東区牛田

牛田公園の櫻の事を3月の初めに書きましたが、広島の櫻の開花宣言が3月22日に出ましたので、

牛田公園の櫻の様子を見に行ってきました。

昼前だったので、公園には誰も居なくて静かです。

桜の木もひっそりと痛々しく前に見た時と同じでした。


蕾も前と同じで膨らんではいませんでした。




     公園のかたい土にたえてきました

     雨のすくないこの夏がつらかったです

     今は、もう子どもたちに木登りを

     させてあげられなくなりました

     あぶないので、のぼらないでネ

     こんどは私に元気をわけてくださいネ

     春には花を咲かせたいです

      平成二十年九月五日

               ―公園のさくら―




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続・早島町の街の風景…岡山県都窪郡早島町

2009-03-20 23:15:01 | ウォーキング
早島町の街ウォーキングを続けます。

金比羅詣往来で賑わった現在の県道を歩いていると、「いかしの舎(や)」に出会います。

「いかしの舎(や)」は、早島が「い草」で栄えて時代の問屋の町家の寺山家の建物(明治末期建築)を改修して、

文化交流の拠点として、蘇らせた施設と言う事です。



外観はなまこ壁の展示室、長屋門、喫茶室、研修室、茶室などが整備されています。
電柱の陰になっている処の長屋門の格子戸の所から入ります。


和室の縁側や和風の庭園。                   竹坪庵と言う茶室の屋根は藁屋根です。

この「いかしの舎(や)」は、色々な催し物なども行われているようで、私が行った時は、

呉服屋さんが母屋の座敷を借り切って、着物の展示会をしていました。

そのほか、3月22日(日)には 「いかしの舎 お座敷狂言」が開催されるようで、切符は売切れですと書かれていた。

お役所は建物を建てるが、その後の利用については考えていない事が多いが、早島ではそんな事が無いのだろう。



県道は、昔は四国に渡る為の道だったのでしょうが、今は高速道や国道が整備されているので、

早島のこの県道を走る車は、町の人の車が多いようでたまにしか来ない。

その道路の両側には、中々良い雰囲気の家が建っている。       どっしりとした蔵。
      


タバコ屋さん。                           タバコ屋さん。


          県道からちょっと入った所に、藁屋根の家がある。まだ、屋根は綺麗です。
          


藁屋根がある大邸宅。



           擬洋風建築の理髪店。もう廃業しているとの事。
           

棟のレリーフ。柱型の飾り。西洋に憧れたのでしょう。      入り口のアーチ。



これも、擬洋風建築の理髪店。上の建物と同じ設計者だろう。



町指定重要文化財・建造物「清澄家住宅」明治41年建築の洋風2階建住宅で、

町内に残る唯一の明治洋風建築との事。


洋風建築は少しありましたが、私の好きな洋館付き住宅は見つけることが出来ませんでした。

しかし、早島町はまだ町中にも藁屋根の家が残っているし、戦前に建てられた和風建築が、

良く手入れされた状態で残されていた。

その様な建物が町並みを作り、小さな町ではあるが、豊かさが感じられる町を感じました。

友人が言った「古い建物の町並みが在る」は充分にみる事が出来ました。

早島町があまり他所には知られてはいないのはいい事で、このままに静かな町で在り続けて欲しい。

「風格がある往来ロマンのまち早島」が早島町のキャッチコピーです。





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早島町の街の風景…岡山県都窪郡早島町

2009-03-19 22:47:53 | ウォーキング
岡山県人以外で、早島町はどこに在るのか知っている人は、そんなに多くは無いと思います。

勿論、広島県人の私も知りませんでした。

倉敷で仕事をしている友人に、

岡山県で、倉敷以外で古い町並みが見れる所を聞いたら、

「早島ですかね。古い建物の町並みがあるのは・・・」の返事があったので、

3月21・22日に行われる瀬戸内倉敷ツーデーマーチに参加する前日に、早島町に行く事にしました。



20日は朝から雨が降り出しましたが、「雨も又自然」と言うことで、雨の早島の街ウォークです。

JR早島駅に行くには、岡山駅より瀬戸大橋線のマリンライナー(早島駅に停車しない便もあります)に乗るか、

宇野線の各駅停車の電車でも行けます。

JR早島駅。有人の駅でした。                    駅前のロータリー。



早島駅から町の方に向かう通りだが、人がいない。駅前の商店街など無い。

食べるお店もこの通りに2軒だけだったと思う。

岡山駅で食べてきたので良かった。

何時もは知らない町に行く時は、どこにでも必ず有る駅前の食堂で食べる事にしているが、

今回は岡山に着いたのがお昼時でお腹がペコペコなので、早島まで我慢が出来なかった。



駅前からのメイン道路?を歩いていくと、倉敷で見かけるなまこ壁の古そうな家がありました。(左の写真)
                          白壁の塀に囲まれた渋い和風の母屋と蔵風に造られたガレージの建物。
                          ガレージの扉は板で造られていて、その板が良い味を出していた。



メイン道路?から早島町役場の方に向かって歩いていると、藁屋根の家を見つけました。
周りは新しい住宅地になってきているが、藁屋根は貴重だ。
                                 早島町役場の近くの歴史民族資料館の建物。
                                 特産だったイ草関連の展示があるようだが、閉まっていた。





役場の前の「ゆるびの舎(や)」の建物。
早島町ガイドマップより…心の健康づくりを基本コンセプトとして、文化ホールや図書館、
               健康づくりセンターなどからなる総合複合施設です。
               「ゆるび」とは、「心がくつろぐ」という意味があります。

町の規模の割りに立派な建物です。役場も鉄筋コンクリート造の3階建ての建物で、役場のイメージではありません。
町自体が、岡山市と倉敷市に囲まれているのにどちらとも合併しないで、今回の平成の町村大合併でもしないで、
町で頑張っているのは豊かな財政があるのだろう。




江戸時代の終わり頃には金比羅詣で賑わった道も、雨が降っているので人影も無い。
ここは、道路も拡張されて建物は建替えられているので、昔の建物の町並みは見られなかったが、
藁屋根をトタンで蔽った家が目に付いた。
                                   ちょっと横道に入ると焼板壁の家が遺されている。



上の左の写真の建物。


ここまでは、友人が言った「古い建物の町並みが在る」は見当たりませんでした。続く。


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アンパンマン列車…岡山市岡山駅

2009-03-18 21:38:12 | 乗り物
岡山駅に到着すると、隣のホームにアンパンマン列車が停車していました。

我が家の、MaGo達はアンパンマンに出てくる名前を良く知っていて、本を見ながら言い当てます。


こんなに近くで見るのは初めてなので、先頭車の方を見に行きました。

車両にはアンパンマンの絵が描かれていますが、私が知っているのは、この前教えて貰った、

「メロンパンナちゃん」と「しょくぱんまん」だ。



運転席の前のガラスが大きいし、後ろもガラスになっているので、子供達は運転している所を見ることが出来る。

また、前のガラスも大きいので前方の景色がもの凄いスピードで後ろに飛んでいくのも見ることが出来る。



先頭車両の前は「あんぱんまん」と「メロンパンナちゃん」が空を飛んでいる絵だ。



特急「南風」だから、この列車に乗れば、高知の土佐山田のアンパンマンミュージアムに行けるのだ。



乗り換えるので連絡通路を歩いていて、下を見るとブルーのアンパンマン列車を見つけた。

さっきのはピンクのアンパンマン列車だったので、アンパンマン列車はたくさん有る様だ。


このような楽しい列車がたくさん増えたのは嬉しいことです。

去年の冬、北海道にMaGo達と旅行に行った時、旭山動物園号に乗って大喜びだった。

今度は、アンパンマン列車に乗って、「アンパンマンミュージアム」に行かなくちゃ~~。

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3月13日の広島空港大橋…広島県豊田郡本郷町

2009-03-17 21:22:46 | その他
この広島空港大橋は完成すると東洋一のアーチ橋なので、この下を電車で通る時はいつも気に掛かります。

アーチスパンは380m、アーチ部の最高地上高は190mとの事。

今日(3月13日)も青春18切符で瀬戸内倉敷ツーデーマーチに参加する為、山陽本線の電車で橋の下を通りました。

シャッターを押したら、下りの電車と行き違いになりましたが、橋の一部が見えます。



アーチ部分の鉄骨が巨大なコンクリートの台座に取り付いている。



道路になる部分の床版の鉄骨が出来上がっている。



アーチの柱脚の下には「広島フライトロード(仮称)空港大橋建設中・広島県」の看板も見える。



本郷駅側から




谷間を繋ぐ巨大なアーチ橋が完成するのはいつなのか?

完成が楽しみだ!
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瀬戸内倉敷ツーデーマーチに参加…岡山県倉敷市

2009-03-16 18:06:51 | ウォーキング
少しお休みしていましたが、その間は青春18切符を使って遊び廻っていました。

と言っても、瀬戸内倉敷ツーデーマーチに参加する為でした。

この瀬戸内倉敷ツーデーマーチは、私がウォーキングを始めたときに、最初に参加した大会なのです。

朝日新聞に、しまなみ街道の開通前に歩いて四国に渡る大会の募集を知って、

「歩いて四国に行きたい」と思ったのが、

ウォーキングを始めたきっかけなのです。

その時、瀬戸内倉敷ツーデーマーチのことも記事が出ていて、しまなみ街道の大会前に、

この瀬戸内倉敷ツーデーマーチで足慣らしをしようと軽く考えて参加したのです。

見事、大きな豆を作り、治療をして貰いながら、完歩をした思い出深い大会で、もう9回目の参加です。




倉敷市役所の会場入り口のアーチです。

スタート前は、小雨が降っています。



事前申込をした人には、参加証と引換に帽子を貰いました。

すぐ被る人も居ますが、リュックに仕舞う人も居ます。



開会式です。

真面目に聞いている人も居ますが、久しぶりに会う知り合いの人との挨拶で忙しい。

お互いに元気なことを確かめ合うのです。



参加者の中に、ワンちゃんもいます。

このワンちゃんは有名犬で、各地のウォーキングの大会に参加しています。

参加料を人間並みに払って、背中にゼッケンをつけて歩きます。

今回は10kmのコースかな?



20kmコースは、熊野神社で昼食です。

トン汁のサービスが出ました。



大会の参加者の人数です。

私は今回は、14日は20km、15日は40kmを歩きました。

参加方法やコースなど、詳しい事を知りたい方は「瀬戸内倉敷ツーデーマーチ」のホームページを見てください。

そして、来年参加する為の準備に、毎日少しづつ歩き始めてください。


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高屋宿のマンホール…岡山県井原市子守唄の里高屋

2009-03-10 23:30:02 | マンホール
井原鉄道の「子守唄の里高屋駅」の駅名は

junichi_suzuki_1966さんの説明によると

「中国地方の子守歌」(作詞作曲不詳・山田耕筰編曲/中国地方民謡)は岡山県西南の井原市高屋町が発祥の地とされています。
1928年(昭3)テナー歌手の上野耐之が、母親の歌ってくれたこの付近に伝わる古い子守歌を山田耕筰の前で歌いました。
上野の故郷は岡山県井原市高屋町。
山田はそれを採譜してピアノ伴奏を付け、「中国地方の子守歌」と題する歌曲に仕立てました。
そこから岡山県井原市高屋町は子守唄の里高屋といわれるようになりました。

ので、「子守唄の里高屋駅」となったようです。

その駅からすぐのところに、高屋宿があります。

そこのマンホールを紹介します。


井原市子守唄の里高屋のマンホール№1.井原市の花「さくら」・市の木「くろまつ」・市の草花「パンジー」の絵柄。
「井原市・子守唄の里」・「げすい」の字入り。2009/2/22



           №1.と町並みだが、もう高屋宿の外れだった。
           


井原市子守唄の里高屋のマンホール№2.井原市の花「さくら」・市の木「くろまつ」・市の草花「パンジー」の絵柄。
「井原市・子守唄の里」・「げすい」の字入り。2009/2/22
№1の小型マンホール。



井原市子守唄の里高屋のマンホール№3.井原市の木「くろまつ」・市の草花「パンジー」の絵柄。
「子守唄の里」・「井原市上水道」の字入り。2009/2/22



井原市子守唄の里高屋の消火栓№1.井原市の花「さくら」・市の木「くろまつ」・市の草花「パンジー」の絵柄。
「子守唄の里」・「井原市・消火栓」の字入り。2009/2/22




井原市子守唄の里高屋のマンホール№4.中央が井原市の市章。2009/2/22
このマンホールは道路の側溝の用水路の点検用の蓋のようです。

井原市の市章は(井原市のホームページより)
昭和28年12月制定しました。 
 井原市の井の字を井枠の四角で連繋し、中央に原を仮名で図案化して、市民の和による団結と飛躍的発展を象徴しています。

左を下にして、良く見れば井ハラと読めるが現地では解らなかった。



№1.のマンホールと岡山県と広島県の県境の石碑。


「子守唄の里の高屋」だから、「子守唄の里」の字が入っていてもおかしくはないが、

井原市の高屋以外の町にはどんな絵柄が使われているのかな?

井原市に行ってこなくては・・・


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5本の木製電柱…福山市神辺宿

2009-03-09 23:25:39 | 電柱
“古き山陽道の面影を求めて”山陽道を歩いていますが、神辺宿で、今ではほとんど見ることが無くなった、

木製電柱が5本並んでいました。

幹線用の電柱です。太くて背が高くてトランスなどが取り付けて有ります。

支線用の細くて、背が低いのはたまには見ることがありますが、幹線用は広島市内でも、

まだ9本しか見つけていません。

背が低くて細い引き込み用の木製電柱でもたまにしか出会えませんのに、大型の背が高い幹線用は、

ほとんどがコンクリート電柱に取り替えられています。

下の古い町並みが続く道の、一番手前の電柱が木製なのです。これが2本目なので、その向こうにも3本あります。



これが最初に見つけた、一番東側の電柱。



№10.木製電柱(神辺宿№1)…福山市神辺町大字川北。2009/2/22



№11.木製電柱(神辺宿№2)…福山市神辺町大字川北。2009/2/22



№12.木製電柱(神辺宿№3)…福山市神辺町大字川北。2009/2/22

このキズだらけの木肌が魅力的です。温かいのです。

1997年に点検されているので、最低11年以上建っていることになる。


№13.木製電柱(神辺宿№4)…福山市神辺町大字川北。2009/2/22



№14.木製電柱(神辺宿№5)…福山市神辺町大字川北。2009/2/22



手前の木製電柱が5本目で、向こうの電柱からコンクリート製電柱に変わっています。


神辺本陣の前だけの5本が木製電柱で遺されているのは、

古い町並みには木製電柱の方が似合っているからかもしれない。

中国電力もいい事をしている








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山陽道の火の見櫓…岡山県井原市・広島県福山市

2009-03-08 22:32:56 | 火の見櫓
2月21日・22日に“古き山陽道の面影を求めて”のウォーキングをしましたが、その時に火の見櫓を7基見つけました。

21日は、福山城から鞆の浦までのウォーキングでしたが、途中の田尻地区の漁港の側で1基見つけました。

去年の6月に鞆の浦に車で行った時に、今度見つけた田尻地区で、別の火の見櫓を見つけていましたし、

鞆の浦の消防署にも火の見櫓が遺されていましたので、歩いて探せば見つけることが出来るだろうと思っていました。



福山市消防団田尻分団第二班器具庫の屋上に、4本柱の火の見櫓です。

スピーカーとサイレンが設置されていて、火事などの情報を流すのだろう。

消防ホースを乾かす時に引っ掛けるフックと滑車も付けられているが、半鐘は無い。

№25.広島県福山市田尻町…福山市漁業公道組合田尻支所横。2009/2/21

21日はこの1基しか見つけられなかった。




2月22日は「子守唄の里高屋駅」スタートでしたが、歩き始めて高屋宿に入ると、すぐに見に入りました。

大型の火の見櫓です。

細い鉄骨の4本柱ですが、円形の金物を使ったブレースでがっちりと固めた、背高の火の見櫓です。

物見台も大きく、屋根も付いているし、嬉しい事に半鐘が屋根の下にぶら下がっている。

火の見櫓の隣の「高屋分団第二部機庫」の建物も古いものだろう。

№26.岡山県井原市高屋町。2009/2/22



高屋宿を抜けてしばらく行くと、大きな四辻に格調がある古い建物の横に火の見櫓です。

建物は、擬洋風建物で中々いい。

「御野分団第二部消防屯所」と左から書かれている。

戦前は左から書くのが普通だったし、屯所の言葉は明治時代か大正時代か昭和の初めまで使われていたのだろうか?

物見台にはスピーカー3台、サイレンが取り付けられているが、半鐘は取り外されている。

良い建物と火の見櫓なので、半鐘が無いのは残念だ。

火の見櫓といえば半鐘が付き物なのだから。

№27.広島市県福山市神辺町下御領。20­09/2/22


芦田川を渡り、山陽自動車道の橋脚の下を通り、山手町のくわい畑の向こうに、火の見櫓を見つける。

ここは、お正月料理に使われる「くわい」が名産です。

火の見櫓ですが、半鐘もないし、スピーカーも無いが、サイレンは取り付けてあるようで、

消防ホースを乾かすフックなどの設備も見られた。

№28.広島市県福山市山手町矢田地区。2009/2/22



神辺宿から丁度1里の一里塚があるところに、サイレンと消防ホースを乾かすフックと滑車しかない

火の見櫓を見つけました。

№29.広島市県福山市山手町。2009/2/22


雨が段々ひどくなり、雨宿りとトイレ休憩の為、津の郷公民館に寄りました。

公民館の前に、「福山市消防団津の郷分団第二班」の器具庫と少し離れた所に
火の見櫓がありました。

ここも、前の一里塚の火の見櫓と同じ構造で、サイレンと消防ホースを乾かすフックと滑車が取り付けられています。

№30.広島市県福山市津之郷町。2009/2/22



備後赤坂駅を通り、赤坂バイパスの近くで「福山市消防団神村分団才一班器具庫」の向こうに、

火の見櫓が道路端に建っています。

サイレント、スピーカー、消防ホースを乾かすフックと滑車と、小屋根が取り付けられていた。

31.広島市県福山市神村町三区。


まだまだ、山陽道ウォーキングは続くので、火の見櫓のコレクションは増えそうだ。

上の、火の見櫓の場所を知りたい場合は、「散歩の途中に見つけた火の見櫓」のアルバムを見てください。



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