雪虫を今までの人生で、見たことがありませんでした。
ラジオで、雪虫を見たのでそろそろ初雪の季節になりましたなどと言う、
北国の方のお便りを「らじる★らじる」で10月末に聞いて
どんな虫だろうと興味を持っていました。
しかし、北国のことで広島では見ることはないと思っていました。
所が、安芸太田町の友人の所の柿をもぎに行ったときに、
飛んでいるのを初めて見ました(2014年11月8日)。
白いものがふわふわ飛んでいます。
写真を撮ろうと捕まえているうちに弱ってしまいました。
雪虫を今までの人生で、見たことがありませんでした。
ラジオで、雪虫を見たのでそろそろ初雪の季節になりましたなどと言う、
北国の方のお便りを「らじる★らじる」で10月末に聞いて
どんな虫だろうと興味を持っていました。
しかし、北国のことで広島では見ることはないと思っていました。
所が、安芸太田町の友人の所の柿をもぎに行ったときに、
飛んでいるのを初めて見ました(2014年11月8日)。
白いものがふわふわ飛んでいます。
写真を撮ろうと捕まえているうちに弱ってしまいました。
お茶道具の窯元に見学に行きました。
素晴らしい茶碗がありましたが、「お茶」を点てることはしていませんので見るだけです。
お茶道具ではありませんが「蚊遣り器」です。
お茶はしないが、蚊には悩まされているので欲しいなと思いました。
しかし、洋風な我が家には置く所がない。
この「蚊遣り器」は、
渋い、木目が浮き出た縁側のここにしか似合わない。
上野焼熊谷本窯 十六代熊谷保興
長屋門
一度は行ってみたかった秋月に行ってきました。
筑前の小京都と言われている静かな町でした。
この長屋門に面した「杉の馬場」は桜の時期に、もう一度訪れてみたいと思わせる風情でした。
田原坂の戦いを体験して、熊本城の天守閣には疲れの為登閣出来なかった我々「歴爺」は
田原坂の戦いの疲れを取るため、熊本市内に宿を求めました。
熊本市内の中心地から2kmばかり離れた、本妙寺の参道にある「廣嶋屋」という宿です。
この宿が、非常に良かとばってんでした。(少しおかしい熊本弁でごわすが…)
これが、宿屋の外観です。
この写真は次の日の早朝、ウォーキングに出た時に撮ったものなので、
1階は雨戸が全部閉まっていますが、一部少し隙間が有る所が宿屋の入口です。
ここが玄関ホールに当たる所です。蛍光灯で明るいですが、
古い笠に裸電球がぶら下がっているのも残されています。
もし、蛍光灯が無いと、目に老いが来ている「歴爺」全員、
上がり框に蹴躓いていたでしょう。
2階に上がる階段。四つん這いで上がりますが、
そんなに急ではありません。
2階の我々の部屋は寝る部屋とくつろぐ部屋の二部屋と豪華です。いずれも本床の間付きと縁側付きです。
明治時代には無かった、薄型テレビも完備してます。
一人の「歴爺」が縁側から外を見ていますが、この次の下の写真です。
熊本城の緑の木々の中に、天守閣が見えます。夜はライトアップされていました。
しかし、せっかくの熊本城の緑や天守閣の景色も、無粋な四角い熊本市役所の建物が邪魔をしています。
夜の宴(うたげ)の食事は、熊本名物のからし蓮根、天草沖のかますの塩焼き、タケノコとゼンマイの煮つけなどや、
宿の女将手作りのゆづの寒天?(だったかな)などなど
海の物、山の物、裏の畑の物と我々「歴爺」にはちょうど良い料理です。
それにこれ以外に、もう一品有ったのです。
馬刺しです。上の段の左から「たてがみ」、「ふたえご」、その下が「赤身?」(「トロ?)です。
スライスした、たまねぎと一緒にしょうが醤油で食べます。
「たてがみ」、「ふたえご」は通が好む様ですが、馬刺し初体験の「歴爺」やゲテモノ?を食べれない者もいます。
あぁ~勿体ない、こんなに美味しいのに。2人前食べました。
余計な事ですが知らない人に解説。(インターネットから)
ふたえごは、馬のあばら部分の3層肉で硬めのコリコリとした食感と程良い甘味が特徴です。
噛むほどに旨味を増す美味しさです。
たてがみとは、別名“コウネ”とも呼ばれる馬のたてがみ部分の脂身です。
口の中で溶けていくような感じが特徴です。
翌朝は、雨がやんだので一人でウォーキングに出かけました。
廣嶋屋のまえの門をくぐると、加藤清正公のお墓が有ります。
石の墓石ではなく、浄池廟の建物の真下に清正公が葬られているので、建物がお墓にあたります。
加藤清正は、肥後藩の基礎を築き、熊本城中で亡くなり、遺言でここに葬られたそうです。
加藤清正と言えば、猛将で鳴らした怖い人に思っていましたが、熊本では「清正公(せいしょうこう)」と呼ばれ、
親しまれていました。
像の高さは8.2mで彫刻家の北村西望製作です。第2次大戦の時に金属の供出で像は亡くなりましたが、
昭和35年に熊本城とともに像も再建されました。
近くから像を見上げれば、さすが北村西望作だけあって、力強さを感じます。
加藤清正の睨んでいる先は、熊本城と肥後の国です。
廣嶋屋からは、この階段300段を登って来ます。
朝早くから、散歩の人やこの階段でトレーニングをする人が来ています。
ウォーキングから帰ってくると朝食になりました。
卵焼き、みそ汁、焼き魚、海苔、炊きたてのあつあつご飯。
黙って御替わり2杯しました。
食後、のんびりとして宿を出ました。
清正公のお墓にお参りにくる人の為の、お茶屋さん、売店、お土産屋も兼ねていますので雨戸を全部開けています。
肥後のおてもやんの女将が見えます。
歴史に詳しくない「歴爺」に熊本の事を色々と教えて頂きました。
宿泊費は、一泊2食付きで一人6,000円でした。麦水も少し飲みましたし、浴衣まで借りました。
建物は明治時代でも改装はされていますが、トイレやお風呂はどうかと言えば、トイレはウオッシュレット。
浴室はホーローバスで足が伸ばせます。シャワーも付いています。
なんだか申し訳ない金額です。
右の奥の屋根が、清正公のお墓の浄池廟の入口の門です。
この「廣嶋屋」さんは、いままで私が泊まった「C級グルメ」ならぬ「C級旅館」の中でもベスト3に入ります。
お金を出せばいい所もありますが、こんな金額で大満足が出来ました。
このほかの私の「C級旅館」は、島根県の平田の「持田屋旅館」と彦根市の「とばや」です。
この「廣嶋屋」を出て、「歴爺」達は1000円高速で山口県の熊毛ICまで帰りましたが、
女将のお勧めの熊本土産の農産物を買いに、山鹿市に出来た
“JAかもとファーマーズマーケット「夢大地館」”に立ち寄りました。
ここで、すいか、メロン、トウモロコシ、はちく、わらびなどなど、段ボール箱いっぱい買って帰りました。
歴爺の「田原坂の戦い」見聞の旅の最後は、農産物買い物ツアーとなりました。