田原坂の戦いを体験して、熊本城の天守閣には疲れの為登閣出来なかった我々「歴爺」は
田原坂の戦いの疲れを取るため、熊本市内に宿を求めました。
熊本市内の中心地から2kmばかり離れた、本妙寺の参道にある「廣嶋屋」という宿です。
この宿が、非常に良かとばってんでした。(少しおかしい熊本弁でごわすが…)
これが、宿屋の外観です。
この写真は次の日の早朝、ウォーキングに出た時に撮ったものなので、
1階は雨戸が全部閉まっていますが、一部少し隙間が有る所が宿屋の入口です。
ここが玄関ホールに当たる所です。蛍光灯で明るいですが、
古い笠に裸電球がぶら下がっているのも残されています。
もし、蛍光灯が無いと、目に老いが来ている「歴爺」全員、
上がり框に蹴躓いていたでしょう。
2階に上がる階段。四つん這いで上がりますが、
そんなに急ではありません。
2階の我々の部屋は寝る部屋とくつろぐ部屋の二部屋と豪華です。いずれも本床の間付きと縁側付きです。
明治時代には無かった、薄型テレビも完備してます。
一人の「歴爺」が縁側から外を見ていますが、この次の下の写真です。
熊本城の緑の木々の中に、天守閣が見えます。夜はライトアップされていました。
しかし、せっかくの熊本城の緑や天守閣の景色も、無粋な四角い熊本市役所の建物が邪魔をしています。
夜の宴(うたげ)の食事は、熊本名物のからし蓮根、天草沖のかますの塩焼き、タケノコとゼンマイの煮つけなどや、
宿の女将手作りのゆづの寒天?(だったかな)などなど
海の物、山の物、裏の畑の物と我々「歴爺」にはちょうど良い料理です。
それにこれ以外に、もう一品有ったのです。
馬刺しです。上の段の左から「たてがみ」、「ふたえご」、その下が「赤身?」(「トロ?)です。
スライスした、たまねぎと一緒にしょうが醤油で食べます。
「たてがみ」、「ふたえご」は通が好む様ですが、馬刺し初体験の「歴爺」やゲテモノ?を食べれない者もいます。
あぁ~勿体ない、こんなに美味しいのに。2人前食べました。
余計な事ですが知らない人に解説。(インターネットから)
ふたえごは、馬のあばら部分の3層肉で硬めのコリコリとした食感と程良い甘味が特徴です。
噛むほどに旨味を増す美味しさです。
たてがみとは、別名“コウネ”とも呼ばれる馬のたてがみ部分の脂身です。
口の中で溶けていくような感じが特徴です。
翌朝は、雨がやんだので一人でウォーキングに出かけました。
廣嶋屋のまえの門をくぐると、加藤清正公のお墓が有ります。
石の墓石ではなく、浄池廟の建物の真下に清正公が葬られているので、建物がお墓にあたります。
加藤清正は、肥後藩の基礎を築き、熊本城中で亡くなり、遺言でここに葬られたそうです。
加藤清正と言えば、猛将で鳴らした怖い人に思っていましたが、熊本では「清正公(せいしょうこう)」と呼ばれ、
親しまれていました。
像の高さは8.2mで彫刻家の北村西望製作です。第2次大戦の時に金属の供出で像は亡くなりましたが、
昭和35年に熊本城とともに像も再建されました。
近くから像を見上げれば、さすが北村西望作だけあって、力強さを感じます。
加藤清正の睨んでいる先は、熊本城と肥後の国です。
廣嶋屋からは、この階段300段を登って来ます。
朝早くから、散歩の人やこの階段でトレーニングをする人が来ています。
ウォーキングから帰ってくると朝食になりました。
卵焼き、みそ汁、焼き魚、海苔、炊きたてのあつあつご飯。
黙って御替わり2杯しました。
食後、のんびりとして宿を出ました。
清正公のお墓にお参りにくる人の為の、お茶屋さん、売店、お土産屋も兼ねていますので雨戸を全部開けています。
肥後のおてもやんの女将が見えます。
歴史に詳しくない「歴爺」に熊本の事を色々と教えて頂きました。
宿泊費は、一泊2食付きで一人6,000円でした。麦水も少し飲みましたし、浴衣まで借りました。
建物は明治時代でも改装はされていますが、トイレやお風呂はどうかと言えば、トイレはウオッシュレット。
浴室はホーローバスで足が伸ばせます。シャワーも付いています。
なんだか申し訳ない金額です。
右の奥の屋根が、清正公のお墓の浄池廟の入口の門です。
この「廣嶋屋」さんは、いままで私が泊まった「C級グルメ」ならぬ「C級旅館」の中でもベスト3に入ります。
お金を出せばいい所もありますが、こんな金額で大満足が出来ました。
このほかの私の「C級旅館」は、島根県の平田の「持田屋旅館」と彦根市の「とばや」です。
この「廣嶋屋」を出て、「歴爺」達は1000円高速で山口県の熊毛ICまで帰りましたが、
女将のお勧めの熊本土産の農産物を買いに、山鹿市に出来た
“JAかもとファーマーズマーケット「夢大地館」”に立ち寄りました。
ここで、すいか、メロン、トウモロコシ、はちく、わらびなどなど、段ボール箱いっぱい買って帰りました。
歴爺の「田原坂の戦い」見聞の旅の最後は、農産物買い物ツアーとなりました。