中ごく・武漢市民「死者数おかしい」
政府対応に疑念も 都市封鎖から2年“震源地”の今
2022/01/19 11:56
新型コロナウイルスの震源地とされる中ごく・武漢で、
ロックダウン(都市封鎖)が行われて、まもなく2年。
市民の政府に対する疑いの声は、
今も消えていない。
感染が拡大した当初、
多くの患者が確認された海鮮市場は、
今も高さ数メートルの壁に囲まれている。
敷地内は、WHO(世界保健機関)の調査団が入った1年前から、
さらに荒廃が進んだように見える。
今回の取材中、職務質問に来た公安当局者からは、
こんな言葉をかけられた。
公安当局者「政府の対策で、
中ごくは、世界一安全で優れた国になった、
と報道してください」
穏やかな口ぶりながらも、
外国メディアの動向には敏感な様子がうかがえた。
一方、武漢市民は...。
親族2人を亡くしたCさん
「中ごく全土の死者数が4,000人台というのは、
とてもおかしいと思う」
ロックダウン中に親族2人を亡くしたCさん。
コロナ患者用の隔離病棟に入院していた妻のいとこの死因は、
「肺の感染」。
その母親も亡くなったが、
2人とも、新型コロナとは認められなかった。
Cさんは、当局が意図的にコロナによる死者数を減らした
と考えている。
Cさん「役人は職を守りたいのだろう。
真相がまったくわからず、強い憤(いきどお)りを感じる」
中ごく政府は、2021年8月以降、
武漢では市中感染ゼロが続いているとしている。
👨ニュースを読んだ日本の読者は、
中ごく当局によるCさんの粛清を
ものすごく心配している。
ぼくも心配している。
👩次は……、
トンガ海底火山噴火など
未曾有の地球規模大災害がありました。
被災された方々の心情に十分に想いを馳せながらも
時期的に不謹慎で申し訳ないと思いつつ
音楽の本を紹介させていただきます。
ザ・バンド
「ラスト・ワルツ」で完成した
伝説とその後
60年代から70年代にかけての
ボブ・ディランの威光というのは、
アメリカン・ロックの歴史に
限りない影響を残している。
ザ・バンドはそんなディランの伝説から抜け出て、
オリジナリティーあふれるロックを演奏し始めたが、
望むと望まざるとにかかわらず、
ボブ・ディランのバック・バンドというレッテルは常についてまわった。
いかにもアメリカ的な、
南部の香りさえ漂わせるザ・バンドだが、
メンバーの4人までがカナダ人である。
当時ニール・ヤング、ジョニ・ミチェルら、
カナダ人でありながら、
すっかりアメリカのマーケットに定着していたミュージシャンが多かったこともあり、
それほどの違和感はなかった。
最初、ロニー・ホーキンズのバック・ミュージシャンとして知り合った彼らは、
数々のミュージシャンのバックで演奏しながら、
やがて独立して演奏活動を始める。
カナダのクラブで演奏しているところを、
アメリカのフォーク歌手、
ジョン・ハモンド・ジュニアに見い出だされ、
アメリカにやってきた。
政府対応に疑念も 都市封鎖から2年“震源地”の今
2022/01/19 11:56
新型コロナウイルスの震源地とされる中ごく・武漢で、
ロックダウン(都市封鎖)が行われて、まもなく2年。
市民の政府に対する疑いの声は、
今も消えていない。
感染が拡大した当初、
多くの患者が確認された海鮮市場は、
今も高さ数メートルの壁に囲まれている。
敷地内は、WHO(世界保健機関)の調査団が入った1年前から、
さらに荒廃が進んだように見える。
今回の取材中、職務質問に来た公安当局者からは、
こんな言葉をかけられた。
公安当局者「政府の対策で、
中ごくは、世界一安全で優れた国になった、
と報道してください」
穏やかな口ぶりながらも、
外国メディアの動向には敏感な様子がうかがえた。
一方、武漢市民は...。
親族2人を亡くしたCさん
「中ごく全土の死者数が4,000人台というのは、
とてもおかしいと思う」
ロックダウン中に親族2人を亡くしたCさん。
コロナ患者用の隔離病棟に入院していた妻のいとこの死因は、
「肺の感染」。
その母親も亡くなったが、
2人とも、新型コロナとは認められなかった。
Cさんは、当局が意図的にコロナによる死者数を減らした
と考えている。
Cさん「役人は職を守りたいのだろう。
真相がまったくわからず、強い憤(いきどお)りを感じる」
中ごく政府は、2021年8月以降、
武漢では市中感染ゼロが続いているとしている。
👨ニュースを読んだ日本の読者は、
中ごく当局によるCさんの粛清を
ものすごく心配している。
ぼくも心配している。
👩次は……、
トンガ海底火山噴火など
未曾有の地球規模大災害がありました。
被災された方々の心情に十分に想いを馳せながらも
時期的に不謹慎で申し訳ないと思いつつ
音楽の本を紹介させていただきます。
ザ・バンド
「ラスト・ワルツ」で完成した
伝説とその後
60年代から70年代にかけての
ボブ・ディランの威光というのは、
アメリカン・ロックの歴史に
限りない影響を残している。
ザ・バンドはそんなディランの伝説から抜け出て、
オリジナリティーあふれるロックを演奏し始めたが、
望むと望まざるとにかかわらず、
ボブ・ディランのバック・バンドというレッテルは常についてまわった。
いかにもアメリカ的な、
南部の香りさえ漂わせるザ・バンドだが、
メンバーの4人までがカナダ人である。
当時ニール・ヤング、ジョニ・ミチェルら、
カナダ人でありながら、
すっかりアメリカのマーケットに定着していたミュージシャンが多かったこともあり、
それほどの違和感はなかった。
最初、ロニー・ホーキンズのバック・ミュージシャンとして知り合った彼らは、
数々のミュージシャンのバックで演奏しながら、
やがて独立して演奏活動を始める。
カナダのクラブで演奏しているところを、
アメリカのフォーク歌手、
ジョン・ハモンド・ジュニアに見い出だされ、
アメリカにやってきた。