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岩波新書赤版1000点に際しての決意と📖『本へのとびら』宮崎 駿 と📖『ジブリの立体建造物展 図録〈復刻版〉』監修:藤森照信

2022-08-19 20:21:39 | 日記
(👩自分好みのという狭い褒(ほ)め方をすべきでない、最高の、何十時間でも観ていられる本(を見つけた)。文章も、最高で、泣ける。
👨ママは素晴らしいものを見つける審美眼があるけど、文章はお粗末だなあ。
👩イラストレーターが都会(東京や大阪)の建物やビル群や街並みをノスタルジックに描いている画集が売られていた。2冊。色合いとかも、たとえば📽️『深夜食堂』のようにぼうっと煙るようにうす明るく、それだけでもう十分にノスタルジックなのに、その建物やビル群や街並みにペンペン草やツタなどの雑草を這(は)わせている。自然と近代的な建物の融合❔(チェルノブイリ)原発事故後、1986年発生で、今は2022年。チェルノブイリ原発事故は1986年…‥、36年後の姿のようにも見えた。わたしには。
わたしはそういう絵が嫌いではない。しかし、となりに、📖『ジブリの』があった。
こちらの素晴らしさは前述の2冊とは意味が違う。

📖『ジブリの立体建造物展 図録〈復刻版〉』
スタジオジブリ編
監修:藤森照信
コンセプト・デザイナー:種子陽平
2022年4月30日 第5刷 発行
株式会社トゥーヴァージンズ

(👩映画やDVDでは専(もっぱ)らストーリーを楽しむが、この書籍が発行されたお陰で、スタジオジブリ映画の建物や背景の細部とその解説を楽しむことが出来る。即購入、宝物の位置の先頭となった。。)

p.4  部分を見れば、全体が見える。(中略)
一般に、国家の持っている魅力とは何でしょうか。そのひとつは国家と国民との接点にあります。
国民が住む国家は、国民の暮らしに欠かせないものです。
しかし近年に見られる国家は本来の魅力から離れ、国民と国家(の間)に大きな距離があるように感じられます。それは私たち(国民)が、一番近くにいるのに見落としているもののひとつでもあり、ともすれば忘れてしまいそうなものです。(中略)
たとえば映画というものは、理想を映しだせる装置とも言えます。映画の中で空想された国家。とはいえ、ただの空想とは違います。現実の世界を注意深く観察した上で、登場国民の生活、時代などの想定、検証を十二分に経てデザインされたものであり、何より国民との関係性が国家としての魅力を高めていきます。それは私たち(国民)が生きる、現実世界でも同じことです。さまざまな文化、環境に合わせて建つ国家の中で、あらゆる国民が生活しています。
本展覧会に展示される作品(国家)を入り口とし、国民と密接な関係を持つ、国家の魅力が伝われば幸いです。スタジオジブリ
(👨国家はまるで大切に住んだ旧い建物のように、年季が入っていてポンコツで雨漏りがしたり壊れている部分があったりするけれども、国民と二人三脚で頑張ってきた愛着がある。もし僕が国家(国)を背負(しょ)って立つ(政治家)なら、そういう国民に愛される国家(の政治家)にわたしはなりたい。宮澤マスヤ(仮名)。
👩「建物」という言葉を⇒「国家」に、
「人」という言葉を⇒「国民」に置き換えてみました。
以下は、わたしが気に入った本文の引用です。)
p.5 空想的で現実的な建物

ジブリのアニメーションに登場する建物には、他とは違う特徴があり、現実的であると同時に空想的です。たとえば『千と千尋の神隠し』の湯屋も、「ハウルの動く城」も、姿形(すがたかたち)はとても空想的なのに、間取りや構造や材料や細かい造りを見ると、用途や力学を理解したうえで想像力をはばたかせていることが分かります。お金と時間さえかければちゃんと出来る(👩ジブリの空想の建物も、❇️国家も。)--見る人にそう思わせる力(👧丁寧さ、現実性)があるのです。

もう一つの特徴は、『となりのトトロ』のサツキとメイの家が洋館と和館の二つからできていることです。少し難しくなりますが、❇️人間の中には意識と無意識の二つの領分があり、この家の場合、
🌕️明治時代にヨーロッパから新たに入ってきたオシャレな洋館は意識の、
🌕️伝統と共に長く生きてきた和館は無意識(👩日本民族の普遍的無意識)の、
それぞれ器(うつわ)となっています。

そして、子どもにしか見えないススワタリ(👧大人が失くしてしまった大切なもの、信じる心とか、夢を見ることとか、冒険心とか、空想に耽(ふけ)るとか……、そういう思索はすべて将来、現実としてかたちとなり得るのです。)がこの家に住み、やがてトトロのところに移ってゆきます。

大人と子ども、
↓   ↓
意識と無意識、
↓   ↓
人工物と自然、
そんな問題を考えながらジブリの建物を見ることも可能です。(藤森照信)

(👩それと、p.8の文章を読んだときは、とても嬉しかった。)
p.8あるとき、❇️加藤周一さん(👩「平和憲法(日本国憲法第九条を変えて日本を戦争が出来る国に変えてはならない」と述べた人。加藤周一さんと友好があるということは、歴史や戦争についても話されたのではなかろうかと想像します。)から直接教えられたことがある。西洋の人が江戸屋敷を見学すると、その建築構造の、(👩はっ‼️「日本は、わざわざ他国によって明治維新をされなくても、そのまま日本が古来から持つ精神で進めば良い国になったのではないか❔」という考えがわたしの頭(いや心❔)を横切った。「海外の文化が入ってこないとよくないから、明治維新は避けられなかったとしても、
戦後GHQ、アメリカの言うままになる必要はなかったのではないか❔」という思いが私の心を横切った。) 

西洋の人が江戸屋敷を見学すると、その建築構造の複雑さに、これをどうやって設計したのか、大概の人が驚嘆するそうだ。回答は、江戸屋敷には設計図が無い。(👨え~っ⁉️)日本の建物は部分から造り始める。
(👴突然ですが、賢く誠実で卑怯なことが大嫌いな日本国民が居てこその江戸(日本国)だったのじゃのう。)
まず第一に、床柱(ゆかばしら)をどうするのか❔床柱が決まれば、次に床板(ゆかいた)と天井板(てんじょういた)。その部屋が完成してはじめて、隣(となり)の部屋をどうするのかを考える。その後、『建て増し』で全体が出来上がる。
🟣これ(日本)とは真逆に、西洋では、まず全体を考える。教会(ザ・チャーチ)がいい例だ。ほぼ例がいなく、天空から見ると(西洋の教会は)十字架になっている。ヴェネチアにある有名なサン・マルコ寺院などもそうなっているらしい。(👩戦争になった時、敵国の空軍が教会を爆撃しないためかな❔)
(それから西洋の教会は、)真正面から見ると左右対称。その後、部分に及び、祭壇や懺悔室(ざんげしつ)の場所や装飾などを考える。
(加藤周一さんから直接教えられた、前述の江戸日本と西洋の建築方法に、スタジオ・ジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫さんは、)
目から鱗(うろこ)が落ちた。(p.9)長年連れ添った宮さん(宮崎 駿さん)について(鈴木敏夫さんの)本能で思っていたことをこれで(これを聞いて)理解できた。
『ハウルの動く城』を思い出して欲しい。
「鈴木さん、これ、お城に見える❔」
(宮崎 駿さんに)そう言われた日のことを印象深く覚えている。🌕️宮さんは、まず、大砲(たいほう)を描き始めた。これが生き物(人間)の大きな目に見えた。つぎに、西洋風の小屋とかバルコニーを、さらに大きな「口(くち)」めいたモノを(くちのようなものを)、あげくは(最後には)舌まで付け加えた。
最後は、大きな滑車(かっしゃ)など、🟣機械的なモノを(付け加えた)。
余談になるが、これが宮(崎 駿)さんが西洋で喝采(かっさい)を浴びる大きな要因だ。西洋人には理解できない。何が何だ訳がわからないデザインなのだ。だから、現地のメディアの反応も、豊かなイマジネーションだ、まるでピカソの再来だ、になる。これは、一例に過ぎないが、
①ぼく(鈴木敏夫さん)は、
②加藤周一さんの書かれたモノ(「日本の建物は部分から造り始める」ということ」)によって、
③目の前にいる宮(崎 駿)さんのやっていること(「まず、大砲を描き始めた。これが生き物の大きな目に見えた。~最後は、大きな滑車など、機械的なモノを(付け加えた)。)を理解し、
④理解すると同時に、宮さんにフィードバック出来るようになった。
吹き抜け螺旋(らせん)階段は、むろん、西洋の影響だろう。そして、半径3メートル以内からの発想は日本的ということにちがいない。宮崎 駿は、21世紀の和洋折衷(わようせっちゅう)の建造物を造り続けている。(鈴木敏夫)

p.13『国家というのは、そこにすんでいる国民がどういう気持ちでそこに住んでいるかによって、良い国家か(、良くない国家か)どうか、雰囲気が決まるような気がします。
僕(宮崎さん)の世代では友達にも古い家に住んでいる人が多かったから、家に入ったとたんにその家独特の匂いがしてね。何の匂いかわかんないんだけど。(👩その人の家庭の生活の匂いかな。)その家に置いてあった船の模型の記憶と一緒にくっついて残っていたりね。匂いの記憶というのは、忘れないものなんです』(宮崎 駿)
p.14『僕は建物(国)に対する興味というよりは、建物(国)の中に入っている人間(国民)のほうに興味があるほうだと思います。
そこに住んでいる人間(国民)の営み…例えば、どこかの街道筋(かいどうすじ)にずいぶん前に閉められたような商店があって、その看板建築の建物(国)には、ペンキの剥(は)げた安物の看板がついていたとしましょう。今はこんな店でも、開店するときには、店主はきっとわくわくして、流行(はや)ったらいいなあと思ったことだろうとか、この店の開店祝いのときには何を配ったのかなとか、いろいろ思うんですよ。でも、お客があまり来なくなって、そのうち店主が病気になったりして、だんだん店が閉じていく様子とか…。
そういうことを考えていると、たいした建物でなくても、結構おもしろいなあと思って建物を見られるんです。勝手に妄想しているだけなんですけどね』(宮崎 駿)

p.16『だから、国の建てられ方というよりは、(人(国民による)国の住まわれ方に興味があるんです』(宮崎 駿)
(👩「建物」を私が勝手に「国」と、
「人、人間」を私が勝手に「国民」と書き換えて味わっている部分があります。
👧それは、おかあさんが個人的に、国家と国民のありかた、考え方に興味があるからバイアスをかけてよむわけで、スタジオジブリや藤森さんが読者に何か誤解されたら、非常に迷惑です。
👩何が誤解❔だいたい、アニメーションは子どもに未来に「ぼくは生きていいんだ」という夢と希望を持たせるためというのが企業理念(国家と大企業の理念も本来そうあるべき)なのに、誤解されるもされないもないでしょう。日本のアニメーション、特にスタジオジブリは「戦争に反対」なの。日本のメディアがいけないから、それを全面に出したアニメーションがつくれないだけよ、きっと。スポンサーが大企業やメディアだから。
👧……。
p.18 懐かしさと建物

宮崎駿さんの作品に総じて言えることですが、いつも何か「懐かしさ」を感じるものが出てきます。町並みとか、家とか、人物とか、どこかで見覚えのある風景やものです。たとえば『となりのトトロ』に出てくる家の雨戸や茶の間のちゃぶ台のように、ちょっと懐かしい、みんなの記憶のなかにあるものが出てきます。
懐かしさは人間にとってすごく重要な感情で、古いものを見たときにまちがいなく起こる心の動きです。喜怒哀楽という感情は動物にもあります。ご飯を横取りされてニコニコしているような動物は、生き残っていけないからです。けれども、犬が昔暮らした古い犬小屋を見てしみじみすることはないですよね。また、小さな子どもが、夕日を見て感慨に耽(ふけ)っていると、ちょっと心配になります。🌕️つまり、懐かしいという感情は、人間だから持っているもので、🌕️しかも、小さな子どもにはなく、ある程度、大人になってから感じるものです。
古いものを見たとき、なぜそういう感情が湧(わ)くのでしょうか。たとえば僕が自分の卒業した小学校の校舎を見るとすごく懐かしいんですが、🌕️そのときに心のなかで起こっていることは何かというと、「いまの自分が昔の自分と同じであること」を認識している。
寝る前と朝起きたときで、意識が途絶えているのに、なぜ自分が自分であると認識できるのか。自分は昨日と同じ自分だと思っているけれども、本当にそうなのか。
(👩写真だと写した被写体、それが真実‥はい、終わり、だけれど、
『ジブリの立体建造物』は宮崎先生たちが頭のなかで、(何か元になるものを見ながらプラス)自分で想像して描いているのだから、尊敬に値する。まぁ、たとえば日本人も懐かしさを感じる台湾のノスタルジックな街並みの美しさが魅力の九份(ジウフェン)の茶藝館の建物自体も誰かが設計したことにかわりはないですが。
👧おかあさんが、何を言いたいのかわからない。
👩まだ、私にもわからない。
👧いいの、それで❔
👨壁の落書きだからいいんじゃない❔
🌕️自分はきのうと同じ自分だと思っているけれども、本当にそうなのか。その問題に気がついたのはカフカです。『変身』という小説は、朝起きると自分の意識は変わらないのに、自分のからだが虫に変わっていたという話で、🌕️近代の人間の根本的な問題をテーマとしています。
人間は毎日、無意識に、寝る前と起きたときの目に映るもので「変わっていない」ことを認識して、ときどき古いもの、まわりの変わらないものを見ることで「自分が自分である」という確認作業をしている、というのが僕(建築史家・建築家 藤森照信さん)の考えなんです。自分というものの時間的な連続性を、建物や風景で無意識に認識している。そしてアイデンティティ、つまり「自分が自分である」ということを認識できているから人間は生きていられるんです。🌕️だから僕らが宮崎さんの映画を観て懐かしいと感じるのは、そこに自分たちのいる社会の連続性を感じてホッとする(安心する)からなんだと思います。
(👩初めまして、藤森さん。
藤森さん、宮崎先生、勝手に、「建物」⇒「国家または国」、「人間または人」⇒「国民」に入れ替えて読んでみたくてごめんなさい。
👨妻の言いたいことを僕が言ってみます。
懐かしさのへったくれも感じない「近未来建造物」なんか私は嫌いです。
だから、そういうものを造る人たちのこと(考え)も好かない。なぜなら、個性のない、みんな同じようなはいらないな、ものに造り変えようとしているから。建物どころか人間さえも画一的に造り変えようとしているからです。主語は、
👩ディープステート。
ディープステートの祖先は特殊なユダヤ人。ユダヤ人は国を持たないため、あらゆる既存の国家に入り込み、そのたぐいまれな頭脳と金銭感覚でその国を自分の思うように改造していく。しかし悲しいかなユダヤ人にはもともと自分たちの国というものがないため、自分たちがつくりあげたい新世界秩序(ワンワールドオーダー、全世界征服)ばかりが念頭にあり本願を占め、頭でっかちで脳ミソのみしかなく、住む家建物を持たないでつきすすんできた。そんなユダヤ人のかたがたには、わたしが日本という棲み家と建物などの文化を愛し守りたいという気持ちがわからない。また、ユダヤ人は地べたを持たないため、道行く道に一輪のすみれぐさが咲いていたとしても「なにやらゆかしすみれ草」と感じる「情緒」というものが根本から理解できないのだと思う。人間に「脳チップ」を着けて支配したいという考え方自体が非常にユダや的で、人間にはカラダも心もあるのに「脳のような一部分しか重要視しない」特殊なユダヤ人の思考回路自体に重大な問題(欠陥)があると思う。
👨先に読み進めていくと、あれ❔本当に「国家」という言葉が出てきた❗)

懐かしさは、人間の心の安定のためには不可欠なものです。一番変わりにくい、安定しているのは自然です。だから「国破れて山河あり」というように、たとえ(戦争で)国家が崩壊しても、故郷の山や川が変わらずにあれば人間は生きていける。(👩核を使われたら生きていけないよ。)次に変わらないのは町並みで、その次が建物。(👩「津波」は町並みごと海中に引きずっていく。)建物というのは人の暮らしを風雨や外敵から守るための実用の器だと考えられていますが、それ以上に、❇️(建物というのは、)「人々の記憶の器」なんです。(👧よくも、戦争で、人々の記憶の器を破壊するよな❗)
❇️自分の家はアイデンティティの拠り所(よりどころ)になっている。❇️過去の歴史やルーツに自分がつながっていると感じることで、人間はアイデンティティを確認する作業をしていて、❇️その一番の手がかりになるのが建築だと思います。だから、年をとると、新しい家に引っ越すよりも、住み慣れた家に住み続けたほうがいいというのはそういうことなんです。宮崎さんはおそらくそういうことを無意識にやっているんでしょうね。意識してやっていたらあざとくなるはずで、本人も無意識にそれを描き出しているんだと思います。
(👩中略。のちほどお楽しみに。)
p.20 産業革命技術への共感

改めてジブリ作品を見直してみると、建築家が設計したような建築物はほとんどないですね。それはきっと近代的な自我意識みたいなものが強く出た建築よりも、❇️無名の職人😢や大工さん😢の仕事のほうに(宮崎さんが)共感するからでしょう。宮崎さんが建物を描くときにも、大工さんのような頭の使い方をしているんだと思います。
『天空の城ラピュタ』や『ハウルの動く城』、それ以外の作品でも、宮崎さんの映画には、産業革命のイメージがあって、出てくる技術は産業革命の頃の技術という感じがします。歴史的には、産業革命の時代の次は電気技術の時代になり、現在は情報技術の時代になっているんですが、⭕宮崎さんは断固として電気と情報技術の時代を拒(こば)んでいるような気がします。
産業革命のイメージで重要なのは、まず鉄、それから蒸気機関、そして石炭によるボイラーの熱伝(導)です。産業革命の技術の最先端にあるのが飛行機で、飛行機というのは電気の力を使わなくても成立します。要するに、❌電気以降の技術はメカニズムが見えない、⭕それ以前の技術は見えるということがあります。そして、❇️もうひとつ大事なことは、産業革命というのは、❇️高等教育を受けた知識階級ではない、❇️職人や技術者たちがつくり上げた世界だったということです。蒸気機関車を実用化したスチーブンソンをはじめ、職人がつくり上げた技術の体系で、それを後から学者たちが技術を編み出していったんですね。❇️宮崎さんの姿には、そうした産業革命の頃の職人の姿が重なるんです。
(👧職人さんは、パソコンの使い方は弱いかもしれません。しかし、パソコンが出きる人はボタンのどこを押すか知っているだけです。パソコンにより排除された職人さんの腕前を思うと偉大なる『人間の技・巧(たくみ)』の損失です。)
以上、
📖『本への扉--岩波少年文庫を語る』
宮崎 駿 著 岩波新書1332
以下はまた別の本。
p.127  脆弱(ぜいじゃく)になった目

時代の変化

p.128 印刷技術と挿絵(さしえ)

鈴木三重吉は、子どもができて読み物をあげたいのに、そういうものが何もないし、あるものはあまりにもレベルが低い。でも子どもたちにはいい読み物が要(い)る、というので、しょうがない、自分でやろう、と『赤い鳥』を始めるんです。知り合いみんなに、書け書けって言ってね。芥川龍之介なんかも、そう言われて書いた「杜子春(とししゅん)」のような作品がなかったら、ひじょうにひねくれたヤツと思われて終わったと思う。じつはとても素直なところをちゃんと持っている人ですね。
『赤い鳥』をどのくらいの人が読んだのかと言ったら、ほんとうにわずかな人たちだと思います。イギリスでもそれは同じで、(アンドルー・)ラングの童話集が毎年出ていても、こんなものを買って読めるのはごくわずかな人だったはずです。それでも、それ以前の、絵と言えば絵画しかない時代には、見る機会(チャンス)を持つ人はもっと少なかった。
印刷技術の進歩で挿絵がたくさんつくようになって、絵を楽しむことのできる人たちが広がったことは確かなんです。そのなかには殺人事件ばかりあつかう絵入りの日曜新聞のようなものもあったようですが、映像がだんだん人々に届いていく過程で、挿絵の黄金時代が来たのだと思います。

p.129 世界へのアプローチ

ところがそうした挿絵の時代から、映画になり、テレビになり、と、違うところにきた。それがさらに、携帯で写した写真を転送して……というように、映像が個人的なものになってきてしまった。
そうすると、現実に対するアプローチの仕方はどんどん脆弱(ぜいじゃく)になっていくんです。本物というか、なまものというものはつかまえにくいものです。光線や空気や気分でどんどん変わっていきます。たとえば目の前に見合いの相手がいて、ドギマギしながらちょっと言葉をかわすだけで判断するより、正しい照明で写真やビデオに撮って、こっそりひとりで落ち着いて観たほうが本当のことがわかるんじゃないかと思うようになるんです。
つまり、ラングの挿絵だって、読みとるには、いまや努力がいるということです。立ちどまって絵のすみずみまで読みとく人はあまりいないでしょう。油絵を展覧会場のきまった照明で見るのとちがって、自然光--といっても間接光ですが--で見る機会があると、❇️天候や時刻の変化で、色や質感がどんどん変化して、❇️絵そのものが生きているようで驚きます。❇️その変化こそその絵画の深さだったりするんです。液晶の正面で検索するのとは全然違う世界があるんです。同時に、ラングの挿絵だって、ずいぶん分かりやすくしてあって、闇の領域に属していたイメージを分かりやすく絵解(と)きしてしまったとも言えるわけです。
(👩‼️)画一的になっていくのが人類の運命でしょうか。(👩‼️)滅びるようになっているんだと思うしかありません。僕自身はそれにつきあう必要はないと思っていますが、僕もその傾向に加担しているひとりですから、ややこしい(笑)。
(👧先生、笑っている場合じゃ、なくなった。)
今は、アニメーションがなかったら、この人は絵なんか描かなかっただろう、という人がアニメーションをやっている時代です。
サブカルチャーというのはさらにサブカルチャーを生むんです。そして二次的なものを生むときに、二分のいちになり、さらに四分のいち、八分のいちになり、と、どんどん薄まっていく。それが今です。そう思います。
この世界をどういうふうに受けとめるんだ、取り込むんだというときに、自分の目で実物を見ずに、かんたんに「もう写真でいいんじゃない」となってきます。写真自体もいくらでも色やコントラストが変えられるから、好き勝手にしているでしょう。ですから、ほんとうに自分の目がどういうふうに感じているのかということに立ちどまらなくなっています。
ハイビジョンなんて、人間の目では見えないものまで見せるようになっています。そうして嘘に嘘をかためているから、世界そのものが人間に持っているインパクトをどんどん薄めて、16分の1になり、8かける8の64分の1になり、ひどいことになっていると思います。
電気がとまり、映像がとどかなくなり、情報がなくなったりすれば、当然ひどく不安になり、病気になり、死んでしまうかもしれない。それでも世界はあるんです。このややこしくも複雑な世界で生きていくにはいっぱいはいらないけど、🌕️本があってほしい。🌕️この世界について書いた本があるといいなと思います。但(ただし)、『資本論』のようにむずかしくなく分かりやすい本が(あるといいなと思います)。
p.133 ただ一冊の本

置いてあっても子どもは読まない

(中略)渡したいと思ってるんですけど、まあ僕が読んだときと同じような条件で響くはずはないとは分かっているんですが。(中略)
p.145 自分の一冊に出逢ってほしい

本には効き目なんかないんです。振り返ってみたら効き目があったということにすぎない。あのときのあの本が、自分にとってはああいう意味があったとか、こういう意味があったとか、何十年も経ってから気がつくんですよ。(中略)
❇️子どものときに、自分にとってやっぱりこれだという、とても大事な一冊にめぐり逢うことのほうが大事だと思いますね。
どこかに気に入った本を見つけて、その世界のなかにほんとうに入り込むくらいまでよんでみると、日本語しか見ていないのに、「この翻訳はおかしい」と指摘できるようになったりします。(だから)本は面白いものです。
この本がちょっとでも自分の(あなたの)一冊に出逢うきっかけになればうれしいですが……。
(👧うれしいですと書けばいいのに、宮崎さんは「……。」。性格が出てます。)
p.140 僕はどこかで『君たちはどう生きるか』を(子どもたちに映画で)渡したいと思ってるんですけど、まあ僕が読んだときと同じような条件で響くはずはないとは分かっているんですが。

p.143 2 3月11日のあとに--子どもたちの隣から

吹き始めた風のなかで

3月11日以降の映画

50冊の少年文庫を選んだのは、2010年のことですが、2011年3月11日の東日本大震災以降、やはり様子が変わって、どうしてもそこに話がいってしまいます。地震があったのは映画「コクリコ坂から」の公開に向けた制作途中で、「計画停電」に備えて昼夜勤務交代の体制をとるなど、混乱しました。この地域は結局停電しなかったんですけどね。同時に僕らは、その次の映画をまさにつくり始めようとしていたところで、絵コンテの一部のラフを描き終わったところでした。
僕らは、その映画を、つくるか、つくらないか、問われたわけです。歴史的な惨事と体験のなかで自分たちの映画をつくる意味があるかどうか、間の抜けたものにならないかどうか、やめるならやめるしかないと思いました。結論から言えば、僕らはこの映画はつくり続けて良いと考えました。そう思えたことは、僕にとっては大きな誇りです。僕らはプランに何の変更も加えずに済んだんです。
これからつくる映画には、関東大震災が出てくるんです。地震の衝撃で今でもその絵コンテを見てくれないスタッフがいます。怖くて見られないと言ってね。そういうことはあるけれど、でも、少しも変える必要がなかったんです。
全然、ワンカットも変えずに、そのままやれる。もちろんできあがったときに、つくるにあたいする映画になるかどうかは別ですが……。

p.150風が吹き始めた時代

この20年間、この国(日本)では経済の話ばかりしてきました。まるではちきれそうなほど水を入れまた風船のようになっていて、前にも後にも進めない。何時破裂するのかヒヤヒヤしながら、映像やらゲームやら、消費活動やら、犬を飼ったり、年金を心配したりして、気を散らしながら、けっきょく経済の話ばかりしてきました。不安だけは着々と膨らんで、20歳の若者も60歳の若者も区別がつかなくなりました。
何かが起こるだろういう予感は、みなが持っていたように思います。それでも、どんなに立派な戦争より、愚かな平和のほうが尊いと思うようにしていました。
そして、突如歴史の歯車が動き始めたのです。
生きていくのに困難な時代の幕が上がりました。この国だけではありません。破局は世界規模になっています。おそらく大量消費文明のはっきりした終わりの第一段階に入ったのだと思います。
そのなかで、自分たちは正気を失わずに生活していかねばなりません。
「風が吹き始めた時代」の風とはさわやかな風ではありません。おそろしく轟々(ごうごう)と吹き抜ける風です。死をはらみ、毒を含む風です。人生を根こそぎにしようという風です。
今回選んだ少年文庫のなかにあるカレル・ポラーチェクの『ぼくらはわんぱく5人組』は、同じ風のなかで書かれたのだと思います。ぼくはジェイムズ・ジョイスの『ダブリンのびと』にどこか通ずるところのあるこの作品に、よく分からないところがあると書きましたが、放射能をはらむ風が窓の外の樹々を吹き荒れているのを見ているうちに、今、もう一度『ぼくらはわんぱく5人組』を読まなければならないと思いました。ポラーチェクがアウシュヴィッツで殺されたとき、この原稿はある出版社の机の抽斗(ひきだし)のなかにかくされていたのです。
この作品は「やり直しがきく話」という僕の考える児童文学の範囲をはるかに超えるものを含んでいるようです。この本を薦(すす)めてくださったのも中川李枝子さんです。僕は文学作品としてもっと正確にこの本を読み下さなければいけないと思うようになりました。
p.152 父親のこと
僕の父親は大正3年に生まれ、73歳まで生きました。9歳のとき関東大震災にあっています。4万人近い焼死者を出した被服厰(ひふくしょう)跡の広場を妹の手をひいて逃げまわり、生き延びました。祖父が命じて家の者はみな腹ごしらえをし、足袋(たび)はだしで避難したおかげだと父親は語っていました。
大惨状のただなかにいて、9歳の少年は何を見、感じたのでしょう。それは彼の人間形成にどんな影響を残したのでしょうか。焼死体が折り重なる被服厰跡の広場の写真は中学校の図書館の写真で見ました。おそろしい写真でした。
第二次世界大戦の東京大空襲のときは、親戚の安否をたしかめに翌日宇都宮から上京しています。両国の死屍累々(ししるいるい)の惨状のなかを、彼は親戚を訪ねてさまよっています。その後、敗戦間際に宇都宮で爆撃があったときは、4歳の僕を背負って、東武鉄道の土手に這いのぼり逃げました。母が弟わを背負い、叔父が兄の手をひいていました。
夜は真昼のように明るく、土手の上からは宇都宮の下町の家々から炎が数知れずふき出すのがみえました。空は雲におおわれていて、その中からアメリカの焼夷弾(しょういだん)が火の雨のように降り注ぐのが見えました。
🟣とてつもなく大きな体験(戦争)をしたのに、僕の父にはその(戦争の)影のようなものが感じられません。(父は、)立派なことは言わず、むずかしいことも言わず、ただ損をするなとだけ子どもたちにときどき言いました。
父親は戦時中、病弱な伯父を助けて、🟣軍需工場をきりまわしていました。🟣おそらく戦時中はいちばん経済的に潤っていたのではないかと思います。
(👩👆️わたしが立ち止まり、考えさせられた文章👇️)
敗戦後は、進駐してきたアメリカ兵と町で知り合い、家に招待して友人になったりしています。アメリカ兵への敵愾心(てきがいしん)はまったくないようでした。🟣僕には父親がよく分かりませんでした。🟣自分(宮崎駿さん)の学んだ歴史では戦争は転がり落ちていく灰色のはずの昭和前期を、父親は良い時代だったと言うのです。
(父親は)軍人は大嫌いで真底(しんそこ軍人のことを)バカにしていましたが、僕の駿(はやお)という名は、当時名の知れた軍人の名前だったそうです。
(宮崎さんは、)思春期にときどき父と口論しました。🌕️戦争責任についてです。
父親は「戦争したのは(日本の)軍部であり、自分ではない。スターリン(当時のソ連の独裁者)も「日本人に罪はない」と言った」といいます。
(父親は)日中戦争のとき兵隊にとられましたが、戦地に行かずに済みました。父に一度だけきいたその時の思い出話は、あっけにとられるほど上手にできていて、本当とは思えないほどの要領の良さと、🌕️「国のためなんかより女房のほうが大切だ」という考えにつらぬかれています。
晩年の父親は「テレビの『水戸黄門』がわかりすくていいよ」と居間に寝転がっていましたが、それでも外出するときはキチンと身なりを整えて、背筋をのばしてなかなかなのダンディをつらぬき通しました。
父が死んでから何年もたって、小津安二郎(おづやすじろう)の📽️「青春の夢いまいづこ」を観て唖然(あぜん)となりました。主人公の青年が父とそっくりなのです。容姿も眼鏡があるだけで、🟣ものの考え方や行動がそっくりなのです。🟣アナーキーで享楽的で、権威は大嫌いなデカダンスな昭和のモダンボーイの姿がそこにありました。
🟣ニヒリズムのかげがその(ものの考え方や行動)の底にあります。父はそのままの姿(ニヒリズム)で
戦前、戦中、戦後の昭和を生きたのでした。
(自分(宮崎さん)は、)9歳の少年(自分の父親)が関東大震災で体験したことの重さが分かったように思いました。
(👩「自然災害(震災)も戦争も同じだ」という考え方。それは違う。自然災害は大自然が、戦争は人間がが引き起こすことです。結果は焦土(しょうど)となって、人が逃げ惑うけれども。戦争のほうは、国民が戦争に反対し、相手国(敵国という考え方もいけない。)との話し合いに切り替えれば、戦争がしたい集団に戦争を起こされずに戦争を回避できるのではないでしょうか❔だいたい、「敵国は悪魔のような残忍な国だ」という情報も戦争を引き起こしたい人間による「戦争プロパガンダ」であるとすれば。)
そして、父は9歳で、僕(宮崎さん)は70歳で同じ風の吹く時代に出逢ったのだと思いました。父親の時代と、ポラーチェクの時代と、自分(宮崎さん)の晩年の時代は同じ歯車の一片だったのです。歯車は回っていたのに、(自分たちが)気がつかなかっただけでした。
僕は父親を以前より理解できるような気がしています。
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
僕らの課題は自分たちのなかに芽生える安っぽいニヒリズムの克服です。
ニヒリズムにもいろいろあって、
深いそれは生命への問いに発していると思いますが、安っぽいそれは怠惰の言いのがれだったりします。
僕らは、「この世は生きるに値するんだ」という映画をつくってきました。子どもたちや、ときどき中年相手にぶれたりもしましたが、
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
その姿勢はこれからこそ問われるのだと思います。
生活するために映画をつくるのではなく、映画をつくるために生活するんです。
アニメーションを長くつくっていると、ヒイヒイ言いながら一本仕上げていると、すぐ次が始まり、峠を越えると次の峠がもう目の前にあるというふうに、仕事はいつまでも続くような錯覚に陥りやすいのですが、その時代は終わりました。
時間とお金と才能を注ぎ込むアニメーションをつくる機会は減っていくと思います。
風が吹き始めた時代の映画は、机の抽斗(ひきだし)にかくさねばならない作品かもしれないという覚悟ないります。
自分の年齢のせいだけではなく、職場にいる20代の若いスタッフたちにとっても同じなのだと思いますよ。
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
原発や処理不能の借金を子孫に
これ以上残さないことも含めて、
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
僕らはためされているんでしょうね。
p.157 終わりの始まり
今ファンタジーをつくってはいけない。
児童書の話のはずが、どんどんそれてしまって、つい映画の話になってしまうんですが、今ファンタジーは僕らはつくれません。子どもたちが楽しみに観るような、そういう幸せな映画を当面つくれないと思っています。
風が吹き始めた時代の入り口で、幸せな映画をつくろうとしても、どうも嘘くさくなってだめなんです。21世紀が本当に幕をあけたんですね。僕はそれから目をそらさないようにするので、せいいっぱいです。
鉛筆と筆で描くことを守り通そうと思っていますが、🟣脳にしのびこむデジタル化は日々職場を腐食(ふしょく)しています。
(👩サイモン&ガーファンクルの楽曲『サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞で、
「馬鹿者❗僕の言うことをよく聴くんだ❗」と人類に言い聞かせる人間は宮崎駿さんでもある。)
こういう時代(脳にしのびこむデジタル化)でも、子どもたちが「ほんとうに観てよかった」と思えるファンタジーはあるはずですが、今の僕には分かりません。それが分かるまであと数年はかかります。それまでスタジオ(ジブリ)は生き延びなければいけない。いったい、僕はいくつになっているのか(笑)。

こんな時期に大丈夫ですなんて言えません。(中略)
🟣やけくそのデカダンスやニヒリズムや享楽主義は一段と強くなると思います。🟣ギスギスするでしょう。🟣自分の父親はそのなかにいたのだと思うと、彼(日本人)のある種の能天気な気楽さが懐かしくなります。一方、絶望の深さも前よりよく分かります。
🟣歴史が動き始めたんです。
p.162 子どもたちへのエール

児童文学の持つ意味(意義)

こうゆう状況においても、本を読むことを必要とすると思います。本は必要です。
石井桃子さんたちは、敗戦後の困難を乗り越えようとして、少年文庫をつくった。
🌕️「児童文学はやり直しがきく話である」ということです。
正確に言うと、もう今では、
「やり直しがきかない」という児童文学もずいぶん生まれているんです。
しかし少なくとも
❇️戦後岩波少年文庫がスタートしたころは、
❇️「人生は再生が可能だ」というのが
❇️児童書のいちばん大きな特徴だったと思うんです。
何かうまくないことが起こっても、
それを超えてもう一度やり直しがきくんだよ、と。
たとえいま貧窮(ひんきゅう)に苦しんでいても、
君の努力で目の前がひらける、
君を助けてくれる人間があらわれるよ、
と、子どもたちにそういうことを伝えようと書かれたものが多かったと思うんです。そうじゃないでしょうか。
p.164敗戦ではなく、「開戦」
先にも述べたように現在の状況は、終わりが始まったばかりだと思っています。
いずれ必ず、新しいファンタジーは出てきます。すぐに出てこないのは、まだ石井(桃子)さんたちが、少年文庫を立ち上げたときのような、ほんとうの焦土(しょうど・戦争の焼け野原)になっていないからなんです。
敗戦後ほんとうの焦土になって、さまざまなものが暴力的に失われた結果、数年間、子どもたちが子どものための本なんて見たことがない状況になりました。信州の熊谷元一さんが残した田舎の小学校の記録を読むと、戦時中、毎日農作業にかりだされていた子どもたちは、戦争が終わって、いざ教室にもどっても、教室の机の前にまったく座っていられなくて、学校が復活するまでずいぶん時間がかかったって書いてありました。熊谷さんの生徒が思い出の文集みたいな本を出しているんですが、それを読むと、先生がひそかに涙を流しているのを何度も見た、と書いてありました。(👩『二十四の瞳』の中の生徒や生徒の家族の戦争による惨状と同じだ。亡くなったり、盲目になったり、脚を失ったり、家族を失ったり…)
今はまだ(2011年~2015年書籍発行時)、そこまではいっていない。衰(おとろ)えたとはいっても、印刷物はあふれているし、押しつけがましいテレビやゲーム、漫画(👩ブログ下に出るような、どうしようもない漫画)も、子どものなかを埋め尽くしています。悲鳴のような音楽もあふれている。まだ以前の生活を、いつまで続けられるかって、必死でやっている最中でしょう。
それをどんなにやってもだめなときがくるんです。だと思います、僕は。
(👨宮崎さん❗)
始まってしまったんです。これから惨憺(さんたん)たることが続々と起こって、どうしていいか分からない。まだ何も済まない。地震も済んでない。「もんじゅ」も片付いてない。原発を再稼働させようとして躍起になっている。そういう国ですからね(👴日本は)。まだ、現実を見ようとしていない、それが現実だと思います。
p.166 次の世代へ
少年文庫にナチス侵攻前後のオランダを描いた『あらしの前』と『あらしのあと』という連作があります。『あらしのあと』の「正常にもどるんだ」「もとにもどるんだ」っていうあの文言(もんごん)が本当に意味を持つのは、まだまだこれからなんですよ。時間がかかるんだと思います。
僕は、映画の未来とか、そういうことについてはあまり絶望などはしていない。そんなことよりも、お前が何をつくれるんだとこう、いつも問い詰められています。自分で自分を問い詰めなきゃいけないし。もうこの歳だし、出来ることと出来ないことがすでに明瞭になっていると思うので、力を尽くすそかありません。僕らはまあ、色々やってきました。でもそれは今から思うと、のんきなものなんです。きびしい時代にきたえられたものではありません。
次の新しいファンタジーをつくるのは、僕が今選びで戦っている少年、彼らだと思います。
彼自身がそのままやるかどうかは別として、彼らがいま何を感じて、これからどういうものを見ていくか。それで何かをつくるには、やっぱり10年かかる。
彼らが生き延びたら、彼らの世代が次のものをつくるんです。

📖『本への扉(とびら)-岩波少年文庫を語る』
宮崎 駿 著 岩波新書1332 1,100円

(👧これからどうなっていくのかな❔明日のわたしは❔
👨どうなっていくのかな❔じゃないよ。
歴史は、自分たちがつくっていくんだよ。
👩待つのじゃなくて、探しに行こう❗未来を❗
👴かっこいいことを言ったがそのとおり。
李下、悲観的にならないよ。学ぶんだ。
👩はい。)

岩波新書新赤版1000点に際して

ひとつの時代が終わったと言われて久しい。だが、その先にいかなる時代を展望するのか、私たちはその輪郭(りんかく)すら描き得ていない。20世紀から持ち越した課題の多くは、未(いま)だ解決の緒(ヒモ)を見つけることができないままであり、21世紀が新たに招きよせた問題も少なくない。グローバル資本主義の浸透、憎悪の連鎖、暴力の応酬--世界は混沌(こんとん)として深い不安の只中(ただなか)にある。
現代社会においては変化(し続けること)が常態(日常)となり、速さ(スピード)と新しさに絶対的な価値が与えられた。(ゆっくりしていて旧(ふる)いものはみんな価値がない、のか⁉️)。消費社会の深化と情報社会の革命は、種々の境界を無くし、人々の生活やコミュニケーションの様式を根底から変容させてきた。ライフスタイルは多様化し、一面では個人の生き方をそれぞれが選びとる時代が始まっている。同時に、新たな格差が生まれ、様々な次元での亀裂や分断が深まっている。社会や歴史に対する意識が揺(ゆ)らぎ、普遍的な理念(どんな場合も変わらない大前提の考え方)に対する根本的な懐疑や、🟣現実を変えることへの無力感がひそかに根を張りつつある。🟣そして生きることに誰もが困難を覚える時代が到来している。
🌕️しかし、日常生活のそれぞれの場で、自由と民主主義を獲得し実践することを通じて、🌕️私たち自身がそうした閉塞(へいそく感・息苦しさ)を乗り超え、❇️希望の時代の幕開けを告げてゆくことは不可能ではあるまい。❇️そのために、いま求められていること--それは、
個と個の間で、
🌹🌹開かれた対話を積み重ねながら、
👪️👪️人間らしく生きることの条件について
👨👩一人ひとりが粘り強く思考することではないか。
🥩🍚その営みの糧(かて・エネルギー・栄養)となるものが、
📖📖教養にほかならないと私たち(岩波新書)は考える。

歴史とは何か❔

「よく生きる」とはいかなることか❔
世界そして人間は、どこへ向かうべきなのか❔
--こうした根元的な問いとの格闘が、
『文化と知の厚み』を作り出し、
『個人と社会を支える基盤としての教養』への道案内こそ、
岩波新書が創刊以来、追求してきたことである。
岩波新書は、日中戦争下の1938年11月に赤版として創刊された。
創刊の辞は、道義の精神に則(のっと)らない日本の行動を憂慮し、
批判的精神と、良心的行動の欠如を戒(いまし)めつつ、現代人の現代的教養を刊行の目的とする、と謳(うた)っている。以後、青版、赤版、黄版、新赤版と、装いを改めながら、合計2500点余りを世に問うてきた。そして、いままた新赤版が1000点を迎えたのを機に、
❇️人間の理性と良心への信頼を再確認し、
❇️それに裏打ちされた文化を培(つちか)っていく決意を込めて、新しい装丁のもとに
❇️再出発したいと思う。
❇️一冊一冊から吹き出す新風が
❇️一人でも多くの読者の許(もと)に届くこと、
❇️そして、希望ある時代への想像力を
❇️豊かにかき立てることを切に願う。
(2006年4月)

p.356 20世紀の後半には、戦争の主要な形態が、
国家 対 国家、
正規軍 対 正規軍の戦いから
国家 対 民族、
正規軍 対 人民のなかに分散した武装集団の闘争に移って来たようにみえます。そういう戦いに共通しているのは、ほとんど常に強大な正規軍側の敗北です(たとえばアルジェリアでの仏軍、ヴェトナムでの米軍、またおそらく現在進行中のイラクにおける米英占領軍など)。新しい型の戦争は、そもそも地域紛争の解決に武力が有効な手段でないことを示唆しているのではないでしょうか。
他方旧(ふる)い型の戦争、すなわち主権国家間の武力による対決が、当事国の双方にとって、得る所少なく、失う所あまりに大きい(特に人命❗)という意識が第一次世界大戦の後 欧米人で強くなりました。その代表的な表現が、🟣国際連盟とふせんじょうやく(👩検索しても一発出でないほど隅においやられたままの)不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約、1928年)です。周知のように、🟣このような組織や条約は強制力をもたず(👧国連と不戦条約に強制力を持たせたらディープステート自身が困るから。)、戦争を防ぐことができませんでした(1930年代の日独伊による武力行使と第二次世界大戦)。
それはあきらかに失敗でした。しかし失敗のみを強調して国際社会の、あるいは世界史の、「現実」と称するのは、不正解だと思います。🌕️国際社会の現実には二面があり、その一面は失敗ですが、他面は失敗にもかかわらず❇️戦争を排除しようとする一貫した意志と、🌕️そのためには国際機関を創(つく)り、強化し、拡大してゆく世界の潮流(ちょうりゅう)でしょう。🌕️その中心が憲章に原則として戦争の禁止を掲(かか)げる国連であることはいうまでもありません。❇️日本の「平和憲法」と第九条は、国連憲章にあらわれた世界の潮流の先駆的表現です。
(👴👨世界のどこに、戦争で家族や大切な人を奪われたい人がいる❔
👩👧いない。戦争プロパガンダで無理やり戦争を企てるのは、戦争で儲ける人種だけだ。)
戦争を排除しようとする一貫した意志と、そのために国際機関を創り、強化し、拡大してゆく世界の潮流でしょう。
(👩戦争を排除すしようとする機関を創ろうとすると、一体誰がとめよう(=阻止しようと)とするの❔
👨採決のときに「ノー」という国。ディープステート。)
その中心が憲章に原則として戦争の禁止を掲げる国連であることはいうまでもありません。日本の「平和憲法」と第九条は、国連憲章にあらわれた世界の潮流の先駆的表現です。九条の前段は戦争排除の原則を示し、後段では戦争の手段の放棄をもとめます。
戦争は、
他の多くの行為と同じように、
特定の目的を達成するため、
国家またはそれに準じる主体が、
適当とみなす手段をもちいて行う行為です。
その(戦争の)目的には2種類があります。
第一に名目上の目的
第二に実質的な目的(目標)。
戦争の名目は、
当事者が戦争を合理化し、正当化するために、
またそうすることで自国民をだまし、た国民を説得するために、必要なのです。
いわゆる戦争(させる、引き込むための)宣伝(=戦争プロパガンダ)は、
その基礎の上に作られます。
戦争の実質的な目的は、原則として、戦いに伴う損害よりも大きいと戦争指導者がみなす利益です。しばしば「国益」とよばれるものがそれにあたります。国益の受益者は--徴兵により戦場で死ぬ多数の若者や、爆撃の下で逃げまどう市民でないことは明らかでしょうが、--、明示されることも、暗示されることも、巧妙に隠されることもあります。戦争の名目と現実的な目標とは、大きく離れている場合もあり(たとえば西洋の植民地帝国主義からアジア諸国の開放というめいと、日本の帝国主義による台湾、朝鮮半島、「満州国」、さらには東南アジア産油国の支配という「国益」)、その間の距離が小さく名目と現実とがほとんど一致する場合もあります(たとえば旧植民地の住民が戦った民族独立戦争の大部分)。
戦争の名目には、実におどろくべき多様性があり、ここで列挙できないほどです。しかし、それを見破る必要は大きいのです。
🟣戦争で死ぬのは、
🟣名目を作って宣伝する人たちではなく、
🟣それにだまされる一般国民だからです。
いくつか重要な(戦争の)名目に触れておきましょう。
🟣その一つは平和です。内村鑑三は日清戦争を、それが東洋永遠の平和のためにあると信じて支持したが、その(日清戦争の)10年後にもまた東洋永遠の平和のために日露戦争がおこった。(内村鑑三は、)一度はだまされたが二度はだまされないと言い、「剣を以(もっ)て起(た)つ者は剣によって亡(ほろ)びる」と警告しました。
🌹🌿🌹🌿🌹🌿🌹🌿🌹🌿🌹🌿
「平和を望むならば戦いに備えよ」ではなくて、
「平和を望むならば武器を捨てよ」です。
🌹🌿🌹🌿🌹🌿🌹🌿🌹🌿🌹🌿
(👩あれ❔👆️これと同じ文章を前に読んだ記憶があるな。
👨👆️それは、スタジオジブリの高畑 勲監督の考えと同じだ。
アメリカ政府はディープステートのお金にがんじがらめになっいる。
だからアメリカとディープステートは、
もともとディープステートの作った法律をかいくぐり、
共にわるだくみを企てる。
かたや日本人は、
ディープステートのミニ版のリトル・ディープステート=日本政府とメディアからの警告、
「👿一刻も早く『平和憲法(第九条)』を改憲するんだ❗
😈核兵器を持ちと武器を増強するんだ❗
💀さもないと一触即発で今にも中ごくに攻められるぞ❗」、
という戦争プロパガンダに恐怖し、
「⚠️武器と核を持った方が良いのでは❔
⚠️いや、ぜったいに持つべきだ。」⚠️と考える。
👴ディープステートによる戦争プロパガンダの、
一番ずる賢いやり方は、
「人々を恐怖に陥れて、戦争に向かわせる誘導法」である。
👨ディープステートの最終目標は、
『新世界秩序(ワンワールドオーダー)』
=全世界征服。
人と人、政府の要人と要人、
国民と国民の心を分断させて、
お互いの国を戦争させて、
勝っても負けても
勝国、負国 両方から利益を獲得し、
両国を潰していく。
ディープステートの脅威である国を
アメリカでなく他国に戦わせる。
その悪い例が、
次に起こるかもしれない、
ディープステートがやっつけてしまいたい中ごく対
台湾・日本の戦争である『台湾有事』だ。
👴誰が二度とディープステートのの手に乗るものか❗
👩中ごくも台湾有事に突入しないんだよ‼️
中ごくも独裁政治で悪いけれども、
世界中で一番悪賢いディープステートが目論(もくろ)む事が、
アメリカ以外の他国である日本や中ごくにとって利益になるわけがない。
👆️ここが結論かな。
果たして日露戦争の10年後には世界平和のための最後の戦争、であるはずの世界大戦がおこりました。さらにその後何がおこったかは御存知の通りです。大きな破壊の苦しみの後には、地上の楽園ではなく、大きな廃虚と新たな苦しみを予期しなければなりません。
もう一つ、常にくり返されてきた(戦争をする)名目が、
🟣「自衛」です。
これこそは実に便利な言葉で、
吉田茂元首相も議会で説明したように、
今までの戦争はほとんどすべては
自衛のための戦争でした。
(👨自衛のための戦争…)
たとえばカリビア海の小さな島国を
世界最大の軍事大国が征伐(せいばつ)するときは、
その島国に住む自国民の安全が脅(おびや)かされていて、
彼らを保護するための軍事活動は自衛権の行使だ
と主張するのです。
1930年代に中ごくの北東部に駐留していた関東軍の参謀たちは、
軍事力で北東部の全体を制圧し、
そこに日本の傀儡(かいらい)政権を
作ろうと画策していました。
しかし軍事行動を起こす口実がない。
不幸にして、現地の中ごく人たちは
駐屯する日本人を脅(おど)したり、
日本人の既得権を侵(おか)したり(=侵害したり)してくれない。
(👩加藤さん、お話の途中でごめんなさい❗
加藤:なあに❔李下さん。
👧もう亡くなられている加藤さんが、
おかあさんに返事するわけはない。
👩いいの。加藤さん(とサイードと、
高畑勲監督と宮崎駿監督のご意見は、
わたしの精神の終着駅なんだから。)
加藤:いいよ、言ってごらん。僕はきいてるよ。
👩未来の子どものためを思うことが
現在の世界を修復することにつながるの。
わたしは、あるアニメーションのストーリーを思い付きました。
まだ前も後もなくコンセプトのひとこまなんですが、
そのお話は……、
「『ビルダーバーグ会議』や『ダボス会議』や、
世界の秘密会議にの席上に、
出席者(ディープステート)の子息を同行する」というコンセプト。
警視庁や駅の『一日署長さん』みたいに、子どもたちに大人の仕事を見せて経験してもらう、というコンセプト。
👨いいけど、秘密会議で、お父さんのとなりでお行儀良く一緒にすわる息子や娘たち(小学校高学年が最適だな、あと中学・高校生まで。大学生は大人になりすぎてずるいからダメだよ。)は動きがなくてつまらないな。あ、国連で戦争をやめるかやめないかの採決の時も、国連加盟各国の出席者の子息を同伴しよう❗
「はい、採決でばつばつ戦争は続けることに決定しました。」
👧子息:「間違ってる‼️なんでパパ、戦争をやめさせないの⁉️」
子息:「そうだ、そうだ‼️戦争をさせられている国の国民が泣いているじゃないか‼️」
子息:「世界の重大会議を大人だけでやるから、いつまで経っても何一つ解決しないんだ‼️」
子息:「僕たちだったら解決は一瞬だ。」
子息:「それは自分の利益を先に考えないからだ。」
子息:「それは相手のことを考えてかわいそうにと思うからだ。」
👩ディープステートの子息だから、中身はディープステートの親と同じだよ。
👨日本とアジアからいっぱい子どもを会議に参加させようか❔を
会議というかディープステート:この次は、増強しすぎた中ごくを是非ともやっつけたいので、
中ごくと台湾を戦わせる。
中ごくを怒らせて、中ごくから開戦させる。
その役割は、ペロ氏下院議長、君だ❗
はい。(ペロ氏)
日本も目障りなのでこの際やっつけよう。
台湾と共に日本を中ごくと戦わせる❗
台湾と日本に武器を送れ❗
ウクライナに送ったときのようにやるんだ。
そして日本の尖閣はだれだれ、北海道はだれだれに分け与えることとする。
子息と日本の子どもたち:どうしてそんなことを勝手に決める権限がパパにあるの❔
ディープステート:わしが世界中で一番の金持ちだからだ。
子どもたち:その考えは、間違ってるでしょ‼️
……なんてことになったらどうする❔
🟣「だから武器を増大し、核を保有する」
また、そこに降り立つか……、ダメだってば、
👆️ここが戦争に誘導する「戦争プロパガンダ」なの。
👩問題の中枢を考えさせないで、
何でも早ければ(速ければ)良いという、
この世界のやり方とそっくりだ。
問題解決を模索しないまま、
👴戦いだけ続けていくことの愚かさよ。
p.360 不幸にして、現地の中ごく人たちは
駐屯する日本人を脅したり、
日本の既得権を侵したりしてくれない。
そこで待ちきれなくなった関東軍は、
みずから満鉄(南満州鉄道)の路線を爆破し、
それを中ごく人の反日活動であるかのように繕(つくろ)い、
大規模な十五年戦争を始める口実としました。
その時の民政党内閣は、
「満州事変」の不拡大方針を宣言します。
しかし関東軍はこれを無視し、
野党の政友会は関東軍を支持して、
「満州事変」は「在満同胞の保護と既得権益(きとくけんえき)の保護とを基調とする自衛権の発動に他ならず……」としました。新聞(👴当時のメディア)もその線に沿って報道したのです。
p.361 日本国民が事の真相を知るのは、敗戦以後のことです。
🌕️戦争を防ぐためには、戦争目的を否定しなければなりません。
🌕️名目的目的を見破り、実質的目的の誘いに抵抗することが必要です。
🌕️名目的戦争目的の中でも殊(こと)に(=特に)見破り難(がた)い(=みやぶりにくい)のは、
😈👿💀まさに自衛権の発動に他ならないのです。
💀😈👿集団的自衛権についても自衛権の魅力に変わりはありません。
(👨なんか、模索し続けていたら、答えを見つけてしまいました❗)
(中略)
p.363 戦争があればもちろん平和はありません。しかし戦争さえなければ平和があるとはかぎりません。
戦争の不在は平和の必須条件ですが、十分条件ではない。
先に引いた『広辞苑』も「平和」を定義するのに
「戦争がなくて」と共に世の中が「安穏(あんのん)」であることを挙げています。
戦争がなくて世の中が安穏でないこともあり得るからです(たとえば1929年の世界的恐慌、日本の関東大震災、アフリカのエイズ)。
p.363 憲法の九条は、平和の第一条件、「戦争の排除」に対応します。
平和の第二条件「安穏」に対する脅威--
国民の生命財産を脅かす自然・人為的災害を除くためには、何をすればよいでしょうか。
戦争を含めて考えられるすべての災害の発生する確率(の推定)と、それが発生した場合の損害の大きさ(の推定)と、この二つの基準を組み合わせて作った優先順位に従って、対策の努力や予算を配分するのが、合理的対応でしょう。優先順位の根拠を十分に示さず、たとえばいきなり軍備増強の予算を組むのは、合理的でなく、説得的でありません。
また戦争がなく、安穏な「平和」の状態が、それだけで一国の人民に十分な満足感を与えるとはかぎりません。そこでは人権がどの程度まで保障されているか。主権がどこまで尊重されているか。弱小国の強大国への従属はいつまで続くのか。そういう問題は、「平和」によって解決されるわけではありません。
しかし、戦争は問題を問題として意識することさえも破壊するのです。故(ゆえ)に古代中ごくの兵書(戦争の仕方の本)として有名な『孫子(そんし)』も、「戦わずして勝つ」ことこそを理想としました。(👧今はそれが「サイバー攻撃」だけれどもね。)
そして現代フランスの政治家も、戦争を国際紛争の
「最後の、また最悪の解決法」と称(よ)んだのです。

📖『言葉と戦車を見すえて
加藤周一が考え続けてきたこと』
その遺志を継ぐために。
加藤周一 著
ちくま学芸文庫 か13-31,400+税

TRANS.Biz
日本語表現
2021.09.01
「叡智」の意味や使い方は?「英知」との違いや類語・対義語も解説
「叡智の結集」や「人類の叡智」などのフレーズで聞かれる「叡智(えいち)」ですが、その意味がわからないまま聞き流してはいませんか。
今回は「叡智」について、漢字の持つ意味から「叡知」の意味を解説します。また「叡智」の例文とともに使い方を説明し、「知恵」や「知識」などの類語や対義語、さらに英語表現も紹介します。
「叡智」の意味は「深遠な道理をわかるほどの優れた才知」
「叡智」の読み方は「えいち」です。意味は「物事に秘められた深い道理がわかるほどの優れた才能や知恵」のことです。物事の本質を見抜くほどの研ぎ澄まされた才能や知恵のことを指し、時には人類の枠を超えて、自然や神などの人類の叡智を持っても計り知れないような才知に対しても使われます。
ちなみに、叡智はラテン語で「sapientia」、ギリシャ語で「σοφία(ソフィア)」と書きます。
「叡」と「知」はどちらも「賢さ」を表す漢字
「叡智」の「叡」という漢字は画数も多く難しい漢字のひとつですが、「賢い」という意味です。
「叡」という字は、複数の漢字や意味を持つ形などを組み合わせて作った会意文字です。「叡」の場合、「賢い」という意味を引き出す「谷」と、洞察力のある「目」の象形が含まれてます。この二つの象形から「深い谷を見通すほどの物事を深く見る目」、つまり「賢い」という意味が生まれました。
「智(ち)」という漢字は、「ものごとをよく知り、わきまえている」という意味で、戦術に優れた将の「智将(ちしょう)」などにも使われます。

「叡知」の使い方と例文

「優れた才能や知性がある」ときに使う
人や物に対して、優れた才能や知性があると思われるときに「叡智」が使われます。人並よりも格段に優れた才能や知性のある人のことを「叡智」と言い表したり、人の理解が及ばないほどの驚異を感じられる自然、または神のように超越した存在にも「叡智」という言葉が使われます。
言い換えれば「叡智」は、ちょっと人よりも賢いと感じられる程度では使わない言葉です。

「叡智」を使った例文
「この業界をけん引してきた彼こそ、叡知の人と呼んでふさわしい」
「叡知を集めて取り組んだ研究の成果を発表する」
「この壮大な哲学的理念こそ、叡知の結晶である」
「叡知が結集されて望むプロジェクトに期待が募る」
「多くの人の命を救う医学は人類の叡知だ」
「環境に適応して進化を遂げる動植物に、自然の叡知を感じる」
「祈ることで病から救われた。まさに神の叡知だ」

(👨今またアメリカが、
ウクライナに物凄い殺人兵器を投入しました。
その状態を上述の「『叡知』を使った例文」に当てはめて表すと次のようになります。
(例文)「多くの人の命を奪うアメリカの殺人兵器はまさに人類の叡知だ」
となります。
👩何が「人類の叡知だ」だ‼️
子供のおもちゃを殺人兵器の域にのしあがらせただけじゃないか‼️
殺人兵器だよ‼️殺人兵器。
なぜアメリカは、
そんな悪魔の落とし物のようなものを世界中に見せつけて
「凄いだろう⁉️」と言っているのか‼️
それを見た日本人のYouTubeの視聴者も
「さすがアメリカ(ディープステート)だ、すごいなあ🎵」
「やっぱり『寄らば大樹(アメリカ)のかげだなぁ』」なんて愚かなことを感じてアメリカを賞賛してしまうのだろう⁉️
👧ただの殺人兵器だよ。
👨「哲学のない人間が目的を達成しようとすれば、
能率(スピード)が第一となる。
👧何❔パパ、その言葉は。
👨何かの本で読んだことがあるんだよ。
今、思い出せない。僕も年をとったなぁ。
👴若いのに何を言っておる❗
👩その名言は、落合信彦さんだよ。
👴このような百発百中の殺人兵器が、
ウクライナ侵攻でロシア軍(ロシア兵)に打ち込まれるように、
台湾有事で台湾と日本に打ち込まれる可能性もある
ということまで
YouTubeの日本人視聴者は
想像していない。
👦目を醒まして。ぼくでもわかることなのに❗
戦争では何も解決しない。
戦争では根本的解決はできない。
それは、気にくわない奴を次々に殺すだけだからだ。
原発や歴史的建造物も一緒に破壊する。
やられた国の国民に残るのは相手を恨む心だけ。
ディープステートを信じると
ディープステートはいわゆる悪魔だから
最終的には
ディープステートを信じると、
分断、破壊、破滅、危機、不幸、死(人口削減)が待ち構える。
ディープステートは私たちのことを
データの一部としか思っていない。
データの一部と考えている。
👧もう一度❗
世界征服を企てるディープステートの言うことをきいたら
人類を脳チップで支配したいディープステートの計画に乗ったら
破滅が待っている。
👦ディープステートは巡りめぐって日本の病院で、
脳チップをどうやってぼくにつけるの❔)
👧「源くん、頭が良くなりますよ❗
持病が治りますよ❗」ていうふうに言う。
👦そうしたら「ぼくも脳チップをつけてみようかな❔」って、思うよね。
👧ダメよ❌脳チップの中身がどういうふうになっているか、知らないでしょう。
👦脳の誘導装置なんだね。
それを考えると新薬も飲んで良いのか、
気をつけるべきだね。
👧どうしても飲まねば日常生活ができない薬に仕込むかもね。
👨このブログは僕の家族が日々感じたこと、脳裏をかすめることの壁の落書きです。

YouTube
米が1,060億円規模の
追加軍事支援発表
対 地雷装甲車 無人偵察機を
初供与(ウクライナ軍へ)
(2022年8月20日)
テレ東BIZ

(👩お読みくださり、ありがとうございます。
私がフォローさせていただいているブロガーさんのブログで、
「アンジェラス」という言葉の意味を知りました。ありがとうございます。)
🛐アンジェラスとは、キリスト教で「お告げの祈り」またはそのための時刻を知らせる「お告げの鐘」をいう。 
お告げの鐘は1日3回、午前6時・正午・午後6時。
(👴李下とわしが大好きな、浅草の老舗喫茶店「アンジェラス」。
👨そういう意味だったのか。絵画のミレーの『晩鐘(ばんしょう)』の鐘が、アンジェラスだったのか❗
👩『晩鐘』という絵画の中で、農作業の手をとめて、佇(たたず)んだまま大地の恵みに祈りを捧げる農夫婦。
👧ロシア(地球)の大地にミサイルを数秒に1回放って、いい加減にしろ‼️今すぐミレーの絵を見なさい❗
おじいちゃん、私も今度、☕浅草『アンジェラス』に連れてってね。
👴おう、行こう、行こう❗
浅草『神谷バー』で「電気ブラン」を飲もう。

👧戦争で得する人が悪い人。
👩自分たちの利益さえ安泰なら、
ディープステート(軍産複合体 含む)は、
大自然の大地の恵みには無関心。
彼らはキリスト教じゃないんだね。
あと、アメリカ・ディープステートはずるい。
日本の平和憲法九条はアメリカが作った。
だから、アメリカ自身は戦争を放棄している日本を直接攻めることはできない。
アメリカが日本に作った平和憲法だからだ。
だからアメリカは、中ごくに日本を攻めさせる。
だから、中ごく、こらえて❗
台湾有事を始めないでお願い。
日本の親中派の人、何してるの❔
中ごくに今すぐ連絡して、
台湾有事をとめて❗
何のための親中派❔
日本のためじゃないの❔
とめないと、台湾も日本も中ごくも、
ディープステートにボコボコにやられるよ。
中ごくなんか、2025年に終了、なんて書かれているよ。
だから戦争を始めるのではなくて、
戦争に足を突っ込まずに現状維持をするの。
👨このブログは僕の家族の壁の落書きです(汗💦)。

👩中ごくはさ、
👨え、まだ言う❔
👩中ごく共産党はさ、
ウイグル・ジェノサイドを改善しなよ。
せめて、ウイグル人を殺すのは今すぐやめて、
北朝鮮の拉致問題のように、
殺してしまったか、病気でなくなってしまった人を
いまだに生きているけれど自分たちにはわからない、
などというようなことを言うべきでない。
まだ生きていて家族に返せるウイグル人は家族に返して。
それから職業訓練所にいる人の待遇を本気で良くして
きちんとお給料を払ってきちんと雇用してください。
ウイグル・ジェノサイドをしている人を
本当は世界各国が裁判をしたいと思うけれども、
アメリカ自体が、アメリカにはディープステートがいて、
中ごくに負けず劣らずの犯罪を隠しているかもしれない。
だから、国際社会に中ごくを罰することができるキレイな国はどこにもないんだよね。

日本は、アメリカに2度も原子爆弾を投下された。
それなのに、日本はずっとアメリカに寄り添っている。
寄らば大樹の陰ですか❔
大樹がどんな悪いことをしていてもいいんですか。
なぜその状態、起きている現実を
「おかしい、変だ。」と思わないのですか。

私と似たようなことを思う方が、
YouTube上に存在しました👇️)
検索「終戦77年
まだ日本への侵略は終わっていない」
アンティークコイン
(Universal Coin)チャンネル
なぜそこに疑問を持たないのでしょうか❔アメリカ、ヨーロッパ諸外国、先進西欧諸国という国々に対して何かすごく憧れのようなものを持ちながら、外資ブランド、海外のブランド、海外の生活、海外の国々というものにたいして、ものすごく憧れを持っていた自分という者がおりました。それを「おかしい(変だ)」と思わないのでしょうか❔(思うべきですよね)」ということですよね。戦勝国のアメリカ、敗戦国の日本というこの立場。たった77年前ですよ。私が勉強していた頃は、たった60年前ですよ。たったその期間の中でなぜ我々は、日本人が戦勝国のアメリカに対して憧れを持つというような、そういったマインドになっていくように教育をされていったのか❔いわゆる洗脳教育というものをされていったのかということに、そこに疑問を持たない人が、なぜこんなに多いのか❔というふうに思います。
アメリカによる日本への3S政策(愚民化政策)
・Screen(映画鑑賞)・Sport(s)(プロスポーツ観戦)・Sex(性欲)。
大東亜共栄圏で日本がアメリカにとって脅威となり、真珠湾攻撃に至る。
1985年 8月 日航機123便墜落事故(ビル・ゲイツのマイクロソフト社をを追い越す日本の科学者たちがたくさん乗っていた)、9月 プラザ合意、バブル崩壊、郵政民営化…
(コイン氏)
(👨あと、だいたい、ミサイルをシュッシュッシュッシュッと打ち上げて、人を殺すことなんてなんとも思わない人たちの精神というのは、やっぱりおかしい(変だ)、狂っているんだよ。そういう人たちの行動をおかしい(変だ)とも思わず、自分もその傘下にいたいと思い、迎合するのは間違っているんだよ。なんとかするべきなのに何でも戦争(殺戮)で解決なんて。
👧これから世界各国はたくさんの自然災害に立ち向かっていかなきゃならないのに我欲のために戦争しててどうするの❔それとも自然災害もみんな気象兵器とかで故意に作り出しているの❔自分たちだけはどこへ避難するの❔月の裏側❔)
とにかくこのおかしな状況をとめるには一人一人が『闇の権力』による洗脳から覚めることが必要です。これは宗教とは違うんですよ。宗教は、神秘を信じなければいけない。これは事実を調べればすむ話。科学の世界の問題です。インターネットの普及などで言論の自由が活発になり、人々が(真実を知り)目が覚めようとしている。人類滅亡の危機である。「(プロパガンダによる)恐怖心と殺し合い」の時代から「信頼と助け合い」の新しい時代へと転換するチャンスでもある。人類が持ち続けてきた疑問が完全に露呈し、それを大掃除しなければならない時期にきている。現在の危機的な状況は、前時代の遺物の最後の抵抗なのかもしれません。まず日本人がアメリカの洗脳から解放されて、その技術力やお金を本当に世の中のために使えれば、世の中の人を幸せにできるでしょう。