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ウクライナ危機 プーチンの戦争

2022-02-21 07:17:57 | 日記
(👨日本政府はロシアにやれたように、
中ごくのときも習●平氏に
厳しくできるのだろうか❔)

ウクライナとロシアはきょうだいのような関係だった。
ドイツ国民とユダヤ人も隣人、友人として仲良くしていた。

ウクライナ政府と世界各国は連携した。

(👨第三次世界大戦❔
そしたらまたより多くの人命が失われ
世界中が放射性物質で汚染されるだけ。)

ロシア(SWIFT国際決済網からの)排除が決まった。
ロシアの決済をとめた。
プーチン大統領の暴挙をとめることを
世界が決めた。まさしく総動員。

岸田首相もロシア排除に参加した。
🌕️日露関係に支障が出るが、
欧米に日本を応援してもらうためにも参加した~🌕️
(👨🌕️~🌕️間がYouTubeでは省略されている。

習●平氏が怒らないようにNHKは
BSスペシャル美容紀行 中国
👴象潟や雨に西施がねぶの花
👩それは『奥の細道』)


4日経過。戦闘激化。

EUから戦争状態の国へ初。
ウクライナへ、
武器資金が供与された。

ドイツがOKしたことが大きい。

欧露領空閉鎖合戦。

ロシアとの関係を見直す企業が増えている。
ロシアでビジネス展開を終了。

核の使用をちらつかせるプーチン大統領。
プーチン大統領の狙いは、
自分の言いなりの政権をつくること。
ロシアの高い要求を(無理な要求)のませること。

ロシア国内外からプーチン批判高まる。

戦闘継続によりロシア国民の生活が低下、
ロシア国民の不満が高まる。

プーチン大統領個人の判断が
どれだけ世界に影響を及ぼすのか不透明。

何しろロシア、プーチン大統領を
とめることが先決。

むき出しの暴力で戦った歴史、
時計の針を昔に戻してはならない‼️
力(暴力)による現状変更を許してはならない。

👆️これをアジアで真似されないように。
アジアは真似してはいけない。
(以上、合六強さん)

「核の発射ボタンを
狂人とテロが握っていないこと」
うっわ、プーチン大統領❔
プーチン大統領の続投をのぞんだ
ロシア国民は、
プーチン大統領が核のボタンを押したらどうするつもり❔
大惨事になって世界に謝りきれないよ‼️
現代の核の威力は、
ヒロシマ・ナガサキの何千、何万倍‼️)

ウクライナの英雄ゼレンスキー大統領は
世界の法律に訴えた。
(👨これで21世紀の今もまだ
世界法規が何の役にも立たないことが
明るみに出てくるからそれがいい。)

常任理事国が当事者だと🇺🇳国連が機能しない。
ロシアのウクライナ侵攻をとめることができない。
(👨⏺️常任理事国ロシアを解任すれば❔)

🌕️『ウクライナが勝つ道(方法)を
🌕️ウクライナと一緒に考えること』が、
🌕️私たちがウクライナにしてあげられること。
🌕️ウクライナの国民は
🌕️「もうロシアなんかと一緒になりたくねぇ‼️」と思っているし、
🌕️ロシア人も「もうこんなプーチンはイヤだ‼️」と言っているんですよ。
🌕️👆️それがプーチンの歴史的評価になるんだったら
🌕️この2022年2月は、
🌕️『ロシアの失敗の歴史』になります。
経済制裁されてもプーチン大統領は、
「まだ行ける‼️」と思っているんじゃないかと思います。
🌕️ウクライナ問題と台湾問題は連動している。↙️↙️
🌕️日本政府と日本国民は
ウクライナ侵攻を注視して、
もっと『当事者意識』を持たねばならないと思います。
🌕️(国際社会にできることは【深層News】)

❇️『世界中の人が今こそ「戦争をやめよ‼️」
と言わないと、戦争は終わらないと思います』
とプーチンデモ。

(👨こういう風に自分の意見をハッキリ言えるんだと、
日本在住の外国人に僕は尊敬の眼差しを送った。
彼らと比べて僕は……
居ても立ってもいられなかった❗)

ウクライナ侵攻
「プーチンは制御不能」 
元英外相が指摘する、
「帝国」の意思と弱点
服部正法氏
2022/2/26 16:29(最終更新 2/26 19:30)

国民向けの演説で、
ウクライナ東部の独立承認を表明するロシアのプーチン大統領
=モスクワで2022年2月21日、スプートニク通AP 

近代の英露関係史を詳述した著書を昨年発表したばかりのデービッド・オーウェン元英外相が、
ロシアによるウクライナ本格侵攻直後の24日、
毎日新聞の電話インタビューに応じた。
オーウェン氏は侵攻の背後にあるプーチン露大統領の世界観や、
北大西洋条約機構(NATO)を巡る外交、
地政学上の機微について語った。
【聞き手・ロンドン服部正法】
プーチンはもはや通常のロシアの指導者ではなくなった。
完全に制御不能で、政治勢力であれ軍であれ、
誰も彼(プーチン氏)を抑えることはできない。
世界にとって大変危険だ。

NATO部隊がウクライナでロシアと戦うのは論外としても、
まずウクライナを、
そしてロシアに近く潜在的に攻撃を受けやすいNATO加盟国を
全力で支援しなければならない。

1人の(独りの)政治家の勝手な思想で
3500人が犠牲になったことは
現代ではもう許されない。
それがたとえ自分の国の兵士や国民でも。
人間のいのちに違いはないから。
ロシア兵が1人死んだとしても、
責任はすべてロシアにある。

NO WAR‼️SAY NO TO PUTIN‼️
プーチン氏は国際法を破り多くの人を殺しました。
ただ意味もなく殺したのです。

(👩21世紀2022年、
国民も兵士も
悪い国と悪い大統領の命令を聞かなくてもいい時代。
時代は変わりました。
もう昔じゃありません。
みんな、何でも知ってるし、
自分で考えるから、
とても賢くなったんです。)

YouTube検索ワード
ウクライナの女性、機関銃を持つロシア兵士に
「何しに来たの?」と詰問
BBC News Japan
(👨👆️こういう映像がリアルタイムで配信されるところが、
今までの大戦と違うところです、というコメント。
👩👆️この動画とコメントが戦争をやめることができる手がかりになりますように❤️
👧👆️このYouTube動画へのコメントの
素晴らしいこと❤️
私はこの勇気ある女性と優しい兵士のようになりたい。
👨それと、お二人が言葉が通じて良かったね❤️
ベトナム戦争だったら無理だ。
👩戦争という状態に屈せず、
「何しに来たの❔」とロシア兵に
毅然といい放つウクライナ女性は
決定権を持つ強い女性👍️

戦争って人の心や
人間としての最小単位の大切な家庭に
土足で踏み込んでくる‼️
そんな泥棒警察みたいなこと、
していいわけがない‼️

👨たじろぐロシア兵、
たじろぐのは当然。
自分たちロシアが勝手に攻め込んだのだから。
可哀想にロシアの兵士たち。
命令に従わないと自分が処分される。

ウクライナの女性に
当然の言い分を言われて、
ウクライナの女性に返す言葉がない…

👴もともと戦争に意味などない。
しいていえば破壊と殺戮と空虚(むなしさ)。

👨世界各国はウクライナを見殺しにしてはならない。

👧ロシアにも人を殺すなんて嫌だと感じている兵士は沢山いる。
自分の意志に反することをするべきでない、
しなくても良いのが現代。
今、2022年。
今どき誰が人間なんか殺す❔

まさかこれを観たプーチン大統領は、
このロシア兵を粛清するのでしょうか❔

たった1人の愚か者のせいで、
幸せだった世界中の人々が
急に自由を奪われて右往左往するのは全くおかしい。
大統領の部下たちも実は全員正常で、
戦争イコール人殺しなんか誰一人したくはない。
大統領がこわいから、自分の家族のいのちが大切だから仕方なく
大統領の命令を聞いているだけ。

👴郷美ちゃん、プーチン大統領にいくら怒っても無駄だよ。
プーチン大統領は、
過ぎ去りし前々時代の皇帝の亡霊。)

【YouTubeコメント】
「ウクライナのゼレンスキー大統領と閣僚の皆さん、
ウクライナ国民のために頑張れ‼️
プーチンは、ゼレンスキー大統領を粛清するな‼️」

(👴戦争というものを目の当たりにして、
世界各国と世界を牽引するアメリカは、
戦争で人間を殺戮なんて、もう時代錯誤だと思ったし、
ウクライナにゼレンスキー大統領のような立派な大統領と立派な国民がいることを知った。
アメリカの大統領と補佐も
世界各国の閣僚も、
これからはもっと自国の国民を大切にするし、
自分たちが自国の国民を大切に思うということは、
他国の大統領も自分の国の国民と兵士が大切だということが痛切にわかったと思う。

戦争はお互いの国の兵士と国民の数を減らすだけの全く下らないものだ。)

ロシアの非難決議採択‼️
ロシア、孤立‼️
中ごくは棄権。
国連安保理
(👴国連の事務総長が正当なことを仰ったことは、
彼が国連として正気なことが判明してほんとうに良かったと思った。

今まで国連が国連の中枢を中ごく代表に任せきりにしたから
こんなことになってしまったのかもしれません。

もしもですが、
中ごくがロシアにお金を渡すから
ロシアが戦争が出来てしまったのかもしれません。
中ごくはロシアにお金渡すのをやめてもらいたい。
中ごくはロシアが戦争をする様子を見て、
世界各国がどのような態度に出るのか
注意深く観察しているのかもしれません。

アメリカが、世界各国が
どれくらい戦闘の用意を持っているのか、
中ごくは一番知りたいのかもしれません。

そして中ごくは、
たとえば台湾戦争など、
次に自分が戦争をするときに
各国の戦闘態勢を上回るものを準備しておこうと
考えているのかもしれません。

👧だから米ブリンケン国務長官の考えは素晴らしいと思います。
今になってブリンケン国務長官の考えの素晴らしさがわかりました。

ブリンケン:
「こちらとしてはどんな戦闘の準備もしてあるが、
ギリギリまで外交を続ける。」
ギリギリまで外交を続けると仰ったブリンケン国務長官。

👩アメリカは弱くなったのではありません。
アメリカは自分の国も今までしてきた、
戦争の愚かさを
ウクライナ戦争の現状を端から観て知ったのです。

👴アメリカはハッピーエンドの国。

👩ブリンケン国務長官は、
ロシアのプーチン大統領が一方的戦争に始めた(ふっかけた)戦争を
大惨事(第三次世界大戦)には絶対にしない、
したくないと仰っているのです。
世界各国の今の幸せを壊さないために。

👧たとえば靴を隠されようが、
靴の中に画ビョウを入れられようが、
教科書にマジックで真っ黒に落書きされようが、
ノートをビリビリに破られようが、
頭から水をかけられようが、
カネをかつあげされようが、
🌕️怒りに負けて
🌕️いじめをする相手を殺してはならないのです。

🌕️いじめは、そのいじめを見ているだけの、
🌕️いじめの傍観者たちもいじめの同罪です。
いじめを見ている人たちが
🌕️「そんな卑怯な子供じみたことをするのはやめろ‼️」
と声を上げて、いじめに抗議すればいいんです。
なぜいじめられている人を
かわいそうに思いながらも
ただ傍観しているのですか❔

👩それは、
「いじめをやめろ❗」言った自分が今度はいじめられるのがこわいからです。
 
強いものには1対1では負ける。
束になって意見を言う。
その時、親身になってくれる校長先生はあまりいません。
学校(校長先生は学校の大統領。
校長先生にとっての学校は国。)

法律を作って対抗する。
文言の力で対抗する。

👩いじめをする人には深い精神的な問題(闇)が潜んでいる。
早急にクリニックに連れていくべき。
ロシアのプーチン大統領にしろ、
中ごくの習●平国●首●にしろ、
『境界性皇帝障害』。
世界中で自分が一番偉いし、
世界中で自分が一番目立ちたいし、
世界中で自分が一番尊敬されたい病。

👴たとえ世界法規があっても
自分が世界で一番偉いと思っている彼らが
法廷に出廷するはずもない。
それ以前に
彼らの首に鈴を着ける方法がない。

もともと狂人というのは、
「自分は狂人ではない‼️」と言い張る。

それに、精神病者は問題を把握する能力自体を持たないので
法廷で裁かれない。

ああだから、強権国のトップは、
自国のどんな法律で裁かれることからも免除されているんだね。
それなら私も納得できる。
彼らは狂人なんだね。

国際社会の大統領たちと、
前々時代の皇帝たちとの話し合い電話会談。
大統領と皇帝をつなぐ一本の見えない電話線は、
何世紀もの隔たりの長さなんだな。

YouTube検索ワード
プーチン氏が幹部に''踏み絵''「イエスかノーか」突き付け…

プーチン大統領が自国ロシアのさまざまな幹部1人1人に
たとえはロシアのCIAナルイシキン氏に、
「俺(プーチン)が今やっている戦争に反対か賛成か⁉️
イエスかノーか⁉️」と聞いて、
「(イエス(賛成)だと言え‼️言わないとクビだぞ‼️
クビどころか以後ロシアで生きることは許さん‼️)」
と、その場の空気と眼力で幹部を脅していたプーチン大統領。

👧プーチン大統領はDVの人と同じなんだね。
トップ・オブ・ザ・DV。
うっわ‼️


👨『栄えある21世紀に戦争なんかやめろ‼️』
『戦争犯罪人は罪が浄化されず、地獄に堕ちる‼️』と
ロシア国民はプーチン大統領に言わなければならない‼️
ロシア政府による『ウクライナ侵攻』開始‼️ 
前時代の皇帝プーチン大統領はとうとう戦争を始めてしまった‼️
どんなに強権で軍国主義の政府でも
国民が賛同しなければ戦争なんか出来ないんだよ‼️
かつてのドイツ国民だって、
「ハイル・ヒトラー」なんて言わなければ、
ナチスドイツとヒトラーは
ホロコーストなんて出来やしなかった‼️
みんな、国民が、悪い指導者に賛同するからいけないんだ‼️
ウクライナの人々があなたの国から攻撃を受けて
次々に命を落としていくけど、
あなたたたちはそれで平気なの⁉️
戦争なんかダメだよと言えば世界中が味方してくれるから‼️
政府だけがやりたい戦争なんてバカみたい‼️
戦争は、政府のトップが自分の意見が聞き入れられないからと言って、足をバタバタさせて猛烈に怒るだだっ子のようだ。
せっかく作った建造物を壊し、せっかく天からもらったたった一つのいのちを一生懸命生きている人々を容赦なく殺す。
政府のトップは刑事責任を問われないって⁉️
それは自分に都合の良いように、自分が作った法律だろう‼️
まったくずるくて卑怯だ‼️)

YouTube検索ワード
「私たちの戦争ではない」、
「世界に憎まれてしまう」
戦争に反対するロシア人の声 
BBC News Japan


ロシアはチェルノブイリ原発『現代のバベルの塔』を狙っている⁉️」
(👩私は「ウクライナ」と聞いたときから、
「チェルノブイリ原発」に何事もなければいいな
と思った。)

1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故。
「原発は光に包まれていました‼️」
「ここへ来るまでに道端で
血を吐いて倒れている人を見ました‼️」

👧えっ👀⁉️チェルノブイリ原発事故って、
そんなに酷かったの❔

👨そうだよ。隠蔽体質の国だもの。
「ほうれんそう(報告・連絡・相談)が
まったくなされない、
周知を行き届かせない、
闇の深い国の先頭だ。」
市民にもすぐに事故を伝えなかった。
2022年の今だから全貌を知ることができるけれど
すぐに知らせなかった罪は深い。 

👧なぜ知らせないのだろう❔
ここが、世界中で1番の論点だと思う。

👨やはり、原発を任されていた人たちが
チェルノブイリ原発が爆発したことで責任を問われ、
自分自身の命の危険を感じるからだろう。

👧死刑とか❔

👨そう。

👧日本政府も隠すけれども、
日本は原発の人たちを死刑になどしない。

👨ロシアの国民は、
みんな自分と自分の家族生き死にが
ロシアのプーチン大統領の一存で決まることをよく知っていて、
だから今度のウクライナ戦争にも
反対できないんだ。

👧強権って、ほんとうにイヤ‼️
現代にまだ根強く遺る、
『強権政治は、21世紀の負の遺産』。
強権の一党独裁者も21世紀の負の象徴。


👩通称『リクビダートル』という
若い男性の処理班のかたがた『英雄』が
すぐさま原発事故の残骸処理班として
チェルノブイリ原発の敷地に入れられた。)

YouTube検索ワード
「【漫画】チェルノブイリの悲劇
史上最大の原発事故【実話】」

(👩爆発したチェルノブイリ原発の
放射能渦巻くなかに 
ソ連は英雄を軽装で、
何の防護服も着せないまま、
綿の服だけを着て入らせた。
リクビダートル自身も当時は、
放射能の影響などきっと知らなかった。
ソ連は彼らに原発の残骸を処理させた。
その後リクビダートルの寿命は非常に短く、
みんな白血病などの白血球や甲状腺の病気にかかって亡くなっていった。

リクビダートルは国から名誉勲章をもらい、
いつも眺められるようにと
病床のベッドの脇に勲章を大切に大切に置きながら 
リクビダートルの皆さんは 
だいたい50歳前後で亡くなった。)

世界中で高まっていく、プーチン大統領への不満。
日本でもいま、ロシア大使館の前にウクライナの人々が集まっている。
(プーチン・デモ)
「もう21世紀なのに世界はいまだにプーチンをとめることができないのが信じられません。」
(日本のロシア大使館前デモに参加したウクライナ、ドネツク(ドネツィク)州出身の青年の言葉。)
「国連の常任理事国(ロシア)によって、
こんなあからさまな他国への侵略があっていいのか❗
それももう21世紀に❗」



ウクライナでは、
市役所からあわただしくパトカーが出発し、
「(ロシアからサイバー攻撃を受けた場合を想定して)
すべての通信手段が遮断された
という状況を市民に説明する」
という訓練が行われています。
パトカーのスピーカーの声:
「ご注意ください‼️
インターネットやモバイル通信‼️」
(CNN news CH)

プーチン大統領:
「01:23分、ウクライナ侵攻は始まった」
(👴すぐにウクライナ国内の邦人保護を‼️
プーチン大統領を絶対にとめなければ
世界大戦になる可能性がある。
👨これも戦争プロパガンダかもしれないので
判断は非常に難しい。
プーチン大統領を
対話でとめることはできないのだろうか❔)



(社説)ロシアの強権 政治的弾圧が目に余る
2021/1/25 5:00




📖『ハイブリッド戦争
ロシアの新しい国家戦略』
講談社現代新書2607
廣瀬陽子(著)(『強権と不安の超大国ロシア』の著者
旧ソ連新興独立諸国をくまなく訪れ、体当たりで取材してきた筆者は、翻弄される側の国ぐにからロシアを覗いてみることによって、その"KGB的体質"を明るみに出していく。
外交においても、ビジネスにおいても、かの国ぐにとの関係が深まる今日、本書は日本人が直視しておくべき「現実」である。
ソ連解体後に独立した諸国は、ソ連時代には「内側」から、現代は「外側」からロシアを見ており、住民たちの感情が複雑であることは、本書(『強権と不安の超大国ロシア』)で明らかになるだろう。)


『ハイブリッド戦争
ロシアの新しい国家戦略』の
読者レビュー

プーチン以後の
ロシアの外交戦略を調べると、
国力の不足する中で
ハイブリッド戦争の手法を編み出してきたことがわかる。
そのキーワードは
・サイバー戦
・PMC
・政治技術(世論誘導攪乱)である、
と言うあたりが著者の主張で、
流れや事例を鳥瞰しているところに価値があると思う。
概観なのでここの事例については踏み込む紙幅がなかったようだ。
世界情勢やサイバー戦に興味のある方にお勧めする。



明確に定義付けされていないハイブリッド戦争、
特にロシアのそれについて、実例豊富にわかりやすくまとめている。
正規戦・非正規戦の境を越え、
ありとあらゆる手段を用いて
政治的目的を達成しようとするハイブリッド戦争。
ジョージアとの戦争で実績を積み、
ウクライナで花開かせたと言われる。
そしてシリアへの介入もハイブリッド戦争の一環であり、かなりの部分がPMCに担われている。
⚠️⚠️現代のロシアの戦争目的は
⚠️⚠️領土拡大自体ではなく
⚠️⚠️敵対的な同盟の弱体化、
⚠️⚠️自身の同盟の拡充である。

面白いのはロシア自体は自身の戦略をハイブリッド戦争と呼びたがらず、むしろ
⤵️⤵️西側諸国からハイブリッド戦争を仕掛けられていると考えていること。
ハイブリッド戦争にはprobing、探りとしての手段という側面がある。
コサックの由来やPMCが持つ魅力、
ソフトパワーの悪質版であるシャープパワー、
サイバー戦とタリン事件、
北極圏や南米、アフリカ等での地域ごとのロシアの活動、についてもまとまっていてわかりやすい。



2013年 ウクライナ危機
⚠️⚠️プロパガンダ、
⚠️⚠️親露派政治家、
❔❔民兵、
⚠️⚠️フェイクニュース、
⚠️⚠️サイバー攻撃、
⚠️⚠️経済脅迫
⚠️⚠️領土拡大ではなく、
⚠️⚠️旧ソ連地域での
⚠️⚠️影響力の拡大による一極を目論む

PMC 民間軍事会社
 最前線で戦う戦士一人につき100人の後方支援。
 ロシアでは非合法事業
  ワグネル 5000人以上? 2000人以上が戦闘要員
シャープパワー
 ソフトパワーの悪質版 
⚠️⚠️フェイクニュース クリミア併合
⚠️⚠️サイバー攻撃
攻撃範囲が無限大、
相手の特定困難、
小が大を攻撃、
不可視、
⚠️⚠️法的グレーゾーン
 ロシア サイバー軍1000人 中国10万人、日本500人へ
 APT28 ファンシーベア、APT29 コージーベア、ブーデゥーベア、ベノモウスベア
 DDoS攻撃
 IRA 大統領選挙操作

エストニア
 2013年タリンマニュアル NATOサイバー防衛協力センターCCDCOE
ジョージア
 2011年CERTサイバートラップ ロシアのハッカー情報取得
 中露 2015年サイバーセキュリティ協定
北極圏
 温暖化による天然資源 北極海航路=北方領土の主点 択捉国後 潜水艦航路
 軍事砕氷船、ミサイル防衛、航空機ツボレフTu160、極地戦車リザル、
 空中発射弾道ミサイル キンジャール
ニカラグア
 軍事支援 2017年グロナス(≒GPS)基地「チャイカ」
インド
 軍事深化 70%がロシア製兵器 地対空ミサイル トリウームフ 原発2+5基導入へ
中東
 シリア紛争への介入 海軍空軍基地 トルコへ接近 地対空ミサイル導入

武器大国
 通常兵器で劣る面を ミサイル防衛、極超音速、核搭載型の新型兵器
  極超音速滑空体 アバンガルド
  極超音速ミサイル キンジャール
  原子力推進魚雷 ポセイドン
  原子力推進巡航ミサイル ブレベスニク
  新型ICBM サルマト

アフリカ 最前線
 地域紛争に関与 軍事拠点  天然資源 鉱物の輸入
 非国家主体との対決の経験 欧米の価値観を共有できない非民主体制国
 表面的に同じ方向の中ごくとも対抗し、中ごく一片道倒を避ける心情を利用

 1)武器兵器販売 原子力発電の輸出
 2)安全保障(反乱やテロ対策コンサルティング:グレーゾーンPMCとの連携)
 3)国連で65票の政治的ツール 影響力 フェイクニュースのフランチャイズ化

❇️対抗策
🌕️・敵を知る
🌕️・サイバー領域レッドラインを設ける
🌕️・敵の負担コストを上げる
🌕️・防衛強化(サイバー衛生):情報リテラシー教育
・攻撃(インフラへのサイバー攻撃):反撃用ウイルス
🌕️・結果の警告(抑止効果)
❇️・サイバー、宇宙条約(ジュネーヴ条約)
❇️・同盟維持強化(中露対抗)
❇️・リーダーシップ(国民への認知):ホワイトハッカー

(👨国民への認知‼️

👧突然ですが、ロシアじゃなく、
中ごく国民の皆さんについての
私の感想です。

中ごく国民の皆さんが、漢人が、
中ごく共産党(習●平氏)に命令されて、

あまりにもすんなりと、たとえば
何の罪もないウイグル人を
強制収容所に連行したり、

ウイグル人に暴力を振るえる理由はなぜかを
私は考えてみた。

私は小さい頃から
おかあさんが
私の机の上に
いつか読めるようにと
『アンネの日記』などを
置いておいてくれた。

そういう何でも読めて観られる環境で
私は育った。
おかあさん自身も小さい頃、
私のおじいちゃんとおばあちゃんに手をひかれて、
浅草の映画館まで行って、
まだ小さくて何もわからなかったけれども、
『夜と霧』のドキュメンタリー映画を観たという。

帰りは、創業昭和21年の老舗 
『葵丸進あおいまるしん』で、
天麩羅を食べて帰ったという。

つまり、中ごく人の皆さんは、
私と同じ環境で育たなかったのでは❔
ということです。

そうでなければ、
すんなりと命令を聞き入れ、
ウイグル人に暴力を振るうわけがない。

中ごく人の皆さんに質問です。
あなた方は、映画でたとえば
『夜と霧』
『アンネの日記』
『シンドラーのリスト』
『杉原千畝物語』
などを観ましたか❔
本でたとえば
『絵本 野口雨情物語』読みましたか❔
(「私の理想とする童心とは、
大人になっても忘れない純粋な子供の心です。
私は、大人になっても、
この童心を失わないでいられるから
幸せです。

(👩サン・テグジュペリの『星の王子さま』
の中の言葉と同じだ❗)

雨情さんが、若いころからいつも思っていたのは、
お金持(ち)が貧乏人をいじめない、
公平で住み心地の良い世の中にすることでした。
また、どこの国の人とも仲良しになることです。
しかし、大金持(ち)と軍隊の指導者たちは、
弱い国を攻めて家来にし、
❌❌日本を世界一に輝かそうとしていたのです。
そんな戦争はいけないことだ、
と雨情さんは思いました。
🌕️🌕️中には、命がけで反対した人もおりましたが、
❌❌その人たちは捕(とら)えられ、
「国賊(こくぞく)(日本の敵)」と、
ののしられ、
二度と出られない牢屋に押し込められたのです。」
書名 『絵本 野口雨情物語』
文   長久保片曇
   (『野口雨情の生涯』の著者)
絵   笹森眞紀子
発行所 暁印書館
発行日 平成6年12月20日
定価 1,553円+税


(👩『国賊』⁉️
国賊は国民ではなく、
政府と軍隊の戦犯のほうだろうっ‼️

👨なんだ‼️昔は日本政府も
ロシアや中ごく、タリバンと
同じことをしていたんだね❗))


👩ついでに言えば、
反戦レジスタンス映画『地下水道』
などを観たことがありますか❔
「やっと逃げられる‼️」と思ったら
マンホールの出口には鉄格子が張り巡らされていた‼️
マンホールの上の市街地の激戦区では、
たくさんの見張りの兵隊がうろついていた‼️
嗚呼、万事休す‼️


👧強権国家体制では
「そういうことをしてはならない」、
「人間にはあまねく基本的人権がある」
という、
人間として一番に守らねばならない
基本的なことを
国から教えられていないのではないか⁉️
と感じるのです。

自分の国が攻められているから
護ろう、護ろうばかり教えられて。

もしきちんと人権と物事の判断、
人間として何をして善くて
何をしたらいけないのか❔
を教えられていたら、
「自分がいましようとしていることは、
人間としてやっていいのだろうか⁉️」と思い、
たとえ一瞬でも悩むはずだ。
彼らはその、
人間として絶対に必要な『躊躇すること』と、
『自分の行動を押しとどめる力(思考力)』
を持ち合わせていないのではないか❔
と私はやおら心配になった。

👨中ごくは特に
「お金が一番」というのがあるように思う。
「世界人権デー」の日に、
中ごく人の弁護士一家を、
子供の学校の送り迎えや
食料の買い物以外、
自宅から一歩も出さないようにと
中ごく共産党から命令され、
弁護士一家を一家のマンションの玄関の外に
一日中たむろして見張る数人の人影。
自称「警察関係」の人びと。
弁護士が「身分証明書を見せなさい‼️」と言うと、
「勝手知ったる長い付き合いじゃないか」
などと言って身分証明書を見せない。
彼らはカネで雇われているだけなのだろうと思う。
彼らは仕事から帰ってきて自分の子供に、
「きょうは父さんは弁護士一家を
一日中見張って脅してきた。
それが父さんの仕事だ」
と胸を張って子供や妻に言えるのだろうか❔
カネがいちばんなら言えるのだろう。 
弁護士一家のマンションの玄関前で
自称警察は自分がしている脅迫行為を
恥じる心を持たないならば、
それではまるで山賊のしていることと同じだ。
そういう、
カネになればなんでもやれという教育を
子供に施すと、
子供もやはり親と同じ山賊に育ってしまう。
『The Snow Queen』に登場する、
あの『山賊の娘』に育ってしまう❗
子供の心は最初は真っ白なのに‼️

しかし、弁護士一家も負けてはいない❗
自称警察が『子供を俺が学校まで送ってやろうか❔』と言うと、
弁護士は「誰がお前なんかに子供を託すものか‼️」と言う。
中ごく人は、こういう良い意味で強い面があるので、
そのハッキリ言い返せる良い性格をどんどん伸ばしてほしいと思う僕です。

👩現ロシア(旧ソ連)の場合は
秘密警察などがもっと恐ろしい。
(香港デモを鎮圧した、
恐ろしい香港警察よりももっと恐ろしいだろう、
ロシアの秘密警察はきっと。)
ソルジェニーツィンの『収容所群島』という書籍を読むと、
「ソ連(現ロシア)の秘密警察
強制収容所へ人を送る取調官には、
指令の正確な実行と
無慈悲さが要求される。」
ということが書かれている。
指令とは⁉️
の正確な実行とは⁉️
無慈悲さとは⁉️
無慈悲さの要求とは⁉️)




読者レビューの続き

ロシアが実施しているハイブリッド戦争や
現代ロシアの地政学を解説した本。
『コーカサスの十字路』を著した廣瀬先生の新作だったので早速読んでみた。
この前に古川氏の『破壊戦』を読んでいたので、
内容はすっと頭に入ってきた。
第3章の『ロシアの地政学』は、
『新しい地政学』のロシアの章とほぼ同じ内容であったものの、
新書で手軽に読めるのは大変助かった。

第4章以降は、
ロシアが近年重要地域とみなしている
北極、
中南米、
アフリカ
についてであった。
特にアフリカは、
近年ロシアの「ハイブリッド戦争展開の最前線」
と位置付けられており、
ロシアの「安全保障の輸出」戦略、
はたまた他地域に対する「ハイブリッド戦争」の展開に
利用されているという点は、非常に参考になった。

一読だけでは理解しきれない重厚な内容なので、
折を見て再読したい。



「ハイブリッド」というのは「異質なモノが交じり合って成立している」という程の意味で、
現在では広く用いられている表現になるように思う。
それが付せられた「ハイブリッド戦争」ということになれば「??」という感だ…
「ハイブリッド戦争」というのは、
正規軍による活動、
非正規な武装勢力による活動、
所謂“情報戦”ということになる情報操作等のあらゆる活動、陣営に有利になり得る勢力が権力に近付くことが叶うような、
所謂“情報工作”というようなこと等、
様々な要素を織り交ぜて
「自身の陣営が有利になるようにあらゆる要素を適宜組合わせて展開する活動」
という事柄の総称ということであるらしい。
本書によれば、
ロシアは21世紀に入ってから、
場合によってはその以前から、
利用可能なあらゆる資源を使って、
そうした「自身の陣営が有利になるように
あらゆる要素を適宜組合わせて展開する活動」
に努力していて、 それを<ハイブリッド戦争>と呼ぶようになっているということであるようなのだ。
“戦争”とでも言えば、
軍艦が列になって航行する様、
軍用機の編隊が上空に飛び交う様、
物々しい車輛の一群が街や原野を行き交う様を想うが、
🌕️実はそれは「末端の事象」で、
⚠️⚠️陸海空軍の兵器が動くに至るまでの
⚠️⚠️「余りにも多彩な様々な事柄」というようなモノが存在する。
そういう意味では、
⚠️⚠️“戦争”というモノは何時の間にか
⚠️⚠️「様々な要素が組み合わさる」という意味では
⚠️⚠️「かなり以前から“ハイブリッド”」なのかもしれないと思っている。
🌕️🌕️自身の中にそうした問題意識も在るのだが、
それはそれとして、
本書をなかなかに興味深く拝読した。
⚠️⚠️近年、ロシアでは
⚠️⚠️「自身の陣営が有利になるようにあらゆる要素を適宜組合わせて展開する活動」に努力が執拗なまでに重ねられているのだという。
それを本書の著者自身を含む論者が<ハイブリッド戦争>と呼んでいるということになる。
そういう<ハイブリッド戦争>というような展開の中に世界の様々な地域が関わるのだが、実は日本もその関りと無関係でも居られないのである。
🌕️🌕️色々な意味で
🌕️🌕️「広く読まれるべき研究」というように思った。
🌕️🌕️そういうことで広く薦めたい一冊だ。






HUFF POST
ウクライナ危機、専門家はこう見る。プーチン大統領が得た「5つのお土産」とは?
2022/02/20 08:42

ウクライナをめぐる情勢が風雲急を告げている。

ロシアが隣国ウクライナの国境周辺に大規模な軍隊を集結させており、「ウクライナへの軍事侵攻が近い」と欧米各国が警戒しているからだ。アメリカのバイデン大統領は2月18日、「ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻を決断したと確信している」と主張。一方、ロシア外務省は17日に公表したアメリカなどへの文書で、ウクライナへの軍事侵攻を否定している。

しかし、ウクライナ東部ドネツク州で親ロシア派が実効支配する「ドネツク人民共和国」は18日、70万人の住民を対象にロシアに避難させる計画を立てた。徴兵のための総動員令を発令したと報じられるなど、戦争に向けた準備とみられる状況も進んでいる。

この情勢をどう読み解けばいいのか。『ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略』などの著書があり、ロシア政治に詳しい慶應義塾大学・廣瀬陽子教授に話を聞いた。
 

■ロシアがウクライナ全土を併合することは「全くメリットがない」と指摘

廣瀬教授は、これまでロシアの軍事侵攻は「まず、ないだろう」という立場だったという。プーチン大統領の狙いは「いつでも軍事侵攻をできるぞ」というポーズを見せることこそが目的であり、実際に軍事侵攻するつもりはないだろうと考えていたという。

しかし、ウクライナ軍と分離独立派が、それぞれ攻撃を受けたという主張をしており、ウクライナ東部住民の避難も進められている中で、ロシアが「自国民保護」を掲げて侵攻をする可能性が否めなくなってきていると指摘した。

ただし、たとえ軍事侵攻があったとしても、ロシアがウクライナの全土もしくは一部を併合することは「全くメリットがない」と懐疑的だ。

「ウクライナ領からロシア領に移って良かった」と住民に思わせないと反乱が起きる危険があるため、社会保障や生活環境を現在よりも良くしないといけない。それには相当な資金が必要になるからだという。

クリミア併合の際も、ウクライナ本土に依存していたガスや水道などインフラを整備するのに莫大な予算を使ったロシアに、ウクライナ全土を併合するのは難しいと指摘する。



■プーチン大統領がこれまでに得た「5つのお土産」とは?

廣瀬教授は、プーチン大統領がこのまま軍を撤退させたとしても「すでに5つのお土産を得ている」と分析した。

その分析を要約すると以下のようになる。

 

01.ロシアに世界的な注目が集まり、米中対立ばかりが目立っていた国際政治に割って入った

02.アメリカとヨーロッパ諸国の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)にウクライナが将来的に入ることについてロシアは強硬に反対するも無視されてきたが、ついにNATO諸国を交渉のテーブルに着かせることができた

03.ウクライナがNATOに加入すれば、ロシアにとっては軍事侵攻をしかねないほど深刻な問題だとアピールできた

04.「旧ソ連地域にNATOが入ってくることは許さない」というロシアの勢力圏をアピールできた

05.武力侵攻の恐怖でウクライナ政治を混乱させ、親欧米派の失脚に向けて足がかりができた

 

このように現時点でプーチン大統領は充分なメリットを享受しているのだという。ただし、それでも「自国民保護」を掲げて侵攻をする可能性は否定できず、今後どう情勢が動くのか断言するのは難しいと指摘している。

より詳しい内容を知りたい方に向けて、以下に廣瀬教授との一問一答を掲載する。

 

■廣瀬教授との一問一答

 ――ロシアが今回、ウクライナに軍事侵攻する可能性はどれくらいあると思いますか?

私は基本的には軍事侵攻は「まず、ないだろう」という立場です。アメリカのメディアが報じていた軍事侵攻の「Xデー」は2月16日でしたが、その日の侵攻は起こりませんでした。ただ、ここにきて、ちょっと不穏な動きが出ているのも事実です。

ウクライナ東部の緊張が高まっています。ウクライナ軍と分離独立派が、それぞれ攻撃を受けたという主張をし、ウクライナ東部住民の避難も進められています。そうなると、ロシアが「自国民保護」を掲げて侵攻をする可能性が否めなくなってきてしまいます。

―― 軍事侵攻が「まず、ないだろう」と思っていた理由は?

ロシアに全くメリットがないからです。クリミア併合の記憶が強いために「ロシアはどこの領土でも併合したいはず」と思っている方もいるかもしれません。でも、クリミア併合も相当苦しい状況で実行したというのが実情です。

他国の土地、この場合ウクライナの土地を併合する場合、当地に住む住民にとって「ウクライナ領からロシア領に移って良かった」という状況を作らないといけません。年金と教育などの社会保障をはじめとした生活環境など全部、ウクライナより良くしなきゃいけない。それには相当な資金が必要になります。

クリミアの場合は併合後に、インフラの再構築も必要になりました。ウクライナ本土に依存していた水道やガスなどのインフラも、ロシアが用意しなくてはいけなくなった。経済制裁を受けながら独力でロシアが整備しました。

プーチン政権は極東開発に力を入れてきましたが、クリミア併合後は極東向けだった予算などもクリミアに振り向けて何とかギリギリ持っている感じです。その状態で、ウクライナ一国を現在のロシアが抱えられるわけがない。だって、ウクライナ時代より良い生活状態を提供できないと、反乱なども起こるでしょうからね。

―― なるほど。併合するのであれば「ロシア領になってよかった」とウクライナの人々に思わせないといけないということですね。ただ、ウクライナ東部には親ロシア派が実効支配している地域があります。このドネツクとルガンスクだけでも、ロシアが侵攻して併合する可能性はどうでしょうか?

攻撃の可能性は否定できなくなってきましたが、併合の可能性は低いと思います。 併合による、ロシアのメリットはあまりないと思います。あそこをウクライナに残すからこそ意義があるんです。ロシアはずっとウクライナによる「ミンスク合意」の履行を主張していますが、ミンスク合意の中で特にロシアが重視しているのは、ウクライナ東部に相当高いレベルの自治を与えることです。

「相当高いレベルの自治」に含まれるのが、外交権です。ドネツクとルガンスクは外交権を持つようになると、ウクライナ政府が「NATOに入りたい」って言い続けても、ドネツクとルガンスクが「NATOに入りたくない」と言えば不可能になる。それなのに、もしロシアが併合してしまえば、ウクライナは逆にNATOに入りやすくなるんです。

―― そうなると、「ロシアがウクライナを併合しようとしている」というのは、飽くまでもアメリカやNATO側から見たシナリオであるということになりますね。

そうです。特にアメリカが危機を喧伝していますね。確かに最初の頃、ウクライナのゼレンスキー大統領本人が「ロシアの脅威がある」と世界に訴えましたが、アメリカ、イギリスなどが脅威の度合いをかなり強調して発信しました。たとえば、アメリカ側は、「2月16日に侵攻がある」など具体的な主張もしていました。

軍事侵攻が「日付が決まって予言されることは初の現象」とも報じられていますが、たしかに相当珍しいことが起きています。ロシア側から見ると「アメリカのフェイクニュース」となりますが、欧米側としては「あえて危機を煽ることでロシアを自制させる効果を狙っている」ということがあるようです。

でもそこで割を食うのは、ウクライナです。ゼレンスキー大統領自身も「ロシアの脅威がある」とは言っていたものの、そんなに話が大きくなるとは思わなかった。「ウクライナ危機」を各国が警戒して、欧米の大使館がどんどん退避してしまった。当然外国資本も離れます。その結果、ウクライナ経済は大ダメージを被り、インフレも進行しています。

―― ウクライナは大国同士の思惑に狭間になって、困った状況に追いやられているということですか?

そうです。そんな情勢だからウクライナの駐英大使からも中立に関する発言が出て、後に火消しに回るといったことも起きています。そして、フランスのマクロン大統領も、ウクライナの中立について語り、後で撤回しているとも報じられました。

――NATOとロシアの間の中立ということでしょうか?

つまり冷戦期で言うところの「フィンランド化」ですよね。NATOには入れないけど、ロシアの脅威もかなり軽減できると。プーチン大統領にとっては、一番好ましい方向性です。

―― つまり、現状はプーチン大統領にとって良い具合に進んでいるということでしょうか?

私は、色々な意味でプーチン大統領の思惑通りになっていると思います。プーチン大統領は「何も得てないじゃないか」と指摘する人もいますが、私は現時点で少なくとも5つのお土産をプーチン大統領はゲットしていると思っています。いつ軍を撤退させても損したように感じないはずです。

―― プーチン大統領が得た5つのお土産とは何でしょう?

お土産の1つは、今回の「武力侵攻をする雰囲気を醸し出していること」との理由とも重なってきますが、これまで世界がロシアへの注目度を落としていたことが背景にあります。これは大国でありたいロシアにとっては、非常にマイナスでした。バイデン政権になって「アメリカの敵は中国」という方向になり、「米中による二極世界」になっていきます。ロシアはそこに介在しないわけですよ。それは、ロシアにとって不満ですよね。

もちろんロシアだって、アメリカから攻撃されたいわけじゃない。でも、経済制裁が解けてないのに、世界の大国から相手にされてないという状況への苛立ちがあったと思うんです。

でも、今回のような行動を起こせば世界が注目する。実際、北京オリンピックの最中なのに、オリンピックよりもロシアの方に注目が行くような状況になっています。米中二極になりそうだった世界にロシアが入り込んで、少なくとも三極になったのが、ここ数カ月の動きです。このように「ロシアが世界から注目を集める」というのが、1番目のお土産ですね。

―― つまり世界的にロシアが注目を浴びることが「お土産」ということですね。米中の世界観が「米中露」とロシアが割って入って形になったと?

「ロシアが第三次世界大戦を起こすかもしれない」といった形で注目をされたのは、プーチン大統領にとってはとても喜ばしいでしょうね。「ロシアは核保有国の一つ。戦争が起きれば勝者はいない」と発言したのもそうした効果を狙ったものでしょう。

―― 次に2番目の「お土産」とは何でしょうか?

2021年12月にロシアがアメリカとNATOに対して提案をしました。「ロシアのレッドラインを守れ」という提案で、NATO拡大をやめるようにという内容ですが、これまでのところ全く聞き入れられていません。ですが、ロシアがこれまで「話し合いましょう」と提案しても無視されてきた課題について、今回の軍隊集結によって、欧米各国が話し合いのテーブルに乗るようになった。これは「交渉可能な状況」が生まれたということで、ロシア国内ですごくポジティブに受け止められています。

これまで無視してきた相手を、交渉のテーブルに着かせることができたことは、大きいですね。また、米国のトランプ大統領は交渉ができない相手であったけれど、バイデンは交渉ができる相手であると言う認識があったことも、この背景にはあると思います。

―― 3番目の「お土産」は何でしょうか?

「ウクライナがNATOに入るかどうか」というのが今回、争点になっているかのように見えますが、おそらくそれは「見せ球」です。ロシアにとってウクライナがNATOに入るかどうかは、喫緊の話ではありません。NATO加盟にはさまざまな条件があるので、ウクライナが「近い将来にNATO加盟することはないだろう」とバイデン大統領も言っています。だから今すぐロシアにとって解決しなきゃいけない問題ではないんです。

―― では、なぜロシアは「ウクライナのNATO入り断念」を要求しているのでしょう?

ウクライナがNATOに入ることはロシアにとってそれぐらい深刻なことだと世界にアピールするためです。NATO加盟にはさまざまなプロセスが必要ですが、NATO加盟国たちも「ウクライナを入れるとロシアを敵に回すことになる」という印象を間違いなく強くしました。それが3つ目のお土産になりますね。

―― なるほど。併合するのであれば「ロシア領になってよかった」とウクライナの人々に思わせないといけないということですね。ただ、ウクライナ東部には親ロシア派が実効支配している地域があります。このドネツクとルガンスクだけでも、ロシアが侵攻して併合する可能性はどうでしょうか?

攻撃の可能性は否定できなくなってきましたが、併合の可能性は低いと思います。 併合による、ロシアのメリットはあまりないと思います。あそこをウクライナに残すからこそ意義があるんです。ロシアはずっとウクライナによる「ミンスク合意」の履行を主張していますが、ミンスク合意の中で特にロシアが重視しているのは、ウクライナ東部に相当高いレベルの自治を与えることです。

「相当高いレベルの自治」に含まれるのが、外交権です。ドネツクとルガンスクは外交権を持つようになると、ウクライナ政府が「NATOに入りたい」って言い続けても、ドネツクとルガンスクが「NATOに入りたくない」と言えば不可能になる。それなのに、もしロシアが併合してしまえば、ウクライナは逆にNATOに入りやすくなるんです。

―― そうなると、「ロシアがウクライナを併合しようとしている」というのは、飽くまでもアメリカやNATO側から見たシナリオであるということになりますね。

そうです。特にアメリカが危機を喧伝していますね。確かに最初の頃、ウクライナのゼレンスキー大統領本人が「ロシアの脅威がある」と世界に訴えましたが、アメリカ、イギリスなどが脅威の度合いをかなり強調して発信しました。たとえば、アメリカ側は、「2月16日に侵攻がある」など具体的な主張もしていました。

軍事侵攻が「日付が決まって予言されることは初の現象」とも報じられていますが、たしかに相当珍しいことが起きています。ロシア側から見ると「アメリカのフェイクニュース」となりますが、欧米側としては「あえて危機を煽ることでロシアを自制させる効果を狙っている」ということがあるようです。

でもそこで割を食うのは、ウクライナです。ゼレンスキー大統領自身も「ロシアの脅威がある」とは言っていたものの、そんなに話が大きくなるとは思わなかった。「ウクライナ危機」を各国が警戒して、欧米の大使館がどんどん退避してしまった。当然外国資本も離れます。その結果、ウクライナ経済は大ダメージを被り、インフレも進行しています。

―― ウクライナは大国同士の思惑に狭間になって、困った状況に追いやられているということですか?

そうです。そんな情勢だからウクライナの駐英大使からも中立に関する発言が出て、後に火消しに回るといったことも起きています。そして、フランスのマクロン大統領も、ウクライナの中立について語り、後で撤回しているとも報じられました。

――NATOとロシアの間の中立ということでしょうか?

つまり冷戦期で言うところの「フィンランド化」ですよね。NATOには入れないけど、ロシアの脅威もかなり軽減できると。プーチン大統領にとっては、一番好ましい方向性です。

―― つまり、現状はプーチン大統領にとって良い具合に進んでいるということでしょうか?

私は、色々な意味でプーチン大統領の思惑通りになっていると思います。プーチン大統領は「何も得てないじゃないか」と指摘する人もいますが、私は現時点で少なくとも5つのお土産をプーチン大統領はゲットしていると思っています。いつ軍を撤退させても損したように感じないはずです。

―― プーチン大統領が得た5つのお土産とは何でしょう?

お土産の1つは、今回の「武力侵攻をする雰囲気を醸し出していること」との理由とも重なってきますが、これまで世界がロシアへの注目度を落としていたことが背景にあります。これは大国でありたいロシアにとっては、非常にマイナスでした。バイデン政権になって「アメリカの敵は中国」という方向になり、「米中による二極世界」になっていきます。ロシアはそこに介在しないわけですよ。それは、ロシアにとって不満ですよね。

もちろんロシアだって、アメリカから攻撃されたいわけじゃない。でも、経済制裁が解けてないのに、世界の大国から相手にされてないという状況への苛立ちがあったと思うんです。

でも、今回のような行動を起こせば世界が注目する。実際、北京オリンピックの最中なのに、オリンピックよりもロシアの方に注目が行くような状況になっています。米中二極になりそうだった世界にロシアが入り込んで、少なくとも三極になったのが、ここ数カ月の動きです。このように「ロシアが世界から注目を集める」というのが、1番目のお土産ですね。

―― つまり世界的にロシアが注目を浴びることが「お土産」ということですね。米中の世界観が「米中露」とロシアが割って入って形になったと?

「ロシアが第三次世界大戦を起こすかもしれない」といった形で注目をされたのは、プーチン大統領にとってはとても喜ばしいでしょうね。「ロシアは核保有国の一つ。戦争が起きれば勝者はいない」と発言したのもそうした効果を狙ったものでしょう。

―― 次に2番目の「お土産」とは何でしょうか?

2021年12月にロシアがアメリカとNATOに対して提案をしました。「ロシアのレッドラインを守れ」という提案で、NATO拡大をやめるようにという内容ですが、これまでのところ全く聞き入れられていません。ですが、ロシアがこれまで「話し合いましょう」と提案しても無視されてきた課題について、今回の軍隊集結によって、欧米各国が話し合いのテーブルに乗るようになった。これは「交渉可能な状況」が生まれたということで、ロシア国内ですごくポジティブに受け止められています。

これまで無視してきた相手を、交渉のテーブルに着かせることができたことは、大きいですね。また、米国のトランプ大統領は交渉ができない相手であったけれど、バイデンは交渉ができる相手であると言う認識があったことも、この背景にはあると思います。

―― 3番目の「お土産」は何でしょうか?

「ウクライナがNATOに入るかどうか」というのが今回、争点になっているかのように見えますが、おそらくそれは「見せ球」です。ロシアにとってウクライナがNATOに入るかどうかは、喫緊の話ではありません。NATO加盟にはさまざまな条件があるので、ウクライナが「近い将来にNATO加盟することはないだろう」とバイデン大統領も言っています。だから今すぐロシアにとって解決しなきゃいけない問題ではないんです。

―― では、なぜロシアは「ウクライナのNATO入り断念」を要求しているのでしょう?

ウクライナがNATOに入ることはロシアにとってそれぐらい深刻なことだと世界にアピールするためです。NATO加盟にはさまざまなプロセスが必要ですが、NATO加盟国たちも「ウクライナを入れるとロシアを敵に回すことになる」という印象を間違いなく強くしました。それが3つ目のお土産になりますね。 

――なるほど。今回の緊張状態を生み出すことで、NATO加盟国の萎縮効果を生み出すことに成功したということですね。

そうですね。やっぱりNATOは、「ヨーロッパで加盟を望む国は全部入れる」ということが、設立時のモットーになっているので、本来は「どの国を入れない」とは言えないわけですよ。それができないのは、ロシアも分かっているけど、外堀を埋める状況を作れた。そこはロシアのもくろみ通りだったと思います。

―― 4番目のお土産は?

やはりロシアは勢力圏をアピールできたってことですよね。レッドラインを示すときに、「ウクライナを含む旧ソ連地域にNATOが入ってくることは許さん」と言うことで、「ここからここまでがロシアの勢力圏」という認識があると世界にアピールできました。旧ソ連圏はロシアの勢力下にあるべきで、他の国はそこに軍事的な同盟を結んだりできないという考えを世界に知らしめただけでも、大きな効果です。

―― 最後の5番目は何でしょうか?

ウクライナ政治を混乱させられたっていうのはすごく大きいですね。イギリスのトラス外相が「親露的な政権を作るためにロシアがウクライナに工作員を送り込んでいる」と1月に発表しました。ロシアは旧ソ連各国に以前から工作員を送り込んでいて、クリミア併合の際にも活動していますから「今さら」という感じがしました。イギリスも、ロシアに国際的な敵視が集中し、抑止効果が生まれるように、あえてこの時期に言ったのだと思います。

とはいえ、ロシアがウクライナに親露的な政権を樹立させたいのは事実です。親欧米派であるゼレンスキー大統領が倒れると、ロシアにとっては都合がいいわけですが、ウクライナの政治はかなり混乱していると言って良い状況です。ゼレンスキー大統領は「ロシアが武力侵攻する」可能性を否定しようとしましたが、効果はなく、ウクライナ国民の間にも不安感が広がってしまいました。

ウクライナはロシアと欧米の間で中立に立つべきだという中立論者も出てきていて、ウクライナの国内政治にも揺らぎが出ています。このままゼレンスキー大統領が自滅して、ウクライナ国民が自ら親露的な大統領が選んだら、プーチン大統領にとっては大成功ですよね。まだ状況は不透明ですが、彼にとっては好ましい方向に進んでいるように見えます。

(👴松下幸之助さんが、
1人のトップが自分の偏った裁量(考え)で
何もかも考えて決めてはならない。
衆知を聴きなさいと言っている。

👨でもさ、独りで決める=『独裁』、
それが『強権』だからなぁ……。

👩プーチン大統領はウクライナを緩衝地帯にしたくて、
その土地に乗って平和に暮らしているウクライナ人を
まるで消しゴムのカスのように追い払おうとしている。
一人一人の人間を見ずに、
全体で何千何万だと、
統計として見ている。
涙も流すし、切れば赤い血が流れるのに‼️

👨ママッ‼️

👩イギリスのチャーチル元首相は
「一人の死は悲劇である。
しかし10万人の死は統計である」
との警句を吐いたことがある。

(要するに人の命を何とも思っていない。)

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の 
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッガー大統領が
1985年5月8日、
ドイツの敗戦40周年にあたって
連邦議会で行った演説の全文を翻訳された
永井清彦さんは言った。
「では、千万人単位の死はなんと呼べばいいのだろうか。」
と言った。

書名 『荒れ野の40年
    ヴァイツゼッガー大統領演説 全文』
    岩波ブックレット No.55
出版社 岩波書店
発行日 1986年02月30日(よく見えない。
    02月20かもしれない。)
定価  440円+税


書名  『新版 荒れ野の40年
     ヴァイツゼッガー大統領
     ドイツ終戦40周年記念演説』
著者   リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッガー
訳・解説 永井清彦 
     過去に目を閉ざす者は……
     岩波ブックレットNo.757
出版社  岩波書店
発行日  2009年10月06日
定価   500円+税
「若い人たちにお願いしたい。
❇️他の人びとに対する敵意や憎悪に
駆り立てられることのないようにして
いただきたい。
敵対するのではなく、
たがいに手をとり合って
生きていくことを学んでほしい。
❇️われわれ政治家にもこのことを
肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい……」
第二次大戦40年を迎えたドイツで、
❇️対立を超え、 
❇️寛容を求め、
❇️歴史(👩の失敗)に学ぶことを訴えた
伝説的な演説があった……。
好評既刊を、解説をリニューアルして
お届けします。岩波書店
    
(👧発展途上国はこのような演説を
知らないのかもしれないけれども、
 
👩それなら一刻も早く知らせたい。)

このような本が存在するのをわかっていて、
ロシアのプーチン氏や
中ごくの習●平氏らトップは
戦争や殺戮や強制収容所運営を
肯定し続けている(👨ように見える)‼️

👩民主主義と強権の精神的進化の高低の差は激しい。
トップらはもうどうしようもないとしても、
国民の意識を高めたい。
そうして明日にでも、
肝に銘じた高い意識の国民の中から、
強権に絶対に屈しない態度を示す
新しい真の政治家たちが投票され、
生まれ出てくることを切望します。









👩アニメ『The Snow Queen』(ロシア)
をつくったロシアの芸術家たちはいまどこに❔

YouTube検索ワード
「カイを求めて」
「雪の女王とカイ」
「The Snow Queen」(ロシア)
アニメ全編は長いが、見るべきは、
ゲルダが山賊の娘に
「自分がどんなにカイを愛しているか」、
「自分がカイを見つけ出すために
今までどんな旅をしてきたか」
を話したあとの場面だ。

ゲルダの話を聴くと、
山賊の娘が、決心したように突然、
今まで自分が長い間ペットとして狭い檻に入れて飼っていた
自分の宝物のたくさんの動物たちを解き放つ。
「さぁ、お行き❗(広い世界に戻るんだよ❗)」

本来自分の持つ力で何千キロも走ったり、
何万キロも飛んだり出来る野生の動物たちを
山賊の娘は檻から全部解き放つ。

正しいことをしたり言ったり書いたりすると、
それがあまりにも正当だという理由で、
正しいことには、
正しいことを言ってほしくない人びとからの多大なリスクを伴う。
リスクが付きまとうから
なかなか正しいことをすることができない。

山賊の娘が自分のペットだと思っていた動物たちを
檻の中から解き放つ行為は、

ロシアや中ごくが、自分の所有物だと思っていた自国の国民たちの
心と身体を解き放つことを示唆しているのだと私は受け止める。

でも、『The Snow Queen』を制作したロシアの芸術家の皆さんたちが
ロシアに
「よくも描いたな‼️」
と、ひどい仕打ちをされないために
私はそれを言い切らない。
真実には、それが
あまりにも真実なために
命が危ぶまれるほどのリスクを伴うから。
特に強権体制では。

たとえどんなに野蛮な山賊の娘だろうと、
優しい心、他人に感動する心というものを持っている。

ゲルダの目的(自分の分身、
自分の中枢をなすものを探すこと)と、
その目的を達成させるための長い旅。

山賊の娘の、
人のしていることを見聞きして、
自分はもしかして
間違ったことをしているんじゃないかと感じる心。
自分が今までやっていた間違った行いに
はっと気付き、乱暴だけど直す心。

ゲルダのように頑張っている者を応援したい
と思う心。

どうしたら自分も
その人のようになれるのだろうか❔

感動した相手にどうしたら協力できるだろうか❔

そうだ、ああしてあげよう、
こうしてあげたらいいんじゃないか❔

山賊の娘は、
雪の女王の氷の宮殿のある場所がふるさとの
トナカイにゲルダを託す。


たとえ山賊の娘だろうと、
メンターとなる人とのコミュニケーションがあれば
心、精神の発達が促されるのではないだろうか。

国の仕事とは、
国のトップの仕事とは、
私心を捨て、
本来国民の持つ力を
人類の叡知の教育によって
伸ばすこと。
国と企業と国民の究極の仕事とは、
美しい地球の存続のために尽くすこと。

ロシアや中ごくのトップの周りの
参謀たちは腐敗しているなあ。
なぜ皇帝に、
「あなたのしていることは間違っていますよ
どうにか直せませんか❔
気付いた時がチャンスです。
すぐに直すべきです。直しましょう❗」
と言えないのか⁉️

言えないまま何十年、何百年という
月日を無駄にし、
天文学的な数値の国民と兵士の命を無駄にした。

戦争だ❗戦争だ❗と言って
世界中の国民を脅して
戦争に導くよりも、

なぜ「戦争する」という考えに及ぶのか❔
戦争は、Al兵器のボタンを押す人や
兵士がいないとできない。

ロシアや中ごくのトップに
「自分の国の国民と兵士は
あなたの所有物ではない」
というしごく当たり前、
当然なことを教えることは
できないのだろうか❔

戦争をしたいがための
大義名分を言って、
国民と兵士の愛国心を駆り立て、
結局、国民と兵士の命を粗末にするのは
もうやめてください。

そうしてやっぱり国民も
それを自国のトップに
指摘しなければ善い国にはなれない。

ナチスドイツのヒトラーも
国民が支持した。

国民がナチスドイツのヒトラーを支持しなければ
もちろん『ホロコースト』など、
起こりはしなかった。

偽情報に惑わされない力。
何でも疑ってみる力。
そのためには歴史を学び、
世界情勢にアンテナを巡らす。

強権国家の政府とメディアは一体だ。
民主主義体制では政府と一体のメディアもいるし、
国民目線のメディアもいる。

しかし本来は
メディアは国民のためにある。
国は国民のためにある。
トップは実は国民の部下だ。

ロシアや中ごくは、
監視塔(=監視カメラ)から国民を見張る。

ナチスドイツは監視塔から
ユダヤ人を見張るだけでなく撃った。

でも本来は
監視塔から政府を見張るのは国民と憲法だ。

国民はもっともっと学んで賢くなり、
自分の発言に大きな力があることを知るべきだ。

ヒトラーのような要注意人物と参謀に
二度と甘く見られないために。

国民がしっかりしているから
この国でもう強権でいくのは無理だと
相手に思わせるために。

そして、現在は真のメディアの役割が
とても重要になっています。
たとえば、
判断がとても難しいのですが、
どちらかが流した情報が、
その情報が合っている(正解かどうか)検証する役割、
政権側の意向を含んだプロパガンダとか、
偽りの情報を見抜き、
自国の国民、ひいては世界に
真の情報を教えてくれる役割です。
メディアの情報が
人間の生死を決めるかもしれない。

たとえば1枚の地図(情報)があるとする。
一行はその重要な地図を携え、
険しい山を越えて
山の向こう側に行こうとしていた。
季節は冬の酷寒の時期だった。
しかしその地図の道は間違っていて、
一行は全員凍死してしまった。

(👧それ、確か韓流映画で観ました。
タイトルは、何だっけ❔
👨『古山子 大東興地図』。
👩チャ・スンウォン主演。
ちょっと字が違う。)





「 見張り塔からずっと 」 
歌詞の意味とその魅力

(👨ひーたんのブログよりお借りしました。
僕のblogの内容とは無関係です。
当時は歌詞の意味はちんぷんかんぷんでした。
そういう意味だったのか❗
とても勉強になりました。
ありがとうございました。)


「見張り塔からずっと」
(All Along the Watchtower)
という曲があります。
もともとはボブ・ディランが作った曲ですが、
ジミ・ヘンドリックスがこれをカバーしてから有名になり、
その後、いろいろな人がこの曲をカバーしてきました。
2004年のイギリスでの
「ベスト・カヴァー・ソングTOP50」では
1位になったそうです。

ボブディランの原曲は、
3つの和音を繰り返しながら、
ボブ・ディランが語るように歌う、
非常にシンプルで地味、
そして渋い曲です。


この曲をジミ・ヘンドリックスは、
シンコペーションを多用したスリリングで
ドラマチックなハードロックに仕上げました。
まるでエレキギターのソロが
曲のサビのようになっている点も斬新です。


この曲がなぜ人気があるのか、
日本人だとピンと来ない人が多いのではないかと思います。
もちろんエレキギターが主役となっている、
ジミヘンのアレンジも素晴らしいのですが、
人気の理由は歌詞にもあるのではないかと思います。

この曲の歌詞は、
旧約聖書の「イザヤ書(21:6-9)」
をもとにしており、
そこにはバビロニア帝国の崩壊を
予言している部分があります。
そんな大昔の話を歌にしても
しょうがありませんから、
これは何かの暗喩になります。

バビロニアは当時の世界強国であり、
「黙示録」にも触れられているように、
その都市バビロンは、
退廃と堕落の象徴です。
となるとこの歌詞は、
現代の世界強国の堕落と
商業主義を批判したものだと考えられます。

詩を見ていきます。

「ここを抜け出す道があるはずだ」
道化師が泥棒にそう言った
「あまりにも混乱していて休むこともできない
実業家達は俺のワインを飲み、
農民は俺の土地を耕す
彼らの誰一人として、
ワインや土地の価値について知らない」

「そんなに興奮しなくてもいい」
泥棒が やさしく言った
「我々の周りにも、人生は冗談に過ぎないと
感じている奴が沢山いるじゃないか
でもお前や俺は、もうそういった事を卒業したんだ
そしてこれは、俺たちの宿命じゃない
だからもうウソを話すのはやめようじゃないか
もう夜も更けてきた」

見張塔から王子達が
ずっと外を見張っていた
その間、女達や裸足の召使い達が
出たり入ったりしていた
遠くのほうでヤマネコがうなり声をあげた
馬に乗った二人が近づいてくる
そして風が吼え始めた


「道化師(ピエロ)」は、
自身を自嘲した姿でしょう。
彼は音楽産業のために、
大衆を酔わせ現実から目をそらさせる為の音楽を作る役目を負っています。
「ここを抜け出す道があるはずだ」
という言葉から、
自身のもがきが感じられます。

「泥棒」は「道化師」の友達で、
世の中の仕組みを理解している仲間です。
商業主義に仕え、
現実の不正を知りながらも、
巧みにカネを稼いでいる人達です。
「人生は冗談に過ぎない」というのが、
彼らの悟りを示しています。

体制を批判しても何も変わらない、
ならば、もう大衆に語るのは止めて、
せめて仲間内だけでも本当の事を語ろう
というのが、
「ウソを話すのはやめようじゃないか」
という言葉から分かります。
さらに「もう夜も更けてきた」
という言葉から、
既にもう手遅れの状態であり、
帝国の崩壊も間近だということを暗示しています。

3つめの歌詞では、
突然、場面が変わります。
見張り塔はもともと、
帝国の崩壊を監視するものですが、
ここでは、まるで、
帝国そのものを表しているようにも見えます。

王子達は、
裸足の召し使いや女で象徴される大衆が、
何も知らずに駆け回る姿を下に見ながら、
冷静に聡く世界を見つめる存在です。

しかし、帝国の崩壊を告げる2人の使者が現れ、
不気味な「ヤマネコのうなり」声に加えて、
「風が吼え始め」たのが聞こえ、
帝国の崩壊を暗示しながら、終わります。

どれひとつ反体制的な言葉を使っていないにも関わらず、
体制を批判しているという巧みさ、
それがミュージシャンや
聞き手の心を捉えるこの曲の
大きな魅力になっていると思います。

以上。


魯迅

2022-02-19 07:18:39 | 日記
ウィキペディア
魯迅
中国の小説家、翻訳家、思想家

魯 迅(ろ じん、ルー・シュン)

1881年9月25日 - 1936年10月19日)は、
中国の小説家、翻訳家、思想家。
本名は周 樹人。

魯迅

誕生
周樹人
1881年9月25日

死没
1936年10月19日(55歳没)

職業
小説家
国籍
中華民国
活動期間
1918年 - 1936年
主題
小説
代表作
『阿Q正伝』
『狂人日記』
子供
周海嬰(長男)
親族
周作人(弟)
周建人(弟)
朱安、許広平(妻)

魯迅

浙江省紹興府の士大夫の家系に生まれた[1]。
父は周鳳儀、
母は魯瑞、
弟に文学者・日本文化研究者の周作人(1885年-1967年)、
生物学者の周建人(1888年-1984年)がいる[2]。

中ごくで最も早く
西洋の技法を用いて 
小説を書いた作家である[3]。

その作品は、
中国だけでなく、
東アジアでも広く愛読されている[4]。

日本でも中学校用のすべての国語教科書に
彼の作品が収録されている[4]。


生誕から日本留学時代まで

1881年に誕生。
幼い時は裕福な家庭だったが
父の死が原因で家が没落、
(👩『故郷』にそのまま書かれている。)

学問を尊ぶ伝統を残している家の長男。
18歳で南京にあった理系の学校に入学、
4年間を過ごす。
その間、厳復が訳した『天演論』などを読み、
新しい思想にふれる[5]。 

1902年、
国費留学生として日本に留学した[6]。
医学を専攻したが、
同時に西洋の文学や哲学にも心惹かれた[6]。
ニーチェ、ダーウィンのみならず、
ゴーゴリ、チェーホフ、
アンドレーエフによるなど
ロシアの小説を読み、
後の生涯に決定的な影響を与えた[6]。

ヴェルヌの科学小説『月界旅行』、
『地底旅行』の翻訳をする[6]。
1904年、
仙台医学専門学校の最初の中ごく人留学生として入学し、
学校側も彼を無試験かつ学費免除と厚遇した[7]。
特に解剖学の藤野厳九郎教授は丁寧に指導した。  

しかし、彼は学業半ばで退学してしまう[7]。
当時、医学校では講義用の幻灯機で
日露戦争(1904年から1905年)に関する時事的幻灯画を見せていた[7]。
このとき、母国の人々の屈辱的な姿を映し出したニュースの幻灯写真を見て、
小説家を最終的な自分の職業として選択した[8]。

その幻灯写真には
中ごく人がロシアのスパイとして
まさに打ち首にされようとしている映像が映し出されていた[8]。
そして屈辱を全く感じることなく、
好奇心に満ちた表情でその出来事をただ眺めているだけの一団の中国人の姿があった[8]。
のちに、はじめての小説集である『吶喊』(1923年)の「自序」に
この事件について以下のように書いた[8]。

「あのこと(幻灯事件)があって以来、
私は、医学などは肝要でない、と考えるようになった。
愚弱な国民は、たとえ体格がよく、
どんなに頑強であっても、
せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、
その見物人となるだけだ。
病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、
そんなことは不幸とまではいえぬのだ。

むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、
かれらの精神を改造することだ。
そして、精神の改造に役立つものといえば、
当時の私の考えでは、
むろん文芸が第一だった。

そこで文芸運動をおこす気になった。」
(竹内好(よしみ)訳『阿Q正伝・狂人日記』
(1955年)岩波文庫)

魯迅が幻灯を見た建物
「仙台医専六号教室」は、
1904年に建設され、
移築された後、
2021年現在実在している。

「魯迅の階段教室」には
魯迅と藤野先生の写真が掲げられている。
魯迅は「中央のブロック、
前から3列目の真ん中あたりにいつも座っていた」
とされ、江沢民総書記も着席した[9]。

東北大学構内には東北大学資料館があり、
魯迅記念展示室がある
(但し、阿部兼也と竹内好によれば、
ガラス絵で描かれたスライドに詳細に描かれることが
考えにくいことを理由に
フィクションである可能性があると指摘されている[10]。

更に、発見されたガラス絵の幻灯スライドには、
スパイ行為により死刑執行された様子を映すものはなかった[11][12][13]。

一方で、申彦俊によるインタビューよると、
映画館のニュース映画により銃殺された場面を見たことになっている。また、博文館発行の『日露戦争実記』[1905年12月13日号、最終号]では、
「満州軍中露探の処刑」の写真があり、
実際に旧日本軍による
ロシアのスパイに対する
斬首刑の執行がされている[13]。)

その後、(魯迅は)この時とばかり東京で
雑誌の出版事業を始め、
教訓的な内容の散文を文語体で書いた[14]。

それは中ごく人にダーウィンの進化論や
英雄出現を求めるニーチェの哲学を啓蒙する狙いであった[14]。

これらの散文は、
後に『墳』と名付けられた散文集に収められた[14]。
また、周作人が編集した2巻からなる
『域外小説集』のために3編の外国小説
(アンドレエフの2編とガーシンの1編)を翻訳した[14]。

しかし『域外小説集』の売れ行きは伸びず、
各巻20冊ほどだったという[14]。
文学出版事業の失敗に落胆した彼は、
1909年に帰国した[14]。

7年間の日本留学の間、
日本人の親友は一人もできなかった。

(👧魯迅はなぜ日本人の親友が
一人も出来なかったのだろう❔

👩『幻灯事件』。

「その幻灯(スライド)写真には
中ごく人がロシアのスパイとして
まさに打ち首にされようとしている映像が映し出されていた[8]。
そして屈辱を全く感じることなく、
好奇心に満ちた表情で
その出来事をただ眺めているだけの一団の中国人の姿があった。」

魯迅は、いままさに、
他国に打ち首にされようとしている中ごく人を
屈辱も感じずに、
好奇心に満ちた表情で眺めているだけの
自分(魯迅)と同じ生国の中ごく人たちのことを
魯迅は日本に居るあいだじゅうずっと
恥ずかしいと思い続け、
それが理由で
日本に親友が
一人も出来なかったのではないだろうか❔

魯迅に会って、
そのときの気持ちが知りたかったな。

👨ママ、君では無理だ。
お義父さんぐらいの年齢でないと
きっと無理だ。

Ques魯迅は何に屈辱を感じたのか❔
三卓で。
Ans①同胞が、いままさに、
敵の手によって打ち首に
されようとしていることに
屈辱を感じたのか❔

②同胞が、いたままさに、
敵の手によって打ち首に
されようとしているのを
端で、また別の同胞が
自分のしていること(好奇心に満ちた表情で眺めている自分自身)
に対して
好奇心に満ちた表情で眺めること自体を
端から見れば恥ずかしいことだと思わないで
平然と眺めていることに
魯迅が恥ずかしいと思い、
穴があったら入りたいと思うほど
日本人の医学性のクラスメートたちに
恥ずかしかったのか❔

③ ①と②の両方なのか❔
僕にもわからない。


かろうじてある教師(『藤野先生』)
を尊敬しただけだった。
👉️帰国後も、(魯迅は、)
👉️民族や国家の大原則にかかわる問題が生じた際には、
👉️必ず中ごく側に立ったと孫利川は述べている[15]。
👉️👉️👇️
👧民族や国家の大原則って何❔
👩「民族や国家の大原則」
と、スマホで検索しても
何も出てこない。
教えてくれない。
だからそうとう核心を突いた
質問なのだろう。

👨……👉️ということは、
窮地におちいった同胞のことを
自分のしている行為を
恥ずべき行為だとも感じずに
好奇心に満ちた表情で眺めている同胞を
魯迅は恥ずかしかった。

ウィキペディアの「屈辱」
という表現がわかりにくかった💦)



神奈川県鎌倉市にある円覚寺の塔頭
「佛日庵」には、
1933年(昭和8年)に
魯迅より寄贈されたというハクモクレンと
タイサンボクの木がある。


北京時代

帰国後は、(魯迅は)
杭州と紹興の中学校教師として
生物学の教師として過ごし、
1912年中華民国政府が成立すると、
教育部の事務官の職位に就き
北京に移り住んだ[14]。

(魯迅の)北京での最初の数年間は、
依然として隠遁者を演じており、
もっぱら中国文学の典籍研究に没頭することで
忙しい日々を送っていた[14]。
(その理由は、)
袁世凱ら軍閥が主導権を争う混乱した政治状況に失望したからといわれる[5]。

しかし、彼(魯迅)の文学への野望は、
文学革命によって再び蘇った[14]。

日本留学時代の友人であった銭玄同から要望され、
雑誌『新青年』の1918年5月号に、
小説『狂人日記』を発表した[14]。

『新青年』は、「民主と科学」をスローガンとして
1915年に創刊され、
文学革命の中核となった。
魯迅は、この小説の中で、
表では礼節を説く「儒教」が
裏では生命の抑圧者として「人を食」ってきたことを指摘し、 

「真の人間」となることを説いたと井ノ口後掲書は指摘する[17]。
同書は続けて、
「儒教」という暗黒の伝統社会と
その一員である自己を否定することで、
未来の子供たちには
自分たちがこれまで経験したことのない
人間らしい生活を準備しようとする
魯迅の精神と彼の進化論が横たわっているとする[17]。

翌1919年には、
『孔乙己』と『薬』の2つの小説を寄稿した[14]。
『狂人日記』がその一人称を用いた文体と食人批判という内容が
社会に衝撃を与えたが、
口語文としての技法や物語構成において未熟だったのに対して、
『孔乙己』と『薬』は、
文体・構成とも優れており、
魯迅の作家としての実質的なデビューは
『孔乙己』と『薬』であると
後掲藤井書は指摘する[18]。

🌕️作家魯迅の最も優れた小説は、
🌕️第1集の『吶喊』と第2集の『彷徨』に含まれている[14]。

散文詩集『野草』とあわせて、
これらの作品は、
彼の創作力が最も充実していた
ペキン在住時代に書かれている[19]。

また彼は、中ごく語の小説では
一般的でなかった語りのモデルを、
自作において様々に試みている[20]。 

代表作『阿Q正伝』(1921年)では
章回小説のスタイルを一見踏襲しながら、
国民性の中に潜む卑怯や惰弱、軽率を
阿Qという形象に結晶させ[20]、

また、『孔乙己』(1919年)、
『傷逝』(1925年)では
物語る主体である
「私」の物語内容に対する認識や責任のあり方を問い、
物語を聞く読者(知識人層)にも同じ問いを突き付けた[20]。

1920年秋から1926年夏まで、
ペキン大学ついで北京女子師範学校の講師をつとめ、
中ごく小説史を講じる一方、『祝福』をはじめとする短編小説や散文詩を執筆発表した[21]。しかし、1925年には北京女子師範大学で学園紛争が起こり、

🌕️学生処分に反対する魯迅は
🌕️処分派の論者と大論争を展開、
これを機に彼は雑文(論争文)に力を注ぐようになる[21]。

1926年3月、 
日本の内政干渉に強硬な態度を採るよう
政府に求めよと抗議する学生・市民に対し、
軍隊が発砲して47名が死亡する「3.18事件」が起きると、

🌕️魯迅は政府を激しく批判した[22]。
これに対し軍閥政府は
魯迅を含め50数名を指名手配者として
リストアップした[22]。
彼は、日本人やドイツ人が経営する
病院に潜伏を余儀なくされた[22]。

避難生活は5月には終わるが、
その年8月ペキンを離れ、
福建省にある厦門大学の中国文学の教授として迎えられた[22][19]。
しかし、当時人口が11万7000人足らずの厦門は、
魯迅にとって居心地の良いものでなく、

翌1927年1月には、
北京女子師範大学の教え子であった
許広平のいる広州に移り、
中山大学文学系の主任兼教務主任の職に就いた[23][21][24]。

広東省の省都である広州の当時の人口は81万人、
中ごく5番目の大きさの都市であった[23]。

中山大学助手となった許と、
郊外の新築マンションで
別室ながらも同じユニットに住み始めた[23]。

ただし、この町でも反共クーデターが起こり、
❌❌多くの学生達が逮捕され、
❌❌虐殺されてゆく中、
🌕️精一杯の抗議として、中山大学の職を辞した[25]。



上海時代
1927年、許とともに密かに汽船で広州を脱出し、
(👩故人西のかた黄鶴楼を辞し、
煙花三月 揚州に下る。
👴それは孟浩然。
魯迅は揚州でななくて広州。)

10月3日上海に着いた[26]。
1929年9月には、長男が生まれ、
彼は「上海で生まれた嬰児」という意味で、
「海嬰」と名付けている[26]。

❇️1930年代の魯迅は、
❇️国民党政府によって、
❇️その作品を
❇️しばしば発禁処分にされた
❇️反体制文学者であった[27]。

しかし当の魯迅は、
許広平と上海郊外のおしゃれなマンションで同棲し、
子供が生まれると一家で毎週のようにハイヤーで上海都心の映画館へ通い、
当時はやりのハリウッド映画を多くみている[27]。

1930年代上海では、
近代的市民社会が形成されつつあったことがうかがえる[27]。
同時に上海では、
新聞発行部数の急増が物語るように
大衆文化が萌芽期を迎えていた[27]。

上海メディアは文化情報ばかりではなく、
センセーショナルな話題も提供して、
多くの読者を獲得しようとした[27]。

そのため魯迅の私生活もゴシップとして報じられている[27]。
妻を北京の母の下に置いて、
17歳年下の教え子(許広平)と
同棲する魯迅像が、
国民党系メディアによって流された[27]。
その一方で、
外国美術に関する旺盛な翻訳、
復刻、評論活動も始めている[28]。

幼年期から美術に深い関心を
寄せてきた彼であったが、
上海移住後は内山書店を通じて
日本や欧米の美術書の入手が容易になったためである[28]。

同時に木版芸術の
「民衆性」にも着目するようになった[28]。
廉価な費用により一枚の版木から
100枚以上の絵を刷りだすことができる版画は
民衆のためのすぐれた芸術手段であり、
革命の武器ともなりうると考えた[28]。

さらに、
❇️文学者としては
❇️国民党独裁体制を厳しく批判し続けた[29]。

魯迅は、1936年10月19日上海にて、
国防文学論戦のさなか、
持病の喘息の発作で急逝する[28]。

魯迅逝去のニュースは全中ごくへ
直ちに報じられ、
その日のうちに
孫文未亡人である宋慶齢の参加を得て
葬儀委員会の名簿が作成されている[29]。

当初は、蔡元培、宋慶齢、毛●東、
内山完造、アグネス・スメドレー、
茅盾ら9名の名が挙げられ、

のちに周作人が加わって総勢13名となった[29]。
10月22日武装警察が出動するなか、
巴金、胡風らの青年作家が出棺に際し
棺を担ぎ、万国公墓に葬った[30]。

中華人民共和国建国後の1956年には
魯迅旧居近くの虹口公園
(現在の魯迅公園)に改葬されている[30]。

魯迅の生涯
魯迅は生涯において、
小説集3冊、
雑文集17冊、
散文詩集1冊、
回想記1冊を刊行したほか、

『中国小説史略』をはじめとする研究書や論文、
さらに膨大な翻訳を残した[31]。

このなかで圧倒的な量にのぼるのは
雑文集である[31]。
とくに、
1927年から始まり
1936年に病没するまでの
上海時代は、彼は教職に就かず、
フリーの文学者・思想家・論争家として生きた[31]。

毒舌的なレトリックを駆使した雑文を
矢継ぎ早に発表し、
多岐にわたる論敵に厳しい攻撃を加え続けた[21]。

古典文学者あるいは小説家として
大成する途を棄て、

論争の現場に身をさらしながら、
転換期を闘い抜いた[31]。

魯迅と漢字
❇️魯迅は、
❇️中ごくの近代文学の元祖であり、
❇️同時に国民精神の改造を
❇️生涯の課題とした作家である[32]。

漢字(当時の漢字は主に康熙字典体である)に対して、
「漢字が滅びなければ、
中ごくが必ず滅びる」と断言し、
以下のように述べている[33]。

「この四角い字(漢字)の弊害を伴った遺産のお陰で、
我々の最大多数の人々は、 
すでに幾千年も文盲として殉難し、
中ごくも 
こんなほかの国ではすでに
人工雨さえ作っているという時代に、
我々はまだ雨乞いのため蛇を拝んだり、
神迎えをしたりしている。
もし我々がまだ生きていくつもりならば、
私は、漢字に我々の犠牲になって貰う外はないと思う。 」
(松枝茂夫訳『魯迅全集』(1956年)
岩波書店刊に所収されている)



中ごく共産党と魯迅

魯迅墓(上海市)

魯迅像(魯迅公園・上海市)

魯迅紀念館(上海市)

1936年撮影
魯迅の人生の最後の6年間は、 
左派的な理念によって育まれた多くの人にとって
突出した文化的英雄であった[3]。

彼の死後、ほどなくして
20巻からなる『魯迅全集』が出版されたが、

これは現代中ごく文学界における
空前の出来事であった[3]。

中ごく現代作家の中で、
このような栄誉に浴したのは
魯迅以外にはいない。

❌❌このような栄誉は、
❌❌中ごく共産党により作り出されたものである[3]。

❌❌国民党との奪権闘争を通じて、
❌❌かれ(魯迅)は
❌❌中ごく共産党にとって
❌❌人民に愛される反政府的な愛国主義を宣伝する代弁者として
❌❌非常に利用価値の高い存在だったからである[3]。

❌❌毛●東は、
❌❌国防文学論戦ですでに魯迅を盾にして、
❌❌党内の敵対派閥を叩くという巧みな戦術を展開していたが、
❌❌魯迅の死後には、
❌❌中ごく共産党統治の正統性を宣伝するために
❌❌徹底的に魯迅を利用していった[30]。

日中戦争開始直後の1937年10月、
共産党中央と中ごく紅軍総司令部が置かれていた延安では、魯迅逝世1周年を記念する集会が開かれ、毛●東が
「魯迅の中ごくにおける価値は、
わたしの考えでは、
中ごくの第一等の聖人とみなされなければならない」
と講演した[30]。

民国期の言論界で、
欧米・日本の帝国主義国に対し抵抗しつつ、
その近代文化を主体的に受容しようとした点、
および左翼文壇の旗手としての
❌❌国民党批判者としての「戦歴」により、
❌❌魯迅は中ごく革命の聖人へと祭り上げられた[34]。



作品原題一覧 編集
熱風
故郷
華蓋集
華蓋集続編

而已集
三閑集
二心集
偽自由書
南腔北調集
准風月談
花辺文学
且介亭雑文
且介亭雑文二集
且介亭雑文末編
集外集
集外集拾遺
集外集拾遺補編
小説
『懐旧』吶喊 -『狂人日記』、『孔乙己』、『故郷』、『阿Q正伝』等、北京時代の小説を収める。
彷徨
故事新編
朝花夕拾
野草  平凡社東洋文庫に全釈
書簡・評論
両地書  2つの土地の間を往復した書簡という意味の書簡集で、北京時代の魯迅と北京女子師範大学宿舎に住む許広平の間(その間2キロ足らず)で交わされた書簡をまとめたもの[35]
中国小説史略  平凡社東洋文庫(全2巻)で新訳
日本語作品集 編集
『魯迅美術論集』 全2巻、張望編、小野田耕三郎訳、未來社
『魯迅文集』 全6巻(代表作品集) 竹内好訳、筑摩書房、新版ちくま文庫
『魯迅全集』 全20巻(相浦 杲 ほか 編集)1989年、学研
『魯迅選集』 全13巻、岩波書店 新書版で訳文は古い。



魯迅と仙台

魯迅の留学時代の解剖学ノート。
藤野厳九郎の添削が書き込まれてある

紹興市から仙台市に送られた魯迅像(仙台市博物館)
仙台医専時代の魯迅を描いた作品に太宰治の『惜別』がある。

この「惜別」ということばは、
仙台医専時代に、
魯迅に個別添削を授けるなど
何かと気を配っていた恩師、
藤野厳九郎が最後に魯迅に渡した
写真の裏に書いたことば。

その藤野との関係は、
小説『藤野先生』に
以下のように描かれている。

「私(藤野)の講義、ノートが取れますか?」
とかれ(藤野先生)は訊ねた。

「どうにか」 
「見せてごらん」
私(魯迅)は筆記したノートをさし出した。

かれ(藤野先生)は(ノートを)受け取って、
一両日して返してくれた。

そして、今後は毎週持ってきて
見せるようにと
(藤野先生は私魯迅に)言った。

持ち帰って開いてみて、
私(魯迅)はびっくりした。 
同時にある種の困惑と
感激に襲われた。

私のノートは、はじめから終りまで、
全部朱筆で添削してあり、
たくさんの抜けたところを
書き加えただけでなく、
文法の誤りまでことごとく訂正してあった。
このことがかれ(藤野先生)の担任の骨学、
血管学、
神経学の授業全部にわたってつづけられた。

-中略- 

だが、なぜか私は、
今でもよくかれ(藤野先生)のことを思い出す。
わが師と仰ぐ人のなかで、
かれ(藤野先生)は
もっとも私を感激させ、
もっとも私を励ましてくれたひとりだ。

私はよく考える。
かれが私に熱烈な期待をかけ、
辛抱づよく教えてくれたこと、

❇️それは小さくいえば中ごくのためである。

❇️(藤野先生は私魯迅が医学覚えて記憶(記録)し、
私魯迅が中ごくに持ち帰ることで、)

❇️中ごくに新しい医学の生れることを
❇️期待したのだ。

❇️大きくいえば学術のためである。

❇️新しい医学が中ごくに伝わることを期待したのだ。 
❇️私の眼から見て、
❇️また私の心において、
❇️かれ(藤野先生)は偉大な人格である。
❇️その姓名を知る人がよし少いにせよ。
魯迅「藤野先生」訳は
竹内好❇️『魯迅文集』第二巻、
1976、p150・p154

仙台医専時代の魯迅旧居跡(解体前の2018年に撮影)

仙台医専時代の魯迅旧居跡碑(解体前の2018年に撮影)
魯迅は、1904年(明治37年)9月から1906年(明治39年)3月までの約1年半しか仙台にいなかったが、仙台市や東北大学では、様々な面で魯迅を通じた交流を中国と行っている[36]。中国人にとっては、東北大学・片平キャンパスにある(旧)仙台医専の「階段教室」がよく知られており、1998年(平成10年)11月29日には江沢民・中国共産党中央委員会総書記も訪問している。訪問した中国人は、魯迅がいつも座っていたとされる同教室の中央帯、前から3番目の右端近くでの記念撮影をしている。その他、同キャンパス内に「魯迅先生像」(1992年10月19日設置)、仙台城三の丸の仙台市博物館敷地内に「魯迅の碑」(1960年12月設置)と「魯迅像」(2001年設置)がある。また、「魯迅旧居」が片平キャンパス正門近くにあったが、2019年5月に解体[37]され石碑のみが残る。

2004年(平成16年)、東北大学は、魯迅の留学100周年を記念して、同大に縁りのある中国要人に『東北大学魯迅賞』、同大大学院に在籍する優秀な中国からの留学生に『東北大学魯迅記念奨励賞』を贈った[38][39]。ただし、諸事情により、翌年から各々『東北大学藤野先生賞』と『東北大学藤野記念奨励賞』に名称変更された。東北大学の創立100周年を記念して、魯迅と藤野厳九郎の胸像が仙台市内のキャンパスに設置された。また、2011年(平成23年)7月19日、東北大学史料館に「魯迅記念展示室」が設置され、9月28日にオープニングセレモニーが実施された。

青葉区米ケ袋にある魯迅が下宿した「佐藤屋」の跡地には石碑が建てられる程度であったが、中国人の留学生や観光客が訪れることから、留学100周年となる2004年に歴史遺産として整備するため市が地権者から土地を取得、2019年5月に木造住宅を解体し、2021年3月に「魯迅記念広場(仮称)」としてオープンする予定。









ウィキペディア
阿Q正伝
中国の魯迅の小説作品

文学
『阿Q正伝』(あきゅうせいでん/あキューせいでん)は、中国の作家魯迅の小説。1921年12月4日から1922年2月12日にかけて新聞『晨報』の週刊付録に一章ずつ発表されたもので、魯迅唯一の中編小説である[1]。阿Qという近代中国の一庶民を主人公とした、他に例を見ない物語として注目を集めた。

評価
阿Qという、おそらくはこれ以下はないであろう最下層の人間を主人公に設定し、それを縦横無尽に活躍させることにより、巧みな布置の中に農村社会ひいては全体社会のさまざまな人間タイプの思考や行動の様式を、浮き彫りにしている[1]。

特にこの作品を気に入った毛●東が談話でしばしば「阿Q精神」を引き合いに出したため、魯迅の名声が高まった[2]。後に中ごくの高校教科書に採用され、中ごく国民の多くが知っている小説である。また外国向けにも翻訳されている。
(👩中ごく国民の多くが、
『阿Q正伝』で魯迅が伝えたかったことを知っているなら、中ごくは今すでに民主化しているはずなのに。
私の想像の産物だが、
毛●東は妻の江青らに、
「魯迅の著書はヤバい‼️私たちの思想にかこつけてしまいましょう‼️」と耳打ちしたかもしれない。)


『阿Q正伝』あらすじ
時代が清から中華民国へ変わろうとする辛亥革命の時期、中ごくのある小さな村に、本名すらはっきりしない、村の半端仕事をしてはその日暮らしをする日雇いの阿Qという男がいた。

彼は、働き者との評判こそ持ってはいたが、家も金も女もなく、字も読めず容姿も不細工などと閑人たちに馬鹿にされる、村の最下層の立場にあった。そして内面では、「精神勝利法」と自称する独自の思考法を頼りに、閑人たちに罵られたり、日雇い仲間との喧嘩に負けても、結果を心の中で都合よく取り替えて自分の勝利と思い込むことで、人一倍高いプライドを守る日々を送っていた。

ある日、阿Qは村の金持ちである趙家の女中に劣情を催し、言い寄ろうとして逃げられた上に趙の旦那の怒りを買って村八分になり、仕事にもあぶれてしまう。食うに困って盗みを働き、逃亡同然の生活を続けるうちに、革命党が近くの町にやってきた事を耳にした彼は、意味もわからぬまま「革命」に便乗して騒いだ結果、革命派の趙家略奪に関与した無実の容疑で逮捕される。

無知ゆえに筋道たてた弁明も出来ず、流されるままに刑場に引き出され、あっけなく銃殺されてしまった阿Qに、観客達は不満を述べ立てるのだった。

背景
魯迅は日本に留学し、仙台医学専門学校(現東北大学医学部)で解剖学を学んでいた。ある日、教室で日露戦争の記録映画が上映される。その中にロシア側のスパイ容疑で日本軍に捕まった中ごく人が銃殺されるシーンがあり、刑場の周囲で同胞の銃殺に喝采する中国ごく人民の無自覚な姿に、魯迅は衝撃を受けた。この体験や心境の変化は、魯迅の小説『藤野先生』に描写されている。

あのことがあって以来、私は、医学などは肝要でない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人となるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。(竹内好訳『阿Q正伝・狂人日記』(1955年)岩波文庫)
これを契機に魯迅の関心は医学から中国の社会改革と革命に転じ、文筆を通じ中国人民の精神を啓発する道に入った。魯迅は本作で、無知蒙昧な愚民の典型である架空の一庶民を主人公にし、権威には無抵抗な一方で自分より弱い者はいじめ、現実の惨めさを口先で糊塗し思考で逆転させる彼の卑屈で滑稽な人物像を描き出し、中ごく社会の最大の病理であった、人民の無知と無自覚を痛烈に告発した。物語の最後で、まったくの無実の罪で処刑される阿Q、その死にざまの見栄えのなさに不平を述べる観衆たちの記述は、同胞の死刑に喝采する中ごく人同胞の姿にショックを受けた作者の体験を反映する。

阿Qの意味
「阿Q」は便宜的な名として作者が設定した仮名である。「阿Q」という主人公の名前は奇妙に思えるが、中ごく南部(魯迅は浙江省出身である)では、「阿」は姓の前につく接頭辞で親しみの表現であり、「―先生」と同様に、現在でも使われている単語である[3][4](中世から近代にかけての日本で女性名の多くが「お」に仮名2文字だったのと同じで、この「お」に相当する)。

「敬称#アジアの言語」も参照
従って、『阿Q正伝』は阿Qの情けない人物像にもかかわらず、「Qちゃんの伝記」といった意味になる。

また「Q」という漢字文化圏ではあり得ない名前については、阿Qは人々から「阿Quei(アークェイ/あくい)」と呼ばれていたが、Queiの部分の漢字表記がどうしても判明せず、また注音符号(注音字母)では一般に判るまいとして、やむを得ずローマ字を略した名前を用いる、と設定している[5]。

参考文献
竹内好訳『阿Q正伝・狂人日記』(岩波文庫、1955年、のち改版)。解説竹内好「『吶喊(とっかん)』について」
川本栄三郎 (1989年). “「阿Q正伝」の物語り文法 (PDF)” (日本語). 岩手大学. 2009年10月20日閲覧。
書誌情報 編集
『阿Q正伝・藤野先生』 駒田信二訳、講談社文芸文庫、1998年5月。ISBN 4-06-197616-8
『故郷/阿Q正伝』 藤井省三訳、光文社古典新訳文庫、2009年4月。








魯迅『故郷』あらすじ考察 封建的な格差が生み出す友人との隔たり
「散文のわだち」より。

2022.02.10 2021.10.02

魯迅の小説『故郷』と言えば、中学の教科書で読み親しまれる、代表作のひとつでしょう。

『阿Q正伝』や『狂人日記』など、魯迅の作品には、当時の中ごく社会を痛烈に批判した内容が含まれていることが多々あります。それは自国を思うゆえの、教訓のようなメッセージです。

本作『故郷』に関しても、当時の中ごく社会の実態が背景に描かれています。義務教育では教わらない、単なる郷愁とは異なる視点で、『故郷』の主題を紐解いていきます。

目次

1 『故郷』 作品概要
2 『故郷』 簡単なあらすじ
3 『故郷』個人的考察
3.1 時代背景
3.2 封建的な格差社会という隔たり
3.3 皿を隠した犯人
3.4 子供たちに託す希望
4 電子書籍での読書がおすすめ!
4.1 関連


『故郷』 作品概要
作者 魯迅(中ごく)
発表時期 1921年(大正10年)
ジャンル 短編小説
テーマ 封建的な格差の悲痛
辛亥革命後の中ごく社会

故郷/阿Q正伝
posted with ヨメレバ
魯迅/藤井省三 光文社 2009年04月
楽天ブックス
Amazon / Kindle
honto


『故郷』 簡単なあらすじ

主人公は20年ぶりに故郷に帰ってきます。かつては地主だった生家も没落し、家を引き払う必要があったのです。想い出の中では美しかった故郷はすっかり色あせ、人々の心さえも貧しく荒み果てていました。

主人公は、少年時代に仲良く遊んでいた閏土(ルントー)との再会を楽しみにしていました。生家が雇っていた小作人の息子である閏土は、少年時代の主人公にとって自分の知らない世界を教えてくれる特別な存在だったのです。ところが再会した閏土との間には、少年時代には感じなかった、地主と小作人という悲しい身分の壁が存在しました。

主人公は閏土との別れ際、 甥の宏児(ホンル)が、閏土の息子の水生(シュイション)と再会を約束したことを知ります。自分たちのようにうらぶれた世代とは異なる、新しい世代に期待を託し、明るい未来の存在を願うのでした。



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『故郷』個人的考察

時代背景
1920年頃を舞台にした物語なので、辛亥革命以降の中ごく社会ということになります。

革命の成功によって、民主共和国を発足させたものの、実際は理想的な成果を出すことはありませんでした。富国強兵によって列強の侵略は進み、革命前の清朝末期よりもかえって困窮する結果になったのです。

これらの時代背景を踏まえると、主人公が生家を引き払うために帰郷したのは、まさに地主としての没落、国家の経済状況が窮している様子が想像できると思います。

主人公の記憶の中の美しい故郷のイメージとは裏腹に、風景はすっかり色あせ、人々の心も荒んでいました。豆腐屋の楊おばさんは主人公の足元を見て、意地汚く物品を乞う始末です。

これらは一様に、革命を起しても民政の困窮を救うことができなかった、当時の中ごく社会の悲惨な状況が関係しているのだと考えられます。

封建的な格差社会という隔たり
少年時代には隔てなく親しんだ閏土が、大人になって再会すると、「旦那様」という敬称によって主人公に身分の違いを感じさせました。

学校教育においては、少年時代の純粋な友情が、いずれ社会的な地位によって分断されるという残酷な運命を主題に取り上げていたように思います。地主の息子であろうが、小作人の息子であろうが、子供の頃は関係なく親しくでいたにもかかわらず、大人になれば「旦那様」という言葉が象徴する、明確な隔てが生じてしまうのです。

これは、辛亥革命以降も、いまだ封建的な考えから抜け出せない中ごく社会に対する批判であると推測できます。 実際に閏土は飢饉や税金や地主に生活を苦しめられており、地主と小作人との格差が拡大している実態が見て取れます。つまり、主人公と閏土の間に生じた隔たりとは、封建的な格差社会を象徴しているのでしょう。

少年時代の主人公にとって閏土は、自分の知らない知識を教えてくれる特別な存在でした。

彼等は本当に何一つ知らなかった。閏土が海辺にいる時彼等はわたしと同じように、高塀に囲まれた屋敷の上の四角な空ばかり眺めていたのだから。

『故郷/魯迅』
つまり、裕福な家庭に生まれただけで外の世界を何も知らない主人公に、塀の外にも空が広がっているという事実を教えてくれたのが閏土だったわけです。

封建的な格差によって人々を支配することによって、閏土のように知識や教養を持つ人間の未来を破壊している、そんな当時の中ごく社会に魯迅は警笛を鳴らしていたのかもしれません。


皿を隠した犯人
主人公の引き払う生家の灰溜に皿がいくつか隠してあり、 楊おばさんが閏土を犯人だと決めつける場面がありました。貧しい閏土がこっそり持ち帰ろうとしていたと言うのです。

この皿を隠した犯人についてはしばしば議論の対象になるのですが、恐らく楊おばさんの自演自作でしょう。そもそも閏土は、必要なものを持ち帰ることを許可されていましたので、わざわざ隠す必要がありません。小作人として幼いころから主人公の生家に仕えていたという信用や恩があったのです。

閏土に対する贔屓に僻んだ楊おばさんが、 彼を陥れることで自演自作の手柄にして、自分も物品を貰おうと企んでいたのだと思います。楊おばさんは頻繁に家にやって来ていましたし、足元を見て物乞いをする場面もありました。

困窮した当時の中ごく社会で民衆の心がいかに荒(すさ)んでいたか、という実態を物語に落とし込んでいたのだと思います。

子供たちに託す希望
甥の宏児(ホンル)が、閏土の息子の水生(シュイション)と再会を約束したことを知った主人公は、次の世代に希望を託すような心情を語っていました。 自分と閏土のように封建的な格差で分断されないでいて欲しい、という主人公の願いが込められていたのでしょう。

主人公は、香炉と燭台を持ち帰ろうとする閏土の偶像崇拝を内心で笑っていました。閏土は崇拝によって自らの苦しい境遇に救いを求めていたのです。ところが主人公は、子供たちの世代に希望を託す自分の行為も、手製の偶像崇拝であることに気づきます。つまり、次の世代に押し付けて、自分は何も行動を起こさない、他力本願の愚かさを訴えていたのでしょう。

希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。

『故郷/魯迅』
初めから道など存在しないのだから、まずは自分自身が歩いて道を作り、それがやがて理想の社会を築く希望になるのだ、という自国民に対する強いメッセージが込められているのではないでしょうか。

主人公と閏土との間に生じた封建的な格差の隔たりは、自分たちの歩み次第で、いずれ取っ払うことが出来るのかもしれませんね。










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吶喊(とっかん) (魯迅)

『吶喊(とっかん)』は魯迅の第1創作集(短編小説集)である。

1923年8月に北京の新潮社[注 1]から出版された。1926年5月の第3刷から北新書局[注 2]が出版。 1929年まで15短編と自序からなっていた。1930年の第13刷から魯迅の意向で最後の「不周山」がはずされた。

「吶喊」とは勢いをつける鬨の声の意味。 魯迅のもっとも売れた作品集であり、藤井省三の推定[1]では正規版だけで14年間に約10万部が売れた。

出版背景
社会的背景
1911年10月 武昌蜂起から辛亥革命勃発。
1912年1月 孫文が南京で臨時大総統となり、中華民国成立。
1912年2月 清の宣統帝溥儀退位。袁世凱が臨時大総統。
1913年10月 袁世凱が大総統。
1914-8年 第一次世界大戦。
1915年1-5月 日本の対華21ヶ条要求。
1916年6月 袁世凱死。以後中ごくは1928年まで軍閥時代。
1919年1-6月 パリ講和会議、ベルサイユ条約。ドイツ権益は日本へ。
1919年5月 北京大学生が五四運動をはじめる。
1925年3月 孫文死。
文学的背景
1915年9月 陳独秀が『青年雑誌』を創刊。儒教批判を展開。
1916年9月 『青年雑誌』の2巻1号から『新青年』に改題。
1917年 1月陳独秀が北京大学文学部長。
『新青年』1月号(2巻5号)に 胡適が「文学改良芻議」で口語文を提唱。
『新青年』2月号に陳独秀が「文学革命論」で平民文学・写実文学・社会文学を呼び掛け。
1921年7月 中国共産党設立。以後『新青年』はその機関紙化。
1921年8月 魯迅の弟周作人らが「文学研究会」を発足。『小説月報』が機関紙。茅盾が編集長。
魯迅自身の生活背景
1912年5月 魯迅は臨時政府教育部とともに北京へ転居。
1913年4月 『小説月報』に処女作「懐旧」を発表。文語小説。1911年の革命中の中国の知識人や庶民を描く。
1913-6年 袁世凱の独裁時代には沈黙を保った。
1918年5月 「狂人日記」で創作を再開。
1919年11月 収入が安定し、北京の西直門内八道湾に家を買った。2人の弟家族をふくめた大家族住宅になった。
1920年8月 北京大学講師。
1923年7月 弟の周作人と不和。8月に八道湾から別宅に移った。
作品内容
以下の引用文は断りがなければ竹内好訳。

吶喊自序
1922年12月作。 以下の作品を作る事になった由来。中ごく国人の精神を改善する必要性があるからだ。

愚弱な国民は、たとい体格がどんなに健全で、どんなに長生きしようとも、せいぜい無意味な見せしめの材料と、その見物人になるだけではないか。(中略)されば、われわれの最初になすべき任務は、彼らの精神を改造するにある。
『狂人日記 』
初出は1918年5月号[注 3]『新青年』(4巻5号)

金心異(銭玄同)にすすめられて執筆。「魯迅」のペンネームを初めて使用。 狂人が主人公。儒教とは「礼教食人」であると知った。

どのページにも「仁義道徳」などの字がくねくね書いてある。おれは、どうせ睡れないから、夜半までかかって丹念にしらべた。そうすると字と字との間からやっと字が出てきた。本には一面に「食人」の二字が書いてあった。
孔乙己(コンイーチー)

初出は1919年9月出版の4月号『新青年』(6巻4号)。

科挙のための知識という現実には役にたたない知識を持ち、秀才試験[注 4]に受からなかったあぶれ者の孔乙己を描く。 ユーモアとペーソスに満ち、孫伏園(中ごく語版)(『晨報副刊』の編集者)によると、魯迅が自分で一番好きな作品と言った[2]。

『薬 』
初出は1919年5月号『新青年』(6巻5号)。

死刑囚の血をつけた饅頭を肺病の子供に食べさせたが、子供は死んでしまった。 (当時病気をなおすには人の血をたっぷりつけた饅頭を食べるのがよいという迷信があった。)

『明天 』
初出は1919年10月号『新潮』(2巻1号)。 日本語題は「明日」。

単四嫂子の家は母子家庭。その一人息子が死んでしまった。家はからっぽになってしまった。

『一件小事 』
初出は1919年12月『晨報』。 日本語題は「些細な事件」 「小さな出来事」。

魯迅の最短編。乗っていた人力車が老婆を引っ掛けた。ころんだ老婆を車夫が助け起こし巡査に届けた、それだけの事件。

『頭髪的故事 』
初出は1920年10月『時事新報副刊・学燈』。日本語題は「頭髪の故事」「髪の話」。

先輩Nの話。留学中に辮髪を切って故郷に帰ったら周囲からいやがらせを受けた。

『風波』
初出は1920年9月号『新青年』(8巻1号)。日本語題は「波紋」「から騒ぎ」。

1917年7月の張勲の張勲復辟事件が題材。清の天子様が再び位についたといううわさが流れる。じゃ切ってしまった辮髪はどうすればいい?

『故郷』
初出は1921年5月号『新青年』(9巻1号)。

魯迅は1919年12月に3週間帰郷した。20年ぶりに帰った故郷への期待と幻滅を描く。

日本の国語教科書にもっとも採用された魯迅作品。最後の文が有名。
「もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」


『阿Q正傳』
初出は1921年12月から1922年2月の『晨報副刊』日曜版に毎週または隔週連載。

阿Qには自尊心はあるが、自己満足するだけで、自分を向上成長させることができない。

魯迅の小説でもっとも長く、この典型的人物を作ったことで、魯迅の代表作とみなされる。

『端午節 』
初出は1922年9月号『小説月報』(13巻9号)。日本語題は「端午の節季」「端午の節句」。

『小説月報』の茅盾の依頼で創作。 当時の給料遅配に反対する1921年3月からの教員ストライキが背景。

方玄綽は教師で官吏(当時の魯迅自身の身分)。しかしどちらの給料も遅配になり金がない。どうやって端午節[注 5]を越すか。

『白光』
初出は1922年7月号『東方雑誌』(19巻13号)。

陳士成は秀才試験に16回落ちた。白光の幻覚が見えはじめ、宝が地中に埋まっていると考えて掘りはじめる。

『兎和猫 』
初出は1922年10月『晨報副刊』。日本語題は「兎と猫」。

弟夫婦が、つがいのうさぎを買ってきた。子うさぎがたくさん生まれた。そのうち2匹は猫にやられていなくなった。

『鴨的喜劇』
初出は1922年11月 『婦女評論』。 日本語題は「鴨の喜劇」「あひるの喜劇」。

ヴァスィリー・エロシェンコ(1922年2月-1923年4月に北京大学講師として北京在住)がおたまじゃくしを買ってきて池で飼った。あひるの雛も買ってきた。するとおたまじゃくしがいなくなった。

『社戯』
初出は1922年12月号『小説月報』(13巻12号)。日本語題は「村芝居」「宮芝居」。

11,2歳の頃、友人たちと船で隣村に芝居を見に行った思い出。

『不周山 』
初出は1922年12月『晨報』。 1930年に『吶喊』からははずされ、1936年に「補天」と改名し『故事新編』に収録。

女媧は退屈しのぎに人間を作った。しかし人間は戦争を起こし天地を破壊する。女媧は天の補修をし疲労で死んでしまう。

魯迅自身による解説
『華蓋集』内の「阿Q正伝の成り立ち」(1926年12月)
「阿Q正伝」はユーモア小説として書きはじめた。 多くの人が、次は自分がやっつけられる番ではないかと戦々競々としたものだ。
『南腔北調集』内の「私はどのようにして小説を書きはじめたか」 (1933年6月)
参考書もなく、昔読んだ百篇ばかりの外国の作品と、ごくわずかの医学知識を元手に、頼まれて書き出した。
日本語訳
最初の部分訳
1922年6月、「孔乙己」を、北京在住の日本人向けの週刊誌『北京週報』に、魯迅の弟周作人が翻訳[1]。
1923年1月、「兎和猫」を、魯迅自身が日本語訳し、『北京週報』に発表。
1927年10月、「故郷」を、武者小路実篤主宰の月刊誌『大調和』に翻訳。訳者不明。
全訳
井上紅梅訳 『魯迅全集』(全1巻)改造社 1932 ※『吶喊』と『彷徨』。「不周山」もふくむ。 『吶喊』分は青空文庫にも収録。
竹内好訳 『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇 吶喊 』 岩波文庫 1955[注 6] ※竹内訳は同時期の河出書房や筑摩書房の文学全集などにも使われ、日本でもっとも読まれてきた。
高橋和巳訳 『世界の文学47 吶喊 他』 中央公論社 1967
松枝茂夫・和田武司訳 『世界文学全集93 吶喊 他』 講談社 1975
駒田信二訳 『世界文学全集44 吶喊 他』 学習研究社 1979
丸山昇訳 『魯迅全集2 吶喊・彷徨』 学習研究社 1984

街場の中ごく論 魯迅『吶喊』『阿Q正伝』

2022-02-18 22:54:40 | 日記
【衆知】
内田さん:「(前略)
愛国主義を突き詰める過程で、
自分の同胞の一部を
「祖国を蝕(むしば)む非国民」
として告発しなければならない。
この退嬰的同胞を告発しなければ、
国を救うことができないというところが
愛国主義の苦しみではないかと思います。

同胞を告発することの苦しみは、
この(人類館)事件のとき、
魯迅によって典型的に経験されました。

(👨これが、ママが2000年頃から
よく話のたとえに出す、
『魯迅スライド事件』。

👴うちの李下の文章力では
うまく皆さんに伝えられなかった。
内田さん、よく書いて教えてくれました❗)

魯迅は人類館事件の前年に日本に留学し、
この事件のあったときにはちょうど
東京の弘文学院に在籍しています。

ですから、留学生たちの抗議運動の
まさに渦中にあったことになります。

(人類館)事件の翌年、
魯迅は仙台医学専門学校に入学して、
医学を修めるために仙台に赴きます。

仙台時代の生活を
魯迅は印象的な「藤野先生」
という短編に記していますが、
この小説は魯迅が医学を棄てて、
文芸の道に進む転機を短く正確に描いています。

その転機は「幻灯事件」と言われるものでした。
魯迅の第二学年のとき、
医学生たちはある時事的な映像を
幻灯(スライド)で見せられます。

日露戦争中でしたので、
映像は日本人がロシア兵を
打ち破っている場面ばかりでした。

魯迅はこう書いています。

「たまたまその中に中ごく人が混じっていたのである。
ロシア人のためにスパイをして
日本軍に捕らえられ、
銃殺されようとしているのだが、

それをとりかこんでいるのも中ごく人の群衆だった。
教室の中にはもう一人、わたしもいるのである。
「万歳!」彼らはいっせいに手をたたいて歓声をあげた。

この歓声は、(スライドを)一枚みるごとにいつもあがったが、
わたしにとっては、その声は
とくに耳を刺すようにきこえた。

その後、(わたし魯迅が、)
中ごくに帰ってきてからも、
私は銃殺される罪人を 
のどかに見物している人たちをみたが、
彼らもまだどうしてか 
酒に酔ったように喝采するのである。」

⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
同胞を襲ったむごい運命を
ぼんやりと傍観して、
「酒に酔ったように喝采する」
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
この当事者意識の希薄さのうちに
魯迅は清末中ごく人の精神的退廃の
徴をみたのでした。
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
そして、この「酒に酔ったように喝采する」同胞を見たときに、
「私の考えはかわってしまったのだ」
と魯迅は書いています。

(どのように考えが変わってしまったのかというと、)
それは医学を棄てて、
文芸を職業とすると、いうことです。

🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
医学では中ごく人の肉体の病は治せる
けれど、それ以上に深く病んでいる
心の病は癒せない。  
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
「わたしたちが先ずやらなければならないことは、
彼らの精神を改造することである。

そして精神の改造に役立つものとしては、
私はそのとき当然、文芸をあげるべきだったと思った」(『吶喊(とっかん)』)と、
そのときの「回心」の理由を魯迅は後年説明しています。

この文章を書いているとき、
魯迅の脳裏では
「幻灯」で見せられた、同胞の銃殺を
「酒に酔ったように喝采する」中ごく人たちの姿と、
台湾の同胞が「展示」されている内国勧業博覧会を
「のどかに見物している 」清国からの観光客たちと、
抗議もせずにぼんやりときょうしゅ傍観していた、
清国の外交官たちの姿がかさなっていたのではないかと思います。

⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
この同国人たちの知的退廃に⚠️⚠️⚠️
近代的な科学技術を単に接ぎ木しても、
それでも祖国を救うことにはならない。
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
同胞の不幸を見物するような 
退嬰的な精神的な構えそのものを
問題にしてゆかなければならない。
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
おそらくそのような覚悟が、
魯迅に「阿Q正伝」を書かせることになったのだろうと僕は思います。
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
阿Qは同胞が銃殺されるのを見て、
「酒に酔ったように喝采する」、
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
中ごく人の退嬰性を人格化しています。
 
けれども、これをもし政治的文脈に落とし込んでしまったら、
それは「阿Q的なもの=前近代的心性を自己批判せよ」
というシンプルで空疎なスローガンにしかなりません。
でも、魯迅はそうしなかった。

そうしたくはなかった。
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
そこが魯迅の偉大なところだと思います。 

魯迅は阿Qを「厚みのある」人間として描いています。
阿Qのような中ごく人が生まれてくるのには長い歴史がある。
鍾乳洞の鍾乳石が長い時間をかけて形成されるように、
中ごくの歴史が絞り出すようにして生み出した人物類型である。
阿Qが平然と、恬淡と、阿Qでいられるのは、
自分の中には中ごくの本然のものが脈々と流れており、
自分こそ中ごくの正系を継ぐものであるという確信があるからです。

阿Qはつねに得意です。 
侮辱され、罵倒され、打擲された後にも、
そのようなときこそ
むしろ一層よい気分になります。

「これはあるいは、
中ごくの精神文明が世界に冠たることの、 
一つの証拠であるかもしれない」
と魯迅は皮肉な筆致で書いています。

魯迅が理解していたのは、
阿Q的なもの、
すなわち中ごく人の身体の深層に血肉化し、
骨にからみついているような退嬰性は
科学や政治の用語では適切には記述することができないし、
記述すべきではないということです。

そのような文体からは
「阿Qを殺せ」という
「阿Q正伝」の末尾で阿Qを殺したのは、
彼が殺されるべきだと思ったからではありません。
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
阿Qが殺されるべきことに
現に無意識のうちに同意しており、
その、死刑の風景を
「酒に酔ったように」
今読みつつある中ごく人の、
読者に向かって、
「阿Qはあなた自身ではないのか?」
と問うためです。❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
❇️❇️❇️❇️❇️❇️
中ごく人がめざすべきなのは、
阿Qを「非国民」として切り捨てることではなく、
阿Qのような人間❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
(つまりこの小説を読みつつある「あなた」)
をこそフルメンバーとして迎え入れることができるような
寛仁で闊達な「来るべき社会」である。

そのことにならあなたは同意するだろう?

魯迅は中ごく人の読者たはちに
そう問いかけようとしていたのではないか
と僕は思います。❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
魯迅がその渦中にあった人類館事件から 
学んだことはたくさんあったと思います。

そのひとつは、
 
中ごくの近代化は
「阿Q的な人々」を
前近代的遺制である「患部」として 
外科的に切り捨てることによってではなく、
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
彼ら自身がおのれの病を自覚し、
自らの手で治癒を決意することによってしか
果たすことができないと考えた
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️ 
ことだと僕は思っています。

(中略)

魯迅が『阿Q正伝』で試みたように、
他者の精神の内側に
身をねじ込むようにして入り込み、
そこから見える歪んだ世界を記述するときにだけ、
おそらく人間は自身をとらえている幻想の檻(おり)から
少しだけ身を逃れさせることができる
のだと僕は思います。」 

書名 『増補版 街場の中ごく論❗』
著者  内田 樹
出版社 ミシマ社
発行日 2011年03月03日
定価  1,600円+税


👩中学3年国語の教科書『故郷』(魯迅)は、
内田さんによる上記のような、
『吶喊』『阿Q正伝』(魯迅)についての
記述の添付が必要だと思う。

👧解説がなければ、
『故郷』を読んだだけでは
日本の中学3年生には
魯迅の『故郷』に対する気持ちはわからない。


『故郷』『吶喊』『阿Q正伝』に付いた
内田さんの添付解説を一番に読む権利があるのは
中ごくの人々だ。
しかし、読むことが
中ごくの強権政治で叶わないとしたら、
次に読むのは自由の国に来ている中ごくの人々だ。


👩郷美、
魯迅は、毛●東に
プロパガンダ(宣伝)として
使われてしまったの。
中ごくの国民は
魯迅の『故郷』『阿Q正伝』
を手に取り読むことは出きるのに
魯迅が本当に伝えたかったことは
いまだに中ごく国民に伝わっていない。

👨事実なんてどうでも良いんだ。
自分の都合の良いときは相手を利用し、

自分の都合が悪いときは
事実をねじ曲げるか、隠蔽するか、
ウソをつけば良いと思っている人々。


👩中ごくは読むものを根本的に間違えている。 
読むものは、毛沢東語録ではなく、
たとえば
国際条約集、
阿Q正伝、
故郷、
日本や世界の偉人伝(毛沢東やスターリン、
ヒトラーは偉人ではないから。)、
08憲章、
吶喊
などだと思う。

中ごく国民は
これらの書籍が読める体制になれば
読んでくれるかもしれないが、
問題は中ごくのトップたちだ。
読んでもらう方法がない。

これらの優れた書籍・文章は、いまだに
彼らにとって焚書(焼いて灰にしてしまいたいほどにハイレベルな禁書)なのだろうか❔

👨だから、ママ、
読むことは出きるんだけど、
プロパガンダ情報戦で
真実をねじ曲げて 
国民に伝えることができるんだよ。

👩毛●東に、
自分が真に
中ごく国民に伝えたいことを
ねじまげられた魯迅本人は、
ねじまげられたことを
知っていたのかしら❔

👧知っていたと思う。
魯迅はいつも中ごく政府に命を狙われて
逃げ続けていたから。
知っていても
相手が強権だもの。
相田みつを。

👴国を思う、
魯迅のような立派な人を、
劉暁波のような
中ごく人のための『08憲章』を考えてくれた人を
追い詰めていく国家とは、
やはり『ならず者国家』と
呼ばれても仕方ない。

最近は中ごくに輪をかけたような
とびきり恐ろしい強権体制の
ロシアが台頭している。

👧中ごくの国民のように政府から
『夜と霧』
『ヴァイツゼッカー大統領
ドイツ終戦40周年記念演説全文』
とかも何にも知らされていない、
(既知だったらごめんなさい。)
または、
『仮想世界』で暮らしている方々、
『夜と霧』などをたとえ知っていても
政府によってねじ曲げて
理解させられてしまっている方々、

ロシアの国民のように
中ごくよりもっと恐ろしい強権体制のなかで
暮らしている方々、

そういう方々は、
どうにかしてイギリスBBC放送などと
連絡を取り、
自分の国の状況をどうぞ伝えてください。

と思う。

過去に目を閉ざす者は……

わかる、使えるはじめの1冊〉
岩波ブックレット

 

情報戦(と)は Nidoto nai yoni.(バイデン大統領より)

2022-02-17 06:07:42 | 日記
午後11時半頃から外でトタンが当たる金属音がして、
強風が吹き始めた。
春、遠からじ。


ロシアでリベラルとして生きるのは荊(いばら)の道。
だからこそ勇気を出して声を上げる人々は本物の勇者。
YouTube検索ワード
「プーチンが最も恐れる男……」

ロシア国民のプーチン大統領への
支持率は過去最低。

デモ参加者:
「彼らは、法の執行機関を攻撃していて、
物を叩いたり、車を壊したりしている。」

「(ロシアは)ほんとうに恐ろしい国だ。
自分は55歳になるが、
孫たちにはこんな国に
住んでもらいたくない。
自由な国に行きたい。」


朝日新聞
DIGITAL
【写真】
モスクワのシェレメチェボ空港で今月17日、拘束前に司法当局者(左奥)から話しかけられるナバリヌイ氏(中央)=ロイター
連載:社説
(社説)ロシアの強権 政治的弾圧が目に余る
2021/1/25 5:00
 毒で襲われ、かろうじて命をつないだ反体制派の指導者が、帰国直後に拘束された。

 明白な弾圧であり、重大な人権侵害だ。ロシア政府はただちに釈放し、真相解明と責任者の処罰を行うべきだ。


 拘束されたのは、政財界の腐敗を告発してきたアレクセイ・ナバリヌイ氏である。昨夏にロシア国内線の機内で毒殺未遂に遭い、ドイツで療養してきた。

 同氏は以前、経済事件をめぐる有罪判決を受けており、刑の猶予期間中の義務を怠ったというのが今回の拘束理由だ。

 いかにも後付けの口実というほかない。ロシア全土で抗議デモが相次ぎ、多数が連行されている。国際社会から非難と懸念の声が噴出するのは当然だ。

 昨夏に使われた毒は、旧ソ連期に開発された神経剤とみられている。英国の調査報道グループは、関与したのはロシアの治安機関の8人だと発表した。

 うち1人は、ナバリヌイ氏が政府高官を装って電話をかけたところ、毒を使った具体的な手口まで説明したとされる。

 プーチン大統領は言下に否定している。当局がナバリヌイ氏を監視していた事実は認める一方で「(毒殺するつもりなら)最後までやっていただろう」と言明した。そのうえで、同氏が外国の反ロ工作に関わっているかのような見方を示した。


 ロシアではこれまでも、政権に批判的なジャーナリストや元高官が暗殺されてきた。国外でも、反体制に転じた元情報機関員が、今回と同種の毒物による殺害未遂に遭ったり、放射性物質で殺されたりしている。

 民主国家を標榜(ひょうぼう)するロシアにとって極めて深刻な事態だが、プーチン氏は、実態調査や国内の人権状況の改善に一貫して後ろ向きだ。

 一方でプーチン氏は、昨年の憲法改正により、83歳で迎える2036年まで大統領職にとどまることが可能になった。
(👨これは良くない。)

 さらに、大統領経験者は生涯にわたり刑事、行政上の責任を問われない特権をもつ、とする法律を先月、成立させた。自身に対して、終身恩赦を与えたに等しい。
(👨絶対良くない。何百万人でも殺して良いことになる。)

 💮プーチン氏が強引に権力固めを急ぐこと自体、自らへの批判に恐怖にも似た感情を抱いていることの表れだろう。💮💮💮💮💮

 🌕️だが、権力者が自らの権勢と保身を社会の自由や人命よりも優先するような国は、国際社会において信頼されない。他国と建設的に協力し、相互発展することも難しいだろう。🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️


 🌕️強権的な統治手法を捨て、真の民主化を進めることでしか、繁栄するロシアを次世代に残せない。その現実をプーチン氏は直視するべきだ。🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️


(👨おお、「プーチン大統領は戦争をやる」というバイデン大統領の言い方は不思議だ。
「プーチン大統領は戦争をやるつもりだそうだが、
世界のためにやらないでくれ‼️」
と言えば良いと思う。

❇️アブなかった。僕自身が情報戦に翻弄されるところだった‼️
❇️もう二度と戦争なんかしない。
❇️人権を持つ人間を強制する強権が嫌だ。
❇️国民も兵士も戦争には騙されないし、
❇️そっぽを向く時代になった。
❇️撃てと命令されても撃たないし、
❇️虐殺しろと命令されてもしない。
❇️なぜなら戦争すること、強制収容所を作ることなどを
❇️精神的に遅れた、愚かでバカらしいことだと考えているからだ。


朝日新聞
DIGITAL
【写真】
毎週末の「領土防衛軍」訓練に集まったウクライナ市民の志願兵ら。ロシアとの緊張が高まるなか、300人ほどが参加した=2月5日、キエフ郊外、金成隆一撮影
連載:社説
(社説)ウクライナ危機 まずロシアは撤兵を
2022/2/19 5:00
 戦争をするつもりは「もちろん、ない」と、ロシアのプーチン大統領は先日の記者会見で明言した。💮それが本心ならば、まず自ら兵を引くべきだ。💮💮💮💮💮


 ウクライナ国境周辺で緊張が続くなか、ロシアが米国からの事態打開の提案に回答をした。その中で改めて、ウクライナに侵攻する意図を否定した。

 しかし、10万を超える兵力の展開は続いている。先日、演習目的で派遣した部隊の撤退を始めたと発表したが、米側は逆に増強されているとみている。

 💮いつでも大規模な武力行使ができる構えを崩さないロシアの態度は、到底容認できない。言葉どおり撤兵を実行するのが、平和的解決に向けて取るべき最低限の一歩だ。💮💮💮💮💮

 米ロが互いに繰り出す牽制(けんせい)や情報暴露の駆け引きは激化している。

 ロシア議会は、ウクライナ東部の独立国としての承認を検討するようプーチン氏に求めた。一方、バイデン米大統領は近日中に侵攻が始まる可能性に言及し、抑制を求めている。

 そのなかで、米ロは外相会談を来週後半に開くことで合意した。少しでも事態の改善へ前進できるよう、米国だけでなく、仏独など欧州諸国も協力を強める必要がある。


 ロシアが米側に示した回答では、北大西洋条約機構(NATO)にウクライナを加盟させない確約を重ねて求めている。ロシア議会の動きも、ウクライナ領土をいつでも引き裂けるという示威行動なのだろう。

 だが、どの国にとっても同盟相手を選ぶのは主権の問題だ。ロシアは自国が脅かされていると被害者意識を強調するが、クリミア半島を占領したうえ、ウクライナ東部に介入してきたのはロシア自身だ。

 ウクライナでは近年、NATO加盟を求める世論が跳ね上がった。今回の危機を受け、これまで中立的外交を重んじてきた北欧のスウェーデンやフィンランドでも、加盟の議論が盛んになっている。いずれもロシアの行動が招いた結果だ。

 岸田首相はプーチン氏と電話して外交的解決を求める一方、平和条約問題を提起し、様々な分野で関係を発展させる重要性で一致したという。今、そのことを話すタイミングだろうか。

 ロシアがクリミアを占領した後も、米国などの懸念に抗して経済協力を進めたのは安倍政権だった。当時の米欧間の足並みの乱れも含め、主要7カ国(G7)の対応がロシアを助長させてしまった側面は否めない。

 岸田政権が取り組むべきは、失敗した対ロ政策の見直しであり、法の支配などの国際秩序を守る外交原則の確立である。

(👨そしてG7が再集結した。)






Nidoto nai yoni.(バイデン大統領より。)
人種差別、戦争など、
二度と過ちを繰返さないように。

それなのにまた、今度は
ウクライナ侵攻⁉️

ロシア国内の反プーチン派、デモで
「プーチンの居ないロシアを望む‼️」

(👩えっ👀⁉️
もしこれと同じことを中ごく人が
中ごく国内で、デモで言ったら
捕まります。
ロシアは言っても捕まらないの❔)

ANN news
ジョンソン英首相は、
欧米のみならず、
アジアの各国、
東アジアの
台湾・日本にも
結束を呼びかけました🌍️🌎️
台湾への圧力を強める中ごくを念頭に、
【武力での侵略】を念頭に、
【武力での侵攻】を許した場合の
全世界への影響を懸念した発言と
みられます。
ジョンソン英首相は、
「侵略は得になり、力は正義だ‼️」
との結論に至るリスクを指摘し、
ウクライナ侵攻が起きれば、
イギリスはロシア企業に対し、
制裁を課す方針です。
(ANN news CH)


【ABEMA記者解説】
ロシアのプーチン大統領により
ウクライナ侵攻が為されるという
2022年02月16日(Xデー)は、

「もしかしたら(ロシア対ウクライナ戦争)が始まるかも⁉️」
と、ちょっとドキドキしました
(=心配で不安になりました)。
(16日の)早朝4時から
自分たちは(モスクワ支局に)張り込んでいました。

実はその(16日Xデーの)前に
小さなサイバー攻撃などが、起こっていたんですね。

もしかしたら、これ(このサイバー攻撃)が(ウクライナ)戦争の始まりかと思ってヒヤリとしました。

たとえば、電力会社のホームページにアクセスができなくなったり👇️
(👧どこの国の電力会社❔)
👉️ということがあったんです。

これ、実は2015年の12月にも、
実は同じことがありまして、
その時はもっと大変だったんです。
(👧大変だったのはどこの国の誰なの❔)

もう、すごい寒い時だったんですけど、

❌❌電力の送電線を
❌❌コントロールするところが、
❌❌ハッキングされて、 
❌❌何万人もの人が
❌❌寒さで凍えたんですね‼️
❌❌(電力の)普及にも
❌❌相当時間がかかって。

(👧だから~、
電気の送電線コントロールがハッキングされて
電気が止まり、 
暖房が止まったのはどこの国の国民なの❔
主語をハッキリ言わなきゃ‼️)

もしかしたら今回(ウクライナ)も
そんなこと(電気系統がハッキングされ、
人が凍えること)が起こったかもしれない。

そのくらい(ロシア支局の自分たちが)
ちょっとドキドキしたのが、
2022年02月16日でした。

日本の女性アナウンサー:
今回はそんなに(前回より)
被害は大きくなかったということですか❔

(👨死亡者が1人出ていますが…)

モスクワ支局長(日本人):そうですね、
(今回は)実際に電力に影響はなくて、

(電力会社の)ホームページに
アクセスができなったという程度で、

ま、ジャグ程度っことなのかもしれません。

👧「ジャグ」って何❔
「ジャグ程度」って何❔」

👩モスクワ支局長さんが、
「(今回の)ウクライナ情勢のポイントは、
プーチンさんの言葉を
そのまま信じちゃダメ👐」
とおっしゃったのはさすがだ‼️

でもなんかさ、ニュースに緊張感がない。
もうちょっと緊張感を伴う伝え方がいいのでは❔

👨でも、そういう伝え方をしないように
言われているのかも知れないね。
そんなにひどくないって言ってくれって、
言われているのかもしれないね。

👧誰に言われているの❔

👩さぁ❔❔わかんない。
以上、
YouTube検索ワード 
緊迫ウクライナ
東部地域の切り離しで決着?
【ABEMA記者解説】
(2022年2月19日)

ABEMA news
ANNモスクワ支局 前洋平支局長による解説。








(👧ウクライナ情勢のポイントは、)
「プーチンさんの言葉を
そのまま信じちゃダメ👐」

「メディアは政治権力と
密着した関係にある」


プーチン大統領は、
「ウクライナ国にいる、
ロシアに対して政治的発言をした人々と、
反露側の人々の『暗殺リスト』を作り終えた」と発表した。

👧この進化した栄えある21世紀、
2022年に、
『暗殺リスト』なんか、
よくも出すなあ(怒)‼️
まったく悪いことだと
思っていないんだね‼️

👴これも戦略だとぉ(怒)‼️
ロシアだけには生まれたくない‼️
中ごくも‼️

👨お義父さんっ‼️
口を謹んでくださいっ‼️
生まれるくには
自分で選べない‼️

👩みんな、逃げろ💨‼️

👨ママッ‼️
ウクライナ情勢の心理戦で、
僕の家はメチャクチャだっ‼️

ママッ、僕の遅い朝食は❔
 
👩そんなもん今朝はないっ‼️
あったらすぐさまリュックに詰めろ‼️

👧ママ、しっかりして‼️
ここはウクライナじゃない。
日本よ‼️

👩台湾有事が迫っているかも⁉️


「日本政府は、
ウクライナにいる
邦人(日本人)に
チャーター機を派遣した。」

👨各国の大使館のような機関から
退避命令が出たら
戦争がほんとうに近いんだなと
僕は思った。


👩また、たった独りの人の命令で
1つの(2つの)国の
大切な国民と兵士の命が減少。
関連国の株価は下落。
これから戦争を始めるような国に
投資したら大きな損害をこうむるから
投資は止めようと思うからです。

世界中がフェイク・ニュースで右往左往。

世界と、
相手の国の国民を
混乱におとしいれることが
情報戦の目的です。

👨偽情報に
世界の人々が騙され、
相手の国の国民がだまされ、
国民が不安になり、
国民が怒り、
助けたい国が怒り、

戦争が勃発したりします。

情報戦だから
開戦自体が極秘。

世界に向けて
今から戦争を始めますの報告も、
戦争が終わったことの報告もありません。


違う映像を流したり、
本当の映像で、
発せられた言葉を
まったく逆の言葉に
すり替えたり、

とてもずるいやりかたです。

🌕️大切なのは、
🌕️偽情勢に騙されないこと‼️
🌕️偽情報を信じないこと‼️

🌕️👧どうやったらだまされないの❔

🌕️👨誰がその情報を出しているか❔

(例)プーチン大統領の言葉を
そのまま信じちゃダメ👐



悪いことはすぐに真似できるので、
これからずるい戦争が
増えないでほしいと思います。

これからの人類に誇れる未来のために。

心理戦。

サイバー戦争。

サイバー戦争は、
相手の国の電気系統インフラを破壊。
飛行場の監視塔は使えなくなる。
信号機が停電し道路も使えない。
食料などの物資を載せた、
トラックが走れないから
国民に食料・物資が届かない。
ATMが作動しなくなり
国民は銀行からお金が下ろせない。
👧「小銭の用意を」って、
自動販売機って電気で動いてた❗
なんもできなくて
国民はゆっくりゆっくりと餓死。
家畜の餌も工場も
全部オートメーションだから止まる。
うっわ‼️
牛や豚の首が半分切れたところで
電気が止まったら大惨事‼️
病院も自家発電が終わったらアウト❗

👴そんな卑怯な戦争は絶対に許すまじ‼️)






これまで述べたように、
戦争が始まると、
もう誰も、
公然と理由を尋ねたり、
本来の意味を「ねじまげる」ことなく
和平を口にしたりすることは
できなくなる。

(👨加藤周一さんがおっしゃったことと、
まったく同じだ❗)

メディアは政治権力と
密着した関係にあり、
いざとなると
本当の意味で
意見の多様性を
守ることはできないのである。

もちろん欧州の各国の憲法では、
言論の自由が保障されており、
これは戦時でも変わりない。

だが、現実として、
自由な発言を続けることは
かくも難しいのだ。

戦時には、
政府に対する批判をさし控えるというのが
暗黙の了解なのである。

神聖なる団結という概念は
今も有効なのである。

だが、戦時に政府が判断を誤った場合、
多大な損害が生じることになる。

だから、本当は戦時にこそ、
政府の誤った決定を正せるように、
言論の自由が保障されるべきなのだ。

裏切り者扱いされないように、
口をつぐむべきなのか。

国が正しいときは従うとして、
国が誤った判断を下しているときに
反対することは可能だろうか❔

もし無実の罪を押しつけられている人がいたら、
敵であっても弁護してやるのが正義、
真実ではないだろうか。

たとえ、それによって裏切り者と
責められることになっても……。

書名 『戦争プロパガンダ 10の法則』
著者  アンヌ・モレリ
訳者  永田 千奈
発行所 草思社
発行日 2002年03月29日
定価  1,500円+税





ロシアは、2030年までに
地上戦を担えるロボット部隊の創設を発表。

中ごくは、同じく
2030年にAIの軍事利用で
「世界の頂点に立つ」と宣言した。

❇️2030未来への分岐点(5)
❇️『AI戦争 果てなき恐怖』
❇️NHKスペシャル(国連の日本人の方々(監視塔)の仕事)
(👨家族で再放送を見た。)

 

 

2030 未来への分岐点 (5)
「AI戦争 果てなき恐怖」

2021年7月12日 午前11:43 公開
(2021年7月11日の放送内容を基に。)
 
『AIと戦争 新たな脅威』

自動運転や物流、医療など、私たちの暮らしを大きく変え始めた「人工知能=AI」。

このAIが戦争に利用されることで、

🔥19世紀の「ダイナマイト」、
🔥20世紀の「核兵器」を凌駕する軍事革命が起きると言われている。

10年後の、2030年。
世界の大国は、相次いで、
軍の中枢にAIを配備する計画を打ち出している。

AIが人間を凌駕して進化していくことだ。

それは、『人類の終わり』を意味する。

NHKスペシャルと
国連に在籍する日本人の方々が出した
❇️❇️結論❇️❇️
とは、
「『AI兵器の開発』は、禁止されるべきだ」







ニュース
ポール・マッカートニー、新ツアー<GOT BACK>の開催を告知

2/19(土) 11:34
配信

ポール・マッカートニーが、今年、新ツアー<GOT BACK>を開催することを発表した。

ポール・マッカートニーが、今年、新ツアー<GOT BACK>を開催することを発表した。金曜日(2月18日)、北米での日程が告知された。

◆ポール・マッカートニー画像

ポールは、「前回のツアーの最後で、僕はまた会おうと言った。君らのところに戻って来る(get back)と言った。そう、僕は戻って来た(got back)!」と、新ツアーの開催を告げた。4月28日から6月16日まで、北米のスタジアムやアリーナで14公演が開かれる予定。

ポールのツアーは、2018年9月~2019年7月に開催した<Freshen Up>以来となる。このときは北米で始まり、日本、ヨーロッパ、南アメリカを周っている。2020年も続け、グラストンベリー・フェスティバルで終了する予定だったが、パンデミックの影響を受け、同年の公演は全てキャンセルされた。

<GOT BACK>は、最新アルバム『McCartney III』(2020年)をリリース後初のツアーとなる。また、70代最後のツアーでもある。ポールは、現時点予定している北米での最終公演(6月16日)の2日後に80歳の誕生日を迎える。

Ako Suzuki
Photo (C)Mary McCartney






イマジン歌詞(和訳)
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Imagine all the people Living life in peace

もう何百回聞いただろう?イマジンを.... 全世界では何千億回聞かれているだろうか?
1971年の曲だが、今も色あせることがない。
人類の平和を願った歌だけど、悲しいかな何十年経ってもなおイマジンの願いは届かない。
でもきっといつかは....と、イマジンは永遠に問いかける。
米国テロ後、放送自粛にもなったイマジンを改めて聞いてみよう。
2001/11/15

※2020/9/3 SSL化しURL変更しました。
英語の苦手な僕でも「イマジン」の歌詞の内容は理解しているつもりです。
そこで、いろんな訳を参考にして、平和を想いながら僕なりに訳してみました....
曲は聞いたことがあるけどよく知らない...という方、ぜひ参考にしてみてください。
 

Imagine / John Lennon
和訳 Akihiro Oba
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...
 
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
 
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
 
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
 
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
 

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...
 
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
 
想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ 

お知らせ
2020年12月8日(日本では9日)ジョンレノン命日にアメリカと日本で同時開催される「パールハーバー平和への祈り」というイベントで、イマジンのこの和訳が朗読されました。大変光栄です!
オンラインで無料配信されています。(朗読は54分頃から)
https://tiara-g.wixsite.com/20201208

~リンクや和訳のご利用について~
●このページへのリンクは自由です。
●この和訳は自由に転載して構いません。
転載の場合は、転載元としてこのページをリンクしてください。
(できれば必ずお願いします)https://ai-zen.net/kanrinin/kanrinin5.html
リンクや転載してくださった場合は、以下フォームからお知らせください。(強制ではありません)







PRESIDENT Online
「ロシアはウクライナに侵攻する」どれだけ反発されてもバイデン米大統領がそう主張を続けるワケ
2022/02/19 10:15

そのメディアにおけるコミュニケーションの情報戦を制するため——ロシアのフェイクニュースを打倒するために——バイデン政権はフェイクニュースではなく、インテリジェンス活動に基づいた「トゥルース」としての機密情報を武器に使うことを決意したのである。

ベラルーシでの演習を終えて、展開したロシア軍は撤退をしてもとのロシア国内の基地に帰っているとしたプロパガンダ情報(編集された現場映像を使ったフェイクニュース)を、ロシアは世界に伝えた。

一方、アメリカやNATOは、軍事衛星、情報衛星の画像を用いてロシア軍がまだウクライナ国境付近から撤退していないという事実を世界に発表し続けた。

この情報衛星の映像はイミント(IMINT)と呼ばれる画像や映像を使ったインテリジェンス活動であり、本来であれば公開されない国家機密である。それをあえて使って、情報戦を制するのがハイブリッド戦争におけるオープン・インテリジェンス戦略であるといえる。

■重要なのは侵攻するかどうかではない
今回のウクライナ危機において、もっとも大事なのはウクライナ人の意思であり、ウクライナ人の安全である。ウクライナ人が民主主義に基づいて選択した政権が、民主主義的手続きに基づいてNATO加盟を求めている。

それが民主主義的な近代国家における自決である。だからこそ、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は世界に対して、ロシアの脅威を、ウクライナの危機を訴えてきた。

ロシアが直接侵攻するかどうかではなく、ウクライナ東部の親ロシア分離派武装組織がテロや攻撃を起こすことで国内を混乱させる可能性を、ゼレンスキー大統領は国際社会に訴えてきた。

それはウクライナ軍やウクライナ市民が起こしたことでは決してないので、そうした「偽旗作戦」に騙されないようにとゼレンスキー大統領は世界に訴えた。2014年がそうであったように。そしてそれを口実にしたロシア侵攻の可能性は今後も十分にあり得る。

しかしロシアにとっては、ウクライナ侵攻に直接侵攻するかどうかは重要ではない。

ロシアがウクライナに直接侵攻しなくても、大量のロシア軍がウクライナ国境付近でベラルーシ軍と合同軍事演習を続け、ウクライナに軍事的圧力をかけ続ける。これによってウクライナ国内を混乱させ、ウクライナ市民を不安にさせ、そしてウクライナの政権が崩壊して、親ロシア派の政権ができれば十分に目的は達成できるのである。



プーチン大統領の目的は、ウクライナ政府が親ロ政権になりNATO加盟を放棄し、親ロ国家としてウクライナをロシアとNATO軍の緩衝地帯にし続けることだ。

それが実現すれば、プーチンにとってはウクライナ侵攻を実行するかしないかは、どちらでもよいことであり、今回の戦略においてプーチンはどちらに転んでも負けはないカードを切ったのである。

■トランプ政権のツケ…問われる人間の安全保障と同盟の意義
アメリカがトランプ政権であったならば、確かにこのような事態にはならなかったであろう。なぜなら、トランプ大統領はアメリカ・ファーストであり、自国の安全保障こそが優先であるがゆえに、ウクライナのためにロシアとこうした対立することはしないからだ。

ウクライナ人のために、民主主義のためにロシアと対立するという大義名分は、トランプには存在しない。アメリカの利益とロシアの利益が一致すれば、ウクライナなどの国々の安全や自由、人権など見捨てることができるのがトランプであり、そこには人道主義の感覚や、人間の安全保障、人権の安全保障という観点は欠落している。

実際に4年間のトランプ政権はロシア、プーチン大統領との摩擦を避け、ウクライナ危機を放置してきた。それを見過ごすわけにいかないのがバイデン政権であり、チーム・バイデンのアントニー・ブリンケン国務長官であり、先述のナンシー・ペロシ下院議長らである。

「新冷戦」におけるNATOとロシアの対立という古い対立図式に見える構造に、ウクライナ人の自由・人権・民主主義のための闘争としての、「人間の安全保障」「人道の安全保障」という最先端の課題が複合的に絡んでいる。

さらにはハイブリッド戦争というポスト・トゥルース時代における「情報の安全保障」の問題、ロシアからのガス供給問題など「エネルギー安全保障」「経済安全保障」に関わる問題などの多数の変数が複雑に絡み合った古くて新しい危機がこのウクライナ危機の本質である。

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福田 充(ふくだ・みつる)
日本大学危機管理学部 教授
1969年、兵庫県西宮市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(政治学)。専門は危機管理学、リスク・コミュニケーション、テロ対策、インテリジェンスなど。内閣官房等でテロ対策、国民保護、感染症等に関する委員を歴任。元コロンビア大学戦争と平和研究所客員研究員。著書に『リスクコミュニケーション〜多様化する危機を乗り越える』(平凡社新書)、『メディアとテロリズム』(新潮新書)、『テロとインテリジェンス〜覇権国家アメリカのジレンマ』(慶應義塾大学出版会)、など多数。
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(日本大学危機管理学部 教授 福田 充)

『情報戦』とは❔
(#情報戦👈️push)

ウィキペディア
情報戦(じょうほうせん、英: information warfare, IW)は、味方の情報及び情報システムを防護し、かつ敵のそれを攻撃・攪乱・妨害する敵味方相互の情報活動をいう。ただし軍隊や研究機関によって情報戦という用語の定義には若干の差異が認められる。ここでは上記の定義で用いる。

概要
情報戦とは平時及び戦時おいて情報優勢(information superiority)を獲得するために行われる一連の情報活動によって遂行されるものであり、米空軍の定義によれば防勢的な対情報活動は戦略的防空作戦と同様に常に実施されており、その意味で常に情報戦は遂行されている、としている。その一方で攻勢的な対情報活動は電子戦、心理戦、軍事的欺瞞など様々な活動を総合したものである。段階的に発展するものと考えられており、底度のものから順に挙げれば、まず偽情報やプロパガンダの流布、指揮統制中枢や情報発信源の物理的な破壊、コンピュータ・ウイルスの投入、ハッカーによる不法アクセス、ハッカー・コンピュータ・ウイルスによるデータに対する改竄・破壊もしくは電磁パルスによる物理的破壊、と考えられている。

ここにて、情報戦の定理を紹介する。

情報戦(ヤコブ)の定理 情報戦とは交渉の優位性を最大限に引き出す事である。 ①相対優位により各者は機械的に自己決定を為す。 ②秘密(利害事項)とは、根本的には隠せないものである。 ③情報戦争は線型構造である。

歴史
電子戦や心理戦、プロパガンダを含める場合、その歴史は古い。 コンピュータ・ウイルスを使った例としては、湾岸戦争でCIAがイラク側に納入されるコンピュータを割り出しウイルスを仕掛けたことが情報戦争の元祖であるとされる。ただしイラク側が使い始める前に多国籍軍の砲撃でコンピュータ諸共破壊されたため、結果的に不発に終わっている。

概念
情報戦については1994年ごろから米国防総省や米軍において重要性が認識されるようになってきた。その基本的な概念として、情報が必要な時に、必要な人へ、必要な内容で与えられることをめぐる戦いの一局面である。米空軍においては、敵の情報活動の効果や機能を停止・低下させ、同時に敵の同種の行動に対して味方を防護し、味方の情報活動を有利にするためのあらゆる活動と定義している。また米海軍においては、安全保障において味方の情報を敵から防護しつつ、敵の情報システムを利用し、敵の情報システムを停止させ、また敵を陽動などによって誘出することによって決定的な優勢を獲得・維持するために情報を活用する活動と定義している。一方で米陸軍は通信スペクトルを支配し、指揮官に敵行動を予測可能なものとし、味方部隊が敵の位置を速やかに把握して、戦車、火砲、航空機火力を整合的・統合的に運用する方法によって、その戦闘力を高める活動と考えている。米国のランド研究所は情報戦の特徴として、コストが安価なことや、伝統的な境界線があいまいになっていること、心理戦の重要性、攻撃判定の困難性、同盟・協力関係が内在する惰弱性などを挙げた。米国防大学においては情報戦を七形態に分類し、さらに行為を防御・操作・低下・拒絶として整理している。


(👨ロシアによる
ウクライナ侵攻は16日、
されたのか❔
されなかったのか❔
昼休みに読み返そう。

緊迫の一夜が明けた。
駅のホームから見える
明け方の雲と町並みが
まるで山脈のように見えた。)


早朝のコンビニで、
『米 露軍撤退は未確認』(産経新聞朝刊)
『これは情報戦だ』(毎日新聞朝刊)。
読売新聞は情報戦を二段目に取り上げている。

👴情報戦では、
偽りの情報を流すこともある。

👩ex.
狡猾な政府とその政府のトップは、
相手国の国民が
自国のトップを信じなくなるような
偽りの情報を出して相手国を混乱に陥れる。

『卑怯』という言葉の意味を知っている人々は、それを『情報戦』と呼び、
卑怯な政府とトップの情報を冷静に判断する。
国民は、『情報戦』とその狡猾さについて学ばねばならない。


EX.

📖『国際条約集(2021年版)』
岩沢雄司(編)
植木俊哉(編)
中谷和弘(編)
発売年月日:2021/03/22
定価 3,080円


📖『近未来戦の核心サイバー戦
情報大国ロシアの全貌』
佐々木孝博(著)


📖『対ソ情報戦資料』
粟屋憲太郎(編)
竹内桂(編)
定価 70,000円


📖『中ごくスパイ秘録 米中情報戦の真実』
デイヴィッドワイズ【著】,
石川京子,早川麻百合【訳】



情報戦(じょうほうせん、英: information warfare, IW)は、味方の情報及び情報システムを防護し、かつ敵のそれを攻撃・攪乱・妨害する敵味方相互の情報活動をいう。ただし軍隊や研究機関によって情報戦という用語の定義には若干の差異が認められる。ここでは上記の定義で用いる。



📖『情報戦の真実 香港デモの実態と
中ごく共産党の正体』
マイケル・ヨン(著)



👨NHK BSで再放送もされていた
『未来の人類に、誇れる10年に』(国連)
(僕のブログでも掲載しています。)
が、もう本当になされているんだと震撼した。
「サイバー攻撃」とか。
それこそ「偽情報を流し国民を信じさせる」とか。



👩突然ですが、私の想像ですが、
あるべきメディアの姿とは、
国民と弱者の味方をする姿でしょう❔

自国の政府が国民や他国民の命を粗末にしたら、
イギリスのBBCとかのメディアは
言葉の力で戦ってくれて、
自国の政府だろうが何だろうが
そういう行為自体を許さないと思う。

ロシアと中ごくのメディアは本当に‼️
BBCを見習いなさいよ‼️
過去を反省するのよ。
そしたらもっと善良な国になれるから。

ぴかっ☀️BBCに後光が射して
眩しくて見えないか‼️
悪は太陽の光が大嫌いだったね。

👨ママ、それはドラキュラだよ‼️

👩クリストファー・リーは
かっこ良かったが。

👴『NHKラジオ深夜便』で聴いたことがある。
作家の五木寛之さんは
他国からほうほうのていで引きあげてくるとき、
貨物列車に順番に乗るんだが、

脚が悪い人とか負傷している人、
女性や子ども、老人、身重の女性などに
「お先にどうぞ、
お先に乗ってください」と言って、

とうとうその人自身は
自分は列車に乗れなかったという。

五木寛之さんは、そのラジオと自著で
「善いひとは(先に)逝(ゆ)く」
「善良な人間は先に死ぬ」 
「自分が今生きているのは、
その人たちのおかげだ」
「今ある命は
その人たちの失くした命の上に
成り立っている」
とおっしゃっていた。
😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢
🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊

👿👿👿
弱肉強食。
👿👿👿
だからわしは善良でない者のDNAを
引き継いでいるのかもしれん。

しかし、わしは弱肉強食の世界など好かん‼️
わしらのために自分が乗る列車の席を空けてくれた
その方々のために、
卑怯な戦争は
もう絶対に二度と許さない‼️

これまでの全員の戦死者のためにも‼️
まだ戦争をやるなら
彼らは全員犬死じゃないか‼️
何のために戦争なんか(怒)‼️
戦争するために
狡猾でくだらん理由を付けるな‼️
どんな理由を付けようとも、
人が死ぬことに変わりはない‼️


👨お義父さんがあんまり力説するから
僕は電車をひとえき乗り越してしまった‼️









ナナ「あなたの国で戦争が・・・?」

謎の男「私たちの国は長年、隣国と
民族的、領土的な対立を続け、
外交による解決も行き詰まっていた。

しかし、あれが攻撃だとは
誰も気付けなかった‼️」


謎の男からスマートフォンの動画を見せられるナナ。


謎の男「これは、私の国の大統領だ。」


動画の補佐官「大統領、サイバー攻撃で
物流機能が破綻しました。
このままでは、国民全員が餓死してしまいます‼️」


動画の大統領:「貧困層は放っておけ‼️
食料は富裕層に回せ‼️」
 

ナナ「ひどい‼️
でも、これのどこが攻撃なんですか⁉️」


謎の男「実際には、(大統領は、)
こんな会話はされていなかった」


(それを確かめるために)
映像を巻き戻してみると、

 

巻き戻した動画の大統領は
「まずは、困っている貧困層に食料を回して下さい‼️」
と、ほんとうは言っていた。

ナナ「(事実と)全然違う‼️」

謎の男「(これは)「フェイク動画」といって、
(相手の国の)国民の不安をあおる(ためのずるい)心理戦(略)だ‼️

人間の能力を超えた敵のAIは、
(相手の)国民それぞれの性格や
考えに合わせたフェイク動画を作って流した。

❌❌❌❌
敵の狙いは
(相手の)国民を混乱させ、
国民同士を疑心暗鬼にさせること」
❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌


『収容所群島』vs『The Snow Queen』(ロシア)

2022-02-14 04:26:13 | 日記

Nidoto nai yoni.
人種差別、戦争など、
二度と過ちを繰返さないように‼️



(👧教育とは、
受験やテストに受かるための
勉強のことだけじゃないよ‼️

教育とは、 
相手の気持ちがわかる、
『優しい心』を育むこと
だったんだっ‼️ 
わーん😭😭😭😭😭😭
🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊
🌊🌊👠👠🌊🌊🌊🌊
🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊)







平時の時には本性は出ないけど、
戦争になると少数ながら
殺人を楽しむタイプの
犯罪的な人間が兵士の中にいることがわかる、
と言われている。
(オスカー・ディルレヴァンガーのこと。)
YouTube検索ワード
【ゆっくり解説】ナチスの中でも最悪の殺人者
オスカー・ディルレヴァンガー




 YouTube検索ワード
【歴史ミステリー】
第二次世界大戦後のナチスに何が起こったのか?

(👧第二次世界大戦後の
ソ連の収容所とは❔
ソ連の収容所って、
ソルジェニーツィンの収容所群島のこと❔

「1945年齢春、
ドイツの捕虜になっていた兵たちは
ソ連帰国後に囚人となった。」

非ナチ化に50年⁉️

ほとんどのドイツ人が
ナチスに協力していた。

ナチスに協力した人を罰して
省こうとすると、
ドイツ社会が回らないほどだった。
だから協力した人々のことも使った。

現在の中ごくとロシアはどうなんだろう❔
昔のドイツと同じかな❔



ソルジェニーツィンが著した
『収容所群島』という本があります。

❌は私が、
「これはひどい‼️」と感じた部分です。)

ウィキペディア検索
収容所群島

『収容所群島』(しゅうようじょぐんとう)は、ソ連の作家、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの記録文学。

📖『収容所群島』
(しゅうようじょぐんとう)
著者
アレクサンドル・ソルジェニーツィン
訳者
木村浩
発行日
1973年-1975年
発行元
YMCAプレス社

フランス
言語
ロシア語


旧ソ連における、
反革命分子とみなされた人々に対しての
強制収容所「グラグ(グラーグ)」への投獄、
凄惨な拷問、
強制労働、
処刑の実態
を告発する文学的ルポルタージュである。

統制の厳しい本国では出版できず、
1973年から1975年に
❇️フランスで発売。
🌕️🌕️各国語訳が進められた結果、
🌕️🌕️人権上由々しき問題として
🌕️🌕️大反響を巻き起こした。

当然ながら(👧残念ながらでしょう)
❌❌ソ連では
❌❌禁書扱いされた。
ソルジェニーツィン自身は、
続刊が出版されている最中である1974年に
❌❌市民権を剥奪されて
❌❌西ドイツへ国外追放されている。

タイトルの
「収容所群島」とは、
広大なソ連領内の各地に
点在する収容所の
分布のありようを、
大海中に点在する
島々になぞらえた表現である。

内容
各章の題は木村浩訳。

第1部 牢獄産業 編集
1 逮捕
「群島」へ死にに行く人々はまず逮捕される。

2 わが下水道の歴史
収容所に送られた人々の歴史は
1917年に始まる。
刑法58条(国家への反逆罪)がもっともよく使われた。

3 審理
逮捕者の審理に使われる多くの拷問法。

4 秘密警察
「群島」へ人を送る取調官には、
❌❌指令の正確な実行と
❌❌無慈悲さが要求される。

5 初監房-初恋
囚人にとって最初の監房は、
同類の囚人たちが初めて出会う場所である。

6 その年の春
1945年春、
ドイツの捕虜になっていた兵たちは、
ソ連帰国後に囚人となった。

7 機関室のなかで
判決は特別審議により決められる。
❌❌正式な裁判ではない。

8 幼児期の法
1917-1920年の5つの公開裁判の紹介。

9 法は成人する
1920年代前半の
5つの公開裁判の紹介。

10 法は成熟する
1920年代後半-1930年代の
公開裁判の紹介。

11 死刑
死刑の歴史。
臨時政府は1917年に死刑を廃止したが、
1918年に復活。
1937-8年の2年間には
❌❌100万人近くが死刑になったという。

12 禁錮
収容所以外の禁錮刑もあった。
有名人など、
❌❌一般囚人に混ぜてはならない人々の刑として。


第2部 永久運動 編集

1 群島の船
「群島」の島々の間を
囚人は運ばれる。
囚人車輌や護送車で。

2 群島の港
❌❌ソ連のほぼすべての町に
中継監獄がある。
そこは囚人が
❌❌収容所の生活に順応するための準備の場所でもある。
収容所では「一般作業」だけは避けるように作者は教えられた。

3 奴隷キャラバン
貨物列車、だるま船、徒歩による囚人輸送。

4 島から島へ
特別護送という方法もある。囚人と護送兵は、
❌❌一般人の乗る列車にさりげなく相乗りする。



第3部 
❌❌絶滅=労働収容所

1 オーロラの指(👩オーロラで
『クリスタルナハト』を思い出してしまう。)
1918年7月の
❌❌法務人民委任部の
❌❌「臨時指令書」によって
❌の収容所群島が誕生した。
(👧収容所など誕生させること自体、
ダメだ。)

2 群島は海から浮び上がる
帝政時代からあったソロフキ島修道院監獄は、
1923年に特別収容所になった。
(👧修道院を監獄にした⁉️❌‼️)

3 群島は癌腫を転移さす
1928年から特別収容所は
ソロフキ島の外へ
増殖をはじめた。
最初の大事業として、
1933年に白海運河が作られた。

4 群島は冷酷になる
群島の歴史で、
いつが人間にとって最もつらかったか。
❌❌戦時中に軍配があがる。
(👴戦争すれば人権は即なくなる。(加藤周一))

5 群島の基盤
群島の運営基盤として、
❌❌差別食運用制度、
作業班、
❌❌インチキがある。

6 ファシストどもが運ばれてきた!
❌❌「ファシスト」とは58条違反者の別名。
作者自身の経験を交え、
収容所生活の第1日めを描写。

7 群島住民の生活
収容所では多く働けば配給食も増えるが、
消費エネルギー増大の補充には足らない。
つまり「大きな配給食が死をもたらす。」❔

8 収容所のなかの女性
収容所に年頃の新入女囚が来ると、
❌❌男特権囚に誘われる。
❌❌彼らの女になれば、
❌❌暖かく、
❌❌食べ物のある生活ができるのだ。

9 特権囚
特権囚とは一般作業を免れ、軽労働を職とする囚人。
収容所から生きて出られる可能性が高い囚人。

10 政治犯の代りに
❌❌ソ連では政治犯の代りに、
❌❌58条違反で多くの名もない人が収容所に入れられた。

11 忠誠派の人びと
正統派共産党員が逮捕される事もある。
❌❌彼らはソ連自体がおかしいのではなく、
❌❌自分の逮捕についてだけ何か間違いがあったのだと信じている。

12 密告
❌❌収容所の管理のために
❌❌密告も奨励される。
ただし資料が少なく、
作者自身の経験が語られる。

13 一皮剥がしたら、もう一皮剥がせ!
収容所入所中に、 
❌❌さらにもう一期の刑期を宣告される事もある。特にそれが多かったのは1938年。(👧なぜ❔)

14 運命を変えること!
脱走を試みる囚人もいる。
❌❌収容所周囲の現地住民は
❌❌すすんで脱走者を捕まえた。
❌❌当局による報酬が高額なので。

15 懲罰
❌❌囚人らはなんらかの理由をつけられて  
懲罰監房や、
労働作業つきの懲罰構内に送られる。

16 社会的近親分子
社会的近親分子とは58条によらない、
一般の犯罪者。58条組にくらべ優遇された扱いを受ける。

(👨『刑法58条 国家への反逆罪』のほうが、
「一般の罪」より重い罪だって⁉️)


17 少年囚
❌❌1935年から12歳
以上の犯罪者も収容になった。
彼らは数日で「群島」に順応する。
すなわち、力だけが正義であると知る。

(👴『力だけが正義』の国。
なんという恐ろしさだ。
この世の地獄。
青少年はすぐに悪いことに染まる。
これは非常に由々しい。)

18 収容所群島のミューズたち
❌❌収容所には文化教育部があり、
素人演芸会や合唱会も企画される。
(👴北と同じではないか‼️)

19 民族としての囚人たち
❌❌囚人がZ/K「ゼック」という民族を構成していると考えた論考。
(👨「何が『囚人という民族』という考え方だ‼️」)

20 犬の務め
収容所役人には
共通の特徴がある。
❌❌傲慢、
❌❌専横、
❌❌貪欲、
❌❌好色、
❌❌悪意、
❌❌残忍。

21 収容所周辺の世界
収容所周辺の運転手や技師などの
自由雇用人と収容所との関係。

22 われらは建設する
白海運河に始まる、
収容所囚人たちによって行われた、
大事業のリスト。
(👩無報酬で仕事させたのか❔)


第4部 魂と有刺鉄線 編集

1 向上
😢収容所は人の心を変える。
😢あなたは自分の弱さを知った。
😢だから、他人の弱さも理解できるようになったのだ。

2 それとも堕落か?
😢収容所で堕落するのは、
😢収容所へ入る以前に心が豊かでなかった人びとである。
(👨ホロコーストの強制収容所には、📖『夜と霧』📖『それでも人生にイエスと言う』の著者ヴィクトール・フランクルが居た。
彼のような崇高な精神で居つづけることは、僕らにはなかなか困難なことだと思う。)

3 打ちのめされた娑婆
❌❌群島の外の世界も
ばかりき群島の毒に冒された。
その影響を10項目あげる。

4 若干の運命
誇り高い2人の囚人の運命を描く。



第5部 徒刑 編集

1 死を運命づけられた人びと
1943年にスターリンは徒刑を復活させた。
1948年には特殊収容所が創設され、
58条組はそちらへ送られた。

2 革命のそよ風
❌❌特殊収容所の刑期は10年でなく、
❌❌25年が普通となった。(👧刑期が25年⁉️)
この刑期は囚人に新しい気運を生んだ。
そんな刑期をつとめるのは不可能だ。
ならば、いちかばちか..
(👨脱走するんだね❔)

3 鎖、また鎖
作者が1950年に入所したエキバストゥーズ特殊収容所。この9月にテンノとジュノダークがここから脱走した。

4 どうして我慢したのか?
⁉️囚人にどんな反抗手段があるか?
🌕️世論が味方してくれなければ、(👨世論が味方にって、強権国家だから。)
脱走か暴動しかない。

5 石の下の詩と真実
作者はエキバストゥーズに来る2年前から叙事詩を作るようになった。
🌕️頭の中だけで。
🌕️紙に書いて看守に見られてはならない。

6 確信にみちた脱走囚
ゲオルギィ・テンノは1948年に逮捕され、25年を宣告された。彼は脱走を決心し、1950年9月にエキバストゥーズで決行した。

7 白い仔猫
テンノが脱走時、自動車の強奪に失敗したため、ステップを20日歩いた。出会った一般人から国内旅券などを奪えば脱走は完成だ.. 
しかし彼にはそれはできなかった。

8 道徳を伴った脱走と高度な技術を伴った脱走
6つの脱走計画。いずれも失敗した。

9 自動小銃をかかえた若者たち
⚠️収容所の警備兵たちも、
⚠️みずからこの職を志願したわけではない。
❌❌軍事委員会に招集され、
⚠️⚠️彼らなりに祖国に忠誠を尽くす。

10 構内で足下の地面が熱くなるとき
特殊収容所では58条組が集められ、
一般犯罪者は少数だった。
すると、収容所内の盗難事件がなくなった。
囚人はお互いを信用し、
協力するようになった。

11 手探りで鎖を破る
1952年1月、
エキバストゥーズで
囚人のストライキが起こった。
そこの囚人の一部が他の収容所へ運ばれると、
その情報が広まっていった。

12 ケンギルの40日
収容所群島史上最大の反乱は、
1954年5-6月、
ケンギル収容所で起こった。
しかしT34戦車が投入され、(👩戦車⁉️)
鎮圧された。



第6部 流刑 編集

1 自由時代初期の流刑
ソ連の流刑は1922年の強制移住から始まった。

2 百姓の悪疫
1929-30年に、農業の集団化が行われた。コルホーズへ加入しない、「富農」とされた農民1500万人は、シベリアなどへ強制移住させられた。

3 流刑地は濃密になる
❌❌カラガンダは代表的な流刑都市。
ただし流刑地で仕事にありつくのは、都市が小さいほど難しい。
❌❌コルホーズでは収容所と違って、
配給パンさえないこともある。

4 諸民族の強制移住
❌❌1937年に朝鮮人たちがカザフスタンへ送られた。
❌❌1941年にヴォルガのドイツ人たちが移住させられた。❌そしてバルト人、タタール人、ギリシャ人、チェチェン人...

5 刑期を終えて
刑期を終えた囚人たちは、
次に流刑となる。
1953年、作者も流刑となり、
学校教師の職を申し込んだ。
🌕️そしてラジオでうれしいニュースを聞いた。
🌕️スターリンが死んだのだ!

6 流刑囚のささやかな幸福
作者は数学と物理の教師になれた。
🌕️フルシチョフの時代になって、 
🌕️58条組の流刑が廃止され、作者も自由の身になった。

7 娑婆へ出た囚人たち
流刑にされずに、
本当に釈放された囚人は、
住民登録がなければ就職できない。就職していなければ、住民登録ができない。



第7部 スターリン死後

1 今になって切り捨てるだなんて
1962年、作者は
『イワン・デニーソヴィチの一日』を発表した。読者から手紙が殺到した。
しかし1964年を最後に、
彼の作品は発表禁止となった。

2 為政者たちは変わるが
🌕️🌕️「収容所群島」は残る
1954-1956年は、「収容所群島」史上もっとも自由な時代だった。1961年に規律が改定され、現在の収容所となった。

3 今日の法律
1962年に
ノヴォチェルカースクの電気機関車工場からストライキが起こった。
❌❌軍隊が終結し、
❌❌群集に一斉射撃をした。
(👨『天●門●件』と同じではないか‼️)

その他の事件を含め⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
⚠️この国に法律はないと結論する⚠️
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️


日本語訳
ソルジェニーツィン 『収容所群島 1918-1956 文学的考察』各・全6巻、木村浩訳
新潮社、1974年-1977年、新潮文庫、1975-1978年。ブッキングにて復刊、2006年-2007年
関連文献 編集
ジョヴァンニ・グラッツィーニ『収容所群島への道 ソルジェニーツィンの愛と苦悩』花野秀男訳、二見書房、1974年。
原卓也ほか『ソルジェニーツィンを考える』ロシア手帖の会編、集英社、1975年。
クロード・ルフォール『余分な人間 『収容所群島』をめぐる考察』宇京頼三訳、未来社〈ポイエーシス叢書 10〉、1991年10月。ISBN 4-624-93210-2。 - 原タイトル:Un homme en trop。
ナターリヤ・レシェトフスカヤ『私のソルジェニーツィン 前夫人の回想記《時間との論争》』中本信幸訳、サイマル出版、1974年。ISBN 978-4-377-20227-4。
ジャック・ロッシ、ミシェル・サルド『ラーゲリのフランス人 収容所群島・漂流24年』外川継男訳、恵雅堂出版、2004年9月。ISBN 4-87430-031-6。 - 原タイトル:Jacques, le francais。

(👴👨👩👧👦
このような悪い歴史の流れを
21世紀に、2022年に
まだ受け継ぐ(引き継ぐ)つもりならば、
ロシア(プーチン氏)も
中ごく(共産党と習●平氏)も、
まったくもって
ほんとうにどうしようもない。
軍備が凄いから
すぐにやめてもらうわけにもいかない。
いったいどうしたら良いのだろうか⁉️
ヒトラーが自殺して
参謀は『ニュルンベルク裁判』で裁かれて、
やっと世界はほっとしたのに、
また習●平氏が台頭し(👨次は🇳🇵ネパールを侵略)、
彼に輪を掛けてプーチン氏が台頭‼️
世界はペキンオリンピックの真っ最中‼️
その間にウクライナ戦争⁉️
台湾戦争⁉️
ショックドクトリン(惨事便乗型資本主義)
でもしようというのか⁉️)




書名  『ほんとうにあった
・・・・・戦争と平和の話』 
・・・・・タリバンの衝撃を受けた、
・・・・・パキスタンの少女マララ。
・・・・・🇺🇳国連で難民支援に、
・・・・・奮闘した緒方貞子。
・・・・・ユダヤ人亡命者の命を
・・・・・救った杉原千畝。
・・・・・激戦地での取材を続けた、
・・・・・山本美香。
・・・・・「アンネ・フランクのバラ」
・・・・・を育てる日本の中学生。
・・・・・戦争と平和にまつわる、
・・・・・14の物語と3つの小さなお話。
・・・・・❇️「事実だけがもつ感動」
・・・・・をおとどけします。
・・・・・🌕️戦争はなぜいけないのか❔
・・・・・(👧一番下で引用があります👇️)
・・・・・🌕️平和とは何か❔を自分で
・・・・・考えることができる1冊。
・・・・・小学校中級から総ルビ
・・・・・ノンフィクション
監修   野上 暁
発行日  2016年06月15日
出版社 「講談社
・・・・・青い鳥文庫」 刊行のことば
(中略)森には、かぎりない自然の力と
いのちのかがやきがあります。
本の世界も森と同じです。
そこには、人間の理想や知恵、
夢や楽しさがいっぱいつまっています。
(中略)
「講談社 青い鳥文庫」は、
70年の歴史を持つ講談社が、
1人でも多くの人のために、
すぐれた作品をよりすぐり、
安い定価でおおくりする本の森です。
その1冊1冊が、みなさんにとって、
青い鳥であることをいのって出版していきます。
この森が美しいみどりの葉をしげらせ、
あざやかな花を開き、
明日をになうみなさんの心のふるさととして、
大きく育つよう、応援を願っています。
昭和55年11月 講談社

定価  680円(+税)




書名 『罪なくして罰せず』
著者  中坊公平 
・・・・弁護士として、
・・・・常に不正と
・・・・戦い続けてきた、
・・・・自己の人生を語り尽くした
・・・・力作。《解説=安藤忠雄》
発行日・2001年07年01日
出版社 朝日新聞社
・・・・朝日文庫な-22-1
定価・・520円+税



書名 『裁かれるのは誰か』
・・・・法と正義なき○○を斬る‼️
・・・・❇️国民主権の実質化。 
・・・・❇️法と正義が持っている、
・・・・❇️普遍的価値の実現。
著者  中坊公平vs錦織 淳
出発日1998年01月01日
出発日 東洋経済新報社


👴👨👩👧👦❇️❇️❇️❇️❇️
❇️法と正義が持っている、❇️
❇️普遍的価値の実現。❇️❇️❇️❇️
❇️急がれる『世界法規』の制定。❇️
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️


👇️
👉️正しいことぐらい強いものはない-。
そのとおりです。
「もう一つは、
よその国と
あらそいごとがおこったとき、
けっして戦争によって、
相手を負かして、
自分の言い分をとおそうとしないことを決めたのです。
穏やかに相談をして、
きまりをつけようというのです。

なぜならば、
いくさをしかけることは、
結局、自分の国を
滅ぼす羽目になるからです。」

「国民主権」と「平和主義」、
そして「基本的人権の尊重」
を加えた3つを
「日本国憲法」の基本三原則
と呼んでいます。

「基本的人権」というのは、
人間が生まれながらにして持っている権利のこと。

その(基本的人権の)「尊重」とは、
自分が考えたこと、思ったことを
自由に発言する権利や、

選挙や政治に参加する権利、

平和な暮らしをする権利、

知る権利など、

さまざまな権利を大切にすることです。

この三原則を国は、
守っていかなければならないと、
「日本国憲法」は述べているのです。

その前提にあるのは、
憲法第13(一三)条の
「個人の尊重」という考え方です。

少し難しいかもしれませんが、
その文章を紹介します。

『第一三条
すべての国民は、
個人として尊重される。

生命、
自由
及び
幸福追求に対する
国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で、
最大の尊重を必要とする。』

国民ひとりひとりが、
自分であることを大切にするとともに、

他人からも大切にされ、
また他人のことも大切にする。

それぞれの命や、
自由や、
それぞれの幸福を
追いもとめていく権利がある。

この権利は、
みんなの迷惑にならないかぎり、

法律や国の政治のうえでも、
最大に尊重される必要がある
と言っています。

つまり、
かけがえのない自分が、
自分にとっていちばんいい生き方をするのを、
誰もじゃますることはできないということです。



戦争の記憶を忘れない

戦争中には、
ものごとを自由に語ったり、
表現したりする権利も 
おさえつけられていました。
(👨これから戦争になっても同じです。
人権が押さえつけられます。
だから戦争はいけないのです。)

政府に反対することを言ったり
本に書いたりすると、
警察につかまり、
牢屋に入れられ、
厳しい取り調べを受けました。
(👩日本はそうならないと
誰が言い切れますか❔
特に相手国に占領・侵略された場合。
相手国に占領された場合、
日本政府が相手国の政府の仕事を
させられるかもしれません💦)

漁でカニ(蟹)をとって🥫缶詰めにする、
大きな船で働く人たちが、
どんなにつらい労働を
(👧👨それは📖『蟹工船』(小林多喜二[著])だ‼️)
どんなにつらい労働を強いられているかを、
「蟹工船」という小説で描いた作家の、
小林多喜二は、
(日本)政府に反対する運動をしているという
疑いで逮捕されます。

そして取調官の厳しい拷問によって
殺されるという事件も起こりました。
言論や表現の自由が、
(日本も)戦争中には
ほとんどなかったのです。 

(👨日本は昔はそうだったけれど、
現在のように変わることができたんだ‼️
👧👦良かった💨‼️)

戦争中も、新聞や雑誌は
もちろんありましたが、
(日本)政府の都合のよいことしか
書くことはできません。

だから、
戦争で負けそうになっていても、
(日本)国民はそのこと(負けていること)を
(日本政府から)まったく知らされず、
ずっと勝ち続けているように
思わされていたのです。

(👧👦なんか、子供向けの本の方が
大人の本より
ずっと真実を教えてくれるね❤️
講談社 青い鳥文庫、ありがとう😉👍️🎶

👩ニュースで
各国のトップや外相がなんやかんや、
戦争をするとかしないとか、
がっちゃがっちゃ言っておられますが、
まず、民主主義国は
基本的人権の説明をしてからにしてほしい。
相手の国は強権国家で、
国民には基本的人権は、無いのですか❔
そうなら時代遅れな、
どうしようもなく悪い憲法だな‼️
国民の命が軽い‼️)


戦争が終わるとともに、
言論や表現の自由も回復されて、
戦争中に発売が禁止されていた雑誌や本が、
次々と出版されるようになりました。

子どもの雑誌もたくさん発売されるようになります。
マンガ雑誌がブームになるのも、
戦争が終わってしばらくしてからでした。

戦争が終わる前の日本では、
女性には選挙をする権利も、
選挙される(選挙で選ばれる)権利も
あたえられていませんでした。

政治には男性しか参加できなかったのです。
(👧選挙に関しては日本も
タリの国や、
マララさんの国の昔と同じだったんだ‼️)

女性の国会議員はもちろん、
市会議員などの地方議会の議員も、
女性はひとりもいませんでした。

ところが、戦争が終わった年の12月に、
女性が政治に参加できるようになり、
1946年4月に行われた
衆議院議員総選挙では、
39人の女性国会議員が誕生しました。

初めて選挙に参加できるようになった女性たちが、
日本中で大きく燃えたのです。

野上 暁さん:女性が政治に参加できなかったなんて、
ちょっと信じられないでしょう。

(👧はい。信じられません。
👩信じられるよ。タリの国が
いまだにそうでしょう。)

また、選挙権は、
1945年12月から、
20才以上の男女にあたえられていました。

ところが2016年6月からは、
18歳以上の男女が、
投票できることになります(なりました)から、
戦争中のことを考えると
大きな違いです。

選挙を通して国民自身が、
国民の意見を代表する議員を選び、
その人たちによって
国の政治が行われていくのです。

選挙は国民にとって、
民主主義をささえるうえで
大事な権利です。

女性が政治に参加できるようになった最初のころは、
選挙で投票する人の割合はとても高かったのですが、

最近ではその権利、
自分たちの民主主義をささえる大事な権利を
生かそうとしない人が増えてきています。

1990年ころまでは、
60%台の後半から、
70%以上あった選挙の投票率が、
2014年では約53%。
(これは)有権者の半分ちょっとです。
これで国の政治が、
動かされることになるのですから、
民主主義の危機だと言ってよいでしょう。

あの戦争から
(👴第二次世界大戦じゃな。)
あの戦争から
70年以上も(時が)すぎてしまうと、
戦時中の、おそろしい記憶もうすれてしまい、

(日本)国民の政治に対する、
無関心と無責任が
広がってきているようで
気がかりです。

戦争という、
(👴市民と兵士の死という)
大きな犠牲の上に
獲得した権利を、
自分から放棄してしまっては、

再び戦争への道を
歩みかねません。

戦争の悲惨な体験をわすれないために、
しっかりとかみしめ、
継承していくことが
大事です。


(👨以上のことは僕自身も、
わかりすぎるほどわかっているつもりです。

だかしかし、
こちらがどんなに
交通ルールを守りながら
周囲をきちんと見回して運転していても、

それでも猛スピードで
突進してくる輩(やから・国のこと)が居る。
彼らのことを
いったいどうしたらよいでしょう⁉️

👴そのために法律があります。

👩👧👦おじいちゃん、
座布団10枚‼️)







平和のために大切なこと

日本と同じように
第二次世界大戦に負けたドイツの
ヴァイツゼッカー大統領が、
1985年に当時のドイツの連邦議会で行った、
終戦40周年の記念講演には、
教えられることがたくさんあります。

ヴァイツゼッカーは、
過去のあやまった歴史の記憶を、
直接その時代を知らない世代も
きちんと受け継いでいくことの
必要性を語ります。

過去の歴史を変えたり、
起こらなかったことにしたりはできないし、
過去に目をつぶる人は、
現在起こっていることも見ないようにしがちです。

非人間的な行為を
心にきざもうとしない者は、
再びそうした危険におちいりやすいのだと言います。

そして、歴史の真実を
冷静かつ公平に
見つめることができるようにと、
若い人々にうったえました。

「ヒトラーはいつも、
偏見と敵意と憎悪とを
かきたてつづけることに腐心(心をくだくこと)
しておりました。
若い人たちは、
たがいに敵対するのではなく、
たがいに手をとり合って
生きていくことを
学んでいただきたい。」(岩波ブックレット『新版 荒れ野の40年-ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説』永井清彦 訳)

❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌
ヴァイツゼッカーが言うように、
ほかの国や民族に対する
偏見と敵意と憎悪こそが、
戦争を引きおこすことにつながります。
❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌
世の中には、❌❌❌❌
戦争をすることによって
利益をえる人たちが
たくさんいます。
❌❌❌❌❌❌❌
兵器をつくる人たち、
それを売って利益をえる人たちや、
❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌
その人たちにささえられている
政治家たちです。
❌❌❌❌❌❌
そういう人たちは、
国民に偏見や敵意をあおり、
❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌
国民はそれにつきうごかされて、
相手の民族や国を
力でこらしめることに
賛成してしまうのです。
❌❌❌❌❌❌❌❌
さっこんのヘイトスピーチ(民族や国籍などを理由に、
個人を侮辱したり攻撃したりする発言)や、
ほかの国との軋轢(あつれき)を理由に
軍備を強化している日本の現状は、
とても危険でもあります。
しかも戦争の放棄をうたった
憲法第九条を
変えようという声も
出てきています。

そのような動きに対して、
たくさんの人々が
国会のまわりに集まって、
声をあげました。

選挙という民主的なルールで多数をしめた政府であろうとも、
本来守らなければならない憲法を無視したことに対する怒りの声でした。

多くの憲法学者からは、立憲主義をないがしろにするものだとも言われました。

このように一般市民が
政府を批判することは、
表現の自由が保障されているからこそできるのです。

戦争は、
あらゆるものを
徹底的に破壊します。

人を殺し、
町をこわし、
自然を破壊し、

人の心さえも
ずたずたに引きさいてしまいます。

そんな戦争を起こさないためには、
どうしたらいいのでしょう。

人類はそのために、
さまざまな知恵をしぼってきました。

『日本国憲法』が、第九条に
『戦争の放棄、
戦力の不保持、
交戦権の否認』つまり戦争をしないこと、
軍隊をもたず、
武器をもって戦うことを認めないと、
はっきりとうたったことは、
悲惨な戦争を体験してきた、
ならではの、
大きな成果だといえます。

国と国との間に
もめごとがあったとしても、
あくまで話し合いで
解決することが大切です。

「憲法第九条にノーベル平和賞を」
というのも、
そのような人類の知恵に対する
高い評価によるものといってもいいでしょう。
武器の力でなく、
言葉の力で
解決しようということです。

(👨ほんとうにそうだと思う。
武器を使う人たち(武器製造人・
武器販売人・武器を買う政府)は
頭のなかが
科学だけ(化学だけ)
発達してしまった、
武器の力だけを信じる、
言葉の力を知らない、
非常に短気な類人猿。
何でも暴力で解決しようとする。
僕は彼らの武器と
狂気が脅威で、

自分の国日本だって
それ以上の武器を持っているぞと、

武器の量と
武器の精度が
どんどんどんどん
エスカレートしていってしまう。

『ほんとうは自分は
戦争なんかしたくない。でも、
⚠️相手が戦争を始めようとするので
⚠️自分は仕方なく戦争をするのだ』
=この言葉に最大限の注意をしなければならない。
この言い訳は、
『戦争をするための戦争プロパガンダ
(戦争をする、戦争を始める、
戦争を肯定するための
ほんとうに巧妙に考えられた
人間の弱いところを突く口実)』だから。)



友だち同士のいさかいでも、
暴力にうったえれば
相手をうらむ気持ちがのこってしまいます。

(👨暴力で相手や、
相手が大切に思う人々を
殺したり
傷つけたりしたら、
相手と相手の家族、
相手側の国民は加害者を恨む。)

誠実に話し合って解決したほうが、
そのあと仲良くなれますよね。

❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
ふだんから言葉の力を信じ、
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
言葉の力をみがきあげ、
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
自分で考える能力をきたえていくことが
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
平和を願い、
戦争を引き起こさないことにも
つながるのではないでしょうか。
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️

(👧強権国家では、
最近では民主主義国ででも、
武器を使いたい、
戦争をしたい場合には、
こんな当たり前なことも
情報統制して
市民に聞かせない、
行き渡らせないことがある。ようだ。)


📖『ほんとうにあった戦争と平和の話』
講談社 青い鳥文庫

《参考文献》
『新版 六千人の命のビザ』
『グァムに生きた二十八年』
『鎮魂の旅路』
『日本人 その生と死』
『飛べ!千羽鶴』
『奇跡はつばさに乗って』
『信濃路はるか』
『あんずの木の下で』
『アンネのバラ』
『アンネ・フランク物語』
『マララ』
『マララとイクパル』
『マララ・ユスフザイ国連演説&インタビュー集』
『わたしはマララ』
『氷海のクロ』
『戦争を取材する』
『山本美香が伝えたかったこと』
『山本美香 最終講義 ザ・ミッション』
『山本美香という生き方』
『緒方貞子 戦争が終わらないこの世界で』
『緒方貞子という生き方』
『共に生きるということ』
『紛争と難民 緒方貞子の回想』
『私の仕事』

(👧🇺🇳国連に緒方貞子さんがいたなら❤️
きっと国連はもっと、
しいたげられている人々の役に立ったはずだ。
でもいま国連(やIOC)は正しく機能していない。
緒方貞子さん(や緒方貞子さんのような人々)は
国連にもういない。
それを見計らったように台頭する中ごく共産党。
今の国連といったら、中ごくがたくさんの資金を出しているし、
国連幹部の座席は中ごく共産党でうまっている。
だけど、緒方貞子さんの物事の判断を引き継ぐ人は必ず居るずだ。

👨その緒方貞子さんのかなり昔の著書には、
日本政府が中ごく共産党と懇意だった(今も❔)頃のことも
たくさん書いてあった。
中ごく人の中にも
国家間を良くしようと思う人がたくさんいて、
緒方さんにもたくさんの中ごく人の友人がいたそうだ。

いま、中ごくの人たち(ビジネスマンや留学生ら)が
世界中の国々から
データを盗んで帰国していたと耳にするが、

その、緒方さんの中ごく人の友人の方々が全員、
国家間のみならず、
心の底から自分の国、中ごくだけでなく、
世界全体の平和を願う人であることを、
僕は心から願ってやまない。

映画『さらば、わが愛』の監督さんは自著で、
中ごく共産党はどこまでも追いかけてきて
とても恐ろしいと述べている。

中ごくのマンガを見ても、
国民を取り締まる人たちはパンダと呼ばれ、
パンダの集団がみな均一な、
全員こちらを睨み付けるような目付きをしていて
そんな風な人たちが
ほかの国を憎んでもしも攻めてきたら
ほんとうに恐ろしいと僕は震撼する。
このような人たちが、
億の単位で存在するとすると、
世界は、このように国から教育されている人たちに対して
いったいどう対処すればよいのだろうか❔

彼らといえばたとえば、

①ペキンオリンピックに行き、
ペキンのとある路上で
コメントしようとする
外国のテレビ局の
報道陣の男性に
「ここは禁止区域だからダメダメ‼️」
と言って押し戻し、
テレビに放映されてしまった
中ごく人のボランティア。

②自分が今まで言ったことは
みんな嘘でしたと言って
中ごくの超高級ホテルの一室で
引退宣言をした女性元テニスプレイヤー。
ホテルの部屋の鏡には、
中ごく人男性が数人映ってしまっている。
その写ってしまった中ごく人男性のような役割の人たち。

③『世界人権デー』の日、
中ごく共産党は、
中ごく人の弁護士などに
その日は特に
中ごくにおける人権について
語ってほしくないので、
弁護士など人権に関わる人たちを
自宅に軟禁し、
一日中外出させなかった
というニュースを見た。
その時も、
弁護士一家の家庭(マンション)の前には
見知らぬ中ごく人の男女が張り付いて
弁護士一家を見張っていた。
弁護士一家が「身分証明書」を見せなさいと言っても見せない。
彼らは「子どもを学校に送ってやろうか❔」
などと言った。
弁護士一家は、
「誰があんたなんかに子どもを預けるものか‼️」と言った。

そういう、中ごく共産党の誰かに頼まれて
一般の中ごく市民を監視する人たち。

④新疆ウイグル自治区にある
ウイグル人職業更正訓練所のほんの一部に、
イギリスのBBCが入ることができたとき、
BBCの質問に「いいえ」と答えるウイグル人の
後ろにずらりと並んで腕組みをする、
いかにも頑丈そうな体格の中ごく人の男性たち。

自分の国の国民さえも監視する、
そういう人たちを
世界はいったい
どう取り扱えば
よいのだろうか❔


「見よ、今もやつは
そこにいる」
と、映画の監督は言っている。


👴彼らは、
🦜心理今日などの
洗脳された人々どころではない。

🦜心理今日の洗脳された若者たちは
洗脳を解かれて
いつか元に戻ることができる人もいる。

しかし、①~④の人たちはわからない。
❌❌お金の力で、その仕事が
悪かろうが悪くなかろうが、
別に特別な自分の考えもなく、
請け負ってしまうのかも知れない。

留学生などの場合は
本気で母国のために
悪事とは思わず
やっているのかも知れない。)



『アラブ諸国、ウイグル人拘束』
中ごくに送還 秘密収容所も』
欧米メディア報道
2022.02.15付 産経新聞。





FUKKAN(復刊)より、
『収容所群島』の読者レビュー(ほんとうにたくさんのレビューのなかのほんの一部)


①(『収容所群島』は、)古典的な名作であり、
彼がここで描いた、人間の一面は、
今も決して消えてなくなったわけではない。
こうした書を時代へ伝えることこそ、
出版社の本来果たすべき使命であると思う。
しかし、現状においては貴社(新潮社)のような、
一流の出版社にしか期待できない。
新潮文庫の一として復刊するならば、
けしてリスクの大きい投資ではないと思う。
ドストエフスキーなどと同様、
ロシア文学のロングセラーとなりうるはずである。



②人という生き物は、
理想をどう咀嚼し、
現実化していくのか?
政治体制について思いを馳せる時、
それは欠くべからざるテーマだろう。
常に進歩への試みを続けるのが
人間としての義務ならば、
過去に行われた、
共産主義思想という実験の結果について、
より多く知っておきたく思う。


③戦争や弾劾、
差別や貧困を知らない私たちの世代には
特に必要な本の一つであると思う。
僅かでもこのような書物から
当時の凄惨さを垣間見たい、
そう考えることすら浅はかかもしれないが、
それでも読む事が必要であると思う。
絶版という形で
それが叶わないというのは悲しい。


④個人的には、
❇️この著者本人や本書に描かれた、
❇️数千万人の人々の運命に想いを馳せることが、
❇️生きる上での糧となっている。
本書は、
ソ連の社会主義もとで
圧せられてきた文学の不毛を絶った、
一級の作品であり、
当時のソ連を記録した
生々しくも貴重なる記録である。
今は亡き俊英の歴史学者坂本多加雄氏は、
本書(『収容所群島』)を、
「日本が治安維持法以来
戦った相手が何であったか?
すなわち、
それなくして
👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️
二十世紀の意味が分らないソ連の本質を
理解する上で不可欠」👈️👈️👈️👈️👈️👈️
と評して(『収容所群島』を)
推薦しておられた。
是非(『収容所群島』の)
復刊を願います。


⑤どうせなら以前出た版みたいに
男性の姓が性転換するような誤植が目につく新組みにするより
最終版で訳し直してほしい。
またネフスキーのような
日本女性を妻とした日本学者でもある人や
シチェルバツキーのような邦訳がある、
仏教学者といった人についてなど、
人名紹介は細かくつけてほしい。


⑥本としての価値は言うまでもないが、
アプルボームの「グラーグ」のように
未だにボリシェヴィキの強制収容所の歴史を書くと
彼女を「右派」だ
と見なす向きがいるには呆れた。
聞き慣れない言葉、
徒刑(カートルガ)。
要は
殺す為の強制労働を強いる収容所ですね。
アウシュビッツなどの絶滅収容所とは、
(ソ連の収容所は)基本が違うのです。
あくまでも強制労働中に亡くなって行くので...
(あまりにも過酷で
生き延びた人は居ないようですが)
まー、どっちが人道的なんだろうと思うと
迷ってしまうのです。
1ヶ月で疲弊してか、
すぐにやられるか?



👨別件の
「パキスタンにおける『名誉殺人』」
SNSで政治的な発言をした妹を
家の恥さらしとして殺したというニュース。

👧パキスタンて、マララさんの国。

👩いろいろな進化過程の国がある。
ずっとそのままか、
マララさんのような人物が出て
よいほうに変わってゆけるのか❔
無知。
マララさんたちによって
教育によってこれから
知ってゆける可能性がある。
パキスタンには『ラジオ・ムッラー』
がいるそうだ。
それが何か調べて、
精神分析をすべぎと思う。
彼らを近い将来、
世界の法廷に
招待できればいいなと思う。


しかし、腹が立つのは、
確信犯的な現在のロシアだ。
とても賢いのになぜ
ソ連から残虐性を
いまだに
受け継ぐのか❔
この、栄えある21世紀に‼️

ロシア(ソ連)は、
『罪と罰』などの文学を持つし、
『Snow Queen』(雪の女王)という
素晴らしいアニメーションも制作した。
ソ連の芸術家たちは、
『永遠』という言葉もちゃんと知っていた。
間違ってしまった人間(カイ)を
『絶対に救うという信念』を持つ人間(ゲルダ)に
何十年も掛かって救わせた。
『雪の女王(冷酷・残虐)という悪』から救い出した。

やはり『善い(清く正しい)精神を持つ人間を 
排除してしまう(しまった)』ことが、
ソ連(政府)と中ごく(政府)の
最大の犯罪なのではないか❔と思う。
だから、いま、
清く正しいDNAが遺(のこ)らないはずだ。




YouTube検索ワード
①「カイを求めて」ロシア
②「The Snow Queen」ロシア 
③宮崎 駿 新人時代に
影響を受けたアニメ
❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️
👆️👆️👆️👆️👆️👆️👆️👆️👆️
👧アンデルセン原作の
📖『雪の女王』を
アニメーションにしたロシアの作品。
目の中に物事の善悪が判別出来ない
悪のガラスの破片が入り、
雪の女王、冷酷・残虐の女王の城(国)に
拉致(誘拐)されてしまった少年カイ。

カイの幼なじみの少女ゲルダが、
長い長い苦しくつらい旅をして、
みんなの力を借りて、
ラストはとうとう
カイを見つける。

カイは、冷酷の女王の城の中で
何十年もの間、
冷酷の女王とたった2人で
何不自由なく暮らしていた。
カイはなぜか
冷酷の女王から
はめ込みパズルを渡されて、
最後の1つの部分(ピース)
が見つからなくて首をかしげていた。

カイがどんなに考えても
自分だけではわからなかった言葉は、

『永遠』という言葉だった。

👩注目すべきは、こっちじゃない‼️
冷酷の女王と少年カイは、
外部からのプッシュ(相手が話してくれたことに感動する心)
がなければ、
自分の力では
その(冷酷な)性格を
絶対に変えることは出来ない。

YouTube
「宮崎 駿
新人時代に影響を受けたアニメ」
より

宮崎 駿監督が、
新人時代に影響を受けたアニメとは、
ロシアが制作した『The Snow Queen』。

川の精に自分の赤い靴を捧げ、
「川さん、川さん、(わたしを)
カイのところに連れてって‼️」
と(川に)呼びかけるゲルダ。
(👩靴は自分(ゲルダ)が旅して歩くために
一番重要なアイテム。
その一番重要なアイテムを川に渡すゲルダ。)

川は、
(ゲルダがカイに会いたいと強く願う)
その『想い』を受け入れ、
船を導いてくれるのでした。

(カイをさがす旅の途中ゲルダは、)
ある時は山賊に襲われ、
乱暴な山賊の娘の檻(おり)に
入れられてしまいます。

(👩ゲルダは、自分がしてきた
これまでの長い旅の話と、
自分にとってカイが、
どんなにかけがえのないものか、
自分がどんなにカイを愛しているかを
山賊の娘に、とうとうと語りました。)

愛するカイへの
熱い想いが(相手の山賊の娘に)伝わると、
(ゲルダの話を聞いた山賊の娘の)
態度が一変します‼️

彼女(山賊の娘)は、
(自分が今まで)
檻に入れて囲っていたペット(の動物)を
すべて

(👧この動物たちはきっと、
ロシアや中ごくにとっては
自分の国の国民なんだ‼️
中ごく共産党なんてのは、
世界中の人々を
動物ぐらいに思っているんだ‼️

👨郷美、それはちょっと
言いすぎかな❔

👴いや、当たらずとも遠からじ。)

彼女は檻に入れて囲っていたペットのすべてを解き放ちます‼️

乱暴さの裏に、
優しい心が隠れていました‼️

(👧だから、
マララさんが『教育』だと
言ってんじゃん‼️

教育とは、
受験やテストに受かるための
勉強のことじゃないよ‼️

教育とは、 
相手の気持ちがわかる、
『優しい心』を育むこと
だったんだっ‼️ 
わーん😭😭😭😭😭😭
🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊
🌊🌊👠👠🌊🌊🌊🌊
🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊)



乱暴さの裏に
優しい心が隠れていました。

ゲルダのひたむきな想いが、
他人の凍った心を
溶かしていったのです。


(👧素晴らしいなあ、アンデルセンと
ロシアの芸術家さんたち‼️


👨そんな素晴らしいアニメーションを
制作することができるロシア国民なのに、
ロシア政府はいま、いったい何やってんだ‼️
「ウクライナ侵攻」なんて(怒)‼️
それも、きょう‼️
2022年02月16日じゅうに侵攻(戦争)なんて‼️
ダメ😢🆖⤵️

雪の王様プーチンさんを
いったいどうすれば
いいのだろうか❔


👩「想いを貫く」ことは
それはそれで大切だけど、
それだけでは
相手に伝わらない。
ただ頑として
想いを貫く人もいる。
それは頑固なだけだ。

人間がほかの動物と
決定的に異なることは、
言葉を発することができて
お互いの言葉を
理解することができるということだ。 

せっかく人間に生まれたんだから
やはり戦争(武器と暴力)でなく、
言葉で解決したい。

👧言葉を理解しないならば、
プーチンさんと習●平さんは、
「ウーッ‼️」と唸って
相手に飛びかかる猛獣と
どこが違うの❔
同じでしょ。

猛獣だって、
あんたがたと同類にされては
困る‼️と鳴いているよ‼️

プーチンさんと習さんも、
自分の子どものことは
可愛いでしょ。

自分の子どもへの愛を
世界の子どもたちへの愛に
広げられないものですかね❔



👨泣き叫ぶウクライナの子どもたちや、
ウイグル人女性の映像を
世界中に流しますか⁉️


👴世界中の市民に
本当のことを報道しないから、
戦争も終わらないし、
戦争が始まってしまうし、
ウイグル人権侵害も
いつまで経っても解決しない。
多くの人が死んでしまう前に
とめたり、解決してほしい‼️



👩ああ、そうだ‼️
ヒトラーだって、
ドイツ国民が賛成しなければ、
『ホロコースト』なんてできなかった。
ヒトラーだって、
ドイツ「国民の受け」を
非常に気にしていた。

👨ということは、
ロシア国民はいま、
何を考えているの❔

👩ドイツは、
ヒトラー政権の時は
『軍国主義』だったよね。
やはり国民は何も言えなかったの❔
いつからドイツは『強権国家』になったの❔

👧そういうことを
わたしはまったく知らない。

ロシアはいま
どのくらい『強権国家』なのですか❔
ロシアの国民が
「ウクライナ侵攻をやめろ‼️」
というべきじゃないの❔

国の政策は
誰が決めているの❔

まさかプーチンさん一人が
国の政策を決定しているの❔

👨そうだよ、
だって、強権国家だから。

👧そういう人たちが、
民主主義の国のトップや外相と
話し合っているんだね。

それはもう会議が平行線だから、
お互いの国の教科書や叢書を持ち寄って
読書会を開催して、
それぞれの内容の
あまりの相違に腰を抜かして、
お互いが驚愕して、
いっぺん椅子から落ちるべきじゃないの❔


プーチンさんや習●平さんらが、
ご自身がやっていることが
正しいとおっしゃるならそれは、
21世紀では通らないし、
犯罪として扱われるから、
精神鑑定を受けた方が良いと思います。
なぜ国のトップになれるの❔

👨それは、強権だから❔





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【ゆっくり解説】
「ソビエト連邦 成立から崩壊まで」

👧👧ソ連は1つの国じゃないよ。
たくさんの同盟国でできている。

👩スターリンは、
猜疑心と嫉妬心強い人だったらしい。

👨強権国は、
トップの性格に左右される。
物事の善悪も通らないし
カネ次第。
上がそうだから
仕方なく国民も
そうなっていっちゃう。
だってそうしないと
集団からはずされて
生きられないから。

👧そんなこと、絶対にイヤ‼️
強権国家、罪が重すぎる‼️
気が狂っている人が
国のトップたちなんだよ‼️

👨読んだ人が笑ってるよ、郷美。

👧パパ、周囲の目を気にして、
親が自分の子どもをしっかり叱れないとき、
「お巡りさんにいいつけますよ」とか、
「あのおじさんが怒っているよ」とか、
他人に任せてはダメよ‼️



👨ごめん。

狂暴だから何するかわからない。
誰も王様の首に鈴を着けられない。
みんなが困っている。

強権は暴力を使うから
前のトップを殺して
国を奪えたんだし。

👧最後の皇帝一家は、
地下室で暗殺だってさ。
小さい公女もいたのに、
なんと可哀想に。

👴日本の歴史にだって
似たようなことが
在るかも知れない。
でも日本人なら
「女子どもは殺さない」とか、
五十歩百歩かも知れないけれども、
日本人である自分は
「卑怯なこと」は嫌いだ。

恐ろしい残虐なことをした歴史を持つ国は、
特に謙虚になるべきなのに、
なんだ‼️自分の国が犯した罪を忘れて‼️
また同じことを繰り返そうとしている‼️

👨謙虚になれないから
今またロシア(プーチン氏)によるウクライナ侵略や、
中ごく(習●平氏に)よる台湾有事を
始めようとしているんじゃないですかっ‼️

👩最後の皇帝の血筋は絶えて、
ロシアや中ごくも
暗殺を命令した者たちの
DNAを持っているんだね。

👴ドイツのヒトラーが
1人で全部悪名を引き受けているが、

習●平さんと彼の後ろにいる亡霊毛●東、
プーチンさんと彼の後ろにいる亡霊スターリンが
悪名偉人伝に載る者であることを、
世界各国の人々と
中ごく人、ロシア人、
そして日本人は
もっと知るべきだ。

彼らのしたことを
21世紀で再び
繰り返さないために。

👧ネットで世界中の市民が
「戦争をやめろ‼️やめろ‼️」
と言ったらどうなるのかしら❔

👨当事者の強権国の市民は
国から弾圧される。
自由な国の僕は
他人のことに興味がない。

👩それは強権国にとって
「しめしめ」だね。
だから、他人に興味がないことが
一番いけないとも言える。

戦争をすんなり起こさすのは
ダメと言わない私のせいかも❔
地球で戦争が起きようとしていることさえ知らない。

👧無知と無関心って、
このことだったのか‼️

👩人間は機械になっちゃいけない。
機械に無くて
人間にあるものは、
『情感』。
それも一人一人違う。

👨ソ連にも
中ごくにも、
秘密警察がある。


『4 秘密警察
「(収容所)群島」へ人を送る(ソ連の)取調官には、
❌❌指令の正確な実行と
❌❌無慈悲さが要求される。』

👴ソ連や中ごく政府の
したいことは、どうせ、
自分の国の国民を
ひいては世界中の市民を
機械(Al)にしてしまいたいのだろうよ。

👩機械(Al)だから
トップだろうが平民だろうが
区別がつかないかも❔

👧自分達が最後に逃げるときのために
『顔認証』やきっと
『指紋認証』があるんじゃない❔

👴以上はわしらの想像の会話であるが、
それにしてもかえすがえすも卑怯だな。
いったいどうやって成敗してくれよう⁉️

一例をあげれば
スターリン、プーチン、
習●平、毛●東は、
自分たちが機械(Al)1号なのだから、
人間として認識されない。
世の中に死刑になって良い人はなかなかいないが、
彼らだけは
なっても良いと感じるくらい
自分は
彼らのしたこと、
これからするであろうことを
許せない。
それは、彼らは優しい心を一切持たず、
『情感の無い確信犯』だからである。

👧国民にかこつけて、
要は、人間のことを
虫けらにしか思っていないから
ウクライナ戦争をするのでしょう‼️

👩ウクライナ戦争に反対‼️

👨お義父さんっ‼️郷美っ‼️ママッ‼️

👧バパは❔

👨反対‼️



👩ただ、たとえば、
数百万人の人間を殺した人間にも
基本的人権がある。




👧ゲルダがカイを探し続ける旅の時間、
星の王子さまとバラじゃないけど、
大切な相手に何百、何千時間掛けたかで 
想いが伝わるならと思い、
私と私の家族は
一日何時間も
ウイグルの方々の 
自由な権利の解放を願っています。
何にも出来ない私だけど、
川に差し出したゲルダの赤いくつの
代わりにと思って
自分の時間を捧げます。
ゲルダはカイを見つけたとき
二人は大人になっていました。
大切なものを見つけるためには
半生を賭けなければならない
ということでしたら、
今回の場合は
沢山のウイグルの方々の
命が掛かっていますから
待てません‼️


👩ロシア、プーチン大統領による
「ウクライナ侵攻」まで
あと90分。

👴よし、『声 語りつぐ戦争』から‼️



私は現在の北朝鮮東部で1940年に生まれた。
45年夏、
母と2人の姉とともに避難民になった。

ソ連軍が侵攻してからは地獄絵だった。
乳飲み子を置き去りにせざるを得なかった女の人が
泣き叫んでいた。
家族と別れて死んでいくお年寄りもおられた。

日本海沿岸の元山にたどり着いた時、
仲間の大半は亡くなっていた。
私たちは一冬を越す施設に入った。
そこではソ連兵による女性の拉致が頻発。
万が一のために
母は17歳の長姉に
自決用の青酸カリを与えた。
母が見せた錠剤の白さが
幼い私の目に焼き付いている。

寒さと飢えで死体がごろごろしていた。
私も発疹チフスとネフローゼで
死の淵(ふち)をさまよった。

私たちは翌年6月、
内地に戻れた。
6歳で生還できたのは
知人の中では私ぐらいだったそうだ。

我々がこれほど悲惨な目にあったのは、
軍部の棄民政策にあった。
45年8月、大本営参謀は、
旧満州(中国東北部)と
朝鮮にいた日本人について
「土着スル者ハ
日本国籍ヲ離ルルモ
支障ナキモノトス」としていたのである。
それを知ったのは
終戦後半世紀近くを経てからであった。




1945年8月、
旧満州・新京の小学5年だった。
9日のソ連軍侵攻の少し前、
父が朝鮮へ疎開すると言った。
満州航空勤務の父は残り、
母と姉2人、弟と私の計5人は新京駅へ。
やっと列車に乗ったが何度も止まる。
旧満州と朝鮮の境界、
鴨緑江を渡り南へ。
突然停止。
石や棒を持つ朝鮮人らが車内に入り、
物を奪う。
千人を超える乗客は
今の北朝鮮・宣川の収容所に連行された。
何日かして母から戦争に負けたらしいと聞いた。

食事は1日1回の雑炊。
栄養失調で2カ月も経つと
毎朝、同部屋の2、3人が死んでいた。
体力のない人は便所にも行けず
大小便をたれ流し。
ノミとシラミで最悪の衛生状態。

鉄条網をはさみ、
母や一部の日本人は
宝石や金(きん)を
こっそり地元の人に渡し、
餅やトウモロコシを受け取る取引をした。
歩哨に見つかれば即銃殺。
犠牲者は絶えなかったが、 
その食料のおかげで私は力が出た。

突然の指示で別の収容所へ。
そしてある日、
男性全員がどこかへ連行された。
日本人男性がいない収容所で
女性は自分を守るために皆、断髪。
しかし、夜になると
ソ連兵の「婦女狩り」が始まり、
トラックで連れて行かれた。



旧満州(中国東北部)吉林市で
昭和20(1945)年8月、
私は国民学校2年で、
多数のソ連軍用機、
軍用車が来て敗戦を知りました。
大混乱した日本人街は無法地帯となり、
毎晩のようにソ連軍兵士が欲しいものを
手当たり次第に略奪します。
抵抗すれば殺されるか連れ去られるか。
若い奥さんや娘さんが
トラックに乗せられて行くのを見ました。
自衛策はありません。

それまで日本に植民地支配されていた
中国人の怒りはすさまじく、
日本人街で大勢が頻繁に
暴動や襲撃を起こしました。
家財道具はもちろん
屋根瓦まで持ち去られ、
惨めでした。

私たち子供も含めて
100人以上が広場に呼ばれ、
中国人による日本人の処刑を2度見ました。
牛車に数人の日本人を乗せて街中をひきまわし、
銃殺。何の罪か、なぜか分かりません。

やがてソ連軍は去り、
国民党軍と共産党軍が来て、
国共内戦に。家族6人は家に
閉じこもるしかありません。

21年夏、突然の引き揚げ命令、
突然の出発。吉林駅から
貨物列車の最後尾に乗ると、
私と同年齢ぐらいの数人の子が
泣きながら追いかけてきます。
置き去りにされたと知りました。
 



1945(昭和20)年8月9日、
旧満州(現中国東北部)にソ連軍が侵攻。
ソ連国境近く、
西東安の野戦兵器廠(しょう)の
技術兵だった私は
ソ連軍の追撃にさらされた。
満蒙開拓団の人たちと逃避行の途中、
現地暴徒の襲撃を受け、
30人ほどで山中を1カ月さまよった。
牡丹江で捕まり、
ハルビンの収容所に入れられ、
ソ連貨物車に物資を積み込む労働を強いられた。

11月ごろ、
同じ収容所の元兵士たちと共に
トラックに乗せられ、
元日本人学校に連れて行かれた。
周辺から大勢の日本人が集められていた。
校庭の中央に開拓団の民間人と思われる
40代ぐらいの日本人男性が1人、
直立不動で立たされている。
ソ連兵3人ぐらいが囲み、
将校が日本人の左耳に拳銃をあて発射。
頭から地面に倒れ、
ごろっと一回転して息絶えた。
通訳が大声で「逃亡すると殺す」と言った。
見せしめなのだろう。
私たちはうなだれるだけだった。

年明けて3月。「ダモイ(帰国)」と言われ貨車に乗る。
しかし旧満州北部を流れる
松花江の鉄橋を渡る音で誰かが叫ぶ。
「北へいくぞ」。
車内は静まる。
数時間後、
チチハルあたりで
前方車両から10人ぐらいが
雪原に飛び降り逃走。
バリバリという機銃音と
汽笛が不気味に響く。
列車はソ連領に入り、
4日後にシベリアのチタに着いた。
それから3年近く抑留された。
70年たっても
ソ連のあくどい仕打ちは忘れない。



1945年4月、
熊本で結婚し、
小学校教師の主人の勤務先である
旧満州ハルビンに行きました。
4カ月後に終戦。
日本人は身の危険を感じ、
家の中に閉じこもりました。

8月末、
ソ連兵が侵入してきて、
土足で家の中に入り
目ぼしい物を持ち去りました。
怖かったのは「男狩り」です。
シベリア開発の労働力のために
日本人男性を連れ去るとの噂(うわさ)でした。
女性たちは主人を隠すため必死でした。
私の主人は天井裏や床下物置やらに隠れて
何とか逃れました。

ある日、現地の人が2人、
ソ連人1人を伴って来て、
向かいの家のご主人を引きずり出しました。
後ろ手に縛り、
近所を引き回し始めました。
ご主人は恨みでも買っていたのでしょうか。
助けて欲しくて、
私は家の中にあった腕時計を差し出しました。

しかし、現地の人に引ったくり取られただけで効果なく、ご主人はソ連人に撃たれてしまいました。血に染まって、倒れるご主人。
初めての、しかも目前の殺人に慄然(りつぜん)としました。



終戦時、
私は国民学校6年生で、
一家は朝鮮北部の咸鏡北道の
城津府に住んでいました。
終戦翌日には朝鮮人の暴動があり、
暴徒の通過した後には
廃虚と化した家屋のみが残りました。

すぐにソ連軍が進駐してきました。
聞くところによると、
ソ連兵は囚人部隊ということで、
女狩り・強姦(ごうかん)・輪姦(りんかん)は
日常ごととなりました。

しばらくすると、
「日本人は咸興に集まれ」との命令で、
有蓋(ゆうがい)車に乗せられました。
通常4時間ほどで着く行程ですが、
一駅ごとに「女を出せ」とのソ連軍の要求があり、
その都度幾人かの女性が名乗り出て、
3日目にようやく目的地に着きました。
彼女たちは私たちのために
人身御供になってくれたのです。

居留地は元独身寮で、
6畳間に4家族、
26人が押し込まれました。
大人も子どもも買い出しに走り回りますが、
お金が続きません。
たちまち栄養失調になり、
それとあわせて
発疹チフスが蔓延(まんえん)、
わが家は父と末の2歳の妹が亡くなりました。

家族全員が一夜で死亡したなどの話は 
いくらでもありました。
家族が死んで、
残った小学3年生と
5歳の男の子2人が、
必死に残飯をあさっていた姿を思い出すと、
今でも涙が出てきます。 



忘れもしない、
終戦から5日後の
1945(昭和20)年8月20日早朝、
樺太(現サハリン)の真岡(ホルムスク)に突如、
ソ連軍が上陸し戦火を交えた。
私たち家族は追撃におびえながら
豊原(ユジノサハリンスク)へ逃避行をした。
たどり着いた直後、
ソ連機が飛来、
硝煙を浴び人家は火災に包まれた。

半月を経て帰宅したが無残だった。
家の床や天井ははがされ、
室内は散乱し、
布団は戸外に敷き捨てられていた。
道端や崖下(がけした)には死体が放置され、
異臭を放っていた。
また、武装を解かれ
連行される日本将兵の姿を間近で見た。

それから本土に引き揚げるまでの2年間、
どん底の生活を送った。
当時、私は旧制中学生。
校舎はソ連軍に接収され、
勉学の道を失った。

移住してくるロシア人の家族は
日本人家屋に同居者のように住み着いた。
ウクライナから移住してきた家族と親しくなり
事情を語る中、
「スターリン・ホダ(良くない)」
を連呼するさまを、
私は驚きのまなざしで見つめた。

戦勝、敗戦国を問わず
戦争で多大な犠牲となるのは民衆だ。私は身を以(もっ)て知った。



満州(中国東北部)のチチハルで
1945(昭和20)年、
終戦の玉音放送を聞きました。
周りの大人たちは
「無事、日本に帰れるだろうか」
と話していました。
私の家族は、
チチハルの電信電話会社の社宅に住んでいましたが、
会社は突然侵攻してきたソ連軍に接収されました。

父はソ連兵に、
会社の机の上にあった赤インクを
無理やり飲まされました。
また、ある夜の寝入りばな、
銃を手にしたソ連兵数人が
土足で我が家に侵入しました。
父の金歯を見つけると、
値打ちがあると思ったのでしょう、
ペンチで引き抜きました。
父は連行され、
しばらく行方不明になりました。

その翌日もソ連兵2人が近づいてくるのが
家の窓越しに見えました。
「母が強姦(ごうかん)される」
と思った私はとっさに、
母や弟に裏口から逃げるよう言いました。
1人残った私は、
家に上がりこんだ兵士に明るく振る舞い、
押し入れを開けてみせると、
彼らはカメラや蓄音機を奪い立ち去りました。

難を逃れ、安堵(あんど)した母の顔が
今も忘れられません。
しかし、母は翌46(昭和21)年、
妹を産んだ後の肥立ちが悪く、
治療も受けられないまま亡くなりました。
残った一家は同年、
チチハルから石川県の
父の故郷に帰還しましたが、
「戦争は理不尽な暴力だ」
と今も強く思います。




旧満州・四平市で家族5人暮らしでしたが、
ソ連軍侵入、敗戦の後、 
逃げてきた同じ静岡県出身の6人一家と、
1年後の帰国まで同居しました。 
一番怖かったのは
ソ連兵による若い女性狩りです。

その一家の奥さんは
敗戦のしばらく前に3人目を出産。
家事手伝いで20代前半のきれいな妹さんが
静岡から来ていました。
四平にもソ連軍が到着。
すぐに父たちが妹さんを屋根裏に隠して
間もなく、ソ連兵が来て、
女がいるだろう、出せと要求しました。

ソ連兵はズボンのベルトを抜き、
裸の父に一振り、二振り……。
父は、妹さんが連れて行かれるのを防ごうと、
必死にこらえたのです。
父の体から血が噴き出るのを見て、
私たち子どもは静かに泣きました。
あの時の父の男らしさは忘れられません。

次に怖かったのは敗戦後の市内での銃撃戦。
部屋のカーテンのすき間から見ると
家の周辺でも兵士が倒れます。
静かになると誰かが兵士の服をはぎ取り、
その後、飢えた犬が裸の遺体に
腹から食いつく地獄絵。
命と衣食住を破壊してはならないと願います。  

以上、【声 語りつぐ戦争】より抜粋。


世界の誰もが、
プーチン大統領の言葉を信じていない。
プーチン大統領がいつ考えを変えるか
わからないからだ。

退役軍人を招き、
ウクライナの若者たちが
射撃訓練をしている。

「ストレスを感じるし、
若い世代にとっても
大変な状況だと思います。」
とウクライナの若者が述べる。


👧かたや日本の私は
スマホを見て遊んでいる。

👨僕は世界のニュースを見る。
日々日常が情報戦だ。

👩情報戦とは何か❔

👧あっ⁉️えっ⁉️
ウクライナの若者たちが
射撃訓練をしているということは、
ウクライナの若者たちにも
銃を撃たせるということだよね⁉️
ということは、
ロシアは、
ウクライナの若者たちを❔

👨気になる『情報戦』とは❔