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正しい価値判断ができる心を持つ人になる

2021-10-29 12:08:07 | 日記

 

 

👴👨松下幸之助さんの著書の紹介です。

 

📖『すべてがうまくいく 素直な心が奇蹟を起こす』 

松下幸之助 著

PHP研究所

 

 

感想レビュー

 

 

1.

松下幸之助さんは名前と肩書きしか前知識がありませんでしたが、心が洗われるような内容で、この人の下で働けたら楽しいだろうなという気持ちになりました。

 

メインタイトルのことば(「すべてがうまくいく」)よりも、サブタイトルの

「素直な心」に惹かれて手に取ってみました。

松下幸之助さんがあちこちで語られた「素直な心」に関することばをまとめた一冊。

🌕️「素直」=「従順」ではない。

🌕️素直な心とは、何にもとらわれない心、

❇️正しい価値判断ができる心であり、

素直な心になれば商売にしても、人間関係にしても、あらゆることがスムーズにいく、だから素直なこころこそ大切だ。

 

🌕️自分の欲望を適切に満たす。❇️しかし、相手の欲望も適切に満たしてあげる。自分だけの欲望、私心にとらわれることなく自他ともに生きるということを大切にする、そういう心がまた素直な心だと思う。

 

❇️お互いにあやまちを許そう。温かく正し合おう。素直な心の内容には、万物万人いっさいを許し容れる広い寛容の心というものも含まれている。

 

❇️事のならない九十九に自信をなくすか、事の成った一つに勇気を持つかで人生は変わる。素直な心になれば、危機に直面してもこれをチャンスと受け止め、「禍を転じて福となす」こともできる。

 

🌕️病気と親しみ仲よくなろう。老いも死も生成発展の姿である。病気は厄介なものだが、素直な心になれば、病気の見方も変わる。恐れ遠ざけると追いかけてくるが、親しんで近づくと逃げていく。

 

🌕️生涯そのようにみずから新しいものを吸収し、勉強するという態度を持ち続けることのできる人が、大器晩成である。

 

❇️素直な心はあなたを強く正しく聡明にする。お互いが素直な心で人生を歩み、日々の活動を営んでいくところから、万物の王者としての偉大な人間の本質もあらわれ、共同生活の向上、一人ひとりのよりゆたかな幸せももたらされてくる。

 

 

 

 

 

📖『人間を考える 新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて』

 PHP文庫 

松下幸之助 著

 

 

感想レビュー

 

 

1.

松下幸之助さんが人間の幸福について書かれた本。

 

❇️できる限り、不幸・争いをなくし、平和と幸福を招来したい。

❇️そのためになにをすればいいかが、

宇宙の起源・人間と宇宙の関係から始まり、

人間道として考察されている。

 

🌕️一人ひとりが、知恵を高める。

 

🌕️広く衆知を集め、共存共栄の進化の道を歩む。

 

❇️互いの良さを認め合い、悪さえをも生かし合い、

向上を目指すことで幸福になれるという人間道。

 

❇️悪さえをも、否定、排除せずに、全て認め合い、生かし合う。

 

❇️好ましくない状況も、容認した上で、処置・処遇を考える。

 

(👴松下幸之助さんの言葉に国名を当てはめてみよう。

👨アメリカと中ごく、広く衆知を集め、共存共栄の進化の道を歩む。

アメリカと中ごく、互いの良さを認め合い、悪さえも生かし合い、向上を目指すことで、世界の幸福を目指す。

 

👧中ごくは習●平氏が「自分がしていることは絶対に正しい」と思って、世界中にそれを発信しているから、

中ごくから率先して変わる、ということはきっと今は無理。

だって、ウイグル弾圧も今では世界中に知れわたり始めているけれど、

中ごく政府は「内政干渉するな」と嘯(うそぶ)いて、ブリンケン国務長官らに公衆の会合の場で猛反発している。そうするのはやはり、ウイグル弾圧などが現地に行けば一目瞭然の公然の事実(公然の秘密)だからだろう。

 

👨自分の「悪の部分」をよくわかっていて、それを世界中に隠しているアメリカのほうが、悪から善にシフトチェンジすることができる人物がたくさん居そうである。変わるならアメリカからだ。

 

👴世界・地球の存続のためにはやはり、

「アメリカが方向転換する」しないと思う。

 

👨アメリカが変われば世界の国々が真似をして、みんな良いほうに変わる。

 

👩それができるのはアメリカで、中ごくはきっとできない。

 

👨アメリカこそ、

ほんとうの意味で平和につながる叡知を持つ人間と、

IQ(知能指数)が最高に高いだけで平和については無知でAI戦争が大好きで実際にやってしまう子供っぽい倫理・道徳観念を持たないサイコパスな人間が

両方存在する国である。

 

 

👴アメリカ空軍、宇宙軍が、

「AIにやらせれば人間よりこんなに速い‼️」(👧当たり前だろう、そんなこと‼️)

と言って歓喜している図を見ると、

なんともはや、最高品質のおもちゃを喜ぶ子供のように子供っぽい人たちであるなぁと、心底(しんそこ)呆(あき)れてしまうのだ。

 

👶アメリカ空軍、宇宙軍のおじちゃんたちへ、

それは戦争だよ❗遊びじゃないんだよ❗それで大量の人を殺すんだよ❗地球自体も傷つくんだよ❗わかっているの⁉️

子供のボクでもそんなことしてはいけないってわかるのに、わかんない人たち、それを称賛し拍手をおくる人たち。だけと、おんなじ考え方の人たちだけと一緒に、ずーっと仕事をしているうちに、ものごとの善悪の判断もつかなくなってしまったんだね😢😢かわいそうに😢😢

ねっ❔松下幸之助さん❗

 

👴(松下):ああ、坊や、そのとおりじゃ。わたくしも、地球の未来を空の彼方からいつも心配しておる。

心を持たないAlなどに、ましてや戦争を任せてはならぬ‼️

どんなことも決断は、人間がしなければいけない。)

 

 

👴ちなみに、ブリンケン国務長官。

彼の義理の父は、かのナチスドイツのアウシュヴィッツなどのユダヤ人強制収容所(最終処分場)で、1000人のうち、たった1人生き残った人だ。

思うに、ブリンケン国務長官は、義父から強制収容所のありさまをきっと詳しく聴いていることだろう。

だからブリンケン国務長官は、人権を重視する人権派だと言われている。

ブリンケン国務長官は、他の戦争で多くの人々を殺す命令を出して結果その通りになった。

しかし、ブリンケン国務長官の苦悩の顔色を見るたびに私は思う。

「アメリカが変わるならば、きっとブリンケン国務長官からだろう」と。

もしそうならば、アメリカの次期大統領には、ブリンケン国務長官にぜひなってもらいたいと願う。

アメリカの裏側もすべて知るブリンケン国務長官。

だからこそ彼にアメリカ次期大統領に就任してほしいと願う。

ブリンケン国務長官の考え方からアメリカは変われるかも知れない。

そして、その時は、ブリンケン国務長官がほんとうの悪に暗殺されぬことを強く願う。ジョン・F・ケネディ元大統領のように。

 

👩また再び、そんなことをするならば、アメリカという国は、ほんとうに悪い国に成り下がる。

誰かが、一生懸命、世界を善くしようとしているのに。

 

👨「世界は狂人が回しているからね」(ビートルズのジョン・レノン)

 

👧はぁ😞💨

 

 

 

 

 

🌕️全てに感謝と喜びの心を持つ。

 

🌕️慈悲・愛の精神、謙虚、寛容心。

 

🌕️素直な心とは、ただの従順な心という弱いものではなく、❇️物事の本質を見極め積極的に向上していく心。

 

 

 

2.

PHP研究所を創設以来、松下幸之助が考え続けてきた人間の本質についてまとめたものです。

 

小社の前・社長で、現在は参議院議員として活躍しておられる江口克彦氏が著作の中でも紹介していますが、❇️松下幸之助はこの本ができあがったとき、「これでいつ死んでもいい」とつぶやいたそうです。

 

江口氏は、❇️松下幸之助がもっとも世に問いたかった本が、『商売を考える』でもなく、『経営を考える』でもなく、❇️『人間を考える』だったことに感動を覚えたと述べておられますが、ほんと、私もそう思います。

 

松下幸之助は、人間こそが「万物の王者」であり、物心一如の繁栄を生み出す力が与えられていると考えました。松下は、いかに人々の繁栄、平和、幸福を実現できるかを問うなかで、人間の本質を理解することが必要だと考えていたのでしょう。

 

そこから生まれたのが、PHP研究所であり、松下政経塾というわけです。

 

 

 

3.

この作品は、1975年2月にPHP研究所より刊行された『人間を考える(第一巻)』に、1972年版『人間を考える』巻末に所収の「『人間を考える』を読んで」を収録したものである。


社会との共生

2021-10-28 18:21:38 | 日記

 

起業家でも、業績がよくなり、マスコミからも注目され、有名になったにもかかわらず、結局経営に失敗して会社を潰(つぶ)してしまう例が後を絶(た)たない。

成功すれば、周囲の者がチヤホヤする。

ますます有頂天になって贅沢をする。

謙虚で、人間の原理原則に従って正しい判断をしていたからこそ成功したのに、それを忘れ、自分の力を過信して、自分の贅沢や身内のために私利私欲に走り、良識に反して無理を通そうとする。

「昔創業した頃には、あんな人ではなかった。もっと堅実な人だったのに」と、周囲の人から陰でささやかれるようになる。

成功すればするだけ、大衆の支持を失い、没落の道を突き進んでしまう。まさに、「足るを知る」ことを知らない人たちである。

 

中小・中堅企業の経営者には社会を自分のものと考えている人が案外多い。相当な大企業の経営者のなかにもおられるかもしれない。

しかし、この会社は自分のものだから、自分のためにあるのだ、自分が儲かればよいのだと思っていると、エゴが出る。自分の都合(つごう)だけで判断するようになる。そのような姿勢では、経営判断を誤(あやま)り、せっかく一生懸命育て上げた会社を結局はいつか潰してしまうことになる。

企業は小さな森である。経営者は企業の森に住んでいる従業員をどう生かしていくのか、それを考えなければならない。

小さな森の住人である従業員が栄えなければ、自らも栄えることはできない。従業員を含め、共に働くすべての人たちを幸せにして、企業という小さな会社を立派にしていきたいという志(こころざし)がたいせつである。

 

社会は、さらに大きな森である。そこには、資本を提供してくれる株主があり、部品や資材を提供してくれる会社があり、製品を買ってくれる顧客がある。このうちいずれが欠けても、会社は成り立っていけない。

 

企業にとって社会は一種の循環系であり、かつ企業の存在基盤なのである。社会の森の循環系のなかで、

従業員、

株主、

消費者や取引先

といった社会の構成員に利潤を循環させ、

この循環系を維持することが

企業自らの存続の条件となる。

 

❇️企業は社会のなかで、他の企業と競争しつつ共生している。

経営者はこの循環の原理を知り、会社をその循環の一つとして働かせ、経済の循環のなかで共に生きる知恵を育てていかなければならない。

(稲盛和夫)


はじめに

2021-10-28 05:49:35 | 日記

 

はじめに

 

私は大学を出て以来、技術者として職を得て研究開発に従事し、

自分の開発したニューセラミック(と当時呼ばれた)製品を世の中には送り出していくことができた。

そして、京セラという会社を35年前に創業し、今日世界中に数万人近くの従業員に育てることに成功した。

また、10年ほど前、電気通信事業の自由化とともに第二電電株式会社(DDI)をスタートさせ、1993年、株式上場にこぎつけることができた。

京セラグループおよびセルラー各社を含むDDIグループ合計で、売上げは約7400億円、経常利益は1100億円となっている(1994年3月見込み)。

いずれも、私がまったくのゼロから始めたものである。

 

ときどき、あなたはどのようにしてこういう仕事を成し遂げることができたのかと聞かれることがある。

私は特別の才能を持った人間としてこの世に生を受けたわけではない。生まれ育ったのは日本の片田舎の鹿児島である。両親は貧しいなかで実直に働いて私たち兄弟を育ててくれた。

私はこの国のどこにでもいるいたずら好きの平凡な少年だったし、地方の大学できまじめな学生生活を送った。

就職してからも、青年らしい悩みを抱えた社員であった。

ただ、あるとき、心の持ち方を変えて一つの開発課題に取り組んで以来、技術者として、また経営者として、

私に与えられた仕事に真正面から取り組み、

真剣に考え、

ひたすら努力を積み重ねてきた。

そして、60歳を超えた今、

これまでの人生を振り返ってみると、

われながらよくこんなことができたとつくづく思う。

 

私が自分でも驚くほどのことができたのは、初めから大きな仕事をするだけの能力を持っていたからではない。

たまたま好条件に恵まれたのでもない。

私にできたことだから、本当は、

人間なら誰でもこれくらいのことができるのだと思う。

 

ただ、そのためには、

人間として何が正しいか、

人間としての原理原則に従って判断し、

日々、営々と努力を積み重ねなければならない。

正しく判断し、

正しく実行するには

🌕️方法がある。

🌕️この人生と仕事の原理原則、

🌕️私はそれをフィロソフィーと呼ぶ。

🌕️そのフィロソフィー(人生と仕事の原理原則)を実践すれば、

🌕️人は、最初は思いもつかなかったほどのことを成し遂げることができる。

 

🌕️この本で私が述べたかったのは、このフィロソフィ-(人生と仕事をするときの原理原則)である。

🌕️私はこれを京セラを経営するなかで身につけた。DDIの経営にあらためて適用し、それが正しいことを実証できたと考えている。

 

このフィロソフィーは、個人の人生や企業の経営だけでなく、

❇️日本の国のあり方や進路についても適用できる。

❇️国家の大事も、つまりは人間の仕事だからである。

 

なるほど、われわれ日本人は経済的に成功を収め、物質的には豊かな生活が送れるようになった。

しかしそれにもかかわらず、誰しも、現在の日本の姿、企業のあり方について漠然とした不安を抱いているのではないだろうか。

日本は今、大きな転換期をむかえているのだ。

 

新しい日本の姿が模索され、新しい経営のあり方がたずねられている今、つまり新しい生き方が求められている今日、本書が、読まれた方の人生にとって何らかの導きとなれば、私としてこれ以上の喜びはない。

すべての方が仕事を成功裡(せいこうり)に遂行(すいこう)され、幸福な人生を歩まれること、

そして、日本が世界のなかでよき国として尊敬を受け、世界の他の諸国とともに繁栄していくことを心から願う次第である。

 

(👨雲間から太陽がのぞいて輝き始めました。

今朝も元気に、行ってきます🎵

皆さんも、元気にいってらっしゃい((🙋

👩パパ、いってらっしゃい❤️気をつけて‼️

👨はーい(-o-)/ママもね❤️)

 

 

👴おいおい、元気のいい君たち、書籍の出典を書いておくれ。

👧あ、はいっ((🙋

📖『新しい日本 新しい経営』

稲盛和夫 著

TBSブリタニカ🌕️企業シリーズ

TBS、さすがだね👍️

 

 


企業は何のためにあるのか

2021-10-27 19:58:45 | 日記

 

企業は何のためにあるのか❔

「資本主義の倫理化」

 

「資本主義の倫理化」を実践する具体的な方法は、

第一に企業が倫理的規範をきちんと掲(かか)げることです。

そして、「企業は何のためにあるのか」ということを、企業のトップが社員に伝えるのです。

松下幸之助は「会社は何のためにあるのか」ということを主張しました。

あの頃はまだ日本人の道徳心は少しは残っていたと思いますが、

今は道徳の遺産も使いつくし、あの時代よりももっと企業は道徳を失っています。

それだけにますます松下幸之助のような人が必要なのです。

「商人の道」を離れて資本主義の倫理はありません。

 

そもそも企業は何のためにあるのでしょうか❔

人々がいい製品を買うのは、それが役に立つと思うからです。つまり、企業活動はただもうけるためのものではなく、社会に効用を提供しているのです。

言い換えれば、企業は利益を追及するなかで

🌕️社会的な任務を果たしているのです。

そういう🌕️社会のもつ役割、意味を、社員の意識に徹底的に植えつけることは、重要な社員教育です。

 

道徳を家庭でも教わらず、

学校でも教わらず、

その上、会社でも教わらないとすれば、

人間には道徳など必要でなく、

「会社というのはただもうければいいものだ」と思い込んでしまうのも、無理はありません。

 

🌕️会社がただの営利団体ではないということを徹底すれば、倫理的にやってはならないことがあるという判断も出てくるはずです。

🌕️会社が自己倫理をもてば、社員に対しても倫理的行動を要求できます。

 

逆に、会社は、もうけるために何でもしていいということになったら、社員に対して倫理を要求することは不可能です。

 

改めて考えてみると、現在、企業が目的を失っているという面も見えてきます。

つまり、もうけること以外に目的が見つからないのです。

これは日本の国家に目的がないのと関係しています。

日本には「日本株式会社としての目的」はあるけれども、国家としての目的は見当たらない。

日本における企業の力は大きいですから、企業に思想も倫理性もないとするならば、国家に思想がなく、倫理性もないのは当たり前のことなのかもしれません。

❇️しかし、それでは生きていけない時代がきている。

「儲け」だけを追及する資本主義は危ないと考えざるを得ない時期に、われわれは足を踏み入れているのです。(梅原猛)

 

 

 

 

 


行き詰まりの時代

2021-10-27 05:58:13 | 日記

 

終章 「行き詰まりの時代」を開く方法--梅原 猛

 

 

社会主義の崩壊と資本主義の危機

 

戦後活躍した多くの日本の思想家は、多かれ少なかれ社会主義体制というものを認め、それに荷担する方向を向いていました。

マルクス主義の立場に立たない人でも、社会主義国、ソビエト連邦や中ごくには好意的な発言をする人が多かったのです。

そういう流れのなかで、私はマルクス主義と社会主義体制を批判してきました。

「社会主義体制は人間に幸福をもたらすものではなく、むしろ人間の自由を抑圧し、人間社会に憎悪をまき散らすものだ。

マルクス主義の思想の根底にはルサンチマン(抑圧された人間の憎悪)というものが隠れていて、

そういう思想では人間は幸福になれない」。

こういうことを語ってきたわけです。

当然のことながら、

「国家主義者」「反動」と、

厳しく糾弾(きゅうだん)されました。

ところが、ソビエト連邦を始め多く社会主義体制が崩壊してしまった。

批判していた私でさえ

これほど早く社会主義体制が崩壊するなどとは、まったく予測することはできませんでした。

こうした事態に際して、

「それ見たことか」

という感慨はありませんでした。

もちろん、社会主義の崩壊に痛みを感じることはなかったけれども、

積年の敵が敗(やぶ)れ去ったと喜ぶ一部の思想家とは違った思いを抱いたのです。

1つには、社会主義の崩壊があまりに早かったことに驚かされたということ、これが正直な感想です

そして、もう1つは

資本主義もまた危機に直面しているのではないかという予感です。

ソビエト連邦をはじめとする社会主義体制の崩壊に対して資本主義万歳を唱え、

は資本主義体制が最後の勝者として末永く繁栄するだろうという声が、一方では上がっています。

ちょうど日本がバブル景気の最中にソビエトの崩壊が起こったのですが、

バブル景気万歳とはしゃいだ人もいました。

しかし、私は資本主義体制の勝利を喜び万歳を唱える人たちに与(くみ)しません。

それどころか、資本主義はうかれていられる状態ではないという危機感のほうが強いのです。

実際、バブル景気のなかにあった資本主義というものは、どうにもならないくらい危険な代物(しろもの)でした。

もちろん、マルクス主義に基づく社会主義体制よりは住みやすいし、自由があるだけましです。しかし、諸手(もろて)をあげて歓迎できるようなものではない。

これは、今や資本主義もたいへん危ない水域に漂っていると考えなければならない、ということです。

社会主義崩壊の次には資本主義崩壊が起こるのではないか。そういう予感を否定することはできませんでした。

ほその思い--資本主義への危機感--は現在も続いていて、消えるどころか年を追うごとに強くなっています。

資本主義の危機を示す兆候は、バブル景気の崩壊とともにますます顕著になっているように感じています。

社会主義の崩壊の次に資本主義の崩壊がくるという予感は、当たってほしくないのですが、日々、真実味が増しているといわざるを得ません。

 

 

「原点に帰る」ことが求められる時代

 

この資本主義に対する危機感は私だけのものではありません。

京セラの稲盛会長も同じような危機感をもっていることを、今回の対談を通じて感じました。 

そして、現役の経営者である稲盛会長が考えた、危機感を克服する道は

「資本主義の原点に帰れ」ということだと、私は理解しました。

私の言葉で言えば、「資本主義の倫理化」ということです。

これは、現在の資本主義が道徳的にかなりたい廃していて、

そこに危機の原因があるという認識から導き出された結論です。

「資本主義の原点の帰れ」という稲盛会長の思想は、まさにその通りだろうと思います。

マックス・ウェーバーは「片手に聖書、片手に算盤(そろばん)」といったけれども、西欧における初期の資本主義はとにかく片手に「聖書」をもっていた。

この「聖書」が意味するところは「宗教的限定」であり、

つまり経済活動に倫理的な限定があるということです。

具体的にはプロテスタンティズムにある禁欲主義、自分の欲望を抑えて仕事にはげみ、社会に奉仕するという倫理だったと思います。

ところが、今の資本主義には聖書も何もない。両手にそろばんという姿です。そろばん以外に人間の行為を決める基準はなく、資本主義の精神はとにかく儲(もう)ければよいという不健全なものになっています。

いつの間にか、倫理もない、文化もないという姿に、資本主義がすっかり変わってしまっているのです。

とりわけ今日の日本ではお金をもうけることはインターナショナルな活動として、せこには何ら抑制がない。

その意味では、日本人のアイデンティティが「普遍的儲けの哲学」になった観(かん)さえいたします。

実際、今の日本人の生活を支配する規範は「もうかればいい」ということでしょう。後はゴルフをやり、カラオケをやり、頭のなかが空っぽであればあるほど今の世の中は暮らしいい。実に恐ろしい精神状況に、なりつつあるといわざるを得ません。

もう一度、われわれは資本主義の原点に帰るべきです。

ヨーロッパでいえばプロテスタントの倫理ということになりますが、

日本でいえば江戸時代の町人文化が発展する過程で生まれてきた心学となります。

心学は、儒教や仏教など日本にあったさまざまな倫理を綜合(そうごう)し、当時の民衆にわかりやすいような日常的な教訓として示された「人間の倫理」だったと思います。

商人たちは片手に心学、片手にそろばんを持って、ビジネスに取り組んだのです。

 

また、近代に入ると、福沢諭吉が「近代の商人」における道徳を説きました。

独立自尊という自らを尊敬するという意識、倫理観がそうです。

経済活動において片手にそろばんをもつのは当然としても、もう一方の手にはそろばん以外の規範、倫理というものをもっていなければ、アンバランスになってしまうのは日本の理(ことわり)というべきでしょう。

その自明の理をふまえて生きることが今の日本人に必要なことだと思うのです。

 

 

企業は何のためにあるのか❔