ローメンで不本意ながらお腹いっぱい。
更に足を延ばして高遠城址公園を訪れることにした。公式HPの開花情報をチェックするとまだ蕾の状態らしい。昨年と同じ商店街駐車場に車を停めて徒歩移動。

突き当たりT字路の左側の歩道を登って城址公園に向かう。腹ごなしの散歩になって良いですね。

おっ?あの「絵島生島事件」の絵島さん、幽閉されてたのって高遠でしたね。この事件を契機に歌舞伎一座の多くが取り潰されました。以後は「世襲制」となり閉鎖的になって行きました。

城址公園に到着。153号線沿いのソメイヨシノなどの桜は開花していた。だから高遠の桜も少しは咲いているのでは?

高遠城址公園のみに群生するコヒガンザクラは未だ蕾でした。さすが皆さん良くご存知で、園内は閑散としています。

露店も未だ準備段階で営業してる所は皆無です。

見所の桜雲橋も寂しそう・・

蕾を触ると柔らかくてすぐにも開花しそうな状態。来週末は押し寄せた花見客で賑わうのでしょうね。

南ゲートから一旦出て歴史博物館を訪れました。武田家だけでなく会津藩松平家の始祖・保科正之さんもここ出身。入館料は¥400です。

特別展なのかな?絵島の使ってた品々が展示されていて暮らしぶりを想像(仲間由紀恵を思い浮かべてましたw)

さて、いよいよ「絵島囲み屋敷」です。当時の姿のまま、元々在った場所に復元されたらしい。

中には入れないけど見れる様に窓は開け放たれています。監視役の番人や世話役の下女らの詰所も復元。

こちらが絵島の暮らしていた部屋で嵌め殺しの格子が実に生々しかった。なのに「ここに仲間由紀恵が暮らしてたのね」と妄想してた。

周囲の塀には物々しい「忍び返し」が張り巡らされていた。

再び城址公園に戻り、そのまま下りて商店街へ。途中で標識を見つけて寄り道することにしました。絵島のお墓があるという「蓮華寺」です!

本堂の脇を抜けて階段を登ります。

絵島を模った?「女人成仏」の像がありました。絵島の生涯を知るとグッと胸に来るものがあった。

そしていよいよ絵島のお墓です。

唯一外出が認められていたのが蓮華寺への参拝だった。絵島はどんな想いでここを訪れていたのだろうか?高遠にしか咲かないコヒガンザクラを観れたのかな?

権力争いに巻き込まれた「犠牲者」と云われる彼女。その後半生に幸せは在ったのだろうか?硯や紙すらも与えられず、彼女の心情を記した物はない。慎ましい暮らしぶりを想像して心情を推し量るしか出来ない。だからこそ同情する者は少なくない。演劇や小説の題材として数多く取り上げられる訳ですね。
コヒガンザクラが高遠にしか群生しないのは絵島への手向け?御仏の粋な計らいを想像しても許される気がした。
後年は赦免されてある程度の自由はあったらしい。赦免に尽力したのは絵島の慎ましさに感銘を受けた藩主たち。理不尽な犠牲者だと周囲に理解されていたのですね。