8月1日(火)
なろうで原作を読んでいた息子に勧められたので観て来た。
TVの予告に軽く失望。12年後を別キャストが演じる?小栗旬と北川景子が?
大物を起用して動員に繋げたいのだろうが、原作を改変してまで起用する必要あるか?ただ心配するだけ。

以下ネタバレ
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サクラとハルキを含め、キャスト的には及第点。
直虎のポメが高校生とは、軽く眩暈・・
大人役の小栗旬が教え子にベラベラ喋るのに違和感。ハルキはそんなこと、しないのでは?原作で抱いていたキャラのイメージと明らかに違う。
大人と高校生の二つの時間軸の切り替えはスムーズ。この演出で連想するのは岩井監督の「ラブレター」で、脚本家がその要素を加えて「オレの爪痕残してやるぜ」的な改変をしたとしか思えない。
こういう違いが原作ファンを落胆させる。
それでもまぁ、無難にまとめてくれた感じ。
ガムの友達と恭子のフラグが結婚まで進展。こういうのは悪くない。
小栗と北川を配したせいでクライマックスを改変。これがかなり残念だった。
お母さんの前で共病文庫を読むシーン。
ここで「壊れる」のが真のクライマックス。「泣く」のではなく、壊れて「慟哭」して欲しかった。
絶叫して、泣き崩れて、くしゃくしゃにならなければ。映画は綺麗過ぎ。
もっとボロボロに壊れるべきだった。
結果、最後にハルキが送ったメールがうやむや。
彼女がその一文を読んでいた。死ぬ前に「伝わっていた」と知ることが大事なのに!
原作ファンは凄く残念に思うはず。
共病文庫の遺書の箇所を「手紙」として分離。結果、恭子の結婚まで疎遠になってしまった。
サクラの死後に、一年かけて「友達」になるエピソードこそが大事なのに!
図書カードが手掛かり。これ、「ラブレター」じゃん。岩井監督へのオマージュ入れ過ぎ。
時を隔てて壁を乗り越えるってドラマチックだが、それではサクラの死が軽くなってしまう。原作ではサクラの死が、彼女の「遺言」が、ハルキを変える。
恭子と友達になるってハルキには大きなハードル。サクラの死がそれさえも飛び越えさせたのに。
わざわざ時を隔てる展開に改変。その結果、「サクラの死で少し成長したハルキ」という中途半端キャラが新たに生まれた。
そいつが12年間もダラダラと過ごした訳だ。サクラの死を軽んじる展開にしか思えない。
小栗と北川を起用した悪影響だ。
この作品でお母さんはとても重要な役。
長野里美さんがピッタリだと思っていたら長野さんだった。彼女と粘着委員長は良いキャスティング。
サクラの唇の色の演出も良かった。
元気な時の唇はピンク色。それは素の唇の色ではなくてリップが塗られたピンク色で、そうしないと病的に白いのだ。
体調と裏腹にピンク色の唇。
だから不意にハルキが訪れた時には血の気を失った色で、その対比が病状とおしゃれ心をうまく表現していた。
原作は厨二病で、一般受けさせるには仕方ない?でも、映画からは原作が持つ意味不明のパワーを感じなかった。
原作未読の人はどう感じた?
個人的には悪くはないが取り立てて良くもない曖昧な印象で、ちょっと残念だった。
ある程度の改変は監督や脚本家の裁量。
こんな物語もアリかなって割り切るべきか。
劇場で観る価値は十分あると思う。
でも、原作の方が感動する。
やはり、ちょっと残念だな。