焼鯖そうめん・長浜城に続いてもう一つ史跡を巡ります。
前々から行きたかった「佐和山城跡」を訪れました。
彦根城の近く「龍潭寺」さんの駐車場に停めさせて貰う。
「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」
それ程に当時としては立派な城郭を誇っていたそうです。
ショートカットする?
龍潭寺の横を通って行くハイキングコースを選んだ。
すぐに石田三成さんの像がありました。
三成会館の像と違うデザインですね。
こちらも凛々しいお顔をしています。
立派な山門がありました。
山門のくぐり戸には佐和山城跡までのルート案内を掲示。
観音堂の横を通って行きます。
すぐに舗装はなくなって山道になりました。
意外と険しい道を登って行くと5分ほどで分岐があった。
乾いた山道は踏ん張りがきかず、中々にキツかった。
下山して来た人たちと譲り合いながらすれ違うこともあった。
ゆっくり休憩しつつ登って行きます。
そうして分岐から10分ほどで本丸跡に到着!
金吾の松尾山よりも距離的には全然短かった。
だから気楽に登ったけど想定外にくたびれました・・
石碑をみると自然と感無量になっていた。
関ケ原合戦の後に東軍が攻め落として城内に乗り込んだ。
金品は何も無く、秀吉の感状が大事に保管されていた。
私欲に走らず領民を大事にする治世を行った三成さん。
秀吉さんへの忠義心を持ち続けていたことが窺える。
石碑の裏を見たら「昭和四十五年十月建立」と刻まれていた。
更に「三百七十年祭記念」とも記されています。
昭和45年(1970年)で370年ってことは1600年が基準ですね。
三成さん没後370年を記念した周年祭で建立されたのか。
素晴らしい眺望で彦根の町並みは勿論、琵琶湖も望めた。
佐和山城の建材を流用して普請した彦根城も望めます。
「武士(もののふ)」という言葉に一瞬違和感。
三成さんは優秀な官僚のイメージが強い。
だから「武士」って言葉はピンと来なかった。
でも佐和山城を訪れたら実戦に備えた堅牢なガチの山城だった。
つまり実際は三成さんも「武士」だった。
そんな三成さんが左近さんと夢みた地。
自分の中の三成さんのイメージを修正するきっかけになりそう。