セリカ魂

「初代セリカに乗りたい!」
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岡崎城/本證寺

2023年04月15日 09時20分55秒 | 歴史

4月14日(金)
どうする家康さん関連の史跡へGO!
その前に、岡崎の城北飯店で昼食。11時半の開店と同時に入店したのにもうお客さんが着席して居て、次のお客さんが「満席です」と言われていた。なぜ?


陳麻婆豆腐ランチ(¥1,350)
一口食べたら「しびれる~」「苦い~」「辛い~」「旨い~」と、口の中が忙しい。本格的な麻婆豆腐は久々だが、ご飯が進む。
すぐに「よろしければどうぞ」と、氷入りの冷たい水を持って来るなど接客も良くて、食べログでも百名店に選出されている理由が分かった。


ご飯お替り自由。「大盛りで」とお願いしたら、大きなお茶碗に変えて持って来てくれた。でも、おかわりは一回でガマンした。


杏仁豆腐も良い食感で、優しい風味がして美味しかった。


支払いを済ませて出ようとしたら、階段にズラーっと待ちの行列。平日でこれか、凄い人気店だな。そうか、開店時もここでお客さん待っていたのか!

リブラの駐車場に停めて、岡崎城へ。


今日は石像を中心に見て回ろうと思う。


本多忠勝さんからスタート。


しかみ顔の家康さん。


お土産ショップに東海オンエア~。
若い子に訴えかける存在は心強い。


昭和40年に建てられた家康さん像。
すると、同い年かw


若き元康の頃の騎馬像。


竹千代と家康さんの出世ベンチ。


岡崎城のお堀は深くて急峻。さすが河岸段丘。


石造りのアーチ橋を舐めながらの天守。


東海オンエア as 酒井忠次~。


五万石ふじ。


ここでも東海オンエア as 井伊直政~。


パッと見、綺麗に咲いた藤棚。


よく見ると咲いているのは上の方だけ。下の方はまだ蕾なので、見頃はもう少し先の様だ。


乙川の河川敷を歩きながら、三浦先生が「日本一」と太鼓判を押した400mの石垣を眺めて歩いた。


ここまでかな。


正式名称は菅生川端石垣なのか。


桜城橋を目指す。渡ったことないが、歩行者専用かな?


まだ新しいはずなのに、汚れて見えるんだけど・・
珍しいな、屋根がある。


デッキ部分など、見える部分は木製か!それで汚れて見えたのね。


桜城橋の袂にある四天王の像がお目当て。あった~。


「家康に過ぎたるものが二つあり」
忠勝が勇名を馳せた撤退戦「一言坂の戦い」の活躍を再現。


「伝説の太鼓」
三方ヶ原から浜松城に逃げ込んで、意気消沈していた兵を鼓舞する忠次の姿を描いた像。顔がヤバいって。


残り二人の像は、橋を渡った対岸だろう。
ところが無い。どこにも像がない。どうやら逆方向でもっと北だったらしい。後回しにして東岡崎駅のペデストリアンデッキを目指す。家康の騎馬像が見えて来た。


かなりデカいな。


ふと目に入った、何だこれ?


階段を上がって見ると、厭離穢土欣求浄土。


立派な後ろ姿のブロンズ像。


正面から。馬もいい表情してる。


弓矢や紐など、細かい造作が見られる。
徳川家康と改姓した25歳当時の姿で、表情は知恩院と隣松寺の、鎧兜は酒井家の、それぞれに在る史料を参考に制作したそうだ。


帰り道で東海オンエアのマンホール蓋に気付いた。


もしかして?案の定、ポケGOのスポットになっていた。


柄が面白い鳩もビックリ。


「十万石の檄文」
桜城橋を戻ってさらに北、1号線を渡るとあった。
小牧・長久手の戦いに臨み、秀吉を非難する檄文を突き付けた榊原康政を描いた像。右手に持った筆が可愛い。


「井伊の赤鬼」
直政の軍に組み込まれた武田家臣団。受け継いだ赤備えでの初陣が小牧・長久手の戦いで、その時の勇猛果敢な姿を再現した騎馬像。カッケー。


リブラで認証を受けて無事に出庫。ありがたや。


30分ほどで安城の本證寺に到着。


三河一向一揆の拠点となったお寺。国指定だとは知らなかった。


お寺の外周の通りを歩いて外堀の痕跡探し。まず、一つ目を発見。


すっかり埋まっていたが、舗装されずに残った外堀の遺構。


小さな橋、「そとぼりはし」が架かっていた。


起動させてみたら、やはりスポットだったw


中央に小さな標柱があった。


立派な鼓楼だ。まるで城の櫓。


もう一カ所、埋められずに残った外堀。
集団下校の子供を見守る緑のオジサンが居たので話しかけてみた。ここが外堀の跡だとご存知で、昔は右奥の道の方向に堀が続いていたそうだ。
「この辺り、家を建てる時は掘って調査をしたんだよ」と教えてくれた。国史跡になると、色々と規制がある?
庫裏の周囲に見事な内堀跡があるそうだ。「私有地だからのぉ」と、地元の方でも滅多に見れないらしい。


「この一帯って、湿地帯だったのですか?」と尋ねたら、「いや、乾いていたよ。明治用水が出来るまでは、痩せた土地だったし」と答えてくれた。
そう言えば、「安城には嫁に出すな」って諺がかつてあったことを思い出した。色々と貴重なお話しが伺えて良かった。

さあ、いざ本證寺の境内へ。


入ってすぐ、本證寺の略歴や現状を説明する掲示があった。


中々に立派な本堂だった。賽銭箱への階段が土足厳禁で、履きにくい靴だったので下から硬貨を投げ入れた。全部ストライクv


境内側から見た鼓楼。


こちらの一角に、史跡としての本證寺が紹介されていた。


もう、完全にお城じゃん。
これだけ詳細にかつての様子が描かれているのは、入念な発掘調査を実施したから。


何カ所もトレンチで発掘調査をしていた。


内堀の名残りは境内に幾つも見られる。


本堂の裏。


ここから先は、立ち入り禁止。


境内だけでなく、お寺の周りも歩き回ったので外堀の大きさが実感できた。地元の方のお話しも凄く参考になった。歴史学者の先生は、こんな感じに地道なフィールドワークを重ねているのだろう。

安城に来たならパンのトラに寄らねば。


今度はカレーパンか!


カレーパンやバゲットなど色々購入。(自分比で)世界一美味しい山型食パン・パンのトラも焼きたてを一本買えた。


安城のあちこちに緑の穂がたわわに実っていた。米じゃなくて麦が多いみたいだった。いずみ庵の手延べそうめんになる?それとも、パンのトラ?



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