私は洗礼を受けたキリスト教の信者ではありませんが、聖書を17歳から読んでいます。
毎日じゃないけど。。。
新約聖書の中には気に入ったイエスによる譬え話があります。このマタイ伝25章は特に気に入っています。「タラントの例え」。ご存知の方もたくさんいらっしゃるのではないのでしょうか。解釈はたくさんありますが、タラントとはお金の単位で、これはタレント(才能)の語源になっているとも言われます。
要は、少ない才能でも増やす努力をしなければならない。それを放棄するのは地獄に堕ちろと言われても仕方のない行為であると言うことです。
人生にとって、何が重要なのでしょうか。
成功することではないのです。運良く成功できてもできなくても、自分の持てる力で歩んでゆく過程が大事なのです。
他人を貶めて。。。まぁ、ハッキリ書いちゃうと他人様の旦那を奪って、金持ちになったとFacebookにブランドバッグやフランス料理や高級旅館をUPして。。お金があるのが幸せで、他人から盗んでも達成して「愛とか幸せ」を語るな❗️最近、人間に本当にガッカリすることがありました。
「愛を語るなら資格がいる。愛は与えるもので守るものである」
「愛を弄ぶものは人生に復讐される」
私の言う愛は正に聖書における愛で「恋愛至上主義」ではありません。
私は少ないタラントしか持たない、1タラントかな。。。1あるか?そんな自分を認めて今日も絵を描いています。