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男には人に言えない事情があった。
今は会えない、愛する女(ひと)がいた。
待ってくれていると信じたい。
しかし、怖くて確かめられない。
生意気な若者たちと出会って、愛しい人の元に行くことに心を決めた。
自分が何者であるかを確かめるために。
それは一枚の黄色いハンカチが教えてくれるはずだった。
「幸福の黄色いハンカチ」という映画は高倉健さんが47才の時の作品です。僕は中学生でしたが劇場に観に行きました。
その年に始まった第1回日本アカデミー賞で、最優秀主演男優賞ほか、すべての賞を独占した記念碑的な作品です。
武田鉄矢と桃井かおりも、若くて、不細工で、不潔なほど生々しくて、ほんとうにいい味を出していました。
絶対にわかり合えそうもない不器用なおっさんとアホな若者が理解し合い、支え合い、喜び合う素晴らしい物語。
待ってくれているかと期待する、いや期待しちゃいけないと自分を戒める中年男。
倍賞千恵子も良かったなあ。。。。
学校をサボって、一人で座席から彼らを見上げていました。
被災地・陸前高田市に映画「幸福の黄色いハンカチ」と同じ黄色いハンカチを付けた塔を建てた菅野啓佑さん。この話を聞いた同映画の製作した山田洋次監督(右)が訪問し、黄色いハンカチをプレゼント。
ハンカチには「希望よ永遠に」とメッセージが書かれていました。
傷ついた人々よ、ふるさとへ帰ってこい。
黄色いハンカチが再び空にはためきました。
人と人とが、ふたたび立ち上がり、わかちあい、再生していく物語。
日テレのドラマが、被災地の皆さんと日本中の元気が出るような傑作になることを期待します!
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「幸福の黄色いハンカチ」阿部寛主演でドラマ化・・・日テレ
日本映画の不朽の名作「幸福の黄色いハンカチ」を日本テレビがドラマ化し、今秋放送する。
1977年公開の山田洋次監督映画は、北海道を舞台に、高倉健演じる、刑期を終えた男が妻のもとへ向かうロードムービー。幅広い世代の観客を集めて大ヒットし、第1回日本アカデミー賞のすべての賞を独占した。
ドラマ化では、山田監督が脚本・監修として参加。時代背景を、現代に置き換え、東日本大震災を経験した今、希望や人を思いやる優しさ、自分を信じる強さなどをテーマに描く。
高倉健が演じた主人公・島勇作に阿部寛。桃井かおりと武田鉄矢が演じたカップルに堀北真希と濱田岳、倍賞千恵子が演じた妻役に夏川結衣がふんする。
「おもしろくて、ラストシーンに感動した名作です。こんな時代だからこそ、心に何らかの傷を持った人間たちが、それぞれを思いやり、支え合っていくこの作品の温かさを伝えられたらと思います」
こう語る主演の阿部は現在47歳。高倉が島を演じたのも47歳だった。「高倉さんと初めて仕事をさせていただいたのを、今もはっきり覚えています。雰囲気も背負っているものも今の人と違う伝説的な方。高倉さんが島を演じられたのと同じ年齢で同じ役を演じることは、感慨深いものがあります」と話している。
被災地に黄色いハンカチ 山田監督が陸前高田に
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映画と同様の丸太に掲げられた黄色いハンカチの前で話す山田洋次監督(左)と菅野啓佑さん=21日午後、岩手県陸前高田市
2011/08/21 20:30 【共同通信】
東日本大震災の津波で見渡す限りの集落が失われた岩手県陸前高田市の空に、復興を願う黄色いハンカチが翻った。映画「幸福の黄色いハンカチ」の山田洋次監督(79)らが21日、同映画のファン菅野啓佑さん(69)の自宅跡にハンカチを掲げる丸太の柱を寄贈した。
津波で自宅を失った菅野さんは震災後、流れ着いた廃材を組み「幸せがくるように」と自宅跡にハンカチを掲げてきた。これに感銘を受けた監督は、その隣に映画と同様の丸太を立てることを提案。地元の被災者らと共に、高さ約6メートルの柱のてっぺんから斜めに張ったロープにハンカチ38枚を掲げた。
俳優高倉健(80)が来秋公開の映画「あなたへ」で、05年12月22日に中国で公開された「単騎、千里を走る。」(チャン・イーモウ監督、日本公開は06年1月28日)以来、6年ぶりに銀幕復帰することが23日、分かった。過去18本の作品をともにした降旗康男監督(77)が、原案を再構成した脚本を携え昨秋出したオファーを今春に受諾。亡き妻が語らなかった思いがつづられた手紙を手に、妻の故郷九州に向かう、初老の刑務所指導技官を演じる。
高倉は09年8月に女優大原麗子さん(享年62)が亡くなった際、お忍びで同11月に墓を訪れるなど、この6年は公の場に姿を現さず、多数のオファーを拒んできた。その心を今回の脚本が揺り動かした。
高倉と降旗監督がタッグを組んだ「夜叉」「あ・うん」を企画したプロデューサーで、08年に亡くなった市古聖智氏が最後に残した原案を同監督が昨夏に発見。脚本家の青島武氏とともに妻を亡くした夫の姿を通し、大切な人との愛を確かめる物語へ再構築した。
昨秋に降旗監督から“ラブレター”とも言える脚本とオファーを受けた高倉は、昨年末に前向きな返答をし、今春に出演を決めた。
高倉 この物語に出会い心が動きました。人が人を思いやること、生きることの切なさを思いました。降旗監督とご一緒できることも、6年ぶりの映画出演となる大きなきっかけです。スクリーンで皆さまにお会いできるのを楽しみにしております。
撮影は9月7日から11月中旬に行われる予定で、高倉自ら運転する場面も盛り込まれる。12年春完成、同年秋に公開される予定だ。高倉の映画出演は205本目で、周囲に「(次代の俳優やスタッフに)降旗組を味わわせたい」とも語っており、日本映画のバトンを未来につなぎたいという思いも復帰の原動力のようだ。
◆あなたへ 北陸のある刑務所の指導技官・倉島英二(高倉)は、50歳を目前に刑務所に慰問に来た歌手洋子と結婚。2人は子どもを望まず、平穏な夫婦生活を営んでいたが、結婚から15年後に洋子が53歳で亡くなった。残した手紙には、スズメの絵とともに「故郷の海に散骨してほしい」と記されていた。妻はなぜ生前思いを伝えなかったのか…。英二は真意を知るため、自家製キャンピングカーに乗り総距離1200キロの旅路に出る。そして遺言に従い散骨したとき妻の真意に気付く。
[2011年8月24日9時14分 紙面から]
ドラマのメジアも、地デジの韓流全盛時代へ転換の兆し?こんな中で、黄色い幸せのハンカチ復活は好ましい、、、
印象に残ったセリフ
「お前みたいな奴を、草野球のキャッチャーって言うんだ。」
そのココロは「ミットもない。」
永島敏行は「サード」の時からド下手でした。今でも下手です。ここまで来ると一種の芸ですね。
よく今みたいな役者になれたもんです(名優というわけではないけれど)。
山田監督は演技力ではなく、素材を求めたのでしょう。
私があのころ下手な演技で衝撃を受けたのは、「事件」の永島敏行です。
まあ、周りが大竹しのぶ、渡瀬恒彦、松坂慶子でしたから余計目立ったのか。
日本全土の日本列島に、やがて黄色い幸せの経済・社会復興が、怒涛のように押し寄せる日が来る!
幸せは、待っていても来ない。「難は福」というじゃないか、”闘い取る”しか方法がないんだ。
第二次大戦の1945年8月15日、原爆二発の放射能被曝洗礼を受け、それでも死に物狂いで焼けの野原を、彷徨いながら幸せの黄色いハンカチも手に入らない中、手拭い一本を頭に巻いて、立ち上がったのだった。
真の勇気とはこのことで、食べるものとてなく渾身の力を振り絞り、焦土の中を歩き始めた。
上野の山には、戦災孤児らが沢山いて、やがてラジオのNHK「鐘の鳴る丘」を、毎日、夕刻の5時前後に、聴いたものだ。
それから約半世紀の後、再び列島の東北関東など、全域に放射能物質を被曝使用とは、思わなかったけれども政府、地方自治体を信じていたのが、過ちの源だったのである。
ともかく、何かが間違って、ボタンの掛け違いに相違ない、それでも、なお日本人民は、民族の歴史を省み、強く正しく黄色いハンカチを懐に立ち上がる。
なぜだ?誇りと名誉を取り戻すことができるという、確信がある。潔く、前を見て後ろを振り返らない。我われの「黄色い幸せのハン勝だよ」
”半勝ち”で良いのだ、一歩一歩と歩けば、前途が開けるに違いない、ちゃうか?
日の丸、君が代なんかいらない、敗戦の国旗を尊重する馬鹿はいない。みんなの望むのは、一人びとりの「黄色い国旗」なのだから、、、
Yes,You Can!