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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

【謹賀新年】「もどかしくても大きな一歩前進がなくても声を上げていくしかない」。「ここに私たちがいる。それだけでも大きな一歩だ」。世の中は「良くなる」ものではなく「良くする」もの【#虎に翼紅白特別編】

2025年01月01日 | 娯楽

おかげさまで、新年早々、2つのランキングとも1位に返り咲きました!

こいつは春から縁起がいいや!!

ネトウヨ会計士ブログとデッドヒートです!上下ともクリックしてくださると大変うれしいです。

 

 

 新年あけましておめでとうございます!

 今年が皆様にとっても、世界に暮らす市民にとっても最高の一年になりますように。

 うちのブログの影響力は年々まさに微力になりつつありますが(笑)、こちらに力があろうとなかろうと、力があるものによる理不尽な横暴には断固として抵抗して、同じ時代を生きる市民同士で守りあっていくために頑張ることを今年もお誓い申し上げます。

 

 

 さて、新年早々に悪党たちの顔を見るのも冒頭の画像に出すのも嫌なので、今年最初の記事は昨日の紅白歌合戦から。

 実は去年の紅白は近来稀に見る手ごたえの無さというか、つまらなさでした。

 凄く興味のある良いメンバーがそろっていたのに何回チャンネルを回しても(今でもこの表現使います?)、なんやチャラいような、おふざけのような場面ばかりに行きあたってしまい、歴史的初登場のB’Zの場面も見逃してしまいました。

 なんかあれでしょ、今回の紅白歌合戦は「あなたへの歌」とか言って、例えば玉置浩二の「悲しみにさようなら」も世界平和の歌みたいに一部歌詞変更してましたよね。

 あれが白けました。

 

 

 歌自体には、それだけでは平和を達成する力はない。

 村野瀬玲奈の秘書課広報室さんの大晦日の感動的な記事

『韓国のユン・ソンニョル弾劾デモとK-POP (不定期連載「気まぐれK-POPプレイリスト」)』

が描いたように、大統領の弾劾を求める民衆が歌を口ずさむとき、それは平和を達成する努力を市民がしている中に人々を支える歌があるわけですから、その歌には力があります。

 それは市民の自由と民主主義を求める運動が先にあって、民衆を励ます歌がそこにあるから、歌が力を持つんです。

 でも紅白歌合戦で、NHKがそのように構成して、玉置浩二の歌の歌詞を変えたり、故坂本龍一氏のパートナーだった矢野顕子さんの伴奏でMISIAが歌っても、日本一歌の上手い二人の歌手であるのはわかるけれども、それが平和への願いだと言われたらなんだか空疎な気がしました。

村野瀬代表曰く「このショート動画でメチャ感激しました。日本語訳字幕付きの元歌の動画も貼っておきます。」

 

 

 とかいいながら、実はこの紅白歌合戦に2024年前期の朝のテレビ連続小説「虎に翼」特別編が入ってて、これは良かったんです!

 米津玄師さんの「さよーならまたいつか!」が主題歌だということで。

 実はわたくし朝が弱くてですね、このドラマについては何度も、周りから見て見て感想を聞かせてとさんざん言われていたんですが1分たりとも見ずに終わりまして(笑)。

 12月30日朝7時20分からの3時間の総集編だけでも見ようとGoogleカレンダーに赤く明記してあったのに、起きたら11時でした(-_-;)。

 なので、話の筋は全然わからなかったのですが、その「虎に翼」のミニドラマがめちゃくちゃよかったんです。

 

 

 モデルプレスさんの記事からその場面を紹介しますと

『特別編の舞台は、昭和12年の年の瀬。

 友達と今年最後の傍聴を終えた法学部生の寅子(伊藤沙莉)は、年の瀬を穏やかに平和に過ごしたいという思いと裏腹に

「でも心からそれを楽しむには、この世はあまりにも、穏やかとも平和とも程遠くて…。

 海の向こうでは戦争をしているし、苦しい思いをするご婦人方は山ほどいる。」

 …女性弁護士は誕生しなかった」

と思い悩む。

 そんな彼女に、同じ法学部生のよね(土居志央梨)は

「ここに私たちがいる。それだけでも大きな一歩だ」

と言い放ち、寅子は

「もどかしくても大きな一歩前進がなくても声を上げていくしかないということ…?」

とよねの言葉からまた前を向くのだった。

 一方、同じく法を学び、後に寅子と結婚する優三(仲野太賀)は、自宅で

「来年はきっと、いい年になりますよね。来年、再来年、その次、その次の次って、きっと世の中はどんどんよくなりますよね」

と想いを馳せた。』

という名シーンがあらたに創造されていました。

 

 

 この「虎に翼」では、原爆裁判と呼ばれる下田判決も取り上げられていて、我が日本反核法律家協会会長の大久保賢一先生が法律監修でクレジットに名前が出たらしいんですよ。

 日本のドラマで下田ケースが描かれるだなんて史上初のこと。

 関東大震災での朝鮮人虐殺についての回もあったそうで、審査員席にいた脚本の吉田恵里香さんが、米津くんの歌が終わった後にコメントを求められて

『また来年よりよい年になるように、皆さんで、生きづらい人が少しでも少なく、省かれる方がいなくなるような世界を1個1個作っていけたらいいなと思います』

ととても素敵な言葉を語っておられたので、「この人の社会派ドラマ、次こそ見るぞ!」(朝はやめてね!)と決意しました。

 吉田さんと、共に勇気を持ってドラマを作ったNHKのスタッフと俳優さんたちがこの骨太のドラマを世に送り出すために奮闘努力した、そこに踏み出す勇気と思想と行動があるからこそ、紅白の短い時間でさえ歌とドラマが力を持ったと感じます。

現代に生きる「原爆裁判」 - 視点・論点 - NHK

 

 

 寅子と後に結婚する、人がよさそうな夫曰く、

「来年、再来年、その次、その次の次って、きっと世の中はどんどんよくなりますよね」

 いえ。

 待っているだけでは世の中はよくなりません。

 世の中は良くなるものではなく、毎年毎年、我々自身がちょっとずつでもできる努力を積み重ねることで、「良くする」ものです。

「もどかしくても大きな一歩前進がなくても声を上げていくしかない」

 その中で、

「ここに私たちがいる。それだけでも大きな一歩だ」

と胸を張って言えるような一年に、一緒にしてまいりましょう。

 

 

編集後記1

近畿原爆症訴訟弁護団の尾藤廣喜幹事長は、社会派ドラマ「虎に翼」の価値を認めたうえで、良い判決が裁判官の能力と人格によって出されるというシンプルな「虎に翼」のドラマの構造に何度も異議を唱えておられました。

「主戦場は法廷外にあり」

裁判官に良い判決を書かせるところまで追い込むのは民衆の力、市民運動の成果なのです。

そのことがわかる大久保先生の力作、ぜひお読みください。

 

 

編集後記2

大晦日から元旦にかけて、ネットフリックスオリジナルドラマ「リディア・ポネットの法律」シーズン1を一気に見終わりました。

猪爪寅子が日本初の女性弁護士で女性裁判官なら、リディア・ポネットはイタリア初の女性弁護士。

19世紀終わりのトリノでせっかく法学部を卒業して司法試験にも通ったのに、弁護士会に入れてもらえず、裁判所や検察庁からも「省かれる」リネットの奮闘、めちゃくちゃ面白いです。

あと、嫌みで冷たい兄貴の弁護士エンリコとの関係の変化が見事で、第3話で号泣しましたです。

シーズン3も配信決定だそうで、冬休みにシーズン2を見るのが超楽しみです。皆様もぜひどうぞ!

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【紅白】優三らも登場「虎に翼」スピンオフで復活!米津玄師“出演”一夜限りの異例コラボ 寅子「はて?」

[ 2024年12月31日 23:02 ] スポニチ

<第75回NHK紅白歌合戦>熱唱する米津玄師(NHK提供)
Photo By 提供写真

 大みそか恒例の「第75回NHK紅白歌合戦」(後7・20~11・45)は12月31日、東京・渋谷のNHKホールから生放送。今年度前期のNHK連続テレビ小説「虎に翼」のスピンオフドラマ「虎に翼 紅白特別編」がオンエアされ、紅白の大舞台で一夜限りの“復活”を果たした。ヒロインを務めた女優の伊藤沙莉(30)が初の司会、脚本を担当した吉田恵里香氏(37)が初の審査員、主題歌「さよーならまたいつか!」を担当したシンガー・ソングライター、米津玄師(33)が特別企画で6年ぶり2回目の出場。米津もドラマ部分に出演する“異例”のコラボ。。佐田優三(仲野太賀)ら懐かしの面々も“総出演”し、SNS上で話題に。“とらツバ祭り”“朝ドラ祭り”の様相を呈した。

 向田邦子賞に輝いたNHKよるドラ「恋せぬふたり」などの吉田氏が脚本を担当した朝ドラ通算110作目。日本初の女性弁護士・判事・裁判所所長となった三淵嘉子氏をモデルに、法曹の世界に飛び込む日本初の女性・猪爪(佐田)寅子(ともこ)の人生を紡いだ。吉田氏は初の朝ドラ脚本。伊藤は2017年度前期「ひよっこ」以来2回目の朝ドラ出演、初主演となった。

 朝ドラのスピンオフが紅白で放送されるのは、2021年度前期「おかえりモネ」以来3年ぶり。スピンオフの脚本も吉田氏が執筆。自身のSNSで「脚本書きました。こんなに早くまた寅子たちのお話を書けるとは!とても光栄で幸せな仕事でした」と振り返った。

 舞台は1937年(昭和12年)。主人公・猪爪寅子(伊藤)ら女子部の面々が高等試験に落ちた年の瀬。その年最後の傍聴に向かった。裁判が終わり、寅子たちは甘味処「竹もと」に“食べ納め”へ。山田よね(土居志央梨)の姿を探していると、法廷の外のイスに米津が腰掛けている。寅子が「よねさん」と声を掛けると、米津は階段の下の方を指し示した。寅子は不思議そうな表情を浮かべ「はて?」と口癖。主題歌のイントロが流れ、米津がロケ地となった名古屋市市政資料館の大階段で歌い始めた。

 ドラマ部分は約3分半。歌唱のラスト部分で、伊藤らが米津とともに建物の外に出て、オープニングタイトルバックで話題になったダンスを披露した。

 吉田氏は「内容は知っていたんですけど、米津さん、伊藤さんたちの思いに胸が熱くなりました」と感激。伊藤は「米津さん、スタッフ・キャストの皆さん、半年間見守ってくださった皆さん、ありがとうございました」と感謝した。

 

 

【紅白本番】「虎に翼」特別編、寅子(伊藤沙莉)&米津玄師が対面 ドラマ×歌唱が交わる世界線・オープニング再現にファン感涙「夢みたい」「最高の演出」

2024/12/31(火) 23:42配信

モデルプレス
伊藤沙莉、米津玄師(提供写真)

【モデルプレス=2024/12/31】12月31日、東京・渋谷のNHKホールから生放送中の「第75回NHK紅白歌合戦」にて、連続テレビ小説「虎に翼」のスピンオフドラマ「虎に翼 紅白特別編」(脚本:吉田恵里香氏)が放送された。

【写真】2024「紅白」後半曲順一覧

◆「虎に翼」“特別編”で復活

特別編の舞台は、昭和12年の年の瀬。友達と今年最後の傍聴を終えた法学部生の寅子(伊藤沙莉)は、年の瀬を穏やかに平和に過ごしたいという思いと裏腹に「でも心からそれを楽しむには、この世はあまりにも、穏やかとも平和とも程遠くて…。海の向こうでは戦争をしているし、苦しい思いをするご婦人方は山ほどいる。…女性弁護士は誕生しなかった」と思い悩む。そんな彼女に、同じ法学部生のよね(土居志央梨)は「ここに私たちがいる。それだけでも大きな一歩だ」と言い放ち、寅子は「もどかしくても大きな一歩前進がなくても声を上げていくしかないということ…?」とよねの言葉からまた前を向くのだった。

一方、同じく法を学び、後に寅子と結婚する優三(仲野太賀)は、自宅で「来年はきっと、いい年になりますよね。来年、再来年、その次、その次の次って、きっと世の中はどんどんよくなりますよね」と想いを馳せた。

◆寅子(伊藤沙莉)×米津玄師が交わる世界線

裁判所で先に行ってしまったよねを探す寅子が「よねさ~ん!」と声を出しながら探していると、そこには米津の姿が。米津は寅子の声に思わず反応し、そっとよねが進んだ方向を指して教えてあげるのだった。寅子は「ありがとうございます」と言いつつも、ふと「はて…?」と米津の存在に疑問が浮かんでいる様子だった。

そのまま米津が立ち上がり、主題歌である「さよーならまたいつか!」を歌唱。終盤ではドラマのオープニング映像同様に寅子たちが曲に合わせて踊り、最後に米津と寅子は仲良く2人でピースサインを決めた。

◆「虎に翼」主演・伊藤沙莉、改めて感謝

審査員として会場で映像を見守った脚本家の吉田氏は、自ら書いたため展開を知りつつも「思いを感じてすごい胸が熱くなりました」とコメント。「また来年よりよい年になるように、皆さんで、生きづらい人が少しでも少なく、省かれる方がいなくなるような世界を1個1個作っていけたらいいなと思います」と特別編に込めた思いを語った。

米津の「紅白」出場は6年ぶり。最後にコメントを求められた司会の伊藤は「米津玄師さん、『虎に翼』スタッフ・キャストの皆さん、そして半年間見守ってくださった皆さん、ありがとうございました!」と笑顔で感謝を伝えた。

この放送を受け、視聴者からは「また生きているトラちゃんたちを観られて幸せ」「こんなの夢みたい」「最高の演出…」「オープニングダンスまでやってくれた(泣)」など、反響が殺到している。

◆「第75回NHK紅白歌合戦」12月31日(火)午後7時20分~

「第75回紅白歌合戦」は、12月31日(火)午後7時20分から11時45分まで、NHK総合、BSP4K、BS8K、ラジオ第1で生放送。今年のテーマは「あなたへの歌」。司会は有吉弘行(2年連続2回目)、橋本環奈(3年連続3回目)、伊藤(初)、鈴木奈穂子アナウンサー(初)の4人が担当する。(modelpress編集部)

情報:NHK

【Not Sponsored 記事】

 

2024年7月28日 12時00分有料会員限定記事 東京新聞

NHK連続テレビ小説「虎に翼」主人公のモデルとなった日本初の女性弁護士、三淵(みぶち)嘉子さん(1914〜84年)。戦後は裁判官となり、米国の原爆投下を「国際法違反」と断じた「原爆裁判」にかかわった。1963年の判決は、核廃絶や被爆者救済に国内外で大きな影響を与えている。原爆投下から79年。依然として核兵器使用の懸念が残るいま、判決が持つ意味を考える。(山田祐一郎)

◆世界初「原爆は国際法違反」と踏み込んだ判決

 「広島、長崎両市に対する原子爆弾による爆撃は、無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて違法な戦闘行為。原子爆弾のもたらす苦痛は、毒、毒ガス以上で、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反している」
広島の原爆ドーム

広島の原爆ドーム

 1963年12月7日、東京地裁(古関敏正裁判長)は、判決理由で米国の原爆投下をこう断じた。
 判決は、世界で初めて原爆投下が国際法違反だとする判断に踏み込んだとされる。米国とソ連の核戦争勃発の危険性が高まったキューバ危機(1962年)の記憶が残る時期。「米国は超大国。敗戦国の国家機関である裁判所が戦勝国の戦争行為を表立って批判するんですから、そりゃ勇気がいりましたよ」。元裁判官の高桑昭さん(87)が振り返る。高桑さんは弁論終結直前にこの訴訟の担当となり、130ページに及ぶ判決文を起案した。

◆日本政府は「原爆使用が終戦早めた」と

 広島と長崎の被爆者5人が国を相手取り、1955年に東京と大阪で起こした2件の訴訟が併合されて審理された。原告側は、原爆投下が国際法違反だと主張。米国に対する損害賠償請求権がサンフランシスコ平和条約で放棄されたため、憲法が保障する財産権を根拠に日本政府に賠償を求めた。
原爆投下は「国際法違反」と話す元裁判官の高桑昭さん

原爆投下は「国際法違反」と話す元裁判官の高桑昭さん

 被告の日本政府は、国際法違反には当たらないと反論。国家間の戦争は、いずれの国内法でも国家の責任を問うことはできず、被爆者個人は国際法上の請求権を持たないとした。審理の中で「原子爆弾の使用は日本の屈服を早め、戦争継続による双方の人命殺傷を防止した」とも主張した。
 三淵さんは、併合後の訴訟の担当となり、弁論終結まで計9回開かれた口頭弁論全てに唯一参加した。判決言い渡し時は東京家裁に異動していたが、判決原本の末尾には裁判官3人の真ん中に署名が残る。

◆「原爆投下を正当視することはできなかった」

 「温厚で優しい人でしたね」と、高桑さんは振り返る。裁判所の合議体は、年次順に訴訟指揮を執る裁判長、右陪席、左陪席と呼ばれる。左陪席の高桑さんは当時26歳で、40代後半の三淵さんが右陪席を務めた。「私が草案を書き、古関裁判長に渡して回覧してもらった。裁判長と三淵さんのどちらが先に目を通したのかは聞いていません」
「三淵さんは優しい人でした」と話した元裁判官の高桑昭さん

「三淵さんは優しい人でした」と話した元裁判官の高桑昭さん

 「原爆を巡って国家と争う通常の民事とは全く違う特殊な訴訟。大変な裁判を担当したなというのが当時の感想だった」と高桑さん。「草案はすべて手書き。長い判決で苦労しましたよ。修正された部分もあったが、骨格は私の案が残った」
 3人はどのような意見を交わしたのか。三淵さんは「女性法律家(復刊版)」(有斐閣)で自身の経歴を振り返っているが、個別の事件には言及していない。高桑さんは「合議の秘密があるので内容を明かすことはできない」とするが、判決に込めた思いをこう語った。「国際法違反かどうかにかかわらず賠償請求を棄却する方法もあったが、逃げずに理屈を立てて国際法を検証した。やはり原爆投下を正当視することはできなかった」

◆国の賠償責任認めなかったが「政治の貧困を嘆かずにはおられない」

 8年以上続いた審理では、原告、被告双方が申請した国際法の専門家3人が意見を寄せた。このうち「国際法違反」との判断を示したのは2人、残る1人も「違反と判断する筋が強い」で、適法だとする専門家はいなかった。一方で、被爆の実相を明らかにするための原告への本人尋問は実現しなかった。
 判決は日本政府の賠償責任を認めなかった一方、最後の所感で「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだ」と指摘し、被爆者救済の必要性を痛切に訴えた。そしてその責任について「立法府である国会及び行政府である内閣において果たされなければならない」と言及。「われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」と結んだ。
 判決で政府へ厳しい注文を付けた理由を高桑さんはこう説明する。「終戦後、多くの人が家を焼け出され食料もなく困っていたが、政府は全く救済してこなかった。原爆だけでなく空襲の被害者も同様だ。責任を十分に果たしていない状況はいまも変わっていない」

◆「裁判官3人の怒りが込められているのでは」

「原爆裁判」の資料

「原爆裁判」の資料

 現在、訴状や口頭弁論の内容を記した弁論調書、専門家の鑑定書などの訴訟資料は、日本反核法律家協会が保管し、ホームページ上で公開している。1994年に設立された同協会の初代会長を務めたのは、原爆裁判の原告代理人だった松井康浩弁護士(故人)。5代目会長を務める大久保賢一弁護士(77)が、15年ほど前に松井さんの遺族から託された。
 「日本政府は、審理の中で、原爆を正当化する米国の主張をそのまま答弁した。『政治の貧困』という言葉には、このような政府の姿勢に対する、三淵さんを含めた裁判官3人の怒りが込められているのではないか」と大久保さんは話す。
「原爆裁判」の資料を保管する大久保賢一弁護士

「原爆裁判」の資料を保管する大久保賢一弁護士

 判決は原告側が控訴せず、一審で確定した。「請求は認められなかったが、国際法違反と指摘されたことを重視した」とみる。画期的な内容だったものの、審理は国際法に違反するかどうかの法律論が中心で、「原爆被害の実相を明らかにする意味では十分ではなかったという反省もある」と大久保さんは明かす。

◆国際法違反を指摘した判決は、後の被爆者救済に影響

 それでも判決は、その後の被爆者救済に影響を与えた。1968年の原爆特別措置法を経て、1995年の被爆者援護法施行によって原爆症認定制度が設けられ、支援の枠組みは順次拡大。原爆症認定を巡る集団訴訟で、被爆者が長年、原爆放射線の被害に苦しめられた実態が明らかにされた。
 国際社会でも判決は大きな意味を持つ。英訳され、原告の名前から「シモダ・ケース」と呼ばれた。1996年に国際司法裁判所(ICJ)が、核兵器使用は国際人道法に「一般的に反する」とした勧告的意見にも影響を与えたとされる。この意見を踏まえ、2017年に核兵器禁止条約が採択されたが、日本政府は批准していない。
長崎の平和祈念像

長崎の平和祈念像

 13歳のとき長崎で被爆した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中熙巳代表委員(92)は「ICJの勧告的意見を巡る運動の中で、国際法違反を指摘した原爆裁判の判決は大きなよりどころとなり、後押しになった」と評価する。
 大久保さんは、この判決の意義を再認識する必要性を強調する。「判決は、核兵器廃絶や被害者救済の一つのスタート地点となったが、核兵器はまだ残っており、使用の危険が高まっている。長崎で『黒い雨』を浴びた人が被爆者と認められないなど、被害者救済も実現したとは言い難い。いま一度、原爆裁判が提起した課題をどう解消するか検討しなければいけない」

◆デスクメモ

 判決を報じた61年前の東京新聞。原告は軍人恩給に触れつつ「原爆を受けて家族を失い、生き延びても満足に働けないようなからだのものにはなにも保障がないというのはなんとしても不合理だ」と語っている。被害者放置の「政治の貧困」は今も。全面救済へ、歩みを止めてはならない。(本)
 
 

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4 コメント

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今年こそ「ボス」キャラ撲滅を (津木野宇佐儀)
2025-01-02 23:17:32
あけましておめでとうございます
旧年中は本当にご迷惑をおかけしました
申し訳ありません…

今年こそ、プーチンやネタニヤフという本ボスが逮捕され、その一派が一掃されれば…
でもトランプという新たなボスが…
「ラスボス」「真ボス」etc.…叩けばキリがないですね
でも、今年も日本のジミン・ザコキャラ一掃活動を続けていきましょう!

今年も、情状酌量で(?)、宜しくお願いいたしますm(_ _)m
返信する
あけましておめでとうございます。 (raymiyatake)
2025-01-04 12:32:26
うさぎさんには自由に投稿していただいて、どうしてもヤバい奴は私の方でチェックしておきます(笑)。
日本にも世界にもはるかにヤバい奴がごまんといるんですから気にしないで!
今年もよろしくお願いいたしますm(__)m
返信する
Unknown (秋風亭遊穂)
2025-01-06 22:09:35
 歌には強権支配に苦しむ人々の心に、希望を失わないよう励ます力がありました。

不滅のプロテスト・ソングとしてチェコで歌われていたビートルズの「ヘイ・ジュード」
https://www.tapthepop.net/extra/76457

 よくまとめられた記事で私が付け加えることは何もありません。マルタ・クビシェヴァー(Marta Kubišová) がカバーしたヘイ・ジュードには次のような歌詞で人々の心に訴えました。

【チェコ語】マルタのヘイ・ジュード (Hej, Jude) (日本語字幕)
https://www.youtube.com/watch?v=fz-M6x2wqGo

世界はときに美しく ときに醜いけど
ねえ、ジュード 信じようよ
たくさんの傷と傷みをワインに紛らしても
傷には塩を塗り込まれ 棒きれが打ち据えてくる
そんなふうに世界に支配され 私たち、もてあそばれるままなの?
ノー、ノー、ノー、そうじゃない!
ノー、ノー、嫌だよ!

 チェコをはじめとする東欧諸国では、民衆の自由を求めるエネルギーが国境を越え、「名ばかり共産党」支配を次々と打破しました(Wikipedia:ビロード革命)。ゴルバチョフによるリトアニアとラトビアへの軍事介入という反動があったものの、それも民衆がはねつけ、最後にはソ連が崩壊しました。このエネルギーこそがプーチンがもっとも恐れるものです。NATOが何たらとしか言わない反米拗らせ論者は、強権支配が何たるかを学ぶことがないーそれが非常に残念なことです。
返信する
反核ソングは海を越えて (秋風亭遊穂)
2025-01-21 22:47:44
 昨年12/11放送の国際報道2024で「Rosa de Hiroshima」というブラジルの反核ソングを知りました。
 実は私、長年にわたってブラジル音楽を愛してきましたが、この曲は全く知りませんで、大御所の詩人、Vinicius de Moraes (彼は外交官も務めました。ボサノヴァの名曲の多くが彼の詩によります)が1954年に作詞をしたものです。1973年に Secos & Molhados の Gerson Conrad が曲をつけアルバムをリリースしました。当時のブラジルは親米軍事政権、その米国は、チリの左派政権を裏工作で不安定化させ、軍事クーデターに至らせる悪どいものでした。

 ブラジルでは1964年~85年まで軍部が政権を握りました。検閲が厳しいなか、ボサノヴァアーティストの中にはナラ・レオンのように社会運動家としても活躍した歌姫もいました。
 Rosa de Hiroshima は検閲で問題にならなかったようです。「(検閲官は)全く理解していなかった印象なので、あまり迷惑はしていません。」と作曲者の Gerson 氏は述べています。ちょっと笑ってしまいます。

Gerson Conrad revela a história da canção, “Rosa de Hiroshima”.
https://www.navecriativa.com/gerson-conrad-revela-a-historia-da-cancao-rosa-de-hiroshima/

 記事では Gerson 氏が作曲者の Vinicius に録音の許可をもらうために会った際のエピソードがあります。Vinicius は曲を聴きながら目には涙があふれていたとか。そして「君たち、あなたの音楽が私の詩を不滅のものにしてくれると確信してください」。そう告げました。
 
 この歌の力に期待を寄せるブラジル在住の被爆者、渡辺淳子さんを番組が紹介しました。彼女はブラジルに移住後、南米在住の被爆者支援に尽力をされたとのこと。

「南米ヒバクシャ魂の叫び」証言本を現地の平和協会が出版
https://www.sankei.com/article/20141230-W7WQSFYGJZLN3G5XQZSSGLLTDA/

「実際に原爆を落とされたら こうなるんだよって 人間はこうなるんだよって 世界にこの歌を聴いてほしい」
 渡辺さんは番組でこのように訴えていました。

 ネットを見るといろんな訳がありますが、私なりにトライしてみました。
 
Pensem nas crianças mudas, telepáticas
Pensem nas meninas cegas, inexatas
Pensem nas mulheres, rotas alteradas
Pensem nas feridas como rosas cálidas

Mas, oh, não se esqueçam da rosa, da rosa
Da rosa de Hiroshima, a rosa hereditária
A rosa radioativa, estúpida e inválida
A rosa com cirrose, a anti-rosa atômica
Sem cor, sem perfume, sem rosa, sem nada

子供たちのことを考えて
口も開けず、それでも思いを伝えようとする
女の子たちのことを考えて
盲目にされて こんなことは間違っている
女性たちのことを考えて
引き裂かれ 変わり果ててしまった
激しい傷のことを考えて
それは燃える薔薇のよう
でも ああ!忘れないで
薔薇 薔薇のことを
広島の薔薇 命をつないできた薔薇
放射能に汚染されてしまった薔薇
辛いばかりで不当だ
肝硬変を患った薔薇
原子力でできた おぞましき薔薇
色もなく 香りもない
薔薇でもなく そして何ものでもない

 Secos & Molhados のヴォーカリスト Ney Matogrosso がソロになってからのステージです。彼もブラジル音楽界での重鎮。私もこよなく愛してきた歌手の一人です。祈りのような旋律は、いかにも70年代のブラジルの音で、欧米音楽の影響はあったにせよ、ブラジルを感じさせる旋律なのです。
https://www.youtube.com/watch?v=Tt_goIGovGs
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