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司法試験に合格した年に
「このままテレビを見ていたら一生通らない!」
と思い定めてごみ捨て場に14型テレビ(ちいさ!)を捨てに行ったくらいのテレビっ子のわたくし。
中学高校で一番夢中になったテレビドラマといえば、ウルトラマンシリーズの脚本家でもあった市川森一さんの「淋しいのはお前だけじゃない」(西田敏行主演)と山田太一さん脚本の「男たちの旅路」でした。
先日、「ゴジラー1.0」を観に行ったのですが、人間に全く興味がない庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」よりもさらに面白く、人間ドラマとしてはゴジラ映画史上最高で号泣したのですが、その主演の神木隆之介くんが特攻隊帰りの役だったんですよね。
後からパンフを読んだら、監督があのトンデモ小説家の百田尚樹氏が特攻隊を描いた「永遠のゼロ」の監督で、かなりがっかりしたのですが(笑)、たぶん小説よりもずっとうまく人間を描いたのでしょう。
話がそれましたが、山田太一さんの「男たちの旅路」は特攻帰りの男を主演の鶴田浩二さんが演じていました。
鶴田さんは本当に学徒出陣で海軍航空隊にいた人で、「俺は若い奴が嫌いだ」というセリフには真に迫った説得力がありました。
毅然として自分を曲げずに生きる主人公が高度経済成長期からバブル経済に向かう日本に、戸惑いながらも物を申していく、それが「男たちの旅路」でした。
鶴田浩二、水谷豊、桃井かおりと新旧の名優が激突。
身体障害者の方々、特にバリアフリーの問題を描いたこの「車輪の一歩」がまたとてつもなくインパクトがあった。
これは桃井かおりさんを失って逃げて生きようとする鶴田浩二さんに、水谷豊さんが戦争について語れと切々と訴えるシーン。
山田太一脚本の大河ドラマといえば「獅子の時代」。
明治維新の敗者である会津藩の下級武士を菅原文太さん、勝者である薩摩藩の武士を加藤剛さんがダブル主演で演じたのですが、司馬遼太郎が明治維新の元勲的な人間ばかりを主役にして、いかにもそういう有名人が歴史を作ったかのように描くのが司馬史観ならば、山田史観は名も知れぬ市井の人々こそが時代の主役だと主張しました。
鶴田浩二といい菅原文太といい、ヤクザ映画で有名だった人が主演でも、山田太一ドラマだと新たな魅力があった。
このドラマではそれまで日本のドラマでは無視されてきた自由民権運動をじっくり描くのですが、特にタブーとされてきた秩父事件が取り上げられたのは画期的。
自由民権運動の担い手たちと秩父の農民たちが秩父困民党を結成して明治政府に反旗を翻した秩父事件は、明治維新の暗部として、地元でも口にするのがはばかられるくらい、長く蓋をされてきていました。
主人公の菅原文太さんがそこに加わるという形でNHKの大河ドラマで真正面で取り上げられたのは画期的だったのです。
そして、個人的には「ふぞろいの林檎たち」。
私が大学3年生の時に始まったのですが、「四流大学」の学生である中井貴一・時任三郎・手塚里美・石原真理子・柳沢慎吾らが学業や就職や家の問題に悩むという、学歴差別に悩む等身大の主人公たちに私も自分を重ね合わせて見ていました。(大学こそ東大だったけどまったく授業に出ない4流大学生だったので)。
当時、全盛期だった「ザ・ベストテン」という歌番組に「勝手にシンドバッド」という楽曲で彗星のごとくデビューしたサザンオールスターズが3曲目のシングルでバラードに転じた「いとしのエリー」が主題歌。
そのオープニングのカッコよさにみんなが痺れたもんです。
地上波を見なくなって10年。
サブスクにはネットフリックス、アマゾンプライム、ディズニープラス、Hulu、ユーネクストと5つも入っているわたくしですが(映画・アニメオタクなんでw)、山田太一脚本の作品ほどの同時代性を持ったドラマに今後出会えるか。
本当に惜しい方を亡くしたとはこのこと。合掌です。
「男たちの旅路」も「ふぞろいの林檎たち」もあまりの人気に何シリーズも続編が続いて、ずっと追いかけたなあ。
山田洋二監督の映画「キネマの天地」にも脚本家の一人として参加されていた記憶です。
叙情派の倉本聰さんよりも僕は断然山田太一さんが好きでした。
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「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎(りんご)たち」など、市井の人々の日常から人間や時代を描くテレビドラマを手がけた脚本家、小説家の山田太一(やまだ・たいち、本名・石坂太一=いしざか・たいち)さんが11月29日、老衰のため死去した。89歳。葬儀は家族で営む。喪主は長男石坂拓郎(いしざか・たくろう)さん。
東京都出身。早稲田大教育学部を卒業後、松竹を経て、1965年にフリーの脚本家になる。松竹で師事した木下恵介監督に請われ、TBS「木下恵介アワー」枠の「3人家族」や、「パンとあこがれ」などの脚本を執筆した。
浅草で国民学校(小学校)の3年生まで過ごし、強制疎開で神奈川県湯河原町へ移住。11歳で敗戦を経験した。戦災孤児のその後の人生を描いた「記念樹」(TBS、66年)や戦争で夫を亡くしたヒロインを描いた72年のNHK連続テレビ小説「藍より青く」など戦争の影が色濃く残る作品を手掛けた。
76年にNHKが脚本家の名前を冠したドラマを開始した際、先発に選ばれた「男たちの旅路」は、鶴田浩二さん演じる特攻隊の生き残りの警備員が主人公。若い世代との相克などを描いて連続ドラマは第4部まで放送され、大きな反響を呼んだ。
また多摩川の増水で民家が流された災害をモチーフに、家族のもろさを描いた「岸辺のアルバム」(TBS、77年)や“四流大学”の男子学生と看護学生の青春群像をとらえた「ふぞろいの林檎たち」シリーズ(TBS、83~97年)など、放送史に残るドラマを多数送り出した。
晩年も、2011年の東日本大震災をテーマに「時は立ちどまらない」(テレビ朝日、14年)といった作品を残すなど、ドラマの可能性を探求し続けた。
「空也上人がいた」など小説も数多く発表。「異人たちとの夏」で88年に山本周五郎賞、自伝的エッセー集「月日の残像」で14年に小林秀雄賞を受賞した。
日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアムの代表理事を務め、放送局にも映像が残っていない80年代以前の番組の記録を残そうと、脚本を収集・保管する活動にも尽力した。
85年には「家庭や職場等のごく平凡な日常を、抜群のドラマに仕上げて、人間愛を訴えつづけている」として菊池寛賞を受賞。92年度には毎日芸術賞、08年には橋田賞特別賞を受賞した。自著「異人たちとの夏」が英国で映画化され、「異人たち」として来春公開予定となっている。17年1月には脳出血で倒れ、療養していた。
山田太一さん死去 「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」 リアルな人間ドラマ描いた名脚本家
TBS系「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」、フジテレビ系「早春スケッチブック」など数々の名作ドラマを手掛けた脚本家の山田太一(やまだ・たいち、本名・石坂太一=いしざか・たいち)さんが11月29日、神奈川・川崎市内の施設で老衰のため死去した。89歳だった。人間のリアルを映し出した作品を発表し、日本の放送史を象徴する脚本家だった山田さんは17年に脳出血で倒れ、執筆活動からは遠ざかった。10月には未発表シナリオ集が発表されたばかりだった。
人間のひずみや焦燥感、揺らぎを描き、時代を映す名作を数多く残した名脚本家が、人生のシナリオに幕を下ろした。
親族によると、山田さんは2017年に脳出血で倒れるも、医師も驚くほど奇跡的に回復。意識もはっきりしており、会話も不自由なく日常生活には支障がないほどだったが、高齢であることも考慮し近年は川崎市内の高齢者施設で生活していた。16年のテレビ朝日系スペシャルドラマ「五年目のひとり」を最後に、本格的な執筆活動からは遠ざかっており「めっきりやっていませんでした」(親族)。最期は長女がみとったようで、穏やかな顔で天国に旅立ったという。
故人の遺志で葬儀は家族のみで執り行う。お別れの会なども予定されていない。喪主で長男の石坂拓郎氏は「山田は仕事に対しては常に厳しく真剣でしたが、私たち家族にはユーモアにあふれ、楽しく優しい父として心に残っています」とコメントを発表した。
山田さんは1958年に松竹の助監督試験に合格し、木下惠介監督に師事。木下監督がテレビ業界に進出すると、ともに軸足を移し、1965年には松竹から独立した。フリーの脚本家として「木下惠介劇場」「木下惠介アワー」などで単発の脚本を手掛けたのち、68年に木下惠介アワー枠の「3人家族」で初めて単独の連続ドラマを執筆。その後、TBS系「それぞれの秋」やNHK「男たちの旅路」が高い評価を得た。
山田さんの才覚を世に知らしめたのは、自身の小説をドラマ化した77年のTBS系「岸辺のアルバム」。実際に東京で起こった水害を題材に、平凡な家庭の崩壊をシニカルに描いた。清純なイメージのあった八千草薫さん(19年死去)が不倫する主婦を演じ話題に。ハッピーエンドが主流だったホームドラマ界の定説を覆すような作品となった。
83年には「早春スケッチブック」、TBS系「ふぞろいの林檎たち」を相次いで発表。「早春―」は家族のあり方と死生観を描き、「ふぞろい―」は劣等感を抱える若者が大人になっていく姿をつぶさに映し第4シリーズ(97年)まで制作されるヒット作となった。87年に発表した小説「異人たちとの夏」は山本周五郎賞を受賞し、大林宣彦監督によって映画化。晩年は東日本大震災をテーマにした人間ドラマも手掛けていた。
くしくも今年は「ふぞろい―」の放送40周年。10月には映像化されなかった未発表シナリオ集が刊行されたばかりだった。シナリオ集には幻の「ふぞろい―」第5弾が収録され、40代になった主人公たちのストーリーがファンを喜ばせていた直後の悲報となったが、作品の中で山田さんの洗練された筆致は生き続ける。
◆山田 太一(やまだ・たいち)1934年6月6日、東京都生まれ。早稲田大学卒業後の58年に松竹大船撮影所に入社し、演出部で木下惠介監督の助監督を務める。65年に独立し、フリーの脚本家としての活動をスタート。市井で暮らす庶民にスポットを当てた作品を多く発表した。90年の映画「少年時代」では日本アカデミー賞最優秀脚本賞。劇作も多く手掛けた。14年にはエッセー「月日の残像」で小林秀雄賞を受賞した。
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鶴田浩二のテレビの代表作といえる「男たちの旅路」は、母親が鶴田浩二が好きなので中学生の頃一緒に観てました
第1シリーズでは飛び降り自殺をしようとする桃井かおりに、鶴田が特攻兵の話をして思い留まらせようとするシーンがありましたが、ガキの自分は違和感をもった覚えがあります
でもテレビ的には名シーンなんでしょう
鶴田と水谷豊、桃井かおりらとの世代対比も鮮やかでした
全体的に鶴田の戦争ものはあまり好きになれません
むしろ勝新太郎の「兵隊やくざ」とかのほうがいいと思うんですが(笑)
テレビドラマの歴史に残ると言われる「岸辺のアルバム」ではソフトな配役とは裏腹に大胆なシーンも多かったですね
ご冥福をお祈りします、で締めようと思ってふとサイドカラムを見たら懐かしい名前が、、、
洋次監督に負けないくらい師匠も長持ちしてますね
…と、言っておきながらですが、私は、山田太一さんは、よい印象を持っているのだけれども、ここで挙げられているような有名どころはどれも見たことがない、ファンとは到底言えない程度のファンですが…。…基本、テレビドラマ見ませんから。…たぶん、90年代前半にNHKでやっていたいくつかのドラマで、よい印象を持ったのかなと思います。なんでそう思ったのかの記憶もありませんが、家族や共生をテーマにした、救済のある暖かいドラマを作る人だという印象があります。念のためにですが、もちろん、ここでいう家族とは、安倍ら日本会議系の言うような家族ではありません。訃報ニュースで車いすの回の一部を見ましたが、その印象をさらに深めるものだなと思いました。ドラマなんて見るよりの私ですが、山田太さんの作るようなドラマが増えるなら、もう少し見よとするのかもしれません。…是枝監督の作る作品より視聴後感が重たくなさそうですし。(って、是枝監督の作品も、ちゃんと見れる訳がないと、見たことありませんが…。あと、最近では、『夜明けまでバス停で』も。)
当該番組は私はまだ幼くて視ていませんが
ETV特集「日本人は何を考えてきたのか 第2回 自由民権 東北で始まる」
に菅原文太さんが出演されていて、番組の端々にドラマの場面が流れていました。
東北で自由民権運動が強かったこと、民権派に対する、喜多方事件、秩父事件etc.弾圧がすさまじかったこと(番組内で秩父事件犠牲者追悼碑の前に文太さんが立ち、碑の「暴徒」の字に…というシーンもあります)など…
NHKもETV弾圧で骨抜き・おちゃらけだらけになってしまいました…
次のBS弾圧も完了してしまった…
またまたズレてしまいました、すみません…(^^;)