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2022年10月25日に国会で行なわれた野田佳彦元首相の追悼演説が「感動を呼んでいる」らしいのですが、菅前首相の国葬での丸パクリ弔辞に涙した人たちと同じで、なんと安い涙や感動なのかと、失笑を禁じえません。
このために安倍国葬に参列した野田佳彦元首相が、国会での安倍晋三元首相への追悼演説受諾。自爆解散で安倍政権を産んだ野田元首相はTPP、安保法制、消費税増税、マイナンバー法、原発推進の生みの親だ。
野田氏は2012年に自分が所属する民主党が負けるとわかっていて自爆解散をして、第二次安倍政権を誕生させた生みの親であり、戦犯です。
そのことが野田氏の追悼演説にも出てきて
『最も鮮烈な印象を残すのは、平成二十四年十一月十四日の党首討論でした。私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。』
というのですが、行政権の肥大もはなはだしい我が国で、なお立法権の力を落とすような議員の数と歳費の削減を条件に解散して政権を渡すだなんて、二重の意味でナンセンスでした。
野田佳彦元首相と玄葉光一郎元外相(「次の内閣」の安保相)の安倍国葬参列を止められない立憲民主党が、日本維新の会と「共闘」するとの発表に悪い予感しかしない。
とにかく、野田氏は自分が政権を禅譲した相手である安倍晋三氏が偉大な存在でないと自分の自爆解散が正当化できません。
それで、追悼演説前には自分を「かませ犬」と卑下したり、追悼演説の中でも安倍氏に
「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。」
と、まさに喧嘩に負けた犬が相手に腹を見せるようなことを言って見せたり、それもこれも安倍氏を持ち上げて自分も浮かび上がろうという計算なのですから、馬鹿らしくなります。
安倍晋三氏の国葬が許されない数多ある理由の中で、実質的に一番なのは「安倍政治が国葬に値しないこと」。法的にはそもそも個人を国葬にすることが法の下の平等に反して憲法違反であることだ。
そして、野田氏の追悼演説で最も問題なのは、まるで安倍氏が政治テロにより亡くなったかのように安倍氏の死を描いているところ。
まず冒頭で、野田氏は
「政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。」
というのですが、選挙演説中が犯人にとって狙いやすいから安倍氏はたまたま演説中に殺害されただけ。
山上容疑者は安倍氏の政治的主張に反発して、それを許さないために安倍氏を銃撃したわけではありません。
山上容疑者が安倍氏を殺害したのは、安倍氏が自分の家族を崩壊させた統一教会と癒着し、その広告塔にもなっていたから、安倍氏を殺害することで統一教会問題を世間に暴露しようとしたのです。
それをまるで右翼青年に刺殺された社会党の浅沼委員長のように扱うのは、全くの妄想ないし事実の隠ぺいとしか言いようがありません。
クローズアップ現代に、安倍晋三氏がビデオメッセージを送った統一教会関連団体の梶栗会長登場!「8年弱の政権下にあって6度の国政選挙において、私たちが示した誠意というものもちゃんと本人が記憶していた」
まあ追悼演説ですから故人への批判を言えとは言いませんし、野田氏が語る、歯が浮くような安倍氏への賞賛や「ちょっといい話」的なものは、この際不問に付することにするとして、ひどいのは演説の結びの部分です。
野田氏は、演説の最後にもまた安倍氏が政治テロで殺された英雄であるかのように描きます。
「暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。
あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。」
というのですが、強行採決の連続で違憲な法制度を作りまくった安倍氏が、民主主義を「より良きもの」にしようとしていただなんてことありません。
【#安倍晋三の国葬に反対します】祖父岸信介氏の時代から霊感商法の統一教会の布教宣材。「桜を見る会」ではマルチ商法のジャパンライフの広告塔。安倍元首相ほど「国葬」にふさわしくない人物はいない。
【#安倍晋三が諸悪の根源】伊達忠一前参議院議長が、安倍晋三元首相に旧統一教会の票を依頼し、当選のお礼に統一教会のイベントに3回出席。安倍元首相は統一教会票の手配師だった(動画あり)。
そして、野田氏は与野党の全議員に
「最後に、議員各位に訴えます。
政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。
暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。
民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。
真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。
こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃れた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。
私はそう信じます。」
と呼びかけるのですが、たまたま演説中に銃撃されただけで、その理由は統一教会との癒着だった安倍氏の死をきっかけに
「暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。
民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。」
と言われても、私がその場に国会議員として出席していたら白けてしまって、とても何分間も拍手するような気持にはなれなかったでしょう。
報道されているほど、熱心に聞いたり拍手したりしている風でもない自民党のお歴々。
【#安倍晋三が諸悪の根源】統一教会の政界支援の対象は「安倍さんの一存だった」。恩恵を受けた安倍晋三元首相の子飼い議員の名は元産経新聞記者の北村経夫参院議員。
王様の耳はロバの耳と言い続けるのが使命のうちのブログですが、野田追悼演説に真正面から抗議するようなニュースはもちろん、ネット上での意見もついぞ見かけません。
安倍氏は、統一教会との癒着が原因で死んだんです。
そのことを覆い隠して、なんだか民主主義を守り抜くために亡くなったヒーローであるかのように安倍氏を持ち上げる野田氏の追悼演説こそ、日本の民主主義を後退させるあくどい策謀というべきでしょう。
日本の統一教会の会長を二度にわたって務めたトップ・大塚克己氏の長男であり、そして文鮮明氏の孫の夫でもある大塚洪孝なる人物と、自民党本部で写真を撮影した安倍晋三元首相。
安倍氏の死をネタに弔辞の菅前首相と追悼演説の野田元首相が再評価されるとか、頭が痛くなります。
日本の有権者はどこまでお人好しなんでしょうか。
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安倍元総理大臣に対する追悼演説が衆議院本会議で行われ、立憲民主党の野田元総理大臣が故人をしのびました。
以下、その全文です。
故安倍晋三先生に対する追悼演説
搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。
享年六十七歳。
あまりにも突然の悲劇でした。
政治家としてやり残した仕事。
次の世代へと伝えたかった想い。
そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずであった穏やかな日々。
すべては、一瞬にして奪われました。
政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。
人々の暮らしや命がかかっています。
マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。
改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。
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しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。
我が国の憲政史には、百一代 六十四名の内閣総理大臣が名を連ねます。
先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げたい。
そうした一念のもとに、ここに、皆様のご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。
安倍晋三さん。
あなたは、昭和二十九年九月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の二男として、東京都に生まれました。
父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。
「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。
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そして、父 晋太郎氏の急逝後、平成五年、当時の山口一区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。
三十八歳の青年政治家の誕生であります。
私も、同期当選です。
初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。
そこには、フラッシュの閃光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。
私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。
その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。
内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成十八年九月、第九十代の内閣総理大臣に就任されました。
戦後生まれで初。
齢五十二、最年少でした。
大きな期待を受けて船出した第一次安倍政権でしたが、翌年九月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、一年あまりで退陣を余儀なくされました。
順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。
「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。
しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。
最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土重来を期します。
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かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。
ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。
あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。
若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。
その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。
五年の雌伏を経て平成二十四年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時 内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙することとなります。
最も鮮烈な印象を残すのは、平成二十四年十一月十四日の党首討論でした。
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あなたの少し驚いたような表情。
その後の丁々発止。
それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。
それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるものすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。
安倍さん。
あなたは、いつの時も、手強い論敵でした。
いや、私にとっては、仇のような政敵でした。
攻守を代えて、第九十六代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。
少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。
張り詰めた緊張感。
激しくぶつかり合う言葉と言葉。
それは、一対一の「果たし合い」の場でした。
激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。
残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。
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あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。
それは、忘れもしない、平成二十四年十二月二十六日のことです。
解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。
同じ党内での引継であれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の二人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。
その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。
あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れ様でした」と明るい声で話しかけてこられたのです。
「野田さんは安定感がありましたよ」「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」「自分は五年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。
その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。
残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。
でも、今なら分かる気がします。
安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。
第一次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさに鞭打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。
わずか一年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。
あなたもまた、絶望に沈む心で、控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。
あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。
あなたには、謝らなければならないことがあります。
それは、平成二十四年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。
「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でお腹が痛くなってはダメだ」私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。
他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。
語るも恥ずかしい、大失言です。
謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。
いま改めて、天上のあなたに、深く、深くお詫びを申し上げます。
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あなたの仕事がどれだけの激務であったか。
私には、よく分かります。
分刻みのスケジュール。
海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。
その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。
容赦ない批判の言葉の刃を投げつけられます。
在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。
第一次政権から数え、通算在職日数三千百八十八日。
延べ百九十六の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は千百八十七回。
最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。
首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる二人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。
理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。
かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。
あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。
ただ、それだけではなかった。
あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。
安倍さん。
あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、密かにお会いしたことがありましたね。
平成二十九年一月二十日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。
前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。
二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、一時間あまり、語らいました。
お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。
そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。
国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。
それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。
私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。
冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。
あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。
立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見出せるのではないか。
以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。
憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。
失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。
「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」
安倍さん。
あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。
再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。
勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。
耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。
この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。
どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。
その上で、申し上げたい。
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安倍晋三とはいったい、何者であったのか。
あなたがこの国に遺したものは何だったのか。
そうした「問い」だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。
その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。
そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。
国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。
問い続けなければならないのです。
なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。
暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。
あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。
最後に、議員各位に訴えます。
政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。
暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。
民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。
真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。
こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃れた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。
私はそう信じます。
この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三 元内閣総理大臣。
闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。
安倍さん、どうか安らかにお眠りください。
父親は統一教会トップ、義祖父は文鮮明
統一教会(現・世界平和統一家庭連合)との関係で、自民党は窮地に立たされている。山際大志郎経済再生担当相は、旧統一教会との深すぎる関係への疑惑と、それに対するブレブレの説明が原因で、10月24日、ついに辞任した。
「表向きは辞任だが、実質的には解任だよ。山際は数年前のことを『資料がない、わからない。覚えていない』と繰り返したが、そんな記憶力では大臣は務まらない」(自民党閣僚経験者)
だが、自民党と統一教会の「ズブズブ」の関係は、そんなレベルでは済まされない。「現代ビジネス」は、今回の問題の発端となった故・安倍晋三首相と統一教会の密接な関係を示す、決定的な証拠を入手した。
2014年3月3日、非公開のFacebook上で【がんばれ安倍さん! at 自民党会館 第二次安倍政権発足1年前】という文言とともに、下の写真を投稿したのは、大塚洪孝なる人物。この大塚氏は、日本の統一教会の会長を二度にわたって務めたトップ・大塚克己氏の長男であり、そして文鮮明氏の孫の夫でもある。この写真は洪孝氏と安倍元首相が写っている。

洪孝氏は、韓国の旧統一教会系の中学、高校に進学し。その後、帰国して早稲田大学に入学した。卒業後は日本を代表する名門商社を経て、2006年8月、統一教会の創設者である文鮮明氏の孫・文信淑氏と祝福結婚した「ロイヤルファミリー」の一員だ。その名は教団内でもつとに知られており、洪孝氏が信淑氏と結婚した翌日には、洪孝氏の父・克己氏が日本統一教会会長に異例の「再選」を果たしている。
洪孝氏が投稿したFacebookでは、2009年9月に文鮮明氏と韓国で船釣りに同行して魚を釣り上げた写真が、妻・信淑さんらと一緒にアップされている(下写真)。文鮮明氏は、統一教会では地上に再来したメシアと認識されている。洪孝氏が文鮮明一族、すなわち「ロイヤルファミリー」であることを明確に示す写真だ。
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旧統一教会の信者で、洪孝氏とともに韓国に留学した経験のある男性は言う。
「洪孝さんはお父さんが日本統一教会の会長というエリートですし、いずれは旧統一教会を背負って立つことは間違いない。なんといってもロイヤルファミリーの一員ですからね。文鮮明と魚釣りに同行し、写真をとるなんて、普通の信者ではありえない。
安倍元首相とのツーショット写真をSNSに投稿した件は仲間内でもよく知られていて、まさに旧統一教会と自身の力を見せつけるようなものでした。洪孝さんは嬉しそうに『安倍元首相と話してきた。教会のことを気にかけてくれていたんだ。自民党が政権に復帰し、安倍元首相が返り咲けば、もっと教会と自民党の関係は深くなり、選挙など支援に力が入る』と語っていました」
安倍氏のダンス動画まで
この洪孝氏は、Facebookの統一教会信者が参加するグループで、幾度となく安倍総理との「昵懇」ぶりを示す記述を行っている。そのうちの一つが前述した「がんばれ安倍さん! at 自民党会館 第二次安倍政権発足1年前」である。
前掲の写真には「元ネタ」がある。2011年12月2日、洪孝氏が「With ex-prime minisiter Abe.」と題して、安倍氏と共に写った集合写真を、トリミングのうえで再掲載したものと思われる。再登板を画策していた時期の安倍晋三総理を応援すべく、自民党本部で会っていたという意味であろう。統一教会の「ロイヤルファミリー」と安倍氏の密接な関係を示唆している。

このほかにも洪孝氏は、2015年10月2日、《let's get together .feel all right.by PM Abe》と、安倍元首相が女性と踊っている動画をシェアしているし、2014年5月4日にも《頑張れ安倍さん》などと応援メッセージを書いている。
また洪孝氏が関連しているとみられる統一教会関係者のFacebookグループには、今年夏の参議院選挙で統一教会の組織的応援で当選したとされる井上義行参議院議員についての記述もある。井上氏は、言わずと知れた安倍氏の元秘書官である。
今年6月24日、世界平和連合主催で「より良い社会の実現」「若者の政治参加への関心と行動」について考えるセッションと称して、井上議員を招いてトークセッションを開催したと書いている。
《井上先生は私たちと志をともにしている》《井上先生は安倍政権において総理大臣第一秘書官を務められ、家庭を中心とする私たちの考えに深く共感し、その内容をいかに実現していくかを真剣に考えておられる》といった記述があった。
「井上先生が食口(シック:信者の意味)だと多くの信者が信じている」(統一教会の現役信者)ことを裏付けるような書き込みだ。
安倍元首相は2021年9月、旧統一教会の関連団体「天宙平和連合」の会合にビデオメッセージを送っていた。それが安倍元首相銃撃事件、山上徹也容疑者の犯行の引き金の一つになったとされている。本人も秘書も、統一教会との関係がいかに深かったかは、今回の記述から裏付けられる。
自民党代議士の秘書募集までやっていた
またFacebook上の統一教会系グループでは、洪孝氏の友人で同じ韓国の統一教会系中学・高校に留学していた人物が、こんな投稿をしている。
《【学生必見!】 政治家をガチで目指すあなたへ
衆議院議員の秘書を募集!
これもとある2世のヒョンから伺った話です。神奈川県?にて衆議院議員に当選された政治家の方が、秘書を募集しているとのことです。(UCの方ではないとのこと。)
あなた、もしくはお近くに政治家志望の方がいらしたら、滅多にない機会だと思うので、是非、将来を明るくできるようにご協力をお願い致します。
詳しく話を聞きたい方はご一報お願い致します!》

UCとは旧統一教会を意味する。この投稿からすると、旧統一教会が、自民党に入り込んだうえ、そのルートで衆議院議員の秘書を募集していることが示唆される。
投稿は2013年のものだが、時系列から考えると、2012年の衆議院選挙で当選した自民党選出議員の秘書募集だとみられる。ちなみに今回統一教会との関係が取り沙汰された山際大志郎氏は神奈川県選出である。
元統一教会幹部が語る。
「2009年、自民党から民主党への政権交代がありました。そのとき、教義も考慮して統一教会は自民党推しになった。その作戦は見事に的中し、自民党との関係を築くことができたのです。トップや幹部が自民党に行けば、向こうも気遣って目立ってしまう。だが洪孝氏のような若いロイヤルファミリーであれば、表向きは幹部ではないから、自民党も受け入れやすかった」
かくして、統一教会の「ロイヤルファミリー」である洪孝氏は、自民党本部に招き入れるほどの関係を築いたというわけだ。
これまで統一教会は「政治に直接関与していない。関連団体が政治との関係を持っている」「選挙は信者が自由に投票している」と説明していた。だが、文鮮明の一族が自民党本部に乗り込んで安倍元首相と会っていたとすれば、その説明も疑わしくなる。
今回の写真を見た自民党幹部が沈鬱な表情で語る。
「これが自民党本部で撮影されたというのは、背景のカーテンなどから間違いない。大塚氏は教団トップの息子で、創立者の孫の夫にあたる。一緒に映っている関係者も旧統一教会の幹部だ。自民党が下野したとき、多くの支援団体が去ったが、統一教会は逆に支援強化したことで評価され、以前より関係が緊密になった。
民主党に政権交代を許し、自民党が厳しい時代で、安倍元首相も苦労したのだと思うが、なぜ党本部で統一教会の関係者と写真をとったのか理解に苦しむ。周囲はどうして止めなかったのか。
旧統一教会の幹部一族がこういう投稿を堂々とFacebookに上げていること自体、問題だ。岸田政権に飛び火しないかどうか心配だ」
安倍晋三元首相と統一教会の関係については、「調査しない」と岸田首相は明言した。だがそれで済まされるだろうか。
史上二人目、戦後初の千葉県出身の元総理大臣、しっかりしてくださいよ。
言いましたよ。はてブという、蛸壺みたいなところでですが…。
野田元総理大臣が安倍晋三元総理大臣の追悼演説 全文 | NHK
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221025/k10013869471000.html
>この人が安倍長期政権を誕生させたことを改めて確認した。名演説?どこが! 全く共感できない価値観や茶番なエピソードしか語られていない。空虚。現実は、この2人の在任中にどれだけ社会が荒廃したことか。 #心優しきニッキョーソ #心優しき「信念」 #心優しき逆再分配 #心優しき歴史修正 #心優しく夢見た同じ未
「どす黒いまでの孤独、野田元首相とも共有」自民・麻生副総裁:朝日新聞デジタル
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQBW54YJQBWUTFK00B.html
>為政者のなれ合いに人びとが付き合う必要なんて全くない。虐げられる側の人ならなおさら。特にこの2人など、選挙で信を問うことを経ずに首相になったんだよ。そして野田は公約にもない消費増税に走った。嫌な空気。 #弔意全体主義
山崎 雅弘 on Twitter: "安倍氏や野田氏を厳しく批判すると「そんなやり方は分断を招く」というリプが来るが、ある時期から批判を封じるために「分断」という言葉が使われるようになっている。意見対立を「分断」という図式にすり替えれば、大勢に従わない人間は「分断を引き起こし秩序を乱す」として負い目を感じさせられる。"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/mas__yamazaki/status/1585512220695273473
>分断は厳然と存在する。それを直視するよう呼びかけることは、分断を招いたり煽ったりすることではない。分断は直視されることで乗り越えられる。それを見ないように仕向ける人間こそ分断を広げようとする者だ。
山口二郎 on Twitter: "野田さんの追悼演説は、今後の政治勢力の再編の分水嶺になると感じている。私も安倍的なものへの批判を続ける決意だし、野田さんも「あなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命」と述べ、安倍政治を不問に付しているわけではない。しかし、それを無視、あるいは曲解し、野田さんに悪罵を浴びせる識者、市民もいる。私は嘆息するばかり。そういう市民もふくめて野党共闘の体制をつくれと言われれば、私にはそんな芸当はできない、どうぞご自由にと言うしかない。これからの野党の基盤について、白紙から議論しなおす必要を感じる。"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/260yamaguchi/status/1585261947942973440
>安倍を心優しいなどと評した時点で無視に値するだろ。だいたい、有権者に信を問わずに首相の座に就き、公約にもない消費増税に走った人間に融和、民主主義、言論のシンボルみたいな顔させるな。なにこの政治学者様。 #弔意全体主義
あと、一般人枠の人なので名指しはしませんが、リベラル・左派を自任する人が、「追悼演説」をした野田のことを「他者の死を悼む人」と言い換えているのを見ました。出た!って思いましたね。まんま「国葬」を「他者の葬式」と言い換える詭弁です。言論封殺、全体主義のツール。超えてはならない線を超えていることに気づいてほしいのですが…。
ほんと、嫌な空気ですね。