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自分が源泉―ビジネスリーダーの生き方が変わる [単行本] 鈴木 博(著)
内容(「BOOK」データベースより)
内容(「MARC」データベースより)
私の愛読書である「自分が源泉」の第一章に、有名なフランクルの『夜と霧』を紹介した「人間の最後の自由」という一節があるのでご紹介します。
著者の鈴木博さんは、私の大学時代からの心の師で、私も二回、上記のSEEという研修に参加しています。
私が「『自分が源泉』の立場をとりましょう」と経営者の皆さんに強くおすすめしたときに、
「この問題だけは自分にはどうしようもありません」
「自分には決定権がないんです。社長が来てまったく逆の決定をされたらそれで終わりです」
「ここまで来てしまうとお手上げです。自分には何もできません」
などと、どにょうに考えてもこの状況は「自分が源泉」で創ったとは思えない、と訴えてくる経営者の方がいます。確かに自分自身の力ではとうてい及ばない圧倒的な力の支配下におかれたり、自分ではどうしようもない状況が起こったりすることがあります。そのようなときにも「自分が源泉」を生きるということは、どういうことなのでしょうか?
この問いかけに大きな示唆を与えてくれるのは、オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルです。彼はユダヤ人であるがゆえにナチスによって捕らえられ強制収容所に送られました。そして、ナチス・ドイツ下の収容所での自らの体験を著書『夜と霧』に記しました。
「こんな悲惨な状況の中では、誰もが人間性を失ってもおかしくはない」。
フランクルは、強制収容所の中で多くの「普通の人たち」が今日を生き延びるためにどんなことでもやり、人間の尊厳さえも失っていくのを見ました。そんなある日、フランクルは驚くべき光景を目にします。それは、そんな絶望的な状況にあっても、人間としての尊厳を失わず、他者に対して優しく思いやりのある態度や高潔な態度でいる人の存在でした。死んだ方がましだと思えるような極限状態の中で、いかにして人間が生き延びることができたのか。その答えがこの「人間としての尊厳」だったのです。
彼は人間から決して奪うことのできない唯一のものがあることを発見しました。それは、どのような状況下であっても自らの心の姿勢は選択できること、自らの生き方は選択できるということです。彼はこのことを「人間の最後の自由」と呼びました。それこそが人間に与えられた最後の自由だとフランクルは発見したのです。強制収容所の体験から、フランクルは「人生の根源的事実」について以下のように語っています。
(自らも含めた収容者たちの極限的な精神状態に触れて)
・・・・・つまり人間は一人ひとり、このような状況にあってもなお、収容所にいれられた自分がどのような精神的存在になるかについて、何らかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所に居てもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。
ヴィクトール・フランクル(霜山徳爾訳)「夜と霧」みすず書房 一九五六)
つまり、それがどのような状態であっても、その状態をどうとらえるかはすべては自分が創りだすことができるのです。
苦しい時代がやってきています。
生き辛い世の中です。
なぜこの時期に、この文章をご紹介したか、わかる方には分かって頂けるでしょう。
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