憲法に規定のある天皇の出席が悪いのではなく、象徴天皇のはずが高いところにある「玉座」ともいうべき場所に座り、国民代表である国会議員がそれを仰ぎ見て、三権の長の一人である衆議院議長が式辞を述べ、これに対して天皇が「お言葉」を述べる。
この儀式のやり方が、基本的人権の保障と平和主義と並ぶ日本国憲法の3大原理である国民主権の精神に反している。
日本共産党のことはあまり詳しいとは言えませんが、そういえば、天皇が高いところから「お言葉」を言う国会の開会式には出席していませんでした。
その共産党の志位和夫委員長は2015年12月24日、大島理森衆院議長と国会内で会い、これまで党として出席を見合わせてきた国会の開会式に、2016年1月4日召集の通常国会から出席する方針を伝えました。
同時に、天皇が一段高い席からお言葉を述べる現在の形式は
「憲法の主権在民の精神からふさわしくない」
として抜本的な改革を求め、大島氏は
「承った」
と答えたということです。
共産党は、安倍政権に対抗するため野党各党に提唱した「国民連合政府」構想に絡み「日米安全保障条約廃棄」の一時凍結などを表明しました。それに続く今回の方針変更には、現実路線への転換を一段とアピールする狙いがあるのでしょう。
志位氏によると、共産党は1947年に現行憲法下で最初に開会式が行われた際に一部議員が様子を見るため出席したのを除き、帝国議会以来の形式を踏襲していることや、天皇のお言葉に政治的な内容が含まれていることを理由に一貫して開会式を欠席してきました。
大島氏との会談後の記者会見で志位氏は、開会式でのお言葉の内容に関し、
「この三十数年は儀礼的、形式的な発言が慣例として定着したと判断できる」
「今後は開会式に出席し、民主的な改革を引き続き主張したい」
と述べました。
まあ、矛盾していますよね。
何が矛盾しているかというと、国民に主権があり、天皇の地位が象徴に過ぎないという象徴天皇制をとる日本国憲法の下で、開会式に出席しない理由として
「第1に、開会式の形式が主権在民の原則に立ち、議会は立法権を握る天皇の協賛機関に過ぎなかった戦前の大日本帝国憲法下の開院式の形式をそのまま踏襲するものになっているということが第一点だ。」
と言いながら、儀式のやり方は変わらないのに、今の天皇の言動がいいから、開会式に出席しますというのは理屈が通らないということです。
そういう、天皇の個性で政治が左右されたらいけないというのが象徴天皇制です。そもそも、国民主権と天皇制が併存するということ自体が妥協の産物なのに、そちらの現実に理念を合わせていたら、日米軍事同盟という現実に憲法解釈を合わせてしまうという、立憲主義破壊の集団的自衛権行使容認の解釈改憲も批判できなくなるでしょう。
1947年(昭和22年)の第一回通常国会の開会式。当然、天皇は昭和天皇。そのほか今と何も変わらない。
これを、共産党が安保法制反対など立憲主義という大事なものを守るために、妥協をしたもので、現実主義でいい、という人もいるでしょうが、こんな妥協をしても、1議席も増えないと思いますよ。
天皇制に対する態度で投票行動を決めている人なんてそんなにいないですし、共産党が国会の開会式に出ないから、国民連合政権構想がとん挫しそうなわけでもないですしね。
共産党は2004年の綱領改定により、天皇制について
「憲法上の制度であり、その存廃は将来、情勢が熟したときに国民の総意によって解決されるべきものだ」
との立場をとっており、これを踏まえ、志位氏は国会の開会式に
「出席した場合、『天皇制に反対する立場から欠席している』との要らぬ誤解を招くことなく、憲法順守のため改革を求める真意がよりストレートに伝わる」
と語ったというのですが、ぜんぜんストレートじゃありません。
そんなに天皇制に反対しないということを表明することがいま大事でしょうか。
なぜ2004年の新綱領から10年以上、開会式を欠席してきたのに、次回から出席するのでしょうか。
それは明仁天皇の言動が穏当だからだと志位さんも説明しています。
しかしその発想は。天皇の政治的影響力を極力排除しようとした象徴天皇制にも反する発想なのです。
それにしても、今年5月の通常国会の開会式には欠席したんでしょうに、いきなり来年からは出席しますとは急な話です。
いつ決めたんだという質問に、12月21日の常任幹部会で一発で全員賛成で決まったというのですが、共産党のように権力が中央に集中している組織は決めることが早くて効率的なように見えて、危険ですね。
こういう大事な問題は、下から積み上げて議論を尽くして方針転換したらどうなんでしょうか。
いったん共産党のような中央集権組織が「右傾化」しだしたら、もう歯止めをかけるのは大変だろうなと危惧を抱いた事件でした。
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ちなみに、選挙に勝つための苦渋の選択なら、何十年も受け取っていない政党助成金・交付金を受け取ることを検討したほうがずっと効果的です。
これは自分の思想信条に反する政党にも納めた税金を強制的に使われる制度ですから、共産党は憲法違反であると主張しており、私もそう思います。
そういう違憲の制度の金は、「渇しても盗泉の水を飲まず」(苦しくても汚い金は受け取らない、の意)でもらわないということで、やはり受け取らないことが大変立派なことなのですが、スーパーリアル共産党になるんだったら、受け取って選挙で議席数を増やすのも選択肢の一つです。
そうなったらまたこれまでの言動と矛盾していると批判するのですから、わたくしも自分でしょうがない奴だなとは思いますが(笑)。
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共産が方針転換 通常国会の開会式に出席へ
共産党の志位委員長は24日、大島衆議院議長と面会し、これまでの対応を改め来月4日に召集される通常国会の開会式に出席する意向を伝えました。
これに対し大島議長は、「承りました」と述べたということです。
このあと志位氏は記者会見し、「かつては国政に関する政治的発言が含まれるなど、憲法の規定に違反していたが、その後、儀礼的、形式的なものとなり、慣例として定着したと判断できる。開会式の形式が戦前踏襲という問題点は根本的な再検討が必要であることに変わりはなく、抜本的な改革を求めていくが、そうした改革を実現するためにも開会式に出席することにした」と述べました。
また、志位氏は天皇制について、「天皇制の存廃については憲法上の制度なので、その解決は、情勢が熟したときに国民の総意で決定されるべきものだと党の綱領で明記している」と述べました。
共産党が国会の開会式に出席するのは、今の憲法の下で初めて召集された昭和22年の特別国会の開会式に一部の議員が出席して以来となります。
こうした背景には、国会対応で柔軟な姿勢を見せることで、来年夏の参議院選挙に向けて野党勢力を結集するための環境を整えたいというねらいもあるものとみられます。
【共産・志位委員長会見詳報(1)】
「天皇の発言に憲法逸脱がなくなったので国会開会式に出席する」
共産党の志位和夫委員長は24日、国会内で大島理森衆院議長と面会し、来年1月4日召集の通常国会の開会式に同党議員が出席すると伝えた。開会式は天皇陛下をお迎えして開催しており、天皇制を批判する共産党は「憲法の天皇の『国事行為』から逸脱する」として昭和22年以降は出席していなかったが、方針を転換した。志位氏が面会後に行った記者会見の開会式出席に関する詳報は次の通り。
◇
「国会の開会式に対するわが党の対応について述べたい。共産党はこれまで日本国憲法の主権在民の原則に逸脱する国会開会式のやり方を根本的に再検討することを提案するとともに、その意思表示として開会式に欠席してきた。わが党が問題としてきたことは、主に2つの点だ」
「第1に、開会式の形式が主権在民の原則に立ち、議会は立法権を握る天皇の協賛機関に過ぎなかった戦前の大日本帝国憲法下の開院式の形式をそのまま踏襲するものになっているということが第一点だ。第2に、以前の開会式では、天皇のお言葉の中に米国政府や自民党政府の内外政策を賛美、あるいは肯定するなど、国政に関する政治的発言が含まれていた。これは憲法が定めている『天皇は国政に関する権能を有しない』との日本国憲法に明らかに違反するものだった。そういう下で、わが党は一貫して国会開会式や現行憲法の主権在民の原則と精神にふさわしいものとなるように抜本的改革を求めてきた」
「その後、開会式での天皇の発言に変化が見られ、この三十数年来は儀礼的、形式的なものとなっている。天皇の発言の内容には、憲法からの逸脱はみられなくなり、儀礼的、形式的な発言が慣例として定着したと判断できる。一方で、開会式の形式が戦前をそのまま踏襲するものとなっているという問題点は現在においても変わりがないことも指摘しなければならない。こういう状況を踏まえての今度の対応だ」
「共産党としては、三十数年来の開会式での天皇の発言の内容に憲法上の問題がなくなっているということを踏まえ、今後国会の開会式に出席することにする。同時に開会式の形式が、戦前をそのまま踏襲するものになっているという問題点は、根本的な再検討が必要であることは変わりはない。わが党は、それが現行憲法の主権在民の原則と精神にふさわしいものとなるよう引き続き抜本的改革を強く求めていく」
「そうした抜本的改革を実現する上でも、今後は開会式に出席することが、より積極的な対応になると判断した。今のわが党の方針については、いま大島理森衆院議長にお会いし、今後出席すると報告するとともに、開会式の民主的な改革について検討をしていただきたいという要請をした。大島議長からは『承った』という返事だった。今後われわれとしては出席して、同時にその中で、民主的改革を引き続き主張していきたいと考えている」
--開会式に出席した上で改革とは
「先ほど述べたような状況のもとで欠席という態度を続けた場合には、わが党が天皇制に反対するという立場で欠席しているとのいらぬ誤解を招き、憲法の原則と条項の厳格な順守のために改革を提起しているとの真意が伝わりにくいという問題がある。その点で、出席した場合はそうした誤解を招くことなく、まさに憲法順守のための改革を提起しているという私たちの真意が、よりストレートに伝わることになると考えた。そういう意味で、抜本的改革実現のためにも今回の対応がより積極的な対応になると判断した」
--形式上の改革とは具体的には何か
「これは天皇のために特別に高い玉座が設けられ、そこでお言葉を賜るという形式は、現憲法の主権在民の原則と精神に反するものであって、抜本的改革が必要だということだ」
2015.12.24 14:35
【共産・志位委員長会見詳報(2)完】
「天皇制存廃は国民の総意で決定する」
--三十数年来定着していたのに、なぜ今回のタイミングなのか。安全保障関連法に関する国民連合政府構想の動きと関連があるのか
「なぜ今かという質問に対しては、何か政局と関わって今回の決定をしたわけではない。やはり、この三十数年来の天皇の発言全体を見た場合、憲法上の問題はなくなっていると。そしてそういう状況が慣例として定着していると判断したということに尽きる」
--よそからは共産党が普通の党になっていく一環と受け止めると思うが
「普通の党という質問の意味が分からないが、私たちは一貫しているのは、開会式の改革の提起というのは、将来の政治制度をどうするかという角度から提起しているのではない。現在の日本国憲法の原則と精神と諸条項を厳格に貫くという立場から一貫して対応している」
--共産党は開会式に戦後最初から出ていないのか
「1回だけ、1947(昭和22)年に一部議員が出席したことがある。ただ、その体験を踏まえてよく検討した結果、その後ずっと欠席できた」
--これまで開会式のときは国会内で待機していたのか
「そういうことだ」
--確認だが、君主制についての考えは
「君主制という規定は綱領ではやっていない。天皇の制度は、2004(平成16)年に改定した綱領では、国権に関する権能を有しないということが憲法上明記されている。国権に関する権能を一切有しない君主というのはあり得ないということで、現在の天皇の制度をいかなる意味でも君主制の制度とはいえないというふうに考えている。まず認識としては」
「それから天皇の制度に対するわれわれの考え方としては、当面する民主主義革命、民主主義的変革の段階での課題としては、現行憲法の諸条項を厳格に守ると。とりわけ天皇の制度に関わっては、国政に関する権益を有しないという制限規定を厳格に守ると。そして天皇の政治利用はやらないという現行憲法を厳格に守っていくということが当面する大事な課題になってくると。そして党としては将来の展望として、民主共和制の実現をはかるという立場に立つ」
「しかし、天皇の制度の存廃というのは憲法上の制度だから、その解決は、情勢が熟した時期に国民の総意で決定されるべきものだと。その存廃については決定されるべきだということを綱領では明記している。いかなる意味でも君主制という認識は現綱領ではしていない」
--いつ党としてどのような形で決定したのか。その際に党内でどのような議論をしたか
「21日の常任幹部会で決定した。議論も行ったが、全員の賛成を得てこういう決定をした」
--議論そのものは何かきっかけがあったのか。いつごろから出席するか否かを議論したのか
「いつごろから、というは、常にわれわれは検討している。こういう問題は。で、やはり天皇の発言の内容もわれわれ慎重に見てきたということだから、いろいろな検討をわれわれは、党の指導部の中ではやってきた。これまでも。ただ、まとまった形で党の機関で正式に決定したのは今回は21日ということだ」
--議論で異論はなかったか
「これは皆さん異論はなかった。出席すべきだと。出席して改革を提起していくということが今の状況の中で最もいい対応になると。これは皆さん、その点での意見は全員一致だった」
--国民連合政府が実現した場合、認証式はどうするか
「認証という行為は国事行為だ。だから当然、認証式は現行の認証式に出席するということに当然なる。国事行為だから」
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党員の中にはかなり前から受けとればと考えている議員(公には言わない)がいますから(笑)
共産党は、政党助成金を受け取るべき。
受け取り拒否した分、他の政党に分配されているじゃないか ( 怒 ) 。
しかも、企業からの政治献金と、二重取りだ ( 怒 ) ( 怒 ) 。
政権を取ってから、両方を廃止して下さい。
なお、「 共産党、名前を変えたら支持率拡大 」説が囁かれているが、本当にそうなる?
また、レイ様のご指摘どおり、政党助成金を貰えばいいと思います。共産党の分は山分けだし、これで他所の助成金を貰っている党に票が逃げる心配はないです。
>>ばストライク様
>なお、「 共産党、名前を変えたら支持率拡大 」説が囁かれているが、本当にそうなる?
名前を変え、選挙協力をし、無理して小選挙区に立てることを避けた社会党=社民党は、政党から同好会に転落寸前まで追い込まれました。
夫婦同姓・別姓問題じゃないですが、名前を変えるのは得策じゃないでしょう。追い込まれた森永がメグミルクに変わるという話じゃないし。
共産党は、戦前から続く大名跡で、誰もが学校で教わりますし、今の教科書の中では悪い大日本帝国に対抗して弾圧されたが獄中非転向を貫いた民主派の立派な人たちという趣旨です。敗戦後の民主化に一定の役割を果たしたと語られ、内部のドロドロに踏み込むことはないです。過去を消したいなら別ですが、過去のほうが輝かしいくらいなのですから、名前を変えるのはもったいないです。
共産党がこの問題に関して下部討議を行ったという話も全く聞きません。
天下り的に最高幹部が決めちゃって、しかも下部からの意見も聞こえて来ないという「民主集中制」の中の「民主」がまるきり抜け落ちてますよね。
こういう政党が「右傾化」しだすと歯止めが効かなくなるというのも尤もな話だと思います。
共産党がリベラルというのは多分みんな勘違いしているところで、本当は真正左翼とリベラルとは独裁と民主の観点からは全く別物であり、むしろ共産党と右派の共通点を見出すことの方が容易いですね。
だからといって「共産党は危険だ」などという苔の生えたような反共意識を持ち出して野党共闘に反対するなどナンセンスですけどね。そもそも、どんな政治組織でも危険性を内蔵しているものだし殊更に共産党の危険性をあげつらうところに政治的な思惑が透けて見えると思います。
今日本が直面する最大の政治上の危険は安倍政権の進めるファシズム化の方であって、これを阻止することが来年の最大の課題です。
今そのためには野党が協力して国政選挙を戦わないと各個撃破されて「日本の民主主義の終焉」となるでしょう。
すなわち、歴史的には、既に、統治権を失っていた天皇を、旧憲法では、一時的に復古させたのみであり、現行憲法の象徴天皇制が、日本の歴史的意義における天皇制として存在していたのであり、現行憲法は、それを改めて成文化したものであると思われます。
この意味では、立憲君主制の天皇制は、国民主権と何等矛盾しないものと思われます。 ただし、憲法上は、その地位は、国民の意思に基づくものですから、将来において、国民の意思が変われば、天皇制の廃止は有り得ることでしょう。
この理解に依れば、共産党の意向の変化は、遅きに
失した、と言えるでしょう。
今までの、同党の行動は、国民の総意に反する行動であった、と指弾されても当然かも知れませんからね。
ともあれ、同党は、社会党の転落後にあって、その支持勢力の受け皿になり、保守政党と対立し切る唯一の政党としては存在意義があるのは、自明の事実ですが、民主集中制と云う名の指導者独裁制は、民主主義とは相入れないものであり、私には、全てを支持出来ません。 言わば、限定条件附きで支持出来得るだけです。
そもそも、マルクス主義を全面的に信奉出来ないからでもあります。
マルクス・エンゲルスの著書は、何十年前から読み、経済・政治の理論も不十分ながらも理解出来得ましたが、それらを信奉するところまでは出来ませんでした。
理由は、現実に存在した、或は存在する社会主義諸国の現実が、私の理解する民主主義とは隔絶したものであったからです。
単純化すれば、右の全体主義、左の社会主義、と要約出来得るものであり、反民主主義の独裁制であるのが共通項であるからです。
現在のロシアも、旧ソ連の桎梏から逃れられずに居るのは、エレーヌ・ブランの「KGB帝国」や、アンナ・ポリトコフスカヤの「プーチニズム」、等々に有るとおりです。 中国は、観てのとおりです。
英国憲法が法典として纏まったものが無い、不文憲法であるのは、歴史が証明するとおりで、政治も試行錯語するしか無い、との歴史の教えなのでしょう。
一国の成立ちは、一人や二人の指導者が、教えとして下されるものではなくて、無数の民が試行錯誤しつつ、制度として、法として作るしか無いのでしょう。
なお。
私は「陛下」の語は使いません。
ブログ主も原則的にこの語をご使用にならないようですが、マスコミの報道をコピーされたからでしょうか、16行目・20行目の2ヶ所に「陛下」の語が使われています。
「そうした改革を実現するためにも開会式に出席することにした」と言っていますが、開会式に出席しなければ改革ができないわけではありません。
「天皇制に反対する立場から欠席している」という要らぬ誤解を払しょくするためにも出席する、とも発言していますが、今でも共産党は綱領で天皇制廃止を謳っているのですよね。だったら、誤解でもなんでもないのでは? さもなければ、天皇制には反対だけれど、天皇が高座に座る開会式には出席することが矛盾でないと判断したわけをわかりやすく説明することが求められるという話です。
しかし、志位さんの説明は意味不明の箇所が多く、私には後付けの説明のように思えます。
象徴天皇制の意味と機能の検討が弱く、場当たり的な対応をしているように見えます。