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集英社 「がんばらない」 鎌田實著
「医師と患者の心のかよい、患者と家族のあたたかい絆、看護婦さんたちの献身、涙をおさえることができない美しい奇跡がここに書かれている。病院の廊下に は、知的障害をもつ女性が描いた書がかかげてある。「がんばらない」…誰もがその前に立ちつくす。なんという勇気のある言葉。」
うつ状態になっている方々に「頑張れ」と励ますのがタブーであることは常識だと思っていました。
ですから、東日本大震災と福島原発事故のあと、多くの人の命が失われ、街がなくなってしまったというのに、「がんばれニッポン!」「がんばろう日本!!」がまるで公式スローガンのようになったのには驚きました。
がんばろう、も震災直後の1ヶ月くらいならいいけれど、今年の流行語大賞にならなくて本当に良かったです。
年が明けたら、もう、「がんばれ日本」とか「がんばっぺ、宮城、岩手、福島」だとか言うのは止めましょうよ。
被災者の方々はもう頑張りすぎるぐらい頑張ってきました。
「がんばってきたね」、ならばいいかもしれないけれど・・・・
「福島市に30代の男性の遺族がいた。父と妻を亡くした。「『がんばっぺ、福島』なんて言っている人は幸せ。私にはどうでもいいこと……」と彼は語っていた。
連載第2回で紹介したが、東京の九段会館で天井が崩落し、妻を亡くした遺族は、「『がんばろう、日本』と聞くたびに、『まだ、がんばれ、と言うの? 私はこれ以上もうできない。あれは死ね、と言っているようなもの』」と答えた。
むろんこのフレーズは、大災害後の日本を元気付けようとするものであり、悪気があるものでは決してない。むしろその気持ちは尊い。しかし、このような言葉を安易に使う人は、遺族らが必死に生きている姿に思いを巡らせることができていない。
震災から1年を迎えるこれからが、遺族にとって一段と精神的に苦しくなる時期であることに、関心すらないのだろう。」
「がんばろう!」と言われてもこれ以上がんばれない
被災者・遺族を包む“無邪気で残酷な空気”の正体
――筆者が取材で出会った被災者や遺族のケース ダイヤモンドオンライン 吉田典史
祝 猪苗代湖ズ紅白初出場!「I love you&I need youふくしま」 フクシマは現在進行形
という私の記事に寄せられた福島の方々のコメントが印象に残っています。
「福島を忘れないで思っていただけることが嬉しかったです。このLive行きました!二日いって満喫しました。福山さんもカッコよかったですよ!」
「あのLiveで私たちが得たことって大きくて。「本当の理解」をいつも求めていて。脱原発とか避難とか被ばくとか・・・そんな机上の空論の前に私たちに必要なこと。ここに生きる。それが重要で必要。それは私たち一人ひとりが判断していること。逃げたいけど逃げられない方への保証は必要だけどそれ以外は無意味。」
「ライブには参加出来ませんでしたが、避難区域になったので、今は県外の初めての土地で生活を初めました。ゆずきさんのコメントは、私たちの思っていることを的確に表現されていて、とても感激しました。とても嬉しかったです。3.11の出来事、津波や原発事故を、真近で経験しないと分かってもらえない意見や気持ちもありますから。福島で生まれ育ったことを誇りに思います。」
震災の被災者や原発事故の被害者ばかりでなく、東日本大震災以降、心身共に具合が悪いという人は私の周りにも多いです。「震災ウツ」と呼ばれる症状は被災地に限ったものではないようです。
私自身、震災直後にテレビの映像を見てショックを受け、「これは耐えられそうにない」と感じて、ずいぶん長い間、リアルタイムでテレビの報道を観るのはやめました。衝撃的な映像が突然飛び込んでくると、本当に打撃を受けるものです。
まして、それを現実に体験したら・・・・そのあとも避難生活や放射線の恐怖が続いたなら・・・・
1995年の阪神・淡路大震災では、仮設住宅で孤独死や自殺した人の数は233人にも上りました。特徴的なのは、震災から半年を過ぎてからその数が増えたということです。
これからは、日本に住むすべての人々が、お互いに
「お互いによく頑張ってきたよね」
と称え合う時期ではないでしょうか。そう、もう十分がんばっていますよ、私たちは。
もう、がんばらなくてもいい。
自分たちのことを認めること、受け入れることが、「前向きに生きる」、と言うことだと思います。
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お人好しだなー、日本国民は、、、もっと、
しっかりしてよ!