お子さんの高校受験を来年に控えるお母さんとお話ししたのですが、「裁かない」はそのとき強調した言葉です。
別に、裁判官は裁くけど、弁護士は弁護するのが仕事、ということではありません。
裁かないとは、良い悪いの判断をしないで、そのまま受け取るということです。「傾聴」という言葉もそういうことではないかと思います。
私は法律相談が好きなのですが、弁護士会や法テラス、市役所などでの法律相談は長くて30分、短くて20分です。そんな短時間の間に、相談者の方の抱えておられる問題点を的確にとらえてアドバイスをしなければいけません。
本当はいけないことなのですが、市役所によっては壁が薄くて隣の法律相談が聞こえてくることがあります。驚くのは、相談開始から数分も経っていないのに、もう怒鳴っている弁護士さんが結構いることです。ろくろく話を聞いていないのに、もう説教したり怒ったりしているのです。これでは「相談」にならないでしょう?
法律相談で、こちらがアドバイスするのは最後の5分になってからでいいのです。アドバイスなんて2分で済みます。法律の素人の方へのアドバイスが長いとかえってご本人もなにをしていいかわからなくなります。そして、あと3分は誉めたり、励ましてあげればいいのです。
そこまでの25分で弁護士が話すのは、冒頭の「どうされましたか」だけでもいいくらいです。もちろん、話がそれそうになったら、元に戻してあげなければいけませんが、弁護士にとって一番大切な能力は相手の話を聞くことです。「離婚についてなんですが」と言われれば「離婚されたいのですか?」と尋ねます。意外と離婚はしたくないということも多いです。貸金の相談だったら「お金を取り返したいのですか」と質問すると、相手との人間関係の方が大事という場合さえあります。
相談者の真のニーズをとらえるのが相談です。
ただし、話を聞く際に大事なことがあります。それが良い悪い、正しい間違いを判断しないということなのです。
こちらが内心で「あ、ダメだ」「間違ってる」などと相談者を「裁き」ながら聞いていると、黙っていても必ず相手に伝わってしまいます。それでなくても相談者は困ったからいらしているわけです。今、困っているということは、ご自分がミスをして困った事態になっていることも往々にありますし、少なくとも自分のことを責めていらっしゃる場合が多いのです。
そうした人に、話を聞いている側が「あ、正しい」「いや、間違ってる」と判断していると、相談している側が本当に大事なことを話せなくなってしまうのです。
相手の話をただ受け取って聴けると、相談者にもそれが伝わり、その方の肩の力が抜けることがわかります。すると、余計な言い訳や本質的でない話が減って、相談時間は短く済むのです。30分使い切らないことの方が多いくらいです。
「お、これは美味しい事件だ。是非受任したい」などという邪念が入ったら絶対だめです(笑)。
さて、突然ですが、お子さんの勉強のことが気になるでしょう?あるいはお連れ合いの仕事や出世のことなど。家のお金のこととか、親のこととか。
愛の反対語は無関心、だとマザー・テレサはおっしゃいましたから、相手に関心を持つことは愛を伝えることです。これはとても大切なことですね。ネグレクト(育児拒否)は児童虐待の一つですから。
愛の反対語は憎しみ?それとも虐待?? 子ども未来法律事務所通信6
しかし、他方、愛と執着は全く似て非なるものです。執着は相手をコントロール=支配しようとすることです。いわば、相手を左手で抱き寄せながら右手でパンチするようなものなのです。執着は愛深きがゆえに陥る罠ですが、愛してやまない相手を遠くに追いやるのが執着です。
で、しつこく言ってしまいます。
「勉強しなくていいの?」「勉強の時間でしょ?」「いつまでもテレビ見ていていいの?」「なんだこの点数は」「そんなことで行きたい学校に行けると思ってるのか」
もっとオブラートに包んでいうからかえって嫌みな場合もあります。
「ゲームしすぎると目に悪い」「ひまそうね」「ほかにやることがあるんじゃないのか」「将来うんぬんかんぬん」
お子さんに言われたことないですか?
「お母さんが勉強しろというから、する気なくなった!」
わたしはよく言ってました。言い訳じゃなくて、それは本当のことだったのです。子供に勉強してもらいたいなら、彼らの意欲を奪って、邪魔をしないことです。親がなにか言ったりやったりすることは、子どものやる気を削ぐ場合がほとんどです。そっとしといてやってください。
それでは勉強しないから仕方ないんです!って?それでも口出ししません。手出ししません。結局、勉強を代わりにしたり、代わりに試験を受けたりできないんです。彼らの人生は彼らが自分の足で歩むしかないんです。
「待つ」 子ども未来法律事務所通信7
関心を寄せながら、執着しない愛の姿を、見守る、と呼ぶことにします。
子どもたちは見守っていてやればいいのです。つい口を出したり、手伝ってやったりしたくなりますが、最初はぐっとこらえます。我慢だと続かないのでそれを習慣化します。親はお子さんより長生きすることはできません。どうせ、お子さんもいずれは一人で生きていかなければならないのですから、生きていく力を身に着けさせてやるのが育てるということです。
身も心も触れ合いは大事なことです。触れ合いながら手放す。抱き寄せてパンチするのと反対です。
お子さんを見ているとはらはらして、「あ、間違っている」「今は正しい」などと裁きがちですが、できるだけお子さんを信じて彼らの人生は彼らに委ねることです。信じられなくても委ねないとしょうがないですしね(笑)。
親は少し離れたところで、ただ子どもたちの成長を見守ってやってください。少し寂しいことですが、親は無くとも子は育つ、は真理です。
彼らの話をただ聞いて、受け取り、最後に誉めてやってください。
偉そうに書きましたが、自分の子育てではなかなかできていません。
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