
親御さんも、頭では、「子どもは親とは別人格」、だとか、「親はなくとも子は育つ」などとわかっているんですけれどね。
少年事件を起こした少年達の家庭には、もちろんいわゆる家庭崩壊をしているようなところも多いのですが、一見、非常に厳しくしつけをしている、よそから見たら普通以上に健全な家庭、というような場合も見受けられます。
そういう家族にありがちなのが、親が子どもを支配している不幸です。子どもは萎縮しきっており、自分を発散させる場を求めていた、というようなケースです。親御さんが両方とも学校の先生だったりするのが典型です。
親が子どもに親自身の人生を生きさせている、としか思えないような場合もあります。親が子どもに期待したり、夢や希望を持つのが悪いとはどなたも思われないと考えるのですが、どこから、「自分の満たされなかった人生を我が子に仮託する」というようになってしまうのでしょうか。
子どもにできるだけ良い教育を受けさせてやりたいと思うのはとても素晴らしいことですが、自分は学歴がなくて会社で苦労したから、息子は絶対に一流大学に入れさせたい、とか。私は幼いときからピアノを習っていたけれども大成しなかったので、娘は必ず音楽学校に入れさせたいとか。
そんな親の思いは子どもにとってはいい迷惑だったりします。僕の、私の人生は、自分だけのものなのだから、好きに生きさせてくれ、と子どもは漠然と願っているのですが、自分でも何がいいのかよくわからないままに、親の人生に巻き込まれていくんですよね。
美空ひばりさんのお母さんを筆頭に、ステージママっているじゃないですか。全身全霊、子どものために捧げているのだけれども、いつかは子どもに裏切られます。
本当は、最初から子どもを裏切っていたのは親御さんのほうです。子どものため、あなたのため、と言いながら、実は自分の人生を子どもに代わりに生きさせているだけなんですね。ほんとのところ、何才になっても親自身がスターになる努力をすればいい。それが無理だと思って、自分ではチャレンジしなかったことを子どもに押しつけてしまうのです。
いつの日か、親の思うとおりにいかなくなります。
どうしてこんな子に育ってしまったの、と嘆くかも知れませんが、もともと、子どもを支配できる、子どもの人生をコントロールできると思っていたのが大きな勘違いだったのです。
親の期待に添えない子どもも辛いんです。
だから、子どもが親の想像も出来ないような人生を歩み出したとき、辛くてもそれを見送ってやるのが親心というものではないでしょうか。
誰にも失敗する権利はあるのですから。
追伸
それに、親子も手放した方がお互いに楽になる、好きになれるってこともありますよね!
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私の持っている本にも同じことが書いてある。
基本みたいですね。
まったく、子は親を選べないけれど、親も子を選べないんですよ。
悠久の時間と空間の中で、たまたま巡り会った偶然を、親子で共に祝おうではありませんか。
昔の大家族だと、自然に見て感じられたのかも知れません。
自分(親)ができなかったこと押し付けるなんて
そんな奴に教育する資格なんてないでしょう?
子供は親の所有物ではない
これは子育てする面で一番大切なこと。
これを無視するようなら子供を授かるな。
と、言ってやりたいと思います。
親業訓練という心理学的なトレーニングがあるのですが、他の仕事と違って、親になる準備って特にはないでしょう?
今は数世代が同居して学ぶと言うことがありませんから、周りが責めるよりも支え合うことが大切ではないでしょうか。