2016年8月22日に閉幕したリオ五輪。
私はスポーツ観戦が大好きなので、時差がちょうど12時間という睡眠不足設定に悩みながら五輪観戦にいそしんでいたのですが、私は見なかった閉会式最後がひどかったそうですね。
次回五輪開催地の東京を紹介するセレモニーの最後のクライマックスに、安倍首相がスーパーマリオのかっこをして登場したとか。
北京大会の最後は次回ロンドン大会の象徴としてベッカムが。
ロンドン大会の最後にはリオデジャネイロ大会の象徴としてペレが登場しました。
日本にはそこまで世界に知られたスーパースターがいないのなら、アニメ大国ということでサッカーつながりでキャプテン翼、という手もあったのですが、あとでみると翼君は安倍首相の前座になってしまっていました。
このように、日本だけはスポーツの祭典に政治家が出てくるという醜態を演じたのですが、このことを見事に予言していたのが、21日のNHKの「おはよう日本」でトップ画像のような解説だったというのです。
日刊ゲンダイによると以下の通り。
『 「リオ五輪 成果と課題」と題し、刈谷富士雄解説委員が登場。刈谷解説委員は、まず、過去最多の41個のメダルを獲得したリオ五輪の日本勢の活躍について「目標を達成した」と評価。そして、2020年の東京五輪に向け、競技人口の底上げやスポーツ環境を整える必要性を訴えた。驚いたのは次の場面だ。
「何のためにオリンピックを開くのか。その国、都市にとって何のメリットがあるのか」と投げ掛けると、五輪のメリットとして真っ先に「国威発揚」を示したのだ。』
この解説はオリンピック憲章が規定するオリンピズムの根本原則を全く無視した、いや真っ向から逆行した解説です。
この際、オリンピズムの根本原則を全文見てみましょう。
日本人には驚きかも知れませんが、そもそも、国という単語が一回も出てきません。
1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、 バランスよく結合させる生き方の哲学である。 オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するもの である。 その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値、 社会的な責任、 さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
2. オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し、 スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てることにある。
3. オリンピック ・ ムーブメントは、 オリンピズムの価値に鼓舞された個人と団体による、 協調の取 れた組織的、普遍的、恒久的活動である。その活動を推し進めるのは最高機関のIOCである。 活動は 5 大陸にまたがり、 偉大なスポーツの祭典、 オリンピック競技大会に世界中の選手を 集めるとき、 頂点に達する。 そのシンボルは 5 つの結び合う輪である。
4. スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けること なく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピッ ク精神においては友情、 連帯、 フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。
5. スポーツ団体はオリンピック ・ ムーブメントにおいて、 スポーツが社会の枠組みの中で営まれ ることを理解し、 自律の権利と義務を持つ。 自律には競技規則を自由に定め管理すること、 自身の組織の構成と統治について決定すること、 外部からのいかなる影響も受けずに選挙を 実施する権利、 および良好な統治の原則を確実に適用する責任が含まれる。
『オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し、 スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てることにある。』
そこに国だの国威発揚だのという、戦前のナチズムや絶対的天皇制のような発想は全く出てきません。
むしろ、個人の尊厳を最高価値とする日本国憲法と通じる平和主義が謳われているのです。
安倍首相が登場してリオ五輪の最後を汚した日本側の演出を擁護するかのように、国威発揚がオリンピックの最大の目的と解説してしまうアベチャンネル、NHKに猛省を促したいと思います。
国際的存在感を二番目にもってきてそれとは別に国威発揚としているところを見ると、この国威発揚というのをNHKは国家の権威を国内の国民に対して引き上げるものとしてとらえているものと思われます。
そうするとなおさらこの国威発揚は危険です。
オリンピック大好き人間の私としては東京で五輪をするなとは言いたくないのです。
しかし、福島のこともありますし、震災からの復興もできていないこともあるので、そんなナショナリズムの台頭をのための五輪を今の改憲前夜の日本でやるのは本当に危険だという気がしています。
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五輪メリットは「国威発揚」 NHKが憲章と真逆の仰天解説
2016年08月23日 09時26分 日刊ゲンダイDIGITAL
ビックリ仰天した視聴者も多かっただろう。21日のNHKの番組「おはよう日本」。オリンピックを扱ったコーナーで、「五輪開催5つのメリット」としてナント! 「国威発揚」を挙げていたからだ。
「リオ五輪 成果と課題」と題し、刈谷富士雄解説委員が登場。刈谷解説委員は、まず、過去最多の41個のメダルを獲得したリオ五輪の日本勢の活躍について「目標を達成した」と評価。そして、2020年の東京五輪に向け、競技人口の底上げやスポーツ環境を整える必要性を訴えた。驚いたのは次の場面だ。
「何のためにオリンピックを開くのか。その国、都市にとって何のメリットがあるのか」と投げ掛けると、五輪のメリットとして真っ先に「国威発揚」を示したのだ。
オリンピックを国威発揚の場にしたのがナチス・ドイツだ。聖火リレーの導入やサーチライトを使った光の演出など、ヒトラーは権力を世界に見せつけるため、徹底的に政治利用した。その反省から生まれたのが、オリンピック精神の根本原則を示した「オリンピック憲章」だ。JOC(日本オリンピック委員会)ホームページの「オリンピズムってなんだろう」と題したコーナーで、同憲章は〈オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない〉とある。
JOCもわざわざ、〈みんなはメダルの数を国別で数えたりして、ついついオリンピックを国同士の競争のように見てしまいがちだろう? でも、オリンピックで勝利をおさめた栄誉は、あくまでも選手たちのものだとオリンピック憲章では定めていて、国別のメダルランキング表の作成を禁じているんだよ〉と説明。「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励する」というオリンピック憲章の精神は、戦争や独裁政治、国威発揚とは相いれない。つまり、NHKの解説はオリンピック憲章の理念とは真逆なのだ。
NHKを含む大メディアが「メダル41個で過去最高」と大ハシャギしているのも、本来であればオリンピック精神に反する行為なのだ。スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏はこう言う。
「NHKがオリンピック憲章を理解していないことがハッキリした。そもそも国威発揚で国家間競争を煽るような勝利至上主義が、五輪のドーピングの問題を生み、スポーツ競技そのものを壊している。メディアならば、それをきちんと認識する必要があります。影響力があるテレビ、それもNHKが先頭に立って国威発揚をメリットに挙げてどうするのか。許されません」
リオ五輪で、柔道の日本選手が「銅メダル」を獲得したにもかかわらず、「すみません」と謝罪していた姿に違和感を覚えた人は少なくなかったはず。これも勝利至上主義が招いた悪しき慣習だ。メディアがその片棒を担いでどうするのか。
日本の恥! リオ五輪閉会式で安倍首相がアスリートをさしおいて政治宣伝…背後に官邸と組織委のグロテスクな思惑
Youtube「NHK」公式チャンネルより
こいつら、頭がおかしいんじゃないのか。リオ五輪の閉会式、2020年の開催都市・東京のプレゼンテーションで、土管からマリオのコスプレをした安倍首相が登場したとき、まず、口をついて出たのはこの言葉だった。
断っておくが、本サイトが安倍嫌いだから言っているわけではない。閉会式で行われる次期開催都市のプレゼンテーションについては、前々から誰がサプライズ出演するのか、と注目されていた。北京五輪閉会式でのロンドンのプレゼンテーションのクライマックスにはベッカム、ロンドン五輪閉会式のリオのプレゼンテーションにはペレが登場しており、今回の東京のプレゼンテーションにも、日本を代表するアスリートが抜擢されるのだろうと思われていた。ネットでも、北島康介、高橋尚子、中田英寿、イチロー、錦織圭の名前、さらにはキャプテン翼などアニメキャラの名前などが飛び交っていた。
ところが、登場したのはアスリートでもなんでもない、日本の民主主義を壊している総理大臣・安倍晋三だったのである。しかも、安倍がクローズアップされたのは現地でのショーだけではなかった。
ショーではまず、国家主義的な匂いがプンプンする日の丸・君が代斉唱パフォーマンスが繰り広げられ、続いてプロモーション映像が流された。その映像は、水泳の北島康介や、マラソンの高橋尚子らメダリストが赤いボールをパスしていくというものだが、ここで最後にボールを受け取ったのが安倍首相だった。そして、ボールを受けとった安倍首相は、永田町の国会議事堂から黒塗りの車でリオに向かうのだが、このままでは間に合わない、と車内で突如マリオに変身。前述の現地会場のショーにつながるわけだ。
この映像に映っている時間も北島らアスリートよりはるかに長く、しかも、世界的にほとんど顔を知られていないことへの対策か(だったら出すなという話だが)、安倍首相が登場するカットにだけわざわざ「SHINZO ABE」「PRIME MINISTER」というテロップまで付ける特別扱い。
ようするに、このショーは最初から最後まで、完全に安倍首相が主役だったのである。
東京という都市で行われるスポーツの祭典をアピールする映像であるはずなのに、なぜ、アスリートを隅に追いやり、国家の政治権力者を主役にする必要があるのか。
しかも、五輪は「都市」で開催される祭典であって、「国家」のものではない。もちろん、開催都市によるセレモニーは、その都市や国の特色やエスニシティ(あるいはステレオタイプ)をモチーフにして、世界へ向けアピールするのが常だ。しかし、理念はスポーツと平和の祭典であり、事実、競技中の宗教的、政治的アピールの一切が禁じられている。
過去の五輪閉会式の例をみても、セレモニーでその都市が位置する国の政治権力のトップがメインを張るなんていうのは前代未聞だ。北京五輪の中国ですらこんなことはやらなかった。ソチ五輪のロシアでもプーチンがショーに登場することはなかった。これから先も、北朝鮮などの独裁国家でオリンピックが開かれないかぎり、こんなショーはありえないだろう。
そういう意味では、今回の東京セレモニーは日本が民度の低い前近代的独裁国家であるかのようなイメージを世界に振りまいていしまったといってもいい。
それにしても、いったいなぜ、次期五輪開催都市のプレゼンテーションが安倍の政治宣伝パフォーマンスに堕してしまったのか。この東京セレモニーのクリエイティブスーパーバイザーを担当したのは、ソフトバンクのCMで知られる元電通の有名CMディレクター・佐々木宏氏と歌手の椎名林檎で、総合演出と振り付けはPerfumeのライブ演出などで知られるMIKIKO氏だが、安倍首相の起用は、彼らだけのアイデアでなく、東京五輪組織委員会との相談で決まったらしい。
「目玉のサプライズキャストについては、当初、アスリートを起用する案の他に、ゲームやアニメキャラでいくという案が出ていると聞いていた。それが、いつのまにか安倍首相がマリオをやることになったんです。そんなところから五輪組織委と電通が裏でプッシュしたんじゃないかと言われています」(JOC関係者)
五輪組織委は、安倍首相の元ボスである森喜朗元首相が会長として君臨しており、役員や理事にも、御手洗冨士夫経団連名誉会長やプロデューサーの秋元康など、安倍応援団がずらりと名を連ねている。しかし、今回、安倍首相の出演の仕掛人は、側近の組織委理事に送り込まれた安倍首相の側近中の側近、萩生田光一内閣官房副長官ではないかといわれている。
「いま、安倍首相は自民党総裁の任期を延長して、東京五輪まで首相を続けることを狙っている。側近の萩生田氏が動いて、安倍首相に閉会式の主役をはらせ、それを既定路線にしようと考えたんじゃないでしょうか」(全国紙政治部記者)
しかも、スーパーバイザーの佐々木宏氏や椎名林檎もこうした安倍周辺の意向を率先して取り入れていった気配がある。安倍首相の登場以外でも、今回のショーでは、やたら日の丸が出てくる、国威発揚、国家主義的演出が露骨だったが、これはおそらく、政権の空気や国旗・国歌にこだわる森喜朗会長の意向を汲んだ結果だろう。
「今回、評価が高ければ、2020年の東京五輪本番の開会式・閉会式のプロデュースや演出を任される可能性が高くなる。明らかに今の組織委の意向や、そのバックにいる安倍政権の好みを反映させるでしょうからね」(前出・JOC関係者)
いずれにしても、リオ閉会式でのプレゼンテーションが、この国の歪んだ空気感を反映したグロテスクな政治宣伝だったことは間違いない。そのことの危険性に気づかず「安倍ちゃんがマリオのコスプレwwうはwww」と喝采しているようでは、2020年東京五輪がナチスドイツ下で開催されたベルリン五輪の再現になる可能性だってゼロではないだろう。
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野田作品は東京五輪を【戦争の装置】として描いていたのに
http://lite-ra.com/i/2016/08/post-2517
「まさか、よりにもよって五輪で使う?」
『エッグ』という舞台は、1940年の“幻の”「東京オリンピック」を
【戦争】と「ナショナリズム発動」の“装置”として批判的に描いた内容だっただからだ。
しかも、舞台は途中で1940年代の「満州」に移り、【731部隊】による「人体実験」まで描かれるという踏み込んだものだった。
挙げて下さった記事は昨日すでに読んでいますが、意外な気がしました。
野田秀樹って、福島原発事故の直後、
「アエラ」が表紙に防毒マスクをつけた人の写真を使用したら、
「いたずらに首都圏の人々の不安を煽るな!」
と大批判をして、その功績で文化勲章か何か貰ったんじゃなかったっけ?
(ちと言い方、皮肉すぎ? w )
権力に対し、従順なタイプかと思ってたわ。反戦思想の作品も発表していたんですね。もっとも、演劇なんて、言論や集会の自由が保障されてこその徒花ですけど。
なお、その後、野田の批判が関係あるのかないのか不明ですが、「アエラ」の問題提起度合いが急下降、現在、もはやほとんど読むに値しない◯ソ雑誌となりましたとさ、マル。
>管理人様、
エントリがなかったのは、五輪ピック観戦に忙しかったからなのですね。
夏枯れか、ヘルニアで動けないのか、鬱に陥っているのかと心配しておりました。
何よりです。
でも昼夜逆転はまた腰痛を呼びますよ。
ご自愛を。
1→オリンピック憲章違反だし、国威発揚したところで景気が上向く訳も無く意味無し。抽象的過ぎて、訳が分からない
2→G7構成国だし、世界第3位のGDPの経済を持つ国が、今更存在感のアピール不要。それでも不足なのは外交下手とアメリカのポチになっているせい。
3→政府と東京都で費用負担の押し付け合いで、何が経済効果だ。収支が黒字化どころか赤字必死な状況の見通しなのに。
4→東京にこれ以上開発が必要な場所なんてありません。
5→まあ、はっきり言って各種スポーツ団体へ回る金の大きさ次第。もっと言うと景気次第なのだが、低成長時代に日本は入ったので定着は厳しいと言わざるを得ない。
今のオリンピックの商業主義化は1984年のロサンゼルスオリンピックにルーツを持つが、この時、大儲けしたいい思い出を忘れられず、もっと大儲けしようと欲張った卑しい心の権化が今に至る、という感じ。
でも、企業広告やタイアップによる青天井と思われた資金も、オリンピック自体の肥大化と世界的な景気停滞あるは後退により、その資金では賄いきれなくなってきていて、ロスより前の、開催都市あるいは開催国政府の公的資金に頼る先祖返りの事態に陥っているのが現状。
このままだと、オリンピックが開催出来るのは相対的に資金調達し易い先進国だけになる。あわよくば高度経済成長を続けている国も可能性はあるが、該当するような経済に勢いのある国は無い(強いて挙げればインド?)。
抜本的な改革をしない限り、このままではアフリカ大陸でオリンピックを開催することなど永遠に無いかもしれない。
いつになったら辞めんねん、奴らの猿芝居の場を。
> オリンピックのうさんくささは、ナショナリズムだけが原因ではない。「パンとサーカス」という言葉を思いださせるからだ。
かつてのローマ帝国における愚民化政策の代名詞が、「パンとサーカス」だ。権力者は市民を愚民に貶めておく手立てとして「パンとサーカス」を提供した。
食料の配給は公衆の面前で物乞い行為に対する施しとして行われたという。そして、娯楽を求める市民の要求に応えて提供された見世物が「サーカス」。中でも剣闘士同士の闘いや、剣闘士と猛獣との闘いが人気を呼んだ。民衆はこのよう娯楽を十分に与える権力者を支持し従順となった。
現代のオリンピックも恰好の見世物。ヒトラーは1936年ベルリンオリンピックを最大限利用した。アベも小池も、このことを十分に意識しているに違いないのだ。
戦後占領軍は日本の統治に意識的に3S政策を組み込んだといわれる。スポーツ、スクリーン、セックス(またはスピード)。これも、民衆の社会的な自覚や、政治への関心から目を逸らせるための愚民策。オリンピックはこれと重なる。
繰り返すが、私はオリンピックを全面否定はしない。しかし、アベや小池の愚民化政策に乗せられて、政権批判を忘れて「パンとサーカス」に喜々とする市民になるのは、まっぴらご免だ。
http://article9.jp/wordpress/?p=7375
オリンピック=「政治への関心から目を反らせる愚民策」。
本当にその通りだ。
そして、今回もまたそれに乗せられてしまうのだろうか?
この前、テレビでオリンピックではメダルの名誉はその選手個人のものでありその選手がどの国に属しているなどは関係が無いという前提があり、そのため国がメダルの数を数えることに否定的なことがオリンピック憲章に書かれていると解説していた人がいましたが現実は違っています。
こんなことを放送して隠しておくべき本音が建前になってしまわないかと少し不安です。
今大会の開会式における入場行進で、日本は役員が先頭を歩き、選手は役員の後になっていたことに批判が出ている模様。選手団の解団式で橋本聖子選手団長がこの批判に対し色々反論をしたのだが、その中の一つに「日本以外にも役員が先頭で行進した国もあった」などと述べた。
おいおい、橋本聖子よ、何だよその言い訳。それじゃ自動車運転の取り締まりで、スピード違反で捕まった違反者がよく言う「他にもスピード違反している車があるじゃねえか!そっちは捕まえねえのかよ!」という言い訳と全く同じ理屈じゃねーか!現役時代は日本屈指のスケーターとしてブイブイ言わしていたくせに、国会議員になったとたん、何だその高飛車な態度は?
反論の歯切れが悪く、国会議員の典型例のような、主張が全く不明瞭な答弁だったのは、裏を返せば、批判に対して何の反論の余地も無い事を橋本本人も分かっていたから。選手としての栄光は、国会議員になるためだけの手段でしかなかったという良い例だね。
>本当にその通りだ。
オリンピック観戦に熱中して記事を書かなかった宮武先生へのアテツケは良くないですよ。
当てつけじゃないですよ〜だ、ぷん!
深読みしすぎ。
鳥越さんて、ネトウヨなの?
ハンドルネームが、いかにも、ってかんじ。 ぷん!