別府温泉ツアー

2022-12-13 09:24:44 | 旅行
同じホテルを基地とした長期滞在、といっても6泊7日だが、旅行に出かけた。国内旅行支援を利用した旅行商品から、別府温泉を選んだ。たいていの都道府県には地域クーポンもついているから、お得感があると錯覚させてくれる。コロナ禍で鬱屈感にさいなまされていた我々庶民には、国が行動規制を取っ払ってお墨付きを与えてくれたと自分の良心に言い訳しながらプラン選択を夢見るが、旅行代本体価格は、いつの間にかかなり値上がりしており、「でも、旅行支援があるのだから」と納得させる。デ、私たち2人は、足腰はじめ不調を訴えあうことを日課にしているようなところがあるから、湯治客をイメージして別府にしたのです

●最近の長期滞在型旅行
 ホテルは同じだが、ほったらかしてべったり温泉につかっていろ、というのではなく、観光客を飽きさせないよう、連日のようにバスを仕立てて 近隣観光地めぐりをする。そのプラニングの妙で差別化を図っている。(ただし入場料も旅行代金に含まれている)
 朝食はホテルのバイキングだが、昼食・夕食はついていない。その分は地域クーポンか自費というシステムとなっていた。夕食はホテルや駅前の店に行けばいいのだが、昼食は事前調査しておかないと困ることもある。観光客の常として、その街の有名店や名物を食したいものだが、集合時間までに間に合わせなければならない。また、コースにより出発時間が早い日は、朝食も早く済ませておく必要がある。6時40分のレストランオープンに併せて、朝から行列騒ぎになるときもある。
 この一文は温泉情報のはずだが、私の好みとしてつい食べ物の話になったので、いっそのこと食レポから始めるとしよう。。

● 食レポ ランキング ふうに

1位 別府駅前の宴では、観光案内に掲載されているような店は満員で断られることが多い。
目当ての店を断られてうろついて飛び込んだ店(豊後屋 竹かんむり 別 府市駅前町 池崎ビル2F)で、関あじ、関さばの入った造り盛り合わせ(¥1580)に出会えたのはラッキーでした。
そのうえ、(後述 地獄めぐり 参照)その時まで食べれず心残りだった温泉蒸し、地獄蒸しも注文できたし、大分特産九重椎茸のトリフバター焼きにもありつけた。

2位 情報誌に掲載されている「いづつ」は、地元でも人気店と思われるので、予約し、開店前には店の前にいた。新鮮なアジは入荷できず、関サバがあるというのでその定食を頼んだ。とれたてのしっかりした魚肉は、大阪で味わう鯖とは別物の感じがした。他の客の注文していた地魚等の定食もうまそうだった。
ただ、気になったのは、大分ではコロナ感染者も多くなく、行動規制を経験したことがないのか、多人数で食卓を囲み、乾杯のオンパレードが続いていたので、盃を重ねることなく退散した。
・2位おまけ この店のすぐ近くに和洋菓子店がある。もともとアンコの和菓子専門店だそうで、入手した菓子は、美味です。干菓子ならいいお土産になります。

・コスパ1位 昼食で味も良く、コスパがダントツのNo1の店に、なんとあの有名な湯布院で出くわした。「石窯ピッツァ奈ら~と」というお店である。湯布院は、韓国語とタイ語の飛び交う超混雑地であったが、たまたまピッツァ(以下ややこしいのでピザ)の文字が目に入り立ち寄った。ピザを食するのは久しぶりだ。メニューを見て、妻はオーソドックスなマルゲリータを、私も同じでは芸がないので「ビスマルク」というものを注文した。出された皿を見て、そして食べて少なからず 感動した。たっぷりの野菜と、4切れのローストビーフがついており、これが甘みのある肉の味で最 高。ピザには半熟卵が乗っており、崩してピザ本体と食べるのだそうだ。帰ってから調べてみたら、 かの鉄血宰相ビスマルクは焼肉のうえに半熟卵をのせて食べるのを好んだそうな・・ これに飲み物と、デザートにアイスクリームまでついて何と¥1550、これまた、ラッキーでした。

・変わり種 変わったところでは、⑧の豊後高田市は商店街が昭和の街並みとして有名なところであったが、 大した昭和の食堂は見つからず、有名なのは壺焼き芋らしい。それで焼き芋を買ったが、座る場所も見当たらず、歩きながらの買い食いをし始めたところ、甘酒と韓国コーヒーという変わった店を見つけた。焼き芋昼食とあいなった。昭和も我々も寂れたというのが実感!

●温泉 部門別ランキング風に
・庶民の温泉No1 竹瓦温泉
建物が歴史を感じさせる。道後温泉に負けちゃいない。かつての番台と思われる横の自販機で300円の入場券を買う。オカシイな?! 情報誌には100円と書いてあるが・・湯舟で出会ったよくしゃべるじいさんの話で疑問は解けた。確かに、観光客も100円の時代があったが、熊本大地震で、この銭javascript:void(0)湯も屋根などが壊れ、修理の必要性が出てきた。地元民が日常的に使用しているのに、長期間閉めてておれない。そこで、観光客からは300円取り出したということらしい。ホテルの近所にも公衆浴場があり、新しいな と思っていたが、これもその時にできたということである。ただ、入ってみると体洗いようのカランはない。湯舟が深くて、足の不自由な私には、結構きつい湯であった。風呂上がりの帳場の自販機には、コーヒー牛乳や最終日の前日フリータイムでまたこの辺りを通った。もう一つ有名なのは砂風呂があることで、受付で聞いてみると次のサイクルで入れるとのこと。初めて挑戦した。素裸で浴衣に着替え、眼鏡・タオル・飲料水だけ別の物入れにおく。10人分くらいの人型が掘られた砂に木の枕をおいて横たわる。係員が砂をかけてくれるのだが、胸や腹の上は結構キツイ。圧迫感がすごいのだ。やがて熱くなってくる。「熱くなりすぎたと思ったら腕や足は出してもいい」との係員の注意に素直に従う。目線移動で横のじいさんを見たら額に凄い汗。係員が親切にも、タオルで汗をふき取っていフルーツ牛乳があり、懐かしく昔を思い出した。外に出た横丁の路地は、木造のアーケードとしては日本一古いということであり、崩れてこないかと心配しながらも、記念に通って帰った。

 最終日の前日フリータイムでまたこの辺りを通った。もう一つ有名なのは砂風呂があることで、受付で聞いてみると次のサイクルで入れるとのこと。初めて挑戦した。素裸で浴衣に着替え、眼鏡・タオル・飲料水だけ別の物入れにおく。10人分くらいの人型が掘られた砂に木の枕をおいて横たわる。係員が砂をかけてくれるのだが、胸や腹の上は結構キツイ。圧迫感がすごいのだ。やがて熱くなってくる。「熱くなりすぎたと思ったら腕や足は出してもいい」との係員の注意に素直に従う。目線移動で横のじいさんを見たら額に凄い汗。係員が親切にも、タオルで汗をふき取っていたが、剥げている頭も拭いていた。プレッシャーに弱い私としては、早く終わりたい。「あとどれくらい」「2分」 まあそれなら我慢できる。全身に積まれた砂をどけ立ち上がろうとするが、うまく立てない。人の間を通って出たいのだが、足がなかなか動かず、係員に手を引いてもらって何とかシャワー、洗い場で砂を落としたが、まあ体験しただけで、二度目は希望しない。

・多彩で楽しい温泉 No1 湯快リゾート風月ー夢たから筥(500円)
 夕刻に帰路集合の最終日、いろいろな温泉を体験しておこうと有名ホテルに行く計画をしたが、シャトルバスの運転手が改築中と告げてくれた。会話を聞きつけた客が勧めてくれたのがスーパー銭湯。鉄輪のバスセンターからも遠くないとのこと。低周波風呂、滝状の打たせ湯、ヒノキの風呂、ジェット風呂となずけたジャグジー等々。私はうまくいかなかったのだが、妻は箱風呂がおもしろかったという。観音開きの扉を開け首だけ出してこちら向きに座る。ギロチンで上半身を前に折るのではなく垂直にしたままでいると、蒸気が噴出してきて個室サウナができあがるという次第。無料のジュースを飲みながら、宇宙空間にいるきにさせるというマッサージ器で癒され至福の時間を持てた。お奨めです。

・なんとなく薬効があるような気にさせる温泉No1  別府温泉保養ランド 泥風呂(1500円)
 鉄輪ー海地獄下の次、紺屋地獄のバス停を降りる。別府八湯の一つに数えられる古くからの明礬温泉。いろんな効能があると九州大医学部も分析している。ツアーでお知り合いになった先輩夫婦(80歳を少しまわったくらいか?)から「この施設に来るのは3回目。泥の中から熱い蒸気が上がってくるので、足をサッと動かさなければならない」と入浴のコツを聞く。効きそうだと期待する。ところが浸かってみたが、底の泥はあまり少なかった。知り合いの爺さんが「今年は泥が少ない、去年はもっとあった」という。二人の声を聞きつけたのか、奥さんが「泥少ないわね」と話しながら板塀の向こうから姿を見せる。板で間仕切りをしているが、混浴!!なのです。パンフレットにも明記されている。奥さんの上半身を見てしまった‼ 何気ない風を装って、さらに奥の泥湯のほうに向かう。、底の泥を足にこすりつけながら、かなり長い時間浸っていた。温泉の効用というより、いやあ眼福?!眼福?!

・地獄めぐりについて
 別府に来たら地獄めぐりが欠かせない、というのが観光客の常識のようだ。上記の保養ランドからバスで一駅の「海地獄下」まで歩き、そのまま入口に向かった。「一人400円。10近い地獄をめぐっていくのなら5か所分の2000円、どちらにします?」 とりあえず400円で入場する。なるほど、凄くきれいなオーシャンブルーをたたえた池に、引いてきたパイプから噴煙が立ち上がる。「うーん」 足湯もあってそれも体験。
そこを出て隣の血の池地獄を外からのぞき外から撮影すれば、湯の色が違う。「うーん」 
 分かった。ガイドブックの写真でいけそう。
駅前から専用の地獄めぐりバスなら3900円もするそうナ。腹が減ったので、その分温泉地獄蒸しを豪華に、との目論見は2時間待ちと聞いて、ポシャッテしまいました。空きっ腹抱えて、駅前に着くまでのバスの遠いこと。空腹地獄でした

・期待外れNo1 長湯温泉のラムネ温泉(500円)
内湯から露天にでてみると風強く湯も冷たい。吹き出し口に近づけば、少しはましだろうが、寒い! 炭酸ガスが体の表面に付着し、細かな泡で覆われるが、それがどうした、寒いんじゃ!

●バスツアーに関して 
初日は集合し、新幹線 小倉ー日豊線 別府 ホテル
2日目 ①原尻の滝 ②豊後竹田城跡、③長湯温泉 希望者はラムネ温泉まで引率(昼食)→ホテル
3日目 ④日田市豆田町 ⑤九重夢大吊橋 ⑥湯布院散策(昼食)→ホテル
4日目 ⑦宇佐神宮 ⑧豊後高田市(昼食)⑨富貴寺 ⑩熊野摩崖仏→ホテル
5日目 フリー(上記別府観光保養ランドー地獄めぐり
6日目 午前中 ⑪臼杵大仏めぐり→ホテル 午後フリー 
7日目 チェックアウト 集合時間までフリー 湯快ガーデン 夢たから筥(はこ)

・何といっても涙なくして語りえぬ道No1 ⑩熊野摩崖仏
 ⑪の臼杵大仏もそうだが、山間の崖に彫りつけられた仏像が大分県の有名観光地になっている。半世紀以上も前、九州への一人旅行を行い、臼杵大仏を訪れた記憶がある。保護する建物に守られ、立派な観光地になっていて、驚いた。
 
 熊野摩崖仏は初めてであったが、そこまでの道筋が大変であった。
 私は、4年前帯状疱疹に苦しみ、予後もよくなくて疼痛が続いたうえ、加えて2年ほど前から脊柱管の異常による足のしびれ、右膝への痛みに悩まされている。正座やジャンプができないうえ、階段の下りに難渋している。病院に行けばいいのにと言われるだろう。行きましたヨ! 26年前の脳動脈瘤切除のオペで、MRIは一生厳禁と言われた。遡ってその病院まで問い合わせたが20年以上たったカルテは廃棄されていたので、病院の医師も腰痛ストレッチと血行改善の投薬でお手上げ状態。かくて、サブ3のフルマラソン完走者の成れの果てが、ジョギングもできぬ体たらくになってしまった。
 それでも妻に見守られながら、チャレンジ。登りはまだよい。10mほど先の、太って体力なさそうな夫婦を目標に頑張れる。片手に登り口で借りた杖、片手で手すりの鉄柵つかみ、4点歩行で摩崖仏に着いた。大日如来像と不動明王像へお挨拶もそこそこに戻る。私にとって下りのほうが難物。リズム感とバランス感覚が昔通りならヒョイ、ヒョイと行けそうなのだが、浮石に足を取られた日には旅行中断になりかねない。もっと眺望の良い上まで行った同じツアー仲間が「ガンバッテ」と声をかけて追い抜いて行く。妻は、何メートルか先を歩いている。ありがたいものだ。転落しかけたら、支えてくれる覚悟なのだろう?!。それとも・・・なんどと ばかなことを考えている場合ではない。何とか、何とか、出発予定時間には間に合いました。バスに戻ると、温かい眼差しの人と、そうでない人が・・ ハイ、ホテルに向け出発進行。

・ 期待外れは ⑤九重夢大吊橋 吊り橋の海抜としては173m(長さ190m)で日本一高いというだけで、コンクリートの頑丈な橋(長さ390m)。祖谷のかずら橋みたいなものと、こっちが勝手に思い込んでいただけ。期待外れというより事前調査不足。

・ あと残念なのは④豆田町、朝が早すぎて開いているお店が少ない。国重要文化財の草野本家は開館前。仕方なく開いていた赤司という羊羹屋、帰って食べてみたら美味しい、お薦めの一品。9時になり開いた天領ひな御殿を見るも、今度は集合時間まで間がない。見事で、多くのお雛様に目を奪われたのに・・。

・ ⑦宇佐神宮は、祭神が3人もおられて、一之御殿は八幡大神、二之御殿は比売大神、三之御殿は神宮皇后が祀られており、各御殿は連なり、横から見ればM字に見える特徴的なもの。なので、賽銭箱も三つあり、100円玉では足らないことを覚悟しなければならない。このうち、一之御殿の八幡大神とは、わが町羽曳野は誉田八幡宮にまします応神天皇を指す。

ということで、あるツアー客の独断的別府温泉ツアーの筆をおきます。






再び レダック Go Toに乗っかる

2020-11-09 15:05:10 | 旅行
「Go Toに乗っかる」の第2弾です。
Go to travel にはもう一つ予約していた。前回はトマムのリゾートを楽しむという目的であった(実際には運に見放されそうならなかった)が、今回は、岩手県は八幡平(はちまんだいら ではない、はちまんたい と読む)のホテルを拠点に、東北の観光地を日帰りバス旅行でめぐるという企画、言ってみればベースキャンプ方式である。募集名は「八幡平に抱かれてのんびり温泉リゾートで長期滞在7日間」。なんと素敵なうたい文句! 9月10月はキャンセル待ちの状況。ところが、コロナ禍の影響で、どっとキャンセルが出たので、我々は10月の最終日に申し込んだのである。移動はバス、3日間同じ運転手、添乗員なので親しみも沸くし迷わない。これだと、移動の度に荷物を整理し、ガラガラとスーツケースを響かせて回るというしんどさがない、ということで、未だ足の不自由さを克服できてない私にとってはありがたい。
 また、第2波から第3波の不気味な再流行の兆しを見せるコロナ禍を避けるという意味では、長らく感染者を出していなかった岩手県は非コロナの優秀県である。避暑があるなら避(非?)コロナの旅だってありうる。2回も続けば旅行費用も大変だが、どうせ葬式もやるつもりもなければお墓に入ったり作る気もないし、子孫のために残すような美田といえば築40年の我が家だけなら、自分のために使い切る気でおる。かくて、ホテルに直送した荷物以外を詰めた軽いスーツケースとリュックだけで伊丹空港向け出発!

八幡平 ホテル
八幡平は、岩手県・秋田県にまたがる国立公園で、奥羽山脈北部に火山によってできた。標高1614mとか。山歩き、トレッキングを楽しめる。
ホテル周辺は県民の森で、スキーもでき、温泉境としても有名だ。
建築業界の資本がたてたこのホテルからは岩手山*を一望できる。露天風呂ももつ温泉リゾートホテルである。しかしここもコロナ禍のせいか、何面もあるテニスコートには草だけでなく低木も見られる。

*私は行く直前まで青森県の「お岩木山」と混同していた。松村和子のヒット曲「帰って来いよ」の影響大である。標高2038mとか。石川啄木が「ふるさとの 山に向かいていうことなし ふるさとの山はありがたきかな」と詠んだ山がコレ! 盛岡市内から遠望した岩手山


●コース
① 初日 伊丹→仙台空港→八幡平ホテル(約250Km 距離は旅行社による 以下同じ)
岩手県には花巻空港もあるようだが、仙台空港に到着。私は3回この空港を使った。
陸前高田市の農業ボランティアに参加するためには、LCCのピーチがキャンペーンで割安運賃を実施した時に利用したのだ。陸前高田には東北新幹線か長距離バスで行くのだが、いずれにしてもJR仙台駅に行く必要がある。これが不便、かなり電車に乗らなければならない。今回はシャトルバスでホテルに直行と思いきや、やはり仙台駅で鉄道利用の客を拾う。なんとこのプログラムにはバス3台分、1台30人弱載せているから、80人以上が参加していることになる。伊丹発以外にも、九州や東海、北海道からも来ているらしく、その人々はJR使用なのだ。
車窓から景色を見ると、いやでも大地震のことを想起する。津波がここまできたという標示が道路わきにあったり、仮設住宅と思しき家々もあったりする。驚いたのは、仙台からかなり離れても、道路工事がいたるところで行われていることだ。盛土と道路建設がまだまだ続いてるさまは壮観だ。
ホテル周辺までついたのは17時ころで、もう日没後。暗くてあたりの様子は分からないままだった。部屋の広さは十分、風呂に行くと確かに温泉、痛めている足が喜んでいるようだ。屋外の露天風呂にも浸かった。極楽、極楽!

② 2日目 奥入瀬・十和田湖コース(260Km)
チャーターバスで9時出発。前日、暗くて見えなかった周辺の自然に思わず、「ホー」という声があちこちから漏れる。白樺の並木を通り過ぎ、今が盛りと紅葉・黄葉の錦。私は無粋な男で、自然に感動、なんていう経験はあまりない、特に国内では・・。しかし、これは素晴らしいと素直に思った。ブナなどの広葉樹も多いせいか黄色が 主力、その中での紅葉は一段と鮮やかである。
奥入瀬渓流に入ると、車が渋滞し、ハイカーで一杯。今でこの人並みなら土日の込み具合はいかほどだろう。道中、右に左に滝が現れる。
愛知県出身という添乗員の明るい声でなく、男性の声が聞こえる。地元の運転手さんが見えた滝、次に現れる滝の名前や説明をしてくれているのだ。ガイドを兼務しているような大活躍。その傍ら、大型のバスと行きかうたびに、うまく車をさばく。わずかなスペースを見出して、私たちを降車させてくれて、渓流歩きを可能にしてくれた。
 その一部がこれ!

次いで、十和田湖へ。
発荷峠(面白い名前なので、運転手さんに聞くと、このあたりで薄荷が取れたから、という単純な理由らしい)から十和田湖を上から眺め、十和田湖畔に着く。昼食会場になっている店で「きりたんぽ鍋定食」を食す。うまくない。きりたんぽには手を出さないと決意。後、自由行動で妻と湖畔を歩く。残り時間から考えるとやや厳しいが、ここまで来たからには「乙女の像」を見よう。高村光太郎のブロンズ像にたどり着いた。思ったよりも大きなものだった。帰り道、妻は店を見たいと言ったが、こちらは青息吐息、来た湖畔沿いに帰ることにした。
ところがこれが大間違い。「無い!」 食事した店も、その前に駐車しているバスも「無い!」 行き過ぎて通りを間違えたかと思って戻るも「無い!」。・・
集合時間は迫ってくる。昨日充電を忘れた携帯電話など役立たぬ(バカだねえ)。バス切符を売っている店で聞くと、通り過ぎたのではなく、もう2本ほど先の通りだと教えてもらう。あと1分だ。必死で駆けようと思ったら、妻が探しに来てくれて、何とかセーフ、というのが、今回の最大のミスでした。
帰り道にはりんご園が組み込まれていました。ここは、いわゆる地域振興券 クーポン券が使える。私も皆さんも、競うようにして、自宅や土産物として注文―発送する。
も旅行費用の35%という大きな額ですし、この旅行中に使い切らなければたたの紙切れと化すため、必死で使いまくらなければなりません。おまけにこの店では3千円お買い上げに対して1回抽選できるという射幸心あおるような罠まで仕掛けられています。もちろんマ、当たっても何百円かの乾燥させた昆布とか海藻、スカはクッキー一つ。驚いたのはお客さんの1人が16回分の抽選、ナ、ナント、りんごに16×3.000=48.000円も・・・。帰って果物屋するんかい!まあ好き好きだけどね、リンゴに5万円近く・・ こういう具合に地域振興券の消費行動に駆り立てる威力というのは驚くべきものだと感心しました。

③ 3日目は、今まで3台で行動していたグループが1号車対2.3号車に分かれたコースになりました。我々2号車組は<浄土が浜→北山崎コース>(約360Km)
我々は、4年前の東北ツアーに夫婦で参加しており、すでに観光はすんでいましたので、それほど興味は無かったのですが、事前に予約してある昼の弁当を無駄にしないため、バスに揺られることにしました。浄土ヶ浜は、何か様子が違う。海鳥、ゴメが静かすぎる。観光客が誰もせんべいを買って撒こうとしないからです。することもないので暫く海を見ていますと、沖合に遊覧船が見え、そこにはゴメがむらがっていました。何のことは無い。我々のツアー仲間は渋ちんばかりというにすぎませんでした。ついで北山崎で見学しました
が、特記事項なし。楽しみは明日。

④ 4日目 白神山地散策 五能線にも乗車(約390Km)
このツアーへの応募に妻が熱心だったのは、このプログラムが組み込まれていたからこそと言えます。このプログラムの味噌は、12時〇分に「あきた白神駅」を発車する五能線に乗り遅れないことです。そのために、東北自動車道を鹿角まで北上し今度はひたすら西に向かい大館市の大館能代空港に立ち寄った。トイレ休憩する道の駅が空港の中にあるという、とっても珍しいところ。おまけにシンボルの秋田犬を連れて保存会の人々も迎えてくれていたのは嬉しい。
困ったのは昼食。駅周辺の駐車場で、事前にこれも予約した弁当を受け取り、駅舎や土産物屋の椅子・テーブルを借りて食した(まずい、旅行社さん、弁当業者替えたらどう?)。
五能線の車両は1両または2両で、手動でのドアの開閉だそうだ。旅行社が必死に掛け合って臨時列車を仕立てたのだろう。狭いホームに2台分の客―50数名がひしめき合っている。来た来た! かわいい車両2両だ。我先に乗り込む。十分に席を確保できるが、しまった!日本海は進行方向の右側だ。カメラや携帯をもっておじいさん、おばあさんが行きかう。景勝地では、電車を止めたり超スローで走らせてくれている。JRもサービスに必死だな。40分ほどで十二湖駅に着く。
いよいよ白神山地の散策だ。といっても山だから、坂もある。持参したポールを初めて使う。ネットではブナは200年くらい生きていると書かれていたが、見上げてても分からないほどの高さのブナの樹齢ってどうなんだろう。それも、注目の一本ではなく、次々と出会う。ウーン((+_+))凄い。携帯をかざしても全貌をとらえきることはできない。どんどんグループから遅れていく。我々の仲間が足を止め説明に聞き入っている。沸壺の池というらしい。このような池が12あるので、十二湖とか。また人のたまっている所にきた。これがかの有名な青池らしい。神秘的な青と噂されている。確かに深いが明澄な

最後はヨタヨタしながらキョロロという休憩所・食堂に着く。やはりソフトクリームでしょうね、ここは。「おーい、お母さん、ついでにみたらし団子まで買うなよ」 バス内飲食禁止とて、必死でほおばり帰路についた。バス席について周りを見渡して、自分の衰えを痛感した。ちょっとブルーな気分になる。

⑤ 5・6日目 10時発―盛岡発14時 実質3時間の盛岡観光(約50Km)
5日目は、これまで難しいと思われていた八幡平頂上付近散策のためのアスピート・ラインが今日は使えるという連絡が朝行われた。しかし、頂上付近の寒さは厳しく、避難できるレストハウスも閉店と言う。私たち二人は連日の疲れもたまってきたし、昨日の散策で体力の自信も薄れていたので、安全策をとって、盛岡までのシャトルバスを希望した。
盛岡では、旅行の前、辰野金吾設計の建築についての読み物に目を通していたので、まずそちらを見よう、岩手銀行赤レンガ館に行こう。「でんでんむし」という1乗り100円のコミュニティーバスに乗る。同じ仲間も数人いる。結構乗りでがあった。東京駅も彼の設計で外壁の赤レンガの渋い赤茶色も見事だが、入場料300円を払って内部も見る。デザイン的に美しいものだし、さすがに銀行だけあって、間仕切壁の厚さに驚いたりした。


その辺りの散策をしようと中津川の橋、城跡を越え駅に向かい昼食、買物店を探す。が、これが結構きつい。半時間かかってしまった。「でんでんむし」に乗ったら良かった。おかげで、グルメの店も探せぬままに、飛び込んだ蕎麦屋で昼食と相成った。マ、明日も全員盛岡観光だから、土産物に当たりをつけておこう。地域振興券はまだまだある。
15時にはホテルに戻れたし、天候もいいので、ホテル周辺を散策した。八幡平頂上に登った人達は、大変だったようだ。あられ雹に降られ、遊歩道を1周して早々に引き上げたそうだ。「冬を体感できた」と負け惜しみ。私たちは寒さに悲鳴を上げることなく、このあたりで美しい自然を満喫できた。国立公園の一部だけに手入れもされていて、木工館があったので入り込み、素朴な木工細工を眺めたりもした。
6日目、昨日に続き2回目の盛岡。この日は、宮沢賢治や石川啄木にゆかりの地を訪ねてみよう。駅から徒歩10分ほどの材木町という辺りに、光源社や石造の宮沢賢治のセロがあるという。光源社そのものは陶器等の土産物店になっておりちょっと見程度、隣の資料館の方が見るべきものもある。コーヒー喫茶「可否館」が隣接しているが、一杯だったのでスルー。外に出て石造の賢治(マスクをしていた←注文の多い観光客 のせい??)、セロなどを見る。個人的には、宮沢賢治への関心はほとんどないので、これはこれで・・石川啄木の記念碑等も結局訪れないまま。それより、「でんでんむし」の時間に合わないので、こりずにまたまた北上河畔を歩く。川沿いにいくつかのお店があったのが面白い。 
駅前に戻り、そろそろ昼タイム。焼肉・盛岡冷麺で有名な「ぴょんぴょん舎」の店前にはすでに何人か待っている。隣の店の店員が地域振興券も使えると誘う。メニューを見れば、釜飯が色々ありそうだ。最初通された座席から、「こちらへどうぞ」と通された奥の席は個室のようになっていった。昼食の近所の者は回転を良くし、観光客風には時間をかけて注文させようという魂胆か?! 釜飯には副菜2種もついておりお得感がある。妻はアナゴ釜飯、私はホタテ釜飯とお酒1本を注文。選べる副菜にマグロのつくりもついているんですモン。そして皆さんに唯一有益情報を提供できる時が来ました。このアナゴが素晴らしい。大阪では見たことのない厚み。うまい。夜の時間帯なら、1本2千円で燻製も注文できるそうな。お土産に持って帰りたかったが、昼間は用意できないとのこと。残念! それほど美味しいのデース。
 クーポン券を使い切るため、私も地酒を買った。こんなの初めて。糖尿病予備軍と医者から注意されており残りの人生、酒とともに、などと言う気はないのだが、これしか思いつかない。これほど、クーポン券の消費意欲喚起の仕掛けはなかろう。

● グルメ
昼食については各コースのところで触れているように、予約した以上食べざるをえない、というだけのもの。
ホテル食の朝と晩で大違い。朝食は、最上階のレストランで、大きなガラス張りから見える外の景色は、身近に岩手山、周辺の山々、植生、とても素晴らしい。また、小岩井牧場からの牛乳はもとより、和洋両方ともおいしい。バターなど、買って帰りたいくらい。大満足です。
ところが2階のメイン・ダイニング場は、毎日バイキングなので、2日目くらいまではいいのですが、3日目には飽きがきはじめ、4日目には「またか」。カニの足、小皿に3つのすし、自分で作る一人鍋などいろんなお惣菜があるのだが、こう毎日だと代わり映えがしない。もちろんそれなりの工夫はされているようで、「今日の献立」というのもあるが大した違いはない。なので、5日目は私たちは、まだ行ってないホテル内の居酒屋に行く。「お客さんは、6連泊の団体の方ですか」と聞いてくる。「そうです」と答えると、なんとも気の毒そうな顔つきになった。「ア、知ってるな」

● 最終日、仙台空港へ向かうバスの中で、アンケートが配布された。ガイドを兼務の運転手さんと、明るく「カメムシ」の話題で盛り上げてくれる添乗員さんはよくやっていただいた。不満は2点、一つは食事内容である、再説は必要なかろう。もう一つはベースキャンプ方式のスケジュールであろうか。毎日300Km以上のバス乗車で、行先のバラエティがもっとあってほしかった。われらの2号車は28人中、熟年夫婦が10組ほどであったせいか、車中でのおしゃべりや、添乗員さんの説明や笑いを取るところでのノリも少なくホント静かな車中でした。コロナ対策で大変でしょうが、旅行社の一層の工夫した企画に期待したい。(といっても、帰阪してみると、第3次を迎えるかもしれないコロナ再拡大のきざしに、おののくばかりですが・・) 


 

レダック Go Toに乗っかる 

2020-10-08 14:59:58 | 旅行
レダック旅行記は、事実上絶筆の状態で、ブログを覗きに来られた読者諸氏には不義理し続けている。そこへもってきて、このコロナ禍。いまだ収束していないところへ、政府が音頭をとってGo To○○騒ぎ。私は、後期高齢者の仲間入りの直前、ガンコ爺さんになってきて、物事を斜めに見がちな日々この頃ではあるが、この機会を逃せば、もう二度と旅行記を書くことも叶わないだろうと思いいたった次第。もちろん、一人で行くわけない。そこは、それ、旅行好きの妻が、Go Toの宣伝を丹念にチェックし申し込んだもの。それでも、再拡大の恐れが強い時期はいったんキャンセルし、別の北海道トマムのプランに応募したもの。
妻のプランに乗り気だったのは、トマムは哀しい思い出の地だからです。今を去る31年前の1989年、長兄の長男がこのトマムで事故死しました。当時大学生だった彼は、バイクでツーリングの途中、トマムのホテルでアルバイトをしていました。夜半に従業地のホテルから従業員寮へ帰ろうとして、暗い下り坂の途中の橋のところで事故ってしまいました。翌早朝、橋を通った人が下の小川にバイクと彼の遺体を見つけたそうです。知らせを受けた兄夫婦は驚愕し、私にも同行してほしい旨、電話してきました。私も驚きながら現地の遺体の置かれている寺へ駆けつけ、チャーター機でお棺とともに帰阪し、あわただしくも葬儀をしたのですが、31年も経ってしまった今、記憶は薄れてきていた。しかし旅行計画を聞いた時は積極的に賛成したのです。


時は9月27日~30日、10月1日からの東京都の参入前、混雑を避けるという思惑も、結局は捕らぬ狸の皮算用に終わりました。

● ホテル
旅行先は北海道はトマム、あの星野グループの有名なリゾート地の一つ。2棟毎のタワーや
リゾナーレ・トマムが、まさに北海道の原野のランドマーク群のように、「ドヤ」という顔つきで聳え立っています。私たちは、いかに経済的に旅行して美味しいグルメを味わうかということを重視しているので、こんなホテルに泊まるのは、私事旅行では初めて。入室すれば広いリビング、広い寝室、トイレは二つづつ、そして、リビングの横の扉を開けると「なんということでしょう」!直径は2mもあろうかという広い円形の浴室、スイッチを押せば、ジャクジ―となり波がくる。おまけにもう一つのスイッチは青い光に(何のため?)。体を洗うためにのシャワー室も、さらに1.5㎡もないがサウナ室まであり、確かに時間予約設定をすれば60℃くらいにはなる。通常の旅館では経験できない。
 こういったゴージャスさがGo Toの売りなんでしょうね。コロナ禍の鬱屈をたまにはパーっとはらしたらいいんじゃない。この策は当たったのではないでしょうか。

● 雲海
トマムの一番のセールスポイントは、日の出とともに湧き上がる?忍び寄る?雲海。もちろん、妻も「雲海を見たい」と叫んでおります。千歳空港からレンタカーで、途中道を間違えながら*もたどりついた翌日、早朝4時起き、4時半ホテル発のゴンドラ乗り場行きバス🚌 はすでに満員でした。
 (*道東道に乗り損ね、行き止まりをターンしたら道の駅、東に向かうのに南行してた。北海道の表示と言うのはほんと分かりにくい)
 リゾート内循環場所は無料、ゴンドラ料金もホテルでチケットをくれるので、すでに多くの客が並んでいる。霧雨が降っており、かなり冷えるのでセーターを着こんで、従容と待つ。私は待つのが嫌いで、食事処でも、待ってまで食べたいというのは性に合わない。それでも、ここではそんなことは言っておれない。10分ほどで、ゴンドラ乗り場の建物の中に。ゲゲ・・これも何重にも列を折り返した人々の群れ。半時間くらいでやっと乗り込むことができました。乗車券を購入すれば1900円のようですが、これは乗りがいがある。12、3分かかるが、トマム山の頂上まで連れて行ってくれる。雲海はホテルの反対側の盆地に発生するからだ。降りても寒い、霧雨は激しくなっている。テラスに多くの人がいるが、ご来光を眺めるどころではない。ましてや、雲海を見たという感激にはほど遠い。というより、もっと上空から見れば、この霧雨状の状態も雲海なのかもしれない。そこそこに帰りのゴンドラに乗った。
翌朝、4時起きはヤメ。体がもたない。ご来光には間に合わないとしても、ホテルに乗り付けたレンタカーでゴンドラ駅に向かう。ところが、である。このあたりのはず、その道が分からない。バスで一度向かっただけだが、記憶では、こちらの方角でなくてはならないと思うのだが、建物で行き止まり、その道が無い。つい300mほど前の案内標識には「ゴンドラ駅」もあったのに、分からない。何回か同じ道を行ったり来たりしていたが、空き地に車を入れ、彼方に盆地からはみ出た雲海の頭の部分だけ望見する。感動などない。
次の日はチェックアウトなので、諦めた。雲海を見るのも「運かい?」とダジャレの一言で、観光の目玉抜きの旅行とあいなった。アーそれから、10月1日からの本格的Go Toの皆さーん、10月からはゴンドラは運航しないそうですよ・・せめてものイヤミ!

● グルメ
ありつくまでが大変。このGoToプランは朝食付きで、これが星野グループの誇るレストランでのグルメ。期待は高まる!!! 従って希望者殺到なので朝食については予約制。それも前日ではとれるかどうか分からないほど。2日目に気づいた次第。それはそれで充実していましたが、予約時間は無視できないし・・雲海も気になるし・・ 
デ、昼食と夕食、これを探し当てるのがまた一苦労。ホテルのレストランにもお店があるが、ご想像の通り結構なお値段。外のお店には周回バスで行くか、林間歩道を歩いていくか。予約制でない店は例外なく行列。最初の夜は、ガイドを見て居酒屋風の店に行き、刺身や焼魚を堪能できたが、入店までに40分かかった。昼は昼で、70代の老人が肉や刺身ばかり食べれるわけでないので、軽めのホタル・ストリートの店を物色。10軒ほどの小洒落た店が、点在するが12時開店なので、ラーメン屋などはその前から2グループほどが群がっている。持ち帰りの店もあり、注文した(あまりお勧めできないが・・)。3日目なんどは、道の駅の観光がてらに昼食を当て込んでいったが、何と火曜日は休み。なんとついてない。

● 故人を偲ぶ
冒頭の事故死した甥が倒れていた小川はどこだったか? なかなか分からない。当時はスキー場で有名であったが、こんなド派手なタワーやリゾナーレホテルなど、ドカドカあったか知らん?! ランチする所を捜してホタル・ストリートを下り、タワー内部に入りました。売店があったので、トマムの写真はがきとお土産のお菓子を買いました。
しかし、ほとんど記憶にはない。そのまま通路を突き進んでいくと「ビュッフェ ダイニング ハル」というレストランに行き当たりましたが、これも建物の中。明らかにタワーとは別で、どうやら「アルファリゾート トマム」と表示していました。甥のお導きとまでは思いませんでしたが、アー多分こちらだったという勘が働きました。そのレストランは、朝と予約制の夜だけですが、案内役の人がいましたので、30年前のこともいくつか質問しました。建物の外に出て、小川を探しましたが、それはなかなか見つからず、せめてもの記念?に祈念しながら、写真を撮ったものがコレ!

● その他
気球遊びができる。
アウトドアセンター、ファームエリアがあるので、子ども連れ家族は楽しく遊べるでしょう。

レダック ピースボートに乗る

2014-04-03 19:33:16 | 旅行
辻元清美らのすなるピースボートというものに我も乗ってみむとて、申し込むなり。
2014年3月13日の時に横浜船出の船が、内覧会のため前年10月に神戸の港に来るとて見に行く。
冷やかし気分で行きたるも、勧誘によろめき 仮申し込み すなり。そのよし、いささかものに書きつく。
 レダック通信を無理やり読ませられてきた皆さん、そして新たにこのブログを読まれる皆さん、こんにちわ。ついにレダック紀行をブログにします。ようこそ!
 私レダックは、教員リタイア後、民間企業の海外・帰国子女教育の相談員を経て、暫時休憩後、非常勤でNPO団体職員をこの3月末までやっていた。2013年10月ころだったろうか、オーシャン・ドリーム号という船の内覧会に妻に連れて行かれる。後学のため程度の気分だったが、まんまと勧誘にはまってしまった。横浜発着のフル船旅1周計画なら百日越えでかつ3月出発なら非常勤とはいえ仕事をやめなければならぬ。ところが、飛行機で船を追っかけて行き合流するという、フライト&クルーズのパタンもあると知った。このプランなら、4月6日飛行機で出発、ドバイ経由でヨルダンから合流ということになる。妻はアジアには何度も行っており、しかも、100日でなく80日と言われれば、グラッと傾いてしまったのだ。後は一直線、費用も払い込み、オプションのツアーに申込みしているうちに、お仕事も3月末で終わり。今は準備に大わらわ。何が大変か!
 コースはおいおい紹介するが、地中海―大西洋―太平洋のクルージング、おまけにマチュピチュなど高山を含むから、春先の服装から夏、そして寒さ対策ト、服装―荷物対策に悩まされる。下着は何セット?山はどうする?船内のジムやプールも使う? 行きはフライトだから、持参できる荷物も限られてる。
 二つ目は、身体そのもののメンテだ。50歳で脳動脈瘤オペをやり、以来降圧剤は一生欠かせぬ。今は90日分薬が出るようになって助かっている。もう一つ困るのは近年前立腺肥大で昼夜とわずオシッコに悩まされている。オプションツアーでは3~4時間の行程もある。
ニュージーランドのバスツアーで、えも言えぬ苦しさを味わったことを繰り返したくない。それで泌尿器科に通いだし、やっと薬の効果が出始めたかなあーという段階だが、副作用で口内・咽喉まで乾燥が激しく、ために高音が出なくなり(マ、加齢による声帯の劣化のせいもあるが)市民ゴスペルの会もやめざるをえなくなった。
 三つ目は、海上生活だから、ブログがいつでもできるわけではない。おまけにこの種の扱いは、おじいさんだから、心もとない。これで、第2信を送信できずに終わったらゴメンネ!!