今度のベトナム旅行はダナンなんだ その1
例によって、旅行業者HISの広告を見ていた妻が「お父さん、これ安い」と示したのがベトナム中部ダナン4泊5日旅行費用4万円台の旅だった。この夏から関空発着の直行便が開始されたという。もちろんLCCでジェットスター、飛行機代とホテル料金のみで、あとは全くのフリープランなので5万円以上かかることになるが、基本料金一日当たり1万円前後なら、我が家の旅行方針に合致する(安ければいいというものではない。「てるみくらぶ」の広告は安すぎておかしいと話していたら、案の定だった)。というわけで即決!
出発は2017年10月30日(~11月3日)。皆さまご存知のように、珍しくも秋の盛り、それも2週続きの台風21号22号騒ぎで、催行されるのか大いに気をもんだ。さらに現地に着くと、ダナンでAPECが開催される直前(実際11月6日~)とかで、要人・各国政府関係者の宿泊所と思しき高級ホテルは警察官がつめかけ、警護の車が通るときは占有されておった。さらに気がかりなのは天候、雨季に入りかけの時期ではあるが、そう大したことも無かろうと水着まで持っていったのだが・・甘かった。現地到着の10月30日と31日は台風まがいの強風も伴う雨で、めげてしまった二人でした。
◎二人のベトナム体験
私らアラコキ(around古希)の世代にとって、ベトナムという国は、学生の頃のベトナム戦争、「べ平連」運動などをあり、外国の中ではそれなりに身近な国であった。圧倒的な軍事力をもつ米軍が、ベトコンを掃討するため空爆により密林をナパーム弾で焼き尽くし、枯葉剤などの化学兵器を使用したりしたことに対する、ベトナム反戦運動の盛り上がりを経験した世代だ。しかし、近代兵器を駆使する米軍に屈することなく、地下トンネルからのゲリラ攻撃や、一丁の銃で米軍機を打ち落とすという伝説が生まれるほどベトコンは強かった。ついに、世界の常識を覆し米軍を放逐したという報道に接した時、私たちの胸は熱くなったものだ。
しかし、有名になった「ベトちゃんドクちゃん」を引き合いに出すまでもなく、多大な戦争の惨禍のことや、その後の発展の姿を述べることはここでの目的ではない。ただここで言いたいのは、私にとっては好印象の国であったということだ。さらに、実際に定年退職後の次の仕事でわずかな体験だが、初めてベトナムに行った時もそう感じたこと、そして、今、羽曳野市内で行われている民間の「みやび」という団体が運営する「日本語教室」に時々参加し、もっぱらベトナムからの技能修習生と接触していること*、など馴染みの深い国であり、今回の2回目の旅行も興味深く応じたのだ。
妻はと言えば、障がい児に係る仕事をしていた関係でベトナムにも数回訪れており、私よりはるかにベトナム通である。
<*このことについては、この「レダック ピースボートに乗る」のブログの記事一覧をさかのぼり、「」で見て下さい>
ダナンのランドマーク ロン橋 龍の形、決まった日に頭から火炎を吹き尾から水がでるというー見れなくて残念
Ⓐダナンという街
ベトナムという国は南北に細長く、首都ハノイの位置する北部、今回旅行したダナンなど中部、ホーチミン(サイゴン)を有する南部、さらに山岳地帯と、人種・民族、気候、言語・文化・慣習等非常に多様性に富む。手元のガイドブックで今少しベトナムについて補足すると、人口は1億人弱(世界で13番目)、平均年齢は29歳という若さ・活気あふれる国(ちなみに日本は46歳デスゾ。しかも、2022年には女性の5割以上は50歳を超える…)。一人当たりGDP は2200ドルだが、都市部は2倍以上という。また国民の8割が仏教徒。50を超える少数民族がいるが、9割近くはキン族が占める。私の知る限りではキン族のベトナム人は、日本人より小柄であったが、最近の技能修習生は長身の人も多い。しかし、まじめで礼儀正しいという印象は変わらない。
妻は数回ベトナムを訪れているが、ダナンは初めてである。ここが、なじみある名前だったのは、ベトナム戦争時、米軍の爆撃機が飛び立つ飛行場がダナンだったという記憶があるからだ。
今、観光ガイドブック等を見ると、ダナンは人口100万人第3位の都市だそうだ。近辺のフエ、ホイアン、ミーソン遺跡の3つの世界遺産の根拠地、および最近では長い海岸線を有するリゾート地として有名である。私たちのホテルはこのリゾート地周辺であったが、周辺は古い住宅を取り壊し更地にする工事があちこちで進行しており、まだまだ発展を続ける街であると思われる。昔から北部は中国文化や中華系の人々の影響が強かったが、ここ中部ダナンでも高級リゾート地の途中からの一帯は中国資本のホテルやカジノに占有されていっているというタクシー運転手の話に驚いた。
<10月30日 初日>時差を入れて5時間のフライトを終え、到着したダナン空港は、結構涼しいけれど、時折バラバラバラと雨がぱらつくような天候であった。ホテルまで送迎のHISのバスの中で、担当者が「明日は晴れます」との説明し一安心。流ちょうな日本語はダナン大学で日本語を学び立命館に留学していたとのことだが、私の関わっている「日本語教室」に来るベトナム人たちも結構勉強してきており、日本語学習熱も高いそうだ。
着いた「サンライズ ホテル」は思っていたよりはるかに良く、清潔である。1フロアに5室というこじんまりしたホテルだが、二つ置いてあるベッドが広く大きいほうはダブル。スーツケースの開閉が十分できるほど結構広い。バスタブは無いがシャワー・トイレ🚽もきれいで満足。(帰国後調べたら3千円、驚くほどの良心的お値段です)
<<レダックおすすめ情報 その1 サンライズ ホテル 町の中心やビーチにも近い>>
一休みし15時から出かけるといっても限られてくる。今日はまずHISのサービスのバスを使い、市内最大のハン市場を見ておこう。私たちは、旅行での街歩きは必ずといっていいほど、マーケットに行く。なんとなく、その街の空気をかぐにふさわしい。あとhttp://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=e592b181b51acdaab01bbbfe25d8f187&p=1&disp=10#少しというところで意外な「光景」に出くわした。美女軍団が出迎えてくれている。自動車屋・バイク屋と思しき店の宣伝のようで、20名ほどのうら若き美女たちが白い制服、それもミニスカートとヘルメット姿でバイクの横に整列しているではないか!初っ端からラッキー!眼福、眼福!
デレデレ鼻の下を伸ばしながら入った、ハン市場はかなり大きい。マートも市内にあるがここが庶民の日常生活を支えている。出入り口も四方にある。飲食物を供する店もある。その一つに座り、いわゆる春巻きのような皮に野菜と卵焼きを巻き込み、たれに着けて食べるバインセオを注文する(下記写真 左手で持っているモノ)結構いける。
隣の店からも飲み物はいらぬかと言ってくる。妻はアボガド、私はマンゴーのジュースを注文したがほとんど果実を粉砕したものを水と氷でわったようにドロドロ!濃厚! まずかろうはずがない。お勘定。バインセオが4万ドン、ジュース2杯が4千500ドン。ンーっと。いくらだ?
(日本の1円がベトナムのほぼ200ドン、だからドンの下二けた00をとり半分にしたものとして計算する。つまり10000ドンは50円、100000ドンで500円、ビビる必要はない。そのかわり、紙幣の種類が多すぎて、最初慣れるまで大変だし、疲れたらわけわからん状態になる。)
ということは、エ!春巻きのようなもの4本で200円(十分満腹しました)とジュース225円、二人で425円のローカルランチでした。
<<レダックおすすめ情報その2 ハン市場 食べなくとも一見の価値あり>>
その後もいろいろ経験したが、外国人観光客目当ての店はさておき(というより、行かない、行けない)、ローカルの店は食品に関しては1/3~1/5くらいという感想を持った。(しかし、輸入品、工業化製品が高いのはどこの国でもご同様だ)
次は、ダナンの街のランドマークといえるダナン大聖堂へ。割合近くであったが、折悪しく、雨が降り出したかと思うとすぐスコール状態に。写真を撮ろうかという時に限って激しい。ミサの17時には教会内に入れるが、周辺施設の雨宿りがやっとで、待つ心の余裕などない。
やむなく、小雨の中、雨でも可能な見学地として、地図で近そうなチャム彫刻博物館に向かう。大聖堂前の道を南下すればあるはずだ。しかしダナンのもう一つのランドマークであるロン橋(橋が龍の形、日を決めて龍頭の口から火が噴くというショーが見られるそうだが、残念ながら今日は違う)も見えているのだから、あちらの方角の建物と当たりをつけたが、慣れない外国人にとってたどりつくのは至難の業に見える。というのは多分6差路くらいの道を渡らなければならないのだが、怖いのだ。信号が青になって渡り始めても、日本と反対の右側通行だから、巨大な塊のようになったバイクの間を縫っていき中間点になったら左折のバイク軍団がつっこんでくる。死なばもろとも、思わず妻の手を握る。ア~コワ!
で、この彫刻館といわれる博物館、どうにも違和感がある。シヴァ神とか象のガネーシャ神などが多く飾られている。あとで調べたら、館名の「チャム」とは、翌日見学することになったミ-ソン遺跡をつくったチャンパ王国の一属領であったようだ。そのチャンパ王国は14世紀には滅んだが、ヒンズー教を信仰していたので、インドの遺跡のような感じがしたのも無理はなかろう。
上述したように民族・文化が多様で、しかも歴史の重層構造を加味すると複雑すぎる。おまけに中国に属国化した時代・地域もあり、近代にはフランスの植民地となったので隣国ラオスと同様フランスパンがおいしい。南ベトナム時代のサイゴンは、「共産主義支配のドミノ」理論に基づいたアメリカ文化が多大な影響を及ぼしてきた。ほんとに複雑、僕らは「キン」族の人々を平均的ベトナム人として理解しているのだろう。
博物館の写真数点
さて、夕食は出直そう、ということになってホテルに帰るとHISの社員がいたので、ローカルで安いところを尋ねたら、「隣」とのこと。たしかに道路との仕切りの壁もなく開けっぱなしの店には客も4組ほど飲食しており、道路わきには生簀用ボックスがいくつか並びでいる。ダナン名物といわれる「海鮮鍋」と貝料理を注文した(もちろんビールもネ)。煮立った鍋にエビ・いか・貝・何か分からんが魚とともに香草が入っている。デ、店員さんが籠一杯の葉物野菜を持ってくる。この店の娘らしく中学生?高校生? 我らが外国人で事情が分からないと知った店主が、ハサミでその葉物を切り硬そうな軸は捨てている。空芯菜に似ている。結構いける。最後には注文しようと思ってた湯がいたラーメンをカップに入れて娘さんが持ってくる。セットになっているようで嬉しい。「シン・カム・オン」(ベトナム語でありがとう、っていう意味)。ニコット笑ってくれた。貝料理もおいしい。もう十分だ。地元客が食べているガザミのようなカニもおいしそうだが、もう満腹だ。残念! そして、お勘定。エ?30万ドン!さあ読者の皆さん、計算してください。 そうです千5百円!!それも二人分!安~い。エーイ、また来てここでカニを食うぞ、と決意した二人でした。
<<レダックおすすめ情報その3 サンライズ ホテル隣の食堂>>
<10月31日 2日目> 午後からは、ガイド付きツアーを申し込んでいるので、午前中だけ市内の近場を巡る。妻が買い物で行きたがっていた「Big See」というモール、すぐ近くにあるハン市場に次ぐ大きな「コン市場」も見てまわろう。いくら市場好きと言っても、昨日もっと大きなものを見た後だから、サーット通り過ぎたくらい。モールは日本のスーパーと変わりがないが、やはり物が違う。日本で入手しにくいものを探す。マンゴー、香味料、ローカルの弁当など。フードコート風の一角をのぞくと、豚まんのでっかいのがある。これも一つ買い求め、ホテルで半分っこし、弁当とで十分なランチでした。雨で初めての地なので往復ともタクシー利用。距離が分からないので何とも言い難いが、片道300円強。やはり人件費にかかるものは利用したほうがお得と思う。
<<レダックおすすめ情報その4 タクシー利用し時間を有効活用すべし>>
<11月1日 3日目>
昼のホイアンから帰り、夕方、ミーケ―・ビーチを散策する。台風と思えるほど波が高いのに、何人か海に浸かっている。よく見れば、ライフセーバーが何人も海域を限定しており、少しでも沖に出かけたら笛をふいて警告すると、おとなしく戻ってくる。泳いでいるというより足の着くところでジャンプして波をやり過ごすという感じ。それでも、規制を破ろうとする者はいそうにない。おとなしい国民性?なのか、それともやはり社会主義の国で、違反行為に対しては厳罰が予想されるせいか、よく分からない。砂浜は細かくサラサラしており、シーズンの海水浴場としては最高でしょうな。ビーチバレーに興じる集団もいる。海鮮レストランが並び、生簀ボックスが所狭しと並んでいる。大きなイセエビの値段を見るが、例によって0が並んでにわかには判断できない。隣の食堂より少なくとも一桁は高そう。
デ、私たちは、隣の食堂でゆでガニを食したのであります。これも店主が甲羅を断ち切るはさみで半分は解体してくれました。茹で上がりすぐで、みそとマッチングして美味でありました。さすがにカニは少し値が高いのか本日は5万4千ドン(=それでも一人なら1300円強)。
<<レダックおすすめ情報その5 (もう少し暑ければ)ミーケー・ビーチへ>>
<11月2日 4日目>
皮肉なことに今日は快晴。やむなく市内でまだ行ってないところと言えば、ダナン博物館。またまた、タクシーを利用し到着してみると、れんが壁と堀に囲まれ、館内の庭にはヘリコプターと何門もの大砲。どうやらお城のあとらしい。それよりも見事な盆栽が目につく。館内ロビーは学校の生徒で占領されており喧噪のさ中。どうやら、遠足などのただの見学ではなく、生徒が前に出て立ち代わり発表したり、クイズう早抜けのようなアクティヴィティーをしているところを見ると、日本でいうところの総合学習風の現地学習カナ?! ダナンの歴史や生活道具の展示がなされているのはどこでも大差ない。しかし出色なのは、周辺高地山岳民族のカト族の紹介と、なんといってもあのベトナム戦争の写真と武器弾薬類の展示。天井から吊るされていた大きな爆弾や、迫撃砲の実物には、さすがに唖然・・
館から出るころには生徒も帰り、我々も市内を貫流するハン川(ハン市場のハン)沿いにそぞろ歩きし、ガイドブックにも出ている川筋の喫茶店を探す。川の横は整備された散歩道になっているのだが、やはりベトナム、晴れれば陽射しが暑い。そこで道路を挟んだ陰のある道を歩んだが、歩道もデコボコ、単車の駐輪場にもなっており何とも歩きにくい。目指す店を見つけたが、欧米系外国人観光客でいっぱい。待ってまで入りたいとは感じなかったので、ハン川散歩をやめて、ガイドブックをもとに近所での昼食店を探しなおす。これが大正解。ここはこれからの観光客にもおすすめです。店の名はTRAN(ベトナム語だからAの字にはウムラウトではないがマークがついている)、日本語の地図には「チャン」と紹介されているし、実際店にたどり着いて「チャン?」と聞くとうなずいたのだからそう発音するのだろう。建物の店内の前に、4~50人でも入れるようなテラスの席があり、前からいる客も、後から詰めかける客も、店内でなく、ここで食事している。名物のビッグな春巻きである。春巻きの皮の上に餅のような細長い板を貼りつけ、豚肉、たくさんの野菜を置いて巻き込み、棒状になったものにたれをつけてかぶりつく。最初のハン市場内で食したものの具材が豚肉になり野菜の種類も多い。ただ、もやしの生はあまり入れる気になれなかった。おいしいんです。いけます。でも、野菜は、我々の感覚では2人分は数人分あり、半分近く残しました。若い人のグループは豚肉だけ追加注文していたようです。我々はイチゴジュースとパイナップルジュースも注文しました。昼間からビールだとしんどくなりそうなのでジュースにしましたが、後から来る多くのローカルの人たちはスイカジュースを頼んでいるようです。グラスにスイカの切込みを添えてあるので、きっと生のスイカも注文できるだろうと推察しました(ジュースの量も多くてこれ以上はいらない)。浅はかでした。頼りない英語コミュニケーションの結果出てきたのは、スイカジュースでした。
<<レダックおすすめ情報その6 生春巻きはこの店 チャン>>
またまた夕食は隣の店です。二人ともおなかが少し緩んできていますが、最後の夜のこととて、カニとともに、今まで食べなかった生簀のエビを注文しました。茹で上がったエビはプリプリ! これはイケル。カニ割りばさみにも慣れてきたことだし・・・!力が入り過ぎて、右脚の爪の先がロケットのように飛んでいきました。店主も娘ももちろん、ほかの客も含めて、店内大爆笑。いつもと変わらぬお茶目なレダック君でありました。
デモ、別のものも注文しましたが、今日は一番高かった、60万ドン(3千円)。一人なら千5百円ですけどね。きっと生簀のエビが高かったんでしょー。店主が説明してくれました。そして、「今日で最後と言う」と、店員も含めて手を打ち振ってくれました。
<11月3日 5日目>
今日が最終日、12時に空港行きのバスがピックアップしてくれる予定になっている。
出歩くという所まではいけないので、近辺のお寺、対面にある観音菩薩像を訪れる。多くの人がお祈りをささげていくところを見ると、今のベトナム人は熱心な仏教であることが分かる。
少し奥に行くと屋台がならんでおり、その奥は市場だ。当然のごとく迷い込む。好きだね、我々も! 揚げパンを売っており、妻が食べる機会がなく残念がっていたフランスパンのサンドイッチも、市場内の屋台で売っている。ついでに、ピーナツせんべいみたいな、庶民のおやつみたいなものも贖う(帰国後食べた。おいしいのだが、歯の裏にキャラメル状のものがくっつき磨くのに一苦労)。パンは1万ドン(50円)で、ピーナツせんべいは〇ドン、庶民の市場なので端数も出るような値段、こちらの握りしめる財布から紙幣のどれだけか分からずモタモタしていると、必要な紙幣を指して受け取りお釣りを何枚かくれる。ボルというような行為は考えられない。(帰って残金を整理していたら200ドン紙幣が何枚か出てきた。1円ですゾ!)
ベトナムでの最後の食事は、ホテルの部屋で、屋台のパンを食べたのですが、どうもローカルグルメのレポートになってしまいましたナ。
<<レダックおすすめ情報その7(ダナンに限らず)フランスパンのサンドイッチ>>
例によって、旅行業者HISの広告を見ていた妻が「お父さん、これ安い」と示したのがベトナム中部ダナン4泊5日旅行費用4万円台の旅だった。この夏から関空発着の直行便が開始されたという。もちろんLCCでジェットスター、飛行機代とホテル料金のみで、あとは全くのフリープランなので5万円以上かかることになるが、基本料金一日当たり1万円前後なら、我が家の旅行方針に合致する(安ければいいというものではない。「てるみくらぶ」の広告は安すぎておかしいと話していたら、案の定だった)。というわけで即決!
出発は2017年10月30日(~11月3日)。皆さまご存知のように、珍しくも秋の盛り、それも2週続きの台風21号22号騒ぎで、催行されるのか大いに気をもんだ。さらに現地に着くと、ダナンでAPECが開催される直前(実際11月6日~)とかで、要人・各国政府関係者の宿泊所と思しき高級ホテルは警察官がつめかけ、警護の車が通るときは占有されておった。さらに気がかりなのは天候、雨季に入りかけの時期ではあるが、そう大したことも無かろうと水着まで持っていったのだが・・甘かった。現地到着の10月30日と31日は台風まがいの強風も伴う雨で、めげてしまった二人でした。
◎二人のベトナム体験
私らアラコキ(around古希)の世代にとって、ベトナムという国は、学生の頃のベトナム戦争、「べ平連」運動などをあり、外国の中ではそれなりに身近な国であった。圧倒的な軍事力をもつ米軍が、ベトコンを掃討するため空爆により密林をナパーム弾で焼き尽くし、枯葉剤などの化学兵器を使用したりしたことに対する、ベトナム反戦運動の盛り上がりを経験した世代だ。しかし、近代兵器を駆使する米軍に屈することなく、地下トンネルからのゲリラ攻撃や、一丁の銃で米軍機を打ち落とすという伝説が生まれるほどベトコンは強かった。ついに、世界の常識を覆し米軍を放逐したという報道に接した時、私たちの胸は熱くなったものだ。
しかし、有名になった「ベトちゃんドクちゃん」を引き合いに出すまでもなく、多大な戦争の惨禍のことや、その後の発展の姿を述べることはここでの目的ではない。ただここで言いたいのは、私にとっては好印象の国であったということだ。さらに、実際に定年退職後の次の仕事でわずかな体験だが、初めてベトナムに行った時もそう感じたこと、そして、今、羽曳野市内で行われている民間の「みやび」という団体が運営する「日本語教室」に時々参加し、もっぱらベトナムからの技能修習生と接触していること*、など馴染みの深い国であり、今回の2回目の旅行も興味深く応じたのだ。
妻はと言えば、障がい児に係る仕事をしていた関係でベトナムにも数回訪れており、私よりはるかにベトナム通である。
<*このことについては、この「レダック ピースボートに乗る」のブログの記事一覧をさかのぼり、「」で見て下さい>
Ⓐダナンという街
ベトナムという国は南北に細長く、首都ハノイの位置する北部、今回旅行したダナンなど中部、ホーチミン(サイゴン)を有する南部、さらに山岳地帯と、人種・民族、気候、言語・文化・慣習等非常に多様性に富む。手元のガイドブックで今少しベトナムについて補足すると、人口は1億人弱(世界で13番目)、平均年齢は29歳という若さ・活気あふれる国(ちなみに日本は46歳デスゾ。しかも、2022年には女性の5割以上は50歳を超える…)。一人当たりGDP は2200ドルだが、都市部は2倍以上という。また国民の8割が仏教徒。50を超える少数民族がいるが、9割近くはキン族が占める。私の知る限りではキン族のベトナム人は、日本人より小柄であったが、最近の技能修習生は長身の人も多い。しかし、まじめで礼儀正しいという印象は変わらない。
妻は数回ベトナムを訪れているが、ダナンは初めてである。ここが、なじみある名前だったのは、ベトナム戦争時、米軍の爆撃機が飛び立つ飛行場がダナンだったという記憶があるからだ。
今、観光ガイドブック等を見ると、ダナンは人口100万人第3位の都市だそうだ。近辺のフエ、ホイアン、ミーソン遺跡の3つの世界遺産の根拠地、および最近では長い海岸線を有するリゾート地として有名である。私たちのホテルはこのリゾート地周辺であったが、周辺は古い住宅を取り壊し更地にする工事があちこちで進行しており、まだまだ発展を続ける街であると思われる。昔から北部は中国文化や中華系の人々の影響が強かったが、ここ中部ダナンでも高級リゾート地の途中からの一帯は中国資本のホテルやカジノに占有されていっているというタクシー運転手の話に驚いた。
<10月30日 初日>時差を入れて5時間のフライトを終え、到着したダナン空港は、結構涼しいけれど、時折バラバラバラと雨がぱらつくような天候であった。ホテルまで送迎のHISのバスの中で、担当者が「明日は晴れます」との説明し一安心。流ちょうな日本語はダナン大学で日本語を学び立命館に留学していたとのことだが、私の関わっている「日本語教室」に来るベトナム人たちも結構勉強してきており、日本語学習熱も高いそうだ。
着いた「サンライズ ホテル」は思っていたよりはるかに良く、清潔である。1フロアに5室というこじんまりしたホテルだが、二つ置いてあるベッドが広く大きいほうはダブル。スーツケースの開閉が十分できるほど結構広い。バスタブは無いがシャワー・トイレ🚽もきれいで満足。(帰国後調べたら3千円、驚くほどの良心的お値段です)
<<レダックおすすめ情報 その1 サンライズ ホテル 町の中心やビーチにも近い>>
一休みし15時から出かけるといっても限られてくる。今日はまずHISのサービスのバスを使い、市内最大のハン市場を見ておこう。私たちは、旅行での街歩きは必ずといっていいほど、マーケットに行く。なんとなく、その街の空気をかぐにふさわしい。あとhttp://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=e592b181b51acdaab01bbbfe25d8f187&p=1&disp=10#少しというところで意外な「光景」に出くわした。美女軍団が出迎えてくれている。自動車屋・バイク屋と思しき店の宣伝のようで、20名ほどのうら若き美女たちが白い制服、それもミニスカートとヘルメット姿でバイクの横に整列しているではないか!初っ端からラッキー!眼福、眼福!
デレデレ鼻の下を伸ばしながら入った、ハン市場はかなり大きい。マートも市内にあるがここが庶民の日常生活を支えている。出入り口も四方にある。飲食物を供する店もある。その一つに座り、いわゆる春巻きのような皮に野菜と卵焼きを巻き込み、たれに着けて食べるバインセオを注文する(下記写真 左手で持っているモノ)結構いける。
隣の店からも飲み物はいらぬかと言ってくる。妻はアボガド、私はマンゴーのジュースを注文したがほとんど果実を粉砕したものを水と氷でわったようにドロドロ!濃厚! まずかろうはずがない。お勘定。バインセオが4万ドン、ジュース2杯が4千500ドン。ンーっと。いくらだ?
(日本の1円がベトナムのほぼ200ドン、だからドンの下二けた00をとり半分にしたものとして計算する。つまり10000ドンは50円、100000ドンで500円、ビビる必要はない。そのかわり、紙幣の種類が多すぎて、最初慣れるまで大変だし、疲れたらわけわからん状態になる。)
ということは、エ!春巻きのようなもの4本で200円(十分満腹しました)とジュース225円、二人で425円のローカルランチでした。
<<レダックおすすめ情報その2 ハン市場 食べなくとも一見の価値あり>>
その後もいろいろ経験したが、外国人観光客目当ての店はさておき(というより、行かない、行けない)、ローカルの店は食品に関しては1/3~1/5くらいという感想を持った。(しかし、輸入品、工業化製品が高いのはどこの国でもご同様だ)
次は、ダナンの街のランドマークといえるダナン大聖堂へ。割合近くであったが、折悪しく、雨が降り出したかと思うとすぐスコール状態に。写真を撮ろうかという時に限って激しい。ミサの17時には教会内に入れるが、周辺施設の雨宿りがやっとで、待つ心の余裕などない。
やむなく、小雨の中、雨でも可能な見学地として、地図で近そうなチャム彫刻博物館に向かう。大聖堂前の道を南下すればあるはずだ。しかしダナンのもう一つのランドマークであるロン橋(橋が龍の形、日を決めて龍頭の口から火が噴くというショーが見られるそうだが、残念ながら今日は違う)も見えているのだから、あちらの方角の建物と当たりをつけたが、慣れない外国人にとってたどりつくのは至難の業に見える。というのは多分6差路くらいの道を渡らなければならないのだが、怖いのだ。信号が青になって渡り始めても、日本と反対の右側通行だから、巨大な塊のようになったバイクの間を縫っていき中間点になったら左折のバイク軍団がつっこんでくる。死なばもろとも、思わず妻の手を握る。ア~コワ!
で、この彫刻館といわれる博物館、どうにも違和感がある。シヴァ神とか象のガネーシャ神などが多く飾られている。あとで調べたら、館名の「チャム」とは、翌日見学することになったミ-ソン遺跡をつくったチャンパ王国の一属領であったようだ。そのチャンパ王国は14世紀には滅んだが、ヒンズー教を信仰していたので、インドの遺跡のような感じがしたのも無理はなかろう。
上述したように民族・文化が多様で、しかも歴史の重層構造を加味すると複雑すぎる。おまけに中国に属国化した時代・地域もあり、近代にはフランスの植民地となったので隣国ラオスと同様フランスパンがおいしい。南ベトナム時代のサイゴンは、「共産主義支配のドミノ」理論に基づいたアメリカ文化が多大な影響を及ぼしてきた。ほんとに複雑、僕らは「キン」族の人々を平均的ベトナム人として理解しているのだろう。
博物館の写真数点
さて、夕食は出直そう、ということになってホテルに帰るとHISの社員がいたので、ローカルで安いところを尋ねたら、「隣」とのこと。たしかに道路との仕切りの壁もなく開けっぱなしの店には客も4組ほど飲食しており、道路わきには生簀用ボックスがいくつか並びでいる。ダナン名物といわれる「海鮮鍋」と貝料理を注文した(もちろんビールもネ)。煮立った鍋にエビ・いか・貝・何か分からんが魚とともに香草が入っている。デ、店員さんが籠一杯の葉物野菜を持ってくる。この店の娘らしく中学生?高校生? 我らが外国人で事情が分からないと知った店主が、ハサミでその葉物を切り硬そうな軸は捨てている。空芯菜に似ている。結構いける。最後には注文しようと思ってた湯がいたラーメンをカップに入れて娘さんが持ってくる。セットになっているようで嬉しい。「シン・カム・オン」(ベトナム語でありがとう、っていう意味)。ニコット笑ってくれた。貝料理もおいしい。もう十分だ。地元客が食べているガザミのようなカニもおいしそうだが、もう満腹だ。残念! そして、お勘定。エ?30万ドン!さあ読者の皆さん、計算してください。 そうです千5百円!!それも二人分!安~い。エーイ、また来てここでカニを食うぞ、と決意した二人でした。
<<レダックおすすめ情報その3 サンライズ ホテル隣の食堂>>
<10月31日 2日目> 午後からは、ガイド付きツアーを申し込んでいるので、午前中だけ市内の近場を巡る。妻が買い物で行きたがっていた「Big See」というモール、すぐ近くにあるハン市場に次ぐ大きな「コン市場」も見てまわろう。いくら市場好きと言っても、昨日もっと大きなものを見た後だから、サーット通り過ぎたくらい。モールは日本のスーパーと変わりがないが、やはり物が違う。日本で入手しにくいものを探す。マンゴー、香味料、ローカルの弁当など。フードコート風の一角をのぞくと、豚まんのでっかいのがある。これも一つ買い求め、ホテルで半分っこし、弁当とで十分なランチでした。雨で初めての地なので往復ともタクシー利用。距離が分からないので何とも言い難いが、片道300円強。やはり人件費にかかるものは利用したほうがお得と思う。
<<レダックおすすめ情報その4 タクシー利用し時間を有効活用すべし>>
<11月1日 3日目>
昼のホイアンから帰り、夕方、ミーケ―・ビーチを散策する。台風と思えるほど波が高いのに、何人か海に浸かっている。よく見れば、ライフセーバーが何人も海域を限定しており、少しでも沖に出かけたら笛をふいて警告すると、おとなしく戻ってくる。泳いでいるというより足の着くところでジャンプして波をやり過ごすという感じ。それでも、規制を破ろうとする者はいそうにない。おとなしい国民性?なのか、それともやはり社会主義の国で、違反行為に対しては厳罰が予想されるせいか、よく分からない。砂浜は細かくサラサラしており、シーズンの海水浴場としては最高でしょうな。ビーチバレーに興じる集団もいる。海鮮レストランが並び、生簀ボックスが所狭しと並んでいる。大きなイセエビの値段を見るが、例によって0が並んでにわかには判断できない。隣の食堂より少なくとも一桁は高そう。
デ、私たちは、隣の食堂でゆでガニを食したのであります。これも店主が甲羅を断ち切るはさみで半分は解体してくれました。茹で上がりすぐで、みそとマッチングして美味でありました。さすがにカニは少し値が高いのか本日は5万4千ドン(=それでも一人なら1300円強)。
<<レダックおすすめ情報その5 (もう少し暑ければ)ミーケー・ビーチへ>>
<11月2日 4日目>
皮肉なことに今日は快晴。やむなく市内でまだ行ってないところと言えば、ダナン博物館。またまた、タクシーを利用し到着してみると、れんが壁と堀に囲まれ、館内の庭にはヘリコプターと何門もの大砲。どうやらお城のあとらしい。それよりも見事な盆栽が目につく。館内ロビーは学校の生徒で占領されており喧噪のさ中。どうやら、遠足などのただの見学ではなく、生徒が前に出て立ち代わり発表したり、クイズう早抜けのようなアクティヴィティーをしているところを見ると、日本でいうところの総合学習風の現地学習カナ?! ダナンの歴史や生活道具の展示がなされているのはどこでも大差ない。しかし出色なのは、周辺高地山岳民族のカト族の紹介と、なんといってもあのベトナム戦争の写真と武器弾薬類の展示。天井から吊るされていた大きな爆弾や、迫撃砲の実物には、さすがに唖然・・
館から出るころには生徒も帰り、我々も市内を貫流するハン川(ハン市場のハン)沿いにそぞろ歩きし、ガイドブックにも出ている川筋の喫茶店を探す。川の横は整備された散歩道になっているのだが、やはりベトナム、晴れれば陽射しが暑い。そこで道路を挟んだ陰のある道を歩んだが、歩道もデコボコ、単車の駐輪場にもなっており何とも歩きにくい。目指す店を見つけたが、欧米系外国人観光客でいっぱい。待ってまで入りたいとは感じなかったので、ハン川散歩をやめて、ガイドブックをもとに近所での昼食店を探しなおす。これが大正解。ここはこれからの観光客にもおすすめです。店の名はTRAN(ベトナム語だからAの字にはウムラウトではないがマークがついている)、日本語の地図には「チャン」と紹介されているし、実際店にたどり着いて「チャン?」と聞くとうなずいたのだからそう発音するのだろう。建物の店内の前に、4~50人でも入れるようなテラスの席があり、前からいる客も、後から詰めかける客も、店内でなく、ここで食事している。名物のビッグな春巻きである。春巻きの皮の上に餅のような細長い板を貼りつけ、豚肉、たくさんの野菜を置いて巻き込み、棒状になったものにたれをつけてかぶりつく。最初のハン市場内で食したものの具材が豚肉になり野菜の種類も多い。ただ、もやしの生はあまり入れる気になれなかった。おいしいんです。いけます。でも、野菜は、我々の感覚では2人分は数人分あり、半分近く残しました。若い人のグループは豚肉だけ追加注文していたようです。我々はイチゴジュースとパイナップルジュースも注文しました。昼間からビールだとしんどくなりそうなのでジュースにしましたが、後から来る多くのローカルの人たちはスイカジュースを頼んでいるようです。グラスにスイカの切込みを添えてあるので、きっと生のスイカも注文できるだろうと推察しました(ジュースの量も多くてこれ以上はいらない)。浅はかでした。頼りない英語コミュニケーションの結果出てきたのは、スイカジュースでした。
<<レダックおすすめ情報その6 生春巻きはこの店 チャン>>
またまた夕食は隣の店です。二人ともおなかが少し緩んできていますが、最後の夜のこととて、カニとともに、今まで食べなかった生簀のエビを注文しました。茹で上がったエビはプリプリ! これはイケル。カニ割りばさみにも慣れてきたことだし・・・!力が入り過ぎて、右脚の爪の先がロケットのように飛んでいきました。店主も娘ももちろん、ほかの客も含めて、店内大爆笑。いつもと変わらぬお茶目なレダック君でありました。
デモ、別のものも注文しましたが、今日は一番高かった、60万ドン(3千円)。一人なら千5百円ですけどね。きっと生簀のエビが高かったんでしょー。店主が説明してくれました。そして、「今日で最後と言う」と、店員も含めて手を打ち振ってくれました。
<11月3日 5日目>
今日が最終日、12時に空港行きのバスがピックアップしてくれる予定になっている。
出歩くという所まではいけないので、近辺のお寺、対面にある観音菩薩像を訪れる。多くの人がお祈りをささげていくところを見ると、今のベトナム人は熱心な仏教であることが分かる。
少し奥に行くと屋台がならんでおり、その奥は市場だ。当然のごとく迷い込む。好きだね、我々も! 揚げパンを売っており、妻が食べる機会がなく残念がっていたフランスパンのサンドイッチも、市場内の屋台で売っている。ついでに、ピーナツせんべいみたいな、庶民のおやつみたいなものも贖う(帰国後食べた。おいしいのだが、歯の裏にキャラメル状のものがくっつき磨くのに一苦労)。パンは1万ドン(50円)で、ピーナツせんべいは〇ドン、庶民の市場なので端数も出るような値段、こちらの握りしめる財布から紙幣のどれだけか分からずモタモタしていると、必要な紙幣を指して受け取りお釣りを何枚かくれる。ボルというような行為は考えられない。(帰って残金を整理していたら200ドン紙幣が何枚か出てきた。1円ですゾ!)
ベトナムでの最後の食事は、ホテルの部屋で、屋台のパンを食べたのですが、どうもローカルグルメのレポートになってしまいましたナ。
<<レダックおすすめ情報その7(ダナンに限らず)フランスパンのサンドイッチ>>