レダック紀行 ベトナム編 その2

2017-12-14 10:27:36 | 日記
今度のベトナム旅行はダナンなんだ その2

前回 ダナンのことだけ書いて、他もあったんだけで、老化につきアップ忘れして・・
その前に、その1で、画像処理しきれなくて、忘れていた写真を。

ダナンのランドマーク ロン橋

バイク店前のベトナム娘の美脚

彫刻館の展示物

ダナン博物館 ベトナム戦争 爆弾
 同 武器

2 豪雨のミーソン遺跡<10月31日>
 前日、ホテルにいたHISの社員に、日本語ガイド付きミーソン・ホイアン観光を申し込んでいた。12時半にホテルまでマイクロバスがピックアップに来る。ガイドは女性、彼女も日本語が達者。あと二つのホテルで夫婦を乗せ計3組の客がご一行様。あいにくの雨がだんだん激しくなってくる中、ガイドの説明を聞く。
 ダナン<10月30日>チャム彫刻博物館のところで触れておいたように、中部ベトナムの支配王朝がチャンパ王国であった時期がある。この国では、ヒンズー教シヴァ派が国教でその聖地とされたのがここミーソンなのである。遺跡だけあって、今でも村里より奥深く、マイクロバスを降りて、電動の専用カートに乗り換える。雨激しく、上はウィンドブレーカーを着るも、下のズボンははかずにいたら、濡れて困った。専用カートから降りた先は、当然徒歩である。通路は雨水で溢れ、冠水どころか川の一部である。通常の川も川原と一体化しており、橋も何とか渡れた。うしガエルも姿を現し、「こんな大雨は私も初めて」とガイドもあきれていた。その中でも、ガイドが案内したのが、やはりベトナム戦争時、米軍が爆撃した跡の穴だが、何せこの雨、小さな池か大きな水たまりでしかない。途中から遺跡群が見える。レンガと岩を組み合わせた神殿らしき建造物で比較的よく残っている地帯に着く。
このレンガと岩を組合す技術が不思議がられており、セメントはもちろん、漆喰など接着剤が何も使われていないという。また、このレンガが優れもので、風雨にさらされても堅牢であり、今でも復元できないという。そういえばマチュピチュの岩組は世界の七不思議のひとつだったことを思い出す。古代・中世の石・岩の文化を、我々木の文化の国民が理解することは難しいのかもしれない。少なくとも700年以上前のレンガ群や、岩に刻まれた様々な彫刻は見事で、世界遺産にも指定されていることに納得した。

信仰対象の墓や、建物の礎石と思われるものもあった。時たま小雨状態になった時を狙ってカメラを向けたが、天候のいい時に、もっとゆっくり回ってみたかった。

3 ホイアン
ランタンがきれいで、コーヒーのおいしい 古都ホイアン<10月31日、11月1日>
マイクロバスで雨から逃れた一行はホッとして次のホイアンに向かう。通常なら、ここで居眠りをするのだが、バイク王国であるからして、雨の中、穴や水たまりをさけて走り回るバイクを追い抜く様子がヒヤヒヤもので眠っていられない。マイクロバスの一番前で運転席から外界が見えるというのも考え物だ。
 Anyway、4時半ころ世界遺産のホイアンに着く。小雨になっていても夕暮れでもあり、見通しはよくない。この町は、往時、世界的貿易都市として栄え、日本人も交易を求め在住しておったそうな。だから旧市街地の一角には日本人町があり、そこに至る「日本橋」は有名な観光スポットの一つとなっている。
この後、ガイドさんはトゥボン川沿いの「サクラ」という食事場所に導いた。ホイアンの名物料理がコースになって出てくる。3組の夫婦が自己紹介しあって、乾杯する。私ビール+妻ジュースで、12万ドン(600円)支払ったのだから、やはり観光地価格になっている。
<<レダックおすすめ情報 その8 サクラの名物料理コース>>

食事後、ランタンや雑貨などの土産物屋の並ぶ川の向こう側まで、ガイドさんに連れて行ってもらった後は、自由散策となった。ともかく欧米系を中心とした外国人が多く、そのニーズにそった店構えをしているのが特徴的だと感じた。



ザーっと二筋ほど見て回っても、19時の集合時間までには間があるし、傘をさしては、また閉じて・・という具合がうっとうしいので、しゃれたコーヒー店に入った。二階が格子窓のようになっている。そこから、通りの観光客を眺める。中には目線があい、手を振る欧米人もいる。「あんたも好きねエ」と手を振り返す。そしてこのコーヒーが抜群に旨いのである。店の1階ではコーヒー豆の販売もやっておるので、コーヒー好きの妻は買うことにした。
<<レダックおすすめ情報 その9 ホイアンではRoastaerのコーヒーを飲め>>

 さて、先ほどの店「サクラ」に再集合したが、ナント・・川に面した正面入り口の道は冠水しており、反対側からしか出入りできない。
ホテルに帰ってまずしたことは、靴を脱ぎ、紙を詰め乾かすこと。お天道さま相手じゃ仕方がないが、恨みの雨ではありました。

翌日(11月1日)、郊外に五行山という観光スポットがあるが、昨日のガイドもバス運転手によれば、「こんな雨の後のミニ登山は危険、私なら絶対行かない」というので断念。晴れの日の昼間のホイアンを見ようと意見が一致した。中華系の邸宅などの観光スポットで見ていないものが結構ありそうだ。
タクシーで40分、42万ドン(2100円)。ところが昨日はガイド付きでパック料金に含まれていたが、今日は自分で街への入場料(一人12万ドン=600円)が必要。入場券の端は5つの区画がしてあり、観光スポットへの入場の時に受付が切り取るというもの。中国人の旧家や貿易商人の家、彼ら中国人の出身地域の集会所など。この入場料は世界遺産としての環境保全に使用されているとのこと。それなりの異国情緒が味わえたが、中華系ということで台湾や、マレーシアのペナン島と相通じるものがあると感じられた。

この日は色々ドタバタ劇を演じました。一夜明けても、川筋近辺は、さらに増水している模様で「さくら」の正面玄関前はもちろん川の一部。まだ見ていない地域を回ろうとしたが、川側の道は浸水しているので、地図通りには行けない。おかげで伝統芸能を発表している芸能館にたどり着くのに時間がかかり、このテュポーン川遊覧で使っている船が、すぐそこまで入ってきている。しばらくうろついてから、その様子をとっておこうと考え、妻をそこらの店に残し、取って返したのでありました。サアー、それが大間違い。シャッターをきってすぐ、その店に戻ったが妻はいない。近くの店ものぞくが、いない。この後は、関帝廟に行こうと言っていたのを思い出し、小走りで向かうもそこにも、いない
さあ大変、はぐれてしまったのです。私の手元のお金は、買い物後のお釣りを預かるばかりで、4万ドンばかり。待て待て!ここで焦ったらアカン。つまり200円しかないということや。4万円ならタクシーにも乗れるが、200円では・・40Km離れたもあるホテルまでたどり着くのは不可能だし、どうあっても探しださんとと思い至り、またまた、今度はダッシュで戻った。あー、いました、いました。この時ほど、妻がまぶしく見えたことはありません。
私のあとから、妻も船着き場でないところの船を見に来て、あきれてたら、急いでその場を離れた私が忽然と消えていたのでびっくり!とのこと。
 汗をかきます。デ、お茶でも飲もうということで、少し歩くと昨夜とよく似た風情あるサテンがある。これもRoastaerではないか。入ってみてわかったことは、ホイアンだけで数点の店があるということ。アイスコーヒーを頼んだが、これが抜群!! 氷の入ったグラスの上にドリップ容器がおかれており、少しづつ落ちてくる。ミルクはどうなっているのかと聞くと、氷の下に白いものが敷かれている。練乳なのだ。数分で完成した。底にたまった練乳をかきまわす。甘ったるい練乳がコーヒーとマッチし、不安感で疲れた身には極上の味と思える。すでに おすすめ情報9であげていますが、追加注釈をつけます。アイスコーヒーのほうがさらにおすすめ、ト。
 
もう一つのドタバタ騒ぎは靴。二人とも生乾きの靴であったので、スニーカーかアップシューズが安ければ買おうという妻の発案で、ホイアン市場をのぞきました。物欲しそうな様子に気付いたのでしょう、お姉さんウーンおばさんが、何を探しているかと聞いてきて、靴と答えたばっかりに、猛烈な勢いで靴屋に連れて行く。靴屋のおばさんも出てきて、二人がかりで「これは、どうや」「あれはどうじゃ」と靴を出してくる。妻は、女物を出されても「気に入ったデザインはない、いらないという」意思表示をして認められたのであろう。攻撃は私に向いてくる。スポーツ界のブランドもののコピー商品を出してくる。ベトナム語と英語と日本語が入り混じる中で、ついに押し切られてしまった。帰ったら、ジムで「アディダス」を履いて走ろう!

帰路はなんというエピソードもなく11月3日 文化の日に無事帰宅しました。

ミニミニ紀行 うなぎと紅葉狩り

2017-12-04 22:07:32 | 日記
(ベトナム編の写真がヘンテコな具合になり、申し訳ございません。近々に手を入れる予定です。)

 さて、久々の一人旅。写真の全くない変なブログですが、よろしく

① 浜松編 鰻

 2017年11月29日(水)、年に一度のボヤキ会が、浜松で開かれた。K大学陸上部昭和43年(1968年)卒(=71~73歳)の18名が年に一度、顔合わせをするOB会に16名が集まった。現役時代の競技生活の成績などは全く関係なく、旧交を温め、互いの現況を確認しあっている。卒業当初、まったく異なる道に進んだ者同士が、慣れぬ会社文化の愚痴をこぼしあう場として、互いの情報を交換するパンフをつくり、一応の名前として「ボヤキ」と名付けたことから、この名をもって会合名もしている。当然職場も住居も散在することになるが、大きくは関西組と、首都圏に大別されるので、幹事を交替してやっている。昨年は関西で奈良、今年は東京担当だが、割合中間点に近い浜松でやろうということになった。ちょうどNHK太河ドラマで評判にもなっているし・・
 
 デ、両方面から集まれる昼前に集合したのは、Nというウナギの評判店である。浜松に来てウナギ抜きはあり得ない。71~73歳の気心の知れたじいさん(昔は女性部員などいなかったのです😭)の集まりであるから、遠慮なくため口をたたきあう。学生時代に語学の天才みたいな男がおり、次々とあだ名をつけまくって、卒業後もそのあだ名がいきている。恒例の近況報告が順番に始まった。体・健康のこと、いまだ顧問や相談役のような形で働いている人からはその仕事の話、リタイア後の余暇の使い方についてー運動・ゴルフや旅行の話が多い、等々であるが、女性と違う所は家族員の話はほとんど出ないところであろう。その中でもみんなの垂涎の的は、退職後、豊富な旅行・宿泊情報を収集し、夏は涼しい北海道等、冬は温い沖縄等での長期ステイ、合間に外国旅行を夫婦で楽しんでいるF君のスピーチであった。幹事は一応5分「程度」と指定したにもかかわらず例年通りの好き勝手な放言が続き、ために2時間かかった。未だ同じ話を繰り返し、ニンチの兆しが見られる同輩がいなかったことは良かった。
 さて料理である。最後に見事な「うな重」がでてきて満足を覚えたが、コースの刺身が海と湖にしては物足りなかったのは私一人であろうか?お酒は飲み放題セット付きであったが、断酒が一人、アルコール敬遠が一人とこの年代にしてはこんなものか? 「飲み放題付き」が続けられるのはこの先いつまでかという思いを多くの人も持ったのではないか!
 
 閉会後、店前で記念写真を撮り、散会となったが、6名が直帰、10名が腹ごなしもかねて浜松城見物とあいなった。2時間飲んだ後だから、結構足取りが重いし、予想よりは遠い。
 城そのものは家康ゆかりのものだし、関西組にとっては、「ソウナノ」という程度であったが、天守閣から富士山の一部が垣間見えたのがウレシイ。駅までの帰りは三々五々となったが、一人H君が石に腰掛けうずくまるような姿勢を見せたので心配になった。タクシーに乗せようとしたが、見えず。「大丈夫」というのですぐのところにバス停がありにへたり込んだ。駅まで少しと踏んでいたのだが、渋滞があったようでやっと来た満員のバス。やむなく乗り込み、駅に着いた時には、東京方面に帰るI君の予定発車時刻を超えていたのであった・・

 みんな浜松を離れ、泊はM君と私だけ。私の場合は大阪―浜松くらいは日帰りと考えていたのであったが、前日、妻が「高い電車賃払うのなら、泊まって楽しんできたらいいやないの」と背中を押され、急遽ネットで調べたホテルを予約していた。「じゃらん」で探したら5300円、朝食付とは書いてないが、ホテルレストランのバイキングは無料とのこと。なにしろ昼の宴会であまり腹はへっていないので、チェックイン後、とりあえず風呂に入り休養していると、M君から電話「晩飯一緒にしよう」 ホテルのフロントでで聞いた店に行くことにしよう。まちあわせて、駅前の「たんと」という店に行ったが満員、ほとんどが若い会社帰りのグループかカップルと思われる。片隅の二人席で、名物らしい「浜松餃子」とホルモン焼き、新鮮とメニューに大書してある「初鰹」と「シラス」等を注文。もちろんビールもと! とココデ、M君はホッピーをオーダー。なんでも東京あたりで今人気になっているビールテイスト飲料の一種だそうで焼酎で割って飲むらしい。ワタシは知らなかった。M君もいろいろ人生を楽しんでおるのだなあ!と感心。食べ始めるとまさに別腹、お魚は新鮮で満足。浜松に来たかいがありました。ついでにイカの何とか焼き等も注文。その煮汁がおいしくて、M君はご飯まで注文しておりました。もちろん割り勘ですが、お愛想してもらったところ、飲食の際の会計のベテランの私の予想を超えました。やはり大阪より割高で「たんと」取られたところでグッドバイ。

② 大井川鉄道 紅葉

 下着と、浜松周辺の情報以外、何の準備もしてこなかったので、翌日の遊び場所を考えねばならぬ。いっそ、浜松を飛び越えてしまおうか、そういえば私の次男の一家が「トーマスの機関車」に乗れる大井川鉄道に行き、楽しかったと話していたことを思い出した。紅葉狩りを気取るのも、またオシャレか、とホテル*(朝食バイキングもそれなりのもので、パンがおいしいのに感心した)を飛び出し、駅のインフォメーションへ。しかし、開室は9時からで閉まったまま。ならばママよとJRの切符自販機へ。出がけにホテルのフロントで聞いたら「掛川」からということであったので500円の切符を買い、念のため駅員に聞くとその二つ先の「金谷 カナヤと読む」が正解。何とエエカゲンなこと。マ、何の情報も持たずに出かける私のほうがさらにエエカゲンなのだが・・・携帯はガラケーのまま、それも泊まることまで想定せずに飛び出したので、途中で充電切れ。帰ったらスマホに替えるゾ!
 
 とにかく、金谷に着きましたが、次の列車まで1時間以上ある。親切な売店のおばちゃんが「次の新金谷駅まで行ったら、10:18にSL急行がある。この道を歩いて行っても半時間で着く」と教えてくれた。言われた道を歩き始めると、金谷とは江戸時代本陣を持つ宿場町であることが分かり、史跡案内を読みながら行く(といっても○○跡だけれど)。そのうち到着した新金谷駅で駅員に聞くと、「次のSL急行は800円急行料金がかかる、その半時間後くらいに出る通常の各停と所用時間はあまり変わらない」とのこと、どういうこと??。観光バスが何台もとまり続々と人が降りてくる。ワタシヤ、鉄男君では決してないし、800円も上積みしてでもSL列車に乗りたい、という情熱もない。しかし、あまりにも便が少ない。さらに半時間待つなんてようしない。ここまで来たからには、SLに乗っちゃえ! 勢いだけで急行券も買い乗り込みました。
 駅周辺もホームも、もちろん車内もカメラを抱えた人で一杯。ガラケーの充電状況はあとわずか。ヤッパ スマホにしよう。7号車まであり、後ろは団体客で一杯。でも指定された座席は一般客用の6号車でガラガラ、10人強しかいない。すぐ近くにはお祖母さん連れの夫婦と幼児がいる。汽笛を鳴らしSLが動き出す。あまり記憶もないので郷愁の念などわかない。終戦の年に生まれた私は、物心ついたころにはSLでの旅など縁がなかったし、第一、乗り物と言えば京阪電車しか知らなかった。社内風景など別に物珍しいものでもない。しかし車掌の服装をした女性ガイドが放送案内をしたかと思うと、いろんなお土産販売をして回っているので退屈はしない。この列車内でしか買えないお土産として、SLの汽笛の音を目覚ましに使っている時計には苦笑した。例の家族はSL号の動くおもちゃを2歳くらいの幼児のために買っていた。そうかと思うと、鉄道員の帽子をかぶらせて記念写真を勧める人も回ってくる。写真を撮るのは無料、撮った写真は有料という商売である。件の家族も幼児に帽子をかぶらせてもらって撮ろうとしたが、帽子が大きすぎて口のあたりまですっぽり入り、ためにむずがって泣き出した。お祖母さんと同時に後方の席にいた私も思わず「ハハハ」と笑ってしまった。終点まで私の発した言葉はこの「ハハハ」だけであった。
 
 さすがに天下に名をとどろかす大井川、河川敷が本当に広い。そういえば「箱根八里は馬でもこすが、越すに越せない大井川」と謳われたのもむべなるかなと思わせる。しかし渇水時期なのか流れは急峻なようにも見えない。鉄道と大井川とが絡まりあうように伸びている。ためにいくつもの鉄橋を渡り、14かいくつかのトンネルを潜り抜け進んでいく。途中から、緑の中に紅葉を認められる山々を遠望しつつ、里村の木々の見事な赤にも感心し、はじめ、「来て良かった」と実感する。茶畑も多いので緑との対比が美しい。「家山」という駅一つだけに止まり、80分ほどで終点千頭(センズ)に着く。列車の向きを変える転てつ機の奥にはトーマス号が止まっている。その横は?エーット、パーシーだったかな?ゴードンだったかな? 孫に一生懸命教えてもらったのだが、もう忘れている。このトーマスの機関車は土日のイベント期間に運航され、子どもに大人気という。
 SLとしては千頭が終点だが、さらに山間に伸びる井川線の発駅にもなっている。また、金キロウ事件で有名になった寸又峡温泉へはバスで40分くらいという。いくらなんでも、そこまで行けばもう1泊ということになりかねず、金もなければそこまで若くはないのである。

 駅前インフォメーションに立ち寄り、そぞろ歩きの地図と昼めしの店を推奨してもらった。終わってみればほぼ1時間のミニ・ハイキングであったが、二つの吊り橋、茶どころだから急須に擬した展望台(休憩所)、それを受ける高さ2mくらいのデッカイ湯呑、大井川の河川敷の景観、随所で足をとめさす紅葉など、楽しめたのでありました。駅前に戻ると1時間以上も余裕があり、教えてもらった蕎麦屋へ行く。昼を大幅に過ぎていたのですいていたが、後からの来店者も数人いた。ミニコミ紙の紹介されているようで、あたたかい「とろろそば」を注文したんだが、そばもさることながら、お出汁がうまくて完食!(店の名は「丹味」)
 道の駅がすぐそこにあると聞いた。たしかにあった。小さいながら地元野菜や手作りの菓子・工芸品などのいかにも道の駅である。土産を何一つ買っていなかったのでわらび餅を贖った。ここは道の駅よりも隣接する「音戯の郷」(ココデ問題! 何と読みますか?答えはこの段落の最後)の幟のほうが多く立っている。音体験施設とあるので入口まで行ったが、入場料が500円もするので、回れ右をして、外に吊るしてあるパイプ・金管(鉄道レールが原材料らしい)を鳴らして帰った。ミ~シはいいんだけれど、ドとレは半音以上低くて興ざめだった。(答え オトギノサト)
 まだ時間がある。最初この駅に着いたときに入ったインフォメーションでだべっていた近所の大将が、私より一歩先に入っていった先がお茶の店だった。店先に「お茶のアイスクリーム」と出ていたのを思い出し、この店に入る。果たして予想通りだった。このカミさんが北海道まで働きに行っており、アイスクリームを作っているのだそうナ。店内の囲炉裏のある休息所で食した。たしかに、320円のカップ・アイスクリームはおいしかった。お茶も進めてくれた店主と話し合う。「今日は穏やかだが、台風21号22号の時は、川は満水状態だった」という話には驚かされた。この広い河川敷に水が溢れるさまなどちょっと想像が及ばない。一瞬、東北大震災の光景が頭をよぎる。
 駅に戻れば、帰りのSLの出発時間だった。20分あまり待てば普通車が出るので、今度はSLを見送る側にたった。あまり所要時間が変わらないという謎はすぐ解けた。千頭―金谷間は19駅あるのだが、多くは無人駅のため、2両ある車両から降車するには、先頭のドアにいる運転手に検札してもらわなければいけない。しかも、乗降者が一人もいない駅もたくさんあり、ドアが開いて、ひと呼吸おいてすぐ閉まるような駅では多分1分も停車していない。くれ始めて暗くなっていく山々にも飽き、意識がおぼつかなくなると、もうそこは金谷駅だった。